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プでもないことに注意したい。であるから、自己  

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Academic year: 2024

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+Ho.9    ます。「障害者の地域生活を支援します」から「地  

域支援(つまりのびのび暮らせる社会形成)をみ   んなで(相互に)行います」と発想が展開してい   くのが大切なのはこのためです。   

人はありのままの自分自身を受け止めてくれる   ものに出会った時、本来自分の持つものに目覚め、  

自分の中にある生きる力をもう一度信じてみる気   になるのではないでしょうか。援助の深さは、出   会った相手をありのままに受け止めるところから   始まり、最終的には相手が援助者から安心して離   れられるようになることで終わります。相手の力   や可能性を信じ、忍耐して成長をゆっくりと眺め   ているのはなかなか大変です。とりあえず手をか   してしまった方が楽なことが多いと思います。そ   のあたりの呼吸が援助者としてとても大切だと思   います。   

結局のところ、「自己決定を支える」というテ   ーマは、「人と人とがいかに深くちゃんと出会う   か」ということにつながっていくのではないでし  

ょうか。なにもかも自分で決めるだけではなく、  

人を信じて素直に従うことも、実は大切なのです。  

小規模作業所活動(在宅地域生活支援活動)が、  

そのコミュニケーション・システムを駆使して活   動するために、真の「出会い」はとても重要なこ  

とだと思います。  

議です。「そうか、生活スタイルは自分で決めれ   ばいいのか…。人の目を気にしたり、人の言うま   まにしなくてもいいのか…」。トラブルがあった   ときは、みんなで言いたいことを言い合ってみま   す。そこでお互いを大切に考え合うと、新しいア   イデアが沸いてきて自分も楽になるのです。これ   はコミュニティ活動の神髄で、特別にえらい専門   家が指導するのではありません。制度や専門家を   上手に使えるように、みんなで智恵を出し合いま   す。資源や制度は人がのびのび生きるためにある   ので、人を縛るのでは意味がないからです。   

ところでユーザー(当事者)とはいったい誰な   のでしょうか。当事者とは生きている一人ひとり、  

生活している一人ひとりです。ソーシャルワーク   の基本はここにあるので、対象者を固定的に限定   せず、一番つらい思いをし援助を必要としている   人に関わるのが本質的な活動だと思います。例え   ば家族です。現状では病院などは本人の治療が中   心で、家族は指示やお説教を受けるか放っておか   れます。家族が緊張して不安が増大するほど、当   の本人とはうまくいきません。逆に家族や周囲が   安心感を持ってくると、本人自身も変わってきま   す。病気の部分に負けてしまうか病気をうまく乗   り越えていくかは、本人のみならず周囲の一人ひ   とりの生きる知恵と力にかかっているように思い  

診療 自己決定とは 怨 敵  

自己決定の自己は、おそらく二重の意味をもつ。  

ひとつは「自分で」決めるということ。もうひと   つは「自分のことを」決めるということである。  

自分のことだから自分で決めることができるし、  

また、そうすべきだという考え方が自己決定の基   本にはある。心身に障害のある人びとには、これ   まで抑えられてきた基本的人権の一つである。  

ここでは、まず障害のある人びとの自己決定を難   しくする要因を述べ、その要因を克服する方法の   一つとして、セルフヘルプグループを紹介する。  

特集  

そして、当事者を支援する専門職スタッフのグル   ープへのかかわりかたについて述べる。   

藩 傍 自己決定を難しくしている要因 各 癒  

その第一は決定を判断する情報がないことであ   る。あれか、これかを決めたいと思っても、それ   が何を意味して、どういう結果になるのかという   情報がなければ決定はできない。   

第二の要因は決定のための権限が与えられてい   ないことである。障害があるために医師やソーシ   

ャルワーカーの「指導」、あるいは家族の「保護」   

自己決定を支える(2)「自己決定をめぐる様々な視点」 9   

(2)

あみほmilNo.9   

の名目で、自分で自分の生きかたを決める機会を   奪われている。   

第三に、決定後の支援がないことである。自分   で決めたことには責任をもたなければならない。  

しかし、自分で決めたあと「では勝手にしなさい。  

どんな結果になっても自業自得だよ」と突き放さ   れるのなら自己決定は難しい。自己決定を「良い   こと」として支持する文化や価値観も周囲に必要   である。そうでなければ自己決定は単に個人の「わ   がまま」や「自己本位」として抑えられてしまう。   

さらに自己決定をするための判断力が不充分で   あったり、決定したあと自分の意思を表現するこ   とが難しい場合がある。重度の知的障害者につい   ては、このことが最大の難点である。   

その他に自己決定を難しくする要因として、社   会環境の問題が指摘される。たとえば就職したい   が障害者を受け入れる職場がない。自己決定をす   る以前に自分のありかたが社会環境によって決め   られているという。しかし自己決定は就職するか、  

しないかといった二者択一のものではない。   

たとえば余命数週間とされた患者は自己決定で   きる状況にはないように見えるかもしれない。も   はや外出もままならない。しかし、このような日々   にあっても患者には自己決定の機会がある。残さ   れた時間に好きな音楽を聴く、家族と語り合う、  

思い出の写真を見るなど多くの選択肢がある。自   由な意思をもつ限り、人間は何をなすべきかを自   分で決めることができる。  

セルフヘルプグループのもつ「エンパワメント」  

の働きに期待できる。一人では主張できなかった   ことも周りの励ましがあれば言えるようになる。   

自己決定後の支援(サポート)は、セルフヘル   プグループの強みの一つである。そこには自分で   自分の生き方を選ぶことを尊ぶ気風がある。また、  

同じような決断をした人と体験をわかちあう機会   もある。それは孤独のなかで自己決定をした人を   も励ます人間的なつながりになるだろう。   

最後の判断力と表現力の不足は知的障害者本人   のセルフヘルプグループの研究が未だ充分ではな   いために断言はしがたいが、障害者が障害者の代   弁を行うことで、かなりの部分が補われるという   印象を私はもっている。  

磯 恕セルフヘルプグループ支援の注意点㊧⑳  

セルフヘルプグループがこのように自己決定に   役立つなら、作業所の職員の立場でどのようにグ   ループを支援できるだろうか。これも難しい問題   であり、未だその方法は解明されていないといっ   ていい。しかし次のことには注意して良いと思う。   

まず、作業所単位の障害者のグループはセルフ   ヘルプグループにはならないということである。  

セルフヘルプグループは自由な自発的な集まりで   あり、作業所等であらかじめ形成された集団が、  

自発的な集団に変化することは原理的にありえな   い。選んだセルフヘルプグループが気に入らなけ   れば、いつでもグループから離れられる自由が必   要である。しかし、同じ作業所のグループであれ   ば人間関係への配慮からそれも難しいだろう。   

また、作業所の職員は、グループワークと、サ   ポートグループ、セルフヘルグループという三つ   を区別すべきである。グループワークはソーシャ   ルワーカーが中心となり動かしていく。サポート  

グループはメンバーの自主性を尊重しつつ、グル   ープとしての枠組みは援助機関が保障している。  

デイケアの「卒業生」などが保健所等で「OB・OG   会」を継続的に開くのがその典型である。一方、  

セルフヘルプグループには専門機開から与えられ   た「枠組み」はない。特定機関の利用者である、  

あるいは利用者であったという立場はセルフヘル   プグループには無関係である。   

第三に、グループワーク、サポートグループと   違ってセルフヘルプグループは通常、非当事者が  

㊥ ⑳ セルフヘルプグループの活用 ⑳ 辟  

自己決定を難しくする要因としで情報と権限、  

支援、判断力と表現力の不足という四つの要素を   あげた。これらの問題点を克服する方法として、  

セルフヘルプグループ(本人の会)を活用するこ   とを考えてみよう。   

まず、情報という点をとりあげれば、長い活動   歴を誇るセルフヘルプグループは情報の宝庫であ  

る。そこには当事者たちの生活体験から得られた   情報が蓄積されている。情報は、ただ文字で善か   れたものだけとは限らない。グループを通して出   会う、さまざまな状況で生活してきた人々は、そ  

れぞれの決定をしたあとの自分の生活を想像する   ための「生きた」情報源である。   

また、自己決定のための権限を高めることは、  

10 特集 自己決定を支える(2)「自己決定をめぐる様々な視点」   

(3)

あみほmilNo.9    作業所内のグループワークやサポートグループに   よって提供できる。心を開きあい体験をわかちあ   うことが自己決定にいかに役立つかを身をもって   知ってもらうのである。作業所内のグループその  

ものが、セルフヘルプグループになることは期待   できなくても、そこから気のあう人どうしが独立  

してグループ活動を始めるかもしれない。   

さらに、外のグループの情報やグループと出会   う機会をメンバーに提供することである。私の見   たところ、現場のソーシャルワーカーたちは自分   たちの手もとで擬似的なセルフヘルプグループを   つくることは熱心であっても、自分のクライエン  

トたちを自分の手の届かない外のグループに紹介   することには必ずしも積極的ではなかった。   

最後に、詭弁のようだが「自己決定しない」と   いうことも「自己決定」の一つであることを強調   したい。ある難病者の家族は在宅生活を始めたと   き、山のような介護用品のカタログを手渡され、  

そこから選ぶように指示されて困ったという。選   ぶ機会を与えられることは常に最善であるとは限  

らない。「信頼できる人に委ねる」こともまた自   己決定になりうる。多くの人はタクシーに乗った  

ら行き先だけを告げ、細かい道順は言わない。も   つとも近い道を運転手が選んでくれると信頼して   いるのである。専門職も自己選択・自己決定を当   事者に強要してはならない。必要なときは当事者   の代わりに選択し、信頼をうけて決定することも   行うべきだろう。もちろん当事者が「委ねる」こ   とを自己決定した後のことになるだろうが。  

体験の「わかちあい」の場にいることを嫌う。ど   んなに障害者に理解のあるソーシャルワーカーで   も、グループのなかで目立たぬように黙って座っ  

ているだけでも、その存在は、セルヘルプグルー  

プの深い「わかちあい」の場には不適切である。  

当事者しかいないという安心感は、心理的な「安   全弁」としてグループには不可欠である。  

また、セルフヘルプグループは従来からある「た   すけあう」グループでも、運命共同体的なグルー  

プでもないことに注意したい。であるから、自己  

決定にしてもグループが代わりに決定してくれる   のではなく、判断材料を示されたうえで自分自身   が決めなくてはいけない。そうして決めたことは   自分ただ一人の責任であり、連帯して誰かが責任   をとってくれるわけではない。   

最後に、セルフヘルプグループは、その本来の   力を発揮するには時間がかかることを忘れてはな  

らない。同じ体験をもった人が出会えば、たちま  

ち力強くて役に立つセルフヘルプグループが生ま   れるかのような幻想をもつべきではない。多くの   人の体験が蓄積されなければ、グループは信頼で   きる情報源にすらなれないのである。  

㊧ 珍作業所のワーカーに何ができるか @ ⑳  

では、作業所の職員は利用者の自己決定をセル  

フヘルプグループを通して支援することができる  

のだろうか。私はできると考える。それは以下の   ような方法を通して可能だろう。   

まず、「わかちあい」の魅力を体験する機会を、  

⊂>■ト・⊂> ■ト(=> ■ト ⊂> ■ト ⊂> ■ト ⊂> ■ト ⊂> ■ト ⊂> ■ト ⊂> ■ト ⊂> ■ト(=>  

のか。『あみNo.8』での「当事者からの声」を受け、具体的な、太郎と花子のエピソード  

を加え、作業所、グループホームの現場で、何をどうできるのか考えていきたいと思ったの  

γ〝′〆∨ 

の課題とさせていただきたいと思います  

哲袈所貰は、こんなふぅにメンバーの自己決定覆考えています」とか  

聯醗酵妙プダ少}〝  

済済  

′   

特集 自己決定を支える(2)「自己決定をめぐる様々な視点」11   

Referensi

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