小 こ林 ばやし一 いっ茶 さ(一七六三―一八二七)
小林一茶は、江 え戸 ど時代 だい後期 きの俳 はい人です。信 しな濃 のの国(今の長 なが野 の県 けん)で生まれました。
子どもや小さい動 どう物 ぶつなどへのやさしい気持 もちのこめられた句 くをたくさんよんでいます。しょうがいに、二万句もの俳句をよみました。
作 者
しゃについて
他
かの作 品
ひん「名月を
取 とつ (っ)てくれろとなく子かな」
「やせ
蛙 がえる負 まけるな一茶これにあり」
与 よ謝 さ蕪 ぶ村 そん(一七一六―一七八三)
与謝蕪村は、江 え戸 ど時代 だい中期 きの俳 はい人、画家です。摂 せっつの津国(今の大 おお阪 さか府 ふ)で生まれました。
二十さいのころ、江戸に出て絵画や俳句 くを学びました。各 かく地を旅 たびしたのち、京 きょう都 とで、文と絵の両 りょう方をかく文人画家としてかつやくしました。美 うつくしい絵を見ているような句をたくさんよんでいます。
「春の海
終 ひね日 もすのたりのたりかな」
「夏
河 かわを越 こすうれしさよ手に草 ぞうり履」
作 者
しゃについて
他
ほかの作 品
ひん高 たか野 の素 す十 じゅう(一八九三―一九七六)
高野素十さんは、茨 いばら城 き県 けん生まれの俳 はい人です。
医 い学の研 けん究 きゅうをしながら俳句 くを学び、大 たい正 しょう時代 だいから昭 しょう和 わ時代にかけてかつやくしました。自然 ぜんをよくかんさつし、ありのままに句によみました。
作 者
しゃについて
山 やま口 ぐち誓 せい子 し(一九〇一―一九九四)
山口誓子さんは、大 たい正 しょう時代 だいから平 へい成 せい時代にかけてかつやくした俳 はい人です。京 きょう都 と府 ふで生まれ、小学生のころから俳句 くを作っていましたが、大学に入ってほんかくてきに俳句を始 はじめました。
はじめは、でんとうてきな俳句を作っていましたが、のちに近代的 てきなものを題 だい材 ざいにした新しい俳句を作るようになりました。
作 者
しゃについて
松 まつ尾 お芭 ば蕉 しょう(一六四四―一六九四)
松尾芭蕉は、江 え戸 ど時代 だい前期 きの俳 はい人です。伊 い賀 がの国 くに(今の三 み重 え県 けん)で生まれました。
四十さいのころから各 かく地を旅 たびし、たくさんの俳句 くを作りました。
すぐれた俳句をよみ、俳句をげいじゅつに高めました。江戸から東 とう北 ほくや北 ほく陸 りくを旅したときの紀 き行文『おくのほそ道』がよく知られています。
「山
路 じ来て何やらゆかしすみれ草」
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」 しずかせみ
「荒海や佐渡によこたふ天の河」 あらさど(う)あまがわ
作 者 について
しゃ他
かの作 品
ひん正 まさ岡 おか子 し規 き(一八六七―一九〇二)
正岡子規さんは、明 めい治 じ時代 だいの俳 はい人、歌人です。伊 い予 よの国 くに(今の愛 えひめ媛県 けん)で生まれました。
たくさんの俳句をのこしています。 れました。病気とたたかいながら、俳句を作りつづけ、 びょう 見たものをありのままに表す方法を俳句作りに取り入 あらわほうくと 『坊っちゃん』で知られる夏目漱石とは親友でした。 ぼなつめそうせき
「赤
蜻 とん蛉 ぼ筑 つく波 ばに雲もなかりけり」
「団栗の共に掃かるる落ち葉かな」 どんぐりともはおば
作 者 について
しゃ他
ほかの作 品
ひん中 なか村 むら汀 てい女 じょ(一九〇〇―一九八八)
中村汀女さんは、昭 しょう和 わ時代 だいの俳 はい人です。熊 くま本 もと県 けんで生まれました。
台所 どころでの仕 し事 ごとや子どものことなど、家庭 てい生活を題 だい材 ざい
にした句 くをたくさん作りました。
作 者
しゃについて
炭 たん太 たい祇 ぎ(一七〇九―一七七一)
炭太祇は、江 え戸 ど時代 だい中期 きの俳 はい人です。江戸(今の東 とう
京 きょう都 と)に生まれました。
四十さいをすぎてから長い旅 たびに出て、その後は京 きょう都 と
に住 すみ、ひじょうにたくさんの俳句 くを作りました。また、与 よ謝 さ蕪 ぶ村 そんと交流 りゅうがありました。
「山
路 じ来て向 むかふ (う)城 じょう下や凧 たこの数」
「それぞれの星あら
は (わ)るる寒 さむさかな」
作 者
しゃについて
他
ほかの作 品
ひん黛 まゆずみまどか(一九六二―)
黛まどかさんは、神 か奈 な川 がわ県 けん生まれの俳 はい人です。
日本の文化 かを海外にしょうかいする活動 どうなどにも熱 ねっ
心に取 とり組んでいます。