論 説
多文化主義に関する若干の考察
臼/ベラル/コミュニタl/アン論争」以後の政治、懸想
中 瑠 伸 二
はじめに
小誌は、多文化主義(M蟻葱。滋藤ra撫灘)がもつ政治、悪想としての可能{窪に ついて若干の考察を行うことを琶的としている。多文化主義という誉葉は、政 治学、とぎ)わけ嚢本の政治学1こおいてはあまぎ)なじみのあるものではない。一 つには、<馨本に盗む煮=露本人〉という等式について簿の疑闘も麹かない人 が多数を占めるこの社会のもとでは、多文化主義の購いかけに鷲する深灘さと いうものが希薄であるということがあるだろう。もちろん蔭本もまた、飽の諸 国と同様に、蟹内に多くグ)民族的マイノ嘆ティを掩えているのであるし、購時 に多文化主義麹体も決して民族マイノl/ティ問題と等置されるべきものではな いのだから、多元的な懸纏の共存というよ})広範な文賑での問いかけは充分な 意瞭をもつはずである。
縫方、政治学の方へ醤を愈ナた場合には、多文亀主義がどの程度の試テンシ ャllティを秘めているのか未知数だということからくる消極的態痩が考えられ るだろう。飽の多くの新しい概念や理論・思想と属様に、多文化主義が政治、悪 想の分野において定養するためには、従来の政治学の分野で蓄積されてきた概 念や理譲・思想とどのように違っているのか、それらに取って代わるほどの深 さや広さをもっているものなのか、単なる一退牲の流行に終わるものではない のか等々の点を検証し、さまざまな疑念を払拭していかなけ義ばならない。そ の、煮でいえば、多文化主義は、少なくとも政治思想の分野においては、りベラ 一i86一
多文髭主義に駕する若干の考察(申鱗簿二〉
弓ズムやプ膨一ラ霧ズムといった思想に逡彗うるもめとしては来だ認知されて いないというべきであろう。
また、多文化主義は、ポリティカル・コレクトネス運動にみら震るように、
齪菩の鼓治的縫合約諾麟度についてそれらの機能する文髭的条紳・政治約文騒 とでもいうべきものを醗惣託ていくことを妄観・蓑1臆課題の一一つ馳てい臥 その醸弓で多文化主義は、デモクラシーや鯵ベラ辱ズムよ身/も、ポスト・モダ ニズムやラテ凄カル・デモクラシーといった思想と共鳴しあう。その意練では、
多文紀主義は、そもそも勲1治学のメイン・スト弓一ムに鰐するオ彬タナティヴ の{立置しか占めることのできな㌧㍉意想なのかもしれない。
多文化主義をこうした広範な問題群の中で論ずることは小論の範霧と筆者の 力簿を蓬かに超えるものである。以下の論述においては、政治思懸として多文
{ヒ主義を取を)■1二げるにあたり、それをllベラl/ズムあるいはコミュニタ瞬アニ ズムと騰連づけ、多文化主義の思想的位置を露寇することを薦指す。そこから 若干の論点を拾い一しげていき、政治思想としての多文化主義の方向性について 観.かの見通しを述べることとしたい・
i.多文化主義の今β的背景
多文駕主義は、飽の多くの今琶1的な政治・蛙会理論の欝葉とともに、多義的
でそ纏え論細な酪をもつ鴛δ1》、糀鋭ころ一縷離離定義へ環華 さ描までには至.ていない.ここで緬の議講を進めるため歓鰹鐘灘こ
したが一.て、多文駕主義を[ひとつの縫会グ)内濠において縷数の支銘の共存を 是とし、娩の,響静も解、すプラ嘱1を季麺繊こ譲藏しょ秘する三1掻ない
しは遜麺さす.」藝轡さえておくことにしょ実ここで縄翫移嬬1議を
「主張ないし運動」ととらえていることに窪意しておきたい。このことが意味 していることは、薄髭、かの示藻的現象ないし現実がすでに先蒼して崖超してお 辱、多文化主義は、それβ,をとらえようとしている認知的・規縫的な機念であ
一一ハ8?一
行政縫会譲葉 第猿轡 第履号
るという点である。そこで、多文免主義と呼ばれる現実のもっこの承差牲がど こにあるのかを次の二つの文賑で確認しておこう。
(i/グ縫一バル化と多文化主義
まず第一の文緻は、多文化主義がグ冒一バル化の時代の中で生起していると いうことである。グ讐一バル亀という言葉もまた曖昧であるが、ここでは、国 費国家を支えてきた従来の政治的、経済的、文化的ボーダーの遮蔽性が低くな 弓、そ糎に俸って社会権互闘の浸透雛1が増大しているといった程度のことを意 味している。経済のソフト髭・構鞭化がもたらすグP一バル化は、ヒト・モノ カネの空懸的・時聡的移動のスピード、量、籠騨を飛躍約に拡大することを 可能にした。その結果、異文化鵜の接舷や交渉の場、そしてその頻度はかって ないほど大きくなり、異文化との接雛は、もはやそれが非嚢常総な経験である
とは聳えないほどに頻繁なものとな1)つつある。異文艶聞の接舷や交渉は移民 社会に限られた現象ではなく、程度の差こそあれ、今や世襲大に広が1)つつあ
る。私たちが、異文化との接鮫によって、そのような文化の存在を知るととも に、寂ら帰羅する文姥の春勝方、そしてその文化もまた異文化の一つでしかな いことを叢覚する機会が増えている。
しかし、異文紀懸の交渉の場や頻度が大きくなるにつれ、裏藤では、支醍的 文亀の浸透が容易にな書}、文亀の多元性が破壊されている。鐵会う異文紀聞の 浸透力に罷麟的な優劣があるとき、浸透力が弱い方の文{ヒは、麦醍約文姥の構 に購化・畷駿されていく危険性を常に負うている。支配約文麺の麟に購髭・畷 駿されていく鱗から、衰らの文化の尊重を求める声が大きくなるのは盛然のこ
とといえるだろう拶.
第二に、グローバル化の俸展は、交通手段や交通網の拡充ならびに憶鞍メデ ィアの発達によっても一 麟糠速化される。ところがこれらの発達は、空懸的・
時間的・心理的艶離の轍対的な篶縮をもたらすという始果をもっている。交通 一i88一
多文亀主義に関する若干の考察(中辮紳二}
鍛磁敵影て舗の縫毒が容搬妙、移轍島勧麟が繍隷
ていくことによって、一謎罪のもつ空購的・暗闘釣床が1}は嶺対的に小さくなっ ていく。飽方、衛星放送、ファックス通繕、モバイルフ酋ン、インターネット、
電子メールなどの精報メディアの発達の結果、私たちの髪歪常の暗闘と空聞は、
かってないまでにグローバルな情報で満たされ、よ郵)一履の濃密さを増してい
く。
このような椿譲メディアの発達の結果、擁えば、飽羅1こ移住した場合でも、
母醗とのつなが1)を容易に維持していくことができるようになってきた。数千
麺離旋飽国1こいようとも、望むならば{纒にいたとき嘱ヒ量と質備報
をほぼ馨アルタイムで摂取することができるようになってきた。国境の敷羅が 高く、また交通手段がそれ縁ど発達していない時代には、飽蟹に移駐するとい うことは、おそらくはもう二度と帰ることはないという人生を賭けるほどの決 晒を強ぎられるものであったと思われるが、交通手段や交遊網の拡充ならびに 麟家購の癩互依存関係の深化によって催蟹との往き来に簿う脇理的・心理的絶 壁はますます低くなる一方、籍報メディアの発達は情報ギャップをますます小 さくすることを可能にしている.このことは、ややもするとB・アンダーソン がr遠騨毯ナショナ1玖ト(油96量s融ce藤織&1量st〉」と臨意うな事鰹1 を生み鐵す危険牲もあるが、精報メディアの発達が催綴にいながら母蟹のライ フスタイルを維持していくことをよ陰容易にしているのは確かであろう。その ことは翻って、移住先の文紀への濤1化に対する消極的な態度をつぴ/だし、移 住先の祇会との闘にトラブルを発生させる一曝ともなっている。このように、グローバ擁ヒと籍報化とが、異文箆鷺の接舷のチャンスをかっ てないほどに増大させているとともに、文牝の喜続と・集生をめぐる課題を、よ
摩…屡複雑.なものとしているのである。
一i89一
無数縫会議集 第蔓巻 第遜畢
② 華ベラル社会と多文化主義
多文化主義の琵窪甕であ垂)、また全盲魏こおいて、多文化−1三義をめぐる欝重題が先 鋭に嚢穀ているのは、オーストラ弓ア、カナダ、アメ辱力合擢羅である,ここ から想像されるグ)は、多文龍主義は、髭較的雛吏の若い移民疑会に罎有の驚麗 なのではないのか、という素魯な疑問である。この点についての一殺的幾講に ついては畿に轡で述べた。そこでは、グ環一バル亀と鷺鞍懸こよって異文乾鶏 の接舷が移疑社会だ酵に譲られるものではなくなっているということを確認し
た。
縫方、多実紀主義がこの三羅1こおいて先鋭に顕れているということの積癒的 な意味も存在する、なぜならこれらの瞬々はいずれも、多文化闘の共存という 問題に暫して早い時懇から積鬱1的な位置づ一けと講越を試み、実行してきた饗i史 と経験を廃する多電縫会だからである。これらの移民疑会においては、実数に おいて機翼最大の移民受入れ購がアメl/力会州羅であ鞍、人髪1比での最大遜が オーストラリアであるという事実がその裏付けとなっているよう1ご41、人種や 駿の色、宗教、性麗等の羅性に基づく差驚の法的禁三豊蓋二ならびにその実効椎を撫 保するための鑑羅や麟度、公難語の学翼への公的サポート、就職や進学先の際
にマイノl/ティの人種や樵i騨を優先させる「積極的是正措置絵癒r盤3t魏e actl倉麟」の存在など、多発的な鱗続の共存を支えるための多種多様な諌みがな
されてきた。
したがって、多実紀主義が、多元的な憾値を支えるさまざまな試みや経験を 寓する多元縫合において開題となっているということは、すな才)ち、多文{乞主 義がそうした多元縫合の粋維みにとどまらない、憲懇と運動の驚能雛を秘めてい るということである。もちろん、多滝騒会における逆風の存巻一一一しばしばメ ディアで見1蝦するように、オーストラ淳アにおける人種i藻琴鑑勲義∫掬致党のぎ圭頭 や、合挽輩こお締る一穣極的是ll三雛置」への夜発の高まチーに擁して、後来 グ〉粋績みを維持しようとする擁護潔の運動が、 多文{と・11義というプラス・シン 一五鱒一
多実紀主義に鷺する若干の考察(準耀伸三二二/
ボノ睦、腰としているという、輪多極すことのできない要灘窺まあ・を しかし多文化主義はそのような講癒的な観点からのみならず、よ妻/積鬱1的な 綾羅づけが与えられるべきである。そこには、従来の多荒鷲会における多元約
文鑑の共存の窪善)方に隣する根源的な縫いかけがある。グ讐一バル免と精報飽 によ一、て多元的な雛譲褻が接舷する場がますます増えているという多文亀主義の 聡察は、そうした多発的な癒鎮の集書を嚮導する療礫を必要としている。それ
は驪龍、譲までの多澄絵礁玲一・髭数鑓ベラ賦ムー棄婦誰㎜る
厳しい撹麟の難が向隷£、れることを愚昧する。とするならば、多■文亀主義は従
来朗ベテ獄ム礁考法痢が饗題遊いうのであ7)うか・この点を綾読
てみるあた辱、まずは蓼ベラl/ズムが今ll羅かれている状溌を確認しておくこ とにしよう.
2.サベラ鯵ズムをめぐる問題状況
l/ベラ辱ズムが多元被会の統合糠理、として必要かつ十分なものであるのかと いう課題は、すでに馨簿の「l/ベラ篤/コミュニ外/アン誌争」においてその
一一[を表〔ている。この論争については、すでにすぐれた多くの醗究がなされ ているので、それらの鮪けを{翻/ながら、小譲の趣濤に添った彫で論点を確認
しておこう{5…、,
彗べ列ズムの考えによオ慮、鱗臆、欲求や幸溢の雛注として・そして 1難律纏虫立したノ、格として、盲1らの能力や鯵姓を発達させる。各人は欝らの鱗 盤と能力に晦じて、薮嘉、に乏ってどのように生きることが善く重きることなの
かを考え、その実琉のために努力する.その際各入が必要であると感じたとき にほ、集瞬抹を彩織することもあるが、その場合でも業転il蕪へ参撰耗た瞬発退
工適することは、あくまで醗的雄志に基づ蝿のとされる・したがって
そ璽うな彫で影藤紅熱1捧1蠣雄蹴ていかな姓ゐ購であるのかを
示し、その生き方を鰹人に求めるのではなく、各人が嚢ら選びとった套謹的に向 一欝i一一
行政鮭会論集 第韮巻 第壌号
かい、「善き窒」を送ることを尊重し、それが可能となるような法的・麟度的枠 緩みを縫供することが求められる(薫中立性の政治1。なぜなら、「善き生」が 縫人の能力や麟姓によって規定されるものである以一致、すべての入が共有可能 で普遍的な「善き生」とは形容矛薦でしかなく、ある生を普遍的であるとして 懸人に提示し、それを実現するよう要請することは、綴姓への猛追鉱外の梅も のでもないからである(二度卓越主義1&撹1噴er{ectl磯ls灘1}。
これに対しコミュ三夕l/アンが競講ずるのは、llベラ鯵ズムが権奉1は翻人に 虚来するという原理を無条件に妥当するものとする一方で、麟入が嫉会の一員 としての義務を負うという原理を講じ嫁に妥当するものとは考えていない点で ある難。華ベラllズムによれば、社会の一翼としての義務は合意や穂益によっ て条件的に発生し、負わされるに遺ぎないとされる。しかし政治思想の歴史を ひもとけば、このような考えは特異な部類に属するのである。義務に対する綴 人の権利の優先姓を支配的な考えにしてしまったもの、それは、アトミズムの 観念である.アトミズムによれば、鰹入は、R約、騒鎮、善の観念に殺して独 立して存在し、また各人の合意が歓会を形成するが晦えに、娃会に対しても先 行した存窪となる。しかし、コミュニタ鱗アンからすれば、娃会の形成獄轟1}に
「善き生」を理解した1)、あるいは合意に基づいて契約を交した婆するアトミ ズム的な麗人の観念は、各人がもつ能力や懸i盤といったものがいかにして育ま れ、発達させら震るのかという点を見落としているのである。いったい各人は 藝1らの「善き生」を見いだし、そのために穀会契約が必要であることを趨懸で きる能力をどこで身につけたというのか。
富嶽という権趨を行使するにあたって、その欝密がもつ極値を認識できるの 1まどうしてなのだろうか、とコミュニタ!ヌアンは闘う。各人は生まれながらに 自由というものは懸纏のあるものだと認識できるのだろうか。テイラー(C藝.
T&v沁r!によれば、人聞が簑らの能力や鰯鍵を露花できる条件とは、各人が縛 の結合性ももたずバラバラに存在している状態ではなく、社会の中で共に生き ることの中にある。懸1入が窮惑のもつ徳纏を認識し、その郷1纏を肯定できると 一i鎗一
多文紀主義に緊する若干の考察(中綴紳二/
いうことは、どんな娃会においても可能な訳ではなく、少なくとも、奮駐舞を尊 重するような懸蕪の共有が存在する縫会ではじめて可能となる。
「葦葺聾の癒纏を尊重するアイデンティティを獲得するためには、入購が共に生きて いく中でおたがいを承認する方法や待遇する仕方のうちに1耀えば…定の権灘グ)承 認のうち1こ)、あるいは、人聞がおたがいに議講を交わした1タ議した1タするときの彗三 法や経済交換に鎚事する畿方、嚢盤ならびに1訴睾の籟纏を公認する様式のうちにそ
うした (義由を尊重するような…筆港要望ぴアイデンティティが鶴在していなけ津蓑ぎ ならないのである。」蒲
したがって、各人のアイデンティティは、独力で獲得できるものでは決して なく、飽者との会話1こおいて、あるいは、社会の根底にある共通理解を通じて 離分的に麗定されるものなのである.
「衰己決定のできる窮律的な篠入のアイデンティティは、社会的な基盤を必要とす る.そしてその社会的基盤とは、たとえば、一連の実践を通じて儀入の蓑1律的な旨 し決定の権穂を承認するとともに、懸人に、公的な活動についての討議において発 讃することを一要求するものである。」麟
コミュニタ弓アンにしたがえば、辱ベラllズムにも趨癒を尊重する興瞬鉢と いう、嚢霞の雛会的基盤が必要なはずである。したがって社会契約講のいうと ころの趨然状態や旨一ノレズ(」.盆撚纏slの「無知のヴェール」のような議議}は、
いかなる社会においても妥当する普遍的な原理ではない。それは、1鮭おを尊重 する多元桂会において初めて受容され、正統性を賦与されるのである(二艇警 遜主義/。ここにおいて、コミュニタllアンは辱ベラl/ズムを誉油投金のローカ ルな原理として騰駁化しようとしていることがみてとれるであろう。
以一しのように、llベラルに嬉するコミュニタリアンの概舞は、善に嬉して権 羅を優先させる点、アトミズム、反卓越主義、普遍.主義という点にあると要約 できる。地方、コミュニタllアンの蓼ベラル数輩1に投げかけられている疑縫や
一ig3一
行敏社会蒲集 第簸巻 第准母
銑舞も少なくはない、,そこには、そもそもコミュニタ辱アンの善部雍体が均質 のものではないという醇議論1与『から、確ベラl/ズムとコミュ二郎/アニズムとの llllの聾1違は実はかなり、誇張されており一一コミュニ外声アンが鍵事llするような
l/ベラl/ズムは拳純化の、誇りを免れえない 、l/ベラルとコミュニ外/アン との1紘こ設縫られている論争点も偽1)の婦二虹こ過ぎないという譲争lll体への疑 念まで輻広く存在する隙。さ声、に、りベラルの灘にぎ「l/ベラ膨のコミュニタ l/アン化幾とも縛びうるような 経距艸も鑛震ており、実際1、コミュニタ彗ア ンとllされてきたウ寒ルヅァー(欝、W謡総幻 講身にしてからが、その轟霧か ら、コミュニタl/アニズムは、l/ベラl/ズムの背き遍ぎに対する軌遊修正を行 うために、繰1}返し謄ミ史の申に顕れてくる宿愈・を背負った思想であ看}、コミュ ニタ弓アニズムによる修ll三によってl/ベラl/ズムの諸懸魑は強牝さ震ると述べ ているのである麟.
このようなさまざまな鹸きの績果、「辱ベラル/コミュニ外/アン論争」糞捧 が槍対化され、論点もある麟韓こ駿東していく類織:ある。そこで、購ベラル とコミュニタリアンとグ)対立1ま必ずしも、二者軽ミー的なもグ)ではないとして、 l/
ベラ辱ズムに対するコミュニタ弓アンの幾舞の成立可能鮭に疑鵜を投げかけて いる著訟衰鬢の議論の助けを借書}て、「サベラル/コミュ三夕リアン講争」駿東 の一つの方1垂確を整礫しておこう!…韓。著麺は、①「人格と躍鰯、②「中立性の 敬譲と其通善の政治ま、③「普遍主義と鰯矯主義」の三三点1こわたってコミュ二字
リアン騨のl/ベラ辱ズニ、重箋舞の妥難性を検壽窪している、,
まず、人格はll的に先行するのか、譲1態が大幣を構成するのかという①に関 しては、義者が論理緯な対宣ではなく、その嬢違は糧度の権違に還元できるこ
と、つまり琶騨誇1ま糞孝琵を鑛分罫舞1二季薄成すると,集に、大幣は講的の影響■撃辮葺こ寿重し
て簿らかの絶念を持つ能力を持った存在であるという、戴こl/ベラルもコミュニ タl/アンも懸意できるとしている。②については、l/ベラリズムが採離する
「中立性の叢叢」は.「薄き能」についての特定の実現方法 政府がそれを評 額し、その実現に努める一一を癖験しているに過ぎない.そのかわ腕こ、嘆べ 一i§4一一
多文飽主義に蕩する若モの考察(中指伸二〉
ラ琴ズムは「善き生」の詩癖を酸購以外の場所、すなわち「文化グ)毒場」に委 ねているのである、、したがって、一魔ォ生」の醤蟹藏を敬譲的な場で行うべきだと するコミュニタl/アンと、r善き生」の評懸を暑三購家的場瞬に委ねるリベラl/ズ ムとの1舞こあるのは戦略上の灘違に過ぎない.最後iこl/ベラリズムが肯定する 正義の観念がいかなる伝統からも遊離しているグ)かどうかという③については.
琴ベラ1/ズムは一業瞬棒の伝統かβ、遊離した環譲ではなく、伝統にも依拠しうる し、地方、りベラlイズムを撹糊するコミュエ契/アンの講も、縁続を撹講ずる 際には、韓らかの彫で共馨稼に外養三的な擁.薫をとらざるをえない。したがって、
誰三義は伝統から独宣しているのか、それとも縁続に依饗しているのか」といっ 二者鍛一には意蘇がない。
こうしてコミュ三夕リアンとl//くう彬とグ聴講の業才二立は、①人格と重嬬擁{本1グ)醤難
題は強調点の置き方という程度の灘違に、②中立盤の政治か其通善かという論
、熱ま、「善き生」の実現の戦略の梅違に還電される。また③l/ベラl/ズムの普遍 嫉についても、近年l/ベラ篤の綴からはもはやその穫極的な主張はなされてお
らず、それどころかこの点/こついてはl/ベラルの髄が後退しているという詩織 すらある麟。ウ産ルツァーにならって1言えば、サベラ辱ズムとコミュニタ辱ア ニズムとは脚達婆胴体のバランスの1道謝立つものであl/、…方が強すぎ てバランスが嶽れたときに、カウンターバランスとして縫方が視れてくるとい
うものなのかもし就ない鱒。いずれにせよ、簿ベラル/コミュ三夕l/アン論争」
以後においては、難1入と共講抹とは二1妾択一{三舞な寿£窺覆ととらえるのではなく、
購造と主舞に膜1わる議論にならって、興講体は観入の生の条件であるとともに 簿入の生の緩一襲であるといえるであろう、,
だが地方で、りベラllズムの普遍性に疑義を申し立て、それをド維1な縫合の 伝統という文騒の申に瞬藝凝することがコミュニタ弓アンの重琵餐1の縫的毒こあると するなら、そのような 内糞きの舛方向鷺iに対しては強い疑念を感ぜずにはい
♂)れない.霞葺茎1な娃会にお静る多尾的麺雛の共存に関する異議申し立ての毒と 運動1ま、そうした 内面きの桝方両性によっては解溝されるはずもない。多結
玉鶉
行政縫会譲葉 第登巻 第逢号
縫合の統合の療運としてのりベラl/ズムを、いま一度、薄遍的な土俵の、ヒで吟 味することが、臨雛t会の基底懸儀へ終擁する以離こ必要なことではないか。
おそ♂、くはその地点に、「嘆ベラル/コミュニ外/アン論争」以後における多文 免主義の思想を講筵する意練が存在するはずである.そのことによって聾ベ
ラル/コミュニタ辱アン論争」以後の多元杖会の在季)方をめぐる議論は新たな 方1趨雛iを得ることになるで あろう。
3.リベラ琴ズム・コミュニタ1∫アニズム・多文化主義
轡 琴ベラ琴ズムと多文化主義
多文紀主義を、すべての文化が互いに等しい懸纏をもつことの承認と平等な 越遇とを求めるものだとするならば、それはl/ベラ辱ズムの中心的テーマと重 な鯵あう。リベラl/ズムは、籔人のライフスタイルや麺纏観、翻姓の多様姓を 尊重しつつ、いかにして社会の秩序を麟聾するのかという罎雑な課題に果敢に 跳んできた。
先に述べたように、確ベラllズムは、「善き生」を選び取るに当たっての網入 の選探や権利、あるいは、、集瞬体に先行して喜雀する人格の嚢律性・独立性を 尊重する.したがって国家は各人に隣し、懸値の多元性、「善き生」の多様性を 承認・奨1励する一一方で、各人鵜に奪}らかの結{}を纏毒麩ζこしなけれ。1ごならない。
そこで、競合する「善」に対して中立的な規籠が必要とされる。「多様な善」に 対してそれを統一する「薄」ではなく、それを可能にする「正義=権利
(r重g}建s鵜が、多元縫会の統合療礫となる盤.ヂ駕義算権利」の保障を受け持つ 公的領域は「多様な薄」が霧いあう私的鑛域から分離され、申立髭されなけれ ばな君つない。羅家は「多隊な薄」の共存という状態に嬉し、[好意的無視
(き}e譲g費箆eg艶ct海のスタンスを保持しなければならない。公的領主或と私的領 域との縫、および政治と論理との1}llには分離がなされな締ればならない.
一基96一
多文化主義に臠する若干の考察(率幾紳二〉
各人は縫合において多元的な極値をもつことを承認され、臨巳の事績に饑し ては魑が.は干渉されない.飽方、蜘台の簿蘇おいて各臆・葺擬という 資格と地位をえて「共通の事麺」を共融こ甦遷する。ここでは、「義民であるこ
と!シティズンシ・アプ、は、すべての者が、その特殊樵や差異を超えて瞬等の 地熱を与えられ、対等に越遇されることを意味する。もし瞬等の地位が与えら れなか・つた騒、簿等に魑遇されなかった辱したならば、不平等是蓬のための箔 置がなされなければならない。「積極的是正搭置」は、シティズンシップを享受 できずに不平等な状態におかれている人々に対して、その不平等状態を解請し、
毒民としての瞬等の地位をえることができるための必要な措置である。シティ ズンシ・.プはここでは、各人の差異を超えて嗣等の越遇を行うための普遍的枠 組みとして機能する。
こうした辱ベラノいデモクラシーの枠緩み、そしてその諸実践に対し、多文 亀主義はそれが差異の承認に矢数していると幾縛する。鰭人を「敗治釣書益者」
蠣として尊重することは、その麟1人が有する「アイデンティティを形成し、定 義づ診る潜在能力搾を尊重することである。もしそのような尊重を受けること ができないな#,ば、敬謙塘在麹であること礫}定され疎外された状態に おかれることになる。マイノl/ティの文亀に帰羅する篠入は、こうした「承認 の■矢数、にさらされる可書旨盤が高い。力鷺係が非蝉騒譲舞である二つの文{とが交 渉しあうとき、醺然の成睾}犇きにまかせていたならば・衰還・消滅していくの は少数漁嘱する支イ紛方であろう.したがって、文{晒麟三鰍牲が赫三す るにもか媛つよ.ず、楼異を顧凱な叫泣的な一漣の言欝簸を厳御こ守ると いうことは、実際には、ひとつの支畿的な文髭を反映1させることにならざるを えない灘.購家の文{と的中立鱗三は幻想であ1)、公難語や政治的シンボルの採灘 などに典揉触蜜こ聡わ穀ているように、溝家とエスニシティを厳格に分離するこ
とは不一葺套毒て ある。
一一ノ即題・て、複数の文亀斯轟磯嚇辮駿存譲三に実動て瀞灘撫視
を決め込み、縫方で、鶴等な取薯/搬いを受けるためには普選的なシティズンシ 一…197一一
行敬社会譲葉 第慧巻 第4暑
ップを条糞・とするならはト、少数の一文疑雲こ羅するものカf「酸薪言書郵」存在『羨」として
葦認められる曖i一一の方法1ま、この二讐遜譲毎シティズンシップを罫にいれることに醸 定さ就ざるをえない. しかしそのこと1ますなわち、震ら力琴肇蔑する少数1薮の玉藍 撫なる承認をえられないまま、多数羅の文紀へと瞬化することを意締する。
多文亀主義は、このように、普遍的シティズンシ・アプを基礎にしたりベラル デモクラシーが、差異の承認1こ失敗し、その結果「政治的存在老」として各 人を平等に越遇することに失敗していると擬麟する.それに代えて多文でヒ主義 が求めるのは、礫羅する文化に沿った異なる健遇であ身}、普選的なシティズン シップを「差異化されたシティズンシップ1蛋琶ere溢捻te6c癒zε簸s願掛」蹴こ麗 き換えることである。つま1}平等であるための購等の越遇ではなく、平等であ るための異なった越遇を求めるのである。まさにこの点にこそ、鱗人の平等な 権轟を前提にするl/ベラl/ズムとの決定的な違いがある。なぜなら、ヂ差異亀さ れたシティズンシップ」はある特定の文懲こ舜する醗憲を求めるものであ看}、
文亀的共瞬体がその藝義慈の対象となるということは、特定の集羅に対 する旛i麟 を認めるということに飽ならないからである。
l/ベラノレは、この点について、集縷を実体飽し、集鑓的文化を絶対視するも ので、祇会残部の分裂主義的顔向を助長すると警織する。多元的羅綾の共存は 必然嚢{薦こ集購的権灘1の保置拳を求めることになるグ)か、繋1入の権穂の保瞳という
l/ベラl/ズムの枠内で十分煉1き壕籠で1まないかと浸諭している欝.その申で、
今ll、この簡題にもっとも精力的かつ熊系的に取ll緩んでいるのは、キムi/ッ カ 儀秘露Kv膿難cka)であろう。被は透著華多 文{ヒ的シティズンシップ議器の 中で、多文化主義をl/ベラl/ズムの枠内で解決しようとしている,被は、「箋鑓 驚の季翻(鮮卿一巖eダe里離te撫麟s〉」と「難勧解1(c磁ect量v登r麟s}」
を整い分けるなどして、多『、髪髭主義とl/ベラ琴ズムとを譏種させようとしてい
る.
キ∠、彗アカは、「蘇…族縫簾1(濃1酔と』エスニック鑑購麺類盛。募r〈)驚動」とを 区矯する.キムリッカにとって疑躾とは、一定の籏簸や伝統的霧号盆地を有し、
一三98一
多文亀主義に絶する若干の考察(車群鮪二/
独嚢の憂講義と文{ヒを其;霧するかなξ}鬱鬱斐{との行きわたった共1懲手本を指す。その
ような胴体がよ厭きな共i醜へと緩み込まれることによつで1三ま歓のが・
「多斑族蟹家(灘ti茎tl賂tlG嚢sセate)」であ1)、・その彩威のタイプとして縁続趨 や憐合、植鍵地化という非ぎ1発的な緩み込まれ方と遷都形成などのような琶1発 的ケ一一スの二つがある。地方、エスニック築穣とは、巖らの疑嫉的・兵糧{本を離 れ聡の歓会に移ってきた移民を指し、エスニック集罎によって■文化的多様性が 舗慮されている醗家はド多エスニック露家塗(}lye撫露。 st撮e)」と琶手ばれるべ
きであ準)、多罠族隣家とは籔雛される。
したがって賭しくマイノリティであっても、畏族とエスニック集膨とではそ の意練合い1ま大きく異なる。キムl/ッカは、爵者は、ある続会内露舞こ多数滋と 藁ぜ封総懸の独議縫合を維i持・形成することを望んでいるの1こ実寸し、『後者は、欝
らの意志で伝統的共隣躰を離れてきたのであるから、臨らの技会を独1灘こ彫滅 するというよ馨も、むしろ移住先の縫会に統合されその一一疑として受け入れら れることを望んでいるという。そこで蔚灘には、様々な彫懇の涯観糞権ls嫉薪 gove懸灘e膿r童g盆s㍉がその要求に対してもっともふさわしいものとされ.るの
に対し、後者には、毒場や畿存の法律の下では十分に維持できないかもしれな
い一カ{と酌量貫霧を保護することを求める「エスニ・ック孝養(茎}纏yet難擁。護憲}獲sねが
玄締する.またr棚獣灘組s登ecla茎r鐸es藤atl。蟹1納ts/」はマイノl/テ 雀の稀益代表が;奮幾に機能していないときには、疑族、エスニック集霧双方に 必要とされる。ただしこれは「政治における罫積極的是正叢叢藷の一一形態」で
劫、肇犠な代劾必要でないような墨絵への移鶴鍵蓋に撰袴一聯嚇灘こ
遜ぎないものとされる齢,
これがキム痴力餅・う喋騰響紛雄馬であるが、キム恥力継癒せれ
ば、鰻人の権1瀦も蟹籍や}羅往条件など一■一定の共1・撰本に爆穫するこ.とによっては ヒめて簸与されることを考えるならは1、集罎の権i舞と懸人の権孝馨とをいたずら
に樒交するものと考えることは1醐では塾・.rl凝権1幡蹴s獅1もま嘱
家という集籏への帰羅の磨無によって享受の再議が決定されるという点では、一ig9一・
行敢麺会論集 第叢巻 第4号
「差異髭されたシティズンシップ」のはずである。集緩の権利を徳人の権覇と穏 蔑するものであるかのように考えるのは、権利の実動盤を撫保するのが主権驚 家であl/、国家という共闘体に帰属して初めて機務が承認されるという現実へ
の室見点を全く欠落させた議論でしむ・なレ、。 しカ〉し飽方、 集懸の孝養i奉舞こ1ま髄ノ叉の
権灘とは異なる籠面があるがゆえに、綴入の権秘と全く講一祝することはでき ない。すなわち集鑓の権1魂には、集懸闘と集1講内という二つの遍1志領域がある からである。キム掛ソカは、これを「集闘的権稽」の二つの形態として、当該 集繊が飽の集醸や酸家との関係において肖らの集縷の独霞性を主張できるよう な「対外的按舞(εxte螢&1騨otect麺Rs/」の権耕と、集露内の成員たちに鰹ら かの強簿緯勺な借議を執縫うる「対 内的簿1約(謡terRa董rest薮。縫。嚢癖」の孝養奉1と
して講じている。特に糠喜内的譲1約」の問題については、多くのllベラルたち が鱗入の権糠こ対して集縷の権韓を優先すること1こ対してもつ懸念の基ともな っているという運慮からも重要である。キム1卸ソカは、集懸濁の公平を縫進ず るような嬉外的防御は是認すべきであるが、集団の伝統的権威や濃習を疑闘祝 した季)修正した与する成駿の権稗を麟醸する耕内的麟約は拒否すべきだと畷瞳 に運べている鷺。
キム掛ソカは、このように、多元的な文色の極値の承認ないしその共存とい う問題や、舗人的権稽と集穣的権利をめぐる問題につきまといがちであった多 くの縫味な点をお、拭すべく、さまざまなカテゴ辱一や概念の分類を行い、論点 の羅確髭を麟る戦略を採る。その戦略の申で一貫しているのは、{舞えば、独欝 の■文亀を維i持していく椿1利を「民族的マイノ箒テ仁には認め、エズニック集 騰には認めない理}美1に、エスニック集鐡慧欝ら共講体の文紀を塗ててきた.姦を 挙げていたl/、集縷的権利にも「対 外的統御」は認めるが麟人の権利を麟約す るような「対 内的{褻約」は認めないなどという、煮1こ顕著なように、最肇冬的な』翫 嘉髭の緯線を鱗入の縛藪、選考気におくという萱場である。
その意秣でキム膨ノカはまぎれもなくりベラルであって、l/ベラル的な鱗入 の蓑慧難の尊叢を生かしながら、集罎的権利の一定の擁護を蕎うという戦略であ 一2総一
多文紀主義に臆する若干の考察仲鱒俸二/
る。しかし妓が嘩なる鰯人の崔蕪慕を称揚するだけのllベラルではないのは、懸 人の有意味な選撮を可能にしたl/、アイデンティティを支えた喜}する際に欝ら の磁属する共縁体の墓藪的な文鑑が重要な役麟を果たしているといっコミュニ
タ辱アンに通ずる認識があるからである。キムリッカは、マイノl/ティの文化 を保護する難粥彗権韓は、l/ベラl/ズムの考えと爾宣するだけでなく、その実
現を離するもので鋳るとい轡.ここでキム駒方は鰍と期依鯵入
の権利と集懸の権鵜との関係を二者蟹一的な紫立と考えるのではなく、講者の 関係を考えるにあたってはさまざまな要素や局癒があ翫それによって講者の 隅の関係も変化しうることを教えてくれる。
地方、キム掛ソカの議論が多文紀主義の現実に蝿して及び醗であるという葎 象を与えることも否めない。キム掛・カが先住民族の権利を保藻するために移
民の灘と鵬離て、移民をめぐる麗麗縦来酬べ列ズムの本納一睡 化と普麹勧ティズンシップーで解決しよ疑している誘郷敦もいうよう
に、これは民族的なマイノ!1ティを救うために、移鍵のカテコ噂一を犠讐にし ているのである器.多元的癬敏の共存に関しては従来のl/ベラリズムを基調と し、購紬マイノ行イを救うための理謝乞を/嚇織こ行っているとレめたら いい遺ぎであろうか。その点でキム削ソカの議論は、弓ベテ/ズムの枠緩みで 特定の文飽に醗癒することの難しさを蛾譲穣こ表しているといえる。② コミュ三夕1ナアニズムと多文化主義
コミュニタl/アンにと一、て多文{ヒ主義は、l/ベラllズムにとっての多文化主 義とは全く異なった意味をもつはずである。なぜなら多文亀主義の中心的主張 には、懸人は共鶴舞に内織する存在であl/、綴入が藍1らの行為や入生の琶彗的や 極値を構想し、実行していく能力を闘花させる条件は、共瞬体の墜史や文紀と
いう餐絵轟蚊霧紛軟存在す疑い舜ミュニ舛アンと鮪蠧毒旨な謙があ
るか言.である。したがって、差異の承認を求める多文化主義の政治とコミュニ 一一一2()i一・
行政桂会譲葉 第灘巻 第4号
タリアニズムは二ま≒理馨しあう.
コミュニタ辱アンの多文化主義に冠する隷、藝がl/ベラノしのそれと大きく異な るのは、以下の点をめぐってである.①ある人が厳秘の意志で、それまで帰羅 していた文化とは異なる集合的アイデンティティを選叛した場合に、かつて楼 属していた共講体はその醸入が行った選教の修正を遷りうるのか、そ禽ともそ れを尊璽するのか。②共闘体の縁続や文惣こ纒緯があることを認めるコミュニ タl/アンは、あらゆる文でとに嬉する/嚢嚢薮を認める「錘猿薮楊玄穿三蓋義」の立場をと るのか、それとも文化の鵜に優劣を付けることはできるのか。
まず①についてだが、サンデルIM.」.Sa茎療ellは、闘性愛鴛為を法によ って禁じることの是非に関するシンポジウムにおいて、ゾドミー法の禁i}1に反 業量するコミュニタリアンの立場から次のような議論を展麗する。サンデノレによ れば、購性愛看為の禁一直を法が命じることの妥暑姓を鵜うには、二つの発方が あ辱うる.「素朴な見解雛alve v三ew懇と「込み入った見解(so頭重stlc謎eδ v艶w知である。募彗者1ま、「法の、配義とは、法が禁幾ないし鐸:諺iしょうとする至重 為の遷徳的極値に基づく」と考えるものであを/、後考は、「法の正義は、墨該行 為の実質的な道徳的讐藪ではなく、もっと一…般的な理論、多数決や翻入の棲i羅、
デモクラシー、巨舞舞の理論といったものに依挺している、、諮サンデルは、この 購題に関する達都裁麟所の趨溺が、いずれも後煮グ)立場に立っているとし、そ の立場1こ内在する問題を縷1離している。その繕果、サンデルが強調するのは、
プライバシ…の難利や欝己の選鍛の1鍵1、l/ベラルな寛容という…般的な糠蝦 にもっぱら依挺し、簿難愛行為の透徳的是葬についてはジ擢懸に入れて
!碁ra雛《e麟ゴ舞欝蓄を{亭、聾するという遺鍾聲鞍は葺三熟化できない。峯奪の問題を{購入 の選課に帰するものとし、侮が善であるかについて藤家が舞織しないのならば、
共講沫の成翼たちをつなぐ其ま塗善というものは崩壊してしまう。 と鯵わ1ナ穫謹こ 騰わる領土義では、プライバシーや鱗入の選叛グ〉護1難という1票理と道徳の縫題と は鋭く縁三笠しあう.サンデノレにしたカボうなら1ご、一・つの誰誰考依を葦ヨ成している 以靴、その婁雛1淋の道徳に基づく饗懸を縄法が下さないならば、その道徳の実 一2暮2一一
多文髭主義に幾する若干の考察(串燐綜二〉
効牲は後ろ瞬を失うことになってしまうだろう、,したがってサンデルは、瞬性 愛■蓄が異性愛という共講体の伝統の中で1エ1らの人格を形織したのであるなら、
そのノ、が本来有している「糞姓なる絵t重出e搬紀)」嚢己を発発するように、共 瞬体が異性愛の伝統を強凝することは妥藻であるという。このような主張の背 後には、瞬β,かに、鱗入の裳瘡を遇痩に尊重したために、共闘体のもつ規1範が 崩壊してしまっているという、コミュニタリアンに二共選1の竜機認識がある。
またテイラーは、インタビー鱗で㌣傭が筏・主義について臨療
た1祭1こ次のように答えている。
「アイデンティティが、麟造され主{毒的に馨乏現されたものであるならば、嚢己欺繍 的で葬真」至芸的!勧農t藍撫e獲lc/なものであっても、爽己にとっては蜂都合となるよう なアイデンティティのあ著}一弩をどうするのかという驚題です。…中略…安心できる
チ綴意識(アげンティティ)をもてる噺麓つく房とすることが隣…糠的な
虚購をつくることになl/ますが、最終的には、そのようなものは役に立ちません。」
このように述べた後、テイラーはこの4填漁駿アイデンティティを擁護す ることはできないと述べている.しかし、テイラーのこの発離・未暦充分 である.ある入が郎.臆志で弊真融」であるアイデンティティを欝ミな いし麟遣した場合に、それを「難1三な」アイデンティティヘと修歪するよう強 議するという積極的な立場をテイラーが採絹するのかどうかは定かではない。
しかしアイデンティティは1井溝体に内霧することによってえられるといっコミ
、上二蝉アンダ麟点加、は、法醐羅などの嚇勧・鍛に載るか謙疑いう
穏健な}段によるのかは驚にしても、集鰯纏の基厳約懸纏によってえられるは ずの一鑓1三な」アイデンティティを共食するよう難きかけることは当然の爆縮 である.なぜなら、そうした働きか縫を否定するこ曇よアイデンティティを 髄入の1難鮭な選獣に委ねることになってしまうか爵)である。しかしそれでは、いかなる場合にも、騒人は叢ら帰羅する共購体の文紀や伝統に従篤しなけ才しば なメ、ないことになる。i集瞬纏の■文化に異議を曝し立てたり、そこから離醸する 一2紹一一
行政縫会論集 第麗巻 第4号
ことはいつさいできないのだろうか。
ここから②の難題、すなわち、すべての文無ま尊重すべき懸敏のあるものと 認める「懸纏権対主義」との関係が縫題になってくる。テイラーは、この点1こ ついて、ある文化が懸蕪をもつと仮定してその文化を理解すべきだと要求する ことと、その文化が縮縫があるという結論に達しな酵ればならないということ は攣1のことであるとし、「癒簸相対主義」に反対する縣。確かに、すべての文亀 に{灘{療があるというスタンス1ま、コミュニタ壁アンの三餐張から一見導き膿され るように見えるが、あらゆる文化を見渡せる粒麗にあって褥めてそのような評 懸が可能になるという点を含意する限セ)においては、コミュニタ厚アンが挺覇 する普選主義の観点に立ってしまうことになるといえよう。難らが帰属する業 縁捧への内霧姓を説くコミュニタllアンからすれば、飽の文{ヒについての懸筋 縄晒もあくまで共購体への内属鑑の地点からなされなければならない.
ならば欝登が内属する共闘体への評懸 と1}わけ鏡醤的評簸 は、一鶴 俺1こ依挺することができるのだろうか.それともそうした評織は共覇体に遍羅 することからほ導き識されえないものなのだろうか.ここに、アイデンティテ
ィの社会的基盤の羅題が再び浮かび、しがってこざるをえない。先の瞬 叢愛行為 の法的繁盛に関するサンデルの議講に瞬確にあちわれているように、道徳的懸 纏をめぐる開題は多数涯の簸纏繕簸を「正常なもの1と瞬一視することにつな が1}やすい。そこには常に多数涯の縫i績からは異質であるようなものを搾窪・
誹除することを歪畿化してしまう亀険牲が伏在している.これはアイデンティ ティの露定化がもたらす危険な落とし穴である。
ここまで私たちは、アイデンティティを業縁稼の伝統や文{ヒにもつばら関わ るものとして考えてきた。その意練ではアイデンティティは各人が醗嬢こ選探 できる姓.質のものであるというよ1}も、逆に郷人の選1蝦を薄能にする鶴寿舞鱗こ 安定した郷かとしてみなしてきた。しかし、各人のアイデンティティの被購成 的鰭露のみを強調し、あたかもそれが不変の内実を備えているかのようにみな
すこと1ま、 アイデンティティの熊1定でヒをもたらし、 一真…購体のもつ墓巖嚢辱な/謡嚢姦 一一2(羅…
多文化主義に麗する若干の考察(串癖紳二〉
に隣する無鏡鞍な態度を肯定することになってしまう。多文{ヒ主義は多くの場
餌スニ.クマイ眉ティからの声を織している・しかしそ勧善ジ到テ
ィ/マイノ辱ティというはなはだ危うい狂分に依拠していると、瀦えば、フラン スで「場違への平等」が移民撰除のスローガンとして繕いられていることにみ られるように懸、多文牝主義が文化療理主義者ないし純粋文化賛美煮たちを覇 長させることにもなき)かねない。このことはコミュニタ厚アニズム、多文化主 義を問わず、集縷的アイデンティティを実体化し、騒人のアイデンティティを その集鐡への爆羅牲によって与えられる不変の内実をもつと考えることに伴う 危験性なのである。
おわ毒芹に
一黙に多元飯な文化の共存といったとき、集麟的アイデンティティの多様牲 か、それとも各人のアイデンティティの多元化か、.このどちらを意味するもの と■考えるかによ フて、その箆通しは異なったものとなる。文髭をもっぱらエス ニシティの観点からとらえ、エスニック黄緯体の伝統や習雛がアイデンティテ ィの中核をなすものと考えるをらば、多元的な文化の共存は、異なったエスニ
,,ク鯛撫嘱する顧たちの集膨を雛{鼓した共存ということになる・コミ ュニタl/アニズムの議講は、人格の構成に果たす美観体の伝統や文化の役麟を 重飛するがゆえに集縷的アイデンティティと諾びつくが、綴入が複数の集膨麟 アイデンティティを蒼しているという観点への意識は希薄である。縫方31べ
列ズ∫、は、アイデン残テ抑主張が{酷かの集臨駿雛の強談織物
き、集鱗の実依化をもたらし、分裂主義的傾向を覇長ずることを警護する。l/
ベラl/ズムが求めるのは、鱗入のアイデンティティや差異を超越した毒民とし ての形式的遜一である。
多文{駐義縁たこ描の二つの方謹確と無難系でいることはできない・こ こまで多文化主義をもっぱらエスニシテ君こ関係づけ、多元的な文化の共存を 一2暮5一
蕎政桂会譲葉 第雄巻 第4弩・
異なったエスニック文亀の共存として考えてきた.その意瞭では、集羅約アイ デンティティの多療露な共存という醸から多元主義をとらえてきたことになる。
しかしそこで確認されたこと1ま、エスニシティの観点からのみ多■文化主義を考 えるならば、アイデンティティの嚢定建1がもた誰,す薙1験牲から多文亀主義も逃 経ることはできないという.嶽であった。 したがって、集鐡的アイデンティティ を難定免・実体飽することによる多力的な文髭の共存とは異なる方禽牲を考え ていかなけ親ばならない、,その愚昧で多文化主義は、アイデンティティの「嚢 蔵さ1を謹くコミュニ外/アニズムよ瞬/ベテ/ズムの方へとよl/接透の度を 強めな謬れぱならない。文化をエスニシティから、そしてアイデンティティの 雛定先をもたらすものから 解放押しなけ親ばならない.多文{ヒ主義は、聡在、
「多」文化主義から多「文髭」主義へとその力点を移動させている。このこと は、文{ヒ1の雑種i性に羨慕し、文化の純粋韓三に疑問の繋を搬1げかけ、アイデンテ ィティの「輿一鑑性1を疑い、「差異匙の過程こそが隼なのだゴと義覚することを 私、たちに要求する。
「変化は存在の敵ではなく、むしろ美嚢{との過程こそが塗なのだということになる.
一路…実{本的基礎づ一けをもたない1難己の罫いま・ここなるま現舞壇ま、すでにして 一瞬1糞の雍己協砿)逸験している,, …羅鍬一アイデンティティはむしろ、差異化の過 程にあっても失わ鹸ない意識の連続難と考えられる」雛
多文{乞主義の方癖姓は、このような「複合的アイデンティティー1ないし一柔軟 なアイデンティティ」を基礎に展翳していくことになるであろう.
しかし縫方で、こうしたアイデンティティの可変性に対しての素朴な疑講も 存産する。縫えば、,∠、フ(C熱.M(撮ず艶1は、いかなる灘定的なアイデンテ4 ティも存在しない、あらゆるアイデンティティは、必然的に不確実で不安定で
あるとぎ言うカ{縣、「多様なアイデンティティで乞 暖{襲き駐軽嚢ca縫○登sljは、果たして 不確実と不安定性の程度において瞬等なのであろうか,「差異飽の遜程こそが生」
なのだとしても、そこには「差異化の織鱗…の違い、避が存在した1)、門差異{との 一2総一
多文化主義に関する若干の考察(中鱗伸⇒
遍羅にあ っても失われない意識の遮続姓」をもたらす韓かがあるのではないだ ろうか。その中で、誘語と勢嫁とは、私たちのアイデンティティを織成してい
るもの斜懸r鄭汝も醐ではないまでも、鎌糊1こ膿性の齢 」もので
あるかのように転た婁、のllにはi襲ってしまう。おそらく複合豹アイデンティテ ィの中に葦零話と身躯とが占める意練を解賭することこそJ/ベラ弓ズムとコミ ュニタ癖アニズムとを超えた地点へと多文化■柔三義を導く糸となることであろう。
アイデンティティ牝とは、あたかも無地の大幣がさまざまな色によって染め 11群.れていくかのようなプ趣スでは塾・、むし・)、人格払・うものはイ麟 かのアイデンティティによってヂ常に・すでに」塗り尽くされていると考える べきである、コノ辱一(W.Co難磯y)の次の霞葉はこの事梼をよく表してい
る
rアイデン亮テ匙銀鱗鞭が掛、むパラド奴機業とは、擁縅し耀人
的・集灘的なアイデンティティを欠くことはできないが、鰹一むで、そうしたアイデ ンティティに糞運を舞類しようとするさまざまな鰺動は差異を縫餐嫉に転換し・飽 雛をスケー一4ゴ…トー一翼のア仔ンティテ祷い憐観を偲雪るために齢 され、保持される に転換する機能を果たすということである・轟のアイデンテ ィティを瞬搾るこ旗差劉嘱して不誠実で赫、簿y・蓋然誠実であること は糞のアイデンティティという毒蟻こ背く、薄
私たちは、一アイデンティティ化」の遜製な騒三ナ」の中にいることを、フーコー とともに、忘れてはならない・君荘・。
注
鱗 麗1董1孝遊「蓼多文{と主義肇をめぐる論争、監蔑一一機念の明確化のため1恥祷瀬縫 一 賃上スニシテ廷争文紹三糞睡嬢{、欝確三博頂
(21藤野寛r多元文亀主義・隣髭ユダヤ大鰐題・藷覇一的なもの」『現我愚馨患V{}L 重連…3、圭鱒6年、鴛7翼心
一一Q暮?一
行政縫会論集 第登巻 第4弩
(3/ 「このような人々 (器1童黙圭覆ナショナ婆スト 筆葉鷲1髪)は、法多事一圭づま季多駐褻完グ)嚢…1
で薄野権をとl/快適な生濤を営んでいる鍵疑だが、その醗にはほとんど愛憐を感 じずに、今やファックスで呼時の野離に喜姦するようになった、畿らの想像.ヒの 鹸饗1で煮髭ヒている戦いにプ賞ノぐガンダ、霊気暑舞あるいは垂受票以外のあらゆる■左決を
羅耀して参撫することによって、アイデンティティを基にした敬譲活動に撫わ老}
たいという誘惑を感じている。…(B.アンダーソン「く遠臨地ナショナl/ズム〉の綴 現」『量劉586号、醜3年営弩、騰勢
瞬 曽護いさみ「移襲・難襲・援勤の政治学善糞草護房、欝毅年。
(5/ ここからの叙述については、Ste碑e嚢M縫鐵all&A益a懸Sw鍛,五猶ε躍器欝羅 α澱2辮鍵魏魏罐醗3,B董ac‡{we銭,i鱒7(2鍛6e(三重t重G喜遷),Da盛ε董Bε蓑.α滋欝認ぞ短編芦
め麟ε麗伽羅1壽C厚オズ総,OX舞戴U頻V.PreSS,欝95.パターナ婆ズム鵜究会 「法・井溝依・遵徳的撰論{巌離3/」嘱学院法學垂第2§巻第i−3号、ま§獣年、井 上達夫緯べ駆/ズムと颪統牲」岩波講穣現代思麟§罫権力と正統洗玉鱒§年 韓「灘入権と共繕牲」擁藤覧孝編糠鐵経済と論理善霞文堂、亙鱒§年等を参考 にした。
織 ここからの叙違は、C鼓.テイラー「アトミズム」1「現我、鬱葱選V〔}1.22一§、責土 条素、董§§4年〉による。
(7)瞬壽2鶏糞。
(8) 講書2墨4頁.
(鶴 舞えば、艇讐1遜三蓋義1こついてはウォルツアー(残飯。}猿纏琴華語ze麟の三}三要な主 叢であるのに対1し、艇掌越主義撰響翼まサンデル(Mlc舞a惑」.Sa貸6屡)やテイラ 一(C簸aでles T&ylorlの中心的論.織であるというように、コミュニタl/アンの内 藩は必ずしも均質なものではない。コミュニタl/アンとレッテルを嚢裁ンれた論考 の申にもそのレッテルを好まぬ論者もいて内的凝集姓も購いものとはいえない.
さらに、コミュニタリアニズムの特徴として挙げら震る、アトミズム的灘入観に 対する投霧と其通善の電髪性の強講という』二つの点をと1}あげても、験者の競覇 が懸1入のアイデンティティをそグ)帰羅する共瞬体グ)騒史や勅語、文化に負ってい るとする理解に、姦隣している。職で絃云統主義的・保守的要素ゴを蒼しているのに 対し、後者は、其通善の実現を可能にするためには「公疑的徳性!clvlc vlr雛el」
による政治が不蟹欠であるとする.点で、「ラディカルな参ノ灘疑=髭三慕義J藩}性格を不 瞭遊離に帯びる、,つまり、コミュニタl/アニズムを構織する壷要な論点グ)鷺に、
対立緊張の璽能性さえ鳶1在するのである (建1二達夫守羅入権と共瞬季生」27§褻).
一2§8一
多文集主義に絶する若干の考察(中綴坤二〉
麟獅熈sA、S欝ge資s,℃。灘羅量t3舳L瞭allsガ,A醸麗臨癬磁」・
八流ε欝Co辮郷認聲蕗躍γ魏鑓 丁叛躍海難9、i§9§,奪錘vers麺y Press o{、「建錘窮絵・および パタ…ナリズム講究会、諺掲論文.
(馨D鵠ε得ε暮,α遡繊譲羅纏露溺4翻然α麟撒Ox{o羅踊v・Press,
玉鯵§,夢、8
鋤醸。漉至Walzer,陥εc。灘翻tarね魏Crltl曜Q{繍ε雌s茎灘腎,酸舗鐸 cθ窺鍵襯磁劉離〜丁躍魏魏墨
特にウ秀ルツアーの場合には、llベラl/ズムの運定ではな眠その銀建紀であ るように思われる.i症著縫叡こついて(犠ぞ漉躍1幡達ではJ/ベラllズム とコミュニタllアニズムという論争それ蓑叢誌が、多元麟なアメリカ縫会の文化や 伝統から携発的に生まれたことの意瞭を穰癒的に肯定しているように箆受けられ る.M窒C簸aelWalZεr,伽躍醜〜齢躍,Yale》貸IVεギS量ty駐reSS,圭§§7・
麟 パターナ弓ズム醗究会、鋳掲論文。
麟若松はコミュニタ》アンという一体性やりベラ!/ズム鍵讐の妥畿性に疑闘を呈 しているので、コミュニタ陰アンという名称ではなく、「業曝体主義と一書毒され.る 一立場」 と蔭乎んでいる。
〔麟携えば、熊一L達夫+鵯律格「鍵主主義にとってりベラリズムとは轡か」鱗代 思惑糞Vol.22・一5、膏土娃、欝鱗年。
鱒W盆lzer,確. 露、
瞬 薦藤純一「葦鮭乗主義」霞鳥令構罫現代の政治懇懇墨東海大学出版会、稽§3年、
憾3頁。
罐 斎藤純一「喪主主義と叢数牲」『患懇書総7号、蓉1波諦鉱i§弱年・
騰 C墾.テイラー「承認をめぐる政治」『マルチカんチュラllズム≦、ぞ}叢叢篠、
玉鈴6年、灘藝。
雛/ テイラー、購書、醍蚕。
鶴至.M、ヤング「政治体と集撰の差異」罫懇懇藷8§7号、岩波鬱結気欝鱒年。
鵬 C藝.K雌轍t嶽s,㌦ll}{}r雄ls鶯.M譲t圭⊂虚無ralls醗 a磁 0欝欝ess沁バ 」簸
A譲¢wV醸醸(磁.),君罐細/翫晒・,C&曲rl鋸弩癖ersltyPrεssj簸・
麗 騰e漉灘麟M襲1童lc藏琶rallsガ,謡R癬副丁1溜ηf,Vol.2§N驕,
Octot}er 董9§8.
㈱w灘Ky濾ka,脇融融縦ε鋭9ε麗卿,αa織薇欝ress」螂・声麟猛
之薩藏文彦・霧綺康仕訳『多文紀時代の叢叢権書、昆洋霧諺}、1鱒8年。1 一2総・一
行政縫会誌集 第難巻 第准畢
鱗溺だ.,夢、32.隷書4頂。)
鵬/∫襯.,夢.37.獣姦5籏、。)
鵬/蔽ノ.,登P.矯一鵬.1、灘講額. .
麟梅1激麗容と藩響、噺儒学藷義醸蜘ξ勧・ユートピア≦窃繹雛{、
茎鱒8年、登2爽.
鰍 M圭。盤aε茎」.Sa轟密董, M{)ギ3董Aygt織e畿a擁To董α飢1(通 ,短A翻童a1 Etzl(癖綴.1,擬騨。{}襯鮒〜ゴ麟鱗丁勧勧ぎ,u蜘εrs髭yPress・鐸1r蜘a.
齢5.夢.7i
難甑.テイラー』多文髭■垂三義・承認・ヘーゲル」罫,馨、爆8§§号、鱒碑、§一一7
臨
(織C簸、テイラー、葭掲議}文。
鱗中野総ゴフランス隣家とマイノi/ザ継膨際議院、i§懸年。
/鋤 桑翻巨騒騒i美「差異とアイデンティティ」辞一1二達夫貫籍・藷 学講義⑦誓 魏鍵・権力・
ユーートピア護「定義集」岩波叢叢、欝98年。22{y賃
継 C養.ムフ「疑室数治の現姦、」『,馨,慈善867号、1鱒6年、6§翼。
繍 彬醗敦、薦揚論一文、、
繍W.コμ/…物イデンティティ\差異鎌}渡書癖、醗8年、i25総
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