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日本伝統音楽の近代化・現代化に関わる一考察

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縫矢美彌子:嚢本症続音楽の透代艶・現代化に閥わる一考察一平拝澄子の実践から一線

日本伝統音楽の近代化・現代化に関わる一考察

平井澄子の実践から

(4〉

降 矢 美薦子

1.はじめに

 筆者は.曝際化の蒔代を違えて,我が蟹は,鑛 轡ダ)文化のアイデンティティの麗題を鋭い形で,

鮨擾されていること,しかし我が鑛は,音楽の藏 で特殊な錘史的発展をしてきてお馨,欝覆の伝統 音楽の近代嚢二や多冤代襲講こ力玉ならずしも成功したと は善 いがたい饗垂嚢のあることを捲摘し,成功した 稀な鱗としてッ平井澄子の§2年余にわたる演奏と 作藤の音楽活動をあげ,(そのi/,(その2),

(その3〉にお鱗て,平寿の弩都楽嘆サイタル垂 平井澄子邦楽実験室第i回発表」,第2縁発表,

第3國発表,第逢籔発表のプ誓グラム資料と本人 への麗き書きによって,その分犠と考察を得った。

 (その心において慧,平茸にとってこのよう な発表形態垂こよる演奏と作憂鬱活動の盤切1)となっ た,ギ第灘獲芸備祭参鑛 第5露野都楽ササイタ ル違平醤澄子唾のプ狐グラム資料と挙人からの聞

き書きによって,さらに考察を深めたい。

 そして,平井の欝年にわたる第蓮妻発表から第 5回に至るr都楽実験室」での試みの成果と,鑓 水伝統音楽の近代化・現代化への業績を霧らかに し,この点に関わる平井のその後の仕事について も若干ふれて,本醗究を窮じることとする。

 なお,本稿の最後に,平井の5懇にわたる「邦 楽実験室」の活動の背後にあった,平井の警本の 鰻の発声や発音に関する考えを聡らかにするため に,第i選発表の行われた昭鵜2§隼の7月置馨発 行の縷蟹交響楽極機翼誌「フィルハーモニー七・

八得号盛に掲載された,「近轡嬢本音樂の発蟹に 就いてまというタイトルの譲文を再録し,平井の 年1譜とこれまでふれなかった演麟闘係主要作品を 添えることとする。

ll.欝欝織警衛祭参擁「第暴國ゼ邦楽暴ナサイ   タル雲平弊澄子』

 第鴛醤芸籍祭参癬[第轟騒蓼都楽鱗サイタル玉 平井澄子雄は,窮めて全作晶窃身の作品紅よって 行われた瞳邦楽ササイタル遺事芽澄子郵楽実験 室第3譲発表達を経て,第欝蟹芸術祭奨励賞を受 裳した窮達蟹発表の2年後,昭秘露隼i綿2娼(

購朝暮新聞詮講堂で以m「下のように行われた。

第総霞芸備祭参糠「第§國欝露楽解サイタ ル遷平井澄茅ま

霞鋳:昭秘鍵年(総総〉難蹴娼(霞〉毒時講分 場霧:朝露蓊欝社講堂

主縫:平井澄子

共漢音:堅懇婁三久/鼓     大海内義雄/警務     大塩寿美子/合曝     成富筋子/合曝     升  章/音響構成     中村準一/音響購成

績ti麟毯/尺八 籔芽敏子/舎曝 騰垣買子/合唱 高橋美津子/含曝

 プ縫グラム

ー.葵の上    宝生流議麟瞬懸流箏懸 二.うたろうさい ∬二一しり

三.都樂の発声と技巧のために        平詳澄子鐸懸  工.声と息と

 2.ユリ  3.始段曝よ管

獲.ノ卦さな馨逢

 1.渡琴鳥 北原白秩作詩 平井澄子作麟  2.たてやま

      古謡・平井澄子作麟  3.子守曝

 逢.』二一しり新内

五.こ一らす

 i.よいとまけの歌 野上.彰作詩        平茸澄子俸麟  2.東金      江群きや鯵

(2)

i2

福島大学教畜学離譲集第爵号

平井澄子縮縫

 このササイタルは,第i凝発表で曝われた葬葵 の上」,「うたろうさい 二上鞘,浄土宗の「始 段曝より」,第2醸発表で曝われた江戸きや9を

rこ一らす涯に編翻したr東金」,「二上蓼新講」

など伝統的な1鐸品と自身の葎贔で纏まれていて,

藤本伝統音楽の多種弩を受け継ぎながら,さら1こ 演奏と作藤の爾遜で麟造的に発展させてきた,こ の欝年の平聾の,馨本音楽家としての活動の集大 成的な意味をもつササイタルと添えよう。

 この静サイタルには,第4鐡発表までつけられ ていた「郵楽実験室珪のサブタイトルがつけられ ていない。この後,平昇は様々な事精から,この ような演奏活動を車懸し,労音(勤労者音楽協議 会〉での演奏と修麹,教育活動,ほぼ蒔鱗を講じ くして東蒙学芸大学での葬常嚢講蕊としての教育 活動を醐嬉し,平井の活動は新たな縁懸を還える のである。

 解説にかえてで平井は作品について,次のよう に書いている。

 葵の上

       宝生流譲懸

        出懇流箏懸 平井澄子  葵の上(再演〉は能の歌章をそのまま,山 田検校が作饑した名蕪です。麟へば曝うほど,

胆にこたえて身にしみる,美しい逞まし鯵麟 です。侮よりもおどろくことは,この藤が能 の「葵の上」を充分懸究して伜られたものだ ということです。その為に,箏で曝い鐵して 謡垂こなり,又箏うた毒こなり,自然轟ことけ合っ てしまいます。蕃の人の晦広い殖強ぶ今に感 じるばかりです。鼓.笛,三絃などを養うこ とも考へましたが,やは撃梅漬と瞬じに,一 人で覆うことにしました。

 うたろうさい 二上辱

         曝・三絃 平井澄子  出の螺に。いかな夜も,よも人こそ知らね.

窪鼓ま涙の灘となる。よしや歎かじう畔わぬと ても 定めなきこそ浮選なれ(アヒノテス赫キチラシ〉

我ふ参すてて一声ばか箏 いづくへゆくぞ出

緯§3年3舜

ほととぎす

 松の葉(元禄十六年六月鷺行/第二巻長歌 曇録の中に佐山縷校鐸としてあります。弄斉 は隆達1こついで流行った小職で,三絃を伴奏 として唄われた鮫か,雲井弄斉,歌弄斉とし て今でも演奏されています。然しこれが当落 の弄斉そのままの懸簾であるのか,佐i鐵検校 の禽響乍になるものかは,はっき参しないそう です。のんびりと曝って見たいと思います。

難樂紛発声と技巧の為に(平井遼茅馨酸〉

  八筋 声鼓尺打

平井澄子

樫遜喜三久 積出勝毯 大海内義雄  i.声と、憲と     聖

 人聞は無意識でとても立濠なことをやって のけます.喜怒哀楽の声の使いわけ,殊に笑 う賢妻の発声と横鞭毒膜の運動は, 申し分ないも のと言えましょう。それによって声の部分と

患の部分とのつな青書蕾む翼ら一一つの重重巧毒童生れ

ます。

 2.ユ撃

 上下のユ婆だけで,いろいろのフシが覆え ます。これも横購膜の運動が基礎になってい

ます。

 3.始段曝

 声雛は都楽の技巧の宝庫です。兎に角やっ て見なければいけないと思って,取っ纏みま

した。

 浄土宗の吉水大鑑麟の御旛導をいただきま した。大海内義雄氏は本所霊光寺{主職ですG  始段唄は餓来頃ともいい,声聡の中でも譜 簾の複雑なものである。

 <鰻籔法要(梵曝,散華,錫紋,梵音〉の 一つであ参轄種な法要の場合に瞬麟が曝える のである。rン囎来妙」と曝える麟一字で七 分を絹する程である。 これは歎{ム編の一籔で 勝叢夫人が綴尊を讃歎した編である。「難来

の妙色身は量問に与に等しきものなし,無比 にして不思議な吟,是の故1こ今敬礼し奉る。

類来の色は尽くることなく,智慧も亦復然 な参,…窮の法常住す,是の故に我帰依し奉 る。」>      (吉水大儒麟識〉

(3)

降矢美彌子:霞本藪続音楽の透代{ヒ・現代窺に鷺わる…考察一平聾澄子ぴ)実践から一総

 小さな曝

      曝 平昇澄子 亙.渡り鳥  蔵療白秋作詩・軍拝澄子作曲 2.たてやま

       古  謡・平聾澄子作醜 3.子守駿

尋.二上参新内

 三越劃場の舞台で,水兵服姿の私が鬱憂)箏 で,たてやま,二上吟新内.はては都々逸,

佐灘:おけさなどを曝つたのは,もう三十年も 昔のことです。いつ謹書童作ったのかわカ〉らな 魏ッ美しいやさしい曝が嚢本には沢蟹ありま す。多くの人達が愛し鰻って,そして今馨の 邦楽を育ててくれたのだと思うのです。そう

いう曝へのあこがれが,穣こ小品を鐸らせま

した。

 楽雛を健わず,露然の音一…虫や鳥の声,

;水音な1ど…一をノ母ックに曝いたいと魏う数年 来の念顯を弁章氏と中村 準一氏がかなえて下

さいました。

 こ一らす

       平井澄子        壌拝敏子        大塩寿美子        瞬垣葭子        成富籔子        高橋美津子

i.よいとまけの歌

        野上彰作詩・平井澄子作藏  大好きなヨイトマケの曝,いい声の小母さ んや小父さん達が,のどかに曝う……一杯つ まった真奏な御飯と黄色騨たくあんのお弁当 まで目に浮んで来ます。もしうまく趨来まし たら,やとって下さいませんでしょうかしら。

2.東金

        江戸きや拳・平一聾澄子編麟  数年前銀座も繕」)頭,管本金太郎氏について,

きや肇を習雛ました。当鋳蔀楽実験室グループ の,ネエチャン達のきや滲は,方々で軽評でし た。「警邏の芸巻衆だえゴと云わ轟た程ですか ら……。発声の練習毒こも,技巧の練習にもイイ エそんな轟著しいことでなく,贋って楽しいき や参をごく素朴に二離合嬉にしました.郵東金3 1ま多分千葉の菜金だと思います。

 平井は,第i懇発表で初演したF葵の上達を再 び取り上げ,「何よ拳もおどろくことはシこの慈 が能誇『葵の.雛を充分醗究して作られたものだ

と籍うこと墜で,「箏で贖い鐵して謡紅な塗,又 箏うたになウ,窓然£とけ舎ってしまいます諜

「蓄の人の癖広い勉強ぶりに感じるばかりです」

と先人の猛事ぶ鱗こあらためて敬意を表している。

 また,平井の舞木音楽家としてのライフ・テー マである,野邦樂の発声と技巧の為に」では,第

塁睡発表のプログラム}こは,都楽の技巧の基本で あると平昇が考えた,フサと二種のユ婆を緩み合 わせてまとめた歩と解説しているがシ第§醤では,

もっとさ惨毒ずなくゼ人聞は無意識でとても立諏な ことをやってのけます墜 と無意識碁こイテう横賑膜の 運動に董馨したことを記している。

 また,「声墾は邦楽の技巧の宝簾です。兎に角 やって見なければいけないと懸ってラ取っ緩みま した」と浄土宗の隣鍛唄への意欲の程を記し

ている。

 「小さな糧3では,第3麟発表の小品集から一 貫して発展する,平聾のもう一一つのライフ・テー マである譲本に受け纒がれ.て来た,「いつ誰が作っ たのiかわからない,美しいやさしい」蒙本の瞬,

「多くの人達が愛し贖った」欝本の曝への思いを 書き,自分もそのような瞬,現代に生きるそのよ

うな嚢本の曝を葬っていきたいという思いを配し ている。

 ここで淫目されるのは,「楽雛を養わず,自然 の音……虫や鶏の声,水音など……をバックに曝 いたいという数年来の念願を」と,平井が露分の 作醸した作贔について,環境音とともに1饗雛たい

という念顯を,数年来もってきたこと1こついて書 いていることである。

 蒙本音楽は茜洋音楽とはこの轟然音,環境音1こ 対して,決定的な違いをもってきた。西洋音楽に おいて,自然音や環境音の鞍念が本格的に入るの は,「家具の音楽」のエリック・サティ櫛シそし て,ともに現代音楽に大きな足蹄を残し,欝§2無 に没したオサヴィエ・メシアン②,ジョン・ケー ジ鱗といった作饑寒を待たなくてはならない。我 が融こ環境音楽の機念が一般的な形で定着してい くのは.このあと2§年近くの歳簿を必要とする。

 これは,第3痙発表のヂ霧の申のをど射で,

伴奏σ)三味線をピックでひいてマンドゆンのよう な効果をねらった平井の軽鬆な感覚象こもつながる。

(4)

i塁 醸島大学教育学部譲葉第懇号 嬉§3葎3月

 全体に,第5獲の平#の解説には,診たろう さい 二上参」の「のんび穆と曝って見たいと思 います」,「よ恥とまけの歌まの「もしうまく綴 来ましたら,やとって下さいませんでしょうかし ら」,軒東金雄の「当鋳弗楽実験室グループの,ネ エチャン達のきや撃は,方々で好評でした。…一 発声の練習にも,技巧の練習にもイイエそんな麩 苦しいことでなく,蟹って楽しいきや拳をごく素 本藝こ二部合曝にしましたまと,平井らしいちゃめっ

けものぞき,当1蒋の平非の自繕や晦とりに裏材け られ,楽しんでサラックスして書かれている。

 プログラムには,金綴一春彦,小寒文夫,懸辺 勝雄,遜中千禾夫.花郷章太郎,籍鑓佳聲,承谷 八重子,野.鉱彰の諸氏が以下のような一文を寄せ て雛る。音楽学者に藤えて,言語学者,麟控家.

新派の雛優らが文を寄せていることに,当鋳の平 井の麟音楽の鐸慈にも進講していた活躍がしのば

れる。

       小寒 文夫  アジアでも…多一口ッパでも,音楽文化を本 当淀発展させて来たものは.古いものと新し いものを対決させ,積み重ねて行く精神だっ たろう。葺本の伝統は,それ§身巨大な集積 であっても.これまで分墾的な認識や,綜合 的な集約への努力があま蟹こも貧しかったよ

うむこ思わオtるσ

 平井さんは,その意妹で馨本の音楽文化を 真に現代位することの鐡来る蟹重な存姦と云 わなくてはならなも㌧殊に,最も棒系化の難 かしい声樂の援法を,一つ一つ纏かく解き1ま

ぐし,再縮成して行く努力は,今まで手さぐ 彗で進んで来た転統の再麟造に対して,擁め て積み重ねの基礎とな!ヲ得る震い地盤を作っ たもので,戦後の融本音楽文化の中で最大σ)

業績と云っても遍醤ではない。

嚥義濫美遡1誌ll藻

 の深いウタにはたいてい無麗 むである。驚な  いことである。そこで,私などがちょっと邦  楽のことを聞きかじって轄かコトバとウタの  関係について論じると,それっとばかり伸潤  が注聾してくれる。私線いい気持になって,

 そういうタネを使って幾つか講演をし,また  論文を書いてきたが,先般,ある機会に平井  澄子さんと晦つく讐話しあう機会をもって驚  いてしまった。ウタとコトパのかかわ拳あい  について,平井さんは私が考えていたより,

 はる力蝿こつっこんだ周題紅取参緩み,見事な  解決をいくつか得ていたことを知ったからで  ある。私は平井さんの音楽に対しては,かね  がね,りっぱなものであると,頭を下げてい  たが,私たちの専躍のコトバに対しても大変  に深く蓬解しておられたことを知らされ,そ  彪を生かしてこそ,あのようなすぐれた麟作  ができるのであると,改めて痛感させられた  ことであった。

「霞本書楽文化σ〉戦後最大め業績一

「㎜推奨の醇

1      露辺 轟雄   平芽澄子さんは瑳代の都楽罪に於て,到る  ところ羅ならざるはなき万能σ)i天才として轡1  に蟻られる特異な貴い存在であ琴ます・崩来  万能の天才というものは,その芸:が散漫にな  る恐れがあ警ますが,平井さんはよくその万  能の天才を生かし,常にそれを打って一一丸と  なし,纏グ)人々の及び難い新境地を鰻拓され  つつあ箏ますことは,私の畏敬するところで  あ警ます。嘗て数年灘こ芸術祭賞壷びに筥絨  裳を獲得された『窮支丹道成寺選が発表され  たとき,溺忍石に平i拝さんでなけれ慧1成し羊尋ら  れない伜晶だと嘆賞した次第であむます。私  は昔,平井さんがまだ胃愛らしいお嬢ちゃん  時代であった頃から幾しく存じ一とげて居り,

 必ずや将来わが都楽葬に名をなす方になられ  ることを叢じて屡撃ましたが,今や新鋳代σ)

 邦樂葬に確遜として動かすべからざる立諏な  存在となられましたこと善こう 失事もな青書ら私は  わが子の鐡縫のように嬉しく感じて居彗ます。

  今難第五麟のササイタルをお催しになりま  す。そのプログラムを拝見しますと,その多  彩なるに驚かれます。平井さんでなくて鰹に  彎入がかかる企てをなし得られるであ静ましょ  う。平井さんなれ、ばこそ見事に成功さ轟るに

(5)

縫矢美驚子1謎本伝続音楽の近代化・醗代化に麗わる一考察一平非澄子の実践から一鶴 董§

権違あ撃ません。私はその成功を深く億じ疑 いません。しかし一籔の成駒に安鰭せず,今 後σ)…磨の発展と海、とを類せられんことを曝 望して推奨の辞と致します。

 おどろきの連続

      霧中 千禾夫  童女のような平井さん,新内とは凄艶なも のだが,それを弾き語箏して,あわれにしみ いるような声で恋を打ち鞘けられたの紀はお どろいたαこの葱の蓼サイタノレの一一つであっ

た。

 これもそのときだが,跡手を使い,発声の 縷を掻きわけて見せていただいた。簿本人は歩 そんなことないとけんそんされるだろうが,

学究的な一面でこれ毒こはおどろいた。

 ヨー讐ツノ慧こ護り,申麟淀飛ばれた。難 強々々と人はよく霞に需うが,それを実行す

る人は稀であるから,これもおどろきだ。

 やさしく粋な女人の芸の達人というのは表 つきで,強く逞しく野暮つたいのが複姓か。

そこんところもわかんな雛から,さいごのお どろきにしよう。私はまだ,平井さんの譲饒 をきいたことがないがこれ、は素購1らしいだろ うと思っている。おどろきは尽きそうにない。

 単発女史の頭鱗

      花郷 章太郎  わたくしは,簿時も平井さんの匿轟嘘の農

さに敬澱してお讐ますσ

 おつき合いをしてからもう大分にな吟ます が,毎月新諏は新鐸に追われ,その演難の申 で必ず…つや二つは.平井さんの作蜘こかか るものが,その重要な芝羅となっております。

雛つも,書擁しのため郷本の畿来が遅い。僅 か二嚢か三嚢の攣論こ,その輝本の内容を難舞,

それを引立てる音響効果をかもし出す誌を考 へて下さる。それは壷々なら雄.手魏解要る 訳です。

 あま馨多く御返介になっているので,そ夢)

中での雛ちぢるしいものをお議ししますと,

去年漬った谷麟先生の野瘋癲老入嚢言灘あれ は全く,平井さんの音樂に依って舞台効果が

得られたものであ蓼ます。

 癒癒老人が,死後を空想するとき,地唄の F残月輩の懸方書霧雲舞台毒こ流れたとき,{薄と も云へ鍛快感が漂いました。

 この芝羅は郵当る雄と云う麹が私に拍車を かけた訳です。

 それとギ騒子堕の足形を取るときの音。ラ ストの建形の中に埋る老人の歓喜。共に音樂 効果によって援けられた芝居でした。

 平井さんは懸に嚢本伝来の,新内とか,忘 れ得ぬ畏謡に憂欝を持ってゐられ,その趣簿 をいとしく私共の郷愁をよびさまして下さる。

私共のような懐古的な人馨垂こは又とない麗し と私は心からたのしく思ってお警ます。(象 文のまま〉

 澄等女史に望むも(7〉

       瞬遜 珪聲(嘉章改め〉

 現在外麗では演奏家と作麟家とはハッキ夢 分業となってお蓼,疑本でも漸次そうな弓つ つあるようだ。また嚢洋では実技で量に立っ ている人でも,実演と教授とは震々の珪華に なっているらしい。然し蕃は西洋でも鐸懸者 警身が演奏に当っていたらしくシベートーヴェ ンでもサストでもシ蕪パンでも嚢葎自演によっ てその偉大な樂才が糧1闘紅認められた.露本 では江戸時代にあっては作麟よ拳は演奏の方 が重く晃られたということは,実は良き演奏 が作蕪の大難分であったからだ。携えば義太 夫浄潔璃のような場合だと樂麟の購成1ま三昧 綴方がやるが,然しその手簿なるものは一種 の設計図みたいなもので,その設計選に従っ て太夫がうまく語って始めて生きた芸になる のであるσそれ.程馨本における遍去の芸とい うものは精糖的なものであった。

         ×

 然し簸うした額薄が樗来の我が琶樂鼻に対 してどう発展してゆくか,践いはそれではい けないのか私には解らないが,然し作詩とい うものは真髄は矢張りその懸を禽群乍した者が 一番よく難っている筈であ鯵,その誌ξ)懸麺 は甥として一番それをよく表現するのは作っ た人でなくてはなら嶽と懇っている。

 だから私慧菱饗乍自演ということを大壷以上

(6)

福鶴大学教育学翻論集第酪号

に評籍する。饑えば宮城道雄という人は現;窪 この量の中には蕎在していないが声作纏その ものは多く残ってお参,多勢の人達が演奏し ているがシどうも私は宮城さんが演奏して静 る宮城さんの懸以上に感銘を受けた宮城懸の 演奏には不幸にもぶっからない。然しこれは 私が現在の演奏家諸氏を軽く覧ている訳でも 粥でもなく,密来樺麹というもの隷そうした 麹ではないカ》と思ってむ》る。

 単発澄子女史も矢張蓼作曲と演奏とを兼ね た芸徳家であり,しかも異状なるを能の持主 であることは邊去のその業績が物語っていて,

敢えて今更贅する必要もないが,私が特に淺 作懲演の会に興味を詩つのは以上のような譲 運に外ならぬ。

 また宮城さんをかつぎ鐙して恐縮だが,宮 絨さんは優れた作詩家であると共に優れた演 奏家であった上にもう一つ優れた教麺でもあっ た。だから多勢の門弟を養成しておいたお蔭 で今醤「宮城会」などという立潔な結社まで 残している。いろいろの醸で宮絨さんの芸の 影響を受け,宮城賞をも貰っている澄子女史 は更に宮城さんに轍ってよき教麟紅なること に努めなければならぬ。

 澄子女史よ,零コンマ零々々々一位でよい から濁れ。

 ひとこと

      承谷 八重子  今年も単発澄子さんが夢サイタルを催され

ると弱きました。毎年のよう毒こ野望の新作発 表会をなさるのは,大変な郷努力だと思いま

す。

 でも,新羅の穰古傷などで平井さんを知り,

また舞台で作麟に浸むながら演技している私 轟こは,あの方ならきっと籍しい成果を実らせ,

豊かな蝦穫をあげるに違騒な鵠,と恥う気が いたしますeなぜなら,謬繋寺も醗るくにこや かに打合せの談合を重ね,姦しく作品の真意 を掘握して,渋滞することなく協力して下さ るからです。

 平井さんは外見柔かく,内に騰魂を持つ方 ではないでしょうか?そして安住嫌い,常に お仕事に励んでいることが樂しみな人のよう

緯§3年3選

に,私には思えてな歩ませんa

 これまでに私は 江島 玉藻の繭 かに かくに機鑓は恋し博但藤壷絵巻 醸赫火妻事 等々で,お力添えを顯窮豪した。中でも吉井 勇先生の穂歌を朗詠して戴いた 遮かにかくに が羅裏に残参ます。

 鑛秩の誉サイタル……どうぞ総々し恥成果 を鞭めて下さ秘。お辮瞬いたします。

 束驚

      警士 彰  響本語の発声について,かねてから深い観 心をもっていたぼくは,平井澄子を発見して

はじめてシここにたずねていたひとがいると 安心した。

 もう{響年無十年になるだろうか,騒奉語の ウタを駕しくうたい,詩の深い意味を伝えて くれる人を求めた長い隼鍔の苦労がやっと鰻 われた感じがした。衰年の憂,鉾優塵で,獲 本譲についての講鰹がひらかれ、,ぼくも聴講 生のひと管として遜った。ね1震うのぼくが朝 早く趣きて暗闘紀聞疑合うように六庫木に遇 うのはずいぶんとつらいことであったが,早 起きは三文の得,どころか,ぼく1ま一生の人

にめくドリ逢えたのである.

 単発澄子は,そのとき,十分か十五分ほど,

講緬の講義のすんだあと,ゲストとして騒奉 謡の発声につ恥ての話をしてくれたのだが,

ぼくが,昔から疑周紅憲っていたことが,み ごとに氷解していくのを知った。快よい感動 であった。以来,ぼくは,平茸澄子に弟子入

箏することにきめて,今馨に及んでいる。だ からぼくにはいまは平拝先生である。

 こんど先生がササイタルをひらくというの で,かげの琶1事を手伝うことにきめて,勝手 に押しかけてシいろ藩ろとうるさく先生に詩 文をしたりしてご迷惑をかけてしまったかも

しれない。さぞかしうるさい弟子を持って,

先生は曝いているかもしれない。

 その一つが,ぼくの詩ゼよいとまけのうた」

になったようである。

 ぼくの作った数多いバラードのうち,この 野よいとまけのうた達は,すごく気紅入った ものの一つである。貧しい弟子として,な軽

(7)

鋒矢美彌子:擁本盗統音楽の近代銘・現代鑑に纏わる一考察一平井澄子の実践から一顧 墨7

も,入羅のしるしにさしあげるものもなく,

この詩一篇を捧げて束緒にしたのを,先生が 作麟してうたってくださるという。ありがた いことである。

 プ窪グラムに寄せられた一文に晃られる特長の 一つは,襲に遠べた,執筆者がこれまでにまして 多彩な顔ぶれであることに超えて,この5詞のリ サイタノレを頂点とする平詳の転:新で活発な1演奏と 作麟の活躍,と箏わけ芸備祭賞と宮城裳を受賞し た「切支丹道成寺」の作詩,また,新滅の麟音楽 の作麟など広いジャンルヘの進鐵などを通して,

この瞬点で平聾が得ていた評癒の高さであろう。

 それらは,鴎懇,懸辺にみられる,演奏と作懸 の癒面で高い質の業績をあげている嚢本音楽家と

しての平井紅対 する評癒であ酵,それは,平井の 饗本の声による伝統の幾代化の仕事へ与えられた 評{嚢ということ毒茸できよう。

 小泉はその単弁の業績を今少し詳しく分析して いる.小泉は,平井が体系化の難しい伝統的な声 楽の技法を,解きほぐし再編させたことについて,

そのことは伝統の再麟造紅縛してなされた,務め て積み重ねの基礎となり得る露華地盤を作ったも のであるとして.細本音楽文化の戦後最大の業 績諜と評癒し,平昇を,譲奉の音楽文化を真に

現代イとすることの鐡来る貴重な存在」 と{立置付け たのである。 このことは. 醸1本音楽の発展の隻も地 から,深く受け取られるべきことであろう。

 もう一つの特長は,これらの徒事の裏付けとし てのシ単発のウタとコトバ,或いは,騒本語の発 音についての実践的な懸究への評懸が,言語学者 の金鑞一や詩人の野上1によって誕されていること であろう。

 平井は.羅紅6鴛に第i騒発表を行った昭1穣2§

年の7月董霞発行の翼翼K交響楽羅のヂフィルハ ーモ二一七・八月号聾こ軒近糧嚢本音樂の発聲に 就いて」という論文も発表し,野上も書いている が,様々な場辮で嚢本語の発声や発音について,

講演をしていた。

 新派の花擁や水谷は,舞台考の立場から,騨本 が遅かったりして,作懸には,特購の手1擁のいる 舞台の伜麟・音響の面で,平拝が優れた仕事を数 多くこなしていたことを,実擁を上げて述べてい

る。

 第i醸発表以来,第3醒,第5罎とプ謄グラム に文章を寄せ,平詳をバック・アップしてきた蒲 田は,懲作自演,舞鶴と演奏を兼ね構えた芸備i家 を評極ずる所以を,宮城道雄を携に遽べた後,文 章の最後で,「また宮城さんをかつぎ出して恐縮 だが,官賊さんは優れた作懸家であると共に優れ た演奏家であった上にもう一つ優れた教懸でもあっ た.……いろいろの灘で窟械さんの芸の影響を受 け,宮城賞をも貰っている澄子女史は更に宮城さ んに微ってよき教麟となることに努めなければな ら滋涯と述べていることは,興味深い。

 結果i論になるが,このリサイタノレでこのような 演奏活動に蔓燐雛をつけた平拝は,家元麟霞の中 で麟匠と弟子という形で, i辮iで伝承されてき た箏や三昧線,疑本の嘆など霧本の藪統音楽を,

東京労音と東京学芸大学という2つの質の違う場 で,その後約2§年1こわたって,若者たち1こ金運的 な集醸指導の形で勢力的に教えることになるので

ある。

lll.早発澄子聞き書き 隠

所:

 平井澄子は.

平i拝澄子3と当蒔の心境紅ついて.以下のように 語っている。

  第§攣のササイタルでは,ゼ平井澄子邦楽実  験室」の文字がぬけていますね。これは.どう  して?

平井  影都楽実験室」というのがあんまウ皆に悪  縫いわれたから…一。

  それでサブタイトルを取られた訳ですか?

単発 そうです。

  ご自分ではどのようにお考えでいらした?

平井 私は,もうやっぱり最後まで実験だと慰っ  てましたから。私は.「蔀楽実験室3と》うの  気に入ってたんですよ。

一今罎も,とても意欲的なプ蟹グラムですけれ  ど,どのような反癒だったんですか?

平井 韓罎新懸紙講堂でやって,ヂ大変いい会だ  から是非次もやって下さい」って本一ルから.

 害われたんです。お客さんもいっぱい入って下  さった。

一箪5囲の鋳の「葵の、ヒ3っていうのは,これ 雄鱗年窪溜穏婆〈火〉午後§時鐙分〜§聴瞬発    尋簿3嚢(水〉午後叢睦時〜茎2鋳 平井澄等宅(東京都台東匡西浅草〉

     このゼ第5麟落部楽リサイタル垂

(8)

藏騒大学教官学部論集第爵号

 はi繧饗の欝にやっているものですね。蕪評だっ  たのでもうi獲おや箏になった?

平井 いえ,軽評だったというよウ, もうi度勉  強してみようと懸ったの。

一衝隼かたっておや箏になってみてどうでした?

平菩 そ婆やあシやつぱ吟成長あ箏ましたよね。

一その次は,「うたろうさいま繕。こ轟は古い  歌なんですね。佐出検校作麟。

平菩  蘇ろうさい」っていうのは,流行箏曝だっ  たんですね。隆達の次に流行ったんです⑪それ  が箏麟の方にも入って,そして緯瞬になって,

 三昧練緯瞑にも,箏の纏糧にもなっているんで

 す。

  これは三絃と瞬ですけど,三昧線の組瞳なん  ですか?

平井 そうです。購毯先生から楽譜いただいてやつ  たんですα

  これはどういう運由で取りあげられたのです  か?つまリプβグラミングの意麟っていうか,

 この羨第蓬織目の時に,終講三先生の復元の報  讃のものをおや瞬こな参ましたね。そ蕊につな  がっていくもの?

平井 そうです。そう魏うわけですね。それとま  あ,露分の演奏の癖を広げたいから。

  わか鯵ました。おやりになってどうでしたか?

平井 これはね.好きだったんですけどね¢楽譜  無くしちゃってね。簿懸先生がね,そのちょっ  と前節膿輪なさいっておっしゃって,ラジオな  んかで曝つたことがあるんです。

   わかりました。それと3番醤裟「邦樂の発   声と技巧のために」というのがあ参ますよね。

  で,これは瞬じタイトルで第漿難発表で1醸   やっていらっしゃるんですよ。

平井麟のとほとんど瞬じだと思いますよ。ただ  この鋳少し変えて,笑い声なんかを入れたと思  うんですよ.(覆うGハハハハハハ,試ンポン)

 鼓がねボンボンって(実演/。そしたらね,お  客さんがつられて笑ってた。

一お客さんがね(笑う〉,わか讐ます。私.先  生が柞麗歪都さんの落語をなさると笑っちゃっ  てダメなんです。先生,奉当にお上手ですから。

 にっこ参笑ってなさる。

一先生ほうヴォーカ捗一ズって,嚢洋の歌で母  音だけで歌うのがあるんですけど,それお聞き  にな拳ました?

鯵93隼3薄

平難 全然知らな雛。

一そうですが。あるんですよ。

平井 ただね.これやってみて, じあ だけで歌  うのは,非常につらいんですよ。

一平聾先生のはきあ だけなんですね。

平井  こあ だけです。

一そうですが。あ、いうのは母音曙法と藪洋で  は言って,欝に欝轡1紀から騰轡1紀にフ酋一レと  かいろんな人が名作を作ってたんですよ。

平菩 歌ってみたいわね魯欝本的にね。

一まあ,おもしろそうゆ始段1饗よ滲ってこ轟は?

平芽 輪投曝っていうのは,音なんです。それで  これは蔓i来色身妙,妙というび)だけを鼓巧で。

 いろんな発音で。(曝って示す/そして,その  ミ聾一ウーって秘つたミ3ウだけの震葉を§分  位のばして唄うの。♪ウ〜ウ〜ウ〜(曝って示  す/っていったようなのが,建々と続くんです。

 ウーになったζ㌧エー量こなった拳,オーになつ  た参してとにかく妙って字を使うわけ。

  そうすると先生,この3番馨はミあ だけじゃ  ないんですね?

平井 そうです。でも猿羅としてはiつの母音な  んだけれども,その母音がミえ になったり,

 ミあ になったりして変わるんです。

一これは構誇てですか?

平井 そうですよ。始段璽という蕎名なお経があ  って。

一お経ね。先生はこれにも尺八や打ちものを

 ?

平茸 い秘え。飛八ではなくて,打ちもθ)は始段  瞬には,大海内義雄さんに双盤餅を入れていた  だいて。

  双盤を入れていただいた。もともと入ってい  るので すか?

平井 入ってる。だから入れていただいたの。お  塊さんに。

  わか参ました。そうするとこれはもうそのま  んまおやりになったんですね。

単発 そうです。そのまんまです。

  そして,窮めておや鱗こなった。これは,ど  なたかのアドバイスを?

平井 吉水大{震っておっしゃる浄土宗の,舞いお  紡さんに教えていただいたの。とっても,お経  の上手な方でね。

  それから「小さな曝3,これは小品集ですね?

(9)

鋒矢羨嚢子1経本藪統音楽の透代牝・現代イとに聡わる一考察一平発澄子の実践から一韓

平井 きじの声とか由鴨り,嵐の音とか録音して  流してもらったんです。♪〜あの〜かげ〜は〜

 わた讐ど塗〜 あの〜かがやきは〜融き〜 と  おければ〜(曝って示す〉っていう歌で,この  鋳…に曝ったつき参で一護も曝わない。でも私,

 欝きなの。鐸奏はその音つきり。

  まあ.すてき1それだけで伴奏なし。で,そ  れは,どういう嵐紅?蒔々鴨ってるんですか?

 曉吟っぱなし?

平井 騰穆っぱなしで学ここで醗の音入れて黄海  も空にして,風の音入れて,それからきじの声  が難こえて,それから海鳴彗の音……っていう  風につくったの。でも少し購成がありすぎちゃ  つた。

  プ霞グラム£音響購戒が,吾輩さんと中村準  一一さんと書いてあ彗ますね。

平井 そうです。この須は民敏では有名なミキサ  一だったんです。それでね,この人だとどんな  オーケストラでもね,マイクの立て方からちゃ  んとね.やってね.茎番のミキシングをやった  入なんですよ。

一升章さんて鱗う方。それから中韓準一一さんて  いうのは?

平芽 あの方は俳優座の音響だったのね,その後  ね.自殺しちゃったの,この方。

平井  ヂよいとま1磐はね,あの薬会の工事現場  音ね.コンクサートの建物のビルの建築瑛場の  音をだして欲しいっていったのよ。

一この「よいとまけ諜の音は楽器も入れたんで  すか?

平井 唄だけです。それと効果音と。

  紅たてやま」は?

 平井 「たてやま」は三昧線い轟たかしら。本   当は箏なんです。

  「たてやま達だけどこれは先生の環しか書い  てあ警ませんね臼あとゼこもりうた」っていう  の善ま, これはこと鱈藷まどういう?

平聾 ♪〜ねんねねた子に 香箱ななつ おきて      泣く子きこ 石ななつ よいよい〜

  (曝って示す/思い産した。これはね.かえる  の声をバックにしたの。ケロケ蟹っていうの,

 録音してもらって,かえるの声だけ。

一先生,これ省議ってかいてあるけど,作麹慧?

平井 作麟は私なんです。

  歌詞は古謡なんですか?

平井 ええ.書誌歌なんです。これノシ学生全集な  んかにのってたの。小公子だとか小公女だとかっ  て静う子繊肉けの語がのっている全集。

一その中に吉謡って?

平i拝 その申紀童謡集とかなんとかっていうのが  あって,その中の一つにこれがあったの。

  で,作麟なさったのは?

平茸 欝いくつだったかしら,これが私一番最撰  に誓麟したんだと思いますよ。多分。童謡の薦  でしょうね。これつくったの。

  曝っていただけますか。もう一穫。

平芽 ♪〜ねんねねたこに 書籍ななつ

     おきて泣く子に 石ななつ よいよい ねたらたんぼへ

お目が覚めたら

おきたら露へ お江戸までよいよい      ねたか ねなんだか まくらにとえば      まくら もの攣うた ねたというた      よいよい〜(曝って示す)

  ありがとうございました。

平井  「二.上鞍新内涯とね「たてやま.!は,三昧  線の俗麟の唄です。

一ああ総懸,伴奏なしで贖われた?

平井 そうです。

 ヂ二上り新内雌の鋳はね,♪〜あのさりし女欝  のかたみとて〜(唄い示す/っていうのね葺こ  れで私おけらのなく声にしてほしいっていった

 σ)。

  これも?

単発 そしたらおけらのなく声が録音できなくて  こおろぎになったの。こおろぎとき彗ぎりすに  なったの。

一本当に?これらの小さい曝は,葺からおっ  しゃつてる俗醜,螺歌みたいな,新しい歌をと  慰って作られたのでしょうか?

単弁 それはちがうの。本当の譲の獣。自然の中  で蜜の中で歌う曝と思って作ったんですよ。も  う精一牽蓉の声を饑して歌うの。だから舞台は聾  もなしに,真ん中にスツールっていう椿子,あ  れが一つ羅いてあってね,そこへ鐙て来て腰掛  けて,ボヤーンとしてると,嵐の音が聴こえて  きて,きじの声が聴こえてきて,ドドざドつと  出の音が聴こえて,それで♪あの〜かげは〜っ  て曝って,立ったり座った参して。

(10)

福島大学教鷺学離譲集第懇号

  どうして立った参座った参な1さったんですか?

単弁 だって,♪〜あの影は護サ鳥〜(糧う〉っ  ていったら立ちたくなるでしょ。そうでな鯵?

 それで暖い終わったら座って,♪〜去参し女携  のかたみ〜(瞬う/って,虫の音聴きながらメ  ソメソしながら瞬って,っていったような……。

  ヘエー。しゃれてますね。

平警 しゃれ.てるでしょ。それからゼ渡り爲涯ね。

 それで,これね今度大太鼓で轡おとを瞬きなが  ら歌ってみようと思うの。ただ音域が広いんで  すよ。

  ♪〜あのかげは わたりどウ     あのかカ§やきは ゆき     遠ければ 遠いほど        そらは あおうて     たかければ たかいほど     なみだつ やまよ     ああ 乗鞍岳

    あのかげは わた箏どり〜(唄い示す/

  ああ,すてき。私も曝いたいです。

 それで,「よいとまけの歌謹は.これも先生作  懸なのよね。

平井 すつか滲忘れちゃった。

 いや,それがね,労音でなんかでやってね,く  さされたもんだから,いやになってやめたの。

  これをおや鱗こなったの?労音で?

平茸 労音ではないんですけれど,労音の連中が  聞きに来てて,それであんま箏いやになって,

 やめちゃった。

一これは,先生,「こ一らす」って書いてある  でしょ?先生が音頭みたいになって,あの方た  ちが歌って下さったの?

平井 そうなんです。坂昇さんたちが歌ったの。

心ええ,どんなのかしらと思いますね。すごくね。

平拝 これは,全然痕蹄がないんですよ。昭島に  行ってひつぱ蓼だしたらなにかあるかもしれま  せんね。

 「よいとまけユと木遣りはね,工事理場の音入  れたんです。書いてないですか?

  本峯?先生,木遣鵜ま第2麟発表でやってらっ  しゃつたんですね。

平井 蕪評でしたね。どこの芸者衆だいなんて言  われてね。

一うわ一,すごいi先生,粋でいらっしゃるから.

平井 この鋳ね,野上さんがね,これの全翻編集

簿93隼3鴛  とかデザインをやってくだすったの。野上彰さ

 ん。

一前からお知彗あいだったんですか?

平弊 いや,このちょっと離あた拳から。

一この野よいと塞けの歌」の詩,野土さんです

 よね。

単発 ええ,これ是葬俸蒸してください,って下  さったんです。

一ああ先生1こ……。そしてこれを編集して下さっ  たんですね。デザインも?この鋳は野.しさんだ  けでなく金懸一先生,小泉先生,臨欝先生,新  濠の苑榔先生,水谷先生と,プ欝グラムの文章,

 本当に豪華ですね。

平井 ええ,紫色のね。

  私,プ窪グラムの絵本見てないからわか警ま  せん。残念。

平井 この獲,私もいろいろ舞台の音楽を書いて  いましたからね。麩中千禾夫さんなんかも,皆  そうです。

  先生力量, 当嚢寺の都楽舞力唱ら無規され.たと力藁,

 あんま箏受け入れられなかったとか,いろ鯵ろ  おっしゃるんですけれど,こうしてプ窪グラム  を鐸晃すると,やつぱ婆先生奉当にすごいです  よね⑪馨ぎ毯先生とか霞辺先生とか,ノ郵袋先生な  んかのバックアップの力は,大きかったんでしょ  うね。

平井 それはそうでしたね。でもね,いろ鯵ろい  う人も居て一一…翼賛Kあたりでもね,今でい  うセク・ハラみた雅なね。雛ろいろあ参ました  よ。この会ね,とっても楽しくてね,うれしかっ  たんです。それがね,芸備祭裳全員一致だった  のに,ある人が強く反薄なさって,ダメになつ  たっていうことがあって,すつか撃イヤになつ  てしまった。思秘鐵したくもな雛思い鐡になつ  てしまったんです。ヂよいとまけ並を墾うのに,

 振9徳姿で曝ってるとかなんとかいろんなこと  いわれた讐……α醸人的な意見でね,左巻され  るなんてね。簿懇先生も「あんたね,芸備祭き  らいになつちゃだめだよ。来年もやっておくれ  よ諺っておっしゃったんですけど,なんかい  やになつちゃってね。

  先生は,この麟の隼に労音の舞会に燐めて鐡  演されているんですよね。この後もうこのよう  な演奏会がなくなってしまっていますね,大き  な匿窮静にな管ましたね。皆さんの反響はどう

(11)

降矢美彌子二醤本飯統音楽召)近代銘・理代髭紅関わる一考察一平毒澄子の実践から一瞬

2i

 でした?

平井 それはとっても好評だったんですよ。これ  が一番面白くて,変わった演奏会だったんでしょ  うね。

一部楽実験室としても,こうして§醤が続いて  大きな1実りがあったのでしょうね。

単発 そうですね。一番大きな実験室だったです

 ね。

一残念ですね。音として残ってないのがね。音  として残ってなければ,今私たちはわからない  のですものね。

平井 録音はとれたんですよね,この墳はもう。

 だけどもとらなかったと思いますね。写真はあ  9ますよ。

 紹報2§年に騨かれた「都楽ササイタル」平聾澄 子都楽実験室第i騒発表から,曙報認年のこの第 5回都楽ササイタノレ平茸澄子まで,欝年にわたっ て平菩はその名のとおり,邦楽の新しい可能性を 求めて,優れた音楽学者などの協力を得て,演奏 と作薩の爾藏で文字どおり軟新な実験的な試みを 重ね,多くの成果を上げてきた。

 平拝は,昭穣32奪には代表作ぎ)ゼ窮支丹道成寺涯 で警衛祭の警衛祭震1を,平井纒1入の婆サイタノレと

しては締めて参撫した昭秘縄年の第彗繕発表で,

芸術祭の奨励賞を,また,瞬じ年のC露C灘樺の

「蕨人爆らず窪でも共演の謄本文弥とともに奨励 賞を受賞し,社会的にもその成果が高く詳細され ていた。

 単弁は自らをひけらかすことを好まぬ大変謙遜 な入構で,第垂罎発表の聞き書きにも明らかなよ うに,この時も周りの勧めで,窮めて警衛祭に参 擁した。第逢霧発表の奨励賞受賞の後の,第5籔 の1タサイタルの再度の芸備祭参撫は,平井はひそ かに窮するものがあったのであろうし,縫会的に もそれが妥当牲の強いものであったことがプ霞グ ラムに寄せられた多彩な一文からもうかがえる。

 昭報の二十・三十年代はラ平井も語っているよ うに,女がものを書いた幸することがなま恥きで あるというような風潮む書,辱寺垂こ邦楽罪ではまだま だ強く,平茸は,第3羅発表から締めてプ霞グラ ムの解説を馨身で書籍ているが,第3縷発表の調 子は大変につつまし雛。第雀麟発表では,祷めて の自らの婆サイタルの芸術祭参撫もあってか,自 分の考えを控え§ながらも主張する調子に,微妙

に変化し,気負騨というものが感じられる。

 この第5園では,解説の霞講垂こは,気負いでは なく平井らしいちゃめっけすら冤られるようにな

聾,そこに平井の社会的評懸紀裏付けられた露繕 を読み取ることができる。

 平井自身,この第5騒リサイタルは,5繊のな かで最も楽しく,満足し,聴衆の反応も最も良く 会場の朝露新縫鮭からも好評で,もう一度やって 下さいといわれたと語っている。

 この第5醤ササイタルは,i8懇芸術祭において 平井によれば,満場一致で芸術祭裳の受賞が決ま るところ,一人の審査委員の強い反対で,受賞す ることができず,これまであれだけ受賞している 平菩さんは,また奨励賞なら欲しくないだろうと いうことで,まったくの受賞なしの結果に終わっ

た。

 平井にとって芸術祭賞は目的ではなく,音楽的 な麟造的な意欲の発露として行ったササイタルで はあったが,この結果と,そこに至る経過は単弁 にとって葬常に大きな打撃で,騰き書きにあるよ うに審査委員の一人で,平茸をバック・アップし てきた臨懸が,「平井さん,こんなことで芸術祭 をいやになってはいけないよ。3と励ましたの紅 もかかわらず,平井はその後2度と嚢ら芸衛祭に 参撫することはなく,また,このような平茸の演 奏会は,その後欝年間にわたって再開されること がなかった。

 もちろん平井のこの展開は,芸術祭の審査の問 題は嚢接的な原露であってもッそれだけが原灘の 全てということではなく,そこに至る隙こ家元麟 度から飛び鐵し,次々に当鋳の邦楽舞のワクから 大きくはみ出した軽新な試みを続けるラ邦楽界の 中の異色の鬼才.優れて合遜的遷論的女性であっ た平井は.様々にわ惨きれ無い思いもし,今で善 う女性差琴彗に無念さも味わってきたという背景が ある。

 雑本音楽の多種黙をきわめた平井の,当鋳の最 も進んだ音楽学の成果を全面的に取塗込んだ,転 新で意欲的で,多くの縫題提起を含んだ「邦楽実 験室燵は,多くの成果を生んだものの,ここで送 切りを還える。

 このr邦楽実験室窪の実験は,第葺こ,戦後の 混鼠から一段落した社会の状溌のなかで,「霞本 式の歌懸墜を{乍ること櫨,つま!),真の嚢本音楽 の倉彗造方§当時の邦楽と懸洋の双方の音楽家たち善こ

(12)

22 橿鳥大学教育学藻論集第53号

とって雛実な課題であった⑦という,当鋳の露承 の音楽弊の状溌が背景睾こある⑪

 窮2には,騒本伝統音楽の家元鋼痩のわくを越 え,雑本音楽の多種藻を究めた単発と,それらの 当蒔の最も進んだ音楽学者たちとの共講的な作業 であって窮めて驚能であったと奪うことができよ

う。

 さて,筆者は平#の欝年1こわたる5醤のこの濃 奏と作誌の「鐸楽実験室」は,以下の3点で響本 伝統音楽の近代化・現代化に大きく貢醸したと考

える。

 その第i点は,伝統音楽の近代化・麗代乾きこは 家元舗穫の枠を越えた.各ジャンルの真の交流,

総合が,不罵欠であることを身をもって示したこ

と。

 第2点隷,我が国の伝統音楽の透代化・現代牝

の彗つの方法を実践的轟こ示したこと麟。それ.らは,

伝統音楽のそのものの継承,馨本音楽のかつての 豊霧化の源流となったアジアの葭簾音楽の級鞭,

異文化である護洋音楽の籔叡,そして作薩活動で

ある。

 第3点慧,譲奉音楽のためのどの淀瀬にもと

らわれな鵠,濤1奉の歌鵠方を盤三み欝したい珪,ヂ饗 本の伝統を伝承発展させた誰で翻二選ずさめる,嚢 本の歌というものを作参た鵠まという2つの平葬 のライフ・テーマ購が,第重圏発表藝寺にはまだ意 識イ乞まではさ津しな寿》つたもの力量,次第碁こ形をと参 始め,最終的毒こは「邦樂の発声と技法の為の試み」

と「小畠集」,「小さな曝盛として結実させたこと である。これらの成果によって,平i丼澄子は藏本 伝統音楽の透代化・遷代化において決定的な大き な足蹄を残したと考えるのである。

 筆者は.今欝の鋳点から,平井のこの意欲的な

「都楽実験室雄の仕事が,ここで打ち切られたこ とは,実紅残念であったと考えると講鋳に,実は 平昇が紹籍二十年代の終りから三十年代で行った

これらの成集が事十分に継承発展させられていな いことを,残念に思うのである。本藩究は,筆者 のこの患いからスタートしたということもできる。

 しかし,平芽はその後のi3年隅,演奏と作麟の 活動を行わなかったのではなく,筆者は,続く平 井の活動もまた,形を変えては翻るものの,この ド蔀楽実験室まの活動から一貫した,平井の理代 に生きる,騒本の伝統音楽の追究の廷事藷発展で あるとi認識するのであるe

簿93奪3月

 この認識から,本編は,平i拝の驚奪誌こわたる

「部楽実験室」の仕事についての考察が中心主題 だが,単発のこの「都楽実験室まに続く,その後 の麗麗起ついても,若干ふれておきたい。

 平昇は,紹憩39年以降,経年安保鶴争を経て大 きくも鯵ま二がって雛た新たな巽主的な音楽運動,

労音とタカクラ・テル氏に鐡会い.これまでの邦 楽界における活嚢紅ない新鮮な感動と騨激を得て,

新たな形で演奏と作麟(昭鞍鱒年疑族楽懸rふき の会」を麟立1,そして,今度は教育(昭報欝年 東京労音民籔音楽教室を麓設〉の活嚢を換えて,

精力的な活動を展擁する。 と講無毒毒こ,昭1穣39年よ り東京学芸大学の教員を馨指す学生を対象に,箏 と三華表線を教え嬢めた。こ6)教育活動は集羅著蕎導 で,家元覇痩をとってきたこれまでの邦楽罪には ない新し鯵教授形態であった。

 単発はラベルカント曝法など合理的な発声法を 持ち,音楽学校など合運的な簿1痩のなかで誰にで も望む学生には,それが教育される西洋音楽に比 べて,講本伝統蓄楽は,纈かい種羅に分かれ,家 元講度のなかで交流することなく,疑本伝統音楽 共通の合理的な発声の捲導方のないことに多くの 弱題意識を感じていた。

 平井1ま彗本の伝統音楽の発声は西洋音楽に比べ て,劣っているわけでも,非会遷的なのでもない

と考えて募る。この単発の問題意識は,早くから あり.この課題の探究が奉拝の特長の一つでもあ る,麟本音楽の多種§をきわめていることにつな

がる。

 平井は,自身の活動について,後年,「どの流 滋強こもとらわ津しない,騒本の歌い方というものを 生み鐡したがった」{鋤と語ってお酵,第4麟発 表,第5羅号サイタルで取彗..ヒげた「邦樂の発声

と技巧のための試み3は,その重要な実謬の一つ

である。

 平井はまた,疑本は,瞬治以来,当縛の欧化懇 懇のなかでラ教育麟度のなかでは,茜洋音楽を編 重し,海国の伝統音楽を取彗搬ってこなかったこ

とに,と参わけ多くの縫題意識を持っていた。

 平≠事は, このような開題意識から,教育, と参 わけ子どもの音楽教育や都楽の教育の方法に,大

きな縫心をもって雛る。平拝はラこの新たな労音 と東京学芸大学でぎ)教育活動に,正1こ承を得た魚 のような,新鱗な喜びと意欲をもって取鯵組み,

多くの成果を上げた。

(13)

降矢美彌子:難本伝統音楽の近代化・醗代髭に灘ま)る一考察一平井澄子の実践から一鶴 3

?一

 平井の教育方法は,西洋音楽の教育方法のよい 点を取箏入れた酸類的なものであった。平井は後 年,次のようなエピソードを譲っているがシ労音 での単発の指導を物語るものとして興辣深い。

 繧秘磐年率聾澄子の「還暦難いまの鷹で,東京 労音無き族音楽i教室のメンノぐ一約3§名が,平井作懸

の「新醸さく嚇などを演奏した襟,箏麹く欝城 会>を主宰する重要無形文化財保持考の宮城喜代 子氏が「ああいう人たちがああいういい音をだす のねえ。私たちも負けてはいけな雛わねえ。」と の感雛をもらし,霞遜流の箏麹家で,欝本芸備院 会轟,重要無形文牝財保持者の中饒島歓一一氏は,

r本当に真鑓紀弾いているんだねえ。いい音だね え。」と語ったという。

 平井は東京学芸大学では,董奪腿の授業で,学 生2名紅一襲の箏を持つよう1こ,2人纏にして,

箏の名蕪八橋験椀乍麟r六段の講べ」,吉沢検校 作懸の「千爲の謝手事の藩分まで,三昧線で

「勧進襲重の寄セの合い方の部分や「越後繋子」

の一部を,弾けるようにした。これ諺,これまで の都楽の教授スタイルからは,考えることのでき ない函難的なスピードである。

 筆者は,本:醗究のテーマからは外れるが,平井 のこの箏と三三嚇ミ線の教授法もまた, これ、までに遽 べた彗本の曝に共還する発声と発音紅おける成果.

伝統の発展的継承から生まれた小品集などの「騒 本のうたまの{乍懸ととも轟こ,平井の蓉本伝統音楽 の近代化・霧代化への業績であると考えている。

 また.演奏や鐸慈の面でも,平井慧邦楽界とは 全く箋なった,新たな環境のなかで, これまでに 接したことのない勤労者という聴衆と,タカクラ・

テル氏による新たな題材と,戻族楽団ヂふきの会曇 という演奏仲翼を得て,精力的な活動を繰参広げ るのである。

 蔑族楽想ヂふきの会」は,単なる演奏集覆と違っ て,会長に蜜透轟雄.麟会長に籍灘佳聲.顧翼に,

柞麗互都,清瀬保二,小泉文夫,小蜜濤成,原太 躯.戯糧銀二という当籍の叢も優れた膏楽学者や 作麹家をすえ,会員は平聾澄子,坂昇敏子,大塩 寿美子,会友は積出政司という労音の集羅で(最 擁は会友として攣藤松博(醗訟超/,沢警思夫,

横出勝毯,青本静夫(環鈴慕〉氏らが撫大してい た。横海致溝は後隼樵人),平井にとって,最高 のブレーンと長年の活動のなかから得た気心のよ

くわかった演奏伸翼の講方の入った,多くの可能

挫をもった集毯の誕生であった。

 民族楽醗「ふきの会ま1ま,欝幾年を記念して舗 馨したレコード!掛に,その麟立の趣露について 次4)よう毒こ寵している。

 「鎗隼安保の震いの中で,勤労者・学生の鶏に 漢族的誇}ラや露覚が高ま穆, 藏本の伝統文農藩こ対1

して深い開心をもつようにな谷ました。しかし,

これまでの舞本の伝統音楽は,若い人にわか撃難 い点も多いので,労音は,家ず,民族憲楽教室を つくり,又,労音の擁会に取馨上げるため,歎労 者に共鳴出来る内容をもった新しい鐸品をつくる 運動を始めました、罠籔楽懸「ふきの会まは,こ の運動に答えるために,会長霞辺尚雄,講会長

(敏/瞬遜佳養護先生にいただき,瞭総年3月麟 立され豪した。淫

 平井は,労音の縫会という新たな音楽会の形態 で,罠放楽蟹ヂふきの会」と東京,函館,長岡.

嬉酪,撫古鱗.赤穂,宍粟などに麟設された罠族 音楽教室のメンバーとともに,籍しい漢籍を全露 各地で演奏して蟹つた。この総に作麹された平芽 の作品は,欝総隼の「新麟 佐倉義民伝 甚兵衛 濃しの場の段ま(タカクラ・テル作〉から始まって 多数あるが,最後の年譜を参考されたい。

 本醗究は,本来ならば当鋳の音楽雑誌や新開な どの奉入隊外の資料からも検証する必要がある懸 究テーマであったが,それが鐵来なかった不十分 点は今後に残る課題であると考えている。また,

平井の記憶が鰻蘇になっている事櫓もあったが,

その点の不十分点も,筆者の今後の課題と考えて いる。もし本文にあやまりがあれば,それは全て 筆者の責任に帰すべきものである。

 本懸案の,最も大きな問題点は,単発の馨本伝 統音楽の近代化・理代化に果たした業績について,

そのどれが近代化で,それ以外のどれが現代化で あるか,という分析ができなかった点紅ある。そ れ以麟に,El本伝統憲楽の近代化,現代化の機念 燭定をすることができなかった。今後に残された 筆者の課題であると考えている。

 最後にあたり,勝有する全ての資料をご提拱く ださ参,長時闘にわたる聞き取蓼にも快くご協力 くださった平井澄子先生に心から感謝を捧げたい。

 なお,§回の翼き書きのテープ起こし,プ蓑グ ラムやヂフィルハーモ』二一ユ誌からの再録のワー プ欝打ちなどにあた琴,擁沼紀子シ曲輪純子,狗 麟圭子,宮武文子,半澤ゆか琴の各氏にお手伝い

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福島大字義官学藻論集第53響 いただいた。ここに記して謝意を表したい。

r近糧縫本音樂の発聲に就紅・てま5〉再録のついて  平井はシ女髪生力量ものを書いた参することのな力玉つ た当鋳の邦楽雰にあって,必要以上にへ箏くだっ た調子で筆を進めている。再録にあたって,平井 はそれらに若干の訂藍を越えることを,希望した。

カッコ内は,平井の現在の馨寺点での訂正である。

なお,平i拝は三絃の寸法紅ついて,もう一度正確 に計る必要があるとしているが,本稿では当鋳の まま再録した。

ギ近雛欝本音樂の発聲に就いて遷

平霧澄子  穣こ与えられた題醤はゼ近琶嚢本音楽の発声法 について遜と琶うのです、とても擁しくて,仇や おろそかに発表趨来るものではありません。従っ て私のこの小文に対して,百千の反論が綴ること を覚懐して居合ますが,私線これを遷譲とは思っ て居りません.理譲以蕩のものであると考えて屡

箏ます。勿論決定的なものであ滲ません。これを 読まれた方々が,更にいろ輪ろの御意見を擁えら れて,本当の登本音楽発声の遷論を作って襲きた い,というのが私の念瀬であ滲ます。天地未だ定 まらざる時渡海たる中に生れた一つの点滴,と思 って頂きたいのです。これを育てて下さいますよ う皆様にお瀬い致します。

 もとよ讐無学の(灘齢.無学の〉私は,生還学 も知らなければ,発声器官の構造もその共鳴理論 も知りません。全く無茶な謡ですが,私の意験す るところは,流濠垂こ縫われ.ない,本当の意嚇ミでの 8本の歌手になることなのです。勿論その申には 不得手なrものもあり,得意なものも鐙来るでしょ

うが,洋楽の歌手の方々が,各羅のオペラやサー 容,異議を歌われるように,露出に歌いたいとい う希望を持って居箏ます。そしてこれは(癬筆.,)

単垂こ,私欝身の勉強の対象となるばかウでなく,

将来.それも這い将来に,馨本音楽をやる人達の やむなく至彗達させられる問題でもあると思うので す。いつまで現在のように,長曝や箏を教えて,

安閑と暮して艦られますことか,現在のように,

絞れ簸れて生じた種々雑多な流濠が,やがては統 一される麩が来るに違雛あ静ません(小職の中に は約瞬十種の濠がある!〉脅統一と申しますよ拳,

嬉93隼3得

だんだん数尠くなっての,止むを得ぬ統一だと思 います。その縛どんな形でこれ等の流濠(撫筆、

の特色}力宝残されますカ㌔

 驚襲(趨筆.珪聲/先生は嘗て私にζ豊後系統 の浄る竃)は一本をこ(現在常磐津・新内・清元の飽 に竃本・薦八・繁太夫がそれぞれ総々と残ってい ます〉一中簾や薯薄蒙嚢鐸のようなものはッ長羅と由 蟹流箏麟の中紅包含されるよう1こなるのではない か磨と濃らされたことがあ警ます。(只今繁太夫 は地曝の中の一分野として幾っています。/そう なった場合,少しでも発声の醗究がなされて居れ ば,ごく僅かな流濠の匂いも保存されるのではな いか,と(欝正。かと)はかない望みを持つのです。

 ここにもう一つ考えなければならないことは,

鞍入の遵の縫えた流撮を,どうして若い人達に難 強して貰うか,ということです。勢い地に牧人の 道を確保した上でなければなりますまい。私は都 楽の各流濠を贖うばかむでなく,ジャズ・ソング やシャンソンの様なものを,都楽の発声を舞撰し て曝えるように,と考えるのです。一寸共通な感 じをうけるからなのですが一…ゆこれが可能なら ば,一寸した発声の工夫,一方で新内の難強をし ながら,一方ではジャズ歌手として牧人の道をた てることが鐵来るというわけですし,ピアノをや りながら箏を弾くとか,三昧線とギターとか(簾 舞・これは現在もう始まって静る一/,いろいろ 出来ましよう。嚢本音楽をやる人達は,もっと広 い目で観,考えなくてはなら癒と思うのです。

(癩筆涯.いま三十数年たって,箏懸・尺八の殆 どの人は,洋楽系作醜家の音楽をまた自身の作麟 も邦楽というよ蓼洋楽に近騨ものを作っている。

また,菖ックバンドを纏織している人もいる…。〉

 こんなわけで,私は箏弾きとして鐡発しました が,音楽学校で宝生流能楽を,終戦後は籍内と,

醗在富本をやって居撃ます.残方々は二筋道だと か,一つやってもうまく鐡来ないのに,似ろんな ことをやっても験§だとか,やれ五目やだとか八 蒼羅だとか言われますが,私は飽くまでも羅本音 楽一本槍のつも蓼ですし,一つやって下手なら,

幾つやって見ても下手,もし一つうまくなれば皆 うまくやれるという,無茶な礫窟ですが,実際に は謡磯オ愛少しうまくなったと懇1う嚢寺,箏うたも少 し進歩して居ウますし,浄る拳のセ壁フが出来る ようになると,謡懸もうまくなったよう善こ思われ て露分乍ら興殊深いものがあります。そ蕊で私に

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