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化学と生物 Vol. 56, No. 4, 2018
CRISPR発見から30年
石野良純
九州大学大学院農学研究院日本農芸化学会
● 化学 と 生物
巻頭言 Top Column
Top Column
ゲノム中の特定の遺伝子を狙って改変す るゲノム編集技術は,ポストゲノム研究の 主役として生命科学の発展を加速させてい る.筆者が大学で研究を始めた1980年当 初は,試験管内で遺伝子を切り貼りして生 きた細胞に導入する遺伝子工学技術が利用 され始めた頃だった.遺伝子を切るはさみ の制限酵素と糊の働きをするDNAリガー ゼの基礎研究を主題に修士論文,博士論文 をまとめる過程で,狙った遺伝子をクロー ニングし,その塩基配列を正確に読み,ま た特定の遺伝子産物を多量に産生する実験 を進めながら,生命科学が進歩していくの を実感した.博士論文がまとまった後に 行った大腸菌リン酸代謝制御の分子機構研 究の中で,独特な繰り返しDNA配列を発 見した.二回回文配列を含む29ヌクレオ チドの共通の配列が一定の間隔をおいて何 度も繰り返されていた.繰り返し配列の長 さが一定にそろっていること,そしてその 配列の間隔も一定であることから,これが 偶然の配列でなく,間違いなく何かを意味 していると思った.筆者はこの後アメリカ へ渡り,ポスドクとして異なる研究テーマ に移ったので,この繰り返し配列の解明を 諦めたという意識はなかった.その後,こ の特徴を有する配列は大腸菌だけではな く,ほかの細菌やアーキアからも報告さ れ,やがてCRISPRと呼ばれるようにな り,その機能が原核生物の獲得免疫を担う ことが解明されるまでに20年を要した.
CRISPRの機能解明自体が素晴らしい研究 成果であるが,さらに,それを利用して実 用的なゲノム編集技術開発に繋げた研究者 の応用力に深い感銘を受けた.
CRISPRの研究が海外で進んでいる時 に,筆者は超好熱性アーキアが極限環境に おいて自らの遺伝情報を維持伝達している
機構を解明するための基礎研究に大きな興 味を覚え,CRISPRの謎解きは忘れてし まっていた.企業から産官学プロジェクト を経て大学に職を得た後も,次々に新しい ことが見つかるアーキア研究に夢中になっ た.しかし,筆者が大学に異動したのは,
大学改革の大きな波が押し寄せた時期で,
翌年には国立大学法人化が行われた.大学 の研究が何に役立つのかが問われ,世の中 に直ぐに役立つ研究が望まれ,特許出願が 奨励された.大学本部からは大きな声で研 究費獲得が叫ばれた.企業研究員のときに 憧れた大学の基礎研究環境は吹っ飛び,近 距離で役に立つ応用研究重視へと転換され たことを実感した.それから16年が過ぎ,
この大学改革はますます顕著に表れてい る.筆者も研究室活動を維持するために,
企業在籍時にも増して応用研究を常に考え ている.それは重要なことではあるが,基 礎から応用まで広く研究する学問分野であ る農芸化学の特徴を発揮する余裕が,現在 の大学にはなくなっているようにも感じざ るを得ない.全く意味のわからないものを 発見しても,それを続けて研究できる環境 は今の大学にはもうなくなってしまった.
筆者がCRISPRを見つけたとき,それがゲ ノム編集に利用可能であることなど,間違 いなく誰も考えなかったし,米国の大学院 生がイエローストーンに生息する好熱菌の DNA合成酵素を研究していたときに,そ れがPCRの実用化を実現されることなど,
誰が想像しただろうか.出口はわからなく とも未来につながる研究の芽に取り組もう とする人を励まし続けられる研究環境が強 く望まれる.
Copyright © 2018 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.56.237
プロフィール
石野 良純(Yoshizumi ISHINO)
<略歴>1983年大阪大学大学院薬学研究 科博士前期課程終了/1986年薬学博士/
1987 年 Yale University Postdoctoral fel- low/同年宝酒造バイオプロダクツ開発セ ンター GL/1993年宝酒造バイオ研究所主 任研究員/1996年生物分子生物研究所主 任研究員/2002年より現職<研究テーマ と抱負>超好熱性アーキアのゲノム安定性 維持機構の解明と有用遺伝子工学技術開 発,新規ゲノム編集技術開発など<趣味>
スポーツ(最近は専ら観戦ばかり),ねこ
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