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化学と生物 Vol. 52, No. 5, 2014
巻頭言 「農芸化学」の勧めTop Column
稲垣賢二
岡山大学大学院環境生命科学研究科Top Column
本年は学会創立90周年の記念すべき年 に当たり,7月に東京で創立90周年記念の
「化学と生物シンポジウム」が開催される 予定である.そうしたときに改めて「農芸 化学」という言葉の大切さについて考えて みたい.8年前の2006年に小生は『バイオ サイエンスとインダストリー』誌の「バイ オの窓」に「農芸化学は死語? ―その復 権を考える―」という拙文を書いた.この 記事はその年4月にスタートした岡山大学 農学部「農芸化学コース」の紹介であっ た.全国の国立大学農学部から「農芸化学 科」という名称が次々に消えて以来,コー ス名ではあるが「農芸化学」という名の教 育組織が国立大学に復活した最初のケース であった.記事の中で筆者は,東京駅近く の大手書店専門書コーナーに「農芸化学」
が分類項目としてないばかりか,「農芸化 学」という語句の入った書籍が一点もな かったことに驚き,さらにネットで調べて も,わずか2件『農芸化学の事典』(朝倉 書店)と『京都大学農芸化学実験書』(産 業図書)だったことなどから,書籍で見る 限り「農芸化学」の言葉が,ほとんど死語 となっていることを嘆いた.この記事を書 いてから8年,このような出版業界の状況 は,残念ながらあまり変わっていない.学 会創立90周年の節目の年に改めて「農芸 化学」の言葉の復権を訴えたいと思い筆を 取った.改めて申すことでもないが,日本 のバイオサイエンスの基盤学問分野であ り,現在のバイオテクノロジー全盛を支え てきた「農芸化学」.1980年代には,ほぼ すべての国立大学農学部に「農芸化学科」
があり,遺伝子組換えや細胞融合などの新 技術の開発,進展の中,活気にあふれてい た.その後の「大学改革」の中で講座制の 解体とともに学科の解体,編成が行われ
「農芸化学科」がなくなり,「生物資源学 科」や「応用生命化学科」などの名称に変 わった.現在でも農芸化学を冠する学科,
コースは国立大学では岡山大学のみ,私立 大学でも明治大学のみという残念な状況で ある.では「農芸化学」は通用しない言葉 かといえば,そうではない.科学研究費補 助金の「分科」名として今も重要な学問分 野であるし,本学会の大会には毎年2,000題 の口頭発表,5,000名を超える参加者で活 発な討論がなされ,支部も全国各地で活発 に活動している.今も「農芸化学」は,日 本のバイオサイエンス,バイオテクノロ ジーの中核を担っているので,「農芸化学」
の言葉が再び普通に見られるようにしたい と思っている会員は多い.近年学会執行部 でも「農芸化学」復権に向けての議論がな されている.東京大学農学部では,講義科 目として「農芸化学概論」が復活し,昨年 4月に『実験農芸化学』(朝倉書店)が復刊 された.全国の大学でこのような動きが活 発化すれば,大きな流れとなることが期待 できる.「農芸化学」ルネサンスの実現の ために,この場をお借りしていくつか提案 したい.この際「化学と生物シンポジウム」
を「農芸化学シンポジウム」と改称しては どうだろうか.「化学と生物」という言葉 は,農芸化学を啓蒙するために非常に良 かったと思うが,肝心の「農芸化学」とい う言葉がすたれてしまっては,元も子もな い.今こそ「農芸化学」を堂々と掲げるべ きだと思う.さらに学会として「農芸化学 実験シリーズ」や「くらしの中の農芸化学 シリーズ」の刊行など積極的に「農芸化学」
という言葉の入った出版物を出版すること が,今望まれている.各大学で改組を検討 の際には,「農芸化学コース」や「農芸化 学科」,「農芸化学研究科」の設置を検討し ていただきたい.さあ,今こそ「農芸化学」
ルネサンスを.学会創立100周年を迎える 10年後の2024年には,再び「農芸化学」
が日本中でごく当たり前な言葉になってい ることを切望して筆を置くこととする.