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第二章 憲法学の諸部門――その課題と方法

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(1)

憲法学グ)議題と方法について貸(新 1難解)

競究ノート

憲法学の課題と方法について

     ーーひとつの中間的所見−ーー

︵二︶

はじめに第⁝章 緒誌−一−残された諸開題ーー

 第﹃簾 宮沢俊義教授の﹁憲法学﹂

 第二節 小椋薩簿教授の﹁憲法学の課題と方法﹂

 第三簾 ひとつの中黙的露見︵以上本誌三巻羅号︶

第二章 憲法学の諸離門−一−その課題と方法1一

 第一籔 寵遠憲法学一憲法史

  ︸  意義

  二  特質

 第二籔 理論憲法学︵その↓︶一憲法廷会学と憲法学︵狭義︶

  ︸ イエ夢ネックの﹁蟹家後会学﹂と﹁露法学﹂の分類とその問題点

一226一

(2)

法学の課題と方法について穀〔綾 置薬

  二 焼籍的法学と縫会学的法学︵法縫合学︶の欝係

  三 憲法縫会学と憲法学︵狭義︶の課題と方法

  露 残された麗麗−−⁝法命題の理論と憲法学−Ii︵以上傘骨︶

 第︑韓麟 礫論寒法学︵その二︶一一般憲法学・特殊憲法学・醸驚憲法学

 第醒簾 応罵︵実罵︶   一憲法解毅学と憲法政策学

むすび

第二章 憲法学の諸部門一−一その課題と方法ーー−

 さしあたり憲法に関わる縫合約諾環象をひろく憲法現象と縛ぶならば︑憲法学とは︑憲法褒象を対象とする

経験科学であるということができる.憲法堤象は︑憲法に鷺わる縫会的譲受象をいうのであるから︑それは棲

めて多様である︑その多様な憲法現象をいかなる方法によって縫え︑そのいかなる性質を知ろうとするかに応

じて︑憲法学の分化が生じる.憲法学も一つの経験科学であろうとするなら︑憲法学の分化もまた︑経験科学

のあ辱方に難して考察されなくてはならない︒

 経験科学は︑これまで種々の発地から分類されてきたが︑その方法によるとき︑まず︑記述︵敬遠︶科学.理

論︵讃明︶科学・応罵︵実綿︶科学に大勝することができる.イェ夢ネックは︑新カント学灘とりわけ西南ドイ

ツ学灘の認識識・方法論に基づいて経験科学をこのように三部門に大慰し︑それに夥して﹁国家科学﹂を︑﹁記

225

(3)

行致縫会論集 第謹奏 第i馨

違約麟家学﹂︵歴史ことに酸治吏ないし縫会史︶︑﹁講論的睡家科学﹂︵馨家学︶︑﹁応灘的隣家科学﹂︵敬治学︶婁二部

醗に分類し︑絹互の縫係に漆馨しつつ︑遅論部醒たる曝家学に焦点をあて︑︸方ではそれを﹁露家裡会学風と

﹁羅法学﹂に区罰し︑地方では二股瞬家学﹂﹁特殊国家学鳳﹁燧懸羅家学﹂に区窮し︑それぞれの課題と方法

を明らかにしつつ︑一般馨家学のレヴェルにおいて羅家現象の全棒を鍵論的に解隣しようとしたのであった︒し

かしながら︑そこには多くの開題点が含象れていた.このような問題点を方法の純粋姓という見地から内在的

に紬墨・換覇し︑イェ︾ネックの馨家饗論・麟法餐論をさらに深化・発展せしめたのは︑ケルゼンの国法運論・

純粋法学であった.本穣は︑このようなイエ婆ネックの⁝般蟹家学︑そしてと鯵わけケルゼンの一般国家学・

純粋法学が︑憲法学の譲懸と方法を考察するにあたっても︑実証主義的・経験主義的見地から⁝つの体系的.

統一的観点を示したものとして今騒もなお淡してその礫譲的意義を失っていないとの基本認識に立って︑右の

経験科学の三分類に必要な修蕉を燃えつつ︑それに癒して憲法を︑︹玉︺記遠憲法学︵憲法塗︶︹建︺蓬論憲法学

 ︹購︺応薦憲法学︵憲法解釈学と憲法政策学︶に大勝し︑さらに︑︹賢︺の遷論憲法学を一方では緋憲法社会学と

鋤憲法学︵狭義︶に︑縫方では後者を一緩・特殊・懸懸憲法学に区甥し︑もってひとつの中開的藤見として醸稿

の補充・補完をはかるとともに︑禽憲法学の諸部門の分類の方法論的基礎を瞬らかにしょうとしたのであった.

 本稿第二章は.以上の考察をふまえて︑右憲法学の諸蔀醗の楊叢の縫係︑したがって憲法学全体の体系性・

統一性をつねに考慮しつつ︑各部鞘のそれぞれについてそれ懸有の課題と方法を考察しようとするものである.

一・ Q24

第 簾記述憲法学一憲法史

意義

三一三

(4)

憲法学の課題と方法について⇔(新 藍三韓

      鵬

 憲法堤象は︑あらゆる社会堤象と疑様︑いうまでもなく無羨提に真空の内に生ずるものではない.いずれの

憲法も︑或る特定の政治的・経済的・桂会的・文髭的諸条件の下で生成し︑発展してきたものであり︑これら

の諸条韓を離れて︑それ自体で存姦しかつ存続するものではあ鯵えない︒この意味で﹈燐の憲法現象は︑﹈

つの歴史的堤象として︑飽の縫会約諾現象と吟わけ政治・経済・文化的藷現象と密接な関係をもちつつ︑過去

に生成・発展し︑そして饗在に至ったものである.しかるに︑現在の憲法堤象もまた︑暗闘の流れにおいては︑

掌に遍ぎゆく⁝瞬の現象にすぎない︒この意味で・︸燐の歓会現象は︑本来的に歴史的牲賂をもつ・

 かようにして︑憲法理象をひとつの歴史的現象︵事実︶として考察の対象とし︑歴史姓︵暗闘姓︶において︑

その生成・発展ないし消滅の経遍を確認して整序し︑記述しようとする記述憲法学︑難ち憲法史が生じる︒

 しかしながら︑このような記述は︑もとよ吟認識論上無羨握になしうるわけではない︒それには︑ ﹈定の

﹁観点﹂を必要とする.

 第一に︑歴史的事実の確認が史料に基づき実証的︵幾判的︶に行われるべき.矯とは当然であ陰︑これが侮より       ︵亜︶も歴史学が︑したがってまた憲法史が科学た善うるための第一の﹁基本的な条件しであることはいうまでもな

いが︑しかしこのような歴史的事実の確認は︑決して無前提になしうるわけではない︒それには一定の﹁観

点﹂を必要とする︒なぜなら︑それがなければ無畷に多様な遍去の事実の中から︑知るに値する﹁歴史的事

実を漬してそれを籍薯呈廷不罷だ奮で乞伽あ蔑で・憲︑翼酷弛︑すで隼観

       ︵3︺点﹄による事箋分曇掛という仕事がおこなわれている﹂のである︒

 しかし.﹁歴史的事実﹂を確認するだけでは十分でない.第二に︑飯説ないし法則︵歴史法則ないし歴史理譲︶

を必要とする.﹈定の観点から知るに纏するものとして選撮され確認された憲法瑳象と飽の縫会約諾環象との

一一一一 Q23

(5)

行敢桂会論集 第4巻 第i移

閥の歴史的諸連縫において捲定さ為た︸定の仮説ないし法財を必要とするのである︒なぜなら︑それがな轄れ

ば︑無鰻に多様な退去の事実の中から選探し確認された﹁歴史的事実﹂を整序して︑一つのまとまりのある歴

史的認議︵歴史豫︶をうることは︑邸ち歴史的過程を﹁叙遠﹂することは︑不可能だからである︒歴史的遍程の

かかる﹁叙述篇こそ︑歴史学が︑したがってまた憲法史が科学たりうるための第二の﹁基本的な条件痛であり︑      ︵謹︶その﹁本質的属性幅をなすが︑かかる歴史の﹁敏速﹂には︑一定の絞説ないし法則︵歴史法則ないし歴史理論︶

を必要とするのである︒この意殊において︑憲法現象の生成・発展ないし消滅の遍程をその歴史性において記

述︵隷這︶することは︑属時にそれを﹈定の仮議ないし法則︵歴史法則ないし歴史理譲︶によって説明することで

あり︑このように読窮することは講時に記遠︵叙逮︶することであるといわなくてはならない.

 イェ婆ネックは︑先にみたように︑﹁記述︵叙達︶﹂科学と﹁婆論︵説瞬︶﹂科学を区題しつつも︑講者の区

霧を﹁極鰻凝念﹂とし︑と鯵わけ縫会科学においては︑講者の聞に﹁厳賂な境暴線をひくことは容易でない﹂

として︑国家学は﹁遅論︵説瞬ご科学であるが︑瞬時﹁記遠︵叙逮二科学であり︑醗家現象を﹁講述賦する

ことは︑懸時にそれを﹁説明﹂することであるとしたが︑そこでは疑に︑﹁驚家が示す多織姓に応じて︑国家が

観察される多くの観点が存在する﹂︵︑緯鵬墾譲鵬翼︶という基本命題が示すように︑認識の方法以麟にそれから

権蝿的に自立した経験的実在そのもの︵したがって︑それに内在するそれ自体の性質︶が鑑定されているので       ︵5︶ある︒この点も︑ヴインデルバントの認識論に椿応ずるが︑しかしそこにいう﹁観点篇を方法論的に︸繋させ

るならば︑そのような鑑定は︑結局は﹁優説購ないし﹁法則﹂という方法による推定の開題に帰着せざるをえ

ないであろう.現にイエ婆ネック露身︑﹁蟹家学の方法論﹂として﹁類型賦論を展麗し︑実質的にはそれを認め

ているのである.綾がそこでも﹁国家学の婚家としての類型﹂としてそれを論じている点に右の特質がはっき

       五

一一 Q22一

(6)

法学の課題と方法についての(新 置幸)

      一︑       主ノ

リ示されているが⑦︹W無i訳二七翼以筆参蕪.傍点筆者︶︑まさにそこにおいて﹁類型縣という形で或る種の﹁仮

説﹂ないし−法則恥が示唆されているのである.したがって要は︑後にみるように︑﹁仮説﹂ないし﹁法購﹂︵渥

隻法舞・歴史理論︶をどのように運解するかの閤題に帰蒼し︑そのような﹁飯説無ないし﹁法則﹂の構成ないし

探究それ自体は︑もはや或る特定の轡勝の憲法理象の史的分観を超えた︑一般憲法学ないし特殊憲法学︵建較

憲法学︶の鎖域に属するが︑ともあれ︑﹁仮説﹂ないし﹁法則隔なくして歴史学が︑したがって憲法史が﹁科学﹂

として存立することは不可籠であるといわなくてはならない.

 かくて︑憲法隻とは︑憲法現象をひとつの歴史的堤象として考察の蠕象とし︑歴史牲︵時闘難︶において︑そ

れを実謹的︵換朝朗︶に確認するとともに︑確認された憲法饗象稲叢の内滋的および勉の社会現象との外姦的諸

関連を観察し︑その歴史的総連性において一定の経験的仮説ないし法則︵歴史法則︐歴史遅論︶を探究し︑それ

によってその生成・発展ないし消繊の経遜を誼述︵叙述︶し説窮しようとするものであるという艶矯とができるで

あろう.かようなものとしてそれは︑法史学の一つに織し︑ひろく歴史学の一分野をなす︐したがって︑政治

史・経済史ないし縫会史と密接な縫係に立つ.しばしば︑それが憲政史という形で叙違されるのが︑そのこと

を示している.しかし︑それが憲法吏である眼吟︑過去の憲法の媛籔的考察を含むのはいうまでもない.なぜ

なら︑憲法史が︑退去の憲法溌象の歴史的︵霞素的︶考察をなしうるためには︑いわばその麟提として︑そこで

の憲法それ自体が侮であるかが燐籔的考察によって騨らかにさ蕊ていなくてはならないからである.︑尾高教授      ︵蒔︶は︑﹁法史学は︑法燈籔学として成立すると瞬時に︑法縫会学としても成立する㎏とされる.法史学と法被会学

繍孫につ㌢饗お後鼻纂碁ず書芸︑法史学皇た織範的考察を墨とすあである.三に憲

洗吏の︑一般的には法史学の特殊性が存するが︑規籔的考察それ自体は︑現在の憲法堤象に対するそれと方法論

22董

(7)

行致鮭会論集 第4巻 第i誓

約に韓ら異なるものではない︒宮沢教授が︑﹁科学﹂としての﹁憲法学瞬を二股憲法学隠と﹁特甥憲法学﹂に分

類し︑さらに後者を︑認識の穀象となる憲法が︑一定の時と翫において遺去に効力をもったものか︑それとも       なすこ

饗窪効力を毫おかを基準とし三憲法奪と魂行憲法学﹂を疑さ莞のも︑古聖うな運解を含むで

あろう︒そこには無隷︑﹁法はいうまでもく歴史の翫産である︒だから︑その硬究にあたって法史の醗究が欠

くべからざる必要であることは︑当然である.憲法も︑もとよりおのおのの毯家の醒産である.︑したがって︑       ハきレその醗究にあたって憲法史の醗究がぜひ必要であることはいうまでもない芋︑基本韓緊存するが︑現在効力

を毫憲法も泥とえば現行の憲法成立塞ゑは現代憲法史よう形で︑それ嚢体重寒史的考努対象と

なる楚碁聖憲法重三現行憲法学石蚤も︑講象で髪くセろ方法露題とし轟対的疑えら

れるべきであろう.︑

 イェ聾ネックが︑﹁記述︵叙遠二科学をもって﹁現象を確認し整序するも2とし︑﹁馨家科学﹂における

藷述︵祭︶誌撃︑奮こと罎塗総藻会書し空た3て箋に発が︑しかし︑篶コ

般曝家学﹂において︑蟹家現象の歴史的考察がなされていないかといえば︑無論そうではない︒むしろ︑あの

大誘著作雲叢多く霧蓼そ藍あてられて客撃ある︑学説史を垂然A募るな畠︑第議痒

誌﹂第三章﹁籔家学の歴史揺︑第二編二鍛蟹家社会学﹂第九章﹁屡家の成立と没落﹂・第︸○牽﹁睡家の歴史

的主簿饗第暴二轂撃学﹂第露華第廉の二主権凝念壅塞.第五章第露憲法史概蟹

第一八章第﹈篠﹁蟹家作灘の歴史幅等々がそれである︒これは︑右にみたように︑図家学を﹁遽論︵議瞬ご科

学と位置づけつつも︑それが﹁国家とその現象形態の特徴2鉱毒聾を確認篇するかぎり︑﹁記遠㌫科学であり︑

そのような﹁記遠﹂は闘詩に﹁説瞬﹂であるとして︑特に㎜般醸家学の中での国家の歴史的醗究を擾示したア矯       ヒ

一一■一 Q2§

(8)

憲法学の課題と方法について⇔(新 .鑑朝

とによるが︑このような彫で︑ひろく憲法史そのものも考察されていたのである︒

 歴史的事実としての憲法窺象を実証的に確認し︑整序することは.いうまでもなく︑あらゆる憲法醗究の崖

発点であり︑それを離れて還論憲法学も︑したがってまた癖馬憲法学もありえない.この愚昧で︑記遠憲法学      ︵9︶としての憲法吏は︑一切のその余の憲法学の基礎といわなくてはならない︒

︵i︶株健太躯遡史学概論﹄︵新蔽︶ 一九七〇年・=二費.

︵2︶ヴィンデルバンドがかの有名な講演﹁歴史と露然稗学犀において︑経験稗学を方法によって﹁蜷性認遠離﹂と

  ﹁法劉説瞬的﹂讐学に分類し︑歴史学を前煮に韓置づ嫉たことは先に考察したが︵第⁝章第一︑一廉二鱒︶︑ブてこにお

 いて慶にこのことが饒確に論じられている︵<騨づ.︑タ︑ぎ驚ぎ讐貸︵︸窪︒哩蔚蕉¢蕪益Z薄霞≦膨む︒Φ蒙3篤¢貸へトヘン

 捗寓年鉾一μ﹄駿﹃駅一八︸興帽以ギ︶︒ これ斎yoっレ矯弾u饒〜萌かつ棒鱈糸鹸閃に認禰じたの一ほ︑い・りまで停㌣なくウェ︑ーバ⁝である.

 く騨鍔≦霧¢こ浮ト︶σ蒼色妥馨..白む&覧急︒︒白雪豊鵠9鋤雲魯韓壽審︵藍触暑︵養︷霧謬二穿窪纂剛比臼孕喜一簿毎籍ミN嵩ミ艇

 詠軸㌻ミ鍵範ミ§霧免塁急へ駕恥ミミ遥︸峯と酪記︺ω︑>獣rε霧む︒︑峯濠︑︷聞薦永・立野譲難躍頁以下︑鐵屡譲七二頁取下.

︵3︶盛衰発志郎﹁法史学の方駿﹂﹃歴史学方法論の諸問題﹄瞬駿.昭撫羅八年・二九頁︒

︵4︶秣健太鶴立醗掲書・二二頁・露⁝頁︒盤良晃志躯・前場書・二九頁以下参照.

︵5︶<纂≦︒ンくぎ無き釜負へ〜ミ\ンも︒﹂き5一訳一九i︑⁝○頁参難.

︵6︶曇覇雛叢哲学護塗︵改一欝二九写一軍二︑天六頁.

︵7︶宴沢俊義欄憲法講義案L﹈昭魯=二年・一一嚢.本稿第︸章第一節﹇8繍および二参照.

︵8︶宮沢俊義﹁憲法の箆較的・歴史的醗究について篇﹃公法の原理輪漸駿・一襲九翼︒

︵9︶わが蟹において︑瞬治憲法および馨本震憲法の成立吏については︑憲法金棒についても︑また騒々の条項につ

一一Q董9

(9)

行致歓会論集 第4巻 第董暑

いても多くのすぐれた購究がなされているが︑瞬漆時代から︑或いは現行憲法の纏足から現代に至るまでの憲法

現象の罎史的遍程をひろく縫会的諸環象との纏わりで﹈貢して考察したものは︑意外に少ない︒否︑体系書等の

概饒を除いて︑ほとんど存在しないといってよい.︑時懸的に一定の限定があるにせよ︑わずかにただ︑喋鞠史観

の立場よ吟なされた鎗木安蔵教授の︸連の著作︵﹃酵本憲法学の焦誕と発展﹄﹃憲法の歴史的醗窪隔羅秘九年︑

﹃馨本憲法史醗説﹄聡稚一六年.﹃嚢本憲法史﹄昭秘二五年等︶や長谷揖正安教授の﹃昭稲憲法史﹄︵紹諏三六年︶

蒙法霧段裏︵手下︑%八輩︶が見い鐵されるのみである︒憲法現象の難史的寂違がいかに羅難であるか

は︑このことからも簿られるが︑小縁塵楼教授が︑﹁宮沢憲法学の載跡﹂︵﹃宮沢憲法学の全篠豫﹄瞬駿.二九一

    において︑宮沢﹁禿生がやり遂げられなかった幾つかの大きな霧題﹂の⁝つとして︑﹁捧系的な鐸本憲法

史論幅をあげ︑﹁後進に残さ轟た重い蜷題﹂とされているのも︑その⁝斑を示すものであろう.

 二 特質

 憲法史が退去の憲法現象の記述であり︑それが羅時に遷論︵飯説ないし法則︶による説瞬であるとすれば︑そ

れは﹁記述﹂科学であると瞬時に﹁遅論鳳科学であるということになろう.したがって︑いずれに位置づけよ

うと︑それは或る意練で言葉の問題ともいえようが︑にもかかわらず︑あえて本稿において︑やや古典的な表

現ながら﹁誌遠幅科学として佳麗づけたことには︑それなりの遅趨がある︒

イ言ネックが・記婆科学と蓬塗科学の区驚を曝陵纒愈どしつつも︑歴史学を露塗科学と位

置づけることに臨露反対し︑その遜由として︑﹁歴史は︑単に事実のみならず︑事実の騰牽をも記還する︒しか

し庭竃弓詮舞鉾誌繋警皇馨叩ζ垂雲量を饗し︑塗て襲撃蓼痩肇漉琴・寿

↓も窪窪︵策︸霧黛霧︶を探究するものではないという点で︑饗誌科学と区驚される.そのようなことを歴史家が

      九

…一一 Qi8一

(10)

叢法学の議題と方法につレ、て輪(新 圭i三幸)

       ⁝︵一︶

企てる量薩そ嶺分姦えて︑懸案墨重るい纂金箸と馨ことである孝⁝>⁝薮入嚢.鰺点

築春︸と論じていることについては︑先に言及した.そして︑そこにおいて︑イェ霧ネックのかかる講述は︑一

嶽では不墨であるが︑ ⁝鑛では蓋箸であるとしたのであるが︵第.童第⁝.燐讐一層参照︶︑艶︶の点についてやや立

ち入って櫨対しよう︐竪史学としての憲法受の特質という難題を考えるにあたっても︑まさしく膚論述に基本

的論点が含まれていると思われるからである.︑

 ヶ 歴史学と社会学︵法史学と法数会学︶の麗係  イェ夢ネックの右論述が一義では不轟であるというのは︑

歴史学を﹁具体的な露果系列﹂の探求に狭く曝足し︑桂会学との密接な闘孫を擬ち窺った点において︑今畦で

はとうてい維持しえないと考えられるからである︒

騰果的説明は︑慶に示唆したように︑必ずその大尉提として︑単縫化していえばぎならば碁である﹂とい

うa︵原灘︶とも︵誌果︶の霞果的経連を表示する普遜命題︵灘果法難︶を必要とするが︑歴史学がおよそ霞果

約説窮をめざすかぎ鯵︑たとえ絶勝具体的な事象に聡して﹁具体的露渠系譜﹂を問題とする場合でも︑必ず一

定の普遍命題︵霞乗法肇︶とは無関係ではありえない︒マックス・ウエーバ⁝は︑周知のように︑﹁或る現象の

馨蕎讐餐て客場倉鞍撃駿蔭︑爵の駿で婆く︑碁盤巻讐馨で脅︑いか

なる公式にその現象の顛鰭として属せしむべきかの問題ではなく︑いかなる鰹性的様権にこの環象をその結果

として帰農させるべきかの開題である.つまり滞騰分断騒︵N震2鼠舞繋州舞篶︶である瓢とし︑﹁文化現象﹂⁝⁝

﹁奮篠隼⁝の露果霧禦駿となってい霧倉︑いつで轟巻雛隷癖塞晶ではなく

単に手湊にすぎない﹂として︑﹁騒姓的場象の獲果的帰属﹂の重要性を捲接した.しかし︑この.︶とは︑ウエ

⁝バ⁝が歴史的認鐵における法則的知議の意義を否定したことを淡して意賺するわけではない.逆である︑

2i7

(11)

行政縫合蘇集 第4券 第工鯵

﹁騰史家の鐵漿認識が其体的繕梁の具体的檬露への衛騰だとすれば︑侮か叢る鱗姓的な結果を要覧衛掛かで帰      へきこ

馨しめ雪濠﹄鱗笙鵡稟議⁝一顰聞達霧樫熟議⁝を繰ずして箋よそ不審であう.

       ︷2︶つまり﹁猿果的滞霧臨は︐﹁論麗的に侮らかの﹃法購協約無識を薦提とする﹂の︽ある.      ひさい しから一は︑ ﹁鑓㎜果的韓揮属ご 紬齢︑ い・かにして酵龍駈か︑ ウエーバーに﹂よれ一ほ︑ それは鞍糊次のト語りにして〃πわれる︒       へぼ 激臭教授の定式化に潔して︑いえば︑

 饒幾突の事実的経遜をいくつかの要素に分観し︑②それらの各要素をわれわれのもっている一般的な﹁経験の燈

肇﹂売繋色穿二窯畦一蒙髭︸に関係づ㌶ることによっザ\麟かりに姦の藷要素の中の一つまた綜いくつかが変更され

たと想像してみたとき︑現実の経遍と牽要な点でちがったような経遍が生ずるであろうかどうかを縄饑し︵﹁酵旋

盤精鞍﹂︶︑轡もしそうであるなら︑雛錘の諸要素は遷合的奮療纒とみなされ︑そ享・ないなら︑鶴然的な﹂

原鐵または灘果的憲義をもたないものと霧断される.︑

 したがっで\ウェーバーのいう﹁法難的知識﹂とは︑右の鱒の﹁経験の続購﹂についての無識に勉ならず︑       ハきレ﹁客観的可読性﹂についての知織である.綾のいう﹁鬱念璽﹂は︑﹁われわれが︑客縷的酵籠樵一⁝われわれの      ︷暮︶感歎かが適合的であると轡断ずかところの客観的再籠姓⁝−の範躊を稗腐して諸連麗を構成する﹂ことによっ      ︵ワ土てつくられるものであるから︑つまりは﹁饗念攣自身が法則的な知識を包含しているア編とになる﹂であろう︒

 もとよ辱︑イエ華ネックは︑ウェーバ⁝の﹁運念禦﹂を難らなかったわけではない︵\斑トあ﹂O︑≧毒﹂訳

釜一叢︶︒しかし︑綾は﹁類整﹂論において︑﹁多くの騒麗事鯛が示す共通の籔表を懸鐵することによって得ら

2懇

(12)

憲法学の課題と方法につセ、て/鐸(新 、1熱朝

れる鳳ところの﹁経験類穰﹂に終始し︵凱る無二訳二九黄以署参照︶︑ついには﹁理念醗﹂的思考に葦らなかハ.た.

 このように︑蕪史学もまた.﹁法劉﹂とは無縁属ありえず︑﹁礫く・心耀を舞繕することによって︑一つの       ハぎロを設定し.この仮説を事実によって検証するという試みをおこなう﹂ものとすれば.それは経験秘学たる性質

において縫会学と魔理圭講じ論遷構造をもつことにな喬︒このことは︑われわれにとって︑と辱わけ法娃会学

︵したがってまた憲法桂会学︶との麗係において重要な愚昧をもつが︑量幾教授は︑海者の闘係について︑次の       ︵9︺ように論ぜられる.

  ﹁法統会掌篇と歴史学とは密接不離の縫係にある.︑両者はともに経験科学として学闘的に鯵じ性格をもっている

雲ならず︑蛙金諾秘学の窮極の課題がわれわれの生きているこの勢侮分縫会の認識にあるとするとき︑それは

必然的にまさにあ魂代﹂歓会の謄艶蜘聾賢の認識を求めざるをえないからである.−−摩史学は︑逝去の鶴

 会との﹁録箆﹂を通じて︑愛伏縫会の歴史的讐質の楚握に奉仕しうるし︑桂会科学は︑現代縫会の認識を通じて︑

遍去の縫会を握握する鶴墜を提燦しうる.というよ吟も︑むしろ︑晦者は整艶飾縫会科学として緊密な協力

 縫係に立たざるをえないのである.︑

澱みに︑ウェーバ⁝護身︑歓会学と歴史学との羅漢について.次のように叙べていることに注馨しておこう.︑

  縫会学は一⁝緊墨凝念を形成し︑かつ事象の一般蜘衛矯購を探発する.これに対して難史学は︑鰻蓬鯵なかつ劇

 鶴亀に重要な行為や形象や人勤の鰹累的な分極と帰繕とを追求する︒桂会学における鰻念形成は︑その素縫を︑も

 っばらというわ酵ではないがしかし極めて決定的に︑行為のii歴史学の発地からみても重要であるごとき−瑛

 婁から︑実鰻として借得する︒縫会学がその鰻念を形緩し︑その法難を探究する場合︑と惨わけ次のような観点む︑

 饑いている.すなわち︑霞要な諸現象の睡愛的薦果帰騰に帰して︑それによって醤らかの奉鴛を提供しうるかどう

2i5

(13)

かという観点である︒

菅政歓会論集 第4巻 第董号

今馨景・→も窪︑分婁學︵鞍馨肇義あ勇奮︑基講に誉ずずと餐響思考に至っ

ている.︑

真直義ば﹄馨妻事奏請講︵⁝喜喜雲︵︶善管馨註︑霧蕎︵︷瓢駈け︷餐一多一︷酢一・・︑・り︶ と誓う霧房暑黎薩舞的言讐と乏︑著誘善悪雪幕垂蓼−・を葎の藍として採

ること髪ぞ﹄て鐵叢髭挙る一一=曇︵義を爵霧℃暑︵塾と撃︶を蘂的に薄墨する.︸とを音課

する﹂遍擁霧饗盤︵毒崖には︑そ藍よっ混讐砦禁轟︑或る墨薦深雪︒舳一一一一¢か︑︶と賢 麹孟と誓奮響と蓬蓬義濠畠毳毳論た歪滋轟ニセろ︑孟讐ぞ記讐莞 髪事︶整輩蛋豊轟ばれ華要すゑ︑露講談﹂隊︑善鼕鼕望鶏群孝鉦義 塾を蕪的暴攣をと墓って︑護蓼無していえば︑普遍議奨覆︑霧条集金鍵︑

         ハロレ予灘命題が結論である.

重霧こと礪右霞講説鬱金箆3蒙パ轟︑務二点窪立蛍葛難しているようことである.︑

第廷﹁毳毳膿響董と露語に語歪と疑してできないが︑或る並・遜譲との蓬に蘇て︑ 馨愛護讐棄誇綴で脅︑そして後叢前者の葦で蓼と語りうる﹂ということ︑響︑牽

霧雲おいては︑必ず縛らかの普蕪肇纏されているのであって︵そ簸︑しばし察是認︑.末あ聲︑ 複儀蕪善縁えず︑護響嚢建業︶︑普漢響碧て﹁機.結果を羅諾を語る.︶と

はできず・それはつねに擁らかの普遍法則との関連において﹁横越的﹂にのみ語諺うるにすぎないということ       =二

2慧一一一一一

(14)

憲法学の課題と力法について/等(新 ll三毒)

である.︑

第豪︑ある特殊な繊来事を予難ず夕刷︶轟3毫という響的のために饗響綾絹することは︑まさに︑そ

のような綴来事を説晩ずを︵¢琶類罫薦︶という馨的のために響講を養罵することの鰹の一麟である縣というこ

とであ喬しかも︑錘論は︐予灘された墨来事が境実に観察された畿来事と建較されることで葵ドされ登

から︑義果約説購の分析は︑﹁理論雄麺侮にしてテストされうるか﹂ということをも示している︒かくて︐﹁礫

鯵嘩便霧の霞的が︑護萌のためか︑予灘のためか︑もしくはテストのためかということは︑われわれの縫心に敏

存し︑そしてまたどの命題が醜与のもの或いは蒙提されたものと考えられているかということに依存する﹂こ

とになる.

 かようにして︑ここから︑﹁遅論科学﹂﹁応灘科学﹂﹁歴史科学﹂の特震が導き餓される..馨ち﹁運論科学﹂

または三股化科学㎏︵たとえば︑物礫学・生物学・嫉会学等々︶においては︑普遍法則ないし仮説に圧鱗的な縫

心がおかれ︑初期条偉と予灘命題はそれをテストするための手段とみなされるのに対して︑﹁応絹科学﹂におい

ては︑予灘命題︵たとえば︑擁期条鮮によって記述された竣る種の橋は叢る重力に耐えるであろうか否か︶に駈饒的

な縫心がおかれ︑﹁普遍法則は︑舞的のための墾段﹂として﹁当然観﹂される︒これに対して︑﹁歴史科学篇に

おいては︑﹁特殊の鐵菜事とその議明﹂に主たる勝心がおかれ︑その畿来事を説明するために︑その﹁原聚篇と

なる初蟻条件が探究されることになる︒.その際︑必然的に普遍法則を必要とするが︑通鰹それらは︑些末なも      ︵鵬︶ののために︑暗黙の内に麟縫されているのである.︑

 かくて︑︑ボパ⁝は︑先に考察したウェーバーの歴塗認識︑つま瞬﹁整史家の瞬果的認織が具体的な結果を具

体的な様露に煽属することであるとすれば︑﹃︑法難定立的﹂無識ーー勝栗連縫の蔑選性の知識一⁝を篤いずに欝

2i3

(15)

行政縫合稔集 第窪巻 第至号

ら劣纒選的な結果を告ぐ帰羅させることはおよそ不勢飽である﹂あ思考をもって︑霧繋るかぎり︑こ       ︵唇        霧︶こに髭逸した私の分轡を最も遍い形で先取鯵している﹂とするのである.

 そうだとすれば︑法史学と法社会学とは.﹁ともに躍論的経験科学として︑能会事実として法および法環象を

客観的に記達し︑説明し︑必要なばあいには予言をも与えるという点で︑根本的には親透樵﹂をもち︑講者の閥

にもし方法譲圭の構違があるとしても︑﹁史学のばあいには.未知の法則の発疑よりも︑疑無の法則の適鱗のほ

うに重点がおかれてきた﹂という﹁重点鳳のおきどころという﹁槍婦的﹂なものにすぎないということになる

   ︷焦しであろう.︑

 このように考えるならば︑イエ夢ネックが︑歴史学の課題をもっぱら﹁具体的瞬果系糞﹂の探究に狭く限定

し︑そこにおける仮説ないし法難のもつ意義を看遜ないし否定し︑講論科学︵歓会学︶との識理的講造の瞬一携

の認議に董らず︑縫会学との密接な関係を駈ち翳った点において︑不墨であ箏︑今疑とうてい維持しえぬア編と

は瞬らかであろう︒

 壽 彫薦上学・神学との適職一t一睡物隻観をめぐって⁝一−  縫方︑イエサネックが︑簾史学は︑遷論科学と

は異なり︑﹁決して掛象的頓疑墜や液材︵佃副落窪憂欝構導霧壼α︵甲霧簿蓉︶を探究するものではない縣とし︑﹁その

ような墨髭歴史家奮てるこ姦︑そ窪分を超えて︑歴霧拳裳る寡徳会単巻と馨ことである﹂

3︒︒﹂ざ葬げ訳八貰︒鋳点筆者︶として︑歴史学が農己の籏域を超えて︑﹁歴史哲学篇ないし﹁釜会学風への途を

歩みはじめ︑それが経験科学から影藤圭学ないし神学へと転落するのを強く警戒し︑それとの遮懸をはかった

点はどうであろうか︒

       .蓋

一一@2二}2一■

(16)

憲法学の課題と方法につ継て⇔(新 翫幸)

       ⁝六

 イエ肇ネックがそこにおいて﹁歴史哲学﹂の下で念頭においているのは︑いうまでもなくヘーゲルとその

﹁唯勃主義的尋置勃コしら豪雪訳ヒ⁝護︶としてのマルクスのそれであるが.しかしまた.﹁神器蓋学﹂の下にコン

ト流のそれを念顛において︑﹁従来自ら形磯上学であると公然と農記していた腫史鴛学におけると瞬様︑今や︑

経験的に粉鋳された思欝の中に︑決して統︸されることのない原礫的観念の講立があらわれている二〇り︑$譲

五︑翼︶として︑歴史哲学にもましてそれに擬覇的な︑むしろ蒼定的な態度をとっている︒今艮︑我々にとっ

て︑もっとも重要なのは︑﹁唯物受観﹂との纏わりであるが︑この点についてはどうであろうか.以下︑この

点について少しく考察しよう.︑﹁唯物史観﹂は︑鶯嬢のように︑マルクスの﹃経済学擾鞍﹄序言において︑い      ︵盲︶わゆるその﹁公式﹂として︑次のように定式化されている.︑

 鐵︵縫会撰進の原理︶ ﹁人聞は︑鼓らの生活の歓会的生産において︑ ⁝定の.必然的な.後らの音ゆ志から挫点し

た諸雛係に︑すなわち︑裟らの物質的生産諸方の⁝憲の発展段賠に緑礬する生産諸聡係にはいる︐これらの生産諸

臨係の総捧は.絃会の経済的構造を形成する.これが実窪的土台であ吟︑その上に㎜つの法律的および敏治的上灘

構造がそびえ立ち︑そしてそれに一定の社会的諸意識形態が婦応ずる.勅質的生活の生産様式が.娃会的︑致治的お

よび繕神的生活遜程⁝殻を麟約する︐人瞬の意識が綾らの存在を鍵達するのではなく.彼飢︑の縫合的存窪が被らの

悉織を規定するのである侃︐

 ②︵桂会変動の漂還︶ ﹁縫会の勃質的生産諸方は︑その発展のある靉靆饗︑︑それらがそれまでの多︑の内部で運動

してきた襲存の生産諸麗孫と︑あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸経係と矛属するようにな

る.これらの諸麗係は.生産藷力の発展諸形態からその蓬櫓に一変する.そのときに歓会嬉命の時蟻が始まる︒経

Q難

(17)

行政歓会論集 第4巻 箒星号

済的基礎の変化とともに︑薩大な上部構造全体が︑あるいは徐々に︑あるいは急激にくつがえる﹂.

 鯵︵盤台と翫熱構造の縫孫︶ ﹁このような諸楚筆の考察にあたっては︑経済的生産諸条韓における勃質的な︑駿

黙秘学的に鰍確に確認できる変革と︑それで人聞がこの衝突を意識するようにな吟︑こ蕊とたたかって演養をつけ

るところの法律的な︑致治的な︑家教的な︑芸徳的または哲学的な諸形態︑縫単にいえばイデオβギ︐一諾形態とを

つねに臨瑠しなければならない.ある懸人がなんであるかをその鱈人が糞分馨身をなんと考えているかによって霧

饑しないのと購様に︑このような変革の時期をその時期の意識から覇験することはできないのであって︑むしろ.︸

雲譲を物質的生産の諸矛盾から︑縫会的生産諸方と生産諸驕係とのあいだに現存する衝突から説隣しなければな

らない﹂.︑

讐羅会豹変募条鉢︶﹁ぢ窪全癒震︑そ紮謹諸芝とって+分の叢を竃︑.あ雀勇がすべ

て発展しきるまでは︐けっして没落するものではなく︑新しい︑さらに高度の生産諸麗孫は︑その勃震的存蕉条緯

が占い縫会雍棒の麟内で解免されてしまうまでは︑けっして古いものにとって代わる.︸とはない.それだから︑人

聞はつねに.毯分が解渋しうる課題だけを察分に提起する︒なぜならば︑もっと鮮しく考察してみると︑課題その

ものは︑その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか︑またはすくなくとも生まれつつある場合にだけ罷生す

ることが︑つねに箆られるであろうからだ﹂.

 縷︵桂会発鷲諸段隊︶大づかみにいって︑アジア的︑野戻的︑封建的および近代ブルジ・ア的隻穣式が経

済的縫合購成のあいつぐ諸時期として表示されうる.ブルジ昇的生産諸経係は︑社会的生産遜程の最後の数婦的

形態である︒激騒的というのは︑藏人的敵簿という意味ではなく︑諸騒人の縫会的生活諸条件から生じてくる敵対

という意緩である︒しかしブルジョア延会の臆内で発展しつつある生産諸力は・疑時に.︸の敵娼の解決のための勃

質的諸条件をもつく吟だす︒じたがってこの雛会構成でもって人鵜桂会の繭隻は終わる﹂︒

一2欝一…

■む

(18)

憲法学の課題と方法について⇔(新 正幸)

      ︸八

 ウェーバーが︑﹁マルクス主義的な﹃法麟繍や歴史的発展についての購成はみなーー−罐譲的に誤謬がないかぎ鞍

においてのことではある籍多多理念型的な性格をもっていることはいうまでもない﹂とし︑∵万では︑﹁このよう

蕪念禁毒空説らと霧客奮に購い慶る馨ぱ︑選差︑いな蟻窪壌爵豊嚢をも2

としつつも︑地方では﹁このような礫念漿が︑経験的に妥箋すると考えられたり︑あるいは実在的な︵郵ち実は      ︵庫︸彫麟昆学的︶﹃俸絹か柚璽繧晦﹄であるなどと考えられるならば︑たちどころに︑それは危験なものとなる﹂︐ど

して︑唯勅史観に対して芳では高く評籍しつつ︑縫方ではその﹁亀蘇性を捲締するという︑いわばアンビ

ヴァレントな慧度を示したが︑このような﹁危険﹂姓は稚物史観それ露体に本来的に内在しているものといわ

なくてはならないであろう.

癖唯物史観が或る特定醗薦霞蜜︵経毒無点を置いた愛慕立場﹂湊ら購成された鬱念型ないし経験

       八難︶釣餌鋭︵灘受理譲︶としての性格をもつかぎり︑それが人絹縫会の歴史的発展遜程に関して︑いままで提撮され

た諸飯謙のうちで一まさしく﹁卓越した︐いな比類のない藪幽静意義縣をもつことは︑ウェ⁝バーのみならず︑

多くの人によって旛摘されているところである.しかしそれが一つの経験的な仮説であるかぎ吟︐経験科学の

基本的なルールにしたがって︑つねに事実によって検証され︑とくに反証されることによって︑たえず修正さ

専蕊なくてはな・りない. この春心練で. ブての τ攣誠ご 姓も絶劇耀的なもので・ありえぷ肇︑ あくまで椿対的な﹂ものであ

る.ウェ⁝バーが﹁蓬講的に誤謬がないかぎり﹂と簸り叢をしているのも︑かかる趣旨を轟然含むものと考え

られるが︑ともあれ︑このことは︑わが麟においても多くの歴史学者や法史学者によって詣摘されているとア︶

ろである.︑

 懲 だが︑唯物史観は︑単なる経験科学的教説︵錘吏理論︶にとどまるであろうか.それが︑欝己の﹁観点繍

一一一 Q鎗一

(19)

行政縫会誌集 第4巻 筆墨号

を唯⁝歪楽なものとして絶対化し︑来るべき未来の桂会︵縫会主義歓会︶を予書する歴史の発展法則なるもの

を︑歴史それ鐸鯵の中から︑歴史全体を貫徹する﹁必然的﹂な普選法則として﹁毒然科学的恥に導き織したと

し︑露己の立場を﹁弁羅法的唯勅諭隠として﹁歴史哲学﹂にまで薦め﹈般化するとき︑それは︑もはや経験科

学的仮設の域をはるかに超えた︑影海上学的・神学的教義に飽なら嶽ことは︑これまた多くの論考によって指       ︷頒︶嫡されているところである︒

 イェ蓼ネックは︑マルクスの歴史哲学を﹁察然法﹂窃︒e露訳七⁝頁︶と縫え︑唯物史観の形難上学的・神学的

性格を示唆しているが︑このような性格を明確に搭簸するのは︑ケルゼンである.綾は︑駐物史観をもって︑

科学の﹁飯藤﹂をつ酵た神学に飽ならぬとし︑なぜこのような﹁飯藤﹂が購いられたかについて次のように論   ︵脳じてい養︑

 マルクス主義的縫ム蓋主基嚢は︑ 慕鉄脚群動子の誕鰍顔が一濃δ㈱に達した時代に生まれた. 当時は自P鎌脚稀柑字の論力沸広.一そ秘学⁝

般のお法であ馨︑あらゆる真理と正しさに到達する堆︸の方法であると考えられていた︒轟然稗学的な発展思想の

縫会議科学に及ぼした影響は︑十九童紀携鎖において︑疑に極めて頚著であった.それまでは後会遜論の諸霧題は

総理的・政治的に鍵餓され.縫合理譲とは総理麟∵敢治的理論に魑ならなかった︐この幾籔的方法を鍛も輪的に︑堺       ヤ てッノすのが難燃法論の寿法である.しかし襲農髭義の﹁農然の秩序縣ε益議竃誉一議ご論︑及び露然法則と縫会法騰を籍

一観する礫譲は︑疑に縫会稗学的認識が濤然群学に接透する傾晦を示している.十九量紀携頭に登場した歴史学濠

は︑轟然と瞬隷難会を馨集約発農法購に支配されるものと考えた.この学課は馨覚的にその雛鵯を翕然法則の総理

的・鼓治的思弁︑及びそのユートピア的繧講に向けた・その頂点に立つのはへ⁝ゲルの歴史哲学である︒綾は︑あら

ゆ轟器政鵠襲撃質的萎を事業ど窪み塑茎誉憲レ︑事雰震霞鰻舞婁が窪してい

      一九

一一■ Q砦8一一

(20)

憲法学の課題と方法紅ついての(新 1}三幸

      二〇

をと誘いて︑⁝燐の変革に反帰する保守的立場に立ったのである︒ここで発展窃εご算︶εが意図的に強調された

窪輩食駕Φ垂雪︸を葦手る意瞭である﹂㌻スが→ゲル奮あ事釜懸歌二元嬬繋量憲轡 で芝繋急撃簿静観冷静要請を齢籔船難静宝勢匁霧雲讐ある毫えあは;窪撃ある.

マルクスがこのように雑えたことには︑その主張に重藤を換える必要が一定の後難を果しているのではあるまい

か︒マルクスはもとより宗教的有難陳を説くような入麺ではなかったし︑十九量綻蕪半にはキ彗スト教も諸々の投

縄によぞδ議箏失讐て詮ぶくて彼婆黎泥訴差響奮.尋学紫㌻ゑ外でも.嚢

み脚香粉勇生薦肺︵盗Φ墜訟ξ︶み衝欝を善趣果しでいを︒そして当時においては科学といえば霞果稗学のことであったか

らマ㌻垂義犠会翫差養え髭あで転.み総会欝ぎ﹁嚢脚み童心︑薯詮裏金部 怠謁急会妻恋ぎ恕︵葉﹈轟酸髭てい奄︑義を驚喜だと愛奮も糞ない︶.マルクスは

フォイエルバッハの宗教鐵鞠の伝統に従いつつ︑みごとな経済学撹趨を展離したが︑その鏡覇を霰窪身の縫会躍講

に育て馨と繋鷺撃鼠落難ど寛恕詮︑憲総欝画欝要請奮ヂ茗テ曽毯奄

獄に猷ぎ鵜ヒ乙とが瞬らかになる︒このような覆いを購いた選縷も︑摩史的に・麗ち精禅史的に護瞬されうるので

ある.︑︵申酪︶

マルクス麦奪暴露黒を璽露馨雰臭必鋳醇帯皆と奮ている窪︑善霧禽勝勢驚

動誌参籔鹸驚整長ず宗教約倫饗肇ど瞬按分饗謙を難いて客穿ある.

今馨︑分観哲学の立場から︑たとえば︑ポパーもまた︑        ︵暦ご基本的にはケルゼンとほとんど瞬じ結論に至っている.

2§7一一

 歴史法則主義革命は︑大方の知的革命と属篠に.

んど影響を厚えなかったように見える. 3ーロッパ思想の基本的に有禅譲的で権威主義的な構造にほと

(21)

行政縫会譲葉第4巻第i号

 神に帰する窃期の甕然主義的革命は︑﹁神﹂の名を﹁露然無の名におきかえた.︑それ以外のほとんどすべてのこと

は︑鋳の変りもなくその豪家残された︒神の学である神学は︑霞然の科学にとってかわられた.神の法則は§然の

法則に︑神の意志とカは脅然の悉志とカ︵巻然力︶にとってかわら轟た.そして後には︑神の講睡と神の覇籔は窪

然淘汰にとってかわられた.神学決定論は自然主義的決定譲にとってかわられた︒つまり︑神の全能と全知は︑鬱

然の全能と科学の全知にとってかわられたのである.

 ヘーゲルとマルクスは︑脅然の神性を立ち代吟歴史の神性にとってかえた・かくて︑我々は︑歴史の法劉に︑

歴史の力︑頗講︑意晦︑誹醸に︑そして歴史的薮建議の全能と全知に達する.神に逆らう罪びとは﹁歴史の繭進に

空しく抵航する不埒な輩﹂におきかえら翻る.そして︑神ではなくて歴史が︵﹁厩族﹂または﹁隣綴﹂の歴史が︶

われわれの親電者であるとされる︒

 この歴史の神路紀こそ︑わたくしが戦臨を雛んでいるものである.

 ボパーがそこで﹁歴史法則主義﹂︵︸桝禦︹滋︒勝曇︶と縛んでいるのは︑﹁社会科学の課題は歴史的予書を得なうこ      ︵墨︶とであ吟︑歴史的予言は政治を会遇的に行なうとすれば︑どうしても必要であるという説﹂であるが︑破によ

れば︑このような教護は︑古代東方にその起源を発し︵その典型は︑ユダヤの選昆思想︶︑古代のヘラクレイトス

やヘシオドスの︑そしてプラトンの哲学に︑さらに近代ではコントやジ葺ン.スチュアート.︑・︑ルに︑またへ

⁝ゲルや︑そして侮よりも︐ヘーゲルの歴史蟹学を継承したマルクスにも見い鐵されるのであり︑﹁科学的社

会主義﹂を標擁するマルクス主義の歴史的方法もまた︑実は﹁歴史法則主義の経済的変種﹂にすぎず.すべて

の歴史法則主義的教説と購様︑外観的な﹁科学﹂性にもかかわらず︑葬科学的であり︑擬骸科学に飽ならない      ︵器︶というのである︒

      二一

一一 Q(}6一一一

(22)

憲法学の課題と方法について⇔(新 飯幸)

      二二

 ポパーによれば︑﹁科学における通常の予灘は条件的﹂であ吟︑﹁無条件的な科学的予灘は︑溝題になってい

る当の諸条件が満たされていると主張する歴史的露瞬と一諾になったこれら条件つき科学的予灘から︑時とし

て導鑓できる﹂︑︑しかるに︑歴史法則主義︑したがってまたマルクス主義は︑騒史それ自体の中から歴史全体を

貫徹する歴史の発展法則を自然科学的に導鐵することができ︑それによって歴史的予言が科学的に欝龍である

と説くのであるが︑しかし︑それは︑﹁その歴史的予言を条件的な科学的予灘から導き鐵していな好し︑﹁そ

うすることはできない﹂.なぜなら︑﹁長簸的な予言が科学的な条件つき予灘から導患できるのは︑それらの予

言が申分騒立したよ正常的で・園帰的といえる体系に適鱗される傷合だけである﹂が︑しかるに﹁そのような

体系は磨然には極めて稀にしかなく︑現代縫会はそのような体系の﹈つではまったくない﹂のであ参︑したが

って︑﹁長類的な無条件予言の方法が人類の歴史に通電できるという主張を支持するいかなる横縫も嘆き鐵せな      ︵きい﹂からである・綾は後に︑このことを︑﹃麗かれた社会とその敵﹄および﹃歴史法則主義の貧獲﹄において詳       ︵ぎ       ︵露︶細に論じているが︑右前者で左のように総懸されている︒

 マルクスの歴史予讐の基礎になっている譲議は妥当しない︒当時の経済的諺領海から予震的な結論を撰き墨そう

とする綾の蓼気に蜜んだ試みは失致した.こうした失敬の原獲は論謹の経験的基盤が不足していたからではない︒

マルクスの華になる箋時の難会の鍾会学的経済学的分極は若干一面的であったかもしれないが︑分析の先入見にも

かかわらず︑詑違約であった張りでは牽越していた︒予螢︑口者としての綾の失敗の療霧は︑もっぱら歴史法難主義の

貧露そのもの︑つまり︐今舞︑歴史的篠向あるいは趨勢と見えるものが観察されるにしても︑それが瞬馨にも薩じ

ように鐵現するかどうかを知りえはしないのだ︑という毒純な事実にある.︑

2総一

(23)

行政歓会譲葉 第4巻 第i号

 かようにして︑ぞルクス主義によってなされる予言は︑その論蓬的性格において︑遍代物礫学の予灘よりも      ︵じ鎖約懇書の予誓にずっと近い鳳とされ︑最溺に鱗駕した撫く︑その神学牲が明らかにされるわけである︒

 ケルゼンは︑マルクス主義の神学性の特蟹︑したがってその誤謬の根本的原纒を︑﹁存在と当為﹂﹁事実と懸

盤恥の二元論の習定という点に︑邸ち︑事実に懸魑が内在し︑事実から癒嬉を導墨しうるという㎜元論的立場

から︑   ︵革命的な総理的・政治的要請︶を存在︵霞果的な轟然法麟︶の飯露の下に主張した点にあるとしたが︑

ボバーもまた︑講じくその神学樵︑したがってまたその誤謬の根本的原露を︑﹁事実と決定﹂﹁事実と蔑準﹂の

二元論の否定︑轟ち﹁事実と叢準の講一暫学﹂に求めるとともに︑さらに﹁本質主義よ夢自弓霧齢藍﹃一一︶および

﹁全体論﹂︵等︸憂並にも求めている.そこにいう﹁本質主義﹂とは︑いわゆる﹁唯名論揺とは異なりそれに掃立

して︑あらゆる事物には本質と現象形態が存し︑科学の任務は単なる現象形態の背後に潜む﹁本質﹂を発発し

叙述することにあるとの考え方であり︑また﹁全体勢轡とは︑いわゆるゲシュタルト心礫学のいう意喋での﹁全

盤︵雪該の挙動のある特騨な諸性質もしくは様態︑すなわち・ての事劾をして箪なる堆積簗よりはむtろ︑ぢ

の緯織された構造と疑えさせるような︑特雅な諸性質﹂︶ではなく︑﹁ある事勤のあらゆる盤質・様懇︑特に事物

を構滅する諸藩分の鷺に成り立つあらゆる総体﹂という愚昧での﹁全体﹂なるものを欝達し︑﹁まるごとの盤

界︑あるいはまるごとの轟然というものを観察した辱叙還する﹂ことが科学的に璽能だという考え方であるが︑

マルクス主義に離していえば︑義者は︑とりわけ岸⁝窮の騒々の歴史事象は挙なる﹁現象形態﹂にすぎず︑ブて

の背後に潜む﹁歴史の発展法則篇こそが歴史の﹁本質﹂であ辱︑それを科学的に発発し叙述するのが︑科学的

縫合主義の任務であるとする点に︑また後者は.甦勅史観は︑単なる経済に関する遅論ではなく︑それを土

2馨4一

(24)

憲法学の課題と方法について/二毒(新 亙幸)

      二照

台とする縫会購成全体の発展遷論であり︑歴史全体を貫徹する発展法則だ揮とする考え方に︑蟻的に示されて      ︵記︶いるものということができよう.︑

 翁 かようにして︑唯物史観は︑しばしば︑﹁歴史攣論であるとともに︑瞬時に一つの量界観﹂であり︑コ

面ではすぐれた科学的働説ないし発見振舞︷ξ量器二︶量︒景色としての懸鯵をもつと瞬時に︑擬装された終末      肴む論︵霧9饗︶ε讐︶としての盤格をあわせ持っている﹂つまり﹁ヤヌス的双面性﹂を有しているといわれる︒その

神学性を強調するケルゼンとて︑マルクスが﹁懸果関係を探求する冷徹な学者篇でもあったことを否定してい       ︵蕊︶るわけではないし︑ボパーも︑先の弱電文に搭摘されているように︑﹁記遠的﹂であったかぎりでのも率越瞬姓

は十分に認めているところである.だが︑唯勃史観それ自体に︑それ本来の方法として︑﹁存在と当為﹂﹁事

実と懸絶﹂の⁝二兀論を否定する二兀蘇が︑また﹁本質主義縣﹁全体論﹂が丙夜し︑このような方法がそれを

を支える核心をなし︑その故にまたそれが神学性をもつとすれば︑そしてまた︑このような方法を完全に払拭

し︑その神学姓を饒隷するときにのみ︑経験科学的仮説︵獲吏運論︶としての維暢史観が成り立つとすれば︑

はたしてそれをなおかつ﹁唯物史観﹂と醇ぶか否かは︑もはや言葉の問題であろう︒いわゆる﹁寛容な曜物史

観幅あるいは﹁緩癩された鑑麹史観﹂も︑厳密な愚昧においては︑右のように遅解されなくてはならないが︑

﹁唯物史観﹂には︑今馨なおその神学牲に対する﹁儀郷告窃﹂が不可分に密着しているから︑必ずしも妥当な名

称と味え謀考に懇親為今聖経蒙歴史箋客畏む童蒙幾定學参なくとも;であるよ

      ︵善うことは︑おそらく事.〜で分歴史家がこれを承認するであろう﹂とすれば︑なおさらであろう.

 ともあれ︑右に考察したように︑曝勃史観が︑﹁科学﹂運譲として維持されうるためには︑﹁遅ムコ砂型﹂︑或いは

つねに事実による﹁検証﹂ないし﹁反証﹂によって修蕉を逸れない経験的﹁仮説㎏とならなくてはならず︑そ

一2総一

(25)

行政雛会議集 第4巻 第i号

れがそのような地位を超えて︑嚢己の立場を唯一絶対的なものとして﹁唯勃主義的歴史哲学買︒り﹄欝談七︸

頁︶にまで高めることによって︑形薦上学的・神学的教義としての牲賂をもつとすれば︑その故にまたそれが

かようなものとして現実に政治権力と結びつくとき︑入閣の基本的裟態︑とりわけ学問の葭霞に帰する重大な   ︵綜︶      ︵藩︶﹁危陰性幅をはらみ︑現にこれまで無数の﹁陰惨な現実﹂を生み出し︑堂島のいたるところで今艮なお生み墨

しつつあることを考えるならば︑そのような﹁歴史哲学﹂への頷肉を警戒し︑それからの遮簸をはかるという

意駿で︑あえて.イェ夢ネックが︑歴史学を﹁寵違科学﹂として位置づけたことは︑あながち不当とはいえな

いであろう.環に︑イェ穿ネック嚢身︑たとえば︑﹁縫会主義者によって︑不当にも︑桂会学の駐一の内容であ

ると主張された﹂﹁階綴の歴史ならびにその発生と作罵を支醒する諸法則の確立縣について︑﹁適窮な基準にま

で弱きもどさ翻るならば︑⁝⁝極めて重要である二し︒﹂︵酵談八三頁︶としていたのである.

 の 以上︑イェ夢ネックの﹁歴史学﹂の位置づけをめぐって考察してきたが︑これを要するに︑イェ夢ネッ

クが︑歴史学の課題を﹁具体的馨果系列﹂の探究に狭く限定し︑今馨のいう縫会学との﹁密接﹂な縫係を籔ち

鱗つたことは不当であるが︑﹁歴史哲学﹂への途を駈ち糶ったことは︑擁めて死当であったといわなくてはな

らない︒われわれは先に︑小秣直撰教授が︑憲法史︵憲法の歴史的醗究︶を﹁蓬論憲法学﹂の一翻陽と位置づ

け︑その必要性を強調されていることについて言及したが︵本稿第﹈章第二簾二②︶︑そこにおいても︑﹁マル

クス主義の睡物史観が果した役塞はきわめて大きい﹂としつつも﹁飽面において︑﹃唯勃史観の定式﹄にあま吟

に塵養するために︑﹃蓬論による事実の歪麟がきわめて容易に生じうる﹄という危陰性に留意する必要がある﹂      ︵錦︶とし︑その﹁弊害﹂と﹁不藤の戒意無を説いておられるのも︑基本的には講じ思考によるであろう.要は︑﹁記

      二五

一一一 Q嚢2・…

(26)

憲法学の課題と方法について鶴(新 蛋幸)

       .︑六

逮﹂科学と﹁礫講﹂科学の区購は︑ひとつの﹁鯵暇概念鳳であ蓉︑いずれの具体的な経験科学も︑記述的要素

と礫論的要素の双方を含み︑それをいずれに位置づけるかは結構は﹁縫心﹂ないし﹁霞点﹂の置きどころの麗

麗に懸養するのであるが︑しかし騰史学の﹁最も基本的な条件﹂たる﹁婁誕﹂︵擬霧︶性と﹁叙述﹂︵記遠︶性に立

ち帰り︑それをどこまでも強講ずるとともに︑﹁歴史哲学﹂への途を強く警戒し.それが形麟上学ないし神学に

転落することの危険を断瞬雛斥することを強調する意駿において︑あえて歴史学を.したがってまた憲法史を

古製的に﹁記述恥科学に旋置づけることに︑今馨なお藪然としてそれなりの愚昧があるように思われるので

ある︒

︵i︶ 7描≦︑①ぴ⑦さ執︶σ﹄㊥π驚く等親門.4⁝コーヌ︑卜︐匂C﹃H鴎OOI誇欝騰L水車宣⁝野訳琵五⁝ ﹂ハ嚢︑ 鐵縫憩蔽レし九i ・八︵目︶葵︒.

︵2︶擬装発憲郎・醜掲叢・羅一翼.

︵3︶客≦.︷︑ぴ舞峯︷野3︒し︒汁&一窪釜叢霧一︵脚︑ぴ蛋号二^姦蓑玉薬ゆ孝3監葎幕同二L︵善罫姿墨騨一一写︑貸oo箋爽

 太林騒一弘帰還一訳︑ エドワルト・・ マ■ーヤー︑ マックス ・ウェーバー 馨歴史酵臨群桝鈴か編 .九﹂ハ下五年・ 一八六頁酬以下−参賑崩︒

︵纏︶童良獲志鍵・髄揚重窄難一霞.より辞しくは︐ 一⁝九翼以下参照.

︵5︶瞬・露二翼︒︑

︵§︶裟﹃≦バむ霞:bσ腰ζ⁝戴榊.二空写︑貸笛﹂ま︑露承・立野訳七八嚢︑墨讃談九︑.︸頁︒︑

︵7︶畿良昆憲郎・繭掲毒血鑓賞︒

︵8︶.瞬・翼㎜二葺.

︵9︶輝・玉醗嚢..

︵騰︶鐸づ.霧簿︸ξ︑篭鐘.︑ミ︸ミミ黛︽︑トく.︑㌧ミ気象︑︑︑○と酪記︺し︑>覧r遷惹一統ヒ︑薩鋳露勇・内藤莞講談凹縫会学

一一一 Q劔一一一

(27)

行敬雛会論集 第4巻 第董号

 の基礎観念舗聡穣二八年二蔦⁝⁝−二頁.︑

︵嚢︶零三﹂ん藁︸︵︶薯︵三葉ミへ誌〜識警急誉ミ芝繋耽暁ミミ誉鼻イ.︵善鍔郵︷舜﹂塗騰も﹄欝︑武欝弘道訳﹃露虫歓会の哲学

 とその強敵﹄ ⁝九セ⁝二年∴二兎露頁︑小海諌誠・内遜譲夷講﹃弱かれた歓会とその敵﹄第二灘・二瞬三⁝懸賞︒

 アてれは︐著巻糞舞の︾蕪簿ヘミ.︑ご︑誓︑ミ葦﹂箋誹撫︒記無︑からの瞬爆である9>気心:金器つ︒﹂マ銭.その英訳︑

 凄ミ艶護無気鯵︑貯紋黛へ㌧凝着ミ︵δ二ゆ塗墨y謙9③9大内義一・森簿讃嘆稗学的発見の論理﹄上・一九セ⁝年・七

  一一二嚢参窯.︑また︑瞬鷺の議瞬として︑Q︑ギミ〜奪︑な焦鳶芝ミ築.暁ぐ鐸鉾亀二箏篶も﹂認乙︑久賢駿・市警三躯

 謙﹃慶史主義の貧羅輪昭鞍三六年・⁝八五・六責参照.

  なお︑ 右回・麟弘文 7刀ール蔭四不パーの排瞬惑子﹄ 一毛九軒﹈騨年・二〇太い異以ず診・参畷榊さ

︵12︶碧海纏一﹃法鴛単機論﹄︵萩駿︶二醗九頁参照.

︵購︶蓉﹂ん﹂︑C署含意へ無二︶︑製︸し︒ふ︑武蟹訳三九羅⁝七薮︑小海漂・講霞訳.第二部・二謬羅⁝穴責.︑横奪︑

 ︑︑ミ箋量ミ凝ンミ篭態鴇ミも﹂葦﹂器﹂養魚客亭久野・市井訳了へ紅−爪糞.二︵︶⁝頁.二一六資以下参賑︑︑

︵艮︶ ︸桑 π︑綱︑︵︶℃℃の異 磯螺ミ㌧︑ミ感xセ偉︑︑特設も湿へ.ンミヲマ 一躯撃訳蕊 ︸九︸貴.︑ ただし︑ ウェ⁝バーが一 ﹁理砿醜科一撃︾議歴中へ稗

 学との韻違鼓︑そこに購いられる法難の一般性の程度にあると輩唆する﹂とき︐それは譲っているとしている︒

︵蔦︶歴史認議をめぐる︑ウェーバーとポパーの聡達については︑浜井修﹃ウェーバーの歓会哲学﹄ 一九八二年∴⁝

 ︵三︑頁以下参照.

︵欝︶ 頚石噛舞縛一﹃ 斗晒場妻田・二六一⁝一襲昌

︵葺︶欝三塁爽〆幾ミ㌦へ︑ミ毎冬ミミさξミ謡へざミ§ヤ誉﹂o︒鐸ぎ一欝三ζ舞×−宰属望魯囲ぎ繋欝≦韓一β謹﹂﹇二ま碧

 oり蕊ら︑杉本俊饒談﹃経済学撹鞘﹄大内兵衛・纏緯嘉六監訳﹃マルクス§エンゲルス全集﹄第ご二巻・⁝九六晒

 年・六−悲嚢.賑文には無論獲切りはないが︑わか鯵やすくするため杉原毯露・住藤金三躯編腕マルクス経済

 学﹄昭櫓鷹一年・玉τ上二頁にならって五段にわけ各段に︵ ︶で小見鐵しを賭した.

       二七

一■一 Q(}奪

(28)

憲法学の課題と方法について⇔(新 董幸)

ノk

︵賂︶鎧ンぐ象Φぴるσ憲ζ三籔け︑.﹂旨毒︸も︒■彗伊富永・立野訳九籔責︑墨雛譲⁝○躍頁.

︵雄︶盤良晃志郎・麟掲書・﹈鰻⁝八頁︑瞬八−九頁参照.

︵蟄︶たとえば︑称健太臨・麟掲書・﹈○︵︶頁以下︑量良晃志躯立醗掲書.六睡頁以下参懇︒

︵鍵︶碧海純一・表掲書・二六三頁・二八二一三頁参窯︒

︵毬︸︷韓箋紫色箋ゲ砺へ§ミ警建竃帆ミ〜要ヘミ一募峯葭葺巽︒ゆ鉱魯蕪顔︵窓二×︶謹白︒3象︑情竃︵︶蕃α霧裟霧笛養一多ド>急;

 お器鈴守峯長尾龍一談﹃琶会主義と露家ーマルクス主義政治礫識の︷襲究一﹄ 一九セ六年.八︑一−一〇聲.︑鋳

 点筆者︒ケルゼンはそこで︑﹁マルクス以外にも清掻のものが沢戯ある﹂として︑スペンサーをあげているが︑

  コントとスペンサーの桂会学およびへ⁝ゲルとマルクスの歴史哲学についてのこのような分観は︑Z簿蓑箏罫≦

 囲と︒鼠幕︸︶興︶壽3④︑H︑薦︶量笠︵款OO含讐霧︵毎塗こ蔓§ミ勢\塞ミ覧で﹂箋の纂黛一;上様行雄訳﹁科学の法蓮に

 おける鬱然法論恥﹃正義とは梅か﹄勝叡・八九蚕鑓下においてもなされている︒

  長尾龍一教授は︑ケルゼンのこのような分極をふまえて︑義葬宗教的気風﹄︷籔姻滋二藍2¢︶をもって特色づけ

 られる諸々の近代イデオ揖ギーも︑その表見的な合理性と科学性にもかかわらず︑基峯的にはかかる縛学的量

 野鶴経史観の承継誉であった﹂として︑極めて鱗覇に次の難く論ぜら轟ている︵﹁法理論における真理と籍短

  ︵二︶﹂欄国会学会雑誌輪七八巻・玉・六号・九二−1三頁︒傍点筆者︶︒

   ︽いわゆる﹁延会契約議﹂は歴史の趨源を﹁漂罪﹂に代えて﹁契約﹂をもって始める..これは後会を人聞の

   ﹁本性﹂に発する毒然的なものでなく︑讐購の羅的意識のもとに創造されたものと解する点において透我に

   おける﹁懸人の罠覚め﹂を象徴するものと解される︒しかし歴史の起糠を﹁契約幅という規籠的機念をもつ

   て始めようとすること霞体は神学的置界観を承継したものに縫ならず︑﹁薮然状態﹂から﹁契約﹂によって

   ﹁縫会状態﹂に移るという饑歳は︑ヨデンの墨﹂から﹁原罪﹂によって現実の社会が生じたという歴史趨源

   鍮の近代的再解殺とみることができる.なかんずく﹁大鷹不平等起源論﹂におけるルッソーはその﹁自然駿

一… P99一一

(29)

行政縫合譲葉 第4巻 第墨号

ラ■、}

_尋

態﹂の讃美・﹁社会契約﹂を詐講による鞭罪と解する点などにおいて原罪思想の構造をそのまま承継している︒

デンマ⁝クの神学者ハンス・マルテンセンがルッソ!の﹁鬱然へ帰れ﹂という喚びを失われた楽園へのノス

タルジーの衰わ蕊と解麹するのは興味深い.︑

 一九畿誕イデオ窪ギ⁝の代表者たる﹁縫会進化論﹂もその科学主義的外観にもかかわらず︑最善の状態が

﹁睡史法則﹂によって実現されると説く点において﹁楽観主義的終末論﹂︵ε9ゴ翼搾霧︒プ舞︵︶囲︵薦︾︑︶の一種と

いいうる︑︑⁝九重紀桂会学の代表者たるオーギュスト・コントやハーバ⁝ト・スペンサーは纏れも歴史の進

歩を磐じ︑侮れも霞らの信念︵繭春はプラトンの﹁理想瞬﹂に籔た﹁捲導者麟家﹂︑後考は露霞主義的﹁産業

譲家﹂︶が騒史の終局に実現すると議いたのである.

 ﹁歓会契約説﹂が神学的な終末論を欠き.﹁社会進化論﹂が神学的な歴史起源論を欠いているのに帰して︑

﹁蒙翰会妻﹂露蜜ヂゑ㌻釜診療饗馨﹂募鄭孕み畢奪霧蘇産響とい 2峯﹂欝ぞ癖欝争継歯実弾︑熱地塗まい餐露級﹂ど琴暴童蒙ぞ 馨誕製奮ぎ繋累鷺言霊講審雰いで一重鼻暴露婁陳を馨しで客.募織

鎮護﹂は﹁裁きの馨﹂において羊と山羊を見分けるための基準であ吟﹁不払労遜離分﹂たる﹁剰余優魑﹂は

 ﹁裁き﹂における﹁負い屡﹂である︒プロレタ夢ア賠級ははじめはそのような自覚をもたない未経識の﹁蹄

濤的﹂な存窪にすぎないが︑やがては﹁哲学篇によって試装し︑塵らの縫雰史的菱命を自覚した﹁轟察婦霞

的﹂購級とな陰︑敵帰するブルジョワ曙綴のみでなく購綴縫会⁝般の死�

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