情報教育「冬の時代」
~春をどう迎えるべきか~
北海道教育大学旭川校 村田育也
アブストラクト
現在,日本の情報教育は,全国高等学校長協会の意見書を筆頭に,学校内外からの冷たい視線 を浴び,身も凍るような冬の時代を迎えている.情報社会において情報教育が無用のものでない ことは明らかであるのに,この教育界の反応をどう考えればよいのであろうか.情報教育が冬の 時代を迎えた経緯と原因について考察し,春を迎えるために,情報教育の体系化,教員養成,単 位数の問題に焦点を当てて,必要な準備と方法を提案する.
キーワード
情報教育,情報科,体系化,教員養成,教育職員免許状
1. はじめに
かつて,高校教科「情報」の新設に尽力された先生の前で,教科「情報」は失敗だったと言っ たことがある.その先生は「新しく教科を作ったことに意義がある」と言われ,私の説明不足の 放言に大層立腹されたご様子だった.確かに,日本の中等教育に教科「情報」が設けられたこと には大きな意味があるし,新しい教科を設けるために大変な苦労があったことは想像に難くない.
それでもなお,私は,教科「情報」の新設は失敗だったと思うし,そう主張することを躊躇しな い.それは,今,日本の情報教育が「冬の時代」を迎えており,その原因のほとんどすべてが,
教科「情報」を新設したときの「急ぎすぎ」にあると考えるからである.だからと言って,この ままで良いとは思っていない.春を迎えるための努力を怠ってはいけない.
本稿では,日本の情報教育が冬の時代を迎えた経緯と原因について考察し,春を迎えるための 準備と方法を提案する.
2. 冬の時代の到来
2.1 新しい教科「情報」
1999年3月29日に「学校教育法施行規則の一部を改正する省令」[1]が出されるとともに,高 等学校学習指導要領[2]が公表され,高校において新しく教科「情報」が必修教科として設置さ れ,2003年4月から施行された.このとき,情報教育を研究している大学教員と,その下で勉強 している学生は,日本の情報教育に明るい未来を期待したものである.その結果として,教科「情 報」教育職員免許状(以下,情報科教員免許状という)の課程認定を初年度に受けた大学は,158 大学,374専攻・コースに上った(注1).当時,著者が所属していた生涯教育課程生活情報コース でも,2002年度から課程認定を受け,情報科教員の養成を始めた.多くの大学が,大きな期待と ともに,教科「情報」の課程認定を急いだ.教科「情報」は2003年4月から始まることになって いたので,その前年の教員採用試験から集中的に情報科教員が募集されると考えられたからであ る.教科「情報」を実施する学年は,高校それぞれに事情があることを考慮して各高校の判断に 任されていたので,2002年からの3年間は,教員採用試験で情報科の募集が続くとも言われてい た.しかし,ふたを開けてみると,都市部の自治体で若干名の募集があっただけで,ほとんどの 自治体で情報科教員の募集は行われなかった.その後,教科「情報」は,教員免許状を取得して も採用のない教科として,教員を志す学生にとって,その魅力は急速に失われた.
2.2 アンフェアな教員免許状
文部省(現文部科学省)は,2000年度からの3年間,数学や理科などの教員免許状を持つ現職
教員に対して,15日間の認定講習を行って,合計約14,200人に情報科教員免許を与えた[3]. 大学の講義では,通常1回90分間の授業15回分で2単位となる.これを集中講義にすると4 日間必要になる.15日間で取得可能な単位数は,せいぜい8単位である.大学で情報科教員免許 状を取得するためには,他教科と共通して必要な教職に関する科目の他に,情報科教育法4 単位 と教科に関する科目20単位の合計24単位が必要である.つまり,15日間の認定講習の時間数は,
大学で教員免許状を取得する場合の3分の1にしかならない.しかも,大学での講義のように期 末試験の結果によって単位が出ないということもない.15日間の認定講習で取得した情報科教員 免許状が,いかにアンフェアな教員免許状であるかがわかる.
15日間の講習で教員免許状を交付した背景には,これまで自主的に情報教育に携わっていた教 員を対象にすることを想定した認定講習だったと考えられる.しかし,認定講習を受講するにあ たって,情報教育の実践経験を条件にされることはなかった.そのため,実際には情報教育にも 情報科学にも予備知識のない教員が多数参加していた.しかも,15日間では消化しきれない資料 が配付されたそうである.他教科の教員免許状を持つ教員を対象にしていたとは言え,情報教育 の予備知識を持たない者に,15日間の講習で,教科「情報」を担当する教育内容と指導法を身に 付けることは,極めて困難である.約14,200人もの教員に,情報科教員免許状を授与したにも拘 わらず,「指導者不足」と言われる原因がここにある.
2.3 認定講習受講者の動員
15日間認定講習は,必ずしも情報科教員免許状の取得を希望した教員だけが参加したわけでは なかった.2003年度からすべての高校で情報科教員が必要になることから,多くの自治体で各高 校から1名の受講者を出すことを求めた.
このような義務的な認定講習受講者の動員は,さまざまな悲劇を生む.その中には,管理職か ら指名を受け,「もう一つ別の教科の教員免許状を持つだけで,今までの教科担当は続けられる」
や「一時的に情報科担当になっても,情報科教員の新採用が始まったら元の教科担当に戻れる」
と説得された教員もいたそうである.しかし,このような教員は,講習後は不本意にも情報科担 当になったり,いつまで経っても教科「情報」の新採用は行われないため,元の教科担当に戻れ なくなったりした.また逆に,ある自治体では各高校から1名しか認定講習を受講できなかった ため,情報科教育に対する熱意を持った教員が受講できないという問題も生じた.
2.4 標準単位 2 単位
教科「情報」は,3科目(情報A, 情報B, 情報C)のうち1科目を必履修とすることになって おり,各科目の標準単位は2単位である.これは,教科「情報」に割り当てられた単位が2単位 であることを意味する.高校における科目は,2単位が最小単位となっていることから,教科「情 報」には最小単位が割り当てられたことになる.
このことによって,教育内容に量的な制限が加わるとともに,質的な妥協を強いられることに なった.情報関連の学問には情報学や情報工学などの多くの分野があり,高校で教育内容とする ことが可能な内容は多い.また,情報社会学や情報コミュニケーション学のような社会科学的な 側面を持った分野と,情報理論,ソフトウェア工学,コンピュータ科学,情報通信工学のような 自然科学的な側面を持った分野がある.教科「情報」に最小単位しか割り当てられなかったため に,これらの多種多様な内容を一緒にして科目を構成するより方法がなくなった.しかも,最小 単位時間で扱えるのは,広く浅く表面的な内容でしかない.そうすることによって,教科「情報」
の専門性は損なわれ,親学問のないリテラシー学習だと言われるようになってしまった.
そこには,やむにやまれぬ事情もあった.新しい教科を作ろうとすると,そのために単位が減 る教科が出てくることになる.当然,どの教科もその必要性を訴え,単位数を確保したいと考え ている.しかも,教科「情報」が新設されたとき,同時に「総合的な学習の時間」が設けられ,
そのための時間数を確保するために,どの教科も単位数を減らすことが検討されていた.そのた め,たとえ最小の2 単位であったとしても,新しい教科が設けられたことだけでも,大成功だと 考えざるを得なかった.
2.5 管理職の冷たい視線
平成19年12月5日,全国高等学校長協会が,「教育課程部会(新学習指「導要領」審議のま とめ)に対する全高長意見」と題して,中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会部会長 に宛てた意見書を提出した[4].その中で,普通教科「情報」を選択必履修教科からはずすよう 要望した.
必履修教科からはずすということは,その教科を開講するかどうかを各学校の判断で決めるこ とを意味する.これは,全国高等学校長協会が普通教科「情報」をあってもなくても良い教科と みなし,多くの学校で開講しなくて良いようにしてほしいと要望した事実上の不要論に等しい.
中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会長に宛てた意見書であることから,教育現場の 実情を踏まえて熟慮された上での起案であると考えられる.そのため,この意見書の持つ意味は,
極めて重い.
それでは,なぜ教育現場の管理職が,このように教科「情報」に対して冷たい視線を向けるよ うになったのだろうか.その大きな理由は,全国高等学校長協会の意見書にも書かれているよう に,指導者不足と教育内容の問題である.
指導者不足については,教育現場では深刻な問題であったと思われる.意見書の中にも教科「情 報」が導入された際「指導者不足の高校現場はかなり混乱した」と書かれている.その主な原因 が,15日間の認定講習であったことはすでに述べた.この認定講習で多くの情報科教員免許状所 持者が生まれたが,情報科教員としての充分な知識と指導力を身につけた者は少なく,進んで情 報科教員になることを望んだ者も少なかった.管理職が,認定講習の受講者を指名するにも,望 まずに情報科を担当する教員を見るにも,その心中は穏やかではなかったであろう.
また,意見書には「日進月歩の情報技術には若者ほど対応力があり、技術的には教師を超える 高校生が現状でも多数存在する。」との記述がある.これは,明らかに高校生の情報活用能力を 過大評価しており,高校生が表面的には使っていても,体系的,科学的な知識を根拠にして使っ ていないことを理解する指導者(情報科教員)がいないことを示している.
教育内容の問題とは,教科「情報」の教育内容が正しく理解されておらず,リテラシー学習だ と誤解されているために生じる問題である.意見書には,「情報技術の進化は激しいので、高等 学校のカリキュラム移行の5・6年後を考えた時、現時点での内容が必要かどうか。リテラシィ 学習は、義務教育段階で十分だろう。」と記されている.この文面から,情報教育をリテラシー 学習だと誤解し,教科「情報」での学習が,リテラシー学習に終始している高校現場の現状が伺 える.このような誤解を生み,訂正されないまま,それが管理職の意見となるのは,やはり先の 指導者不足の問題とつながっている.情報教育の重要性と,その教育内容を充分に理解した指導 者が各高校にいれば,管理職にそのような誤解を与えないであろうし,管理職が誤解していたと しても,それが誤解であることを説明できるはずである.しかし,実際には,それと逆のことが 多くの高校で起こっていたのではないかと思われる.つまり,情報科教員が,教科「情報」での 学習はリテラシー学習だと誤解し,高校で教える内容ではないと考えていたと思われるのである.
そうでなければ,管理職がこのような意見書を提出するとは到底思えない.
2.6 報われない教科
不本意ながら教科「情報」を教える情報科教員は,全国高等学校長協会の意見書に「我が意を 得たり」と思ったことだろう.しかし,情報教育に使命感を持った熱心な情報科教員は,いたた まれない思いであったに違いない.そのような熱心な情報科教員は,同じ教員の口から出る教科
「情報」不要論や管理職の冷たい視線にさらされて,悲鳴をあげている.教科「情報」は最小単 位の2単位しか割り当てられていないので,情報科教員は通常各高校に1名である.熱意ある情 報科教員は,これらの冷たい視線を受けながら,四面楚歌の中で孤軍奮闘することになる.
そして,熱意ある情報科教員は,一人で勉強し,教科書で不十分な部分を独自に工夫して,教 科「情報」の有用性や面白さを生徒や保護者,周囲の教員に示そうとしてオーバーワークになり がちである.さらに,パソコンを使った実習も一人で準備して指導していることが多い.パソコ ンを使うにも,インターネットを使うにも,常にOSやアプリケーションソフトウェアのアップ デートをする必要があり,それらを一人で行っている教員もいる.そして,どんなに頑張っても,
管理職や他教科の教員,そして保護者からも冷ややかに見られ,達成感を得られない教員も多い ことだろう.私の知る情報科教員の中には,心身ともに疲弊してしまった教員がいる.
教科「情報」は,報われない教科としての地位を確立しつつあるように思われてならない.
2.7 有名無実の「情報教育の体系化」
高校には,独立した教科「情報」が設置されたが,小中学校には情報教育の独立教科はない.
それ故の情報教育の悲劇がある.図1は,2000年3月に発行された高等学校学習指導要領解説情 報編に示された情報教育の体系化のイメージ図である[5].この図によれば,小学校では,総合 的な学習の時間での活用と各教科での活用で,情報活用の実践力を養うことになっている.
学習指導要領や解説に記されていたとしても,教科として存在しない教育内容は,教科書もな く,教育現場では指導してもしなくても良いものになってしまう.そのため,小学校では,これ らを指導する教員と指導しない教員がおり,指導する場合もその内容は教員によってまちまちで ある.すると,中学校に入学する新入生たちは,小学校で情報教育を受けた者と受けなかった者 が混在する.中学校で情報教育を指導しようとすると,情報教育を受けていない生徒に合わせて 授業を展開せざるを得なくなり,小学校で学習したことが活かされない.
中学校でも同じ事情がある.図1 で,中学校では,小学校と同じように,総合的な学習の時間 での活用と各教科での活用で情報活用の実践力を扱う他に,技術・家庭科技術分野で全3分野(情 報活用の実践力,情報の科学的な理解,社会で情報に参画する態度)を扱い,社会で情報に参画 する態度を扱うことになっている.技術分野で「情報とコンピュータ」を指導することになって いるが,情報の科学的な理解に関する内容の多くが選択になっており,その指導内容は教員に任 された形になっている.技術科教員の多くは,「ものづくり」を中心にした指導法を学んで教員 免許状を取得しており,教員になってから技術分野に情報関連分野の内容が加わることを経験し た.つまり,情報関連分野の内容も指導法も,自分で学ばなければならなかった.そのため,技 術科教員は,情報関連分野の内容と指導法を自ら勉強してしっかり生徒に指導する教員と,可能 な限り情報関連分野の内容を避けて指導する教員に二極化した.社会科でも事情は全く同じで,
図1 情報教育の体系化のイメージ(高等学校学習指導要領解説情報編による)
情報関連分野を指導する場合は,その内容も指導法も自分で学ばなければならない.しっかり指 導する教員と指導を避ける教員に二極化するのは当然であろう.
その結果,高校に入学する新入生たちは,小中学校で情報教育を受けた生徒とほとんど受けな かった生徒が混在することになる.そのため,教科「情報」を教えるときに,情報教育を受けて いなかった生徒に合わせて教える必要がある.すると,小中学校で学習してきた生徒は,不要な 初歩的なリテラシー学習を繰り返されることになる.
こうして,情報教育の体系化は,名ばかりで実のないものになってしまっている.
ちなみに,大学に入学してくる新入生についても同じことが言える.教科「情報」の指導内容 が,高校によってまちまちであるためである.教科「情報」が開設されて10年近く経つのに,パ ソコンをほとんど使ったことがない学生,タッチタイピングができない学生が,いまだに入学し てくるのには,開いた口がふさがらない.
3. 冬の時代の長期化
3.1 誰も「失敗」と言わない
教科「情報」の開設に関わった人の口から,それが失敗だったという言葉を聞いたことがない.
立場上言えないのかもしれないが,教科「情報」をめぐる高校現場の混乱した現状を見るとき,
新教科設置のあせりや拙速な情報科教員養成に対する反省の弁があっても良いのではないかと思 う.そうでなければ,情報教育の冬の時代は終わらないと考えるからだ.
確かに,新しい教科として教科「情報」が存在すること自体には,非常に大きな意味がある.
そして,その新教科の開設に関わった人たちの功績は大きい.しかし,教科「情報」の開設意義 が,周囲の教員や生徒,保護者に全く伝わらなかったとしたら,どうだろうか.情報科教員の中 には,教科「情報」の授業で,生徒らに「情報なんて勉強しても役に立たない」と言い放ち,数 学などの,自分が元々担当している教科の受験指導をした者がいたそうである.また,教科「情 報」未履修の高校が,247校に及んでいたことからも[6],教科「情報」の開設意義が伝わってい なかったことが伺える.残りの履修校においても,教科「情報」の開設意義が正しく理解され充 分な教育が行われていたかは非常にあやしい.
そして,このような開設意義の無理解は,「揺れ戻し」圧力となって現れた.全国高等学校長 協会の意見書に代表される教科「情報」不要論である.今後,この「揺れ戻し」圧力を払拭し,
教科「情報」必要論の理解者を増やし,それを優勢に導くには,さらに数十年の年月が必要にな るだろう.これは,新学習指導要領改訂の際に,教科「情報」の必履修を維持するだけで精一杯 だったことにも表れている.高校教科「情報」の単位数の増加や,小中学校での教科「情報」の 新設を議論する余地など全くない劣性に置かれてしまっていたからである.つまり,多くの教育 関係者が情報教育に対する負の意義を感じてしまったという意味で,教科「情報」の開設は失敗 だったと言えるのである.
失敗は失敗と認め,改めることがなければ,冬の時代はいたずらに長引くに違いない.
3.2 脱力感に苛まれる教員養成課程
高等学校情報科教員を養成する課程では,脱力感に苛まれている.教科「情報」の教員採用が ないからである.つまり,情報科教員免許状だけを取得しても,教員になる道はほとんどないの である.このことは,情報科学の専門的な知識を備えた情報科教員の実現を困難にしている.
小中学校の教員養成課程では,また別の側面で,情報教育を担当する大学教員の間に脱力感が 漂っている.小中学校においては,独立した教科「情報」が存在しない.教科として存在せず,
教育職員免許法で必修とされていない教育内容は,学習指導要領に記されていても,教員養成課 程では教えられることはまずない.どこの大学も運営費の削減が求められ,教員数も最少限で教 育を行っている.したがって,たとえ必要な教育内容だと考えていたとしても,課程認定を受け るために必ずしも必要ではなく,教員採用試験で問われることもない内容の授業科目は,開設さ れることはほとんどない.たとえ情報教育担当教員が自主的に開設したとしても,受講する学生 はほとんどいない.情報教育は,今そのような状態にある.
中学校では,技術・家庭科技術分野で,情報関連分野が扱われる.しかし,技術科教育は元来
「ものづくり」指導を主にした教育で,情報教育は後から割り込んで来た内容である.ここでも 運営費が削減され最少の教員数で教育を行わざるを得ない事情がある.技術科の課程認定を受け る大学が減少し,課程認定を受けた大学でも,情報分野専門の担当教員を置かずに技術科の教員 養成を続けている場合もある.情報教育は,先細るものづくり教育の片隅に間借りさせてもらっ ている身だと言ってよいだろう.技術科教員養成課程において,情報科学やプログラミングなど の情報の科学的な理解に関する教育が,指導者として充分な知識と指導法を身に付けるように行 われているとは,とても言えない.
大学における教員養成課程の情報教育は,絶望的な状態だと言わざるを得ない.
3.3 センター試験科目になれば…
教科「情報」の教育が軽んじられる主たる原因が,大学入学試験科目に採用されていないこと だと考え,大学入試センター試験の科目にしようとする動きがある.センター試験に出題されれ ば,教科「情報」を取り巻くすべての問題が解決されるだろうか.センター試験の科目にするこ とが,冬の時代を脱するための特効薬なのだろうか.
確かに,センター試験の科目になれば,何人かの受験生は選択するだろうし,高校によっては 受験指導をしてくれるだろう.しかし,情報教育の体系化もなく,単位数の増加もないまま,セ ンター試験の科目にしても,あまりに簡単な内容しか出題することができず,入試科目として採 用する大学は非常に少ないだろう.もし,多くの大学に入試科目として採用してもらうことを優 先して,その内容を高めれば,中学校と高校の間に指導レベル格差が生じ,学ぶ生徒にも指導す る教員にも大きな負担がかかり,その結果として受験科目とする生徒はほとんどいなくなるだろ う.いずれにしても,順風満帆な運用は難しい.
センター試験科目になっていない教科すべてが,全国高等学校長協会の意見書に書かれるほど 不要論が出るかと言えば,そんなことはない.センター試験に採用されていない「保健体育」「芸 術」「家庭」は,普通教育の教科としての地位を確立している.これらの教科と,教科「情報」
との最も大きな違いは,指導者である.「保健体育」「芸術」「家庭」の教員は,それぞれ専門 的な知識と指導法を身に付けて教員免許状を取得している.そして,何よりその教科に対する愛 着と指導の熱意を持っている.義務的な動員によって,15日間の認定講習を受けて教員免許状を 取得した多くの情報科教員には,これらがない.これでは,教科として尊重されるはずがない.
3.4 科目の再編で乗り切れるか
新しい高等学校学習指導要領[7]で,教科「情報」の科目が,情報A,情報B,情報Cの3科 目から,情報の科学,社会と情報の2 科目に変更された.この背景には,情報活用の実践力を中 心とした科目「情報 A」が,多くの高校で採用されていたことにある.教科「情報」開設に関わ った研究者によると,理系進学者用に情報 B,文系進学者用に情報 C,これらの指導が難しいク ラス用に情報Aが設置されたそうである.つまり,情報Aは,生徒の事情によって,やむを得ず 選択される科目として用意されていた.それが,実際には,情報Aが多くの高校で採用され,教 科「情報」のスタンダードになってしまった.これが,教科「情報」がリテラシー学習だと誤解 される一因でもあった.そのため,今回の科目の再編では,情報Aをなくし,情報Bを「情報の 科学」に,情報Cを「社会と情報」に改編することで,その誤解を払拭し,指導内容の向上を目 指したものと言える.
しかし,その目論見通りに進むであろうか.その成否は,多くの高校で情報Aが採用された原 因を正しく把握し,その原因を排除できるかどうかにかかっている.私は,その原因として次の 2つを落とすことができないと考えている.1つは,情報教育の体系化が有名無実であることであ り,もう1 つは,情報科教員の指導力不足である.情報教育の体系化が有名無実であるため,高 校入学時に情報教育の学習経験の乏しい生徒に合わせて,基本的な情報リテラシーから学習し直 さなければならなかった.そのため,情報Aが採用されることが多かった.また,指導力不足の 情報科教員が多く,指導しやすいリテラシー学習中心の情報 A が好まれたという事情もあった.
つまり,情報Aをなくしたからと言って,問題は何も解決しない.情報教育の体系化と指導者の 指導力向上がなされなければ,情報Aの代わりに「社会と情報」が選択され,情報Aとさほど変
わらない教育内容が継続されるに違いない.
科目の再編は,センター試験科目にしようとする考え方と同じで,根本的な原因には手を触れ ずに,表面的な問題をなくそうとする対症療法である.これらのような対症療法的な対策では,
情報教育の冬の時代を終わらせることはできない.情報教育の体系化,指導者の指導力向上,単 位数の増加という根本的な課題を解決することなく,教育現場を無視した建前論を押し通せば,
冬の時代を長引かせるだけである.
4. 春を迎えるには
4.1 失敗を認めること
春を迎えるためには,これまでの情報教育の教育施策の失敗を認め,体系化が有名無実の現行 の情報教育の教育制度を一旦「がらがらぽん」にする必要がある.つまり,日本の情報教育をす べて白紙に戻して,最初からやり直すのである.当然,教科「情報」の教員養成も教員免許状も やり直しである.
認めるべき失敗とは,次の3つである.
①体系化の失敗
②教員養成の失敗
③単位数の失敗
体系化の失敗とは,高校だけに独立教科を開設したために生じた.小中学校において,どの教 科でどんな内容をどの程度教えるのかが明確になっていないので,情報教育の内容と方法は小中 学校によって様々であり,全く指導されない場合もある.高校教科「情報」の土台となるべき小 中学校の情報教育は,事実上機能していない.これが,体系化の失敗である.
教員養成の失敗とは,先に述べた15日間の認定講習で,1万人以上の教員に情報科教員免許状 を授与したことである.この失敗は,指導力不足の情報科教員を大量に生み出し,大学における 情報科教員養成を機能不全に陥れた.
単位数の失敗とは,教科としての最小単位数に甘んじたことである.これによって,教育内容 が広く浅くなり,リテラシー学習だと誤解される一因となった.また,情報科教員は他教科との 掛け持ちを余儀なくされ,熱心な情報科教員の多忙化を推し進めている.情報科教員免許状だけ では教員になれないため,情報科学の専門的な知識を持った工学部学生が情報科教員免許状を取 得しても,教員となってその知識を活かすことができない.
4.2 情報教育の体系化
高校での教科「情報」の教育を,実のあるものにするには,その土台となる小中学校での情報 教育の内容と方法を明確にする必要がある.そのためには,小学校にも中学校にも,独立教科「情 報」を設置することが必要不可欠である.
理科,社会科と同様に,小学3 年次から,教科「情報」を設ける.小学校のうちは,必ずしも コンピュータやインターネットを使用する必要はない.マスメディアからの情報を読み解く力で あるメディアリテラシーと,情報を収集,蓄積,加工,表現する情報活用能力を育成することを 中心とする情報教育を行う.小学5年次から計画的にコンピュータを使わせ,中学1年次から基 礎的な情報科学の内容や情報モラル,情報コミュニケーションに関する内容を扱う.タイピング やアプリケーションソフトウェアの操作などのリテラシー学習は,段階的に達成目標を設けて,
中学校卒業時には終えておくようにする.
4.3 単位数の確保
小学校と中学校で教科「情報」を新設するとなると,そのための時間数をどのように確保する かが問題となろう.他教科の時間数を減らそうとすると,他教科の教育者や研究者の反発を受け て実現は難しい.そこで,総合的な学習の時間の単位数を,教科「情報」に振り替えることを提 案したい.
小学校,中学校,高等学校の学習指導要領総則で,総合的な学習の時間のねらいが次のように
記されている.
(1) 自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や
能力を育てること。
(2) 学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度
を育て,自己の(在り方)生き方を考えることができるようにすること。
これらの問題発見と問題解決の資質と能力,問題解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む 態度の育成を,教科「情報」で引き受けるのである.問題発見や問題解決のプロセスは,情報活 用のための情報処理過程として理解することができる[8].総合的な学習の時間の教育目標を,
情報教育における情報活用能力の育成とともに実現することは,決して不可能なことではない.
4.4 年次進行での施行
情報教育の体系化のために,小学校(3 年次以降)と中学校で教科「情報」を新設する場合,
年次進行での施行が欠かせない.年次進行での施行を行えば,小学校で開設されてから4 年後に 中学校で開設され,7 年後に高校で新教科「情報」が開設される.そして,新しい教科「情報」
を履修した生徒が最初に大学に進学するのは,開設されてから10 年後になる.時間はかかるが,
教育現場の混乱をできる限り避け,スムースな移行を行うには,年次進行での施行は必要不可欠 である.
もし小学校と中学校で同時に新しく教科「情報」を開設すると,中学校では開設時からの4 年 間と,4 年後以降で教える内容を変える必要が生じる.開設時からの 4 年間は,小学校で全く教 科「情報」を学習していない児童が進学してくるのに対して,4年後以降は小学校で教科「情報」
を学習した児童が進学してくるからである.さらに,高校では,同じ理由から,開設3 年後以降 の 4 年間と,7 年後以降で教える内容を変える必要が生じる.教育現場の教員にとって,次々に 指導内容が難易度を含めて変わるのは,大きな負担となる.教育現場の混乱は,容易に想像でき る.
もちろん,新教科を年次進行で施行した場合,施行前の学年と施行後の学年では,大きな学力 差が生まれることが予想される.しかし,この点に配慮して年次進行での施行を断念すれば,教 育現場が混乱し,その混乱が児童・生徒の学習成果に影響することは必至である.
4.5 周到な教員養成
(1) 現職小学校教員に対する教員教育
現職の小学校教員に対しては,全員に教科「情報」の教育内容と指導法を,施行されるまでに 修得してもらう必要がある.これには,教員免許状更新講習を利用する方法が考えられる.教職 に関する科目「小学校情報科教育法」2単位を必修にして受講してもらうのである.そうすれば,
10年間で,全員の小学校教員に受講してもらうことができる.教科に関する科目も,適宜選択科 目として開講すればよい.
この方法で教員教育を始めると,計画を実施してから,全員の小学校教員が情報科指導法を習 得するまで10年間必要である.年次進行を守れば,その4年後に中学校で教科「情報」が始まり,
さらにその3 年後に高校で新教科「情報」が始まることになる.ゆっくりとした移行措置に思わ れるかもしれないが,拙速が禁物であることは,現行の高校教科「情報」が物語っている.
(2) 現職中学校教員に対する教員教育
現職の中学校教員で教科「情報」教員免許状取得を希望する教員には,複数の取得方法を用意 することができる.①教員養成系大学で開講される中学校教科「情報」課程認定科目を受講し必 要単位を修得する方法,②教員資格認定試験を受験し合格する方法,③教職員免許法認定講習を 受講し必要単位を修得する方法などである.
(3) 現職高等学校情報科教員に対する教員教育
現行の情報科教員免許状では,新しい教科「情報」を教えることはできない.つまり,現行の 情報科教員免許状は無効になる.ただし,次のような配慮をする.現行の情報科教員免許状所持 者で,引き続き新しい情報科教員免許状の取得を希望する者に対して,無料の教員資格認定試験
を年2回5年間,合計10回程度実施する.もちろん,この認定試験を受験するか否かの判断は,
教員自身の意志によるものとする.したがって,この認定試験の合格者は,新しい教科「情報」
を指導するための充分な知識と指導法を持ち,情報科教員となることを自ら望んでいる教員だと 言える.
(4) 大学生に対する教員養成
大学における教員養成(一種免許状)は,通常学部の4年間で行われる.すでに述べたように,
現職教員に対する教員教育に充分な時間をかけることから,大学生に対する教員養成は,余裕を 持って行うことができる.新しい学習指導要領の告示から施行まで10~20年あるので,中学校情 報科教員免許状と新しい高等学校情報科教員免許状の取得者は,施行時には相当数いると考えら れる.そのため,教員採用試験を,社会人採用枠を大きく設けるなどして実施すれば,施行年度 に必要な教員数を確保できると考えられる.
現行の高校教科「情報」の施行時とは異なり,現職教員が新しい情報科教員免許状を取得する のは希望者だけに限られているため,新しい情報科教員は,教員採用試験での合格者が多数を占 めることになるだろう.
5. おわりに
もしここで提案したとおりに情報教育の改革が行われたとしたら,新しい情報教育がスタート するときには,著者はすでに現役を退いている.著者は,もうすでにそんな年齢である.だから,
本稿で,教育行政に尽力された方々に失礼な記述があったとしても,お許しいただけるだろう.
それが,健全な情報社会を構築するために必要な情報教育の実現を願う熱意の表れであり,教育 界への最後の陳情であると,ご理解いただけると思うからである.
ここで提案した方法が,情報教育に春を迎えるための唯一の方法ではないことは承知している.
しかし,もうこれ以上,日本の情報教育を後退させることはできない.次世代のために,少しで も早く情報教育に春を迎えるために,本稿の提案を参考にしていただくことを願ってやまない.
注
(注1)文部省がウェブ上で公表した 2001 年 4 月 1 日現在の高校教科「情報」の教員養成を行っ ている通学課程の大学の一覧表を用いて,著者が数えたものである.なお,2009 年 4 月 1 日 現在の高校教科「情報」の教員養成を行っている通学課程の大学の一覧表[9]によると,318 大学,661 専攻・コースある.
参考文献
[1] 文部省:学校教育法施行規則の一部を改正する省令等の制定並びに高等学校,盲学校,聾学 校,養護学校及び中等教育学校の教育課程の基準の改訂について(通知),(1999)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/ikkan/3/990301.htm
[2] 文部省:高等学校学習指導要領(平成11年3月),大蔵省印刷局,(1999)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301d.htm
[3] 澤田大祐:高等学校における情報科の現状と課題,国立国会図書館 ISSUE BRIEF 『調査と 情報』No.604, pp.1-10,(2008)
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0604.pdf
[4] 全国高等学校長協会:教育課程部会(新学習指「導要領」審議のまとめ)に対する全高長意 見(2011.9.12)
http://www.zen-koh-choh.jp/iken/2007/071206/12shidou.pdf
[5] 文部省:高等学校学習指導要領解説情報編,開隆堂出版,(2000)
[6] 文部科学省:高等学校等における未履修の状況について,中央教育審議会教育課程部会第 55 回議事録資料 5,(2007)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/07061428/003/003.pdf
[7] 文部科学省:高等学校学習指導要領(平成21年3月),(2009)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/1304427.htm [8] 村田育也:『情報活用のための情報処理論』,大学教育出版,(2002)
[9] 文部科学省:高等学校教員(情報)の免許資格を取得することのできる大学〔1〕通学課程
(1)一種免許状(大学卒業程度), (2011)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2009/1 1/19/1287078_1.pdf
著者自己紹介
北海道教育大学教育学部旭川校 准教授。
1959年兵庫県生まれ。
1984年神戸大学理学部物理学科卒業,1984年4月私立岡山中学校・高等学校理科教諭、1992年4 月日本コントロールシステム株式会社システムエンジニアを経て,1997年神戸大学大学院教育学 研究科理科教育専攻修士課程修了。2000年神戸大学大学院自然科学研究科情報メディア科学専攻 博士後期課程修了。2000年4月から現職。
所属学会は,日本教育工学会,日本科学教育学会,日本認知科学会,電子情報通信学会,教育シ ステム情報学会,日本教育学会,日本情報科教育学会,日本教育社会学会。
IEC情報教育学研究会には,第79回(1996年6月)から参加している。
以下,IEC研究会での主な活動実績
[執筆]IEC 情報倫理教育研究グループにおいて,以下のような書籍と教材の執筆を行った.
1. 『インターネットの光と影 -被害者・加害者にならないための情報倫理入門-』北大路書房,
(初版 2000,4 版 2010),第 3 章と第 5 章の編集及び 9 章 3 節などの本文計 24 ページを執筆.
2. 『インターネット社会を生きるための情報倫理』実教出版,(初版 2002,2011 年版 2011),
第 2 章の教育・文化に関する 7 ページを執筆.
3. 村田育也:小冊子教材『インターネット社会を生きるための情報モラル(小学生版)』30 頁,
(2006)
4. 村田育也:「やってはいけない!こんな情報教育!! ~負の情報教育根絶のために~」,『情 報教育の課題と展望』情報教育学研究会(IEC)例会 200 回記念論集 pp.82-88.(2006)
[発表]2000 年 4 月から北海道旭川市で勤務しているため,IEC 例会に思うように出席できない でいる.そのため,以下のように主にフォーラムに参加して発表している.
第 10 回記念情報教育フォーラム,2000 年 12 月 10 日(日)
「小中学校における情報モラル教育について」村田育也 第 11 回情報教育フォーラム,2001 年 8 月 6 日(月)
「小学生を対象とした情報モラル教育の教材と方法の提案」村田育也
第 15 回情報教育フォーラム(兼:IEC 第 190 回研究会),2005 年 12 月 11 日(日)
「初等教育におけるインターネットの使い方・使わせ方」村田育也 第 16 回情報教育フォーラム-(例会 200 回記念),2006 年 11 月 12 日(日)
「初等中等教育における情報倫理教育」村田育也
第 18 回情報教育フォーラム (兼:第 235 回研究会),2009 年 12 月 27 日(日)
「情報メディアの個人性と匿名性の問題」「子どもの責任能力と社会性」村田育也 第 19 回情報教育フォーラム(兼:第 246 回 IEC 研究会),2010 年 12 月 26 日(日)
「子どもと情報メディア」村田育也
本論文は,第 20 回情報教育学研究会フォーラム第 256 回 IEC 研究会記念論集『情報教育の進展と 再構築』pp.52-61,情報教育学研究会(IEC)(2011 年 12 月発行)に掲載されたものである.