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PDF 現代商品学の生成・発展と課題 - 福島大学

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(1)

藏学論集 第§3巻第逢号  欝鶉隼3饗

1論文董

現代商品学の生成・発展と課題

松 村 毅

夏 は じ め に

 縫会科学としての商品学の存在が一般的に認められるようになったのは,欝鑓隼欝月に発刊さ れたζ経濟評講遷に特集『商品学の潮流雲として2本の論文と『歓会科学としての商品学違の塵談 会が掲載されたことによると考えられる。縫会科学としての商贔学が提起され瞬有余年,縫会科学

としての商品学へと学的性格を転換し,その蕎品学あるいは蕎晶麟究を取撃巻く状浅は現在どのよ うな状溌にあるのであろうか.現段驚で再穣討すること甕体非常に大きな意義がある。

 身近な商姦簿識や実罵的な商品に関する著作がかなり広く読まれている。溺費者にとっても生産 者や流通業者にとっても実懇的な商品に関する知識は有効であろう。しかし,有効であることによ

参,それらの全てを現代藤品学というわけにはいかない。商品についての単なる知識や解説は科学 的な蕎晶蘇究において素読とはなりうるが麹象度の低いものであ1)挙隅牲に乏しいといわざるをえ ない。後会科学は社会の真礫を追及をする字溝であ穆,縫会的存在である商量の真理を追及する学 問としての商品学こそ現代蕎贔学であ参,本小論ではそのような商品学の生成・発展と課題を論じ ようとするものである。その生成・発展とその動海については次のような議題題が包含されている.

学麗的性格を如{醗こ認識しそれを深化することにより,商品を取参巻く題題が具体的紅どのように 有効的に論じられ,経済社会の分析に貢献しうるのか,そのためには擁が必要とされるのであろう か。経済大国といわれるわが国において,商品生産の空濁化縫題やwTO(盤界貿易機構/規准と発 効による経済驚題は象徴的な藩贔開題といわざるをえない。商品経済論として童舞射爆摸で商品欝 究者が商品問題を異体的1こ講じなければならないことは多いのである。

 縮本商品学会棄北部会25年史詩磨(欝87年干彗矯)著作編集に携わった考として,東詑の地域で先 進的に展麗された商品藩究の展開と現段繕での総懸を必要不可欠な醗究として主張すると共に,商 品学の展擬と今後の発展のために必要となる具体的な醗究目標・藩究紛織などを課題として問題提 起雛たしたい。すなわち,これらの諸点について,これから将来にむけての始発的第一歩として筆 者の素朴な考えを叙達するにとどめる次第である。

3

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商  学  講  集 第鵜巻第尋号

縫 教会科学蕎品学生成鵡4〉諸問題

 (i/ 縫会科学としての商品学の提起

 科学的認識に基づく蕎贔学はどのようなものでなければならないか。商贔学は約艶書年の歴史を 持つといわれが,賎1こ承知のように科学としてまた学問としての薩品学は3§余年に過ぎないといえ

よう。学問として成立するため1こは科学的認識の方法が不再欠である。科学的認識の方法は歴史的 認識の方法であ酵,そこには,ものの発生と発展と消滅の必然性が霧らか1こされるものである駐。こ のような開題意識で醗究が進められる薩晶懸究こそ学問としての蕗品学といえよう。蕎轟学におけ る歴史的懸究の必要性については.賎に懲簸年に構種康簿氏が「蕎品の歴史的醗究の提曝轡を発 表し,これをうけ,藤蟹五郎氏は商品学懸究1こおける新動講の一つに歴史的の存在について発表を

した3}。第2次糧1界1大戦が激しくなる時代であった。歴史的認識に基づく蕎品獅究の進展は中獣さ轟 たのである。

 戦後,学麟が新しくなり,蕎晶醗究1こおいても自由な磯究が推し進められ,三谷茂氏は「社会科 学としての商贔学3という繕語を使い始め麟,歓会科学としての商品学の確立の機運がたかまり,商 品学が一般的に縫合科学として存在が認められるようになったは,醜遠のように欝硯年欝月に発 轟されたぎ纏濟評論毒に讐集『商品学の潮流叢として2本の論文とぎ社会科学としての商品学退の 座談会が掲載されたことによると考えられる。譲文は,「商愚学の発達と最近4)動向並(岩麟金一郎/

と「貿易蕗品と甕品等達(石井澄夫/であ箏,同塵談会は,滝野五郎,三谷 茂,橋本仁蔵,中村 巧,

石井澄夫の各氏によるものである。応罵欝然科学としての商最学に訣磯する商品学を志癖するもの である、そして,従来までの商品学においても主要な醗究対象とされてきた轟轟の品質につ諮て,社 会科学的商品蔭究の纏発点として,この品質についての縫会科学的機念繰定が試みられた。

 (2) 転匙形態としての品質

 蕎品学の醗究対象について,商品体の欝然科学的に規定される品位から,歓会科学的に爆定され る贔質にすべきであるという藪説が提趨された。商品は歴史的社会的存在である.生産轡の轟轟へ の転化の必然性がある.中村巧氏は,影繭晶生産は資本麟下の竃場§当ての見込生産であるから,そ の優懸樋纏も生産者にとっては,需要者を対象にして予離した綾霧纒鑓にほかならないひこれは見 込生産における生産量が全く見込にもとづくものと,舞ら変わるところはない。したがって,市場

に躾給される見込まれた優縁懸纏と,毒場において現実に求められる嚢澪筋纏との潤に多少とも

鎗 誓結石介『科学論舞95暮年3緯頁で.「群学の箕の方法は,簡攣にいえば,ものの発生と発展と潰滅の必然性  を瞬らかにすることといえよう。だが.これはいろいろの灘嚢をふくんでいる.(申酪/こ轟らの諸鰭麟をふ   くむ真の群羊の方法の特色は.一霞でいえば擾報麟ということができる」と科学的認識の方法について述べ  ている。

2/ 穫濱轟等癖藁筆校薦學魯鑛多蕎撃壌聖誕垂準茎董5〜董28責。

31 藤懇王難r本部商品肇馨蟻透。)一致講一一擁舞1。鷺,監護品學の獲達距癖種康博,ゼ轟轟の錘史的難究の野曝葦  について」橿鳥高等商業攣校煽ぎ慈學譲葉糞第23養レ2號 雛42年。

4/ 三1谷 茂陸墨魯麟贔質の意蘇とその霧灘縫尋ぎ商贔醗賓墨第欝弩 捲き3年8頁。論文申では「社歯群學とし  ての斯肇の醸1立」と嚢濁している。

4

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松 季重1現代藏垂暴挙の盤三成・発展と課題

ギャップを生ずるであろう。それは生産鵜始羨における需要震モデルの設定を誤ったものであるか もしれないし,生産継続申に需要篠自体の要求変化であるかもしれない。又毒場裡むこおける競争条 件の変動にともなう需要度の後退であるかもしれない。しかしながら生産醗始嚢寺における一定の発 込は,有矯労働投入の§的でもある。市場条件がその綾羅懸殖を再評懸1したとしたら,その評懸に おいて硬縁懸纏は転化せざるをえない舜とし,使繕懸麺の転化形態としての品質を鑑定している。

生産者は商品の品質を手段として穂潤を嶽約する羅)に対し,消費者は姦晶の簸格を支払うことによ 参使耀懸纏(品質/の実現を慧撮すものであ今,懸格と品質は絶対的矛態を包含している。竃場癒 魑…毒場纏絡…生産懸格に麟癒させ,綾羅懸魑…転化贔質一乗離品質を考え,自由鶴争段踏では品 質は近似的に摸i稽懸麺に等しく,§由競争が徐々に束縛され独占が形成されるに鍵って生産麹が強 鑑彗的尋こ商品に転嚢二せられ,蔑離現象が生じるのである。市場毒こおいて{吏繕謹1値の評癒された贔質も 一定不変ではなく,歴史的に展鵜させられる機念として認識する。さらに,商品生産縫会の商品は 籍値と使鶏懸纏,鱗格と贔質の統一されたもの,つま絵嚢晶形態として歴史的分懸方法を確立しな

ければならな恥。このような歴史的認識に基づく商品嚢究こそ商品知識の議萌や鑑定論的商漢学と 異なる次元の学閣としての翫轡紅醗えられるものとなる6も

 欝65隼にはζ鑛質基礎運論叢が,橋本仁蔵,中韓 巧,滝野五郎,飯島義郎各氏の共著として発 行された。その序に,「昭報3§隼i鐸から昭和鱒年i濤に魏たるi年闘,税務経連協会発行の欝醐 雑誌窪経営教室遜に啓蒙的意識のもとに掲載された,ゼ商品学セミナー垂をまとめて多少の撫筆譲正 を換えたものであるまと述べているが,縫会科学的商贔学の体系的骨組みを賭銭する運論の基礎を 晶質の究明から進めようとする意選のもとに講じられているのである。

 (3/商品学の学的姓賂転換と纒劉蕎品覇究

 臨馬自然科学としての蕎晶学に訣捜する商品学を志海ということは,縫会科学の方法譲に基づく 商品暴究をするということである。石井澄夫氏は,「商品学の性狢転換について珪を福島大学経済学 藻編摘学論集遇第34巻欝欝年£発表し,社会科学としての商品学の進展紅ついて講じた。局長 は,蕎轟学の性格転換について「商贔学の教科から科学への流れと,その科学の応薦露盤科学的縫 箔から桂会科学的牲賂への流れPを解析することにより,その性格転換の意練するものとして,晶 質論より蕎贔論への方海を見鐵さんと試みたのである。

 商品醗究は単に品質に留まるものではない。商品を麗史的社会的存在として認識しなければなら ない。その認識は,臨最を贔質と鱗格の二饅羅濃こおいて紹握しなければならないということになる。

当時の商品学教科書は総論と各譲に竣罵されていた。教科であっても学翼であっても,商贔の認識 方法は異なるものではない。学問であれば総論と各論が統一されたものでなければならないのは甕 然のことである。

 娃会科学的商品学が具体的に確立されるためには,異体的な商品懸究が進められなければならな い。その商贔麟究は社会科学的な方法に基づくものでなければならず,纒農商贔醗究び)必要性が瞬 ばれたのである。懸磯商品晒究から麹象される響究方法はよ箏一般性を持つ選議1になるのであ蓼,そ

麟 

中村 巧罫毒喜品学と懸麺講墜ぎ慈轟轟憂鐸究毒第歪3巻2華} 欝62年§頁。

瞬 頓村 毅経史購緬魑の雛史的分観方法鉦ついて墜ぎ商品欝究磨第2き巻レ2号 鯵7逢年玉2〜盤質.

7} 石井澄夫「漉贔学の樵路騒換について3福畿大学経済学都続ζ無学論集匪第震巻欝繕無難§頁。

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薦  学  講  集 第総巻第罎号 のような商品醗究が提起された跨。その後この観点ないしは方法1こよる纒携商贔麟究が学会内外に お簸て十分に麗麗されてきたとは一般的1こいいきれないのである。

 (4) 商贔学史の提起

 繭贔学が学閥として成立するためには,繭品選論の検証としての学史が存在するべきである。商 贔遷論が確立するためには商品学史の確立が必要となる鶴。今まで蕪贔学史の醗究が十分であった

とはいえないG

 商品が歴史社会的存在と認識されるということは・科学的蕗最愛を縫棄する薦援である。また轟 轟の認識段踏としての麗麗として,蕗贔運論が撰1判にたえるものつまサ商品遷論〔学〉として確立

しているかどうかを麗わなければならない。蕎晶学史が不在であったのは経史認識にかけていたと 考えざるをえない。過去に存在した商品学を史実のままに羅列したところでそれは単なる縮年誌£

とどまるものである。商品学史が存在するためには時代縫代の商品運論が進んだ段繕での礫論水準 で整憂検討されなければならない。わが蟹の商品学は聡治初擬以来博物学的藩晶学やドイツ流鑑定 講的藤晶礁究の長い靉靆を経て,経営論的商贔覇究が重携されるようにな拳,さらには経済学的商 贔晒究その中でも商品の歴史的論遷的認識に基づく商品欝究へと発展しつつある。商品が懸纏と硬 欝懸魑護零憾纏の矛矯的統一物と認識され,資本主義の発展段踏において商品形態論として認識さ れる繭品遷i論が構築され,始めて過去の商録運議を撰津誓約に櫨討罵能となる。商品運論雍体が完結 するためにはこのような蕎品学史が必要となる。蕎贔学史が謬論の後付けをしながらその検証が遜 譲そのものをよ拳完全なものとすることになる。またそれにより商品機念そのものの麹象的認識と

なる。

 躾本譜品学会で「蕎贔学史」醗究がとりあげられたのは,瞬学会閣東支部が燈鴛年を籾年として 3年連続のシン試ジウム「商品学史について」を醗鬱したことであり,これが史上擁の学史観究会と

して淫目されよう。霧年度i§器年2月は,シンポジウム「商品学史について,瞬蕎品学史への接 近」として,浅岡博氏がヂ商品学史への接近ユを,唇弁澄夫氏が「商品学史の方法と課題まについ て.次年度欝欝隼3欝には,「1麺学史醗究の実謹的展絹」として,石井澄夫氏がr蕪近代的商品 学からの離陸一欝種・繍i卜藤縷教授の所説を中心として」を,小蔭善雄氏がジ商品学史と商品史葺

について,3年覆i欝5隼2月1こは,「1{燐商贔学史と商品運謝として,石井澄夫氏が「商品学愛 の弁証法的構成と繭最構造論の形銭」を,松林 毅(筆者〉が「商酷学史と藷晶理論一遷論の検…藍

としての学史」を,それぞれ発表した。また棄誌文藻でも,関東支離の次年度のシンポジウムテー マ「学愛翫究の実証的展賜1こ響応して,i§簿年7月1こシンポジウム「学史難究の実証的展灘と

して,浅縄 博氏が紅本邦商品思想の諸潤題と悪品学麟設への影響一物類品購,馨本由海名物疑會,

繧本露海名産錘會等を中心として」を,石井澄夫氏が軒英躍商品思想の諸聡題と商品学麟設への影 響一絹絵窮慈熱学におけるS.疑.Brow醗,」.Yeats,G.G、C負1曲ol獄の評懸諜を発表した。

81 石井澄夫「藤雛商贔への醗究]多商品懸発墨(婚弱年畳目賀巻3鴫弩欝〜22〉。品紘論」)規箋姓と趨幾商品  夏野究 高畠学の琴藝状と麟舜i簿嚢義義嚢葺…建 霧藝熱学σ)性格と{轟辱彗嚢寡贔麟究 

鳶讐品誌および商品言禽の形成とチ}蟹 

旨こ  ついて論議免している。

鯨 松繕 毅「商無学史と商贔理譲一一■躍譲の検証としての学史…」貸本商品学会醗棄支蕊2舞鍍金(シン潔ジウ  ム/雄篇年 報告。

6

(5)

松 村1現代商轟学の生成・発展と課題

 すなわち,この3年闘にシン潔ジウムが4会場開健され,計8本の醗究鞍告があった.そのi/2の 淫本が石井澄夫氏の輯告によるもので,学史闘係史資料の発撮,紹介,そして,解析,考察,学説の 展露,総揺等,において優れた報告が示された。これらの穀告によ参,従来まで,史資料の根嫁が 示されないままの通説の多くが次々と訂歪され.史実に基づいた蕎品等史が醗らかにされていった。

そして本来なら次の発展類に諾す事糖であるが,この学史観究に関連して記せば,これら簿年代の 学史懸究に蟻を発して8§隼代には,ヨーロッパにおける商品学史の実態,そして3一ロッパから蒙 本への蕎品学の輸入ないしは伝承そして最近1こおける学徳交流の実態におよび.従来までの欝一 ロッパとの不羇確な事柄が次第に墾らかにされていった。そのなかでも特筆される次の報告がある。

 欝8§隼8月,小樽商科大学において購究発表された石井澄夫氏の薪本邦におけるドイツ商品学・

溝品実験の源流一 ㌃、Lo膿ls難琶go Fra漉の影響盛である。わが灘の商贔運化学・商品実験といった 運科的要素の強い商最学は,従来まで史資料の根嶽なく漠然と瞬治初年からドイツよ穆輸入された との説が通説であった。これが,聡治辮隼には,イギリス璽博物学的轟晶学.次いでベルギー型商 贔学,そして濃3一窟ッパ型への進展であ撃,大盃褥隼にな今小櫓高商の発駕にともなってドイツ より商品運化学・商贔実験の外人教麟としてDr.L.R.Fra櫨が小樽にきて始めて懸盤的なドイツ 型商品学が啓蒙され.わが蟹妾こ普及されていったのである。一挺であるが,無様1こ石井澄夫氏の学 史関係諸欝究の労作1こより学史上の諸通説が訂置されていったのである。そして最近ではわが国に おける学史驚係のみでなく,ヨーロッパとくにドイツ国の商品学史についても調査がすすみ,詳イ ツおよび誰一口ッパにおける蕎贔学者も関知していないかな鯵詳繧な史資料に基づいて次々と解明 されてきている。

 学史にかかわって,風巻義孝氏は文献の織密な縣究を進め,ζ商品学の誕生書(鎗76年/鋤を著し,

購書はディマスキーからペックマンまでの文献藩究の譲文で構成されている。夢その形式にこだわら ず,商品学の素樗をよ馨広く求めるならば,その漂船的な形態は,ルネッサンス矯から中量へもさ かのぼることができるし,ヨーロパ以外の毯募にも及ぶことができよう。(中酪/商品学の歴史を,

桂会経済史的な背景や社会思想史的な開運のもとにとらえていくことは,筆者にとっても学史醗究 の理想であり,かつ願望でもあることはいうまでもなも津玉}と遠べている。学史醗究の連想としてい

ることは,経済社会に存在する商最を還論的に認識しようとするものであり嚢灘極値と懸値の矛繕 的統一麹として認識されることが必然的に要請されることを示すものである。

 [補章1 実験蕎贔覆究の寵棄と非実験商品教育の勤向

 商品学がわが圏に導入されたのは窮治擁難であ参,薄霧学的内容の伝統的商品知識の叙述が主要 な内容であり,その後商品還化学,商巖鑑定論が中心とな蓼これが騨光を浴びてきて霞岳商の商品 学教育の内容を形成し進展した。前述のように鐘鋳年代になって商品学が社会科学の一分野である ことが認識された。「商品学が応懇毒然科学的な記逮学的商贔学からテイク・オフして,社会科学的 な商品学へと学的性格を転換してゆき,…般的に社会科学としての商贔学の存在が認められるよう になった(牛酪)以降縫会科学としての商品学が醸究され,その基講となる科学論などのMe出一

驚,玉碧 風巻義孝ゼ商贔学の誕生壌欝照年淳議嚢。

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蕎  学  論  集 第灘巻第尋号

。δolG容量e,商品学運論としての厳e撫06e簸le蟄eといった理論的摂究と産業商品を中心とした実証的 な講査醗究が展開した轡と遜べている。しかし,高等学校や大学の教畜科熱こおいては伝統的商品 知識の叙述や鑑定論が中心とな箏,無撹響に商品実験が継続されていた。

 高度経済成長は,商業教育をにおける商品教育の充実を躍る必要もあった.しかし,商品実験を 強調することは自然科学的実験強講ずることであり,奉来の葬実験蕎最教育を晦がめる灘面を持っ ている。当詩嚢本藩晶学会東誌支薬では蕎校商業科教員を中心に会員の撚大が進み,商品教官問題 が学会活動の一つの駐となっていた。欝欝年の学習揚導要領改訂にむけ置商最まの科馨内容の論議 が盛んとなり,地域経済事餐雛こ舞舞志した商品開題を擾い商品実験に重きを鐙かない商品教育の教科 書を編集しようと試みられた。教科霧の発行は実現しなかったが,改訂叢導要領の案に対し,石井 澄夫支部長名で文藻大駆に修正要望事項を申請した。これにより「〈商品の生産と流通〉を〈商品の 生産・流通と露民経済〉」とする露の返鱈があり,主鰻ともいえる曝餐経済の立場による商贔教育が 維持され,蕎品実験教育よ撃それ舞上に重要な見学・市場講査・講査講究・演習といった実習を重 規することにも運解が示された。そしてi留8年の学習指導要領改訂にお雛ては,圭9簿年の修正要望 事項のすべてが認められ,捲導要領より従来まで商最実験を課すべしとの環象が構え,藩品実験教 育を振導しなくても振導要鎮違反を購われることがなくなった。この玉9驚年の学習搬導要領の修正 要望は露窮的であり,商業高校における蕎晶群教育の根幹にかかわる大改革を遂げた特筆すべき事 構である獅。かくして高等学校では商品実験が中心的課題でなくなりまた大学の商品実験の授業が 廃棄され衰微していくことは,蕎贔醗究の挙隅的性格の転換からいえば必然的であるといわざるを

えない。筆者が卒業した穗島大学経済学藻紅おいては欝驚年度に授業科鐸商品実験を廃蓋した。

夏嚢 発展朗の醗究の充実

 (i〉 経済社会の動向と縫会科学蕎品学の発展

 高度経済成長は異体的商品の種類や量を飛躍的に絋大した。この膨大にふくれ上がった蕗品経済 桂会の分新麟究は,具体的な産業醗究の発展と深い纏わりを持つのである。棄詫部会では産業論と の関わ参を,賎におよそ25年繭から意識的に取り績んでいた。まず,産業教育としての商品教育翼 題が取拳上げられ,玉§鈴年には松林毅ゼ嚢品不在の商品教育からの離陸一産業教畜の一謬簿として 産業商品論を主軸とする商品教構一涯の報告があった。簿鴇年唾月には「産業史と灘品醗究3の共 通周題で石聾澄夫「電力商品形成と電力産業構造について」と松林毅「化学工業の発展と化学蕎贔 の構造形態に駕する若干の考察一旛島桑の化学産業史にみる商品形成の問題について一」,さらには 工§霞年7月石茸澄夫「産業技講の技徳メカニズムと披講乗懸,現代5本の石瀬化学工業の実体分嫉 を通して」,同年縫目嚢本産業学会(欝欝年欝月発是〉との共懲こよる欝究会などに取り縫んだ。

後藤芳治経界石瀬産業にみる産業購造の変遷と開題点三,石井澄夫「東詫の地域弱発と産業再纒劇,

董2) 石井澄夫ヂ篤学教蕎二百奪の薩史的勤殉と学徳的発展一麺会科学野産業蕎熱論卦「匿礫慈贔論の確立一」

  醗圭灘搬ε董SS麺¢暮el簸.懇請贔学の進歩のために…■琶本騰晶学会乗艦部会25年史誌一難§87年鷺 鶉頁。霧   氏の懸究には「商品学の牲酪転換について」蕊島大学騒演学藻纏瞳学論集オ第34巻婚§§奪がある。

i3} 松韓 毅「東麓認会の展擬(その1)一一一薮萩な学会運営一際本藤品学会葉駕蒲会 表掲書(欝欝年鷲〜i3頁〉.

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松 韓:現代濤轟学の生成・発展と課題

鈴木浩介「棄龍の産業経済と輸送・交通一東北新幹線と一関地域の課題達,B当光男「東麓の産業経 済と輸送・交通一宮古臨海地域の経済聡発珪,縁鱗驚介「現代の産業教育と商品教育蓬などが論じら れた蒔産業分析の方法については,石醤澄夫氏が夢石湛i匙学主業の産業技術的分析一大型化及び大 聖時代にみるその構造形態一(上)」で醗究方法を示し鱒,石瀬化学工業の楽鋳の大型化縄題を具体 的・実証的に藩究を展翳した。

 高度経済成長の進展は,大量生産・大量流遜・大量溝費といった豊な経済生活をもたらした。し かし,その大量生産・大量廃棄は深灘な公害麗題や環境題題を引き起こした。亙弱7年に公害嬬策基 本法,ig72隼1こは自然壕境保全法が麟定され,さらに,i§§2奪ド環境と灘発に関する蟹連会議盛を 経て,欝§3年に環境墓奉法が公奮された。これ1こ儲って経済環境の冤毒しも必要不蒋欠の開題に なった。また,2度にわたるオイルショックや急激な霧高問題が高度経済成長を破綻させることに なった。商品生産・流通・消費の新たな諸開題を新たな観念と観点から分析する必要が生じたので ある。縫会科学的な分析方法を持たなければ学問的に無意糠なものとなるのである。

 (2) 優稽極値と商最羅究一旋簾懸{覆の歴史的分極について一

 懸究蝿象である商品は使尾懸纏と懸纏(交換懸魑)の矛愚的統一物である。藪ず,この綾罵懸値 について検討してみよう。

 生命は物を基礎証して維持されていることは震聡のことである。その物は生産活動によって獲得 される。轟然雰は人糞が存産する以前から存在しているのであり,人聞が鬱然を認識するに到る契 機はやは蓼生存のため1こ物を獲得することであった。欝然葬に存在するものは,種々の羅姓を有し,

運動して輪る。われわれ人糞がその物を生存のために欝覚的に活罵することが重要であリラここに 使絹縮纏という観念が生まれるのである。そして綾絹緬纏は,人間の生産活動を媒介としてその内 容を豊富にしている。

 人間の生活が生産力の発展による生産様式の発展とと麟こ発展してきたという意味で歴史的善こ発 展してきたといわれる。物と人間の関わ塗として楚握される使繕癒鐘も歴史的に発展してきたとみ

なすことができる。つま撃,自琶のための綾絹極値の生産から地入のための使驚懸値の生産への発 展は.人聞の物へのかかわ箏即ち使罵極値について,根本的変化を生ぜしめその内容を重屡的なも のとしたといえよう。1吏灘懸値は霞葛のための単なる使罵懸穰藝ことどまることなく,絶入のための 綾絹懸纏について,§δの想定する使罵懸値と鰐比することによる使罵懸麺の評懸が重要となる。

 人聞と物にかかわる養湧懸魑の歴史は,人類の発生以来の歴史を有すると考えられるが,現代の 轟轟問題として使矯癒纏を論ずる場合見落としてならない6)は,硬懇懇魑の璽屡的概念の内容であ

る。単なる空気も,呼畷に必要な空気である一方,窒素露定工業では異なる使湧懸値として窺鐵し て来るなど,自然葬における物は歴史の流れの中で健罵懸纏として見越されていくのである。綾絹 癒値の形成過程は労働の過程であ9,賎に社会科学において経済学が生産縫係の問題としてまた装 備識が生産力の開題として労働過程の諸開題を分析してきている。そこでは労働過程の繕果ある生 産梅の分析においては生産物が一定のものとして一般的に論じられている。

1場 藩究方法については,r商学譲葉磨第論巻筆尊号 鰹得隼塁弩欝嘆7,25参難。隅谷三薯男氏の産業分極の   方法に依擁し,薦品分撰の方法を示している。

9

(8)

商  学  講  集 第§3巻第窪磐

 使湧懸催董の形成とは,使罵{謡値の創造であり,実体的なものの生産である。技術の発展による生 産力の発露が生産隣保の発縷を引き起こす。嚢驚懸値の種類が豊富になるばか箏でなくラ生塵的消 費にかかわる使濡緬纏機念へと発展するのである。生産力に基礎をおく生産関係の発展により生産 梅の硬罵緬麺は二1次的なものとなり,懸魑のみが鷺題とされる。生産過程において,綾絹極値をつ

く吟だす蟹藤が労働過程であ箏,癒値をつく拳だす灘藏としてみると懸魑形成過程となる。生産過 程の成果である生産麹について穂灘1遮及が前面にでて,鍵総懸値は二の次となる。しかし,稽潤追 及が環境破壊をひきおこした馨して大鹿の生存を危うくさせる段踏になって綾羅癒纏が再び問題と なる。商品生産が一般化する以前の社会翼おいて整罵懸錘は,その形成が消費に霞接結びついてい たと考えられる。披講の発展1こつれ生産と消費が人的・蒔闘的・空懸的にも蕪た肇が生ずる。しか

し生産と消費は結びつかなければならない。ここに生産物の商品への転化の必然性がある。そして 綾羅懸鑓は贔質に転化し歴史的社会科学的1こ規定される概念となる。縫稽懸麟の重屡的機念購造は 歴史的であるといえよう。

 晒究対象である甕品は綻縁懸値と懸纏の矛態的統一霧であり,これを形馨として認識するという ことについて具体的に験離してみよう。ヂ物3を離れてはあ幸えないところの硬驚懸籏も歴史的被会 的な存在である。野使稽懸魑の発見は,科学・技術の発展の発展に敷存する。使灘懸値は『物塞を離 れてはありえない。鋤蓋は無羅に多くの展性を持っているのだが,人麗はそれらを総て知むつくし ているわけではない。歴史が進み生産力の発達にしたがって,人離はぎ物垂の有灘な羅牲や使罵の 仕方を歴史貫通的な労働遜程をしたがってまた『物垂の変革を通して次々と発見してきた。この意 味で使馬懸魑1ま歴史的社会的である」といえよう覇。さらに敷衍すれば資本主義詮会では,科学・装 備が資牽によって繰定される。すなわち「魅会発展の一般的精神的産物としての科学も資本主義栓 会では資本に壷接合鉢されたものとしてあらわれ,資本の発展として現れる轡}のであり,その科学 に依存する使霧極値の発見も歴史的なものとして楚握される鱒。

 後述するが,グラステックス商品としてフェノール樹灘が工業化されたのは騰甕紀に入ってから である。その後グラステックス商品は種類・量を多くしていくのであるが,この過程1ま一般に産業 資本主義から独占資本主義へ移行後の強姦資本主義の発展の過程と一致する。「独占とは,〔中略/少 数の資本が巨大化し,それらが社会の再生産の運行を決定的に支醒しうる状態,という特定の生産 遍程の集約的な表現である」轡といわれる。独占の発展は,資本の巨大な集積と集中による。それは

「機械,鉄鏃.石炭,繊維の各工業および鉄道,汽船の運輸部鱒とならんで,電力,化学,石油など の新産業部幣の勃興がこれを拍車した」鋤のである。グラステックス高畠の発生・発達過程は,こう

i3)浅翼 博「薦贔の使灘鑛纏と贔費一群学鼓衛からの考察一」矯品誘究垂第器警策綴号雄聡年玉葺。

1§} 中啓静治「経済学の発展と技徳分犠…技講論は経済学の一分野である…」ぎ経灘鱒麗年蓉月号3器頁。

跡 なお.石綺雛受賃『蕎熱学と蕎贔戦絡唾(i鱒3年〉には,「嚢灘簸纏醗究の麺史とその変容」,「マルクス1こお   ける{吏灘懸綾織念4)変遷,{愛用騒纏の袴珪1一ζ誓学の貧毯垂」,「褻耳翼藩{濠の重幌憲経済学蟹藩ll要綱郵,「轟贔   の二薫性と薩贔の二要鐘一『経済学蟹舞圭と罫資本論蛸の分雛藩究が駿められている.綾絹懸鶴6)科学的学   問麟認識に基礎をおいて,醸贔を形態的証認識魏握すべきである。

玉絹 宇盤美・宇高・島煽ぎマルクス経済学講塵蓬2帝露主義論 謄63年 磁頁.

亙§) 申替静治『理代工業経済論遜 謄鴛年 騰貴。

一鴻一

(9)

松 種:現代蕎贔学の生成・発展と課題

した経済的背景を持っている。商最の醗究は,経済的背景や経済学が究萌した成果を麟提と恥ま たそれを譲三窮するもので なければならな秘。

 独占という生産関係は,毒場にどのような影響を与えるのかをみよう。雛ち独占は「自己の強焦 のためには一面において生産力の発展を志講せざるをえない。だがそれは地方では狭灘な竃場との 矛騒を激化させるのである。」鋤そこでは懸路の硬直化現象が生じることは周知のとお箏である。そ

して狭隆な露場との矛態の激化は,商品に関していわゆる葬懸鰺競争を生ぜしめるのである。つま 箏使稽懸纏の科学的機念としての晶質競争となる。蔑存の商贔の計懸的廃棄新商品の連続的毒場 授入申さらにはあたかも醗存嚢贔よ馨性能・機能が優れているかのような広告・宣伝等の諸幕湯政 策(マーケティング)がとられるのである。社会的存在としての商藻認識は,その形態としての認 識により,真至聖の追及が薄能となる。

 (3) 轟品史の醗究

 商品見本を集め蒔系列的に整理したところで社会科学としての商品史とはならない。全ての商轟 を集めることは不可能であ拳,見本を練擁したとしても啓蒙的簿物的意嫁をもつとしても,現実の 商品を実感することはできない。歴史的鮭会的存在としての商品つま今商轟を形態として鯉握した 場合,商品の歴、史はどのようになるのであろうか。

 商品史については,グラステックス商品を事例にして,すでに「グラステックス蕎贔生産につい て…高度経済成長を支えた素読の一つとして一一3鋤報答したところである。

 注§しなけれ.ばならないことは,セル環イ誉こしろフェノール樹贈にしろ,グラステックス商品 はその黎明のときから,独占的に生産盤給されたことである。轡1弊経済は匿に独占資本主義時代と して展露しており,後進資奉主義羅であるわが羅では,国家の援助のもとに資本を集積・集中せざ るをえなかったのである。襲策として自給から輪鐵によって外貨獲得が目論まれていたのである。こ の頃の化学工業は,「地方分散的な水力発電による余嚢電力の舞絹と,製鉄業,都毒ガス業の発展に よるコータス需要,したがって生産の増大とその廃物の大量化による麟産物の大量化による灘産物 科用への行動がはじまったゴ鋤のような状溌にあった。つづいてアンモニア合成技術がi望2年に工 業化され,電気化学コンビナートも形成されたのである。そして,蟹家とくに軍との緊密な麗連に おいて,日本の化学工業は多彩な発展がなされた。生命力のいとなみしか有機舎競物をつく参えな いとされていた化学が罎素を合成できるよう1こなったことは乾学の大変革であった。そして,尿素

とホルムアルデヒドとの縮合によって樹贈状物質が得られることも難られるようになった。蕎工雀 大阪工業試験所でユリア樹懸の実罵乾醗究が進められ,塗料として毒販された甑洋傘の構や電気

スタンドや文房具,化粧板などとして利罵されたが,本経の接着耐水選としての盤能に優れてお肱 合板工業に購いられた。この接着趨が「無敵覇涯とネーミングされたことはその時代を反駁すると

ともに醗水性においてはフェノール轡懸に劣るが戦麗罵のような一時的優欝には十分耐えるという

2欝 宇乾奨・宇農・島鑛 蔚掲書 艇頁。

2葺 石巻青立女子商業高等学校鑛ζ羅究紀舞第7号 欝鱒年。なお.半合成撰騒セル欝イドの製造窮鎗頃の事   鷺紅ついては小霧寿縮本プラスチック工業史暑(難解隼/,またフェノール構懸の製造され始めたころ看)事   擁については蕪牽科学史学会縮本科学装備弊系垂葱む.餐(讐艇年/に騨遽されている。

221 渡羅徳二「近代髭学工業ぎ)購造ま甕現代馨本産業嚢達史陰化学工業(上議欝総年難責。

一i玉一

(10)

商  学  論  集 第63巻第逢号 ので上陸驚舟艇の製作や木製飛行機にまで麟絹されたのである鱗。戦局も激しくな瞬有機合成事業 法」(欝萄年)饒定され,メタアクサルの防騰ガラス,酢酸ビニルの航空食糧(チューイングガム/,

爆撃機睾こ搭載されたレーダーに篤いられていたぶ夢エチレン製ケーブルの癖劣弱発も試みられるよ うになった鱒。しかし各種有機合成化学の展開は,ド早熟な発展がその矛猿を露呈した」雄ことにな り,いわゆる高分子化学工業の発展は戦後になってからである。

 戦争経済に直接・腿接に結びつけられていた化学工業は,戦争協力の名騒で設騰のスクラップ駕 と僕灘,さらに爆撃により設騰に撰害を受け,戦後は占領軍による賠縷指定を受けたりして,すぐ に生産を薄絹できる状態ではなかった。終戦直後の食料不是,インフレの進行は社会不安をつのら せ,歓会不安は政治不安へと轟まり,禽料増産のため化学髄料の増産をはかることにな警,輸入原 料を必要としない窒素驚料の生産を始めた。化学工業は,政府の復縫資金や復興鞍資さらに差震懸 格での買い上げといった手厚い保護・音域のもとに麗料中心に復活したのである.欝欝隼6月に勃 発した朝鮮戦争特露によ蓼生産遺灘は一蒔改董されたが,欝§2年体戦となると事態は悪化し,給料 を中心とした化学工業の体質酸讐が鱗ば蕊るようになった。石灰窒素濡として黙坊れるカーバイ ドからアセチレンをえてこれを塩化どニル,酢酸ビニルなど有機金蔵に灘繕しょうとするものであ り,アンモニア工業の罎素についても合成樹藷生産に請けようとするものであった。このような高 分子合成化学披講の進展はより生産効率のよい石漆・天然ガスヘと原料転換していったのである絢。

化学工業品も農業部門から一般消費財,醗久消費財,建築資材にまで需要を拡大していった。

 石漆化学工業は,欝§5年通産省の紅石濾化学工業育成対策まに基づき,本格的展翻となった。石 濾化学工業の企業化により,まず第一にゼナイ籔ン,酢酸繊維等の合成繊維工業及び石巌酸撰臆,メ タクリル構懸等の合成樹影工業の急速な発露にともない,鉄絵不是を来す石漆酸,アセトン等原材 料の僕給確保窪(紹秘論集7還聾霞通商産業省省議決定/を目的とする決定がなされた。そして設 構資金の甦奮,設騰の短難焼却,外馨技術の導入認可,法人税の特磯捲置,機器輸入の外貨割蚤確 保と関税免除の積極的政策がなさ蕊た。これによリブラスチック商轟は,石油化学工業製贔として,

合成繊維・合成ゴムなどとと麟こ大量酒醤財の療料という性格を担うことになるのである。

 臆露隼はわが轡でエチレンの生産設嚢が完成操業を始め,本格的に石濾化学工業が確立したとい える。玉鱒§年には一企業で年譜万トプラントが建設されるよう1こな讐高い成長率をみたのである。

このエチレンの生産設備の拡大は,熱薄塑性樹鰭の拡大をもたらしたのである。

 グラステックス商品は,化学工業の発達によって天然漂耕料に代わって生み鐵された人工悪材料 として,大量・斉一・均質で長難的1こ安定的に稗耀できるという点で,僕給面の大燈模化を達威す

23) 小瞬 寿謡本プラスチック工業史薗欝欝年 感§頁。

2肴 鈴木高蔭「灘酸ビニル・塩化ビニル・ポサエチレン装備の確立」『現代嚢本産業嚢達憂欝 化学工業(上灘董欝8   隼 4翼翼。

2§1 渡遷徳二 離轟書 2i頁。

2緋 鷺弱年東海硫安㈱(理三菱濾化㈱/が購蕪毒第2灘軍燃料廠払い下げ串講,嚢豊漆化学も購隼襲岩羅陸軍燃   舞籔払窮下げ串鋳菰よ婆,召漉紀学工業・石漆精製業を企悪していた。欝5套隼には繋本曹達㈱から蕎譲鑑学   工業化の計遜が患され.,政癬も経済幾重化政策の推進紅あたって亨合成繊緯,合浅撰鮨工業の原料基盤とな   る有機合成化学工業の急速な確立を望んでいた馨環漉化学工業欝洋剣謄鷲葎 3§噸§頁/.

一i2一

(11)

松 栂:現代灌品学の生成・発展と課題

る条件を有してお讐,また,流れの理象を稀締してどのような形にもすることができるという物盤 によって,縫来の灘晶体との代馬・競合・代替するすることが罵能である。独露資本主義段繕にお ける蕎品生産に適合した。欝欝年代半ばまでは天然樹慧捧半合成橿熊として麗麗,嬉灘年代半ばで フェノール樹籍など熱硬化性構鮨を中心として展饑し,欝欝年頃以降塩化どニル樹騙をはじめ熱璽 塑性樹懸が発展した。しかも療料としてのグラステックスが商贔として発展するためには関連産業 であるプラスチック撫工産業を巻き込んで発展したのである鵠.

 グラステックス商品の撫工は,その窃期においてはベッ畢癩工との関連1こおいて職人手工芸的な ものであったが,趨工分野にお魏ても大量機械生産へ発展せざるをえなかった。熱硬化性樹籍撫工

(フェノール樹鮨やユサア樹態など熱を超えると硬化する樹髪撫工)では,涯縮銭形法・移送成形法・

財畿成形法・多段圧縮成形法・漉入成形法などに発展した。一方,熱可塑控樹影撫工(熱が趨わ蓼 温度が上昇すると軟化流動し,冶蟻すると譲まる盤質の樹髪藤工では,財趨成形法・揮轟成形法・

吹込成形法(中空成形法/・真空成形法・スラッシュ成形法・特にグラステックスのフィルム,シー ト類簾工・インフレーシ聲ン法・Tダィ法・カレンダー撫工法,そしてその地発泡哉形法など撫工 法の進展は撫工機械産業の発展をもたらした。さらに》サイクルにかかわる生産機械等も発展せざ るをえなくなっている職。

 このように,藻材料(素材/・生産癬工(生産体系〉・消費({更罵緬纏の実理/の総体としての商 品の分癬懸究が推し進められ,産業の発展の法難とともにその実態が科学的に究明されることにな

る。

 グラステックス商暴の最近の動海として,生分解グラステックスや光分解グラステックスが続々 市場に覆れ,廃棄物越理に新しい活跳を饑くことになると漉馨されている。愈々わが馨にお観ても 商品化されるようになったのである鋤。高懸鰺が難点であると振嫡されているが,警束的には難待さ れるとされる。光分解性グラステックスは土に埋めた場合は光に当らず分解しないことや,完全に 分解するのではなく紛織が醗壊するだけであれば.廃棄物麺運に活蕗を見鐡すわけにはいかない。生 分解性グラステックスは土壌中で鎗遷闘後には,分解が始ま参さ嚇こ放置すれば水と炭酸ガスにな

るといわれる。従来の石漆から作られるグラステックスに代わる素馨が雛発されれば,生産趨工体 系・消費購造などにがどのような変革をもたらすかについて検討しなければならない。産業の動鶴 が商贔の発展に大きな影響をおよぼすのである.

 このようにグラステックス蕎品の展開は需要に基づくというよ撃,僕給つまり化学工業・石油化 学工業の発展によ参,グラステックス高畠の拡大がもたらされたのである。燧々のグラステックス

27/松轡 毅(報告/rグラステックス舷工と商品生産一素材と撫工機械生産一擁欝2年鷺月福髭大学経済学離   石井ゼミ垂講究会 於 東灘大学醗渡セミナーセンター。

281 その莞護額縁郵グラステックス遜臆72年春肩骨と嬉鮪無6弩号1こよれば,次のとお今である。鷺研年プラ   スチク趨工機生産はき,薮2台約2欝億霧,凝韓1墨8鱗台縛嬉癒護千万韓,詞輸入i舞台7憶鍔であった。欝鍵   年プラスチク擁工機生産睾ま欝,§露台約2,$緯{意聾.闘輸崖7,3船台約§,謁今億万鍔,購輸入398台72{意7千   万鍔であった。難撰年のグラステックス製品の生産は約3秘方tであウ,亙9雛年の生産は紛2縫万セであっ   た。

2§1麟欝新驚(i§§2年8層§譲付1,藤本プラスチック工業連盤誌ぎグラステックス舞鱒§年§探号を参娯。

一玉3一

(12)

商  学  譲  集 第§3巻第4号 商品の窃牲や露盤を比較検討しても発展の秘密は縁も掘鑿できないのである。どのような形1こでも

できるという性質を持つ慢罵懸魑は.巨大に蓄積された資本のもとにおかれてしまい,資本にのみ 許される商品になってしまったのである.

 (4) 国際商品醗究の台頭

 欝§2年鴛鍔福島大学経済学藻商品学教室の響び掛けで,嫁社会科学轟轟学置灘構年記念欝究会墜 が縫催され,石井澄夫氏は「社会科学商品学の認識籔的と最近の動向雄鋤について鞍告した。醗代商 贔は騒鰹経済の中心であることは論を待たない。蕎贔は歴史的社会的存在であると霧鋳に蟹藻的存 在であり,地稼的燐模として存在している。社会科学商品学の醗究対象である商品の社会的な存在 意義を人類文化への貢献と叢ったレベルまで考察をすすめ,その商品形態の認識を深化させること

にある。

 商品経済は具体的紅綾羅懸纏を生産しなければならない。そして蕎晶生産が拡大いし蕎品流通は 国鰹隙こまで発展する。経済の発展の必然性を認識することは商最理論の内容を深め雛象性を高め

ること畢こなる。

 「東北薬会内で慧欝83年畷9獲年・謄86年の第き懇・第§曝・第H懇の各商畠学アカデミーに お騨て共選論題蓼羅際薦贔論の課題と方法邊で砺究鞍各8本,欝絡年と欝欝年における醒際蕎晶麗 係の藩究報告2本,飽に羅際麗係の麗連講演4本讃−錘本となって鯵るま鋤と遜べられるように醗究 が盛んであったのは商品学1こおける緩際姦品論の講築の重要性の認識の現れといえよう。さら1こ石 井氏は,「戦後早々に正MF・GATT体譲が現実的に進んだため,i鱗8年麟定のハバナ憲章に示され た国運の理念も実行されず,玉§経年の覧選CTA更〉の設置まで南匙問題への取緩みは低講であった。

その後.南駕問題の深亥彗さと共に次第1こ羅漢的に注蔭されてきた分野である淫鋤とし,国際商品協定 の本質的動向の運解力罪掻際商品諭達醸究の基礎であると旛摘している。

 歴史的展麗における騒標的商品流通の整合性と矛蔭牲の解閣が国際商品譲の課題である。この整 合性と矛盾性の総合的藩究は弁証法紅よらなければならない。異体的には蟹隈蕎品にあっても使霧 懸靉靆題は鐵発点とな警,しかもそれは使罵懸纏講の内容を深める。人懸の自然へのかかわ彗のな か1こ見鐡される硬醗懸値は生産物が蕎品として生産・流通・溝費される段踏にお雛て,その雲容を 複雑化し,ブラックボクスに押しやられる。醒際商品漉通力遡董盛にになれば, この領海はさら毒こ強 まり,国際間で開題となる。たとえばわが国の木材1輸入がフィサピンなど南方地域での環境破壊の 直接的原羅の一つとなっているといわれる。旨本人にとって,誰も使っていない箸(警轡箸/をつ かう事があた讐まえになっている生活縷習がかかわっている。講詩に外食産業の発展にとっては不

3窃 緊鮭会科学商贔学璽繋灘年嘉念襲究会」(i鱒2隼繊月22露 賛 福島大学職長会館).

3董) 石井澄夫「社会科学としての商贔学から繊会科学匿講鹸経済論肇ヘー『産業商品論書ぜ函瞭轟轟講書4)確立一一」

  讐奉藤晶学会東銘轟会漿簸搬e玉ss癖曙el翼r。i5藤晶学の進歩のために一環本商品学会乗詫離合25年史詩   一選i§87年蕗頁。

32) 石井澄夫表掲譲文嚥頁。なお,舞氏の鈴鍵年8月7−8醸第難蟹棄詑部会蔓季アカデミー講整 轡擦商品   論のi課題と方量宏一第3雛学的鷺生格癒葺で6)幸霞告内容の項欝は次のとお彗である.至従来までの醤嚢祭薦垂贔暴発   夏至開題麗心6)進展 国擦醜商品瀧通の罷達麗麗をすす誇た主要な憲章・機構・宣誓等 互V属鰹轟品論の課題   V匡1鰹講品論の方法 V玉瞬課商贔嚢究一との靉靆点 V澄むすびにかえてむ

一翼一

(13)

訟 村:現代蓉品学の生成・発展と課題

可欠になっている。屡内の綾羅極値問題が雲際鷺にまで必然的に及ぶことになる.消費地立地璽の 誌品生産がなされその意味では貿易繭贔ではないといわれる合成洗麟の環境涛染問題は一躍内にと どまらない。漂料輸入・生産さらには使霧極値の美瑛(消費/一 ヘ,その社会性・国鰹牲と深く結び ついているび)であ箏,重要な醗究課題である鋤。

}V 曇際蕎品羅究と国際的商品醗究機構の構想一社会科学蕗贔学の課題

 麟遠のように蟹鐸商品藩究の課題慧多い。国際閣莚おける商品流通に騰わる諸関係の動1薄1轟戦 後の敷銀・GATT体鱗下における歴史的な歩みから弩翼CTAD設置とその後の推移と進展,さら

にはN毘0の国連承認以降の展開も注鬱せざるを得ない。そして,WTOの擾准・発効という最近 の経鼻経済問題へと展開しているのである。先進工業蟹と発展途上露途の問題や南北問題等は商品 の国鰹流通にかかわっているし,現代轡罪の基本的構造問題である。商品の流通は,資本の流通を 呼び起こし,多蟹籍企業の行動として突鐵した現象となる.醸際問を流通する具体的な商品は具体 的な使溌覆麟褻を有しそこでは国鰹的な標準化が必然的となる。資本の獲接投資がどのような生産技 衛のもとになされるかという点紅おいては技術輸趨の問題であ陰,産業の空洞化の驚題を惹起して いる。国鰹嚢品論は渥際闘を流通する異鉢的蕎晶の諸現象から遷論を銚象し,その理論は商品流通 から資本流通/投資/へ発展する必然性を説鞣するものでなければならない。

 蟹際商品醗究は,わが国内に際定されるものではない。国鰹的な学徳交流の進展が望まれる。

 謄87隼東北藻会(当時支部/の記念すべき一大イベントであったヨー欝パ商品学観察醗究調査懸 濠遣が実施され,それはウィーンでの国際シンぎジウム弱催そして醒際学会創設の契機となった。轟 際商品羅究の点で充分な総捲はできなかったが,東麓部会の活動の意義は大きかった3駕当時東北部 会長石井澄夫氏が長難海外醸修でドイツに留学中であ今,留学中の貴重な時翼を割いてヨーロパ商 品学視察藩究講査鐵滋遣の実務を握当し蟹豫シンポジウム露催そして国際綴織の形成とその民主的 構成のために尽力さ蕊た。海外厳行が注目され始めた覆であったが,単なる海外ツアーではなく懸 究交流を主体にしたものであった。それが藩籬で賂透した騒際商品論へのアプヨーチを試みるのに いたった契機であ陰,それは鑛際高畠経済社会に対する擬野の広が獄こよるものであろう。しか賑 後段の国鰹綾織化とその展騨の安易さから東北部会のその後の発展轟こ澄接結ぴついたとは言い切れ ず,竜頭蛇尾に至った点を反省したい.

 言語の壁を棄穆越えた学術交流は簡単なものではないことを実感した。国際シンポジウムでは白 繭での選訳を確保したが,専門聡語の菅縫な翻訳やニュアンスの微妙な表現までは通訳不籠であっ た。学術交流であれば,まず双方6)言藷による双方遅解が不可欠であると思う。商品という欝究対 象に縄一視蓮をおかねなればならない.國一撮痙を麗くことができる範霧から共購醗究を進めるよ

33〉松村 毅「綾羅髄鐘論と露豫轟轟講…使縁懸纏の縫合鍵・国際甕一」欝欝.8.2董 第§騒穂懸学夏季アカデミー   講経ギ馨課商贔論の課題と方法1報告鼎

3嚇 松軽 毅「ヨーロッパ薦贔学観察醗霧講査]帽本醗晶学会素意部会蟹1搬盤elss癖ege疑財.蔦藏贔学の進歩   のために一段本商品学会東誌部会25年史詩一構亜腿7年騰〜2§頁〉においてその経遺・馨豫シンポジウムと   ケルンでの藩究交渡会σ)実際とヨー誓ッパ灘暴挙幌察欝究調査諏遣のもたらしたものとして論透した。

伊3i

(14)

薩  学  論  集 第薦巻第尊号 りしかたない。瞬発ツアー化したとの指摘もある騒際シンポジウムの運営に代わって,異体的な羅 究嚢榛実葦琵のため毒こ匡1際糞勺な民主的な商轟麟1究の綴織が望まれ.る。錘羅祭的商品嚢究の機購i購想を確 立し,商品醗究の発展をはかることが燐実に要請される次第である。蟹際的に流通する商品は歴史 的縫会的存在でり,そうした商品を対象とし,新たな藩究目標のもと,学問の欝密を実現するため に,娃会科学としての藤品学を発展させるべき醗究絹織の確立が望まれる。

 糠記3

石井澄夫教授定隼退官を契機に,麟造性をふまえた海容に心がけ,本小論文をまとめた。

 石昇教授には欝欝隼(曙秘38年/以来ご指導翳り衷心よ参感謝します。益々のご購究の発展と ご健康を祈念します。

一賂一

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