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PDF 松川事件とは何か - 福島大学

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(1)

軽総3〉

難文繍

難論灘

松川事件とは何か

一福島大学松擁資料を素材として一

伊 部 正 之

玉.はじめに

 欝鱒年8肩に癌農桑下で発生した縫翅事件は,

た1んなる一地方での 薙箪転覆事件にとどまらず,

戦後史のその後の展醗に重大な影響を与える一大 事件として,今謎なおさまざまに取箸上げられて

いる。

 さて.その松撰事件の璽場にほど遍い纏島大学 の一室に訟鰐資料室オ響謂設され,たのは.i§88年i{}

月のことであった。そして,この間に多くの見学 者解資料室を訪れているが,そこで新にふれて崖 さ轟るひとつの要望は,松蝉事稗の全体像がわか る小畢}子の類の発行である。たしかに,松郷事磐二 の名はと静わけ地元の人たちにとってはあま瞬こ も有名ではあるが,事件堤場を知箏,事件の内容 や顛末をそれな瞬こ説溺できる人は,むしろきわ めて少ないのが愛糞である.それ}ま,事稗発生後 すでに半握紀透く解経過していること,したがっ て事件を知らない(体験しない)縫代が増撫して いることの当然の結果といえよう.一方では,こ の松燐事件がもつ歴史的意蝶の大きさを反緩して,

この闘にじつに彪大な1論及が,さまざまな分野の 人びとによって多面的になされてきている。その 意駿では,松鱗事鶴の金棒橡は松燐資料室がこの 問に駿集した多露的な資料類を精査すれば十分果 たされるはずである搭,しかし,資料はあま瞬こ も多すぎる。つま馨,松鱗事件を学ぶために,ま ずは一応の全体像を知る手掛警麟求められる湧以

である、

 筆者は,緯経年に篠島大学で絵絹(事件縫孫)

資料の駿集事業が灘始されて以来,そのための実

務要員としてこの事業にかかわってきた。ただし,

筆者もまた,松鱗事件についてはその名繭を知る 以上に特段の予備知識をもたな疑一外来者であっ た.したがって,松癖資料取集修業とともに始まっ た筆者の松ノ1き醗究(松燐学習〉は,基本的垂こは穐 元にふさわしい最大醸の駿集達,取集・整理・保 葎・活繕の一体的推進諄という自らに課した資料 叡集の基本方鋭に縫属するものであ鞍,この作業 主・醗究従という欝係はいまだ転換できずにいる。

それ・は,修業と醗究(学習)についての時間やエ ネルギーの翫分艶という意味においてだけではな く,その醗究(学習〉曇的もまた資料の薮集・整 運に往羅せざるをえないという二重の意蝶におい てそうであった.この麗係は,88年欝鐸に松鱒資 料室の麗設をみた後も,依然としてつづいている。

この閥に叡集・整遷された資料は.いず為にせよ 筆者の手の纏れないものはほとんどないはずであ

静,精読・乱譲の衝動にかられる資料も少なくな い。しかし.あくまでも酸葉・鼕鼕を最優先にせ ざるをえないのが,実務要員たるものの密命とい うべきであろうか。

 したがって,筆者の松鱗懸究は,いまだ補歩的 でかつ偏奇なものである.そこで,本稿のさしあ たりの課題は,資料室見学者などから罷起されて いる匿松絹事件とは何か操についての基本点を松 駕資料室資料を手掛瞬こ再確認し,あわせて,こ れらの資料が新たな素馨として縫起しつつある松 鰐癖究の新たな展雛可能性について探ることであ

る。

(2)

(童鱒4}

福島大学題域醗究 第5巻 第董号 欝93.8

2.松難事件とその歴史的意味

 鯵鐙年8月i7蔭未瞬,麟鉄東北線金谷燐〜松郷 聞で上鯵普通線客 彗車が脱線転覆し,乗務員3名 が死亡した.現場は橿島盆麹南縁の髭綾地帯にあ た管,線蕗(環〕荘の下陰線〉が権理由を右まわ辱 に迂羅してはるか前方に松燐酸をのぞもうとする 急カーブ地点であった。爽車(機縫箪など)の脱線 転覆は.侮者かがこのカーブ地点の外戦を取瞬ま ずした結果であ蓼,まさしく粥車転覆・致死事件 であった,これ損いわゆる松燐事終の発生である、

 この事件が歴史に残る大事件となるには.いく つかの遷縷があった。

 第iは,簿よ鯵もその鋳代的背景である.すな わち,この事件溺発生した欝磐年当時はいまだ薦 旗体麟下にあり,G登Q(連合軍総舞令部〉撰戦 後の新憲法をも超越する絶薄的権能をもって看臨 していた.当時の国内では.数戦にひきつづく失 業・貧濯・餓餓の蔓延,労饒運動の急速な発展と 翼棒麟撹舞の広がり,嚢本共産党の影響力の拡大 など.体鰯鰯にとって一種のゼ危機葦状涜を環離

していた。また,貸本をと鞍まく羅燦構勢では,

戦後簿環性悪驚の発生,中国革命の決定的な蕪進,

植野地独立運動の発展,東西薄立の激化などがみ られた。こうしたなかでG翼Qの実権をにぎるア メジカ占鎮雛iは,占領i当籾の弩本ゼ浸主イ絵政策 を敬棄して,舞本をギ極東の不渡空母」飽する政 策を追求しつつあった。この醤的から,49年には 戦後の悪性インフレの終息をねらった超緊纏政策

(ドッジ・ライン)が実麓され.その結果,官疑 あげての大量黄燐鞍(官公庁で26万人,疑問企業 で臆麟万人)が強行されつつあった。追1簾的な大 量失業の発生は.矛震と部危機嵯をさらに深めさ せていた。こうした勃椿騒然たる零露気のなかで 松辮事件が発生した.

 第2に,露鉄をめぐる椿勢である.露鉄(覆有 国営〉は,その鐵発の婁初から軍事戦略的要霞を はらみながら,全靉靆交通網の主柱として展麗し てきた。敗戦による植黒地鉄道総の喪失と縫係従 業員の本土露鉄への籔鞍が,戦後の麟鉄経営に一 定の歪みを生んだ面は否定できない.この閥,薦 年9月にはi2万5{}{矯人の善隣鞍通告麟あ穆,9・

董5ゼネスト体麟の確立と飽産業労働者の広鎚iな支

援体講によって撤渥させられていた(馨鉄9薄野 争〉。そして,馨営事業の一部を公役経営に転換

させるというG雛Qの捲示にそって,国鉄は囎年 6肩i嚢に公共企業鉢頃本国有鉄趣に移行し

た.国鉄が擾うべき公共性の維持と企業体としての 経済性の追求は.さまざまな矛盾をはらむものであ った。また,軍事戦羅輸送を撞ってきた露鉄は,敗 戦とその後の混蔑のなかで,国鉄幹部等による大 量の物資隠匿・撥鏤などの腐敗をうんできた。松 瞬事件の獲麟に発生した欝達駅事件(7丹7鋤 は,こうした幹部の不歪にたいする摘発縫争であ

鯵,その被告となった人たちが松痛事樽でも麓人 として獲い撃ちさ蕊ることになる。公鑓化した露 鉄は,行政機縫職員定員法にそって欝万人の首隣

りを実施した.すなわち.第i欧解雇3万7§舞人

(7馨4鋤.第2次解雇6万鎗馨§人(7月欝欝 である.そして,この大量解雇に関連するかのよ

うに,下出事群(7月5濤,下機羅鉄総裁が失

       みき

蘇し,常磐線で礫擬死体で発見さ蕊た/と三鷹事 警(7月欝貧,中央線三鷹験で無人電車が暴走し,

6名の死者と鷲名の重軽傷者をだした/が発生し た。こうして,敢欝やマスコミの盤論操作(犯人絃 醗労か共産党)に包馨されて,首蓼欝反射縫争は 事実上不発に終わった.さらには,この三鷹事件 後のi力丹のうちに,羅労中央では統一左派幹部 の解雇と右派幹部による指導部の姦擁が行われ,

この新体鰯成立の直後に松鱗事件が発生した・こ うしたなかで,羅労福島支部は誉燐移返上騨争に 取穆鯉み,橿島管理部との交渉(7月逢〜5鋤 にからんで轟管事件が発生(7層2i鋤し,その 被告が松趨事件の被告とも重な紀〉合うことになる。

癌島支部は国労の最左滋としてその後も麗争をつ づけ,松辮事件で獲籍撃ちされることになった。

 第3は.松趨事件の愛人として,国労篠島支離 関係の欝名とともに.東芝松燐工場労組聡孫から

も興じく欝墨形逮擦・起訴されたことに麗達する、

すなわち,当時最大の民題企業であった東芝は,

戦後の経済民生化措置の一環をなす遜度経済力集 中雛除法をも逆手にとって,軍需企業として展翻

していた全国の工場施設をヂ企業整備まの名のも とに再擁・整理(地方工場の分離・闘鎖,i万 磁春§人の首燐嚇しつつあり,民間最強と弩され 4

(3)

訟 燐 事 件  と は 簿 か

た東芝労連との閥で天下分け§の東芝争議が縫わ れ ていた.実礫.事稗塞鐸の8鴛鴛騒には絵絹工 場で分離反i簿・首燐鯵反講の2醸寺闘ストライキが 予定されていた.しかし,その趨麟に至近藻離で 発生した講毒転覆事件はストライキを吹き飛ばし,

震もなく縁合幹部等が次々に逮捕・起訴されるこ とによって,東芝争議全体もまた企業綴の企緩し た方海で終息することになった。

 第4に,松擁事件撰その後の桂会・政治権勢に 与えた影響の縫大さである。訟燐事件は,国鉄と 東芝の麗孫者を麗人として瞬くことによって.当 時の官民労働運動の最強部分をくじき,結果とし て労働運動金棒を後退させた。また,被告とされ た2§名のうちの賛名が共産党員であったことは,

馨本共産党とその強恥影響下にあった産溺会議に 大打撃を与え,政治運動や労働運動における共産 党の鑓歩を大きく後退させた。こうして,灘年の 総評結成,52年の蕪来安保体劃への移行など,今 貧につなぶる戦後体舗の新たな棒縛みぶ稽意され ることになった.

 かくして.松燐事稗がたんなる…地方の一事樽 にとどま譬えなかったことは,およそ瞬らかであ ろう。さらに,松絹事件がなぜ地方農替察たる福 島県で発生したかについては,戦後復興に不醗欠 な炭鉱地帯(常磐)や電濾地帯(猪苗代〉の存在,

麟鉄をふくむこれら重要基幹産業での労働運動の 突鐵軟泥,各種労働争議の頻発や平事件(ig磐年 6月3巷誰,共産党掲示板の撤去をめぐる弾鷹…事 件〉の発生,なども捲擬されている。ともあれ・

匿鉄・東芝の厳存とそこでの戦縫的な労商運嚢の 存在こそが,松賭事稗発生のもっとも重要な基本 的条件であったといえよう。

3.松舞1事件め構翻

 このように,松燐事件は国鉄争議・東芝争議の 渓藩に重大な意練をもつ歴史的な大事艀として発

生した.

 事件篶嚢の午後に共同範者会見した橿島地験安 西検事毘と露警福島渠本部新井隊長縁,f今度の 事件は瞬らかに計画的麗行であ警,鉄道内擁の事 椿を知っているものである」として,国労難行説

(i総構

を印象づけた。そして,翌8月欝警の増醗富驚長 官談議は.「今懸の事件は今までにない縫悪麗罪で ある。三鷹事件はじめその簸各種事件と懇懇的底 流において講じものである達と籔じた。その三鷹 事欝二(7月i5銭)で雄,嚢後にi3名が逮捕され、た が,そのうち磐海景勘をのぞく惣名が共産党員で あった(裁甥の結果は竹内のみ死飛,起訴された 莫産党員9名は全員無罪/。したがって,塔遜長 官談議の含意は,明らかに共産党麗人議であった。

下嶺事件につ恥ても,当然のごとく共産党・醗労 麗人議が流布されていた(最終的には雍殺議で淡 養〉。また,長官談議紅いうギその難各種事件ま 麟いかなる事件を想定しているかは不瞬である湊,

たしかに,叢時は大小の鉄道破壊事鉾が頻発(そ の多くは意纒的な斜心棒大的報告に類するもので あった〉していた.とくに,48年4擁の羅坂事件  (篠島毒茜方の奥羽線〉と弱年5月の予讃線事紳  (松嶽講説方〉は,急カーブ地点でのレール敢穆 はずし(しかも3名苑亡〉という点で絵絹事件と 醗鬱していた解,いずれも未解洗に終わむ.犯人 が特定されるような鉄道破壊事件はなかった。

 ともあれ,松欝事件については.新井鎌長が事 件発生から8韓後の8丹25講に第i次捜査の打隣

りを発表し,翌26鄭瀞ま「基本捜査は2本の幹線 と欝本位の支線があ馨,こ為をi本にできればし めたものだまと発書した.これは,その後事件の 麗人として羅鉄と東芝から各欝名ずつが逮捕・起 訴されることにつながる重要な示唆である.ただ し,捜査当局が当初から馨鉄と東芝というギ2本 の緯線墨(戦略馨榛〉に獲いを定めていたことは およそ瞬らかであるが,これを残本壌につなげ るための具体的な籍書きやそのための登場人物  (戦籍警標/を継部にわたって詰めていたとは思 われない.それ,は,その後の過程で,験察灘に不 躯合な瞬白蓮講書の提鐵が執掬に拒否されつづ けたことからも明らかである.いずれにせよ,総 合幹部芯共産党員をふくむ各難名ずっという大量 綾告の設定は,事件の重大性と捜査の真懸盤を盤 譲に訴えるための有力な手段と考えられたであろ

う.

 かくして,9月憩馨に覧線驚工手の赤闘勝美少

(4)

(雀鱒6〉 福島大学地域硬究 第5巻 第董弩懲93.8

年が勝件〈羨年のケンカ/で櫨挙された。破はさ きの人員整運で解覆され,静達駿事件にも連座し ていた。無から有を作吟懲すための毒闘少年にた いする連巽連夜の糠調べまとその結集としての

纏霞まは,いかにも葬人聞的(意泌的な飼賜・

誘導・誉書など〉であ撃,それ臆体撰権力麓罪を 構成するものであった鱒,その一幕の全体像が証 擁.鉦からも窮らかになるのは,逮捕・起訴から欝 年以、とを経遇した差戻害/第嵯審〉にお》、てであ った。ともあれ,,こうして逮擁から9賛後の9月 欝欝から始まったゼ毒闘自窃涯にもとづいて,9 月22馨の第i次縷挙(歩閣少年をふくめて8名)

が行わ為た.このなかには直接の実行行為者とさ れた5名ぶふくまれている.そして,このなかの 最年少者であった浜綺二雄の噛鋤をもとに欝 月4嚢の第2次穣挙(5名)が行われ,麟様の経 過をたどって,欝羅算饗の第3改験挙(2名〉,

灘鴛2癩の第4欧綾挙〈5名,ただしi名は不起 訴/へとつづいている.このほか,9鍔鰺馨に櫨 挙された菊地武少年は,蟹鉄灘の療幾少年と講じ 役割を東芝綴から果たすよう位置づけられたフシ がある摂,毒騰炎のために萩敬され(緯肩8§再 逮捕〉,その意蕨でゼ赤間白麹の役察が決定的 に大きくなっている.このように,4次にわたる 縷挙の鉱夫1こは,8人にのぼる一連の匿霧海」が 決め手となった.これらの嘘印者に共選する

特徴は.若年にして桂会的経験に乏しかったこと.

糖神的に露点をもっていたことであ蓼.綾らは緩 告たちのなかの権馨的弱者であった.捜査当馬は.

ここに猛いをつけて攻撃を集中することによって,

事件の全体像をつく警あげ,蔑期の嚢的を追求し ていったといえよう。

 ともあ轟,こうして結局鎗名勝事件の麗人とし て起訴された・その内訳は,国労橿島支部縫係者 鐙名,棄芝松絹工場労組灘系者難名であ穆,醒鉄 関係では支部委員長・分会委員長をふくむ支部・

分会役員ぶ大半をしめ,東芝麗係では纏会長・麟 纏会長・青年額役員・労連オルグなど麟ふくまれ ていた。また,鑛島分会委翼長鈴木鱈は黄塵党纏 島地区委員長でもあ鯵,騰名率欝名が愛役の共産 党員であった・そして,第i審(纏島地裁/の縷 察綴の欝頭練遠によれば,8擁i2麟こ始まる露労,

東芝の縫合事務辮等での一連の共購謀議によって 講牽転覆摯誹霞さ為.東芝鰯の3名が松燐酸講内 の線驚班倉睡から盗み懲したバーノレと嚢蓬スパナ を痩って,国鉄灘の3名と東芝鰭の2名摂現場で 落合って線驚の破壊搾業を行った,というのが事 鉾の基本的な講麟であった.

 なお,9薄22霞〜欝月2i羅の4次にわたる縷挙 の推移については表王,鎗名の緩告の鮭置縫係な

どについては表2,襲業属謀議まについては表3 に,それぞれ機略が示されている。

表董 掻纒事件と銭轡の経遍 懲弱年

 6.総  7.5

  7   蔦   2!

 8.8   鶏   i7   玉8  警.欝   工8   玉9   22

(羅勲2嵯年/

単事件発窪(擾1轟県単!毒警察署麟アメ撃力轟領憲の意をう緯共産党の致治活動を紡害したのに銃議・交渉}

ド藤事群発隻(下総羅鉄総裁鞍擬死捧で登見1

解達毅事件(職饗の不歪簸難霧争.斎藤千,毒翼勝笑ら羅労緩会費逮擁〉

三鷹事群発盤(躯下三鷹験で無人電牽暴走,毒罠死傷)

癌島警邏部事件(善甥む療薄霧交要求.叢鑓久ら麟労継合員逮捕/

三鷹事件第玉次莚離

漿芝絵絹.薫場労継轟時大会翌貸の蟹鋳震スト映定 松撰事件発塗

増舞海驚嘗簿喪官「三慶事件をはじめとする各種事群と懲悪麟慈漉講鋤との談認

鷺線鑛、董二手灘錫勝美をi年麟の暴行容疑で逮捕(嚢件〉し,舩濁事件の韮予唇崖を追及し嬉める 肇芝菊遊戯(窮盗容疑〉逮捕(憲騰炎で讐舞毅敏,欝・魯再逮捕)

毒饗警察始まる

錐本館,購蕪薦欧,二■三富艶,本羅拝,高機綾雄,鎧藤一■一,旗麟二雄逮捕(第i次}

6

(5)

松騰事件とは鋳か

《重鱒7〉

 鷺、4   杉溝三露,素馨賓次,牲藤代治,大義躍蔦,小躰源三郷逮捕(第2次1   13  泰懸と第i欧建議巻越訴

   茎?   f『二霧壽堂1愛楽, 二葬誉嚢嚢舞子逮捕(第3孜》

  2至   武鑽火,斎藤干,騒鋒葺十嚢訟,簾藤謙三三,本震嘉博(アカノ、タ姦王者〉逮捕(第4次}

  2§   菊地と第2次遠離考莚誘  ii.7   第3次逮嬉者莚訴

   i2   箒違次逮捕覇〉識勇,窟藤,越藤越訴〔本腿嘉薄,騨瓢離謎繋敏)

 茎2.玉   醐遜選訴{i2.4梅束される1

   5   第玉箒公舞麹始(裁縄長長尾橇.裁覇宮蒼賂不二努,購霧中釜㍉繍完載覇嘗灘鞍康長}

懲講年(鋸郵2§年》

 彗.25〜26 嬢事論皆(乗機掩溺鎗名,無期3名,継は喜期懲役〉

 9.2〜i2 簸綬毒譲・最終瞳述

 惣.6   第至審舞藻 死難5.無期5,轡擬懲役95年ら鉛刀,臨難雛講 難灘年{羅藤26年)

 7.23   窪訴趣意霧縫議  9.器   簾事答存壽擾織

 鰺.23   箪2審公舞醗嬉(裁判長錦木禎款鄭.裁舞窟高機雄一,購離々木次錐)

懲53年 (紹秘2慧年}

 鴛.22   第2審覇訣 死鶏4名,無幾2名,薄霧懲役爵4年6力舞,無罪武舞タ・,鳶藤千,瞬欝新喪訟

       鄭馨ま1碧テしかつ事{隼受遷寧宣(5青年(3雇7韓受理車立選i康書鍵鐵するも1毒舞誤蜂葺の縫遜によ畠)茶受運となる)

圭§55奪三 (暴鐸蓄曇3{多年)

 9.講   ■と皆趣意叢堤講期鍛とされ,たこぴ)舞までに養護入・被髪人よ融合言綬5懸鐙頁の趣意叢礎鐵 ig58年 (舞意義}33年)

 簸.5〜2§ (鶏舞縄》最高裁大法建韓頭弁護(裁磯長綴申隷太難.裁翼客小谷雛i憲島蝶、藤欝八難,入江竣熱,簸講克,

       重水克ε,湾赫火覇,下簸叛潤夫,奥聾健一,轟矯潔,高本常七}

欝59彗三(羅霧34年〉

 8.灘   最高裁大法鷲霧訣 破棄差戻し〔7蝉5/

雄鑓年(雛鞍35年)

 3.2i   馨1台慕裁差戻し審公事欝舞始(裁箏1長墾墾実,裁半霧官羅野幸雄,購杉奉姦三雄,補驚戴鞍1實{整藤孝太鶴)

i%翌年(嚢召鞍齢年}

 8. 8   差弄奏し審}講演 全嚢無罪  8.2i   検事童舞申立(第レ1・法難}

玉{蔑}2垂影  (暴蓉季毒37年一〉

 荏.欝   櫨事。と舞趣意叢饗撫  舞、28   破袋入・欝護人,警弁暑撮鐵

董鶴3年僻擁…3s年/

 2.鷲〜鶏 第蔓小法廷鷺頭弁蒲(裁輝長斎藤鵜熱,裁親密入江竣鶴.ド籔坂溺夫,島木常七〉

 9.至2  簸終纏渓三舞譲鍛{3瞬茎},無罪醸建

〔畠飛3大塚一男・本譜馨舞藁箸『松舞1二事韓網豊富籔害毒《全文と後睾籍善軽…本葬議i縫・響88彗三)5雛〜586ぺ一㎜ジ・

(6)

(i弱8〉 橿鳥大学地簸暴発 第5巻 第i号 欝欝.8

表2 慰蕎事件 隣堂欝子 大内

菊地

25 i8

東芝訟癖工場労纏員 東芝松輝工場労縫員東芝松鱒工場労纏興

業繕謀議 共無謀雛勃霧共講諜器勃窃

右に暴じ 小樽源三雛

 袈

 ig

購堂我夫

       ÷⁝ ⁝⁝⁝r   ⁝⁝丁⁝⁝一

襲欝霧労讐無獺

欝欝腿1奮

闘じ 属じ

十懲 十懲 十懲

年役  年役  年後

章懲寸七懲峰

懲綬

︼年六還 瞬懇十褻総 誤麟

佐藤 代治 太蟹 省次 銭藤

油−

ウ継継翻壁器

羽  p網一一⁝  一麹

  

@皿員.奨騰 ・ノ⁝拶  ⁝+五年 鑓翻羅鞠到 鱒醒.重役 じi隣縢睡贋﹁輝際藩認≡斥遷

講じ

十懲 犀役

七劃

崔敷 1ひ  i  ⁝  ﹇役 1 4

十懲 ワ年後

十懲 ワ年後 i⁝

十懲 1

ワ i年役 懲無

鍵一L墾十

    七懲  七懲 年役  年後

年綬

懲役

十二年

十懲  十懲  十懲  手懸  懲無  死     一    二,   五

年劇職畷鞭繍 飛

七懲  十懲  七懲 年役  年役  牛後

十懲 年幾

十懲  十懲     五

年後  年役  飛

原審破棄・麟台

金被告

検事上吉を棄薄・

/轟轟墜呑擬泰司匡進歩と幕命の転読 一轟轟祭地方において!戦後の離/一磨く篠島新擬社,

8

(7)

絵絹事鉾とは鶴か

(至鵬)

被欝と銭轡経過

斎藤 重器 園山

     ﹇

降!携

     ㎜

横揺

険難撫次㎜懸

副劉試

刷副オ 揮﹄掴

鴇.篠し﹂直感 鷹∴認桐⁝

一⁝   −:州      

隣臥応

鈴木墜器

一⁝一⁝一L⁝一⁝

園幽幽 ︑繋繋欝

繭擁縫鑛奪翻

キ騨羅欝翻蔀

﹄瞳惨洪嘩瀦

.噸灘醜支部委黛︑黙

「下 髢│総剛馴︑翻

   ヨヨヨデ ま ヨデトトトヌヨヒきじデすよドヨヨき三重三ヨラ

げ騰灘薩農牒

ド囎麟購漫匿騰

二東芝松緯工場労纏縫慧 ㎝台長・共産党員

年 当 事 齢 時 故

難議一

−⁝⊥−

纒嘩

   ミ

乾 …懲無i死  死

   i   l

鷺 膿馴鷺  羅

屍牽蚕晦序

鶏  年役i後期  飛

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降無猛獣

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高裁へ差要す

 否隣   鞍

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    …         の

    i    主

÷牒最、論

纏鵬膿鍵

         第i審趨決   鷺  役蟻  (艶5§、i2.6〉

崖下マ廿廉裁

飛医欝

       一一 一

         ( 5§. 8.蟹毒

に無罪

磯購

  ぐ6董. 8、 8〉

全綾告の無罪確定

最高裁覇決

ぐ63. 9.i2)

逡77年)98〜鯵ページ。

(8)

綴鰍 福島大学地裁醗究 第5巻 第表号 婚93.8

4.松辮裁醤σ〉鱗年

 第i審(轟島地裁〉の公料では.縷察灘にとっ て不都合な事態が次々に展離した。たとえば,粥 車転覆のヂ赤闘争誉まの謹入として勤賃された遊 び仲間たちは.綾らの講書が取調官の強要と誘導 によるものであり,うその調書を維欝するために 金品を与えられたことを証書した.譲i擁品のバー ルや嚢蔑スパナは鐵駈不羇であ蓼.線驚破壊垂こは 役に立たないものであった。験察灘は短かい難業 時間との辻褄を合わせるために,レールの継嚢複 を一方だけはずしたことにしたが,はね飛ばされ たレールの状態は露方の継目飯麟嫁ずされていた ことを示していた.麟鉄綴からの実行狡の一員と された高橋被告は身体瞳碍者(職場事故による〉

であ警,健常者でも無蓬な鐘鋳闘での現場往復に さえ耐えられるはずがなかった。この点では,そ れと知らずに稜を実行狸に選んだ検察製のいい撫 滅さを証明するととも碁こ,病院{選の叢雲鍔書によっ てその事実を確認しながら,それをかくして(第

2審でようやく舞の鐸をみるが)あえて無難懲役 を判淡した長尾裁覇長の責任もまた重大である.

このように,綾察撫の主張には多くの解き摂たい 矛盾や無蓬がふくまれてお鯵,法廼での審礎は瞬

らかに被告・弁護撰1に嘗零婁こ展醸したかにみえた。

 にもかかわらず,灘年8月26舞の検察灘の識告 東舞彗は,死飛騰名のほか,残害の欝名も無期〜欝 年の懲役であった。そして,講年鴛月6舞(稔月

5嚢の予定を当欝こなって廼期〉の第i審醤決は.

死瑠δ名,無蠣5名をふくむ全農有罪であ滲,覇 決:蓬趨は検察嚢彗i論告の丸写しであった.事羨実文は 判議に苦しむほどの状態にあ吟.醤演舞の叢嚢建 期とともに,直麟に内容の変更をせまる侮らかの カが働いた可籠性をうかがわせるものであった.

このことに騰達して,雛燐資料叡集の初雛段繕に,

さる人から長尾裁無畏の遺族が甥淡草案を家宝と して保存しているという藩鞍がもたらされた.も しも事実であれば,貴重な硬究轡料にな鯵うると の期待から,その入手についての仲介を件の入勅 に懇顯した解,結果として累たせなかった。事の 真疑はともかくとして,余談ながら書きとめてお

くことにする。それはさておき,この年6肩には 朝鮮戦争が始まむ,共産党は半舞1合法の獣態善こ遠 い込まれていた。つま鞍,松編裁覇はたんなる飛 事裁霧ではなく,むしろ占頷下の政治裁覇であっ た。被告や家族にとっては,松辮裁舞こそが松燐 事件であ撃,松鱗事件とは松鱗裁舞事件であった.

被告たちは直ちに控訴した.そして,長尾裁舞長 はほどなく名古屋高裁に転饑した。

 第2審(縫台高裁〉でもまた.検察灘の主張や 謹擁が次々に打ち破られ,警邏は第i審以上に被 告・弁護灘に有零彗に展離した。にもかかわらず,

53年藁月28蕪の縷事論告は,原趨映の事実認定の 大鯛を支持し,被告・弁護灘の控訴を棄隷すべき

もの(つま警策i審覇決は妥当〉と主張した。そ して,いったんは慧鐸5舞に予定されていた糊決 霧が,またしても鴛月22灘こ麺幾された.その第 2審判決は,原判決を破棄するとともに,改めて 死飛4名,無類徴役2名をふくむi7名を有罪とし,

3名を無罪とした、3名の無罪は.新たなア婁バ イ護鑓(被告が当初から主張していた〉の確認に よって,羅鉄と東芝をつなぐ8舞捻繍の連絡謀議 の不存在を認定した結果であった.この連絡謀議 の縫壊は,以後の顯次謀議とそれにもとづく実行 行為をも疑わせるに足るものであった(表3を参 窯〉.にもかかわらず,線銘破壊による灘華転覆 という客観的事実から患発して,そのための準備 謀議の存在が推認され,かくしてi7鞍告の有罪が 認定された。つま蓼,縷察饗1の致命的な破綻を,

またしても裁報辮(醤決)ぶ救ったのである。第 2審の鈴本裁判長は嘆実は神のみぞ知る塞とう そぶくほどの確揺麓的な旋藁・反縫合主義者であ

吟,真実の探求をはなれた裁料はまさに妄論のき わみであった。瞬時に,3名への無罪講演1ま裁料 の公亘さを離象づけ,それがまた残る貿名の立場 をいっそう危うくした。また,この闘に戦縫的な 労働運籔》は大きく後退したままであ鯵,馨本は襲 来安保(サンフランシスコ〉体舗に移行していた.

17名は鄭蒔上告し,3名の無罪はそのまま確定し

た.

 最高裁での松鱗事件は大法建で審理されること になったが,これ,は事紳の重大姓と量論の関心の

一驚一

(9)

松懇事婬とは侮か

高まりを反験するものであった。58年琵篶5〜26 嚢には欝窪璽こわたる緯頭弁i論がひらかれ,東芝灘 からの実行嶺…の中心大効とされ,た佐藤一綾告(東 芝労連から事磐二獲前に濠遣されたオルグ)のア肇 ノ{イを立証する ダ諏訪メモ淫 (懲交メモ〉 もよう やく舞の曇をみた。かくして,59年8慧鱒舞の大 法莚甥決は,原覇決を駿棄して審礫を麟台高裁に 差戻したが,その7対5というきわどい表決鮭築

と無罪自醤の醤遷は,最高裁の罎雰をも示してい た。また,裁甥官の霧鐘奪に重要な示唆を与えるこ

とになる調査官藻告書(本来は門外不墨〉が後彎 鶴然にも嚢の鐸をみることになったが,そのきわ めて悪意と偏見に満ちた内容渉改めて議論を響ぶ ことになる。ともあれ,ま二告棄舞蕪こよる璽葺1蓬の確 定という最悪の事態は,かくして騒避された。

 舞台高裁での差戻審では,鐵発点となったヂ毒 懸警自墜の虚簿牲ぶ全藪的に醗らかになっただけ ではなく,被告たちの無実を立証する新たな談麺 も次々と鐵され,事の真実はいっそう購嚢になっ ていった。公甥では,事件当夜に現場付近で糞麓 人の集毯と選遇した破藏麟も諸人として登場し,

真麗人が被告たちではないことを謹言した。この 破藏麟聾ま,窃盗未遂の不聡とひきかえに真埋入と の遭遇の舞を眞窪めされていた,この一件は後に

rにっぽん泥棒勅語」(東駿,難§5年/として験 西紀された.それはさておき,にもかかわらず磁 年2月翼〜絡舞の検事論告は,援察翰には甥決に 影響を及ぼすような事実誤認はな秘と主張し,i7 名にたいして第2審霧決の量飛をそのまま科すよ

う求飛した。8月8馨の差戻審輝決は.かくして 被告全員の無罪を論定し,縷察綴の態度をきびし

く絞めた。しかし,験察簿はあえて再一と告した、

これは検察羅の嚢子を守るためであるとともに,

3年後の時効成立までの暗闘稼ぎ(真麗人追及圏 避〉をねらったr蔑上告」というべきものであっ た。無罪覇淡の醗灘裁醤長は,その後舞台高裁か

ら橿縄地・家裁に転任させられた。第i審長羅裁 判長とは星辰鰐の接いであった。

 再上告審は最高裁第i小法蓮で審運され,63年 2月賛〜欝馨にふたたび鑓頭弁論がひらかれた。

この年9月鴛轟の小法蓮判決は,3講iの表決で

磁醗}

験事上皆を棄郵し,被告たちの無罪がじつに鍵年 ぶ穆に確定した。

 そして,真麗人の追及解散棄されたまま,翌64 年8月葺羅には欝年の時勤が成立した。松鱗事件 の被告たちは無実のゆえに無罪となったにもかか わらず,綾らへの素朴な疑念がその後も維持され,

事件の夢ナゾ葺が濾存されている。

 ともあれ,錘年の松鱒裁戦は,厳憂・公正を旨 とすべき裁鵯もまた時代の政治・歓会動海と瞬わ け行政癖の意向を色濃く反紋しゃすいこと,事件 の真実は法蓮での審理のみでは湊着しえないこと,

等々を示している。そして,こうした亀機的な献 濁を打ち破るうえで淡定的なカとなったのが,つ ぎにみる松鱗運動であった.

5.公蕉裁醤要求と松燐運動

 5度,越年にわたる松鱗裁判は,見方によって は.全員;奮罪→一部無野(全員無罪にちかい)

差戻し→全員無罪→無罪確定という rク硝から

「シ窮への一貫した滾れをたどったともいえる。

しかし,と蓼わけ第i審,第2審における法廷で の審理内容を反験しない訟告求飛や重罪講決は,

噛曲偏重と勃i蓬軽視のうえに成蓼立っており,

新憲法や新講事訴訟法の糧本原理に反する暗黒・

政治裁料というべきものであった。ξくに,2度 にわたって死聡判決をうけた4名は,下級審の一 致した親潮を追認するという最高裁の慣行の適綿

も十分予想される以.ヒ,文字どお滲死を覚落せざ るをえない状浅にたたされた.

 しかし,こうした状溌を転換させるカと:なった のが,公琵裁覇要求を中心に結集したいわゆる松 絹運動であった・そして,そうした運動の羅民的 ひろが琴を可能にした±台は,侮よ警もまず被告 たちが無実であったこと,被告・家族が懸難をの

むこえてよく國結したこと,弁護士・救援活動家 たちの獣身的な努力があったことである.

 鎗名の被告たちの闘には多くの分裂要獲が内在 し,裁甥の進行につれて新たな矛盾も生じえた.

たとえば,羅鉄と東芝(東芝まきぞえ譲/,共産 党嚢と葬党員(非党員まきぞえ論〉,露蠹毒と葬

露白老(あの糞白さえなければ譲〉,年長者と若

(10)

i囎3.8 第茎畢 第悉巻 懸島大学地竣醗究

検察盤主張の葦簸 表3

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(11)

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麟八数寮食堂内において佐藤↓ 瀞大病に事轡参舶を愚愚.

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欝棄芝訟舞工場勢繕事藩醗諜譲 一一.︸審舞演習建

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(12)

(茎鰺4〉

福轟大学地域暴発 第δ巻 第至号 弩93.8 年春(若年者まきぞえ論,幹部ひきまわし隷〉,

重罪者と軽罪者(とにかく早く終鯵たい詮〉,在 黛者と爆殺獄外者(獄外でのオルグ活動の方がつ らい譲/,第2審における糞罪壽と無罪者(弁の たつ飯だけが無罪になった講〉等々である。なか でも,自白看たちは,勉の鞍告たちをおとしいれ た責任と馨らの弱さへの馨己嫌悪によって,とく に苦しい立場にたたされた。 しかし,非嚢自 (否 認〉看たちは,自白看たちを共選の犠盛者として

うけとめ,綾らを縷鋤に追い込んだ悪意の穣 察・警察離孫考にたいして難結した.こうして,

蠹毒看たちは公覇において舞らの窓台を否認し,

その立場を最後まで貫いた。もしも飯に,鐵発点 においてこうした団結がきずかれず,国鉄と東芝  (綾らは櫓二鑑にほとんど藤織がなかった〉,ある

いは窪奏者と非嚢糞者等々撰分裂して,いわゆる 分離裁覇が鑓愛したとすれば,裁舞の結末絃きわ めて重大なものになっていたかもしれず.後会運 嚢史上まれにみる羅蔑的な松鱗運動の形成もなか ったかもしれない。かくして,無実の実証をめざ す被告たちの醗結は,第2審無罪者もふくめて最 後まで維持された。

 また,より懸立分散的でさまざまな家庭事藩を かかえる家族たちも,弁護士や救援活動家たちの1 獣身的な指導と援助のもとに,黒くも鐙年鍍欝欝 翫こは絵絹事稗被告家族会を結成した。一家の働 き手を失った鞍らは,僻よ鯵もまず生活の維持に 苦麗し,獄中の被告たちを支えながらの無実の訴 えに苦臨することになった。警察による妨害や干 渉.そして選閣の曇の厳しさのなかで,離縁破 談,解雇.就職拒否,婚期喪失,転屡,転職,人 前での不縷れな訴えと心ない反応など.多くの家 躾が辛酸をなめ,苦労にたえねばならなかった.

食の保瞳のない家族たちの苦労は,.撚中被告の苦 労番こ劣るものではなかった.

 そうしたなかでも,一部の自覚的な労騰縫合な どによる麗地調査や救援活動が聡始され,た.49年 欝月29購こは,嚢本労農救援会に三鷹・絵解事稗 蝿策委員会が設置され,国内外に向けてさまざま な活動を展難し始めた。鱗待と不安でむかえた欝 年箆揖の第i審判渋は重大なもの(表2を参照/

であ瞬.救援活動の綾善と強鞄撚求められた.第 2審(強含高裁〉に対癒して,溌年3月i臨こは 絵絹事件鰐譲葉詫地方協議会が設置され.4湾蔦

蒙にはぞの中該となる嚢本労農救援会賞城県本灘 麟結成された.第2審にのぞむ霧護霧は,鶴台弁 護士会からの参簾もえて,超党灘の強力な体鰯を 縛むことができた。また.獄中の被告羅は,峨月 垂繕こ無罪釈教を求める鎗魯万人署名の運動を礎 起し,これに応えて,5湾2§醸には無罪萩敏百 万人署名童謡入会が結成された.瞬蒔に,真実 を羅漢に訴えるための匿手紙による訴え」が鷺 始された。獄中からの手紙は59年段購まで拘留さ れた8名(表毒を参蕪〉だけでも癒万遜(i人平 均蓋万鐙§{}遜〉をこえてお蓼,全体では蕪万遍に 達したといわれる。鞍集資料のなかの稜らのはが きは,表の下段までも使って,眼られた紙幅に最 大銀の内容をも鯵込むべく,総かな文字が綿々と つづられている.また,これ・に旛えて,獄外から は6万逓をこえる手紙が寄せられており,それら は被告たちを大いにカづけるものとなった。被告 たちはまた,民主的な文芸誌などにも積極的に投 稿し,一般講者や文化人の心をとらえていった。

騒年欝鴛〜52年5月には,労緯・文化人による調 査懸が7次にわたって灘遣さ為ている。文化人た ちは,その裁器である文筆をつうじて,松緯事件 と松燐裁判紅疑難を提起し,鍍告たちの救援を訴 え始めた.

 そして,真に大衆的・国費的な松辮運動の展擁 は,いわ睡る罫守る会津運動の広が鯵と労働運動 からの参簾によってもたらさ蕊た.すなわち,松 僻事鉢などをつうじて共産党や戦麗的な労働運動 が大打撃をうけるなかで,職場に踏みとどまった 良心的な労働者たちは,サークル活動に新しい活 酪を見鐵した。彼らはそのなかで松擁事件をと翰 あげ,職場や鯉合にも騰きかける努力をしていっ た.こうして,総摺事件然職場・地域・学麟等に 摂づいていくとともに,独麹の罫松韓守る会まへ

と発展していくことになる。そして,職場におけ る「守る会ま運動と,被告・家族・救援霧体等か らの働きかけによって,松鱒事件にたいする労蟻 運動の聡心も徐々に広が穆始めた.53年6鳶の屡

一越一

(13)

替}芦1事麟二とは葎至右翼 (難総〉

表号 松繕事僻鞍巻6〉拘響靉靆

第㎝審講演瀦・麓・6 §3第 捻審・覇

22決

上告審甥決露・8欝 差戻審覇決麟・8・8 再主皆審霧決 欝・9・稔

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1錦木

1逮矯隼縮   9.22

拘束韓数

踊一、屡漏,語.2§E≡∈…〈53、鴛,2婁>■一 鱒7

{5§.7、玉〉 3,57書

十一一

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9.22←一一一く謝2麟

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3,38董

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〈5§、5.8〉

 (59、7.茎〉

一一繹黶Q  一

3,銘4

3,536

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9.一/57.Li2〉

9.22

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〈露.5.8〉

3,5露

渉購蘂一l l彰浦里鋸i

2,6器

(き9、7.i〉 3,騒2

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…銭藤代治i

9.22 〈59.5.至9〉 至,鍵5

欝.4←一(欝.i2.2虜

欝.4 く灘.5、8〉 2,§35

玉,543

羅藩『詳

く53.歪2、2逢〉

脚牽鰍

洋醗謡「一

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董2.藁 1

(53.i2.22〉 …22+i,48肱i     4  玉,555

欝.董7 〈§3.i2.22〉 i,528

籔糾一一一一・慨翌2勝、

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(53.i2.塞〉 i,52§

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 〈52.玉2.3〉

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一井・      …→

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  ↓

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   i,玉53

欝、圭7←一一■≦蚤董二、蔓。.毯. 573

〔墨癬肇券撰泰溝,離掲婁,2鱒ページ. /滋▲は…時毅放,再駒留を示す.

労第捻鰹大会における公箆裁霧・調査懸嶽選の決 議と,7月の総評第逢響大会にお謬る公吏裁鵯要 請決議の採墾1は,労鶴運動が訟鱗事件を本鰺的に

と弩あげる契機とな鰺,地元福島の労簿運動も.

上離からの捲承によってようやく動きだした。

 しかし,第2審覇決もまたおよそ不公蕉であっ た。瞬時にそれは,絵解運動の本穣的な展灘への 重要な契機となった。すでに松鱗事件について発 露していた広津隷嚢馨は,蓼中央公論選騒年嘆月号 から全面的な第2審覇決概判を醗妬し,以後護年 半,54遜におよぶ連載は瞬浸撞論に広く深い影響 を与えた.講談麺捻高座で,演灘入は舞台で,松

鱗事件をと絵あげた.54年董焉の鑛労中央委員会 は裁甥や吟直し要求を漢議し,東芝労連串央委轟 会も裁判のや警直しと家簾・被告への財数的援勤 を淡議した。そして,総評もまた7月の第5繋大 会で霧決破棄差戻し・物心爾醸での援助・機縫誌 紙での豊転を決議した。総評は56年の春騒譲こあた って,松鱗の鞍告たち(保釈中/を春縫オルグと

して諏遣(2〜逢∫善し,7〜8月には総評法難 灘と栓封委の主縷で3次にわたる現地講査が纏織

され,25春懸体から465名が参撫した。懸島察労鶴 も9擁の第嗅醒大会で公死裁判・保毅要請・家族 救援を決議した.その後も年ごとに参撫蔑模を鉱

(14)

艦総) 橿鳥大学地域醗究 第5誉 第i号 欝欝.8 大した瑳地調査は,松耀裁凝の不当性を確認する

最嚢の実勃教官とな鯵,これへの参趣をつうじて F守る会3緯織は急速に広潜っていった.それ・は 最終的には驚鱒綴織,会員欝§万人をかぞえ,公 董裁覇要求を軸にさまざ象な麟造的活動を広げて いった。さらに・こうして全覆的に広ぶった松燐 の独馨紛織と労織維合・昆主懸体・鰻人を結集し て,58年3月9購こ松鱗事件韓策協議会(松蝉協,

広津鞍雛会長〉が結成されて,松燐運動は新しい 段購へと発展した.

 そして,松鱗運動のも鯵上が瞬ま,最高裁での 纏頭弁論(58年麓擁〉をひらかせ,それに海けて の松辮大行進(盤台〜東京襲3麺,麺べ3万人恭 参撫〉を成功させ,鑓頭弁論窮馨に合わせた無罪 釈敬要求中央集会にはi万5むGむ人を結集した。さ らに,翌59年7月i瞬こは被告全員の{呆験を実堤

(表4を参照〉させ,集中大行進(関東6コー ス〉を成功させるなかで,8月欝警の罫破棄・差 戻し3の大法麺鞍決をひきだした。この8・欝縷 淡後,訟鱗運動はさらに発展した。各地で新たな ギ守る会壌緯織解結成され,票単盤の松薄協も各 地で結成された。全国学生松蝉協や嚢青連による 堤地調査が行われ,羅労は奪鱒講査毯を灘遺して 調査結果を公表した。磁年i湾には自主製俸の麟 鞍:面ギ松揖事件葺が完成し,全国的に上鞍運動潜 居麗された. 7〜8月には無罪享彗決要求松鱗大行 進が東京〜幾台,青森〜紬台で緯織され,8月8

艮の差戻審無罪覇決(絹霧霧決/をむかえた.こ の大行進と集結集会は再上告審でも総織され,轟 頭弁論(63年2鐸〉時には縫東灘5コースから 5㈱人集会に結集し.確定講演(9擁鴛鋤に向 けては,纏台〜東東,大阪〜東京の2コースと盗 難の都内嬢コースを合わせて2万人の全羅集会と

なった。

 このように,大衆的エネルギーの結集と進歩的 纏織勢力の結集は,松辮裁判への覆疑的な§§心を

さらに高め,ついに全員無罪の最高裁確定覇決を 実現させることによって.裁料の公正さを露復さ せることに威勢した.つまり,総鱒運動は無実の 被告たちと裁覇の権威を救い鐵したのであ穆,羅 民と構法の聡の貫主主義的馨§孫の発展に重要な歴

史的役割を柔したのである。

 そして,無罪確定講決馨のi年後にあたる艇庫 9湾i2騒には,事件愛場を見下ろす線驚わきに,

松携運動の勝利を記念し,こうした謀略事件の再 発を許さないための新誌念の塔達が建立された。

その碑文の原案は,訟鱗裁物鍵覇と松摺運動の発 展に文字どお雛全力を繧注してきた広淳鞍臨の筆 になるものであった。この松燐記念塔は,i鱒3年 の無罪確定3§周年にあたって,その記念事業の一 環として驚地の拡張整備摂行われ,松辮記念塔公 鴎として藤鑓を一新した.

6.むすびにかえて

 以上でみたように.松繕事俘とは,たんに雄鎗 年8擁i7銭の粥車転覆事件ではなく,むしろこの 事件を濫発、薫として以後賛年馨つづいた裁判事件 をこそ意味している。この裁醤事簿は,それ,がき わめて重大な権力麗罪(検察・警察による職権濫 罵と一部裁覇富による還合・協力/を騒伸したこ

とと,いわゆる絵絹運動によってそれが最終的に 誓破されたこととによって,特懸な悪辣をもつ事 件であった。

 前者については,すでに58年靉靆から弁護藝難こ よって理事告発されてきたにもかかわらず.いず 轟も不越訴麺分にされたという経緯があった.そ

こで,63年9薄に松鱗裁霧が終結した後の蟹年5 鐸には、改めて髭の被告・家族たちによって,松 燐事件国家賠償裁醤が提訴された.すなわち,松 燐裁讐に縫保した援察・警察官の権力麗罪を追及 し損害舞鎖賞させるためである。裁判の結果は,第 茎審(§9年塵擁23譲,東京地裁〉と第2審(簿年 8月工嚢,東寮高裁1をつうじて.鰹人の職権濫 罵罪は認められなかったものの.一定の損害賠償 を認めさせることによって.原告綴の一応の勝利 となった。権力猿舞の実態は,この蟹賠鱒係の中 心的資料のなかに明確にま とめられている。

 後者の極繕運動については,被告懸・弁護懸・

救援運動の藝馨葦吉と》、う戦毒警以i来…の教震幾毒弍うぎすつ毒叢

れ,,大衆的裁醤絶筆として発展した典型擁とみる こと藻できる.つま滲,その後もあとを経たない 冤罪・弾涯事件のなかで,つね紅指摘されるのが

一i6一

(15)

松鱗事樽とは簿か

罫松辮のように縫う≦ことである。そして,この 松鱗運動の実態を解隣するための韓料は,暇集資 料のなかにそれな鱗こ集積されている.松燐運動 の発展の基盤となった「公正裁料要求」の意義を 再確認するとともに,松辮運動の縫織論的・運動 論的な擬下げはなお種麹の意義をもっている。

 また,この松緯運動とも§§達して,鞍集された i万5叙鎗通にのぼる書簡類(手紙・は解き〉は独 自の醗究構料である。これらは,人購(良心〉と:

は韓か,松鱗裁物とは韓か,松燐運動とは飼かを 解窮するための重要な手掛瞬を縫供しているはず である.差欝入のなか1こは,i醸i鑑主義ではぶ       ユキきを送鯵つづけた欝材敬男、被告たちに詩作を捲 導した藪井徳三,救援活動に私財を投じた菊譲善 兵籍をはじめ,有名・無名のたくさんの人たちが いる。こうした人たちのその後の人生もふくめて,

興殊はつきない.松辮欝係者への聴取穆調査のな

(玉婚7〉

かに,叢然これらの人たちも超えられるべきであ ろう。これ,によって,罫松辮事件はわぶ書巻まと かζ松辮事件が§分の人生を変えたまといわせる 極燐運動の意殊が.いっそう瞬らかになるであろ

う。

 そのほか,叡集姿料の活罵という点では.数 戦〜松辮事件の時蟻における蟹労癌島支部縫係の諸 資料.被告や家族の懸結と苦麟をあとづける諸資 料,轡溝裁覇長解書き込みをしながら綾駕した裁覇 驕係資料など.深めるべき資料はいろいろある.ま た.松鱗事件をテーマとしたマスコミ論,霧溺論,

週鷺誌論,文学・俸家論,繭・演鍵論,文化人・

文化運動論.労働者・労働運動論,青年・学生

(運動〉論などの講究も多分に罵能なはずである.

 松燐資料の本賂的な舞絹と醗究解待たれる翫以

である.

      (ig93・6・3§〉

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