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教育社会学資料2:ベイトソンのコミュニケーション論 ベイトソンのコミュニケーション論
1. コミュニケーションを規定するもの~メッセージとメタメッセージ~
a. 従来のコミュニケーション・モデル
メッ セー ジ
A B
図 1 通 常の コミ ュニ ケ ーシ ョン ・モ デ ル
ベイトソンの発見
・ベイトソンはある時、動物園で数匹の兄弟カワウソが遊んでいるのに着目する。カワウソ達がたがい に示す噛みつく身振りは、攻撃行動におけるそれとほとんど区別がつかない。にもかかわらず、本当 の攻撃と混同して、相手を傷つけてしまうほど噛むようなことは起こらない。
・なぜ、それが可能になるのか?ベイトソンは以下のように考えた。ここで交換されている身振り(=
噛むこと)には、同時に「それ以外の意味」も含まれているのだ、と。それを人間のことばで翻訳す るなら、以下のようになるだろう:
「私たちがいま行っているこの行為(=噛むこと)は、この行為が本来意味しているもの(=攻撃)
を示しているのではない」
・この発見から、ベイトソンはコミュニケーションが単なるメッセージのやりとりであるにとどまら ず、少なくとも二つの異なるレベルでメッセージのやりとりがなされているのではないかと考えるよ うになった。以下、図2を参考にしながら説明していこう
b. ベイトソンのコミュニケーション・モデル 1)メッセージ
メッセージとは、人々のコミュニケーションにおいて「明示的に」やりとり(交換)される「内容」の ことである。通常は、「言語」で表明されることが多い。もちろん、動物のコミュニケーションの場合 のように言語を伴わない「音声」や「行動」が、相手に明確なメッセージを伝えることもある。
2)メタ・メッセージ(meta-message)
・「メタ(meta-)」とは「上位の」という意味。メッセージよりも一段上のレベルの視点を指す。具体的 には、「このコミュニケーションが何であるか」を示すメッセージのこと。
注:このようにメタ・メッセージが交換されるコミュニケーションのレベルを「メタ・コミュニケー ション(meta-communication)レベル」と呼ぶ(「コミュニケーションについてのコミュニケーショ ン」)。一方、メッセージが交換されるコミュニケーション・レベル(図2の直線の矢印のレベル)の ことを「表示レベル/オブジェクト・レベル」と言うこともある。二つのレベルが異なることに注意 したい。
・メ タ ・ メ ッ セ ー ジ は 通 常 、 身 振 り や 表 情 ・ 動 作 、 口調 や 声 の 高 さ ・ 抑 揚 と い っ た 非 言 語 的 な (non-verbal)コミュニケーションで暗黙の内に伝えられることが多い。もちろん、メッセージそのも のがメタメッセージを含んでいることもある(例:敬語でメッセージを伝えることは、相手への「敬 意」というメタメッセージを同時に示している)。
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3)コンテキスト
・「コンテキスト」とは、日本語に訳すと「文脈」や「前後関係」のこと。「このコミュニケーション が何であるか」を示すものである。コミュニケーションが行われている「場」や「空気(雰囲気)」
のことといったら分かりやすいだろうか。メッセージの内容は、コンテキストの中に置かれることに よって、明確な「意味」を持つことになる。
→ 教育社会学のレジュメ(12月1日分)に出てくる「状況(の定義)」が「コンテキスト」に当た る。
・発せられるメッセージが同じであっても、コンテクスト(文脈)が異なれば、そのメッセージの「意 味」も変わってくる。たとえば、相手に対して「アホちゃう」という場合、親友に対してであれば
「親密な関係性」を示すメタメッセージとなり得るが、それほど親しくない相手に対して同じことを いったら、文字通り「お前は無能だ」という意味になって、相手の気分を害したり、ケンカになった りしかねない。
・メタ・メッセージは、コミュニケーションのコンテキスト(文脈)や、相手との「関係性」を指示す る。具体的には、「このコミュニケーションがどのようなものであるのか」や「私とあなたがどのよ うな関係にあるのか」を示す。先ほどのカワウソの例で言えば、「相手を傷つけない程度に噛む」こ とや「鳴き声」によって、カワウソたちは「これが遊びだ(ケンカではない)」というメタメッセー ジを同時に送っているのである。
注:メタ・メッセージは通常、暗黙のうちに伝えられることが多いが、言語によって明確に表現され ることもある(「空気読めよ」)。
・このように、われわれは他者とのコミュニケーションに際して、ほとんど無意識のうちにコンテキス トを読みながら、その場に相応しい/相手と自分の関係性に相応しい(メタ)メッセージを表出し、
またコンテクストを参照にしながら相手のメッセージの意味を解読しているのである。
・留意しておきたいのは、コンテキストはコミュニケーションの進行と共に常に変化していくというこ と。たとえば、最初は「彼氏との楽しいデート」だったはずのコミュニケーションが、ちょっとした 言葉の選択ミスや誤解によって「口げんか」というコミュニケーションに変容してしまうことは誰も が経験することであろう((「場の空気が一変する」というようなケース)。これは、コミュニケー ションの進行過程で、コンテキストが変化してしまったことを示している。
コミュニケーション(メッセージ/メタ・メッセージ)はコンテキスト(その場の空気)によって規 定されるが、同時に、コンテキストは個々人のコミュニーション行為によって構成されるものでもあ る。コミュニケーション行為とコンテキストは相互に規定し構成し合いながら、絶えず生成変容して いくのである(図2のコンテキストを示す枠組が点線になっているのは、このことを示している)。
・もう一点注意しておきたいのは、コミュニケーションを行っている当事者にとって、コンテキストが 必ずしも「一致」しているわけではない、ということ。デートをしている2人のカップルについて考 えてみよう。A子さんはB男君に夢中だから、デートが楽しくて仕方がない。しかし、B男君は1週間前 にあったC子さんのことが気になっていて、A子さんほどデートに集中していない。この場合、同じ デートという場を共有していながら、A子さんとB男君とでは、コンテキストが異なっていることにな る(A子さんにとっては「楽しいデート」が、B男君にとっては「お義理のデート」だったりするわけ だ)。図2のコンテキストの点線が二重になっているのは、参加者の間でこうした「ズレ」が絶えず
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生じていることを示している。
注:こうしたズレに自覚的で、コミュニケーションの場を自分にとって都合の良い方向へと誘導しよ うと戦略的にふるまう人も出てくる。友だちとの会話の最中、自分にとってあまり関心のない話題が 続いた場合、隙を見て自分の得意分野へ話題を転換しようと口を挟んだ経験は誰もが持っているだろ う。
このような視点に立つと、場の支配権を握ったり、自分にとって都合の良いコンテキストを設定し ようと互いに競い合っているゲームとしてコミュニケーションを捉えることも可能である。
・原理的に考えれば、複数のコミュニケーション当事者の間でコンテキストが完全に一致すること自体 が、そもそもあり得ないのだろう。ただ、コミュニケーションがなめらかに進行している間は、当事 者はこうしたズレを認識することはあまりない。しかし、ちょっとした行為の誤作動や言葉の選択ミ スなどで、時にこうした「ズレ」があからさまになってしまうケースもある(B男君の虚ろな表情にA さんが気付いたケースを想定していただきたい)。この時、参加者は「当惑」(居たたまれない気持 ち)や「気まずさ」を感じたりする。
こうした状況に多くの人々は長くは耐えられないので、場の雰囲気をなんとか回復しようと参加者 達は努めることになる。そして、元のモードにうまく戻った場合は、何ごともなかったかのようにコ ミュニケーションは継続するかもしれない。一方、場の雰囲気が回復しない場合は、お互いに気まず さを抱えながらその場を離れるということもあるだろう。
・いずれにせよ、日常的なコミュニケーションを細かく観察していくと、こうした様々な仕掛けやルー ル、参加者の戦略、といったものに充ち満ちていることに気付かされるのである。
2. 参考文献
1)末田清子・福田浩子 2003『コミュニケーション学』松柏社、第9章 2)G.ベイトソン(佐藤良明訳) 1990『精神の生態学』思索社