助lナー金レ、
出会レー ふオ1あもー
サロ.ン・あべの
サロン・あべのNO.9 昭和62年3月14日(土)発行
∧サロン・あぺの∨
あぺのカーニバル
一一月の出A云い こ の一年
二月の出会いは﹁サロン・あぺの この
精励言真の表︶は︑ 一年を振り返って﹂をテーマに二月二十一 日十三人の方が集いました︒
昨年発足したサロン・あべのの一年間の
○サロン.・あべのの外から講師を招いての
ゼミ ○サロン・あぺのの内のパネラーによるデ
ィスカッション
○見学会
○バザーやクリスマス会などのイベント ヱ▲量tti
の四つに内容をわけることができる︒みな
さん方の意見から その人気順をつけると
﹁リハビリセンター見学﹂と﹁クリスマス
会﹂が同率首位︒つぎに﹁女性陣害者と職
業﹂﹁年金法の改正﹂が続いている︒とい
うことは見学会︑イベント︑ディスカッシ
ョン︑講師を招いてのゼミ︑と全般にわた
って それぞれによかったようである︒
それでは︑今年は︑と聞いてみると︑圧
倒的トップは﹁クリスマス会﹂︑つぎに﹁
あぺのカーニバル﹂﹁他団体との交流会﹂
が乗る︒そして僅差で﹁障害者生括シリー
ズ︵結婚など︶﹂が続く︒以下︑﹁一般の
人対象のテーマで蔑会﹂﹁野外での集い
﹂﹁生産性のある蓮﹂﹁職場や施設の見
学会﹂﹁一泊旅行﹂また具体的なところで
﹁天王寺博を見に行こう﹂﹁展覧会聾且﹂
﹁手引き︑事イス介助の方法﹂﹁ガン医学
の話﹂などと︑書にアイデアがぞくぞく
と出された︒
これらの貴重な意見を反映させて今年も
﹁出会い︑ふれあい︑助けあい﹂を大切に
活動していきたい︑と二月の出会いは四時
散会しました︒
発行・編集:サロン・あぺの運営委員会
(!、?
﹁サロン﹂をめぐる活動が︑なぜボラン ティア活動といえるのかと︑しぼしぼ質問
される.別に障尊者の介助や介護を目的と
しているわけではない︒配食サービスをす るわけではない︒ こういう質問をする人はボランティアを ﹁註かが誰かに何かをしてあげること﹂と いうイメージで理解しているようだ︒そこ
では明らかに﹁与える者﹂と1受ける者﹂
七が分かれている︒サロンでは︑その区別 がはっきりしていない︒一方的に1与え
る﹂人がいない代わりに︑一方的に1受け
る﹂人もいない︒
もうひとつ︑よく聞かれることは1親睦
活動をやっていて︑なぜボランティア活動 といえるのか﹂という批判である︒ それについては︑家庭生活と比較して考 ぇてみると良いと思う︒家庭生活の課題は 子供 を教育し︑就労していない人に経済的 安 定を与え︑衣食住の生活を保障すること
︵ あまりに崇ランティア的な⁚
すぎる﹂からではないだろうか︒ ︵知︶ れやすいのは﹁ ン﹂がボランティ
であると言ってよいだろう︒ しかし︑そういったことだけが重要なの ではない︒言いかえれぼ︑家庭生活は何か の目的のための手段ではない︒家庭生活は それ自体︑目的でもあるのだ・人は︑衣食 住 のために家庭生活を営むのではなく︑家 庭 生活そのものが必要だから︑家庭を築く のである︒家庭生活の本質は︑夫が家族に 給料袋を渡し︑妻が子供を塾に行かせるこ とにあるのではなく︑夫婦の︑そして親子 の人間的な交流の中にあるのである︒ 同じように︑﹁友だち﹂は︑自分が困っ たときのためを考えてつくるのではない︒
何でも買ってくれる父親よりも︑1父﹂としてそばにいてくれる父親の方が子供に とって嬉しいように︑﹁友だち﹂もまた ﹁友だち﹂としてそぼにいてくれる人の方 が︑私たちにとっては必要なのであろう︒
﹁サロン﹂は実はそういった1友だち﹂
の集団なのだと私は理解している・﹁サロ
ぁまりにもボランティア的 ア活動ではないと誤解さ
(_2)
司会 大日はお忙しい中お集りいただ
き︑真にありがとうございます︒サロン.
あべの︵以後サロンと喝す︶も清一歳にな
りました︒この一年を振り返ってもらうと 同時に これからのサロンを展望していた だきたいと患います︒
サロンーあべの進水
司会 それでは︑乾生前の様子から︒ 河合 冨田さん︑♯上さん︑大島さんた ちが︑核になってグループ作りを 始めら れたと聞いていますが・・・ 冨田 そうですね︑六十年の九月甲・・ そう︑私がサロン準備委員会に参 旭 加しだしたのが その直後でした︒ 宮田 あべのボランティア・ビューロー の第一回ボランティア・スクールの修了者 やビューロー・グループの方々の協力・支 援でサ写準備委旦会の開いたクリスマス 会が ステップになりました︒ 河合 私はそのスクール修了後︑当時の ヲディネ一夕ーだった岡さんに紹介され て参加したので嘉発会式まで︑あれ よあれよという感じでしたね︒ 一番頭に裁っているのは六・七 旭 ︑ 十人に案内状の宛名菅暮したり会場の一 下見で階段があることがわかってかな一 りの介助毛が必棄たということで不安に 患ったり︑年が明けてから三月二十九日 の発会式までアッという間でした︒
司会 サロンの名前は・・!・各自持ち寄りました︒私は﹁フ 旭
リーダム﹂﹁わすれな革﹂なんての亨1.﹂冨田 ﹁ワ土ルフェア﹂とか﹁障害者と 共に歩む金﹂いうのもありましたよ︒ 河合 結局︑地域性があり︑経でも気
一−■ll− − −−■−−・−−−−▲−■■
軽に参加できる管があるということで
<サロン・あべの∨に︑意蔑まとまったようでしたね︒ サロンーあぺの飴出 富田 サ写は特定の障害を持つ人のみ でなく︑いろいろな障害を持つ人と筒音
︵五十音恨・敬称噂︶
サロン・あべの手話通訳 純 子 旭 サロン・あべの会計 河 △H 恵 子
サロン・あべの代表
宮戸 田 慶 子
あべのボランティア・ビューロー
コーディネーター
止別 田 博 子
司会 機関紙﹁サロン・あべの﹂編集 律
石 田
が 区別なく集ってお互いに もっとわか
り合い︑共に生きる地域生活を目指してい
こうということで 出発しました︒
河合 その考え方は︑徐々に 明確にな
ってきているという感じがします︒初めは
仲間うちだけの集りに︑
があったりして・⁝⁝
そうそう 障害者がメンバーうち 旭
に多いので障専老団体のようにとられたり
︑ボランティア グループとしてみられな
かったり 大変でしたね︒そんな過程で
﹁当事者だからこそできるボランティア活
動として啓発精勤があるんちゃうか⁝︒啓
発活動も立派なボランティア精勤や・・⁝・﹂
という気持がわいてきたように思います︒
逼れた 前田さんあわてて
駆け込んでくる ー
前田 スイマセン︒老人福祉センターで
話が長びいてしもうて⁝⁝︒ほんまに遅く
なって・スイマセン︒
司会 忙しいところご無理いいまして︒
ちょうどいま︑みなさんに 発会するまで
の経放や意見 そして命名とか サロン寵 生までの話を聞いていたところです︒
前田さんにも入っていただいて この一
年の具体的な活動について話を進めていた
だきましょう︒その前に︑精勤内容二別表
︶を整理しましたので⁝⁝︒
司会 まず 講師を招いてのゼミから︒
前田 いろいろなところにアンテナを伸
ばして すてきな人を見つけてきはるなぁ
と思います︒
冨田 外部からの人選は︑時期というか
話題性というか︑その辺が︑むずかしいで
すね︒四月︑七月の﹁年金﹂はタイミング
がよく︑好評でしたよ︒
もうひとつむずかしい点は 講師 旭
との綿密な打ち合わせですね︒これをしな
かったため サロンの超旨を理解されない
講師︑−ゲ一拍いて
前田さん
管︑
・− 1・・−−− − ・−−一−− −−−−一111・・lll■iI1−−・−− − −−−− ⁚.・■−◆ − 1●■ ∫ − 1−−−−・−−−−−−■ 司会 下準備の必要性は つぎの パネ ラーによるディスカッション でも同じこ とがいえるのではないですか︒ 冨田 部内という気安さから 確かにあ りました︒逆に その気安さがいい方に出 て︑具体性をもった質問が出たのは よか ったと思います︒ 河合 いままで知らなかった辞書老の生 括やいろんなことがわかり︑得るところが
大きいですね.
前田 それにまた︑お互いの幹事につい
ても︑話し合いを通じて どんどん理解が
広がっていくといいですね︒ゆくゆくはボ
ランティア論なんかも 話題になったらい
いなあ と思います︒ ままこちらのおもわくとは違った童話にな った例がありましたね︒
︼︼ノィサ人ハカ再ノシ ョ︸ ンを
通じて
=ノ︑lハびしりノセンタ ー の
基十A云
f4)
句
河合 平野のリハビリセンターの見学会
はよかったですね︒みなさん︑好評だった
みたい︒
特によかった企画のひとつと患い 旭
ます.ただ見学中に︑視覚障専の方々のた
めに 口述説明をしたり︑車イスの人に︑
見申すいように前をあけてあげたり︑とい
うような 小さな思いやりの輸がもっと広
がって ほしかったと患います︒お互いに
ハンディーを補足しあえるような︑小さな
心遣いの大切さを痛感しました︒
冨田 それがね︑プライベートなことで
すが︑あのときの 辻田さんの介助は︑今
思い出しても うれしいです︒
うれ心いで思い出しましたが︑カーニバ
ヘルでのテントです︒小倉さんが張って下さ
つたテントは助かりました︒
河合 暑かったですね︒あのバザーはと
ても印象的でした︒
前田 とにかく︑暑いなか︑ご菅労さま Jハばソ ー や
カノ‖ノスマブハム云 六十一年 四 月 男性ボランティアとの交流会
国民年金改正法について
五 月 阿倍野今昔−温故知新
六 月 リハビリテーションセンター 見学
七 月 国民年金改正法について千†H
機関紙∧サロン・あべの∨創刊
あべのカーニバル参加
でした︒準備期間がもっとあれば︑手作り
作品︑リフォームなど 工夫もできたかも
知れませんね︒冨田さんや山東さんなんか
メンバーがそろってはることやし・・1・・︒
司会 クリスマス金はどうです?
前田 部屋が狭いかな と思われるほど
ヰノロン・あぺの 一年爪り比伯動
九 月 コミュニティとボランティア
十 月 障害者が語る地域生括
十一月 あべのボランティア・ビューロ
ー交流会に参加
十二月 クリスマスの集い
詔和六十一年慶大阪市ボランテ √ア括動振興基金助成金の交付
を受ける
六十二年
一月.女性陣尊者と職業
二 月 この一年を振り返っ:て
人が多かったですね︒舞台での見せ物︵歌
手晶など︶の他に ゲームなどをおりjぜ
てもよかったかな・・・⁝︒いろんな辞書の人
がいるので︑ゲーム内容なんか︑とてもむ
ずかしいけれど︑だからこそ 何か画期的
なゲームを考えたらおもしろいと思う︒ 岡さん︑前田さんの歓送迎会 大阪市ボランティア活動振興基 金助成金申誓を出す
(5_)
司会 いままでの精勤を振り返ってもら
ったのですが これらの精勤を通して 発
見されたことは︒
ダ 司会 機関紙がこの記念号で九号になり ます︒ 前田 みごとです︒感服しています︒月 一回のベースを あんなにもきちんと出せ るなんて 見習いたいです! 精勤報告と みんなの声︑会員紙として︑充実している な︑と思います︒ 地 金紙によって︑毎月の出会いのと
きに︑先月の出会いの内容を知ることが
できるのは とても楽しいことです︒
冨田 機関紙はサロンの大事な柱とした
いです︒ 号つですね︒プログラム作りをも 旭 っと考える必要があるように思います︒
五十人もいるんだから お互いがもっと
交流できるように⁝・㌔
面鮒耶︵おもかじ︶い っぱい 機関紙もりノぎ︹ノぎと
河合 知らないということのこわさ︒視 点の違い︒時間の流れのとらえ方の相違. をあらためて発見しました︒障春着と健常者の間に相互理解を 旭
深めるために 塵にぶつかることは何とな
く予測がついていましたが︑障尊者同志の
間にも ニーズの違いによって 多くの塵
があることを知り︑正直いって大発見でし
た.﹁ニーズの違い﹂の存在⁝⁝︒
.冨田 ・人それぞれ︑いろんな資質をもっ
ておられるものだなあ と驚きました︒こ
の資質はサロンの財産ですよね︒この財産
をうずもれさせておく手はないですよね︒
■ ユ ニ ー カノな
ボー↓ノンl︸ノ.ィウノ
活動として
司会 手前みそになりますが サロンが
よく﹁パイオニア的﹂という形容詞がつけ
られるのは︒
河合 そりゃ なんていったって ボラ
ンティアをする人 される人の区別がない 点ね︒
冨田 障専の種類や障害があるなしにか
管 かわらず︑メンバーが運営委員として主体 的に動いていることね. 旭 運営もやけど 障害者の方々が各■
々の立場から発音し︑動いてはる︒それと
単なるボランティア交流会と違うし︑さっ
き ひとりひとり資質奇特っているいう話
がありましたが 太当にひとりひとケがユ
ニークな存在であることです︒それに加え
て会員制でなしに 自由参加観であること
も 強調したいです︒
前田 いままでの話とダブるんですが辞
書者と健薯の触れ合う場を求めて︑外出
の機会の少ない障亨者にひとつでも多く外
出先菅作り︑区内という小地域に サロン
的な場というか﹁集う場﹂があるというこ
とは 阿倍野区の﹁財産﹂といえるのでは
ないでしょうか︒だから 出来ることなら
ば 広い範囲への広報が出来るといいです
ね︒
冨田さん
(6)
ひとりひとりを魅きつけ ひとり 旭
ひとりが自分の個性を発揮することができ
るようなグループ作り︒自己発見 自己向
上が相互理解へと結びついていけるような 一ブゴセス作り︒をしたいのです︒
冨田 精勤の拠点となるホームを持ちた
いですね︒
河合 いつでも 誰でも 出入りできる
ホーム⁝︒イイですれ︒ぜひほしいなあ︒ 司会 最後に︑サロンのこれからについ てというか︑夢も含めてビジョンを︒ 河合 ボランティアする人 される人な んていう枠を触れて 様々な角度から も のごとを考えてゆきたいし︑一歩進んだボ ランティア グループとしての特性菅伸ば していきたいなあ︒
ヰノロンーあぺのの 羅 針 盤
河合さん
﹁サロンあべの﹂にもの申す
あべの計量も・P占−
前田博子 ﹁サロンあべの﹂一周年おめでとうござ
います︒新開発行もしっかりと8回を数え ますます意気盛んな様子を伺いながら︑こ れからの﹁サロンあべの﹂がこんなふうに 発展したらなぁヒ思いをはせてみました︒ ﹁サロンあべの﹂のいいところは︑とに かく参加している人が皆んな自信を持って いること︑自分たちのやっている事に﹁惚
れてるな﹂と患わされるところが素敵だな ぁと思うんです︒だから︑一つ気をつけな ければならないとすれば︑ただのサークル みたいになってしまわない事じゃないかな あと思います︒ だから︑﹁サロン﹂で学んだこと︑知り 合ったことをどう具体化していくか︑とい うことはただのサークルではなく︑啓発活 動をボランティア活動であると位置付けた ﹁サロンあべの﹂の本領の発揮どころと言 えるかもしれません︒ 例えば︑参加経験のある人たちと一緒に 阿倍野区版の障害者情報を整理してみる︵
どこかの受け売りみたいだけど︶とか⁝︒ いろいろな可能性を秘めた﹁サロンあべ の﹂︒とってもとっても期待しています︒
司会 発会までの状況︑この一年の活動
そしてこれからのサロンなどについて
貴重なご意見をありがとうございました︒
太当は 私たちなんかよりも﹁ケ 旭
リヤ﹂君の方が 準備委負会の状況やいき
さつについて︑よく知ってるし︑冷静に見
てるかも知れません︒
﹁ケリヤ﹂君にインタビューすることが
できたら もっともっとおもしろいお話が
聞けたかも知れませんね︒映画﹁ドン松五
郎﹂のように﹁ケリヤ﹂君も︑お話できた
らいいのにね︒︵笑︶
司会 次回の座談会には ぜひ 実現さ
せたいですな︒︵芙︶
長い時間︑お疲れさまでした︒
グ
﹁こんにちわ いそがしいのにすみませ ん こないだはど〜も﹂なんともエレガ ントなトーンでのあいさつは︑フンワリと 相手をなごませ︑やわらかく話しをつぎへ 進めるあたり︑なんともいえないムードが ある︒サロン・あぺのが発会したころ︑高 校へ合格した美幸ちゃんが あべのボラン ティア・ビューローの重ヘチョコチョコ顔 を出していた︒この子が冨田さんの妹さん とばかり⁝︒それほど声は苦いし︑持つ雰 囲気も書い︒このソフトな且かけにかくさ れた芯の強さはなかなかのもの︒会に対す宮戸田慶子さん
∧サロン︐あべの∨四月の出会い
日 時 昭和六二年四月十八日︵土︶
午後一時〜四時
簡所 管億きミ三ティーセンタト ニ階研修室召⊥・幸吉三て右
︵阿倍野区阪南町五−十王−二
八︑地下鉄西田辺北西五分︶
内 容 ﹁福祉電話教室﹂視覚︑聴覚︑
肢体障害者及びご老人方が共た
利用出来る電話器毯とその活用
についてNTTの方よりお話し
を伺います︒
会 費 なし︵カンパ歓迎︶
連絡先 TELO6−6gl−1028
冨田 慶子る情熱は人一倍強く︑遠大なビジョンをも
ってい▲る︒・イギリス⁚サッチャー︑フィリ
ピン⁚アキノ︑社会党⁚土井たか子︑サロ
ン・あぺの・・冨田慶子︒いずれ劣らぬトッ
プである︒
お 知 ら せ
.くや)【−−
もl l 一私たちCPの老にとって︑きんちょうと
盲目う︑理由の解らない物には︑ほとほと悩 うされます︒ ちなみに私の場合を取
り上げてみますと︵人によってちがいますが︶遠い昔を思い
出してみました︒
小学校二年生の夏のことです︒突然右手
が前にこなくなり︑その内食事も︑えんぴ
っも持てなくなり︑あげくの果てには︑言
語障専さえも出て乗て眠る事も出来なくな
り︑体を二つ折れにするしか歪がないほ
どの︑酔い物でした︒もとに戻るまで一年
の期間が︑かかりました︒それは︑今から
考えると︑暑さ負けからきたCPのきんち
ょうのきつい物だったと思います︒そして
︑つぎの夏もつぎの夏も続き︑私にとって
楽しいはずの夏休みが︑恐怖の夏休みにな
C nrのきん斗nノよ︐︹ノ
山 東 篤 江 ︹ りました︒その内︑大きくなるにつれて︑ だんだん出なくなりましたが︑夏は︑今で も好きな季節ではありません︒歳月が流れ 大人になり︑子供の頃よりは︑あまりきつ いきんちょうは出なくなりましたが 自分 の意志ではどうする事も出来ないものがや
ってきます︒
たとえば︑睡眠不足の後︑熱が出た後︑
出かける時︑時間がないと思えば︑そう思
うだけでも︑きんちょうして手足が動かな
くなります︒自分のやっている婁を横でじ
っと見ていられると︑いつもだったらなん
でもない事が出来なくなるとか︑写真を写
す時なんかは悲惨なものです︒と 言うの
は顔にきんちょうが出るので︑顔がゆかむ
のです︒初対面の人に合う時もそうです︒
ですから︑何回か合ううちに初めの時と
は︑ぜんぜん違う表情になってくるとよく
言われます︒それもこれも きんちょうか
ら来る仕業なのです︒これは︑自分で ど
うにもならない︑どこから来るのかも︑ま
ったく解らないものです︒私は︑まだ少量
の薬でおさえられるだけ幸せです︒
︵編集者注 CP−−脳性マヒ︶ 世ハノ︐れノあ巷間題︵仮趣︶
次号から︑﹁ろうあ巷間飽﹂について連
載されることになりました︒
去年一年間かかって魯きあげた卒業論文
の抜粋です︒
お読みいただいたろうあ者︑健聴者の皆
さん︑意見・感想・おしかり・等ありまし
たら︑どんどんお寄せ下さい.その都度
みんな一緒に考えていきたいと患っていま
す︒ ﹁ろうあ巷間庖﹂を﹁ろうあ老﹂だけの問
題としてでなく︑広く障害者聞出二あまり
好きな言葉でありませんが︶として︑私た
ちひとりひとりの生括の場としての社会の
問題として考え直すためのキッカケ作りが
できれば幸いに思います︒
本当は︑皆さんにお耽みいただけるよう
なシロモノではありませんが︑何かを感じ
取っていただけるなら︑とてもうれしく思
いますので︑ヨロシクお願いしま〜す︒ 旭 純 子
7日︑大阪で観測史上4番目の︑稜雪7
センチを記銀した︑春の大雪︒翌3月8日
+
あったかムードの御点前
劇団 慾変 87春の公兢
 ̄(
水は天から ちりぬるを
一みにきてヤ!一
4月19日(日)
尼崎労働会館
4月25日(土)
芦原橋鰐故会館 会費 1500円
ウ
尼崎連絡先:永岡
凪06−494−3980
大阪連絡先:高森 mO6−349−1217
文の里連洛先:斉藤 凪06−621−4086
† ●
劇団「慾変」を創立し て約4年になり、1年に
1,2回東京、大阪、京 都で公抗して 障害者の 個性的文化の向上を目指
して頑張っています。今 年も又、尼崎と大阪で公 演しますので多くの人に 観に来てほしいのです。
今年もやるしかない!
斉藤 孝文
︵日︶︑晴天にはなったものの︑雪どけと
相まって︑寒さはひとしお︒この外の寒さ
がうそのように︑王子神社の茶壷は︑障尊
がえる︑みごとなフクサ拗に︑しばしうっ 者と健常者が︑和気あいあいの︑ほんとう の春︒ こんな︑あったかムードのなか︑ 宗千家 綱谷保子先生に︑御点前の指導を 受けている︑日の不自由な方々の御茶会が 開かれました︒平素の熱心なお稽古がうか
とり︒茶道にみる日東の伝統美を︑墨痕あ
ざやかな﹁一期一会﹂の掛軸︑床の間の生
け花などとともに︑満喫したひとときでし た︒ ︵石︶ 編 集 後 記
おかげさまで︑サロン・あぺのは満一歳
になりました︒その記念号として︑表号は
誕生までのこと︑この一年間の活動︑これ
からのサロン・あぺののことなど︑より一
層サロン・あべのを理解していただこうと
特集を組みました︒これから三歳 玉串・・
と︑サロン・あべのを大きく育てて下さい︒ 日々のよろこび添えて
サロン・あぺのに贈る〃灯〃
二月のカンパ合計八四一六円
ありがとうございました︒
▲(10).一