今日の話題
722 化学と生物 Vol. 51, No. 11, 2013
乾燥ストレス条件下で植物の生長を制御する遺伝子の特定に成功
干ばつ下での植物の生育不良を改善する技術開発の貢献に期待
現在,人口増加を支える食料,飼料生産用作物やエネ ルギーの安定供給を支えるバイオ燃料生産用作物の需要 が上昇している.しかし,それら作物生産に要する耕地 面積を拡大する余地はほとんど残っていない.さらに,
既存の耕地では気候変動の影響により干ばつの強度と頻 度が増すと予測されている.干ばつにさらされた作物 は,光合成器官を含む地上部の生育が抑制され収量やバ イオマス量が低下してしまう.これらの低下を防ぐこと は農業上最も重要な課題の一つである.
植物は,乾燥ストレスに対して非常に敏感である.イ ネやトウモロコシの葉における僅か10%の水分消失は,
細胞の膨圧を0 MPaに低下させ多くの生理的過程に影 響を及ぼす(1).最も敏感な生理的過程は,細胞の成長や 細胞壁の合成である.これらは,アブシジン酸の合成や 気孔の閉鎖が起こるよりも前に,より乾燥程度の弱い段 階で影響を受ける.このことは,乾燥ストレスによる地 上部の生育抑制は,光合成産物量の減少に伴う二次的な 影響ではなく,光合成産物や水分消費量の節約を目的と した積極的な応答システムの一つである可能性(2) を示 唆している.
今回,筆者らは,イネを用いて と名づけた 遺伝子が乾燥ストレス条件下で植物の生育を制御してい ることを明らかにした(3). 遺伝子は,シロイヌ ナズナのbasic-helix-loop-helix型の転写制御因子である Phytochrome Interacting Factor (PIF) 4 と高い相同性 を示すイネにおける 様遺伝子である.シロイヌナ ズナのPIF4は,日陰時に茎を伸長させる避陰応答の際
に働く(4).フィトクロームBとの相互作用によって日陰 を感知し,オーキシン生合成遺伝子の発現を誘導するこ とで,オーキシン含量を高めて茎を伸長させる(5).一 方,イネの 遺伝子は,フィトクロームBとの相 互作用に重要な保存配列Glu-Leu-X-X-X-X-Gly-Glnの最 後のGlnがGlyに置換していた.実際,筆者らはOsPIL1 とフィトクロームBとの相互作用に関して詳細に解析を 行ったが,相互作用は認められなかった.したがってイ ネのOsPIL1は,シロイヌナズナのPIF4とは異なる未知 の相互作用因子によって,またはOsPIL1単独で機能し ている可能性が示唆された.
非ストレス条件下での 遺伝子の発現パター ンをリアルタイムRT-PCRによって解析した結果,明期 に高く暗期に低い日周変動を示した.興味深いことに,
明期に乾燥ストレス処理を開始すると発現が急激に減少 し,暗期に乾燥ストレス処理を開始すると明期における 発現の上昇が完全に抑制された. 遺伝子のプロ モーター領域をGUS遺伝子につないだキメラ遺伝子を 導入した形質転換イネを用いて, 遺伝子の発現 部位を解析した結果,幼植物体の生育段階では基部にお いて,出穂期の生育段階では節において高い発現が示さ れた.
さらに,OsPIL1の植物体内での機能を解明するため,
ユビキチンプロモーターによる 過剰発現イネ と 機能欠損イネを作製した.機能欠損イネは,
転写因子であるOsPIL1のC末端に植物特異的な転写抑 制ドメインを付加したキメラリプレッサーをイネに導入
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して作製した.このキメラリプレッサーは,植物内で機 能重複する複数の転写因子に対してドミナントに働くこ とが報告されている(6). 過剰発現イネの場合,
節間伸長が著しく促進し背丈が非常に高くなった(図 1).一方, 機能欠損イネでは節間伸長が抑制さ れ背丈が低くなった.これらの背丈が変化したイネの節 間の細胞を観察すると, 過剰発現イネでは伸長 した細胞が多く見られ,逆に 機能欠損イネの 節間の細胞は縮小していた.これらの結果より,
過剰発現イネと 機能欠損イネで見られた
背丈の変化は,節間の細胞の大きさの変化によるもので あることが明らかとなった.
の下流遺伝子を探索するため, 過剰 発現イネを用いてマイクロアレイ解析を試みた.
過剰発現イネの幼植物体全体を用いてRNAを抽 出しマイクロアレイ解析を試みたところ,コントロール イネと比べ発現量の変化している遺伝子がほとんど検出 されなかった.そこで, 遺伝子の発現量の高 かった出穂期の節の部位に限定して同様のマイクロアレ イ解析を試みた.その結果,コントロールイネと比 べ 過剰発現イネ中で発現量の変化している遺 伝子を数多く検出することに成功した.これらの遺伝子 の多くは乾燥ストレス時に発現が減少する発現パターン を示した.また,エクスパンシンなどの細胞壁関連遺伝 子が数多く含まれていた.エクスパンシンのプロモー ターを 遺伝子につないだレポーターとユビキチン プロモーターを 遺伝子につないだエフェク ターをイネ葉肉細胞中で一過的に発現させた解析によ り,OsPIL1がエクスパンシン遺伝子の発現を正に制御 していることを明らかにした.
これらの結果より,通常生育条件下では日周変動の制 御を受けるOsPIL1は,エクスパンシン遺伝子の発現を 誘導することで,細胞壁の合成を促進し生長を促してい ることが示された.一方,乾燥ストレスを受けた植物で は, 遺伝子の発現を低下させることで細胞壁の 合成を抑制し生長を抑えていることが示された(図2). これまでに,乾燥ストレス耐性遺伝子を用いたストレ ス耐性作物の開発に関しては多くの報告があったが,生
コントロール OsPIL1 イネ
過剰発現イネ
図1■通常生育条件下で育てた 過剰発現イネ(左)と標 準的なイネ(右)の背丈
通常生育条件下で 過剰発現イネを育てた場合,標準的な コントロールイネと比べ背丈が大幅に上昇した.
OsPIL1 OsPIL1
図2■通常生育条件下(左)とストレス条件下(右)でのイネの生 育におけるOsPIL1の役割
通常生育条件下では,光により 遺伝子の発現が誘導され 細胞の伸長が増加し良好な生育を示す.一方,ストレス条件下で は, 遺伝子の発現が抑制され細胞の伸長が阻害され生育 の阻害が起こる.
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育の低下や収量の減少が問題になっていた.今後,
遺伝子を乾燥ストレス耐性遺伝子と併用すること によって,干ばつなどのストレス条件下においても生育 が抑制されない生育安定型のストレス耐性作物や,これ まで栽培が困難であった非耕作地でも栽培が可能でかつ 高いバイオマス生産性を有する高バイオマス生産型のス トレス耐性作物の開発に展開できる可能性が考えられ る.
1) 巽 二郎編,平沢 正: 地球環境と作物,博友社,2007,
p. 38.
2) A. Skirycz : , 29, 212 (2011).
3) D. Todaka : , 109, 15947
(2012).
4) P. Leivar : , 16, 19 (2011).
5) J. J. Casal : , 64, 403 (2013).
6) K. Hiratsu : , 34, 733 (2003).
(戸高大輔,篠崎和子,東京大学大学院農学生命科学 研究科)
プロフィル
戸高 大輔(Daisuke TODAKA)
<略歴>2003年東京農工大学大学院連合 農学研究科博士課程修了/国際農林水産業 研究センター(特別研究員)/2013年東京 大学大学院農学生命科学研究科(特任助 教),現在に至る<研究テーマと抱負>イ ネの環境ストレス応答機構の解明<趣味>
サッカー 篠崎 和子
(Kazuko YAMAGUCHI-SHINOZAKI)
<略歴>1982年東京工業大学大学院総合 理工学研究科博士課程修了/国立遺伝学 研究所(学術振興会特別研究員),1987年 ロックフェラー大学(博士研究員),1989 年理化学研究所(基礎化学特別研究員), 1993年国際農林水産業研究センター(主 任研究官)/2004年東京大学大学院農学生 命科学研究科(教授),現在に至る<研究 テーマと抱負>植物の環境ストレス応答と 生長制御のクロストークの解明と分子育種
<趣味>芸術鑑賞,料理