二 〇 一 四
年 十 二 月
「 今 月 の 言 葉
」 と
「 今 月 の 聖 語
」 に つ い て の 紹 介
今 月 の 言 葉
ひ と つ の 言 葉 で け ん か し て
ひ と つ の 言 葉 で 仲 な お り ひ と つ の 言 葉 は そ れ ぞ れ に
ひ と つ の こ こ ろ を も っ て い る
吉 野 弘
言 葉 は、 人を 助 ける こと や励 ます 一 方 で人 を傷つけ 悲し ませ るこ とも あり ます
。普 段 の学 校 生 活で は、 クラ スや クラ ブ活 動 など で多 くの 言 葉 が交 わさ れ、 そこ で嬉 しい 気 持ち にな った り、 不愉 快 な気 持ち にな った り、 様 々な 事 を感 じな がら みな さん も過
ごし てい ると 思い ます
。 時 には 友 達 との 間 でけ んか をす る時 もあ ると 思 いま す
。け んか をし てい ると きは 相 手 に腹 を 立 て、 絶 対 に許 した くな い気 持ち にな りま す が、
「ご めん
」の 一言 で分 かり 合 える こと はあ りま す。 この 詩 で述 べら れて いる よう に、 言 葉に は「 ここ ろ」 があ ると 思 いま す
。だ から こそ 言 葉 を通 し て伝 わる もの があ るの です
。逆 に上 辺 だけ 飾 った よう な言 葉で は相 手に はき っと 届 かな いと 思 い ます 言 。 葉 はも ちろ ん大 切 です が、 その 言葉 を発
して いる 自 分自 身 の「 ここ ろ」 もし っか りと 見 つめ て いく こと を教 えら れま すね
。
今 月 の 聖 語
善 き 人 々 は 遠 く に い て も 輝 く
‐ 雪 を 頂 く 高 山 の よ う に
『 ダ ン マ パ ダ
』
『 ダ ンマ パダ
』と は
、釈 尊の 教え を集 め たも ので
、人 間そ の もの への 深い 反 省や 生活 の指 針 を短 い句 に よ って 示 した もの で す。 釈 尊 が述 べら れる よ うに
、善 き人 は遠 く にい ても 輝い てい る よう に思 いま す
。こ こで いう
「 善き 人」 と は 仏教 的 な意 味で
、「 真理 に達 した 人」 を指 しま す。 こ の 言葉 を広 く日 常 生活 に置 き換 えて 考 えて みる と、 例 えば
「何 事も 一生 懸 命に 取り 組む 人
」、
「 友達
、ク ラ スの 仲間 を大 切に す る人
」、
「 部活 動 の競 技、 種目 に おい て凄 い技 術を 持 って いる 人」 な どが
「善 き人
」に 当 ては まる ので はな い でし ょう か。 そ して
、そ れら の
「善 き人
」は 自 分自 身に とっ て、 仮 に学 校や クラ ス やク ラブ は違 っ たと して も、 キラ キ ラと 輝い て 見 える の では ない で しょ うか
。 人 か ら良 い刺 激を 受 けて
、一 歩で も自 分 自身 が思 う「 善 き人
」に 近づ い てい くた めに 日々 精 進し てい く こ とを 改 め 教え ら れ る言 葉だ と 感じ ま す。