4月30日 5月1日
豊前市山田、大富神社の神幸祭(感応楽と八屋祇園)
宗像八幡、住吉とも称する。筒男3神。神幸式は4月30日正午より。神役が出揃うと船歌組がお船歌を、感応楽 が拝殿左庭である。午後1時、潮桶、歌組、船形(舁舟)、苗箱、茅の輪、神輿3基、傘鉾3本、神馬3頭、太刀3 振、地官衆、金幣、騎馬神官の順でお立ち。
傘鉾組は大囃子、中囃子、小囃子により、麦畑の野道をゆく。所定の標では船歌がある。八屋の町内へ入ると、
待っていた大船(船山車1台)岩山(飾山笠)2台、踊山台3台が供奉。町内を1巡、八屋浦住吉のお旅所へ着御。
船歌、楽打、踊山車は夜半まで「北原ちんこ芝居」してお旅へ。夜を宿する。5月1日、踊山車の奉納踊の後、お旅 所の守護神、塞サヤ神社の前で古式御田植、茅輪神事、御幣授与、船歌神事、囃子、楽打があり還御。1日には朝から9 ヶ社の末社、跡地で楽打。八屋町では終日、踊山車がある。
歌組は2組あって隔年交替で出る。明神組、住吉組とある。
明神組は感応楽がでる年に出る。住吉組は山田神楽がでる年に出る。両組共八屋浦区。
昭和40年は神楽のでる年で感応楽はない。神楽は大村から出るという。又神楽は30日の宵宮には出ない。1日の 本祭の日午前10時頃、お旅所塞神社で奉納するのみである。
4月30日 豊前市四郎丸 大富神社祭例
本年は神楽の年で楽打は来年。従って歌組は住吉組が出る。午前10時半頃国道でお船神歌に出合う。大富神社か ら上の方へ車で走らせ、途中、八田で傘鉾に逢う。
大富神社の祭禮は正午頃から始まる。午前中に 3 基の神輿が神前に飾られてある。右から宗像、大富、八幡の 3 社神輿となっている。神幸式は普通の渡御(神輿)の外に茅の輪、金幣、白幣がつく。
発してまでに3つの傘鉾がお迎えに来る。御船歌組も来る。
傘鉾、八田組担い棒の中央に大太鼓を吊る環をかけ、それに輿のような木組の枠をつける。格子扉になっていて 中央に太鼓の皮の所だけ丸く縁どり、この輿枠に大鼓をはめて吊したまゝ、外から太鼓を打つ。道中は担棒を肩か ら外すとそのまゝ輿棒は台ともなる。輿枠担い棒より上は、匂欄となり中央には柱が 1 本立つ。これが傘の柄とな る。この柱の上部は竹骨の傘、中心は傘をつき抜けて中央天辺には御幣をつける。5色の紙幣、別に5色の紙幣垂を、
もり上げるようにつけて拡げた傘の上を覆うばかりにする。傘の縁周辺には、桃色の造花、傘の縁から引幕を傘を 巡って円く垂らせる。白地に龍の刺繍、龍は最初は色糸であったらしいが褪せて白に近い字川内の黒の刺繍之字が ある。もとは川内から買ったものらしい。木地の匂欄は彫抜きの龍。
八田を出て四郎丸の大富神社までは道囃子で来る。道囃子は大囃子、中囃子、小囃子と 3 通りある。大鼓の撥、
胴鉢子(チャンガラ)、笛から成り、笛は大ぜい。チャンガラは1対を白い四角な布の両端に結びつけ、この布を手 に巻いて打つ。
全員、キョウ木の夏帽に2個の大きな造花をつけたものを被り殆ど背広、靴、先頭の5、6人の少年も花笠を被る。
時々止まって傘鉾を肩抜いて休む。そのとき1人が大鼓を打ち、チャンガラを打ち、3、4人の笛がこれを囲んで囃 す。これをミサギという。
外に上げ幕という曲がある。これは大富神社へ到着したとき、神前で奏する囃子をいう。
傘鉾は八田の外に鳥越、大村、から出る。囃しの衣裳も変らぬ。
鳥越の太鼓台は黒塗り、匂欄の彫は波に千鳥、その下に下宮永の文字が彫込んである。幡は赤地に龍。
大村の幡は白地に波、舟、千鳥の刺繍。幕に大村と黒字刺繍、匂欄は龍。太鼓が枠から少々出張っている。傘の 上の御幣及び紙幣垂れは大村は白が主となり、他の5色の紙垂は少ない。囃子は3組とも同じようである。
御船歌組も住吉から神社へやって来る。歌頭3人、まんじゅ笠、歌組7人、平笠(一文字)。人数は年によって不 同。何れも黒紋付、紋扇子を持つ。これに小形のお舟が5色の幣を立てゝお伴する。
神前で輪をつくり、歌頭 3 人は、神様の方へ背を向ける位置。跼って閉じた扇子の要の方を地について船歌を唄 う。これは実によい。
船歌の歌詞。
四楽口説 あら目出度いな 御代は目出たん 天狗そろい あれはをんでくほど遠き
泰平楽 あらありがたの浮世かな
高き屋 高き屋に登りて見れば煙たつ・・・
着船 漕ぎ出でゝをもう、みなとに着きの船 君ヶ代 君ヶ代は久しき代々のためしには 明石 ほのぼのと明石が浦なる朝霧に 清盛口説 かりそめに、上りて見れば清盛の 二葉の松 いつ見てもかわらじものは 高き御山 高きお山に霧をまき
男波女波 そさま、をもをに松の葉もかぐ などある。終って御神幸となる。
汐桶、お舟歌組、猿田彦、鉾、茅の輪、金幣、幣(この幣をヒイデという)、神輿、傘鉾、乗馬神官の順。
住吉組の御舟が途中上町まで御神幸を迎えに出て、御神幸式の後を曳く。飾り山(岩山という)は 2 台見たが、
これは据えてある丈けで曳かない。神社を出た神幸式は、下鳥越、大村、田淵、上町、横屋、八幡町を経て浜町に 出、八屋住吉の明神様にお旅するのである。
神輿がお旅に収まるのは夜8時頃になるらしい。
神幸の道中、要所々々で船歌をやる。上町の宇部家の前でもやる。この家は神役の旧家で、浜で明日(1日)御田 植の儀式があるがそのときの田水は宇部家の井戸から汲む。