10月2日 福岡県宗像郡宗像町 宗像神社 放生会 祭神
タキリヒメノミコト(多紀理毘売命、奥津島比売命)
イチキシマヒメノミコト(市寸島比売命、狭依毘売命)
タキツヒメノミコト(多岐津都比売命)
の 3 女神。天照大御神と須佐之男命と間のうけひによって生れたされている神である。しかし天照御神はこの三女 神は自分の持物から化して神となったのではなく、須佐之男命の持物である十拳剣から生れた神であるから天の原 に置くことはできないと考えている。即ち国つ神的性格を持っている。
所が地理的にこの国つ神の居た地点が単に地方的な海洋神の拠点としてのみではなく、大和朝廷の韓国との折衡 上非常に重要な祭祀地点となって来た。このことは宗像神社、沖津島祭祀遺跡調査によっても知られている。いは ば、もと地方の国つ神であった宗像社が、大和朝廷によって次第に重要視され、大社に昇格した神ともいえる。
宗像神社の放生会はこの昇格後に始められたらしい。貞永元年(1232)大宮司宗像氏経が始めたと伝える。始め8 月15日、元禄年間領主の命により8月晦、9月1日に改められ近年新暦9月30日~10月2日を祭日とした。
現今は放生会の行事はない、が田島の放生会という俗称にもとの放生会の名残をとどめているのみである。もと 古式の流鏑馬の行事が残っていたが、それも現在はない。もと龍石太夫による翁舞があった。龍石太夫とは何者で あるか不明であるが、最近まで、田島在の社家筋の特定のものが舞人となっていたが現在はそれもなくなり、福岡 から観世流の幸田良考氏を招いて、翁を舞う。
このとき用いる翁面は鐘崎の海中から明応 8 年(1499)に浮び上ったものといわれて現在社宝となっているが普 通の白尉の翁面とは稍異なる。切顎。
祭には市が立ち、生姜が売られたが、これは現在でも売られている。
また戦前までは女中市が立った。宗像神社の中津宮のある大島村では娘が 1 度島外へ出て奉公をした経験がない と娘に貰い手がないという習慣があって、放生会の日に一の鳥居一帯の所に居並んで雇主を待つもので契約の成立 した組は2日目に参籠殿の一隅で約束をしたという。