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宗教学方法論Ⅶ宗教民俗学 (関一敏1949⁻)

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(1)

比較宗教学概論Ⅰ 幸せの探求

宗教学方法論Ⅶ宗教民俗学

(関一敏 1949⁻ )

20170711 @2時間目

九州大学箱崎キャンパス 301 教室 飯嶋秀治

[email protected]

(2)

授業計画と Q&R

進度・内容・行動目標等 1 0411自己・世界・講義の趣旨説明 2 0418言語・生態・経済の説明 3 0425国家・メディア・学校の説明 4 0509国際学会発表のためビデオ視

5 0516「幸せ」の釈義

6 0523/不幸・幸い/災い・祝い/呪い 7 0530宗教学方法論Ⅰ宗教心理学(W.

ジェイムス1842-1910

8 0606宗教学方法論Ⅱ宗教社会学(E.

デュルケム1854-1917

9 0613宗教学方法論Ⅲ宗教哲学(R.

オットー1869-1937

10 0620宗教学方法論Ⅳ宗教民族学(A.

ファン・ヘネップ1873-1957

11 0627宗教学方法論Ⅴ比較宗教学

M.エリアーデ1907-1986

12 0704宗教学方法論Ⅵ宗教人類学(H.

コックス1929⁻

13 0711宗教学方法論Ⅶ宗教民俗学

(関一敏1949⁻)

14 0718試験(小論文)

15 0725講評

コックスによれば、西洋の精神的危機に対抗できるのは西洋が東洋の神話を捨てて原点に立ち戻る ときである、ということだったが、コックスは東洋思想に走ることを西洋の精神的危機からの逃避だと 考えていたと思っていいのか?コックスのフィールドワーク、参与観察について「いつの間にか自分が 東洋を志向していたことに気づいた」「これ以上は禅にとらわれなければならない」といった話題が あったが、フィールドワークや参与観察をしていくうちに自分がその宗教に取り込まれてしまう危険は ないのだろうか?

見当違いかもしれないとは思いましたが思想と宗教はある程度関連があるとは思いますし少し私の中 で引っ掛かりました。

他者との違いによってしか自分を認識できず、その欲求に再現がなく強まるとすると、「日本のここが 素晴らしい」ことを外国人に見せつけてマウンティングするテレビ番組が目立つようになったことも納 得がいきます。数年前からの方言の流行や「ご当地あるある」も差異の強調です。小学生の頃からこ とさらに「個性的であること」が自分であることの要件のように教育された(と私は感じているだけです が)とも感じています。

最近知り合った人で、母方の実家がある宗教を信仰していて、「専業主婦の母は他に社会がないし、

おばあちゃんがやっていたからなんとなく自分も流されてやっているだけで、その宗教が正しいのかど うかちゃんと考えられてない。一回考えて欲しい。」と言っていて、その人の兄はお母さんが信仰してい る宗教を認めていないことが原因で、お母さん自体を認めていないそうです。彼は、母を理解しようと、

宗教の集会所に小さい頃からついて行っていたけど、その内容に納得できなくて、母を認めたいけど 心から認められないというジレンマをずっと抱えているようでした。今少しだけ宗教のことを勉強して、

考えている私としては、話を聞いた時、何か言ってあげたい。教えてあげたいという気持ちになったの ですが、うまく伝えられないし、間違ったことを言ってしまうのも良くないと思うと、全然言葉がで出来ま せんでした。その時、この講義で聞いたことを完全に自分のものにできていないことをもどかしく感じま した。どのように伝えたら良かったのでしょうか。

(3)

言語と生態

自己中心主義から脱中心化へ

自文化中心主義から文化相対主義へ 狩猟採集漁労民・農耕/牧畜民から市

場経済・国民国家へ

(4)

幸いと災い、祝いと呪い

• Arrernda:(-θvb.)feel happy, be pleased, enjoy yourself, be cheerful, have a good time.,

n.

漢字:幸、福(

⁻100A.D.

• English

:(

adj.

Senses relating principally to good fortune.→ Of a person:favoured by good fortune;lucky, fortunate →

n.

With the and pl. concord:happy people as a

class.→A happy person or thing. Also: a happy state, event, etc.

⁻1550A.D.

日本語: 【幸】(「さきわい」の変化した形)🈩

〘名〙 ①<形動>神仏など他が与えてく れたと考えられる、自分にとって非常に望 ましく、またしあわせに考えられる状態。

⁻794⁻

しあわせ【仕合・幸】〘名〙(「しあ わす(為合)」の連用形の名詞化)①めぐり 合わせ。(

⁻1549⁻

こうふく【幸福】〘名〙

(形動)恵まれた状態にあって不平を感じな いこと。(

1808

• Arrernda:n.bad,morally wrong,evil.

漢字:災(

⁻100A.D.

• English:

adj.

→Of persons (or

animals):Causing misfortune or trouble(to oneself or others); objectionable or

miserable on this account.(a1400A.D.)

日本語

:

わざわい【禍・災・殃】〘名〙

(「わざ」は神のしわざの意、「わい」は「さ きわい(幸)」などの「わい」と同じ。悪い 結果をもたらす神のしわざの意から)① 悪い結果をもたらすような種々の事柄、

気配。また、その悪い結果。身にふりか かる傷害、病気、天災、難儀など。災難。

災厄。禍南。凶事。曲事。不幸。

(-720- )→

ふこう【不幸】?

(5)

宗教学方法論

宗教の心理学

「宗教とは、個々の人間が孤独の状態にあっ て、いかなるものであれ神的な存在と考えら れるものと自分が関係していることを悟る場 合だけに生ずる感情、行為、経験である たちの解するような意味の宗教から、いろい ろな神学や哲学や教会組織が第二次的に 育ってくるであろうことは、明らかである」 [ジェ イムズ1982a(1901-1902)52]

宗教の社会学

「宗教とは、神聖すなわち分離され禁止された 事物と関連する信念と行事との連帯的な体系、

教会と呼ばれる同じ道徳的共同体に、これに 帰依するすべての者を結合させる信念と行事 である」[デュルケム1991a(1912):86-87] 「あら ゆる形態のもとで、宗教生活は、人を自己をこ えて高め、人が自らの個人的自発性にのみ服 していたら営んでいたであろう生活よりも、高 級な生活を営ませることを目的としている」

[デュルケム1991b(1912):317-1318]

宗教哲学

「私たちはここで、『聖なるもの』(das Heilige)という特異な範 疇について、以上のことを研究しよう。ある事柄を『聖なるも の』と認め承認することは、まずそのようには、ただ宗教の 領域だけに現われてくる特異な価値判断である」[オット

―19921917):14]

宗教民族学

「近年、呪術宗教的行為の詳細な記述および民 族誌の十分な蓄積がなされてきており、こうし た行為つまり儀礼に関する科学の進歩に即し た分類を試みるのは、時宜に適ったことである と言えるだろうこの種の儀礼は様々の儀式の 中に存在するが、 今までのところ誰もこれらの 間の緊密な関係にも、その存在理由にも、そし てまたなぜこれらの儀礼は互いに類似している のか、ということにも気づいていないようであ る」[ヘネップ20121909:7]

比較宗教学

「人間が聖なるものを知るのは、それがみずから顕れるからであ り、しかも俗なるものとは全く違った何かであると判るからである。

この聖なるものの顕現をここでは聖体示現(Hierophanieギリシャ hieros=神聖な、およびphainomai=現われる、から来る)という 語で呼ぶことにしよう」[エリアーデ1988(1957):3]

宗教人類学

「私が語ろうとしているのは、文字通り、われわれアメリカ人の玄 関をノックし始めたアメリカ版の東洋宗教についてであり、そこに 目を向けるアメリカ人たちにとっての意味についてだ」[コックス 1979(1977) :3]

(6)

宗教民俗学

(7)

時代背景

ジョージ・フレイザー(1854-1941年)

1890『金枝篇』

アーノルト・ファン・ジュネップ(1873-1957年)

1909『通過儀礼』民族学

柳田圀男(1875-1962年)

1910『遠野物語』民俗学

エミール・デュルケム(1858-1917) 1912『宗教生活の源初形態』社会学

ルドルフ・オットー(1869-1937) 1917『聖なるもの』哲学

ブラニスラウ・マリノフスキー(1884-1942年)

1922『西太平洋の遠洋航海者』人類学

ミルチャ・エリアーデ(1907-1986) 1957『聖と俗』

ハーヴェイ・コックス(1929-1977『東洋へ』

関一敏(1949-

(8)

「しあわせの民俗誌・序説-地方学から内郷調査まで」( 1993 )

「鳥の目と虫の目 ― しあわせの民俗誌(2)」( 2008 )

• 目次

はじめに

1 民俗調査のはじまり-それはどのような事態な のか?

(1)イタリア・アルプス山村調査(

1912

(2)郷土会による津久井郡内郷村調査(

1918

) 2 調査以前-民俗学の構想はなにをモデルにし

たのか?

(1)郷土会と新渡戸稲造 地方学の思想

(2)南方熊楠との文通 フォークロアを学ぶ

(3)絶縁にいたる論争 農村生活誌とはなにか?

おわりに

• 目次

はじめに

地方学

内郷村調査

1918.8.15-25

郷土研究の要件

山村調査

1934-36

おわりに

Version2

のために

メモ 学問と幸福

(9)

主題と方法

• 主題

「考えたいことは、柳田國男と日本民俗学のもつ方 法的可能性と限界とでもいうしかないものを、最 はじめの場所にもどってたどり直すことでした」

[

1993

339]

「しあわせの民俗誌、という耳なれない表題の由来 は、いわゆる山村調査最終手帳の質問のうち、

最後の百項目目に『仕合せのよい人又は家の話 があるなら承りたし』とあることへの驚きでした」

[

1993

339]

• 方法

「そのために、ここでは、ふたつの時期に焦点をしぼる やり方をとりました。ひとつは、この稿で触れた津久 井郡内郷村の調査(

1918

年)、もうひとつはいわゆ る山村調査(

1934-6

)です。

なぜ調査かといえば、

それが非文字媒体にのった深い意味での<歴史>

をとらえる橋渡しであるからです。それなしには、あ るいはその質いかんでは、そもそもこの『野の学問』

(増田勝実)が成り立たないという本源的な理由が

あります」

[

1993

339]
(10)

考察

内郷調査(

1918

年)

「大正7年(1918本邦初とされる村落調査がどのような目的とい きさつで準備され、営まれたのかまず調査項目ですが、新渡 戸稲造邸で開かれていた郷土会(1910-18)の会員たちが『村落 調査様式(郷土会考案)』なるものを1年ほどのあいだに作成し たといいます」 [1993317-8]

「第一に、なぜ内郷村だったのかというと、ふたつの理由をあげて います。『一方の境は高い嶺、他方の三方は絶壁を以て川に臨 み、近年まで橋も無かったと云う孤存状態』と『尊重校長其他の 有力者に、同情と理解が有つた』ことです第二に、『私だけの 実験は、一言を以て申せば村落調査と云うものは、非常に面白 いと同時に、非常に六つかしい仕事だと云ふ、是であります』 第三に、調査によって何を知ろうとしたのか、その目的について です。『唯一群の日本人の集合として、何れの点に昔の方が幸 福で、何れの点に新時代の恩澤を蒙つて居るか、又蒙らせなけ ればならぬかを考へる時に、始めて村民の沿革を討究する趣意 が顕れるのであります』」 [1993318-9]

「ふたつの点に注目しておきたいと思います。ひとつは、この調査 は『学問上先ず失敗』というのが柳田の判断だったことです。 つまり問題は『時』と『資力』の不足でした。とりわけ時は、『長生 きで無いと間に合ひませぬ』とされていますもうひとつの、とは いえ第一点にあげた反省から導き出されることなのですが、こ の時点での柳田は、研究組織をふくめtら具体的な方法を提示し ているわけではありません。ただ<調査する主体>についてそ の後一貫して認められる方針を立てていたのが注目されます。

すなわち調査者の死角として、『村の教員乃至は心有る青年が 自ら調査の労を執る』ことの利点についてです」 [1993319- 20]

• フランス民俗学

1912年の夏、ロベール・エルツという名の青年がグレイエ・

アルプスの一集落コーニュを訪れました。この調査には ふたつの主題がありました。ひとつは信者たちが祀りにど のような意味を与えているか、もうひとつはその意味づけ の深層にある祀りの理由はなにか。」[1993315]

「社会学という新たな<科学>を方法的に構築するために戦 闘的な姿勢をとりつづけたデュルケムからみれば、エルツ のこころみた現地調査=聞き書きというやり方は、挿話以 上の意味をもたなかったようですただ、その対象を資料 化する手法としての現地調査=聞き書きが、まだこの学 派には共有されておらず、記述される対象への方法的視 角もまた、その手法によってある種の変容をしいられるか もしれない可能性は問われませんでした」 [1993316]

「現在の目でふりかえると、エルツの調査には注意しておき たいいくつかの特徴が読み取れます。①フランス社会学 派のなかで<はじめての現地調査>であったこと。②セビ ヨやヴァン・ジュネップ流の民俗調査と異なり、ひとつの祀 りを<集中的に>調べる手法をとったこと。③宗教学・民 俗史・社会経済史といった<歴史と民俗>の主題へのア プローチを試みたこと」[1993316-7]

(11)

考察

• 山村調査( 1934-35 年)

「ここで、柳田及びその周りに集まった同人たちに よって『郷土生活研究採集手帖』というのが作成 されたわけです。これが昭和9年(

1934

)です

柳 田とその周囲の若い研究者たちは、それなりの 他分野の蓄積に立って

100

項目を考えたわけで す

で、その

100

項目めが『しあわせのよい人、ま たは家の話があるならば承りたし』というものだっ たわけです

手帖の

100

項目目は『しあわせのよ い人または家の話』となっていますが、私たちが これを考えるためには、例えば1の『村の興り』、

2の『村の功労者』、5の『家の盛衰』、

15

の『村出 身の成功者』、

21

の『相互扶助』、

26

の『村付き合 い』、

36

の『異常人物』、

37

の『笑い』、その後に

『奉公人』や『社会関係』があって、

81

に『神として 祭られた人』、

99

に『長生きの家筋』というふうに、

全体をみる必要があるでしょう。メタレベルで言う と『しあわせ』になってしまうけれども、具体的なあ らわれとしては、族制・経済・信仰といったさまざ まな領域にその問いがちらばっていて、おしまい の

100

項目目だけが何かメタレベルの質問になっ ているという構造だろうと思うのです」

[

2008

47-8]

「つまりこれは、民俗学では『心意』と呼んでき たはずのものです。

38

の『褒められる若者と女 性、その基準』がその一例なのですが、この手 帖では、ほめられる、あるいは一人前である条 件、ないしプラスに評価される人物像や家のあ り方というところに力点が置かれているのでは ないか。つまり、たんなる現在を聞いていない のです。ここには村の人が何を一人前とし、何 を一軒前とし、何をほめるのかというような、こ うありたいという願望からの評価が仕込まれて います。そう考えると、『しあわせのよい人』

100

項目めでも

それぞれの村の理想像というと強 すぎるのですが、未来形で自分(たち)はこうな りたいというイメージ、ビジョンがあり、その基準 を知ろうとしている。『長生き』とか『家の盛衰』

というのも、その同じ文脈でとらえることができ

るのではないかと」

[

2008

48]
(12)

結論

• 仕合せ

「現在、成城大学民俗学研究所に所蔵されている、報告された 手帖を閲覧すると、当時の調査者たちもこの百項目目(仕合 せのよい人又は家の話)にはずいぶんととまどいを覚えたらし く、まず空欄が多いのです。たとえば、『本村人は概して円満 平凡であつて、特に仕合せのよいと云ふやうな家はない』(橋 浦泰雄、1935、宮城県伊具郡筆甫村)『運はめぐるものだから 決まった家はない。世の中はダンゴの煮えくりかえしで、下が 上になり上が下になる』(瀬川清子、1934、千葉県君津郡亀山 村)『一々きいてみたけれど遂にたしかならず』(宮本常一、

1936、奈良県吉野郡天川村)『何が仕合はせといふのか解ら ぬ』(守随一、1936、京都府北桑田郡知井村)など」[1993339-340]

「(マリノフスキーが調査した)トロブリアンドの呪術について、フ レイザーが次のように述べています。『呪術が、社会共同の幸 福、いな、その存在そのものにとっても、経済的に見て根本的 な重要さをもつ一因である、というのが本書が報告する貴重 な内容である』。同じ1918年に、社会学者W/トーマスが、ア メリカに移民したポーランド農民の調査報告書を出版しました

そのなかでポーランド農民の研究が投げかける主題を八つ あげています。そのひとつに『社会的幸福』social happinessと あり、ギリシアの快楽主義以来、これについて本当に意義あ ることは言われてこなかったこと、『不幸に関して膨大な資料 収集と数え切れないほど重要な考えが表明されてきたことを 知ると、その感が強い』と述べました」[1993341-2]

(13)

宗教民俗学の現在:暦・年中行事・人生儀礼

[

浜島書店編集部

1988

;坪井

1970]
(14)

宗教民俗学の現在:現代日本の「宗教」意識と実践

[

石井

1997]

時代の変遷 訊き方、内容、年齢、行動、都鄙、学歴、性別

(15)

参照文献

石井研士1997『データブック現代日本人の宗教 戦後50年の宗教意識と宗教行動』新曜社

関一敏

1993

「しあわせの民俗誌・序説-地方学から内郷調査まで」、『国立歴史民俗博物館研究報 告』第

51

集:

313-347

関一敏

2008

「鳥の目と虫の目

しあわせの民俗誌(2)」、関一敏編『共生社会学論叢特別篇 幸福

Happiness

』九州大学人間環境学府共生社会学講座:

39-57

坪井洋文

1970

「日本人の死生観」、論文集刊行委員会編『民族学からみた日本 岡正雄教授古希記 念論文集』河出書房新社:

7-34

浜島書店編集部

1988

『三訂増補 総合資料日本史』浜島書店

Referensi

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