ビタミン B1発見 100 周年 祝典・記念シンポジウム
鈴木梅太郎博士
記念シンポジウム
はじめに
ビタミンは,本来,動物が生合成できないもので,微 量で代謝に必須な役割を果たす一群の化合物に対して与 えられた総称である.微生物の多くは独自にビタミンを 合成できるので,ビタミンの供給源としての利用がこれ に求められた.これが,ビタミン類生産研究の原点とい える.さらに,増殖の速さや取り扱いの容易さは,微生 物に利用価値の高い供給源としての位置を与えた.ま た,ビタミン類の生合成に関する研究も多くが微生物を 素材として行われたこと,これらの研究を通してビタミ ン類の合成・変換に有用な多くの反応や酵素が見いださ れたことも,今日,ビタミン類の生産で微生物学的手法 が広く採用されている所以である.
鈴木梅太郎とビタミン生産
2011年は「鈴木梅太郎ビタミンB1発見100周年」とい うことで,記念シンポジウムが日本農芸化学会などの主 催で開催された.トピックスの一つとして,筆者はビタ ミンの工業生産にまつわる話をさせていただいた.調べ てみると,ルーツはやはり鈴木梅太郎であり,農芸化学 という分野のなかで展開してきたことがよく理解できる.
現在,筆者が所属する京都学園大学バイオ環境学部・
微生物機能開発学研究室のホームページ (http://www.
kyotogakuen.ac.jp/~microb/) に篠田吉史さんが,こん なことを書いている.「学問はそうして『人から人へと 受け継いでいくものである』ということをドイツで身に 染みて理解した.篠田の恩師は加藤暢夫先生であり,ド イツではFuchs先生であるわけですが,加藤先生の先 生は『京都大学発酵生理及び醸造学研究室』の緒方浩一 先生(筆者の先生でもある),緒方先生の先生は,研究 室の初代の教授である片桐英郎先生.そのまた先生はビ タミンを発見した農芸化学者,有名な鈴木梅太郎なので す.鈴木梅太郎の先生はエミール・フィッシャー.糖や アミノ酸,プリン体を研究した化学者.ですから,単に
『先生と元学生』というだけでなく,先生もわれわれも,
そうした脈々と続く学問の伝統に連なる者として,ある 種の連帯感とプライドをもって集まったらいいんじゃな いかと思います.そうした気持ちを確認して,われわれ はまた世の中に散っていき,それぞれの持ち場で,とも するとこのごろうつむきがちなこの国を支えていったら いいんじゃないか.そんなふうに思います」と.筆者 も,農芸化学とは多分,そういうところ,鈴木梅太郎が 基盤を築き,これをずっと展開し続けてきた分野だと思 う.
農芸化学の伝統と先端生命科学の進展
微生物が支えるビタミン類の工業生産
清水 昌
京都学園大学バイオ環境学部
というわけで,筆者が学んだ研究室は「発酵生理及び 醸造学研究室」(http://www.hakko.kais.kyoto-u.ac.jp/)
で,鈴木梅太郎の弟子,片桐英郎が創設した.片桐先生 は「鈴木梅太郎先生が東大を退官されて満州国のご関係 になった昭和10年ごろからは,満州への旅行の途次に 必ず京都にお立ち寄りになって,先生の常に変わらぬあ の学問への精進ぶりをまた目の当たりに私どもや学生に お示しいただいたのであって,われわれ農芸化学教室が 今日の姿にまで成長することができたのは,先生のこう した厚い庇護によるものである」と書いておられる(1). これで,筆者自身も鈴木梅太郎とつながっているという 確信をもったわけである.
ビタミン生産を支える微生物の力
『発酵ハンドブック』(2) によると,微生物が関与する ビタミン類の生産に関する項目は23ある.そのうちの 17は,実用のプロセスが占めている.技術的にも日本発 のものが圧倒的に多い.表
1
でもこのことは一目瞭然で,微生物はビタミン類生産の中心的位置を占めている.
1. 最初の微生物法はビタミンC
ライヒシュタインらが開発した最初の方法(1933年)
は,化学合成法と微生物変換法を巧みに組み合わせたも ので,グルコースのアルデヒド基の化学的還元によるソ ルビトールへの変換→2位水酸基の酵素的酸化によるl- ソルボースの生成(ソルボース発酵)→l-アスコルビン 酸への化学的変換と続く.ロシュ社が採用し,以来,基 本的にはずっとこの方法で製造されている.ビタミンC は,生産規模,用途の幅などポテンシャルが大きく,現 在でも,グルコースからキー中間体(2,5-ジケトグルコ ン酸など)に至るさまざまな変換ルートが提案されてい る.したがって,これは,最も古くてかつ新しく,現在 も研究開発にしのぎを削っているものの一つである(2).
2. 鈴木梅太郎の流れを汲んで展開されたビタミン類生 産の研究から
前述の『発酵ハンドブック』の17の実用プロセスの うち,5つは筆者が所属した「発酵生理及び醸造学研究 室」で開発されたものである(したがって,個人的に は,研究室は,片桐先生あるいは鈴木梅太郎の時代から 表1■主なビタミン類の生産法・生産量・用途
ビタミン 生産法 生産量(トン/年)
用途 主なメーカー
B C E 1980s 1990s 2000s
チアミン (B1) ● 1,700 4,200 F,P,N BASF
リボフラビン (B2) ● 2,000 2,400 Fe,F,P BASF
ニコチン酸+ニコチンアミド ● ● 8,500 22,000 Fe,F,P,N Lonza パントテン酸 ● ● 5,000 7,000 10,000 Fe,F,P,C,N DFK DSM ピリドキシン (B6) ● 1,600 2,550 Fe,F,P,C DFK BASF
ビオチン ● 3 25 Fe,F DSM
葉酸 ● 100 400 Fe,F,P
ビタミン (B12) ● 12 10 Fe,F,P DSM
ビタミンC ● 40,000 60,000 >100,000 Fe,F,P,C DSM
リポ酸 ● P
PQQ ● Te MGK
FAD ● P Kyowa
NAD, NADP ● Te Kyowa
CoA ● Te,N
ATP ● P,N Kyowa
アデノシルメチオニン ● P,N BASF
ビタミンA ● 2,500 2,700 Fe,F,P BASF
ビタミンD3 ● ● Fe,F
ビタミンE ● ● 6,800 22,000 Fe,F,P,C,N Eisai
β-カロチン ● ● 100 400 Fe,F
ユビキノン ● 500 Fe,F,P,N Kaneka
メナキノン (K1, K2) ● 500 Fe,F
多価脂肪酸 ● ● Fe,P,N DSM
エルゴステロール ● 3 38 Fe,F
生産法:B, 微生物法;C, 化学合成法;E, 抽出法
生産量:1980, 1990年代のデータは文献5から引用.2000年代データは Chemical Economics Hand- book SRI Consulting (2005) で知ることができる(有料).
用途:F, 食品添加物; P, 医薬品; N, 健康食品類;Fe, 飼料添加物;C, 化粧品素材;Te, 試薬類
ずっとビタミン類の研究と密着して続いてきたと理解し ている).
ニコチンアミド,コエンザイムAとアデノシルメチ オニン
ニトリルヒドラターゼによるCN基の水和反応はもと もとアクリルアミド製造(反応1)のために開発された ものであるが,CN基に対する酵素の基質特異性の広さ を利用して3-シアノピリジンからニコチンアミドへの変
換(反応2)にも利用されている(モル転換率100%,
1.46 kg/L)(2).これらの変換は,有機化学的にも一見簡 単に見えるが,酸の副生を抑制することは簡単ではな い.
筆者は,片桐先生の弟子,緒方浩一先生の下で学部,
修士・博士課程と指導を受けた.したがって,一応,鈴
木梅太郎の「曾孫弟子」にあたる.筆者も結局ビタミン 類に関連した研究をすることになり,4年生の卒業研究 では「コエンザイム A (CoA) をスコップですくえるほ ど作りなさい」というようなことを言われた.スクリー ニングをして,生産菌が見つかり,製造が始まって,そ れはマーケットに出ていった(2).そんな経験をした.
緒方先生の後任も片桐先生の弟子の山田秀明先生で,
先生からは,CoAと構造が似ているアデノシルメチオ ニン (SAM) を作ってみないかと言われた.スクリーニ ングすると,酒酵母が特異的に著量のSAMを蓄積する ことがわかった(250 〜300 mg/1 g乾燥菌体).SAMは 液胞に蓄積するので,紫外線顕微鏡で観察すると,細胞 いっぱいに広がった液胞が紫外線を吸収してまっ黒に見 えたのを記憶している.当時(1980頃),SAMはヨー ロッパで肝臓薬として少量生産されていた.また,うつ 病の薬として有効という情報があり,ひょっとしたらと 期待させたが,結局そうはならなかった.ところが,
二十数年後にBASFなどの化学会社が,SAM含有酵母 菌体粉末やタブレットの形で,健康食品として上市する ことになり,現在に至っている(2).すでに特許も切れて いるので,もう少し早くこういう事態に至ったらと思っ たことを思い出す.
多価不飽和脂肪酸
多価(高度)不飽和脂肪酸は,二重結合2個以上の不
図1■油糧微生物 の多価不飽和脂肪酸生合成経路(n-6経路)と代謝工学的手法により誘導された多様な経路
飽和脂肪酸の総称である.教科書的にはビタミンではな いが,ビタミン関連化合物として扱われることが多い.
一般的に言うと,動物はオレイン酸 (18 : 1n-6) をリ ノール酸 (18 : 2n-6) に変換する酵素(Δ12不飽和化酵 素)が欠損しており,リノール酸を合成できない.しか し,食餌からのリノール酸は体内でn-6経路を経てアラ キドン酸 (20 : 4n-6) に変換できる.一方,植物はリ ノール酸などの炭素数18の不飽和脂肪酸を合成できる が,鎖長延長反応以降の酵素系がなく,炭素数20の脂 肪酸を合成できない(図
1
a).微生物については,当時(1980年頃)の教科書や論文には植物と本質的に同じで 炭素数20のものは作らないというようなことが記載さ れていた.
筆者らは,動物と植物の酵素系を兼ね備えた微生物の 存在を想定してスクリーニングを始め,
(ケカビの一種)をアラキドン酸生産菌として見い だした.幸運なことに,このカビの油脂(トリアシルグ リセロール)蓄積能は高く,適当な培養条件下では,蓄 積量は約600 mg/g乾燥菌体に達し,油脂中の全脂肪酸 に占めるアラキドン酸の割合は50 〜 70%になった(3). スクリーニングは,自然界からの菌分離,培養,集菌,
油脂抽出,ガスクロによる脂肪酸組成分析,と単純では あるが,手間のかかるもので,これは経験のある人には 向かない仕事かもしれない.しかし,大学というところ はいいところで,毎年,4年生が卒業研究で参加する.
彼らに「やってください」と言うと,引き受けてくれ る.学生もたいへんな仕事だということはすぐにわかる の で あ る が …….結 局,こ の 種 の 仕 事 は,ス キ ル
(skill) はいらないが,何とかして見つけようという意
欲 (will) が優先する仕事かと思う.この仕事のポイン トは, は自然界に広く生息するカビであるに もかかわらず,誰もこんなことは調べなかったというこ とに尽きるのではないかと思う.
現在,このカビが作る油は,粉ミルクの添加物として 使われている.なぜそうなったかということは長い話に なるので述べないが,結果的には,世界中の赤ちゃんが このカビの油を食べている.以来, は,脂質 の代謝工学的研究の主要微生物あるいは宿主として広く 利用されるに至っている(4).たとえば,図1aのアラキ ドン酸生合成経路(n-6経路)の最終段階の反応をノッ クアウトすると,ジホモ-
γ
-リノレン酸 (20 : 3n-6) を著 量蓄積させることができる.また,オレイン酸 (18 : 1n- 6) からリノール酸 (18 : 2n-6) への変換を切断すると,経路がn-9経路に切り替わってミード酸 (20 : 3n-9) が蓄 積する.さらに,パルミチン酸 (16 : 0) からステアリン 酸 (18 : 0) への変換に関与する鎖長延長酵素をノックア ウトすると,n-6, n-9, n-3経路に対応する全く新しい経 路(n-4, n-7, n-1経路など)が誘導される(図1c).この ように,脂肪酸だけを見ても,微生物を使うといろいろ なものが作れることがわかってきた.以来,この種の油 脂蓄積能の高い微生物は「油糧微生物」と呼ばれるよう になり,産業的には「油脂発酵」という新しい分野の開 拓につながった(2, 3).
パントテン酸(ラクトナーゼ法)
筆者らは,スクリーニングを通して, 属糸 状菌にラクトン環の立体選択的加水分解反応を触媒する 酵素を見いだした.本酵素は,dl-パントラクトンのd体 だけを加水分解する.l体は切断されない.従来のd-パ
図2■分割剤による光学分割を含む パントテン酸の工業的合成ルート
(a) と のラ
クトナーゼによる光学分割反応 (b)
ントテン酸の製造プロセスは,dl-パントラクトンの化 学合成→分割剤による光学分割(d-パントラクトンの取 得)→
β
-アラニンとの縮合の3ステップで構成されるが(図
2
a),複雑・低効率の分割ステップをラクトナーセ 反応に置き換えたらどうかという話である(図2b).本 酵素はもともとアルドン酸ラクトンを加水分解する酵素 である.ハワースの投影式で基質の構造式を書くと,2 位の水酸基が下向きのアルドン酸のみが加水分解され る.これをパントラクトンに当てはめると,d体は下向 き,l体は上向きになり,d体のみが加水分解され分割 が可能となる.実際には,ラクトナーゼを含むカビの菌糸をアルギン 酸カルシウムゲルで固定化した菌体を触媒とし,dl-パ ントラクトン水溶液中で反応させればよい.固定化菌体 は180日以上の繰り返し使用に耐える.現在,年間約 4,000トンのパントテン酸がこの方法で製造されている.
ラクトナーゼ法は,従来法と比較すると,水使用量,
BOD,塩生成,有機溶媒使用量がそれぞれ60, 50, 60, 50%程度削減できる.また,エネルギー消費も約30%削 減できることから,省エネ・環境調和型プロセスの代表 的成功例として引用されている(2, 4).
ビタミン類生産の現況と将来
ビタミン類の用途は,最初,臨床・病理・栄養などの 分野で疾病の治療・予防と関連して展開してきた.した がって,その生産も製薬企業が中心を担ってきた.現 在,ビタミン類の主な用途は飼料添加物,食品素材,医 薬品,健康商品,化粧品,試薬類など多岐にわたってい る(5).生産規模も,ビタミンC,パントテン酸,ニコチ ンアミドなどは,それぞれ,年間10万トン以上,1万ト ン,数千トンに達する(表1).生産という観点からみ ると,医薬品というより,むしろ化学品としての性格が 大きくなり,生産の主体も化学工業が担っているものが 多くなっている.ビタミン類を化学品としてみたとき に,生産規模,比較的安定したマーケット状況(将来に わたって,大きな拡大もないかもしれないが,縮小する こともない)など,化学工業のターゲットとしては手堅 いものと思われる(製薬業界の激しい生き残り競争が,
いわゆる くすり に特化せざるをえない状況を生み出 し,さらにこの傾向を加速していると思われる.ロシュ 社や武田薬品のビタミン部門のDSMやBASFへの売却 などは典型的な例といえる).今後,この分野は,ビタ ミンだけでなく,バイオファクターやプロバイオティク スなどの関連分野を取り込んで機能・用途開発をさらに 展開していくことになるかと思う.
上記のように,ビタミン類の研究は100年以上,生産 ということに限っても80年の歴史があるが,まだよく わかっていないことも多い.たとえば,生化学の教科書 には,多くのビタミン類の生合成経路と関与する酵素系 が明確に記載されている.しかし,さまざまな微生物の ゲノム情報の解読を通して,実は,これらの経路に従わ ないと推定される多くの微生物の存在が明らかになりつ つある.本稿で話題にした多価不飽和脂肪酸の生合成で も,ある種の細菌や藻類は図1の経路とは異なるポリケ チドの生合成と類似のメカニズムで進行する.パントテ ン酸およびCoAも古細菌では反応の順序が前後するも のがある.B1, B6, メナキノンなどでは,微生物の種類 によって全く異なる多様な経路が存在することも解明さ れつつある.このような多様性は,生産に関する新しい 方法論やルート設計を生み出すきっかけになるかもしれ ない.
以上,とりとめもないもない話ではあるが,ビタミン 類の工業生産のかなりの部分が微生物で占められている こと,それは鈴木梅太郎がビタミンB1を発見して,農 芸化学の中でビタミンを作ったり使ったりする部分が ずっとはぐくまれて展開してきてこうなったのだという ことを,話の結論にしたいと思う.
文献
1) 片桐英郎: 鈴木梅太郎先生伝 ,(財)鈴木梅太郎博士顕 彰会(編),朝倉書店,1967, p. 326.
2) (財)バイオインダストリー協会発酵と代謝研究会(編): 発酵ハンドブック ,共立出版,2001, p. 27, 161, 257, 267, 313, 325.
3) 櫻谷英治,安藤晃規,小川 順,清水昌:蛋白質 核酸 酵 素,54, 725 (2009).
4) 清水 昌,森川忠則,新田一誠,坂本恵司,和田浩一:
日本化学会誌(化学と工業化学),1, (2002).
5) S. Shimizu :“Biotechnology”, Vol. 10, G. Reed, H.-J. Rehm, VCH. Weinheim, 2001, p. 320.