東日本大震災・現在の支援の状況 と、明日は我が身の防災・減災
村松 淳司
東北大学・多元物質科学研究所・所長/教授 東北大学地域復興プロジェクト”HARU”顧問1
東日本大震災から5年4か月
2015年8月6日
2 2
3 3
4
5 市町村名 死者数 行方不明者数 死者+行方不明
者数 2010国調人口 死者+行方不明者数
/人口
石巻市 3,548 427 3,975 160,704 2.47%
陸前高田市 1,602 205 1,807 23,302 7.75%
気仙沼市 1,214 220 1,434 73,494 1.95%
大槌町 854 423 1,277 15,277 8.36%
東松島市 1,129 23 1,152 42,908 2.68%
釜石市 993 152 1,145 39,578 2.89%
南相馬市 1,121 0 1,121 70,895 1.58%
名取市 954 39 993 73,140 1.36%
仙台市 923 27 950 1,045,903 0.09%
女川町 613 259 872 10,051 8.68%
市町村名 死者数 行方不明者数 死者+行方不明
者数 2010国調人口 死者+行方不明者数
/人口
女川町
613 259 872 10,051
8.68%大槌町
854 423 1,277 15,277
8.36%陸前高田市
1,602 205 1,807 23,302
7.75%南三陸町
620 212 832 17,431
4.77%山田町
687 148 835 18,625
4.48%山元町
699 18 717 16,711
4.29%川内村
89 0 89 2,820
3.16%釜石市
993 152 1,145 39,578
2.89%浪江町
565 0 565 20,908
2.70%東松島市
1,129 23 1,152 42,908
2.68%6
7
7
8
被災地の今 ~何が必要か
広がる自治体較差、取り残される災害弱者 災害公営住宅 完了戸数に代表される復興スピードの違い
9
10
復興の格差の原因は何か?
•
東松島/東名・野蒜地区 住居集団移転•
すでに難工事の造成は終わりに近づき、JR
仙石線開通済!•
名取市/閖上地区 市役所と市民の対立•
ようやくかさ上げ工事が始まったが、集団移転は相当先の話11
震災前
震災後1年
震災後3年半
東松島/東名・野蒜地区
12
15
被災地の今 ~何が必要か
福島県の特異性など、地域や年齢層等によって、
的確で、きめ細かな対応が必要
16
0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9 1 1.1 1.2 1.3 1.4 17 阪神淡路
岩手県 宮城県 福島県
震災関連死/震災死亡者 比
(2016/3/31現在)
阪神淡路大震災は、震災から9年目のデータ
0 50 100 150 200 250 300 350 400 450
500 岩手県を100としたときの指数(2016/3/31現在)
岩手県 宮城県 福島県
18
震災時人口
10,014
名 生存確認数9,182
名 死者・行方不明832
名 東日本大震災住民基本台帳
19
震災時人口
17,666
名 死者・行方不明778
名 東日本大震災住民基本台帳
過疎化が加速化
沿岸部の過疎化が著しい
受け皿となっている内陸部も決して増えているわけではない
国勢調査 5年前からの人口増減
20
市町村名 人口増減 市町村名 人口増減率
1
石巻市-13590
女川町-37.0
2
気仙沼市-8572
南三陸町-29.0
3
南三陸町-5054
山元町-26.3
4
栗原市-5026
七ヶ宿町-13.9
5
山元町-4390
気仙沼市-11.7
6
女川町-3717
丸森町-9.8
7
東松島市-3385
七ヶ浜町-8.6
8
塩竈市-2295
石巻市-8.5
9
白石市-2148
川崎町-8.1
10
登米市-1980
東松島市-7.9
21
-25.0%
-20.0%
-15.0%
-10.0%
-5.0%
0.0%
5.0%
県計 県央広域振興圏 盛岡市 八幡平市 滝沢市 雫石町 葛巻町 岩手町 紫波町 矢巾町 県南広域振興圏 花巻市 北上市 遠野市 一関市 奥州市 西和賀町 金ケ崎町 平泉町 沿岸広域振興圏 宮古市 大船渡市 陸前高田市 釜石市 住田町 大槌町 山田町 岩泉町 田野畑村 県北広域振興圏 久慈市 二戸市 普代村 軽米町 野田村 九戸村 洋野町 一戸町
岩手県 人口増減
平成
17
年度⇒22
年度、22
年度⇒27
年度H17->H22 H22->H27
被災者の「いま」
疲弊が疲労を呼び、関連死に繋がる
22
NHK
被災者1000人アンケート2016/3 23
復興は進んでいるか
NHK
被災者1000人アンケート2016/3 24
NHK
被災者1000人アンケート2016/3 25
26
27
NHK
被災者1000人アンケート2016/3 28
29
30
31
いまこそ、
再び
ボランティアが必要
震災から5年 !
33
∗
長引く仮設住宅生活∗
隙間風、カビ、など。仮設は仮設。∗
孤独死、酒浸り、家庭内暴力、閉じこもる子どもたち∗
市町村ごとの復興スピードに大きな差∗
その自治体、自治会ごとに事情が大きく違う∗
仮設から終の棲家へ∗
新たな生活の始まりと、新コミュニティの形成∗
ボランティア活動のフェーズは変化している∗
今は,人が人として生きるための支援∗
自立し,生きがいをもてるようにサポート∗
明日を夢見ることができるようなアシスタンス∗ 下支えの支援から, Stand-by (寄り添う) 支援へ
人が人として生きるための支援
34
阪神淡路大震災⇔東日本大震災 震災が繋ぐ,心の支援
人が自立するための支援
人が人として生きるための支援
兵庫県⇔宮城県
35
震災から学ぶべきこと
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∗ 避難訓練に「やりすぎ、しすぎ」ということはない。
∗ 一次避難場所は、避難所ではない。
∗ 避難時の持ち出しは背負えるものだけ。両手はあけておく。
∗ 近所の災害弱者を必ず把握しておく。
∗ 避難所は必ず事前確認し、家族とは避難所で落ち合うこと。
∗ 経験のない災害が来たら、すぐに避難の準備をしよう!
∗ 避難にためらい、逡巡はダメ。すぐに行動に移そう!
∗ 地震・津波は、1分で頭を守り、2分で、より安全なところに 移動し、5分で最終避難場所に移動開始する。
∗ 筆記具は常に携行し、よい被救援者になろう!
∗ 避難所では積極的に運営のお手伝いをしよう!
防災・減災のための10箇条
宮城県では各市町村や各地区で、災害避難の訓練を通常1年に2回 行っていた.
1回は全国で行う9月のもの.
もう1回は1978年に発生した宮城県沖地震を忘れないようにしようと、6月12日に行っている.
多くのところで,倒壊家屋からの救援活動、火災時の避難訓練など、か なり実践に近い避難訓練を行い、中学生はおんぶして逃げる訓練をしたこ ともある.
おんぶして逃げるのは年寄りなど災害弱者を背負って指定避難場所に 逃げる訓練.
津波てんでんこ.自然災害の前には自分で判断して自分の命は自分 で守る、ということを子供たちは小さいうちから訓練によって経験してきた.37
38
この地震を境に,防災グッズなどが売れ、みんなが宮城県沖地震に備 えるようになった.
運命の3.11の2日前を迎える昼前11:45にM7.3の地震が発生津波 警報が出たが、実際には各港に数十cmの津波が来たにすぎなかった。
この日は,津波を見に行こうという輩が港に集まるというほど.2008年6月14日 8:43 最大震度 6強 M7.2
死者 17名,行方不明 6名
重軽傷者 448人
建物全壊30棟、半壊146棟など
津波なし39
M7.3, 最大震度 5 弱
◆9日
12
時28
分現在、検潮所での観測値
気仙沼広田湾沖
第1波 9日12時00分(押し)0.2m
最大波 9日12時07分 0.2m
大船渡
第1波 9日12時08分(引き)0.1m
最大波 9日12時16分 0.6m
釜石
第1波 9日12時09分(引き)微弱
最大波 9日12時18分 0.4m
石巻市鮎川
第1波 9日12時13分(引き)微弱
最大波 9日12時25分 0.5m40
東日本大震災 2011
発生日時 震央 深さ 規模 最大震度 種類 区分
3月9日11時45分 三陸沖 8km M7.3 震度5弱 海溝 前震 3月11日14時46分 三陸沖 24km M9.0 震度7 海溝 本震 3月11日14時51分 福島県沖 33km M6.8 震度5弱 余震 3月11日14時54分 福島県沖 34km M6.1 震度5弱 余震 3月11日14時58分 福島県沖 35km M6.6 震度5弱 余震 3月11日15時6分 岩手県沖 29km M6.5 震度5弱 余震 3月11日15時8分 岩手県沖 32km M7.4 震度5弱 海溝 余震 3月11日15時12分 福島県沖 39km M6.7 震度5弱 余震 3月11日15時15分 茨城県沖 43km M7.6 震度6強 海溝 余震 3月11日15時18分 茨城県沖 41km M4.7 震度5弱 余震 3月11日15時25分 三陸沖 11km M7.5 震度4 海洋 余震 3月11日16時28分 岩手県沖 17km M6.6 震度5強 余震 3月11日16時30分 福島県沖 27km M5.9 震度5弱 余震 3月11日17時40分 福島県沖 30km M6.0 震度5強 余震 3月11日20時36分 岩手県沖 24km M6.7 震度5弱 余震
41
決断が遅れて逃げなかった人は全体の2割、避難途 中で亡くなったひとは全体の7割にのぼっている。
避難訓練をしても避難経路の確認など、多くの学習 が必要。
天災に対して地球がすることに対して、畏敬の念を持 ち、心配すぎるほど心配してもなお、満足しないこと、そ れこそが減災につながるのだろうと思う。
42
1 .地震発生から避難開始までの時間について
生存者は平均19
分
亡くなった方は平均21
分 2 .避難開始のきっかけについて
地震発生後すぐに避難できた方は、生存者でもわずか28
%
最も多いきっかけは、大津波警報/
津波警報の発表 3 .避難行動の有無について
亡くなった方の5
人に1
人が避難できず
避難しなかった理由で多いのは「安全だと思っていた」43
4 .向かった避難場所について ①
生存者は4
人に3
人が安全な場所に避難
亡くなった方は4
人に3
人が安全な場所に避難できず 5 .向かった避難場所について ②
避難した方の40
%は高台に避難できず
約半数が指定された場所以外に避難 6 .なぜ津波から逃げきる事ができなかったか
亡くなった方の18
%が避難中に障害に遭遇44
7 .津波から避難した高さについて
生存者が避難した先は平均2.9
階
亡くなった方が避難した先は平均1.7
階 8 .避難先からの移動について
亡くなった方の60
%が避難場所から再び危険地域へ 9 .避難場所から再び危険地域へ行く
理由について
「家族を探しに」が最多45
避難訓練の大切さ
子どもたちは自分をどう,守ったのか
46
47
釜石の奇跡
東日本大震災から学ぶ ~いかに生き延びたか~
震災当日の越喜来小学校。校舎はもぬけの殻 となったが、児童の犠牲者は1人も出なかった
∗
道路を挟んで真向いに隣接する鵜住居 小学校との合同避難訓練を6月14日に 実施。安全を確保したうえで小学生を手 助けするよう訓練しました。具合の悪い子 供や怪我人がいることも想定し、リヤカー、おんぶ、肩貸しなども練習しています。
∗
「リヤカーはかなり有効だと思います。被 災直後、誰もが走って逃げられる状態に あるとは限りません。リヤカーには4~5人 乗せることができるので、災害時に非常 に役立ちます」48
EAST - レスキュー活動 第1弾
小中合同避難訓練
∗ 09
年度の『ぼうさい甲子園』の高校の部 で「ぼうさい大賞」に輝いた岩手県宮古 市の県立宮古工業高校の皆さんを7月5 日に学校に招き、自作の津波浸水模型 を使って津波がどう押し寄せるかを実演 してもらいました。∗
「津波の怖さをあらためて知りました。そ して、どう行動するかを考え、実行しなけ ればならないと強く思いました」(釜石東 中生徒)49
EAST - レスキュー活動 第2弾
宮古工業高校から学ぶ
∗
「おじいちゃんやおばあちゃんは、孫みた いな子たちが家に来て一生懸命に説明を してくれることを、本当にありがたいと思わ れます。だから、安否札を大事にしてくれ るんです。実際に震災後に安否札を掲げ ていた家が、いくつかあったんですよ」。∗
安否札は学校と地域を結びつける重要な 役割を果たすと同時に、被災後において も地域住民に役立つことができたのです。50
EAST - レスキュー活動 第3弾
安否札 1,000 枚配布
∗
釜石の奇跡と呼ばれた、生徒・児童全員の避難∗
保育園児童も一緒に避難∗
一方で、釜石の悲劇もおこった∗
鵜住居地区住人の犠牲者の多さが際立った・・・51
実際の成果
52
53
54
55
56
津波で浸水した釜石東中 ございしょの里
石材店
57
釜石市の「鵜住居地区防災センター」は、大震災 発災のほぼ 1 年前、 2010 年 2 月に開所した鉄筋コンク リート造り 2 階建ての “ 拠点避難所 ” であった(標高 4.3 m、最寄りの海岸線までの距離 約 1.2km )。
東日本大震災の大津波襲来で、241人の市民が 同防災センターに避難した。
しかし津波は同センター 2 階天井付近にまで達し、
津波が引いた後、建物内から 34 人の生存者が救出 されたものの、 69 人が遺体で収容された。
58
59
60
鵜住居地区
∗
想定にとらわれるな∗
ハザードマップを信じるな∗
浸水想定区域はあくまで“想定外力”に基づくものであって、それ 以上の災害が起こる可能性があると思え∗
【浸水想定区域であったのにもかかわらず、避難対策をしっかりやった】∗
最善を尽くせ∗
「ここまで来ればもう大丈夫で!」はなく、そのときできる最善の対 応行動をとれ∗
【予め決めておいた避難所よりも、さらに高台へ避難した】∗
率先避難者たれ∗
いざというときには、まず自分が避難すること。その姿を見て、他 の人も避難するようになり、結果的に多くの人を救う∗
【避難する中学生を見て、小学生は校外へ避難した】61
【避難の三原則】
群馬大・片田教授が伝えたこと
∗ 地震があったら、家族のことを気にせず、てん でばらばらに、自分の命を守るために、一人で 直ぐ避難せよ。
∗ 一家全滅、共倒れになることを、防げ。
∗
三陸地方に残る、津波から子孫を残すための知恵∗ 自らの命に責任を持つ
∗ 家族との信頼関係を日頃から築く
62
『津波てんでんこ』 とは
復旧率推移
63
少なくとも1週間は自足自給!誰も助けに来ない!生きる力を養おう!
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