【解説】
一つの卵に対して一つの精子が受精すること,これは一部の 例外を除き,正しく次世代の個体を形作るうえで必須の条件 である.動物の卵は熾烈な競争を勝ち抜いた最初の精子だけ を受精させる,多精拒否という仕組みを備えている.植物の 生殖においても,卵細胞を内部にもつ胚珠に対して,精細胞 を運ぶ花粉管が通常1本しか侵入しないように調節する「多 花粉管拒否」現象が存在する.本総説では,この細胞レベル のメカニズムと,受精の成功率を高める植物の戦略について 解説する.
花粉管ガイダンスと多花粉管拒否
花粉管は花粉が発芽してできる細長い細胞であり精細 胞を輸送する役割をもつ.花粉管が雌しべ組織によって 卵細胞のある場所まで誘導される現象は,花粉管ガイダ ンスと呼ばれる.雌しべ先端の柱頭から伸びる花粉管 は,伝達組織という管状組織を通る(図
1
-A).シロイ
ヌナズナの場合,伝達組織の外側には,50個ほどの胚 珠が並んでいる.伝達組織内部を競争的に伸長する花粉 管が,未受精の胚珠の近くまで来ると伝達組織の壁を抜 け,胚珠の入り口から内部にある胚嚢へと到達すること で受精が起こる.
胚珠の周りの花粉管ガイダンスには胚嚢が必要であ る(1)
.減数分裂後の細胞に由来する胚嚢は,多くの場
合,1個の卵細胞,2個の助細胞,3個の反足細胞,そし て1個 の 中 央 細 胞 の 計7細 胞 で 構 成 さ れ て い る(図 1-B).そのなかでも助細胞が花粉管誘引に必須の役割を
果たすことが,トレニアの胚嚢の各細胞に対するレー ザー傷害実験で証明された(2).そして近年,助細胞で高
発現を示す遺伝子群から,LURE1およびLURE2(トレ ニア),ZmEA1(トウモロコシ) ,AtLURE1(シロイヌ
ナズナ)などの花粉管誘引活性を示す分泌性ペプチドが 同定された(3〜5).誘引物質によって花粉管は精確に胚嚢
へとたどり着くが,不思議なことに雌しべ内部での激し い伸長競争があるにもかかわらず,複数の花粉管が一つ の胚珠に集中することはほとんどない.そのため,一つ の胚珠に対して1本の花粉管で効率良く受精するように 調節する機構があると古くから推測されていたが,その花粉管の誘引停止の制御機構と受精戦略
丸山大輔 * 1 ,東山哲也 * 1 , 2
Cessation Mechanism of Pollen Tube Attraction and Fertilization Strategy
Daisuke MARUYAMA, Tetsuya HIGASHIYAMA, *1名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 (WPI-ITbM), *2 ERATO 東山ライブホロニクスプロジェクト
仕組みは不明であった.
受精過程の変異体と多花粉管拒否
最近になって「多花粉管拒否」と呼ばれるようになっ たこの現象について,新たな知見をもたらしたのが,胚 珠が2本以上の花粉管を頻繁に誘引するシロイヌナズナ の変異体の解析である.これら変異体の多くは受精の過 程に異常をもつ.被子植物の受精過程について順を追っ
て説明すると,まず,花粉管が胚珠に侵入した後に花粉 管と助細胞で細胞間の認識が起きる.そして,花粉管内 容物の放出とともに2つの助細胞の片方が崩壊をする.
このとき崩壊した助細胞は崩壊助細胞,そして残された ほうは残存助細胞と呼ばれる.崩壊助細胞へと放出され る2つの精細胞のうち,片方は卵細胞と受精して次世代 の植物体である胚を作る.もう片方の精細胞は中央細胞 と受精して胚へと栄養を供給する胚乳を作る.この2つ の受精を合わせて重複受精と呼ぶ(図
2
).
多花粉管拒否の異常を伴う変異体のなかでも,助細胞 の機能異常によって胚珠の周辺における花粉管ガイダン スに欠損を示すものとして, , ,
などが挙げられる(6〜8)
.これらの胚珠
では,胚珠の入り口に分布するはずのAtLURE1が免疫 染色によっても検出できず,花粉管が胚珠に侵入できず に迷走をする(5).また,助細胞と花粉管の認識に異常が
あるため精細胞を含む花粉管内容物の放出が起きずに助 細胞も崩壊しない や などの変異体も多花 粉管拒否の異常を示す(9, 10).われわれが多花粉管拒否の
研究を開始した2010年当初,以上のような情報から,花粉管の内容物放出以降の過程が多花粉管拒否を作動さ せるカギを握ると考えた.
重複受精による助細胞の不活性化
多花粉管拒否のシグナルの候補としては,少なくとも
①花粉管内容物の放出,②花粉管の受容による助細胞の 崩壊,③重複受精の3種類が考えられた.これについて 検討するためにわれわれは,精細胞膜上に局在する受精
柱頭
胚珠 花粉 花粉管
花粉管 中央細胞 助細胞 反足細胞 卵細胞 胚嚢 胚珠
伝達組織
(A) (B)
伝達組織
図1■雌しべと花粉管の模式図
(A) 受粉後のシロイヌナズナの雌しべの様子.柱頭から競争的に 伸長する花粉管は伝達組織を通った後に外側にある胚珠へと精確 にたどり着く.図ではすべての胚珠に花粉管が到達している.
(B) 胚珠近傍の拡大図.胚珠内部には胚嚢が存在する.胚嚢は減 数分裂後にできる半数体の胚嚢細胞(大胞子)に由来する7つの 細胞,すなわち1個の卵細胞,1個の中央細胞,2個の助細胞,3 個の反足細胞からなる.助細胞が分泌する誘引ペプチドの作用で 花粉管は胚嚢に到達する.ほとんどの胚珠で1本の花粉管のみを 受け入れて効率的に受精が起きることから,「多花粉管拒否」の存 在が示唆される.
花粉管 中央細胞
助細胞 卵細胞
精細胞
残存助細胞
崩壊助細胞
胚乳
重複受精 助細胞の崩壊
花粉管の内容物放出
花粉管が助細胞に到達 残存助細胞の不活性化
(A) (B) (C) (D)
胚
図2■重複受精の模式図
(A) まず,花粉管と助細胞との相互作用が起きる.(B) 次に片方の助細胞に2個の精細胞を含む花粉管内容物が放出される.これにより崩 壊した助細胞は崩壊助細胞と呼ばれ,他方は残存助細胞と呼ばれる.(C) 精細胞の一つが卵細胞へと受精し,もう一つが中央細胞と受精す るという重複受精が起きる.(D) 受精後に卵細胞からは胚が,中央細胞からは胚乳が作られる.受精後しばらくして,残存助細胞も何ら かのメカニズムで不活性化されるために花粉管誘引停止が起きる.
柱頭
胚珠 花粉 花粉管
花粉管 中央細胞 助細胞 反足細胞 卵細胞 胚嚢 胚珠
伝達組織
(A) (B)
伝達組織
花粉管 中央細胞
助細胞 卵細胞
精細胞
残存助細胞
崩壊助細胞
胚乳
重複受精 助細胞の崩壊
花粉管の内容物放出
花粉管が助細胞に到達 残存助細胞の不活性化
(A) (B) (C) (D)
胚
に必須の因子である
( )/ ( ) の変異体を解析し た(11)
.
変異体は花粉管の内容物放出と助細胞の崩 壊を起こすものの,精細胞が卵細胞や中央細胞と受精で きない.授粉した3日後の雌しべを調べると, 変異 体の花粉管を受け入れた胚珠の約80%が2本目の花粉管 を誘引することが示された(12, 13).したがって,多花粉
管拒否には,花粉管内容物の放出や助細胞の崩壊ではな く,重複受精の完了が必要ということが明らかとなった.興味深いことに, や 変異体では3 本以上の花粉管が誘引されることは珍しくないのに対 し, 変異体はほとんどが2本目までしか花粉管を誘
引しない(6, 9, 12)
.これは
変異体の場合,2本目の花粉管を受け入れた時点で残存助細胞も2つ目の崩壊助細 胞へと変わるため,3本目以降を誘引できる機能的な助 細胞が枯渇するためと考えられる.そうだとすると,重 複受精で制御される多花粉管拒否の実体は,残存助細胞 の不活性化による花粉管誘引の停止であることが示唆さ れる(図2)
.実際,残存助細胞では重複受精に依存し
て,核局在タンパク質が局在を維持できずに細胞全体へ と拡散するという,細胞の不活性化に特徴的な生理的変 化が報告されている(13).
助細胞の不活性化とエチレンシグナル
最近になって,残存助細胞の不活性化は,老化促進作 用で知られる気体性植物ホルモンのエチレンに依存する という研究が報告された(14) (図
3
).エチレンシグナル
経路の主要な転写因子である と の二重変異 体は,重複受精が起きた後も残存助細胞の不活性化が抑 制され,2本目の花粉管が誘引される.逆に,エチレン シグナルが構成的に活性化する 変異体では,胚珠 が未受精にもかかわらず助細胞の不活性化を示す核局在 タンパク質の細胞質への拡散が観察される. 二 重変異体はもう一つ奇妙な表現型を示す.不活性化を間 逃れた 二重変異体の残存助細胞の核は受精後 まもなく胚乳核のマーカータンパク質を蓄積し始め,や がて胚乳核の分裂に同調した核分裂をする(14).助細胞
核がまるで胚乳核へと変わってしまったかのようなこの 現象が,どのようなメカニズムで起きるのかについては わかっていない.花粉管誘引停止における卵細胞と中央細胞の役割 助細胞の不活性化の仕組みの一端が明らかになる一方 で,われわれは多花粉管拒否を引き起こす重複受精シグ ナルについて,さらに追究する実験を行った(15)
.上述
のように重複受精とは卵細胞の受精と中央細胞の受精の 両方を含んでいる.これらのどちらか,または両方が多 花粉管拒否の開始シグナルとなっているはずであるが,どちらの受精もほぼ同じタイミングで起こるので,両者 の影響を別々に解析することは難しかった.そこでわれ われは,成熟花粉において精細胞が一つしか作られない 変異体を利用することにした.この変異体の花 粉を授粉させることにより,卵細胞または中央細胞のど ちらかが受精した「単独受精」の状態を作り出すことが できる.
まず,授粉後3日目の種子に胚または胚乳が作られて いるかどうかを指標に,それぞれ,卵細胞,中央細胞の 受精が起きたかどうかを確認し,さらに,その種子に対 して何本の花粉管が挿入されているか調べた.すると,
胚乳のみ作られた種子,すなわち卵細胞が未受精だった 種子の約30%に2本目の花粉管が挿入されていた.した がって,卵細胞の受精が多花粉管拒否の開始シグナルと なっていることが明らかとなった(図3)
.一方,胚の
みが作られた種子,すなわち中央細胞が未受精だった種 子も約30%が2本目の花粉管を受容していた.このこと から,卵細胞の受精だけでなく,中央細胞の受精も多花 残存助細胞崩壊助細胞
受精した卵細胞 からのシグナル
エチレンに 依存した核崩壊 受精した中央細胞 からのシグナル
図3■重複受精と残存助細胞の不活性化のモデル
受精した卵細胞と受精した中央細胞から出る花粉管誘引停止シグ ナルは,独立かつ相加的に残存助細胞の不活性化を誘導する.中 央細胞からのシグナルにはFIS-PRC2を介した遺伝子発現抑制が 関係する.一方で,重複受精後には胚嚢でエチレンシグナル経路 が活性化し,残存助細胞核の崩壊を引き起こす.
残存助細胞 崩壊助細胞
受精した卵細胞 からのシグナル
エチレンに 依存した核崩壊 受精した中央細胞 からのシグナル
粉管拒否の開始シグナルとなることが示された(図3)
.
これら2種類の単独受精が起きた種子では,確かに2 本目の花粉管の誘引率が重複受精した種子の場合(約 5%)と比べて上昇しているが, 変異体により重複 受精に失敗した胚珠の場合(約80%)には及ばない.これらの情報を総合すると,卵細胞の受精のシグナルと 中央細胞の受精のシグナルは多花粉管拒否の開始におい て互いに独立した役割を果たしていることが推測され る.また,それぞれの受精シグナルは比較的弱いが,両 者が重複受精によって相加的に機能することで,強力な 多花粉管拒否を引き起こすことも示唆される.
さて,それでは卵細胞と中央細胞の受精がどのような 仕組みで多花粉管拒否の原因である残存助細胞の不活性 化を引き起こすのか? これを明らかすることが多花粉 管拒否の次なる研究課題であるが,今のところ手がかり となりそうな情報がいくつかある.まず,エチレンシグ ナルの活性化を示すEIN3の安定化が重複受精によって 起きることがわかっている(14)
.しかし,卵細胞の受精
と中央細胞の受精のどちらがこのEIN3の安定化を引き 起こすのか,それはEIN3の発現上昇によるものなの か,それとも分解の抑制によるものなのか,そもそもエ チレンが合成される細胞はどこなのかなど不明な点がた くさんある.一方,われわれは中央細胞や胚乳に特異的 に機能するポリコーム抑制複合体2(PRC2)である FIS-PRC2が多花粉管拒否に関与することを示した(15, 16)(図3)
.FIS-PRC2の構成因子をコードする
や( ),
( ) の変異体は,重複受精が起きた後も2本目の花粉 管を誘引する.これら遺伝子が中央細胞で機能すること から,この多花粉管拒否異常の表現型も中央細胞の受精 シグナル経路の欠損によるものと推測される.しかし,
エチレンシグナル経路との関係を含め,その残存助細胞 の不活性化に対する仕組みは不明である.今後,これら の点が解明されることで多花粉管拒否の仕組みへの理解 が進むと期待される.
花粉管の集中を避ける仕組み
多花粉管拒否を実現するには,上述の残存助細胞の活 性制御だけではなく,受精の成否がわかる以前にもほか の花粉管が接近しないようにする必要がある.われわれ が を欠損する変異体を用いてタイムコース実験を 行ったところ,最初の花粉管が到達してから数時間は2 本目の花粉管が胚珠に来ないことが示された(12)
.まる
で後続の花粉管が己の不利を悟って身を引くようなこの 興味深い現象については,メカニズムが全くわかってい ない.現在のところ, 変異体では1本目の 花粉管を避けるように2本目以降の花粉管が珠柄を登る という観察から,花粉管同士の反発作用が存在すると言 われている(6)
.詳細な研究はされていないが,この反発
作用が受精前の2本目の花粉管の接近を防いでいる可能 性がある.多花粉管拒否の意義と多精拒否
以上のように,多花粉管拒否の仕組みは徐々にわかっ てきたが,その存在意義については不明なことが多い.
まず,胚嚢が2本の花粉管を受け入れて計4つの精細胞 が供給されてしまうと,卵細胞や中央細胞で複数回の受 精が起きる多精のリスクが生じると考えられる.ただ,
エチレンシグナルの変異体やFIS-PRC2の変異体におい て多精が起きたという報告がないことからも(14, 15)
,被
子植物には多精を防ぐ多精拒否の仕組みが存在すると推 測される.実際,単離したトウモロコシの卵細胞と精細 胞を用いた 実験では,受精後の卵細胞が精細胞 と融合しないことが報告されている(17).また,2個より
も多い精細胞をもつ花粉が作られる 変異体を 用いた解析からも,卵細胞が多精拒否の仕組みをもつこ とが示唆された(18).一方で,中央細胞はある程度の多
精を許してしまうようである(18).胚乳では雄側ゲノム
のコピー数が増加すると,種子の過剰発達を促して場合 によっては致死の原因となる(19).多精拒否というセー
フティネットが存在していても,多精のリスクを極力低 下させる意味で多花粉管拒否の意義は大きいのかもしれ ない.もう一つ多花粉管拒否には,受精後の胚珠に向かって いく花粉管の「無駄死に」を減らすことで限られた雄と 雌で作られるペアの数を最大にするという役割が考えら れる.しかし,自家受粉をするために柱頭に付く花粉が 胚珠の数より何倍も多いシロイヌナズナでは,雄側を節 約する意義は相対的に薄れるはずである.そのため,こ の仮説は今後の検証が必要である.
受精回復システムの発見
重複受精が成功した場合であれば2本目の花粉管が誘 引される意味はない.しかし,重複受精に失敗した場合 は論理的に2本目の花粉管が受精を果たす余地が残され ている.ただし,胚嚢内の状況は未受精の胚珠と1本目
の花粉管を受け入れた胚珠で大きく異なる.たとえば,
花粉管の内容物を受け入れた瞬間,助細胞は急激に崩壊
する(12, 20)
.このダイナミックな変化の後,残存助細胞
が2本目の花粉管を誘引するだけでなく,精細胞を受け 取って受精させることができるのか検討するため,われ われは 変異体を用いた解析を行った.その結果,
1本目の受精失敗で誘引される2本目の花粉管が野生型 だった場合は実際に重複受精が起こり,その効率も1本 目の花粉管で受精が起きる場合と遜色がないことがわ かった(12)
.われわれは1本目の花粉管の失敗を補うこ
の2本目の花粉管の作用を「受精回復システム」と名づ けた(図4
).2本の花粉管を受け入れた胚珠は古典的研
究で少なくとも13種で観察されている(21)
.おそらく,
受精回復システムは被子植物で広く保存されているのだ ろう.
2本目の花粉管は,卵細胞または中央細胞のどちらか の受精が失敗する単独受精によっても誘引される.この 場合にも受精回復システムが機能するのか調べるため,
われわれは精細胞の受精能力が低下して高頻度に単独受 精を引き起こす 変異体を利用した(22)
.その結
果,卵細胞と中央細胞のいずれの単独受精も,誘引され た2本目の花粉管によって残されたほうの受精が補われ ることが示された(15) (図5
).卵細胞と中央細胞が受精
の成否に依存して独立に残存助細胞の活性を制御してい2本目の花粉管 卵細胞
中央細胞
残存助細胞 崩壊助細胞
1本目の花粉管
2本目の花粉管 精細胞
卵細胞の単独受精
(A)
(B)
(D) (E)
受精の回復 中央細胞の
単独受精
受精の回復
(C)
(F)
図5■単独受精後の受精回復とヘテロ受精
花粉管が精細胞を放出した後 (A),卵細胞のみが受精したときには,多花粉管拒否が十分ではないために2本目の花粉管が誘導され (B), これによって中央細胞の受精が回復する (C).同様に中央細胞のみが受精した場合にも2本目の花粉管が誘導され (D),卵細胞の受精が回 復する (E).いずれの場合も,異なる父親の精細胞で重複受精が完了するため,遺伝的に異なる胚と胚乳が作られる.このような特殊な受 精様式をヘテロ受精と呼ぶ.(F) に全身の細胞核が異なる蛍光タンパク質でラベルされた2種の父親を用いた二重授粉実験によって,胚と 胚乳が異なる色でラベルされたヘテロ受精種子を示す(スケールバー,50 μm.文献15から転載).
図4■受精回復システムの概要 花粉管が精細胞を放出した後(A), 重複受精が成功すると残存助細胞は 不活性化されて2本目の花粉管は誘 引されなくなる (B).これに対し,
精細胞が重複受精に失敗した場合,
残存助細胞は不活性化されずに2本 目の花粉管が誘引される (C).さら に2本目の花粉管が放出した精細胞 で重複受精が正常に起こり,1本目の 花粉管の失敗が補われる (D).(E)
に2本の花粉管を受け入れて受精回 復によって正常に発達する種子を示 す(スケールバー,20 μm.文献12 から一部改変して転載).
卵細胞 中央細胞
残存助細胞 崩壊助細胞
1本目の 花粉管
2本目の花粉管 精細胞
受精に成功
受精に失敗
(A)
(B)
(C) (D)
受精の回復 1本目の花粉管
2 本目の花粉管 発達した種子 (E)
卵細胞 中央細胞
残存助細胞 崩壊助細胞
1本目の 花粉管
2本目の花粉管 精細胞
受精に成功
受精に失敗
(A)
(B)
(C) (D)
受精の回復 1本目の花粉管
2 本目の花粉管 発達した種子 (E)
2本目の花粉管 卵細胞
中央細胞
残存助細胞 崩壊助細胞
1本目の花粉管
2本目の花粉管 精細胞
卵細胞の単独受精
(A)
(B)
(D) (E)
受精の回復 中央細胞の
単独受精
受精の回復
(C)
(F)
るのは,それぞれの判断によって2本目の花粉管を誘引 することで受精の成功率を最大にするように被子植物が 進化してきた結果なのかもしれない.
受精回復システムは胚珠だけでなく,伸長競争に出遅 れた花粉管側にも挽回のチャンスを与えると考えられ る. の欠損によって受精の失敗を誘導してやる と,2本目の花粉管を誘引して受精の回復が完了するま でに授粉後28時間までかかることが示された(12)
.授粉
から8時間でほぼすべての胚珠に花粉管が到達すること を考慮すると,われ先にと伸長すると考えられていた花 粉管が何らかのメカニズムで長時間待機をしているよう である.もし,これが先行組の失敗を待ってから動くと いう新規の花粉管の受精戦略だとしたらたいへん興味深 い. 変異体による2本目の花粉管誘引には,胚珠 の数に対して十分量の花粉が必要となることがわかって いる(23).花粉管は周りで競争しているライバルの様子
を敏感に察知しながら,柔軟に受精戦略を切り替えてい るのかもしれない.今後の展望
胚珠にとって2本目の花粉管は状況に応じて毒にも薬 にもなる悩ましい存在と言える.ここ数年の研究で,胚 珠が受精の状態を自分で判断し,残存助細胞の活性制御 を通じて賢く2本目の花粉管をコントロールする様子が 明らかになった.今後は,FIS-PRC2やエチレンシグナ ル経路の変異体などを用いた解析を足がかりに,残存助 細胞の不活性化の分子機構がわかるようになるだろう.
多花粉管拒否の研究が進み,高頻度で胚嚢が2本の花粉 管を受け入れて4つの精細胞が供給されるような変異体 が分離されれば,次は多精拒否の分子生物学的な解析も 視野に入ってくる.
受精回復システムについては,単に雄雌の受精戦略が 興味深いというだけでなく,新たな受精技術として期待 される.通常の受精では,1本の花粉管から供給される 精細胞同士は遺伝的に同じであり,同じく卵細胞と中央 細胞も互いに遺伝的に同質なため,受精の結果生まれる 胚と胚乳も遺伝的に同質となる(図2)
.ところが,変
異体で誘導された単独受精の状態が2本目の花粉管に よって回復をした場合は,胚と胚乳が違う遺伝的背景を もつことになる(図5).この特殊な受精現象はヘテロ
受精と呼ばれる(24).これを利用することで,たとえば
胚と胚乳の間に存在するといわれるsmall RNAを介し たコミュニケーションの実体の解明などに役に立つと思 われる.被子植物の生殖分野は,雌しべ組織の奥深くで起きる ダイナミックな過程である.この点が壁となり,シロイ ヌナズナのゲノムが公開された後でさえも,研究者が攻 めあぐねることとなった.しかし,今日までに,胚嚢や 花粉管を構成する各細胞の遺伝子発現情報やマーカーラ インの整備,生殖過程に欠損をもつ変異体の分離と同 定,顕微鏡下で受精の過程を再現するsemi- 受精 系などの構築が地道に進められてきた.これらの蓄積の おかげで,100年以上も前から連綿と続く固定試料の観 察では見えてこなかった重複受精過程の新しい姿が,最 近次々と明かされている.本稿で紹介できたのは一例に すぎないが,これがきっかけで多くの方に被子植物の生 殖分野の魅力が伝われば幸いである.
謝辞:本稿の研究を進めるにあたり,マーカーラインや変異体種子の分 与などで多くの共同研究者から協力をいただきました.皆様に対し,厚 く御礼を申し上げます.
文献
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プロフィル
丸山 大輔(Daisuke MARUYAMA)
<略歴>2004年名古屋大学理学部生命 理学科卒業/2010年同大学大学院理学研 究科修了/2010年GCOEプレフェロー/
2011 〜 2013年日本学術振興会特別研究 院 (PD)/2014年〜名古屋大学トランス フ ォ ー マ テ ィ ブ 生 命 分 子 研 究 所 (WPI- ITbM) YLC 特任助教,現在に至る<研究 テーマと抱負>現在は残存助細胞の不活性 化機構について研究している.これに関連 して,植物の細胞や組織の分化や可塑性に ついて興味をもっている.将来的には植物 細胞を作り替えるような合成生物学的テー マにも挑戦したいと考えている<趣味>猫 ブログの巡回
東山 哲也(Tetsuya HIGASHIYAMA)
<略歴>1994年東京大学理学部生物学科 卒業/1999年同大学大学院理学系研究科 修了/同年同大学大学院新領域創成科学 研究科学振PD/1999 〜 2006年同大学大 学院理学系研究科助手/2004年ルイパス ツール大学海外研修/2007年〜現在,名 古屋大学大学院理学研究科教授/2007 〜 2011年,さきがけ研究者/2010年〜現在,
ERATO東山ライブホロニクスプロジェク ト研究総括/2013年〜現在,名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所
(WPI-ITbM) 副拠点長・教授<研究テー マと抱負>ライブセル解析により,植物生 殖システムの鍵分子を同定する.「顕微鏡 下で自由自在に」をモットーに,化学・工 学との融合により,植物生殖を知る・見 る・操作することを目指す<趣味>家族旅 行,美味しいもの,4K映像