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1 月 3 日 大阪府三島郡島本町 水無瀬神社 松囃式

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Academic year: 2023

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1月3日 大阪府三島郡島本町 水無瀬神社 松囃式

水無瀬神宮の祭神は後鳥羽天皇で、この地はもと後鳥羽院の離宮があった所。後鳥羽院隠岐にて流鏑の際、その 遺影をこゝに奉還して御影堂を建てたのが水無瀬神宮の始めという。

この尊影奉還の際供奉した山本、粟辻二氏の子孫が、そのまゝ社領の民として、この地を開拓したものらしい。

その両家に継がるものが麻袴、帯刀の姿で竹杖を捧げ祝歌を唱えつつ庭燎で照された拝殿前庭の橘の樹を 3 周す る。

宮中松囃子の式の一部をかたどり行われていたものらしい。正月祝儀の芸能。

一時中絶していたのが昨年から復活されたと聞いたので暮れの 12月11日に神宮に行って確め、歌詞の祝言葉も 写させてもらった。初め午後 7 時頃、神社に行ったときは、まだ何の用意もなかったがやはり、やるという。暗い 境内の今は枯れてしまっている橘の木のあった場所は低い石壇で囲んであって、その傍に焚火の用意がしてあった。

そのうちに裃袴をつけた人達が2、3やって来て、すぐ庁屋へ入って行ったが、松囃子の捧げる笹竹は12本用意し てある。これは神社で用意するという。

所が実際は人の寄が悪くて遅れて来た人を含めて 7 人であった。下枝を払って上の方は葉付のまゝの枝を残し、

長さ2m位、これに幣紙を一つづつ垂れる。

本年の当家は粟辻家のようであるが粟辻家の集った人は松囃子の唱え言葉を練習していないらしく、結局山本家 の暮に訪ねた山本意三郎さんが音頭をとってやることになった。

まづ庭燎に火を点じ、全員(今日は6人)が宮司に伴われて神社に参拝して修祓の後、山本家と粟辻家とが夫々に1 人づゝ代表で玉串を奉献してから1度、門の所まで下る。

改めて当家の家筋のものが 1列に並んで、先頭が当家のもの、締太鼓を持って音頭をとる。他のものは1人々々 笹を鉾に捧げて進み(今日は以上のような次第で山本意三郎さんが先頭、太鼓を打ち、他の 2 人が笹を持って計 3 人が先づ進む)、先頭のものが「御戸開かせ給へや」と唱えつゝ太鼓を打つと一同が「これもお祝よい音がとんだ」

と唱和する。以下同じである。

西の国から御米持って参った これもお祝よいねが飛んだ 今年の鳶は何を持って参った これもお祝よいねがとんだ 枡とますかきと俵持って参った これもお祝よいねがとんだ 御所の御内蔵建てたりや これもお祝よいねがとんだ ぜん庫、かね庫、じゆに建てたりや これもお祝よいねがとんだ 乾の角なるさゝら波立つ坪三百や これもお祝よいねがとんだ せんねんの鶴よりも亀よりも この御所ぞ目出度 お暇申して明年参り候

これを唱いつゝ、橘の木の周りを3周する。庁屋廻廊には雪洞を1つ置いて宮司が、これを見ている。参詣人は 誰も居ない。次に当番でない方の家筋のものがやはり並んで太鼓を持つ。先頭の音頭に続いて全員唱和するのであ るが、今日は実際は当人が欠席なのか或いは練習不足なのか、歌本を暗い闇の中ですかしながら見ていたが、太鼓 をどこで打ったらよいのかなど大部ぐづぐづしていたが結局先に廻った 3人も、もう 1度列に加わり遅れて来た 1 人も参加して、山本意三郎さんが助け役になって、とぎれとぎれに歌いつゝ、やはり3周したのである。

第2回目の唱い出しはやはり「西の国から・・・」であった。第1回目も第2回目も、囃し終りは「お暇申して 明年参り候」であった。

身を切る冷たい夜風の中で、済むと一同庁屋へ駈け上って、直会となったようである。

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