5月3日 滋賀県蒲生郡竜王町山之上 杉之木神社 祭礼行事 杉ノ木神社祭礼奉納
長刀踊、約60人。宮川郷が稚子役を、山之上郷が長刀鉾を奉納する。
杉之木神社の神主は山之上の氏子55才以上のもの1番順番で1人がなり、次の年の者とが決まる。
宮世話2人。山之上字東山より1人、山之上字西山より1人 進行係、老人中より4人。薙刀警護6人。裃、割竹を持つ。
カワチヤ(鷺持3人、鷺警護3人)6人。
オード2人。鉦打ち6人。太鼓打ち4人。ノンコ1人。宮川と1年交替。
話の関係から出来ている。薙刀振りは山之上の出身者。11-21才までの長男、全部参加する。(忌の家は不参加)。 1日から精進潔斎する。3日、日吉神社(西山)→西出ノ山王神社→杉ノ木神社へ(本社)→蒲生町宮川の八坂神 社へ参る。山ノ上郷(日吉神社)と宮川郷(八坂神社)との共同の祭りで、結の組織がある。
新振(太鼓の桴役)2人づゝ4人、11才。長刀(今年は約80人)。鉦2人、大戸2人の中央の長刀(古参)。神社 の前で仕舞振りをする。
薙刀は輿に鈴を付けた綱をつける。
後の幟をさぎ(五穀豊穣を祈る)
織田信長の凱旋記念として旗印を印にした。21才の役を終ったもの6人が持つ。
宮世話、進行係があるのみ。宮座はない。昭和33年に古老の口伝から新組織を造った。
杉木神社の祭神。
禊は日野川流域岡崎地先にて(5月1日)。以後別火、精進、女人禁。
衣装付は父親外男がする。女は触れられない。
朝神楽、午前8:00。繻絆1枚の12人の若者により御旅所レッケーヅに渡る。(宮川礼敬場これをレッケイヅとい う)
振出し。日吉神社鳥居前から。
モノモー。内一種の異った薙刀の使方途中でやる。
鐘打が踊の主役。鐘は目方2貫500匁程ある。左親指先で支えて打つ。
サギ。稲と縁深く百姓を型取り、昔織田信長が甲賀浪人を攻めたとき郷民これに従軍しその旗印という。旗の字
*戦にちなみ、色紙の取破りが道行中にある。鷺固陣の守りの事がある。
神輿は夕刻杉ノ木へ帰る。
日吉神社(西山)から杉の木(東山)へ行く途中、山王サンへ立寄る。山王様では振舞のみ。
杉の木神社は龍王町山の上と蒲生町宮川との氏神。宮川から別の踊りが杉の木へ来る。この踊りは長刀踊が杉の 木に到着せぬと始められぬ。
小踊り、4人(12才)赤衣、花枝を持つ 大踊り、(15~16才)4人、道中笠の姿 囃し、鉦、太鼓、サギ持、三味線、鼓、笛
踊りは年の新ぶしを入れて新しいものを習ってやる。
踊り終って一同揃って杉ノ木神社に参拝。後、大鷺の勇みがあって直ちに宮川へ帰る。その後で山之上の薙刀踊 の振込みがある。(これを振出しという)
振出しは鉦を合図に薙刀振り年令の若いものから順に1列に振出して進む。昭38年は約80名あった。本年は最 後の4人が古参。薙刀振りの役が終って後、25才迄のものが他の役につく。(但し1番年若の11才のもの4人は太 鼓打ち)
4月20日から29日まで、西山は日吉神社へ、東山は杉之木へ集って上り役より練習をうける。28日夜は東西合 同の鳴らし練習。鷺はり。30日、上り役、カワチヤ、オード全員が集って造る。
薙刀振りの最古参の1人が振出すと、その後に大鷺が従う。最古参の1人には鉦2人とオード2人が従く。4方よ り薙刀振りを助けるように、これをとりまき、又支えるようにしながら踊る。時々「モノオモー」といって大鷺を 倒すような振りをする。見物人が大鷺に垂らした白紙をそのとき奪取る。これを警護が追う。鉦と太鼓が乱打され
(これを大囃という)振り子は急いで鷺をとりまいて集り、大鷺を修理して立て直す。この大囃は、お宮の正面に 近づく程はげしくなる。
道中は薙刀は振らない。薙刀を担ぐように持ち、一同隊列を整えて行く。振り役は全部素足、脚胖。但し囃し方 は「渡り鉦」となって打ち続ける。太鼓は太鼓打ち(最年少者)が打たず、太鼓持ち(担ぎ手のこと。1つの太鼓を 担い棒で2人で担ぐ。2つの太鼓で4人)が担ぎながら打つ。太鼓持は役すみのもの。槍は色綾紙を貼ってある。
神前の仕舞の間は囃しを入れない。仕舞は丹後の長刀振りに似ている。最後に高く薙刀を投上げて片手で拾う。4 人が技を競うた。一と仕舞終る度にヤンヤという意味で鉦と太鼓を鳴らす。
宮川の踊は杉之木の次にレッケイヅで踊り、次いで宮川の八坂神社で踊り、最後にお寺で踊る。
杉之木神社の境内に農神の碑がある。附近の大木の枝に懸俵がしてあった。
又境内馬場横に制札の大きな石柱がある。
三面に夫々
①従他所山林立人きのこ盗り者見付次第此処にしばり付訴え出づべし
②柴 雑木
③下草、野草
④裏側 尾州領と読まれる。尾州の2字は潰してある