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Kenningに対する一考察 - fukushima-u.ac.jp - 福島大学

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(1)

』Kenningに対する一考察

    (BeOWulfを中心として)

菅 原

 〔i〕まえがき

 所謂poetic periphr3船である Kenningは

Boewulfの中に大体30あるが,その起源が何に元づ

くのかを多少考へてみたい、TeエtにはA.」.Wy一

・att校訂Cルmbridge〔1925)を用、・た.Kennin9の起 源については・恐らくは最古の現径0.E.文献以 前に既にかかる用法が口頭に上ったか.又は煙滅し た文献に曾てはあったであらうと想像されるから,

正確に文献を遡行して究めると云ふ事は至難であ り・ここでは及び得る限bにおいて,一つの潅論を 下してみたいと,思詰、■た掌屈n−his(BeOwulf523 行b)二bOne・hOu5eを肉体と考へさせたり,S冊n・

r蛆(lbid200田=s恥nイ03dを海叉は潮路とした りする事は・奇怪なmet叩horと云はな1ナれまな

らず・詩中に駐在するこれらのKennin9は吾々

の強い関心を呼ぶものである.

 先づ便宜上二つに大別し更に小分願して,用鯛を 上げ,要すれば他のものから同類の1{enningを示

しつつ,説明を加へたヤ・と思二・.

〔E〕

 大別してCompound KenningとCombin江tion

Kennin9に分ける事が出来るが,それぞれは又de一

・8criptiveなものと,mebphoricMなものとに.小分 類されるであらう・用到の二・…を示すとD㏄criptive

・Compound Kenningには:(括弧内の数字は打数,

病b・はそれぞれh岱lf−1ineの前後を示す)

 田呂。−holt・=鈴h_wood>speユr(3303)

lyft−fl。9圖ir−flier〉dr唱。n(23153,

 b㏄do_grin1ユ=wふr−m腹gk〉helmet(2256b)

hilde−b・rd−bユttle−b・ユrd〉b鵡e−shield(313   9の

yさ一lid 一wムve−trこ玉verser〉ship(188b)

M廊ph・ric31C・n・P・undKenningに1ま:

b五n−his−b。ne−h・11se〉b・dy:che再t(523b)

㎏ユdo−1吾・m巳一battle−light>(fl醐ng)sw∩rd   「2492a)

hilde司e…温b5ttle−light>sw・rd(1143b)

hr。n−r=d≡wha!e㌔r・のseユ:・ceユn(10ユ)

9こst一一bユn歴gh。st−bエne>s・uL−slユy3r〉deマil

邦  朋

   (177a)

Descritive Combin出tion Kemlingとしては:

 goldwinegum3na−1。rd:prince(1171a)

 これは9。1dwine−9・ld−friend−princeと gunlena(Gum3のg、pl.m)ニm3n:heroの

COmbineされたもの.

 b巨坤brytt巳一prince:bng(3厨これはb5&9  の9・pLm=ring:br3celet:crowaとbrytt5ニ  diヨtribut・r〉bre。t呂n−destr・y:bre3k

のcombineされたもの.

 sincesbrytt呂一gu麟菖n・ftre翻ure:prince〔20アニ』)

 sinc=tre齪ure:prizeと同上brytt二しの combingtiOnである.

Met匹ph・riculC。mbin醐・nKenningには:

 b蜘dra1三卜断he5(3160b)

 brよmd轟=g.pl.n1.)bτ巳nd=fireと1出f=remnmt rem鎚inderの結合.二よる.

 hルn・er呂1三f−sw・rd(2829b)1汰

 hユlnerは一(9.pl.m.)h二1n。r:h鋤、er_hユ1]u1、3r と1ユf(同上)の結合である.

 he。{・nesgim=thesun(2072b)1よ

heofon転(9・pl・m・)he。f・n−heユveaとgim

=gem:jewe1の。∩n・bin出↓i。nであり:

 rcdore3c凱de1=the sunと同醸乃手法であり,

「cdore3一(9・pl・m.)r。d・』sky:he venと

。:』ndel・=c蹴dle:lightの結合1こよるもの.

 この様な用法はEddルの中にも109・f欲r=se3.hOrse

=8hlP:V・191賦r−h・rse・fw ve3−ship等が存 在し・いづれも同様のKenni・ngと考へられる.ω  此のKenningの考察に当って当然参考となるの は}スカンヂナビアのskltldの使用したKelming であらう.

 アイスランドのAliFr。δi:(1067−114s)が文 献に現ltれた最初のs島9岬riterとして今日伝って

みるが,彼の作と云はれるIs1 ndingめok及び数多 くのbユttle songとも云ふべきHmfnsm義1:Eiriks

−m託1:Bj出rkルーm:t1等1こ謳憤れてみる事件は大体A.

D・890年一1030年の間にむかれる・〔21

(2)

 年代的に最古のO.Eの詩に比べると約200−103 年年代的に新しい事になるが,Kenning の発生を 考へる場合・S昭5の性質上・文献に現はれない以前 に対する考察を無視して跡づける事は意味ないであ

「)う.

 文献に現はれる以前に既にKemingとして口頭

に上って語り傳えられて,文献時代に入った事が後 述の理由で当然考へられるからである.

 Vikingsが荒海を横鐵するに当って,その命を托 した船に対して,非常な畏敬と親愛感を有してみた 事は,その巧妙なKenningに現はれてるる.船に 対してSe8−Skates:ElkoftheFiords:Ilorseof        り

the Gu11,s Tr㏄k:R5ven of the Se出等の言吾1よs磐田 には,勿論詩語として登場してみるにすぎな・・が,

0,E。の詩のそれらと極めて類似したものと云え よう。Vikingsは又武器に対しても,様々なKen ningを使用した、例へぽswordに対しては,Ice of B仙ttle:1)og of Hehllet:Viper of Host等と 云い,sPearに対しては,Sn醸e of Att呂ck:Shooting Serpent:3xeに対しては,Witch of Shield:、、701f of Wound:arrowに対しては,Birds of Slin9:

TwigsofCo叩se:等を見る事が出来る.(31  SophusBuggeのTheIlomeoftheEddic

Poemsによれば,北鼠稗話乃至英雄浮事詩の最古の ものは,恐らく北部イングランド,〕或はアイルラン ド叉はスコットランドに,於て・渡来したノルウェー 人によって書かれたものと推定されると云ふ.Beか wulfの中に言及されるFinnu1凱dは恐〔)く六世紀 当時の南部ノルウェーを指すものと考へてよい.叉 サクソン人の祖先稗がいづれもGothic deitiesに

属するWoden:Thor:Frei郎Tiwであり,s曙呂 の中にbym淋=byme(OE)=corsletに対する

Kemingとして・G職y clothe80f Odin〔Odin:

Othin(Dm)=Woden)と云ふ個有名詞のものま であり・彼等の族長を通じての祖先神に対する宗教 的な故実親愛の感を覗ふ事が出来る.O.E.に現 はれるKenningもsag畠中のそれも,それぞれ個 々に別箇のものとして扱1よれるものではなくて,更 に広く・彼等民族の発祥が何庭であったにしろ,深 く宗教的であった時代の未分化の状態に,その起源 を求めなければなるまいと考へられる.

アングロサクソンの聖職者の間に墳,一般にRlddle なる謎詩が愛好された事は今日Exeter B(〕・kに獲 存する93の0.E.の誰時によって察せ「)れる.何の 為に謎詩が出来たのかほ分明しないが,

SymphosiusのEnign・ユticホを愛読したと伝えられる Aldhel111は709年役してみるから最古の0.E詩以前

にラテンのRiddIeは相当に流布愛好されてるたで

あらうと想像さ冴しる. 4)

 要するに書齊人の閑暇の享しみとして喜ばれたの であらう。これらの嗜好がKenningの一種謎的表 現発達に当って・・役立ったとは考へられぬ事はな、、

が・しかしExeter Book:Riddle No.XIのshield を答へとする問ひの中に,既に極めて安定した名 辞として,次の如き」Kenningが存在ナる.

  ユcmechn・ssiめ亟}1哩&・lafehe訂decghe・r・.

sceユ「p・h・ndwe・rcsn・i》巳,bitめinburgun・

(line−7f)一buttheh・11上・rぬfe(一sw・rd)

st「ikeme:theh皿ndiw()rk・fsn・iths,h呂rdモdged,

exce岨inglysh二rp,biteinthestr・ngh・ld8.

 このh・merぬfe(一ren・二inder・fh n・mer) よ 既述のKenningであり,swordに代る全く同じも のを表はす云い代えにすぎないもので,ラテンの Riddleの醗鐸の過程の蓬田に生じたものと見るにし て1よ・至極安定した用法と思1亡れる.又Riddleの 中に謎的表現の詩語を用のる事はおかしいし,0.E.

のRiddleカ:翻を容れて,八世紀』肋作とすれ

ば・それ以前の詩一圃へばBルttle厳Finsburg

(約七世紀が通読ヲにも既こ安定した用法として,

 fugel朗singユδ,gyiIeさ」墨egh n・a,guδwudu hlynneδ(1ine6−4辺一birdssin9,w・lfh。w18,

bユttlew()od一(臼pe技r)cl鋤gsとKenningを見る事 が出来る・吾々は0・E・のRiddleの作られた頃 にはKenningは銑に極めてf訓1iH=1rなものとなっ てみたと考へてよいだらう.

 Kenningの起源を考へる堤。合』ま,故に,Riddle にまつわる考察ぱ有力にはなるま、・.

 やはりその起源は遠く古きに求めなければなるま い・Kenningは一種の同意語と考へられるから,頻 出すれば,直截簡明な田塚を輿へ難.・し,甚だしく 泣力を欠く.

 一体に貴侯の前で渾ずる吟誦として用意された 0.E・の英雄詩であってみれlf t5}装飾の多いこ れらの脩辞法1ち大いに喜萎れたであらうが,生々 しい迫力に1亡乏しいのに当然であらう.O.E.英

雄詩でも新しいB漁1e・fMユldOnは991年の

1)岨eの浸入直後にか」れたと云はれるが,

(6)Kenningは私の見た所唯feorhhus=life荊ou3e

−body(29籍)のみである.これが爲O.E.の外 の戦キを語った詩に比して,特に生彩陸離,印象鮮

(3)

明直戴である.

 8wo「dに対しては,swurd:mGce:iren:secg邸:

spe班に対しては,W肥1spe「e=榔。:o「d:da「oδ:

fmncan:speru:g肛:shieldに対しては mnda:

bord:1inde:と直接その語を用ひて・直截な印象 を形成するに,大きな力となってみる事は疑へな い.かう云った方向に詩が商った時1【enningの澗 演よ,た時間の問題となったのであらう・

恐らく初期文明時代にスカンヂナビヤでKenning が作られたとすれば,その数は極めて限られた

ものではなかったらうか.王者貴操及び彼等の尊重 した般,武具及び天体位に限られそれも多種にはわ たらなかったであらう.

 O.E.のscOPがP蜘lleliSn・を好んだ事1よよく 知られてみる.このKenningは脩辞法としての par311elism愛好に促されて,次々とsc叩の間で類 似のものが,案出されて行ったと想像される.

獺似した語で重冒的脩辞法をとるにあたり,

同一物を指す時,Kenningが極めて都合よかった とは容易に考へられるのである・Kenningそのも のの考証につ・・ては,g五st b五恥に対する」。IIoops

( のものと,E.Weber(8)のそれがある・B30wulf に見られる9夏st−b五n巳(177)についてE・Weberは

この語をThunor−Thon轟τ一Thor紳1こ附会させてみ る.彼1まPふulusD払cOmus(783A・D・マ)及び ErmoldusNigellus 826.A.D?)の文書からカ ール大帝及びルドウイヒ慈善一三の偵に,術Tho恥r は1)∴neの主神で左,つた事を証明しようとしてみ

る.Beowulfの作者が何者であれ,彼がD胡eの習 俗に委しく,揮吟甚望にmedu=(meめ)を飲み乍ら の彼等の歓楽を描寫してみる所からして・古代ゲル  マンの諸碑にも可成り通じてるた事が想像されると

云ふのである.(9}彼は9宜st−b轟n住なる語はゲルマン紳

Thonルどを表はすKenningであって,Klaeber

 (Anglia35.249.Aug.S.315)が1反菱…した如き  Teufe1ではな)・としてみる.猶G.S証跡zin lま  1)ユmonentδterと課してるる.⑯ D3vi1と同意と

解してよいであらう、WeberによればBeowultの 8c・Pは聴き手のキリスト教的感受性を考慮に入れ

 て,かxるKenningを使用して直接Tho恥r稗

 を指す事を蓬けたのであると云ふ・」.Hoopsは之  に反対して,たとへB30wulfのscOPが実際書。・

 てるる時に,異教ゲルマン稗を念頭にお・ たかどう か,もとより確言は出来な・・が,たマこの語を特定  のThum)r−Thor紳、二附会するのば大胆すぎるし,

根挺のない事だと云ふ.]3eowulfの175一「9行に わたっては,純粋にゲルマン的であり・次の179−1 88行にわたっては,明r)かにキリスト教的であっ て,かかる混淆した詩中かr),一・貫したゲルマン碇 を念頭において9鵠t b 膿なる語が作「)れたとは思 はれないのは当然である・

 9五st b5naの用ひられてるる上述の部分を抄出し て見れば此の詩が如何に異教とキリスト教のmedley であるかがよく分る.

 (言睾はR.1{.Gordon:Everymユn,s l ibrルry版  により長くなるので県文は省略した)

 Thetw鴻h㎝vys・rr・w,1nisery・f・nind土・r the friend of the Scylding偶. ]、工払ny仙111ighty

()ne瓢・fteninc・uncil:theyhelddebユte wh蟻w路 be3t for bold minded men to do隠呂inst−

sudden㎏rrors.Sometimes in their temples they マowed sユcrifices,they petitioned with pmyers th3t the g三st b n出should succour theロ1for the people,s distress.Such w鴻their wont,the h∩pe of the he3then. Their thoughts turned to he11:

they knew not the I」ord,the Judge o上 deeds:,

they w始t not the l、ord God:nor in truth eotlla they pr戯se the Protector ot the he:wen㍉ the Rulero土glory.

O.Eには9五st・b出mと同類の語に盛1dor b轟エu:fe−

orh−b仙n5:ferhさbルn5 等があるこれがいづれも箪 にM 5rder:・nurder:s1出y3rを意味するにす・yない

事を示唆する例としてはHoopsはGene5の0・E

詳tO19ffを下の如くに引用してみる・

 陥gt Gott zu Kユ1n:μSwふ]『、u Abele

wurde/t・fe・rhb皿mw・rdノニwieduAb〜1

zuml。ebenstl;terwurdest:

それに答へてKbin(103;上)

 me to』d出τ bユn巳n weorδc5/wr昌δrユsun1ニnlir wird zum Lebenst5㎏r einer der Feinde weraeτ1.

 Iloops によれば dder:teorh:ierhδ いづオし  も9轟3t同様1ifeを意味してみると云ふ・た虻その

使用は全く頭讃の必要に惣じて代えられたにすぎな  いとする、

  彼1之 更に以下の嫌な同類のKenningを列學して  みる.

 gユst b∈relld=Gei8伽詫rユger=】トlensch   9こ5tc・悟二Geiste3k呂n・mer=Brust

鷺t劃一2鑑識1一顎・・

(4)

 この列は正しい.例へばBa志tle(〕土M31don iこ例 をとれば・g四tとf壱ores(feorh〕をいづオしも箪iこ 8pirit:1ifeの意にとってよささうな所が二箇所あ

る.帥ち:

 )田tδuminum9鵠teg・desgeunne(176)=

th匹t Thou shouldst g恥nt good to my spirit.

)互 hi for})遜odon,f ores hine r6hton(260 ニthen they went土orth,theyrecked not of life要1する

にg盤t−b出n3はγ生命を奪ふ者グ叉は 生命破壊 者 と云ふのが最もよく当るわけになる.Hoops の読は示唆に冨み以下の嫌な推論を下すに都合がよ い.邑Pち9路t b&nユ まga8tなる語とb旦n なる語 が存し,Todを意味するもの,又はそれを招くも のを直接名指す事を・忌避した深く迷信的な初期文化 の時代の北獄民族の間に生れたか又はそれに倣って sk義ld又 ま8c・Pの間に造られた語ではないかと云

ふ専一換言すれば,TめooWordであるか,それ

に放って次々と作られて行った語の一つであらうと 云ふ事である.

 更に論を進めるならば、Kenningの起源は

丁目boo W・rd であらう. 故に前述した様に初めこ の種のTab・(}Wordとして存した畝は少も文献 に現まれた以前らか存し,ある語は忘失され,ある 語は承けつがれて,文献時代に入り忽ちに詩語とし て槽用蒐寳されたのではないかと考へたくなる.云 ひ代へるなら丁壮booの角存してみた時代に直接名 指すのを禁忌しperiphr瓢icに表現された語の名 残りと考へられるのである・

 B3・Wulf中下の様な表現を見出す.

 II・rnstundulns…9(1423)

=II・rnsω11etimeSS抗ng.

 Se be二組。−leon1仙bit島n nolde(1523)

=The b鹿ttleイ担y(=sword)will n(}t eut これ「)の表現かP)何方・しら pneUI1取tischな世観界 の交配を惑ヂる事が出来ないだらうか.

 iBe。Wulfの中にあらわれる主從臣下の関係は,

一種の深く異教的な時代の同族の上下秩序を思はせ る.走書は一種IZ)P滅ri諏chで麦)つて,絶対権力者 であり,同時に冠婚葬祭或は出陣載十の中心であっ た.ω臣下は又深く主君に対して忠誠であり,強

く宗教的な雰園氣を構成してみた事が想漂される.

 彼等が直接主君を名指す事を筈かつて・periph−

rasticな用語を以てした事は考へられる事であP)

う.S懸Oniaのメルセブルグ大寺院の01d Iligh Germ3nの写本の書学書の中に・腫物を作り人に壊

■悪される病氣に対して011flingene=(on flying・

thing)飛ぶ物と称し・その直接名Bl朋tを避けて みる例がある.Ch3relsSingerはこれ1ま確かにNorth・

n恥nがもたらしたものだと考証を加へてるる.働  古代人(現代においては未開人)は一般に生命否

定的ノエマ乃至宝命促進的ノエマが事物に内在しそ れが移動箔散分化するに從って,人間及び自然界二 種々¢慶化をもたらすと考へた.㈲又口頭に上った 言葉に一種の生命力を認め信じてみた為特に死につ いては実に多くのperiphra曲を見る事が出来る.

Hon・eros時代にもsacred或1まdivineなる語を動 植物に冠し,魚がtabooであって戦手中魚を食す

る事は禁毬られたと云ふ.魚が如何にしてtめoo 化されたか・その純過ほ分らぬ乍ら・彼等が種々の

ノエマ的世界観より生じため・・を有し,それに応 じてr口頭に1直接発する事を禁ぜr)れたため,丁詠boo・

wordを多く有してるた事が潔際される.㈱未開 人の間に用・・「)れるperiphr鵠isに例をとれば更に 参考になると思ふ.tめooとなったものに対して 彼等欲盛んに代用語(8ubstituierte wort)を使用す ると云ふ.

 メラネシア土人間のNdj濾ユは悪魔豹危険を意味 するTめoo Wordであり,根源的には,躍死者の 持ちものぴ=d漏Eigentumdes Totenを意味し,

これが鋤きかける時死人が起るとし,更に一般的に 強力不可避なものに対して,直接これを名指さずに 言及するperiphm8isが用ひ「)れるようになると云 ふ.Wernerはこり間の事を結論豹に以下の如く述 べてみる.

 So wie d鵠Totent岱bu die illtimste Beziehung 鋤r Entwicklung der Sitte der Vermeidung i旧 註1】genlcinen h悩t,so証usse且es sich {』uch in der einschlleidend ten 、yeisg sp3ziell inl irr蛤二erend・

en Worttめu.鮒  (死のタブーが一般的に禁忌釣 慣習の尼展に対して極めて密な関係を有すると同醸 にそれ一ま又畏も鬱然として特に迂言的禁忌語におい て現はれる39f)南阿バタク族の葬式の歌が内容に おいて同じであり乍ら,彼等の日常普通の歌と全然 異なってみる事が指摘される.即ち彼等の酋蔓つ An磁(sOn)が死もで,加booとされた時,その periphr顧i9としてSimrルm Tunas(Gepf1浪nzter Seh=1ssling植[えっ1ナられた若枝)と聡し,後これう:

固…化して,詩語となったと云ぷ.要するに或るもの 乃至人に対して,一種のTめooが生ずれ一蔦それ:二 対して迂言的な表現が生ずる.此の場合その内包ぐ る特質を迂言的二表ぱして,直接名指しを湛ける爲

(5)

に,勢いn域和hor的表現をとる事になる.自然カ ー一セ陽とか暴風雨・洪水等と・権力鄙ち族長王侯 の力等が畏怖の対象となった爲と思はれる.ポリネ シア及びマレー諸島においては・族長・僧侶等が独 得のt3booを行ひ得るし,彼等自身最高の力の具 現者として,t3booの対象となると云ふ.個 殺戮 者とか亡憲等に対する迷信的な恐怖は別に未開人に まつまでもなく,Macbeth:Rich邸d口等1二も容 易に覗う事が出来よデ

 Kenningの起源を考へる場合,それらほ,詩語 として,O.E.の詩に多く定着して了ってみるが,

元来』boo Wordの名残りではあるまいか一故

に単にsk田d又はscopの創出にかかるものと見る のは新しきにすぎるのではあるまいか働一少くと もこの見方かr)するなr)ば・別7)見方も出来るかと 思ふ.t以上)

〔頁〕参考書日

(11Encyclopedi巳Brit轟nicユのその項.

 Reginsn岨16蔀及び(21の書は蹴gユにくわしい.

(2〕 Geschichte der Liter島tur des Sc&ndin仙vischen  Nordens by F. 〜V. Ilorn. 188〔):Leipzig.

(3〕EncyclopedbBritユnic轟のその項.

侮) F. Tupper:The RiddleB of The Exeter  Book.19工0.BOstOn

O5〕 、V.Cou武hope:A Ilistory of English Poetry  Vol.Cb3pter i.

{6) Sweet=Wright:Andern等いづ身しも O.E.

 Re雌erのNoteにくわしく述べられてみる.騎  S瓜onChronicleのA.D.991年.9触年∂項参照.

(了) 」. Iloops : Bbowulfstudien  (AnglistBchen  Forschung, Ileft74)1932. Ileidelberg

(8) E. 、Veber:Neuphilologische ]〜fon tschrift  1931. vo1. 2p. 293−295

(91W.C・戚h・pe:1bid::これにも同様の見解が・

 示さオしてみる.

11① G.S往rr3zin:Be{)wulf潟tudie11:

 Ein B陰itr曙zur Ge5chic}1te 巳1tgermユ111scher  S」ge und I)ichtung:Berli11. 1888:

(11) 、V. Courthope:】bid:

α2) C. Singer:Frol11}f篭ic to Science. 1950.

 New York.

(凋 II.Werner:厚Die Urspriinge der Metopherゲ  Arbeiten zur Entwicklungspsychologie I919:

 Leipzig.

巳p  E ncydopedh Britanicユ:丁田b(〕(〕:Totem 参  照

α5) 、Verner:1bid:

働 S.Freud:Toten上ond Tめoo:t臨ns by J.。

 Stmchey:Kleg泓nPユu1.1950

働 厨川文夫:中世の英文学と英語(研究吐)P−42  に1よ垣下の檬な見解が述べられてみる:「Kenning  は古代ゲルマン頭讃詩の伝統ではなく,アングロ  サクソン人がブリテンに移住して後盛んに用ひ出  した修辞法であるのはほじ確実だ」と.

㈱ Die Edd巳:Wilhelm Jord盛n:Fmnkfu武3m

 Mein1924随所を参照した

σ911{.Sis巳m:StudiesintheIlist・ry・fO E.

 1・iter仙ture,1」ondon,1953.

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24 福島大学教育学部論集第32号の3 1980−12 ほ音桑科にまろそとそ実現き軋る,という結論を 引き出すことができる。さて,我々は子どもの現 時点での主観を燃えたぎらせ,同時に未来の音楽 生活が豊かになる音楽教育を志向してきた。その ために現実の子どもの音楽生活を全面的に受けと め,その中のどの点の質的向上を担うことができ

ヌ.毫跨るか乱そ硲遮、 呂董 描画指導をどう進めるか(その4) 表現 線撞 佐久闘 敬 難硫酸翻 はじめに 「描麟i振導をどう進めるか1その董培では,題 轡の,裂足をどうするかについそf.窪その2壕で は輔助欝と感受グ蘭1獣鋳る手癖の鞭と そ脅あ1)薄,そして紋その31。では構葱の段鐵 すすイヨにお締る指導の.鬱気建そのあり麟こついて述べ

学校給食のはじまりに関する歴史的考察 27 1月6日から3月23日まで,計12回の給食が,1回 を除いて,すべて日曜日に24人から最大で61人に供さ れていた。昭和4年度の福島第五小学校の児童数は 1,228人であった。 これは,他の児童にわからないように,困窮児童を 助けるという配慮であったと思われる。 5 学校給食状況調査から

― 58 ― まず全24項目に対して探索的因子分析(最尤法,プロマックス回転)を行い,「1つも高負荷5 となる因子がない項目」や「複数因子に対して高負荷となる項目」を1つ除去しては,再度探索的 因子分析を行うという作業を繰り返す。最終的に,「初期の固有値が1以上となる因子数」,「すべ