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ロレンスとモダニズム - fukushima-u.ac.jp - 福島大学

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H. ロレンスとモダニズム

立 石 弘 道

1

 ロレンスをモダニズムという観点で論じようと する試みは,ウルフやジョイスとは違って,困難

さを伴なう。確かにロレンスにはモダニストの面 もあるが,むしろハーディの系譜に連なる地方の 自然・風土に立脚した自然主義の伝統に立つ作家 という見方も根強い。モダニスト・ロレンスとい う見方を論じることは,一部の作品論を除いて,

       べ         ゆこれまであまりなされなかったと言ってよい。

 モダニズムの観点でロレンスを論じるにしても 条件付きであり,ロレンスがイギリス国内で文学 活動に従事した時期,1908−1919まで,作品で言 えば, 『白孔雀」から 「恋する女連』執筆の時期 に絞ることになる。その理由は,モダニストとい うある意味でとらえがたい概念にとりくむ際に,

直接に影響を与えた文人達や作品,あるいは芸術 運動とのロレンスのかかわり合いをまず,作家論 的に見る為だ。幸い,ロレンスは,今世紀,最多 の約5千通の手紙を書いた作家の一人であり,又 彼と交流のあった文人達の書簡集も出ていて,第 一次資料が豊富である。次に,各作品に実際どう いう形で,従釆の伝統からモダニズムヘの移行が 表われているかを追ってみたい。その際,特に自 然描写や風土がどう扱われているかに注意を払っ てみたい。つまり,作家論と作品論の双方から,

果してどこまでロレンスがモダニズムと関係があ ったかを見てみたい。順序として,エドワーディ アン,ジョージアン,未釆派や渦巻派の人々,イ マジスト達とロレンスの関わりを見ていこう。

 まず,ロレンスの小説家としての出発は,エド ワーディアンとの交流から始まる。H.G.ウェル ズ,G.B.ショー,J.ゴールズワージィ,A・

ベネットの四大エドワーディァンは,各人それぞ れの違いはあっても,後のモダニズムの動きに比 較すると,ヴィクトリア朝の残滓から抜け切れな いという点で歴然としたエドワーディアンだ。彼 等は社会の急激な変化を認め,社会主義的リアリ ストの見解で,社会改革に関心を示しはしたが,

実際に身をもって直接乗り出すことはしなかった

のであり,伝統が崩壊していく文化的危機の中で,

いかに自分をその情勢に対応させていくかに目が 向いていたと言ってよかろう。ショーや,一時で はあるがウェルズが加入していたフェビアン協会 の,直接的行動による革命をさけ,社会の漸進的 改良を目的とする行き方と呼応しているとみてよ かろう。彼らからは,文学上の革命は生じにくい。

 ロレンスが1908年までに親しんだ作家は,平均 的なヴィクトリア朝作家で,特にG.エリオット,

ディケンズ,カーライル,それにトルストイを 好んで読んだが,1908年に,ロンドン郊外,クロ イドンに移った後,エドワーディアンの文人達の 集まりに,数は少ないが顔を出すようになってか らは,特にショーとベネットを読んでいる。その 他,ウェルズ,ゴールズワージィ,コンラッド,

パリー,イェイッ等の作品にも親しんでいる。エ ドワーディアンの中でも,E.ガーネットが,初期 のロレンスを支持して文壇にデビューさせたし,

1916年には,ゴールズワージィのロレンス批判に 対しての弁護をしている。 また,ベネットは,

20年代まで,ロレンスを,新しい時代の真の意味 での天才として讃美している。

 エドワーディアンが自然をどうとらえたかとい う点に関して,ハーズインガーは,ウェルズの『ト ーノ・バンゲイ』(この作品のペシミスティックな 調子は,ロレンスの第一期から第二期,つまり,

 『恋する女達』までの基調音を造っていると言っ ている)をとりあげ,語り手のジョージが,結末 で,テームズ河を下りながら,古き良き英国が瓦 解していくさまを,ロンドンのパノラマ的な風景 の中に慨嘆調にみてとるところに表われていると

して,この滅びゆく,美しき,良き英国への,叙 情的で感傷的な見方がエドワーディァンの特徴だ

      し うと言っている。ロレンスはこの見方を共有したと いう。エドワーディアンにとっては,英国の良い ところは,カントリー・サイドとカントリー・ホ ームにあったのであり,機械文明と産業主義の進 出により,これらが滅びてゆくのは,英国の衰亡 であると彼等は受けとった。

 1912年10月にロレンスは,手紙でベネット批

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判をする。ベネットは,今日の英国のどうしょう もない現状を受け入れているがその姿勢は良くな い。自分は英国の古さと,薄汚れた感じと絶望感       レを洗い去りたいのだ,とロレンスは述べる。コン ラッドに対しても,英国の現状を悲しんで,降参 している,と手厳しい。つまり,ロレンスのいつ ものパターンー一時,ある思想,人物に熱中す るが,それを充分に吸収し終ると批判を始める一 がみられる。エドワーディァンは,ロレンスの進 路に障害となったのだ。

H

 エドワーディアンに取って代わったのがジョー ジアンだ。1913年の3月までに,新しい発展の舞 台を,ロレンスはジョージアンの中に見い出す。

1910年のエドワード七世の死は,根本的にはヴィ クトリアニズムの延長であった時代の終焉を意昧 する。更に1910年のロンドンのグラトン・ギャラ リーで開催された後期印象派展,1911年,コヴェ ント・ガーデンでのロシアバレー公演,1912年の C.ガーネットによるドストエフスキーの翻訳とい

う風に,ヨーロッパ大陸との文化の上での接触と 影響が顕著にあらわれる。

 ジョージアン達は,この大陸との交流には気が ついていたが,目は英国国内に向けられていた。

彼等にはシェイクスピアやカントリーサイドは,

もはや,昔と同じ意味では存在しないが,この新 しい時代と変り目の最前線に自分達を位置付けて,

古い英国と新しい英国を結びつける役目を引き受 けたようである。1912年9月に, 『ジョージアン 詩集」第一巻が出版される。彼等は,この詩集が,

エドワーディアン達の詩より,一層力にあふれ,

刺激的で,現代的であることを目指した。その為 か,この詩集は,後期印象派展同様に,芸術的に 過激である,と受けとられた。何故かというに,

ジョージアン達は当時の,言葉のあまりに詩的な 傾向を拒否した結果,言葉の使用法が日常会話の

レヴェルに落ちたこと,またリアリズムとモダー ンであろうとしたことなどによる。ところで,こ のリアリズムとモダーンというのは,本質的には 反感傷主義であり,明晰さへの願望がある故に,

抽象を避け,自分自身の体験に注意を払い,そこ に原初的で不変の真実を発見しようという姿勢で ある。ジョージアニズムとは,リアリズムと同義

1987−3 語だと言っても良いようだ。ロマン派と同じよう

に,ジョージアン達は,伝統的なものに不満を示 したとも言えよう。

 ロレンスとジョージアンを結びつけたのは,ま さに, ジョージアン という名付け親のE.マー シュだ。彼は,1912年までに,ロレンスの「イン グリッシュ・レヴュー』掲載の詩と 『白孔雀』と

『侵入者』を読んでいて,その才能を認めて,「ジ ョージァン詩集1911−12』に,ロレンスの詩数篇 をのせる。この時期のロレンスの詩がパストラル 的なものに強調を置いていたというのが,マーシ ュを最もひきつけたのだろうが,ジョージアン達 とロレンスのもっと深い意味での共通点は,自己 の外の世界と直接自分が出会い,外の世界を心象 風景として描いたというところにあると思われる。

ロレンスとジョージアンの関係は,1910〜14年ま で続く。彼は,ジョージァン達の詩を,情熱的で 個人的で,建設的で,喜びがあふれていて,新し

い時代の到来だととらえて,前の時代は古い虚無 的な破壊の時代で,そこには何も存在しなかった し,何の意味もなかったと,『ジョージアン詩集』

        ゆへの書評で述べて,ジョージアンの到来を歓迎し ている。つまり,これはエドワーディアンヘの訣 別の辞だ。

 このへんで作品を見てみよう。ロレンスの初期 の作品,『白孔雀』(1911), 「侵入者』(1912),

「息子と恋人』は,一口で言うと,ジョージアン 的な枠組みに納まる。特に第二作は,パストラル の枠組みに見事に納まっている。両作品の舞台で あるネザミアとワイト島という隔絶された自然,

そこには,森,林,鳥の声,美しい花々がある。

それと対比して,ロンドンという都市が配置され ている。 「白孔雀』では,カントリーサイドであ るネザミアの自然とコミュニティに,ロレンスは 共感している。基本的には,ロンドンにふさわし い人間は,知的で,精神的で,かつ虚色に走る,

冷たいところのある人間で,レティが良い例であ り,地方の人間の典型である農家のジョージは,

レティとの結婚ができず,その傷が長く尾を引き,

地元の娘との結婚後も酒に侵って,人生の敗残者 となってしまう。だが必ずしも,ロレンスはロ ンドンを紋切り型に悪く見ているだけではないこ ともっけ加えておこう。

 ジョージアン・パストラルの特徴は,勿論,自 然が,テーマの主体ではあるが,都市が無愛想な

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自然に対して保護的役割を果たすべく提示されて いるのであり,常に牧歌的な雰囲気で満たされて いるのではない。彼等の自然とは,ロンドン近郊 の自然であり,そこ以外に,湖水地方すら視野に は入ってこない。彼等の作品中の世界では,自然 とその地域のコミュニティの間の葛藤はなく,バ ランスがとられていて,伝統的な秩序を保ってい る。自然に根ざした社会秩序とは,ゲマインシャ フト的世界で,家族が中心で,同質的で,結合的 で,文化と価値観を共有している。これは,ジョ ージアン達が読者を大事にしたことにもつながる。

初期の頃良い関係であったモダニスト達(パウン ドやT.E.ヒューム)との関係がまずくなったひ とつの原因が,読者に対する対応の違いであり,

モダニスト達のゲゼルシャフト的な秩序では,読 者が視野に入ってこない。ゲゼルシャフト的な世 界,つまり,都市の社会秩序には,独立性,知性,

社会的かつ経済的流動性の存在,並びに家族や単 一のグループに自己のアイデンティティをあまり        ⑥依存させていないという諸特徴がみられる。

 以上のゲゼルシャフト的な特性と比較すれば,

『息子と恋人』は,ベストウッドという,美しい 自然に囲まれた地方の炭坑町でのゲマインシャフ ト的な登場人物達の生態を描いたものである。最 終場面で,主人公ポールが母の死による絶望感か

ら立ちなおって,闇の中に見える街の灯りに向っ て歩を進める意味が,実は,ゲゼルシャフト的世 界に向っているということを暗示していると読み とれる。ということは,この小説は,ジョージア ン的な世界の枠組みに納まることを示している。

そして,ロレンスとジョージアンの密月は,ロレ ンスがゲゼルシャフト的世界へ足を踏み出す時に,

必然的に解体する。ジョージアンの特性と限界は,

そのゲマインシャフト性にあるといってもよかろ う。ここで,もう一度繰り返すが,ジョージアン の自然とは,美的な心地良さであり,魅惑に満ち ていて,現実の風土とは深い溝がある。伝統的な パストラルに従って,人間も有機的なコミュニテ ィの枠組みに調和して納められている。ロレンス は,次の作品『虹』で,もっと人間と密接で,生 命力に満ち,人聞の根本的生き方,本能や願望ま で影響を与える自然を描く。この自然についての 見方のちがいや,1914年のE。マーシュとの,詩の 形式と技法をめぐっての議論で,形式,技法より も内容や人間の魂を重視するロレンスは,ジョー

ジァンと一線を画することになる。ロレンスの目 には,今やジョージアンは,柔軟性を欠き,徒党 を組んで,自己弁護的で,過去を否定する姿勢は 機械的で,そのリアリズムは不自然で,わざとら

しく映っていた。

 ロレンスに,モダニズムの運動で最も影響を与 えたと思われる未来派と渦巻派(Vorticism)の動 きを一瞥してみよう。

 1908年にミラノで,アカデミーに対立して起っ た未来派は,1909年,パリで未来派宣言をする。

その宣言の起草者であり,中心人物のマリネッテ ィは,1910年から14年にかけて,ロンドンを頻繁 に訪れた。さらに,1912年3月にロンドンのサッ クヴィル・ギャラリーで開催した34点の絵画を中 心にした未来派展は英国のアヴァンギャルド達に 衝撃をもたらす。1913年にハロルド・モンローが 編纂した『未来派詩集』は3万5000部を年末まで に売ったという事実が当時の人々の関心をいかに ひきつけたかの証左となる。1913年のマリネッテ ィのロンドンでの詩の朗読会で,聴衆は,ロンド ンの人々はまず驚き,次には笑うべきか否かに迷 った,とR・アーディングトンは記したというし,

E.マーシュは,マリネッティのパフォーマンスは,

農家の中庭を土手に擬して,寄席の出し物として        マヨは,最高のものと述べたという。未来派の考え方 は,その散文のスタイルを見ても,熱狂的で,自 己主張が激しく,押し出しの強い調子で,激しい 言葉を荒々しく性急な調子で意図的に誇張し,対 象を侮辱し,しかも全体が力に満ちているのだか ら,ヨーロッパの島国の保守的な英国人にとって は,まったく奇異に映ったようだ。例えば,1910 年と12年の二度に亘って後期印象派展を開いた,

英国のアヴァンギャルド芸術の旗手であるロジャ

ー・ tライは未来派のやっていることは全て,鉄 道旅行での頭脳の混乱を描いているだけだと批判

  く ト

した。フライの反未来派的態度に憤慨してウィン ダム・ルイスは一派をひきつれて,フライの「オ メガ工房」から去って,1914年3月にr反芸術家 センター」を開く。14年6月には,機関紙「ブラ スト』(一連の突風爆風蒸気の噴出の意味)を 発行し,『渦巻派宣言』を,参加した11名の連名 で載せる。この『ブラスト』の副題が Great

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English Vortex (英国の大渦巻)となってい る。これには,A.ローウェルに主導権をとられた 形で,イマジストグループから離れてこれに参加

したE.パウンドをはじめすR.アーディングト ン,ゴオディ・ジエスカ,ハミルトン等が加わっ ている。なぜルイスがr渦巻派」を作ったかとい うと,彼が未来派に次第に疑問を持ち,未来派を 越えるべき理念を意図したからだ。彼等の運動が 現代文明の本質を,ダイナミズムに求め,動きと 速度のもたらす激烈な感覚や,あふれるばかりの エネルギー感や,攻撃的な行動を強調しているし,

騒音や機械の讃美などという点で,未来派の主張 とかなりかさなり合う。どこが違うのかを見れば,

例えば,ロレンスが未来派よりは,渦巻派の影響 を強く受けているという見方の根拠がわかる。

 渦巻派の人々は,その宣言の中でr渦巻派は,

写実派でも印象派でも未来派(印象主義の最近の 形態だ)でもない」からr世界の外界に依存しな い」と言っている。彼等は,印象主義を現実再現 の芸術と見なしている。自分達は,教義的には反 現実だと考えていた。つまり現実再現の否認が根 本にある。それ故に渦巻派は,表現主義,ネオ・

キュービズム,イマジズムの寄せ集めであり,集 中的であり,本質的であり,自然界を絵画から追 放し,抽象的形態を目指すというルイスの考えも 理解できる。 r音楽のように抽象的な視覚言語を 構築し」 r機械の世界」を芸術に積極的に導入し

(ルイス),r形式感覚(構成感覚)の一新」をは かる(パウンド)など,未来派とまがうような語 録が数多くあるが,根本に現実再現の否認がある

ことは再度強調しておいてよかろう。また,マリ ネッティ達が否定した過去の伝統との関係を認め てr伝統は一つの美である」(パウンド)と伝統を 位置付けている。

 ロレンスの未来派に対する姿勢はどうであった かという点に移ろう。マリネッティが英国で活躍

した時期は,ロレンスはフリーダと共にヨーロッ パ大陸に行っている。交友関係からも誰よりも未 来派のことは知っていた筈だが,1914年に八W.

      ラマクラウド宛の手紙で,未来派について書くまで,

奇妙にも未来派に言及していない。この手紙の中 でr古い形式と感傷主義を排したから好きだが,

伝統と経験の細部まで否定しようとしているのは 愚かだ」と言っている。さらにr彼等の芸術は,

芸術でなく,ある種の肉体的な,精神的な状態を

1987−3 図式化しようとする超科学的な試みである」とい

う風にかなり手厳しく批判している。とは言って も勿論未来派の影響は受けていて,同じ手紙の中 で, r自分の中にあるものに忠実で,それに固執 せよという彼等の言葉は好きだ」とも言っている。

渦巻派と未来派のどちらが,どれだけ影響を与え たかは判定不可能だが,ロレンスの伝記的事実か ら,文人達との交流を追っていき,かつ渦巻派の 主義主張を考慮に入れると,どうしても,渦巻派 の方にロレンスが距離的に近いと言えよう。

Iv

 イマジズムとの関係をみてみよう。ロレンスは 1909年11月にE.パウンドと彼の仲間に,フォード

・マドックス・フォードの紹介で会っている。そ の時の印象をロレンスは, r彼の神は美だが私の 神は人生だ」と直観的に違いをとらえている。同 年12月には,パウンドに加えて,W・B・イェイツ に,E。リースの家での集いで会うが,一座の中で ロレンスは自作の朗読をする羽目になる。彼の垢 抜けしない挙動は場違いの観を呈したようで,早

くもロレンスは,社交的な集まりを嫌い始める。

1912年の4月に,パウンド,R.アーディングトン,

それにH.D.は,三原則を定めて,5月には lmagists と命名する。パウンドは,ロレンス を「変な奴だが注目しておく必要があり,私より 先に現代の主題を適切に扱う方法を身につけてい る」と,1913年,ハリエット・モンロー宛の手紙       はひで述べている。パウンドは同年に,ロレンスの

『愛の詩その他』の書評で,彼の詩の大部分をラ ファエル前派の残滓であると酷評するが,また,

下層階級の世界の描写は,40以下の詩人では誰も 彼の域まで描けないものだと良いところは認めて いる。当時,ロレンスは『ジョージアン詩集』に 掲載していることもあり,パウンドにしてみれば,

彼の良い詩のテーマも気に入らず, 『デス・イマ ジスタス』に掲載しなかった。だがパウンドは,

ロレンスを作家としては,若い世代の中の第一人       ユリ者と位置付けていた。パウンドは,1914年にイマ ジズムが完全には自分を満足させるものではない という理由で嫌になり,ルイスのr渦巻派」の運 動に参加する。

 これと相前後して,イマジストのアーディング トンとH.D.がアーミィ・ローウェルを仲間に迎

(5)

える。イマジズムは今後は,ローウェルを中心に 動き,彼女はロレンスを14年7月に仲間として迎

え, 『イマジスト詩篇』(1915)にロレンスの詩7 篇をのせ,以後強力な庇護者となる。ロレンスは,

イマジスト達とも時々,直接交わり,ジョージァ ン達とまではいかなくとも親交を深めている。文 学的影響は,ジョージアンよりも,詩の形式,つ

まり,常套的な詩型からの解放という点で,はる かにイマジズムから受けたようだ。ジョージアン が伝統的だったのに,イマジスト達は,スタイル        ゆと心情に於いてモダーンだったからだ。

 以上のように,ロレンスの軌跡を追うと,1910 年前後から大戦前までの英国の芸術運動の主なも のとほとんど関わりを持っている。直接的にも間 接的にも,当時の色々な思潮には影響を受けてい

るのだ。

V

 ロレンスは,1913年の春に「姉妹』と題して長 編を書き始める。15年1月にこれを前,後の二巻

(「虹』と「恋する女達』)に分けることを決め,15 年9月に書き始めて以来,六編目にして,まず

「虹』として出版する。「恋する女達」は,16年の 春から17年の8月にかけて数度の改訂を経て完成 する。「虹」は,ロレンスの人生にとって,まさに モダニズムの渦中にあった時期の作品である。「虹』

は,ジョージアンのゲマインシャフト的世界か ら,モダニストのゲゼルシャフト的世界への移行 の過程が描かれているという事を,ここで改めて 繰り返すことにとどめて,紙数の関係で「恋する 女達』に移ることにする。

 この作品の執筆時期には,ロレンスは,ロンド ンを去ってコーンフォールに住み(15年12月〜18 年11月),文壇から離れ,大戦中の為にスパイの嫌 疑をかけられ,色々な面で最悪の状態であった。

だが「虹』に比べるとこの作品は内容が一段と豊 かであり,難解でもあり,ロレンスの作品中一番 モダニズムの要素に満ちている傑作だ。

 ところで,モダニズムの特徴とはどういうもの であろうか。色々な考えがあるが,イーハブ・ハ

ッサンは,モダニズムの諸特質をポスト・モダニ       ゆズムとの関連で次のようにとらえている。まず,

(1)都会文化であり,以下(21技術主義,(3)非人間化 一(イ}エリート主義,(ロ)アイロニー,い)抽象化作

用等の出現,(4)原始主義,(51エロティシズム,(6)

反律法主義,(7)実験主義,などである。ここで,

反律法主義とは,法を越えて逆説を拝することで,

不連続,疎外,偶像破壊,分派主義などからアポ カリプスの方向へ向い,デカダンスと再生の状態 となるという。 「恋する女達』には,以上の諸特 徴を含め,更にセザンヌの影響,登場人物レルケ のモデルといわれる画家,マーク・ガートラーと 彼の絵〈メリー・ゴーランド〉等を含め,他にも 具体性を持ったモダニズム的要素があふれている。

ロレンス自身が,E.ガーネット宛の1914年の手紙 で,未来派のマリネッティの提唱する非人間的要 素に関連して, r自分の小説のなかに古い堅固な

自我を求めてはいけない。別の自我がある」と言 って,さらにrダイヤモンドと石炭は,炭素とい う同一の純粋な一元素であるのに,普通の小説は ダイヤモンドの歴史を跡ずける。だが,私の目に は,ダイヤモンドだって炭素であり,石炭か煤か        もしれない。私の主題は炭素だ」と言い切る。こ れは,登場人物の変りやすい性格的なものの底に ある不変的なものを描こうとしたことであり,炭 素にあたるものとして,例えば,アーシュラは大 地,ルバートは大気,グドランは火,ジェラルド は水の象徴とイメージを与えられている。さらに マリネッティの提唱する,r私」の投影の廃止の 影響を受けて,それまでのr私が全てで,私以外 のものは全て私の投影である」というr私」に固 執した信条から,r私」をとり去る方向へ,少な

くともこの作品では目を向けている。

 ここで,風土論的観点からこの作品を考えてみ る。初期の作品にあった自然,例えば, 「白孔雀』

のネザミアや「息子と恋人1のウィリー農場を中 心とする緑豊かなカントリーサイドは作品の主要 な役割を演じているし, 『虹』のマーシュ農場も 作品の前半の中心部分である。ところが「恋する 女連』になると,こういうカントリーサイド的美

しい自然は作品の前景から姿を消すと言ってよい 程だ。エドワーディアン的,あるいはジョージア

ン的な自然は,ごくまれに,注意して読めば目に つく位で,新しい舞台となる家敷(ブレンダルビ ー邸)や場所(炭坑町の反対側の,自然のあるウィ

リーグリーンや炭坑主の館のあるショートランヅ〉

が,短かいパラグラフで,何ら感情移入もなされ ず,つき離されて,スケッチ風に描写されている

    ゆのみで,いわゆる自然の息吹きを読者に訴えかけ

(6)

44 福島大学教育学部論集第41号

るようなロレンスに独特の描写の仕方はされてい ない。代って,現代の地方の炭坑町ベルドーヴァ が,あまりに醜悪に,産業主義の悪い属性が全て 内在しているかの如く描写されている。全篇にわ たって,背景への描写は,何か抽象的な意味付け がなされていて,アポカリプス的な色彩に被われ ていると言ってよい。その一例として,第9章で       しゅ

のべルドーヴァの描写をみよう。

 グドランにとって炭坑町ベルドーヴァは,暗 黒の世界に過ごす地下の男達の世界であり,その 男達の声は, r不思議な重い,油のまわった機械 の音」のようで,r肉欲的なものは冷たい機械の 欲望にも似ている」のだ。直前のシーンは,スレ ートぶきの黒ずんだ壁の家並みをグドランと姉の アーシュラが歩いていると,沈みかけている太陽 の金色の輝きが街並みの醜さを包み隠して,その 美しさが麻薬のように感覚に訴えている風景が描 かれている。黒い石炭のかすさえ浸み込んだ道路 を照らす太陽が魔法をかけるように豊かに暖かく 包み込むように照らしている。それをグドランは r偽りの美しさ」だと規定しながらも,その光景 に魅せられて,なんとなく,ここでは熱い魅力を 自分は感じて,馬鹿になったような気がすると姉 に言う。ここは,グドランは表面では嫌いながら も,近代の機械的なものに毒されていて,結局は,

自分がさげすんでいる炭坑夫達と同類だというこ とを意味付けている働きを持った描写なのだ。

u

 ロレンスは,現代の人間が人間性を回復するこ とを願い,その際自然との調和のとれた関係を重 視した。「白孔雀』「息子と恋人』「虹』の前半,

いわば,ゲマインシャフト的世界ではそれも可能 だが,自然が産業社会に侵蝕され,カントリーサ イドが消滅し,更に教育を受ければ必然的に都市 型の市民にならざるをえないという悪循環が現代 の現代性であるとすれば,こういう状況でどう人 間は生くべきか,その際男女の愛はいかにして可 能かを問題にしたのが「虹」の後半,及び「恋す

る女達』だ。これ以降の作品は,いわゆるリーダ ーシップ小説と呼ばれるもので,関心は政治的な 方に向かう。最後の「チャタレイ夫人の恋人』は パストラルの形で男女の愛を扱う。こうみると,

「恋する女達』のアポカリプス的風土における男

1987−3 女の愛を描く時に,モダニズムは,ロレンスにと

って必然のものだったとみてよい。描いた愛の世 界は不毛であり,ロレンスは,これ以上,モダニ

ズムに深入りすることはなかった。

〔注〕

(1)ロレンスを,イギリスの従来の伝統からモダニ  ズムヘと移行する過程で論考した著書としてKim  A.Herzinger:D。H.Lαwre ce∫ηH∫3T∫me:

 1905−1915(1982,Associated Univ.Presses)が  ある。本論考は,本書に負うところが多い。なお  同書からの引用は,Herzingerとして,引用箇所  を示すことにする。

(2) Herzinger, pp. 34−38.

(3)Harry T.Moore,ed.,丁五e CoJ ec∫ed Leπε  o∫n Hl Lαwγeηcε  (London,1970)Vol.1,

 P.150.

{4} 1ゐ∫菰, p. 152.

(5) D.H.Lawrence,  Georgian Poetry1911−

 1912; in Pんoeπ㍑ (London,1970),pp・3〔ン4−306・

  Herzinger,第3章及び第4章

  1ゐfd=, p.128.

  ヴォーティシズムに関しては, 「ユリイカ」

 (第17巻第12号)所収の論文,富士川義之:r英  国の未来派一ウィンダム・ルイス」に負うとこ  ろが大きかった。

  H.T.Moore,pp.274−80.

  Herzinger, p、144.

  16foL,p.147.

  Sandra M.Gilbert;ハ。重30f由∫ε頑㎝

 (lthaca,1974),PP.32−38。

  大石俊一:「「モダニズム」文学と現代イギリス  文化』(昭和54年,渓水社),245−255頁

(15) Wo皿εη∫ηLo e (Penguin Books,1983),p。59.

(1㊧ 1ゐ∫d」,p.174.

(6)

(7)

(8)

(9)

(10

(111

(1Z

(1鋤

(1心 H.T.Moore,pp.281−82。

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人員のキャパシティとも関連する数値である。国の「基 本方針」においても,一定の水準を満たさなくなった 中央卸売市場に対して他市場との統合あるいは地方卸 売市場への転換等を求める基準(再編基準)や,地方 卸売市場のなかで地域の中心となる市場(拠点市場) を選定する基準も,各部ごとの数量基準が基本となっ ている。以上のことから,本稿では,県内の4卸売市

よ」などと説教しているのでは断じてない。信仰するかどうかはそれ自体が 「信教の自由」(憲法20条)で保障された私領域の問題である。信仰ではなく、 数千年の風雪に耐え生きてきた宗教的な理念というか精神というか本質の意義 から真摯に学び、市民の心身に生き生きとした法観念を根づかせようとする法 学に活かせるものは活かすべし、ということである。心からの助けや救いを求

福 島 大 学 ISSN 1346‑6887 第26巻 第 2 号 2015年 2 月 地域の窓 フィールドに出るということ ……… 中村 陽人(1) 〔 論 文 〕 韓国における「雇用許可制」の社会的・経済的影響 ―日本の外国人労働者受入れ政策に対する示唆点⑵― ……… 佐野 孝治(3) OECD東北スクールの取り組みとその教育効果

福 島 大 学 ISSN 1346‑6887 第23巻 第2号 2012年2月 地域の窓 福島県男女共生センターの館長となって思うこと ……… 千葉 悦子(1) 〔 論 文 〕 農商工連携を目的とする第三セクター企業の経営に関する一考察 ……… 西川 和明(3) 喜多方市観光業の裾野拡大に向けて ―産業論の視点から― ……… 藤本

軽総3〉 難文繍 難論灘 松川事件とは何か 一福島大学松擁資料を素材として一 伊 部 正 之 玉.はじめに 欝鱒年8肩に癌農桑下で発生した縫翅事件は, た1んなる一地方での 薙箪転覆事件にとどまらず, 戦後史のその後の展醗に重大な影響を与える一大 事件として,今謎なおさまざまに取箸上げられて いる。 さて.その松撰事件の璽場にほど遍い纏島大学

か1冊について、その内容を要約し、著者の見解に ついて3〜4つぐらいの論点を取り出し、自分の意 見を述べよ、というものである。「読み書き能力」を 高めるためのレポートなのだが、この課題に本気で 取り組もうとすれば執筆は容易ではないはずだ。何 よりも自分の意見を持たねばならない。だが、自分 の意見を持ったとしても、それを相手にぶつければ、

山口 登:選択体系文法理論[後編 1] 41 DeakinUnivPress)で行われている。)これらの 研究は,更に,教育の中で用いられる(特に書き 言葉による)テクストの意味選択が,いかに特定 のイデオロギーによって特定方向に傾けられてい るかという問題にも視野を拡大することによって, 先の「言語と社会的現実との関係」の課題と結び 付いているのである。