同時に、すでに冒頭でも触れたように、そこに は「近代的自我=自己」(modernself)の社会的変 容の問題が伏在している。それは、近代的な「ホ モ・エコノミクス」(HomoEconomicus)の社会 的変容をめぐる問題でもある。アダム・スミスは、
「ホモ・エコノミクス」としての「近代的自我=自 己」が持つ「社会性」に関して、興味深い洞察を与 えてくれている。かれによれば,「人間はどれほど 利己的であっても、その生まれ持った性質のなか
には他の人のことを心に懸けずにはいられない何 らかの働きを持って」いて(村井・北川訳『道徳感 情論』、57頁)、また、社会に入り他の人の目を気 にするなかで「他人が自分の容姿を気に入ってく れれば喜び、嫌っているようだとがっかりする」
(同、274頁)。そして「他人の立場からどんなふう に見えているかを想像することによって、他人の 目にどう映っているのかを思案する」(同、275頁)
ようになるのである(theimpartialspectator,公 平・公正なる第3者の存在)。
このまなざしは、近年進んだスミス『道徳感情 論』における「共感」概念の再考にも結びついてい る。この点は、後でまた論じることにしよう。い ずれにせよ、この「まなざし」と「身体感覚」がコ ロナ禍で変容し、「身体的機能の延長」(マクルー ハン)としてネット空間に露出しているのである。
それは「人間存在の多数性、偶発性、多声性」とい う概念をふくんでいる(近代的自我像の転換に関 しては、さしあたり船津衛(1998)「自我のゆくへ」
『社会学評論』48(4)を参照)。
それはある意味で、21世紀になって似田貝香門 が主張しはじめた「市民の複数性」の議論とも重 なる(似田貝2001「市民の複数性─今日の生をめ ぐる〈主体性〉と〈公共性〉─」『地域社会学会年報』
第13集(13))。しかし、「パテーマ(patos)」を前提 としたこの「身体」論は、たとえば「異数多様体の 動態的都市」(urbanassemblage=“agencement”, Deleuze&Guattari(14))論が前提にしているよう な「身体の動態的なモデル」たりえていない。そ のまなざしによって可能になるのは、「足湯をす る人の語り=つぶやき」の分析だけである。それ は、「行動性向」(へクシス)がダイナミックに発 現する「現実の行動」(エネルゲイア)の分析には なっていかない。そして、その「現実の行動」が示 しうる「完成目標」(エンテレケイア)を把握しよ うとする努力にもつながっていかない。
ちなみに、似田貝によるこの「身体をめぐる 市民の複数性」議論の問題点は、「身体」と協働 関係にある「心理・魂の傾向」の3大構成要素
(パトス-πάθος、デュナミス-δύναμις、へクシス -ἕξις)のうち、「将来可能なかたち」(デュナミス,
capability)と「目的を持った状態=性向」(へクシ ス,settleddispositionofsocialbehavior)を議論 できていない点にある。これは似田貝身体論の理 論的欠陥であると同時に、そのことからくる現実 認識の不十分さに繋がっている。
ところで、拙著『グローバリゼーション、市民 権、都市─ヘクシスの社会学─』(春風社、初版 2008年、改訂版2013年)の第2部「フォーディズ ムの危機と都市社会の変容─文化、空間、環境の 現実態に関する分析─」は、ポスト・フォーディ ズム時代における「身体の問題」を扱っており、
その意味で『社会学評論』(2009年)の書評(15)にお いて園部雅久(上智大学─当時)も指摘している ように、拙著全体の構想や構成から見るとこの第 2部は論点がやや突出している。それは、拙著のこ の部分が、当時都市社会学や地域社会学では異例 であったミクロ社会学の観点から議論が展開され ているからである。
3−2 「再帰性の民主化」から「古典的・近代的 主体像の転換」へ
「身体の動態的なモデル」が必要とされている 歴史的な流れは、冷戦時代の歴史への反省から
「中央集権体制」や「共産党一党独裁」(日本では「民 主集中」という観念)を嫌い、マジョリティとし ての「労働者階級の統一運動」ではなく、マイノ リティの「集まり」(assemblage)としての「異数 多様化する蓮の茎状運動4 4 4 4 4 4」へと結びつく。そこに は、「植物の権利」や「動物の権利」など、「人間中 心主義」(1980年代にフランスの哲学者J.デリダが 唱えた「人間理性(その意味におけるロゴス)中心 主義(logocentrism)批判」の主張を超えて)の社 会観の乗り越えの発想がふくまれている。
3−3 新しい都市化現象としての“assemblage urbanism”
N.ブ レ ナ ー ほ か(2011)(16)は、こ う し た 趨 勢 を ふ く ん だ 最 近 の 都 市 化 現 象 を“assemblage urbanism”と呼び、その発想の影響下にある近年 の都市研究の動向を意味あるものとして支持して いる。J.Wang(2019)(17)は、ブラックウエル社刊
行の『都市・地域研究百科事典』(WileyBlackwell Encyclopedia)で“assemblage”概念について、も ともとドゥルーズ&ガタリ(1987,A Thousand Plateaus,UniversityofMinnesotaPress)によっ て提唱されたフランス語の概念“agencement”(英 語では“assemblage”)で、「人間的および非人間 的要素、たとえば行為者、議論の素材(発表原稿、
計画、政策など)、物質的環境(自然、都市インフ ラなど)がひとつの蓮の根茎のネットワークのよ うに結びついている様式に光をあてるためのも の」であり、「近くから遠くから、固定されかつ移 動可能な専門知識や規制によって形成される構 成要素」であり、「いつもともに現れる過程」(領 域化-territorializationの過程)であり、他方「潜在 的にはまた引き離される過程」(脱─領域化-de- territorializationの過程)でもあるような動的変異 態である。
こうした“assemblage”概念は、「異質な諸要素 の構成物が暫定的で社会─空間的な関係を形成す る一方で、つねに変化もしているような動態的形 状の都市過程」を記述するものだと述べている。
それは「運動に即した力能(=可能態)」(デュナミ ス・カタ・キネーシン,δύναμις κατὰ κίνησιν)(18)
を示している。
じつは、この「リゾーム」概念は、1980年代にポ スト構造主義的な方法論議が盛んになるなかで奥 田道大などがグローバリゼーション下における移 民の増大をめぐって、大都市都心部のマルチ・エ スニックなコミュニティ・モデルを模索する際に 記述概念として試みに用いてもいた(たとえば、
「ニューカマーズのリゾーム〈根茎〉」など)。だが、
その時点では、それが古典的・近代的でデカルト 的な主体像の転換や植物や動物や物それ自体をふ くみこんだダイナミックな進化・発展の過程とは 十分に把握されていなかったと言えるだろう(19)。 3−4 第一討論者・浅野慎一の市民社会論批判
が意味するもの
この意味で、浅野の「市民社会論批判」は、欧州 統合を目指す冷戦後のヨーロッパではもはや誰も 主張する者がなく、ただロシア共産党を保守勢力
として抱えるウラジーミル・プーチンのみが、ウ クライーナですら参加しない「第二次世界大戦戦 勝記念パレード」を行う際に微妙なニュアンスで 繰り返すイデオロギーと響きあっている。ただ、
東アジアにはまだ中国や北朝鮮など周辺国との間 に「擬似的冷戦状況」が残っており、その文脈で 言えば、浅野の「公衆衛生政策批判」「国家介入主 義批判」「中間層中心の世田谷まちづくり運動に 対する懐疑」は東アジアにおける「イデオロギー 的残滓の反映」であり、第二次世界大戦後、とく に第1回東京オリンピック直後の1960年代におけ る議論や物の見方を依然として引きずっていると も言えるだろう。
ちなみに、浅野の著書(2005)『人間的自然と社 会環境』における「人間的自然」(humannature)
への見方は、マルクスが生まれたヨーロッパです らもはや支配的ではない。それは「assemblageの 都市化」論がヨーロッパ発の発想であり、そこに はたんに「人間が自然の身体」(『経済学・哲学草稿』
岩波文庫、p.94)であること以上の意味がふくま れていることにも、「本来的に(αυτό καθ' αυτό, initself)対立して」いる。
ただ、「英国変異株」や「インド変異株」の日本 への持ち込み、あるいは「生物学的な身体性向」
(biologicalandphysiologicalbodilyhexis)に影響 を与えうるワクチンの大量接種が日本の地域や都 市の生活にもたらす影響があるとすれば、大会シ ンポジウムで報告者である町村敬志も示唆したよ うに、「人間が自然の身体」であるような物質的循 環過程の変容の問題をグローカリゼーションの問 題として、たとえば「内発的発展」の質の問題と して問う必要はあるだろう。この論点は、討論者 浅野慎一の前著に記述されたポスト・ヒトゲノム 社会の問題とも響き合うテーマである。
しかし、そのような問題に対して「生命─生活 過程、自然─社会─文化をトータルに把握する統 一的視野」(=「人間発達の学」、すなわち「布施鉄 治流マルクス主義の新しい外套」)を持つ必要が あると主張するだけは、21世紀の都市現象の複雑 さを把握するには不十分である。
こうした論点が示される日本の学会状況は、マ
ルクスの生誕地である、ドイツ、フランス、ルク センブルク国境にある小さな町トリーアに、依然 として功績の顕彰のために記念碑を贈呈するのが 中国政府のみであり、ドイツ政府ですらその顕彰 行為に困惑(迷惑)しているのに似た状況にある と言ってよいであろう。ここでは、時代が半世紀 以上遅れている(20)。