コア・がヌキュラム構想と「総合的学習卦「鮭会科学習嵯縫〉 ii
コア・カリキュラム構想と「総合的学習」・「社会科学習達(H〉
三層四領域論議一
臼 井 嘉 高 宮 文
一(社会科教育)
枝(大学醗教育学麟究科)
本稿は,戦後馨本の教奢改革麹にカ》キニラム編成の今後のあり方を鍵講的にも,実叢的にも大 きく穆一ドしたと考えられるコア・力彗キュラム連盟1こおける力彗キュラム編銭をめぐる諸論議を 主な素材とし,それらを分損・験討することを通して,今馨的潤題となっているヂ総会的学習」及
び「琶会科学習」のあむ方をさぐることを欝的とする。
「亙」で慧「戦後鱗難のコア・カリキほラムの構造譲議ゴヤ「叢匪で濾ゼ三遷蒙璽傾壊論議」(末尾資 料年表参照〉,そして「難」では縢本縫合の基本開題と娃会科がナキュラム論議葺,さらに「癬」
では縮教総数糞課程構想とゼ総会学習領域遜譲議藩をそれぞれ分響・検討し,今後のがメキュラ ム緩成におけるr総合的学習雌及び「被会科学習」の盤置と意義について我々なむの問題礎起を試 みている。
(キーツード)コア・力華キュラム 三懸羅領籔 嚢本縫会の基本幾題 総合麟学習 歓会科学習
V 「三層匹領域」論と勝霞・梅根論争
嘩.はじめに
コア連によるカ1声キュラム構造霞姦は.遜毳毳菱葺究とあ わせて,コア連傘下の実践によって,「三屡羅領壌」
論へと発展させていくことになる。生滅と教奮の関連 の幌点から力撃キュラムを考えるコア連は,その購造 を醗確死していく。コア連によるヂ三鷹欝領域藩論は,
コア・カ!タキュラム運動に嬉して翻えられていた批覇 であるrはいまわる経験主義」,「学力低下ま,ε鷹式主 義」などに蝿する繧答でもあった。
ここでは,まず「三懸懸領域雄論の構造について,
「コア・カリキュラム」からどのように発展したのか を考察していく。次に,欝S2年のi月から欝欝にかけ て雑誌蓼教育嘩とゼカ馨キュラム薩にまたがって展開 された教育論争である騰懇・権根論争に着目する。勝 田・権根論争はコア連が野三屡響領域]論を展醸する うえで,その意臠するがずキュラム構造論が広く周知 されたとともに,「三屡響領域]の閤題点を明らかに し,コア連が新たにその構造論を反省的1こ受け生め,
これまでの教科否定の立場を反省し,教科としての
「社会科3の{立直づけを意識するきっ力纏ナともなった 論争である。
ジ三層襲領域藩論のしくみを考察し,勝懸・梅穣論 争を見て行く申でその位置と役割1こついて明らかにし ながら,コア連の力嘆キュラム構造論がどのように展 開していくのかを検討したい。
2.「三緩響領域」論の検討
中心課程と周辺課程という平露1的な力喜ナキュラム構 造譲は,號達したように,中心課程から欝常生活課程 が分化し,また周辺課程にかわって,ジ技能課程」「教 養課程暴が設けられ,醒課程となるが,この獲課程構 造論をより詳縦な多面的内容をもつ構造譲へと変俺さ ぜ,掩根嬉氏はヂ三屡麩領域葺論を礎案することになる。
梅機氏の構想するr三懸羅領域」論について考察し
たい。
筆者な瞬こ「三屡構造」論については,號述の醤課 程ととも毒こ分析すると次のとお善となる。
中心課程から分化した霞常生活課程は,その地盤を 確立するのみならず,梅根氏が主張する「生活教育が 実藤の生活実践の中で人聞を育ててゆくことを本来の 面欝とする以上むしろこの課程こそが基底的な翻分涯
(蓬生〉であるコアとして重視され,薪三鷹」構造の一 屡としてその綴織建が試みられた。また,中心課程に おける「ごっこ」的鐸業単元の内容を再購成する努力 が行われヤ中心課程(薫作業単元)について「本来の 意味での簡題解決的な単元,子供たちが彼等自身の当 面している問題,彼等がその申にいて,そこでのその 聡題的シチュエーションの中で生きていながら,その ことを霞覚しないですごしている総題,とくにわれわ れが教育目標議でと鯵上げた歴史的幾題をと鯵上げさ せ,自覚させて,それを彼等の共講愚考によって解決 させていくような単元に切む替えるべきではないか」
(下線一引灘者涯)縫2)と考えられるようになり,
中心課程が問題単元的要素を強調して「問題単元課程」
i2 簸島大学教畜実践醗究紀要第爵号 緯総一§
という一つの騨として明確に簸置づけられたのである。
次に鰻課程の技能課程,教養課程は,「系統単元課 穫」としてまとめられた。この系統単発課程の位置づ けについては先の目常生活課程(=以下生活単元課程 とする)・霧懸巣元課程の講者についての「思考的な 支柱をなすもの」とされ,葬さらにこの両者から蟻機 付けられ発展しながら,この講者に科学的な支柱と技 術的な遵糞とを擬供するもの」(窪3)として「三屡購 造」論が醗置され,生活単発課程,問題単元課程,系 統単元課程の「三暦構造韮譲が確立されたのである。
また,麟寺に,夢教育馨標識でとり上げた歴史的開題」
と腰1連づけられる夢響領域3譲が重ねあわせれられる
ことになる。以下に晒領域3論について考察したい。
「懇領域」譲1をどのよう1こ導き墨したかについて穣1 穣氏は次のように述べている。
「この響つの籟域丞分の{土方尋ま社会機能法であるか,青 少年欲求法であるか欝iう人があるなら,われわれはその晦 れでもあり,その侮れでもないと答えるであろう。たしか にこれは雛会の臨大機能である。また青少隼の生活総懸や 欲求も瓦そこの羅っの領域において生ずる。これはその意 味で問題領域であ穆,欲求領域である磁(注4〉
梅穣氏は,「醒領域」論について「被会の羅大機能」
としての懇題領域として,また「青少年の生活開題や 欲求葺としての欲求領域として新しい領域講を展聡し た。コア連は権穣氏の遅論を土台として雑多な歓会機 能の羅列をさけて「羅領域」である「健康・経済(§
然)・筏金・表理建を設定したのである。(霊湯 この当時,がタキュラム権威において「祇会機能法」
については,コア遵内部において多くの閣題点が指矯 されていた。
海後勝雄氏は,「栓会機能法まの開題点について次 のように述べている。
らえきれないことを捲嫡し,「問題鑛域法」の導入が が声キュラム構成に必要であることを遠べている。
また,広縫亮蔵氏は,「牧歌的なカサキュラムの§
己概判雄ぼ力撃キュラム墨騰灘年3月号)において,
「今後の駿が蟹の危機的課題」として駿.生産復興 2.
輸慈振興 3.麟遷代姓払拭」をあげ,この課題が経済 や政治の課題であるととも,賜接的に教育の課題であ
鯵慧標であることを捲擁しっっ,「歓会機能法暴にお ける幾懸を次のように行っている。
「韓生活集鑓,とくに家麩・地域社会・蟹家・轡罪な どのゲマインシャフト醜業鑓麺1機能法では麺握できない。
それ敏に 経験領域の鉱大野という心建学的擬装のもとに,
これらの生活集鐡をシーケンス1こ醗籔するような,妙な芸 当が必要となる。鱗挙党構成が葬常に蟹難な技衛となむ,
名人芸が必要となる。もっとも一機能一単元の誘類的単充 構成の時代は,この靉靆はまだおこらなかったが,一単元 数機能の褒行単元講成一そしてこれは重しい方法である一 では,娃会機能を数籔総会せねば単元ζま成立しない。しか
もこの総合縁娃会機能密体からは導かれることがまれで,
多くの場合は,縫の糠豪(こどもの痘癒する生活羅題)か ら導き鐵され轟ばならない。ここにおいてスコープは単元 構成の漂泉的地盤を失い,単なるチェック一夕ストとなる。
13/縫合機能法はあま鯵に雛象的な一般彩式である。それ はどこにでも遍羅するだけに,どこにもびつた馨とあては まらない。涯(注7)
以上のように,コア連内鋸において,捷t会機能法諜 についての幾判がはやくから行われておむ,梅根氏を 中心とするコア連独嚢の「渥領域」の選論の展雛へと つながつたわけであるα
コア連は欝騒(羅秘26)年3月,愛知藥春雲井にお いて,瞬年8月には新潟において合縁醗究会をひらき,
力穿キュラム構造i講を次のように控i撮した。(濫8)
「老圭会機礒豊をスコープに挙げるという目的1ま, この綴毒こ よって,社会の課題をもれなく拾ってゆこうとするところ にある。そのためには,娃会そのものの現実をなるべく完 全に捉えることのできるワクであることが遜懇なのである。
ところが縫合の褒美は,その機能の角慶だけでもれなくつ かめるかというと,そこに開題がある。社会機能とは,抵 会そのものの働きの奮を撫す。しかし鮭会そのものは,家 族とか,地球栓会とか浸族の飽に,教会などの集霧からも 捉えられるし,§然に饑きかけるのか,入閣に饑きかける のか,交せ象毒こよる分華憂もできるのである。 このよう尋こ,老妻 会の現実は,単に一つの鰭灘からだけでなく,いろいろな 篤農:から光線をあてて疹かなければ,立簿的に浮かび上が
ってこないものなのである。」(縫6〉
海後氏は,「社会機能法3では,ゼ社会の現実3をと
野春欝詳集会鞍告の検討から欝標→構造→学習方法につ いてそれぞれの性格を瞬らかにし,椿互関係を究織して,
蒙本の独立を罵能とす籔本条件となる錘史的桂会的な教欝 麩標をきめた。馨毒嚢は左の獲iつであるσ
・生産み蕎度乾と経済§立
・藩遷代性の払拭による買主主義の確立
・平秘愛婬と馨鰹強調
・窮乏よむの解数と生活水準の食上(目標には髄常的§
標と麗史的鮭会的目標に分けてとらえる必要があるこ とが験討された。)」
r懸領域3は全体として羅っの目標譲r生産の高度
化と経済§立」「繭遷代雛iの払拭による民霊主義の確 立」「平秘愛好と蟹燦強調藩ゼ窮乏よ穆の解数と生活水コア・が!キュラム権懇と彩総合的学習卦「琶会科学習3穣) i3
準の向上」に対応するものである。
こうして「三屡懸領域」議1が以下のようにまとめら れた。轄§)
至 生活実践コースは子どもたちの欲求をのばし,さまざ まな盤三活畢こ遜蜜慈させ, 露営的な問題(今解決をさせる。選i 代靴された多蝶な実践.自然的猛雛麟な実践がねらいで ある。
登 生活鉱亮コースは経験と基礎の統一,農密約思考によ る経験の発展,よ鯵高度な生活への総合的な鰻題解決を させる。整史的縫合約複野にたっ魏購鶴思考による計麺 的な野絹題解決がねらいである。
麗 基礎コースは,科学・技嬉の基本の確実な習霧をさせ るむそれは練習によって高める基本的な技能であ鯵,能 プ葬こ応じて欝凄饗し活垂むし簿る基本的な矯識と技能である。
i表現国会i経翻然)}懸1
麟出謙次氏は,教科尊重の立場から,コァ達の「三 馨獲領域」譲について次のような繊判を行っている。
彰ところで,その三麟檎造論において絃,問題解決学習 には,実鰹開題解演として,麟知的遅解にとどまる開題 解決課程(生活拡充課程)と,121実践的解決にいたる実 践課程(嚢常生活課程〉とがあむ,纏1さら蓄こ碧塁論離籍1題 解決(疑闘解墾)のために,基礎課程がおかれた。三屡購 造において,基礎的知識と技能の習欝をめざす基礎i課程の
しめる泣羅はもっとも{羨く, したがって, ここでは以舞彗と して,鷺i識・技能の系統牲の学響が軽擬されていたといえ
る。」(搬聖)
一
!!
て 圏撫懸、、
(漬購書注 基礎コース業系統雛元課程,生活鉱売コー ス#緯題挙元課程,生活実践コース罵生活単元課程)
糞体的には,篠警袴の麟を「経験と基礎」に区分し それらを各々下から「生活の実践=生活実践コース瓢 生活単元課程」「生活の鉱1発=生活拡充二3一ス罵賜題 単元課程」野基礎的鰭識・基礎的技能=基礎コース罵
系統単元課程葺の荘緩とし,縦割むの「健康・経済
(甕然)・縫会・表現3の露領域とを璽ねるものである。
コア連は,多くの譲議を展開しながら,中心課程と 周辺課程の舞1心饒的力謬キュラム購造論を「三緩1霞領 域」論へと発展させた。「三題羅領域」譲の会誌構造
は,その名梅の変イとは様々であったが,ほぼ次のよう
に春窪定した。(涯緯〉
(三籍)
鱒 雛常生活課程皿生産的活鐵1(子鋲にとっては遊びであ りおとなにとっては生産労働そのもの〉の中で,生活の しかた,労働のしかたを学ぶ課程(これを梅糧は,のち に「実践課程」ギ生活単元課程」と響びかえる〉
麟 中心課程m主に嫉会科を念頭に置きながら,瞬題解決 的思考を育てる単元学習の内容を構想・構成する(のち 1こ葬問題解決課程」「問題単元課程」と辱びかえる〉
麟 系統課程m文建遺産を系統的に身につけさぜていく課 程(のちに「基礎課程」「系統単元課程」)
(鑓領域〉
健康・経済(または§然),被会,文化(教養・娯楽〉
以上のような「三屡饗領域重論に対して,問題点を 蓬1摘する声もあった。
麟出氏は,碧玉薦購造墜譲において,題題単元課程 が中心におかれ,その開題単元課程の枠内にとどまる 基礎課程の設定であるとみ鏡覇であり,船出氏は教科 尊重の立場から,コア連に対してヂ知識・技能の系統 性の学習の軽望郷を擬睾臆として強課するものである。
また,コア連携藻において,広緯亮藏氏は,「饗領 域は適当か3と間い,次のように述べている。
「難領域は醸究過程(薫開題単元課程〉には,いかにも 好適である。しかし実銭課程(業生活単元課程〉のスコー プを示すものとしては,それ縁ど適当でないかもしれなも㌔
実践課程(誰藍玉活単発課程)1こはもっと適当なスコープが あるかもしれない窃臨領域が破綻をきたすのと思われるの は基礎課程(凱系統単元譲穫)である。ことに国語,数学 の重要な基礎能力は,表愛,社会,経済,健康の獲領域の ど銑か一つの領域におさめることは無礫である。むしろ残 領域の全誌に通じる形式能力である。したがって基礎課程
(業系統単元課程〉を淫しく領域窮しようとすればたとえ ば御影式(言藷と数量〉,麟内容(雛会と察然〉.麟表 現(音楽と造影),韓健康(鉢畜と媒健〉,{51職業などの 琴錘の籠購を灘墾ねばならないことになる。要するに三つの 課程は,それぞれ独察の領域分類を繕いるのが,事実的な 行き方ではないだろうか。三鷹を通じての,共通な響領域 雰彗はかなむ籔式的であって,璽実には無遅なようである。」
(懲2〉
廣岡氏縁,「醒領域」が「藩究課程(馨賜題単元課
程)」においては妥当であるが,飽の「実践課程罵
(生活単元課程M「基礎課程(竺系統単元課程〉」に妥 当でなく,「三鷹3それぞれのヂ領域分類重が必要で あることを指摘している。
難山氏と廣岡氏の翫判から,r三属懸領域三論を筆 者な瞬こ考察したい。
「三屡濯領域」譲は,ゼコァ・力蓼キュラム」から,
その構造をよむ詳綴かっ其体的なカ》キュラム構造理 譲の震闘へと発展した理講である。筆者は,コア連に よるがノキ講ラム構造論の発展における「三鷹構造窪
澱 轟轟大学教育実践硬究紀要第3§弩 穏9§一6
論への到達は,力勝キュラムの土台を構築するものと して簸値ある産麹であったと評慰したい。しかしなが ら,ヂ三屡難領域]講の中心は「開題単元課程」にあっ たということは否定できないG麟出費が教科蓉重の立 場から,ギ三馨輩1こついて,r系統単元課程雄の位置づ けの弱さを捲擁しているが,コア連による新桑統単元 課程」の位還づけは,周翼の続刊に答え得るだけの覇 確なものとは奮いがたく,r学力低下」論の紡備とし ての役割に壼まった観がある。また,廣岡氏の幾判に もあるように,ε難領域葺の妥当牲について,「縫題単 元課程」には妥当であっても,勉の彩生活単元課程涯
「系統単元課程]には妥当でなく,また,紅系統単元課 程」において基礎能力を「健康・経済(自.然)・社会・
表現垂に収めることが可能であるのか,その具体的な イメージを措きにくく,特に「よみ・かき・そろばん3 などは鰹領域の一領域に収めることは無運であるゆこ
こにも醐題単元課程」のみを重複するコア連の姿勢
がうかがえる。以_とのことから,コア連による欝三緩響領域」論の 課題として,「系統単元課程3の位置づけが再度課題 として提議されたのであり,「系統単元課程」の位置 づけの講議が展麗する中で,「教科≦についてコア連 内記が意識するようになるのである。
ヂ三たび社会科について一 権摂氏の翫講に答える一」
(ゼカ1タキュラム匪躍秘27 年8鴛号)
「勝懸氏への手紙一社会科 について一」
(ゼが博ユラ雌昭魏7i
聯窮) 1
当時,壽ア連に撫聾し,文部省による学習捲導要領,
教科書編成にも携わった馬場響部民は,勝懸・箱根講 争について次のように評している。
「この譲争は,当時,嚢本の被会科教育の方構を決定す る上に,最も捲導的な影響力をもっていて,二人の箏一ダー の織1こ交わされた警ップ・クラスの鍵論闘争であった。そ してこの討論の過程を見守ってきた多くの縫会科教懸たち の鷺にも,スケールの大小はあれ.,講じような現場におけ るホットディスカッシ葺ンが展欝彗されていったことは当然 である蓬(溢1欝〉
馬場氏が評するように,勝蟹・梅根論争は社会科教 費をめぐる重大な講争であった。また,この講争がコ
ア連の「三絶i轡領域」論を広く霧知させ, さらなる幾 覇を受ける契機ともなる。このような偉大な講争であ
る勝鐡・晦根論争がどのようなものであったのかを縷 説したい。
3.勝霞・梅根論争の検討
構 位置づけ当彗寺,梅穣{喜氏1まコァ・カ1ナキュラム連鷺(略称1 コア連,舞召零轟23年蓑)月結成,機関紙謬力1タキュラム遷)
の理論的琴一ダーであり,勝霧守一氏は,教育科学醗 究全蟹連絡協議会(酪称=教科麟,昭報燃犀結成,機 閣紙野教育選)の振導者として活躍していた。
教科醗は,機鑢紙ゼ教育選(昭穣2?年i月号)で
「社会科薮鴬挺宰むの特集を緩んだ。その中で,かっ て文藻省にあむ中学・高校の蛙会科麟設に仕事にもた ずさわった勝灘氏の紅社会科をどうするか」の畿判に 帰して,擁根氏が「被会科解体論に反記する∫という 鐡鵯を揚載したことから勝蟹・権根論争が展開された。
この論争は,欝5頭昭秘解)年のi月から欝欝にかけて,
雑誌ζ教育蚕とゼカ蓼キュラム誰にまたがって麗麗さ れた論争である。資料については嶽下の選書である。
資料(勝露・梅根論争)
勝 蟹 嘗 一 権 綴 羅 菱縫会科をどうするか」 ゼ社会科解体論に灰繋す ぜ教育遵昭秘留年i稽号) る3
確教畜轟紹鞄解隼i月署〉
5生活教育と縫合稗」 「問題単発における地響と 一鏡鞍こ答えて一 歴史一勝懇守一氏の徴鵯に
(蓼教奮誰軽石穂27算2月号〉 こたえて一」
(蓼力1フキ・ユラム遜 羅秘27
隼5丹号)
{齢 論争を見る視点
勝懇・権機論争については,各氏が講評を行ってい
る。
馬場翼躯氏尋ま,次のように述べている。
r…最後に勝欝が鮨擁した盤活教奮は生活綴馨方による 教奮によって敗遺するべきであるという鍵案に渇しては,
無着成恭のゼ出ぴこ学校露を羨驚しっっ,それ,は一つの裡 会科教畜であったという展1灘に立って,騎遜が被会科を基 礎課程的なものに暖いあげようとするのに繁して,権掻は それを生活詣導的嫁ものにひき下げる努力をしていること を明らかにした。勝懇は『生活捲導と教蕎課程の統一壌を 提案するのに難して梅根のそれは匿生活課程と教奮課程と の統一虚という意殊に解毅できるとすれば,遜人の見解は 横本善こおいては一致することになる。権}糧はこのように講 者の論点をみずから整鍵して,その一致点をさぐむ鐵した。」
(滋嘆)
馬場氏は,勝醗・梅根論争について.勝懇氏のヂ生 活指導と教畜課程の統一」と権根比のゼ生漉課程と教 育課程の統一」という意味に解殺することによって両 者の論点は一致するとしてこの講争をまとめている。
また,今野盲溝氏は,擁根・勝密論争について次の ように遽ぺている。
「…勝総が当時の教育界の内磐で反響を響んだゼ山びこ
コア・力譬事ュラム欝懇と「総合的学習塾r娃会葬学習」(叢〉 i5
学校遜の実践を評纒し,そこでゼ生活詣導と戦費遜程の統 一凄によって『はビめて真の生活教育の開搭が耐能である遷 と言及したことに雄して,麟熱まこれを旗遜遜解への重 要な手がかむ壽だとしナ郵無着約社会科を力琴キュラムの コア的藻分として認めるなら,社会科を歴史や地遅などに 解修することに反辮でない凄との見解を最後に示したので あった。すなわち,勝灘が生活綴鯵方の実践に晃られる 罫生活捲導誰的灘面と教科学習の領域とその内容構成とを 統一する授点紛うちに,摩真の生活教奮露的置去懸形成の 教育課程誰の舞萎成課題があることを示唆したことに鰐して,
権根も壽移キュラムのゼ全俸構造としてみれば,それは瞬 じ見解に立つ壽ておむ,そこに蓼まさに生活的なコースと 教科的なコースの統一遺を志聾する点で疹共通の地盤遺1こ 立っていることを確認したのであった」(滋萄
めに,両者が系統牲と社会縫題をどのように位護づけ ようとしているのかに着目し,分析するための観点で
ある。
三つの槻点は,勝欝氏の購恕する社会科と権根氏の 構想する袿姿科を明らかにするために設定した観点で あむ,濡せてコア連がこの論争をその後の活動にどの ように生かして聾・つたのかを験討する上でも大切な観 点であると考える。
∈3}勝獲・海根論争の分損
① カリキュラム全体をどうとらえるのか(軒教科」
と「社会問題領域壼
勝遜氏は,縫会科の目的について次のように遽べて
いる。
今野氏も,馬場氏と瞬じように,勝鑓・梅根論争に ついて,勝懇氏の「生活捲導と教育課程の統一」の擁 点と梅根氏のヂ生活課程と教育課程との統一墜の観点 をr共通の地盤」として確認したとまとめている。
以上のように,馬場氏と今野氏は,勝懸・権根論争 について,決定的な対立を意嫁するのではなくゼ構一 陣営内部での意見講整葺としてとらえているのである。
(塗δ〉
また,馬場氏や今野氏は,勝鐙・鐵根講争の講者の 相違点は紅教科」観であったとしている。つま鯵,勝 露氏が社会科を一教秘とし,その内容の系統的な構造 に生活学習のあむ方を求めるのに対して,梅根氏は歓 会科を「超教科的涯な「コア・コースゴとして,三麟 構造の中の翼題単元課程と系統単元課程に分け,娃金 牌を生活課程にとどめようとするところに違いがある
とするのである。纏欝
馬場氏や今野氏の勝露・権根講争の評纒の鏡点は大 変重要な授点である。
そこで,筆者は,馬場氏と今野氏の論濤に基づきな がら,なぜ勝懇・梅縷論争は,その後のコア連の活動 に多大な影響を及ぼした重要な論争として位置づけら れるのかを明らかにするために以下の視点をふまえて 論争を分析したい。
① がタキュラム全体をどうとらえるのか(ゼ教科」
と「縫会問題領域3〉
③ 縫会科をどうとらえ,どう位置づけるか
③社会科をとらえる圭で,歓会問題と系統性の位
置づけについてどう考えるのか①の観点については,コア連が力婆キュラム全体を 常に考癒しっっ遅論を展開しているのであり,力琴キ ュラム全体との関連にっ聾・て講者の違いを瞬らかにす る必要がある。
②の梶点については,先述の馬場氏や今野氏も述べ るように,講者の被会科観の違いについて考えたい。
③の槻点につ継ては,②の撹点をよむ醗確にするた
「一娃会科の§的については,その本来の方向であるべ きところの.賛本縫会の餐主化をめざして,子僕たちの娃 会的成長を麹待する線を整持する。しかし,民主牝とは漠 然とした擦藷1こ鑑まってはならぬ。人懲性と金運牲と1こ立
って,鍵本縫会のもつ遅れた面,購い現実を克織して,醒 罠大衆の生活水準の晦、と,人覆関係の遷代紀をめざして,
社会的短牲,合法的な社会改造の意欲と能力を子僕たちの うちに費て上げることを実質的に企鬱しなければならぬ」
(溢き〉
以上の霞的を現実の課題に羅して考えると「人間形 成の教育過程の一部である社会科の綴織と運営とを検 討しなければならぬ雌と壷張するのである。しかし,
勝懸銭は,力婆キュラム登簿購造論については瞬確に 述べておらず,「子供たちが学びとらなければならな い緩織的な知識,科学的な愚考を発展させるのに必要
な原則的な機念の甕握の重要性」鍵獅について系統
的学習としての祇会科の位置づけを強調するものであ る。そして,小学絞五年で8本地遷,六年で8本歴史,中学校一,二年で歴史と地蓬,三軍では経済的・政治 的・職業的文化的な内容(公民),高校では一般社会 科を廃止し,一年で人文地還,二隼で欝本史および穫 界史,三年で境代の諸開題(仮称)=(公民)をそれ ぞれ空とする単元構成を主張したのである。
これに対して,晦摂氏は,勝綴氏の主張について,
歓会科解捧論であるとの換覇を行う。権穣氏は,縫会 科は野諺教科がそこから発展し,また逆にそこに活絹 される異体的な縫会生活上の諸簡題をとりあげ,その 解決の道を探究するいわ砂る難題単元課程である」と 述べ.r三屡講造ま論1こおける購1題単発課程」驚娃 会科と考え,教科としての棒を越えた「コア・コース としての社会科≦を主張するのである。鍵鋤
晦椴氏は「三鷹懸領域蓬の「三屡構造」譲の申の
「問題単元課程」としての縫会科を力箏キ藷ラム全体 構造論に位置づけようとしたものであむ,ここに,勝
藤 纏島大学教育実践砺究紀要第爵号
瞬氏と梅根氏のカ1タキュラム金棒のとらえ方の違いが ある。勝遜氏が教秘としての蛙会科をとらえることと,
毒摂氏が三屡の申の…屡としての社会科をとらえるこ ととの差異.が見られるのである。
②社会科をどうとらえ,どう位置づけるか
それでは,勝螢氏のとらえる社会科と,晦搬氏のと らえる社会科とはどのように違うのだろうか。
まず,勝欝氏のとらえる社会科とは,飽の教科と懸 じ一教科である。また単元とは「経験と知識(文化遺 産として,簸念的に一般化された系統をもったもの)
のまとまり」である。しかし勝田氏が考える社会科と は,「伝統的な教科主義」1ことらわれるものではなく,
故に,「開題解決学習」やヂ生活教畜」を否定するも のではない。開題解決のために「経験を越えて緯織さ れた知識」や「科学の系統的綾織」を含めた系統的学 習である一教繕としての歓会稗を購懇するものである。
騰蛋民が撮案ずる社会科は「伝統的な教科主義」をこ えた新たな被会科が提案されていると評懸できる。
逆に梅綴氏によるジ三馨弱領域」講に位置づけられ
た社会科は,教科という機念はない。教科ではなく
野コア・コース」としての歓会科なのである。この霞 題単元課程(二社会科)を基盤とし,中核として,さらに地理・歴史・社会学・経済学等の系統的知識を系 統単元課程として綾羅づけるというのである。晦根比 の織恕する琶会科と系統的知識との位置づけに対して,
勝溝氏が権根氏の構想する鮭会科憂)ほうが「伝統的な 教科主義」ではないかという幾麟がある。基礎として の地理・歴史・娃会学・経済学等の系統的知識を分化 させるという方法が「伝統的な教科主義韮であると勝 鑓氏は述べるのである。
③ 社会科をとらえる上で,娃会問題と系統性の位置 づけについてどう考えているのか
梅根氏は勝遜氏の社会科について「賜題解決的愚考 の生活姓・異誌牲そして総合性或いは超教科性を認め,
健ってそれを一面にお》て保持しながら,飽嚢におい て教科的,系統的な知識の確保という要請をも講鋳に 満足させようという,重点づけられた問題解決学習を やらせようとする誹被会科であると達べている。(甚劉 つま鯵勝馨氏は社会開題と系統性を総合的に学習する 一教科としての社会科を構想しているのである。これ
に難し,権摂氏は「この二つのもの(罵系統盤と社会 簡題)をはっき蓼と区別して一つは簡題単元とし,一 つは系統単元として,一つは問題単元課程の単元,一 つは基礎課程の単元涯として,被会問題と系統牲につ いて「三懸構造」の中で靉靆し,がタキュラムの全体 構造に位置づけようというのである。(蓬22)ここに,
勝蟹氏と晦根比の社会科観の大きな違雛がある。
緯鱒一δ
勝醗・権綴譲争は.お互》の構想する社会科の違い を講議しあい,権互の娃会群鶴の長訴・矯駈を瞬確に した。海根氏は論争の締めくくりとして次のように逮 べている。
「とにかく,あなたが置生活捲導と教科課程の統一遜と いう観点をはっき離濃されたことは,私どもの共通蓬解へ の重要な手がかむだと懇継ます、このあなたの露葉を私な
りにゼ生活課程と教科課程との統一凄の意味だと解してお りますが,それでよろしいでしょう毒㌔それでよろしいの なら,力瞬キュラム構造について,あなたと私との闘には 綴1本的な違いはないと申していいのではないかと患う磐で
す。」(注23〉
勝懇氏のとらえる歓会科は,力婆キュラム構造講が かけてお鯵,晦摂氏の社会科は系統性の位羅づけが瞬 蘇である。それを樽互に露覚する意稼において,重要 な講争である。梅根氏の撰案ずる藍玉磨蟹領域」論の 系統単元課程は,開題単元課程に社会簡題を分けてし まったために,縫合霧題を欠落させたカ1ヌキュラムな のである。
梅根氏姦ま「三屡灘鎖域3論を展開する申で,勝難民 との論争によ滲,問題単発課程との関わりにおいて,
系統単発課程を教科単元として意識することになる。
瞬 まとめ
「三馨欝領域擁論議め麗麗の中で,勝密・轟根論争 が重要であるのは,「三屡響領域墜講の課題を萌確に
したことであ鯵,また賎達したように,講者の鮭会科 観の違いを明毒窪毒こしたことである。
勝蛮民は,挺会問題を含みながら,問題解決的思考 の育成を考慮しつつ,瞬時に系統的な知識の確保をめ ざし,地理・歴史・公民(政治・経済・娃会分野)を 位置づけた教科としての「社会科墜を構想した。
これに端し,撫根比は,社会問題を「問題単元諜榿 に位置づけ,地理・歴史・公民1ま「系統単元課程」に 位置づ捗るという,勝鐙氏とはちがってその内容を二
分することを主張するとともに慮教科としての娃会
科3である領域としての「娃会科」を構想するものである。
勝霧・旛根論争によ鯵,コア連は野玉磨懸領域擁論 を周知させたばかむでなく,勝醗氏の構想する教科と
しての「社会科ゴを意識しっっ,擁根比の構想する
「後会科」を含めて,それぞれの長湧を生かしていく ことを重要な磯究課題とした。つまり,これまで教科 否定を主張してきたコア連が,勝密・権根論争によっ てその立場を反省的に受け生め,今後の醗究課題とし たことの意義は大きい。コア連はヂ教科としての娃会 科韮を意識することによ吟,「曇本社会の基本問題韮
という縫合稗力移キュラムの構想を提起していくので
コア・力琴キュラム構想と署総会的学習」・「羅1会季導学習」(登) i7
あ鯵,麟雛・梅穣論争雄そのきっかけとなった重要な 論争であった。
(資料〉駐本生活教欝連盟(総§3奪取弥〉露表
鉦.
岡目
垂髪懸盤会(鯨鰍軸索闘
欝大学醗霧小学校〉
〈墜三是蚕〉歴史ぎ3現実1こ立つ力撃キュラム 経本生活連盟関係事項霧
〈講演〉森 昭「蔑族と新教畜」
※「われわれの信条盛を決議(ぎが1キュ ラム諺三舞1弩に経轟議〉
i 力琴キュラム醗究辮,「縫合糾中心学習 アチーブメント・テスト」を作成・発行 3 春嚢并合織瞬究集会(愛知・愛知学芸大
難属ノ1、〉
※嬉鍾嚢籍,「三三属露領域」の寿琴キュラ ム購進講を礎案
4 力琴キュラム醗究霧,愁光学:園喜こ移転 5 葺ア連跳陸大会(石摺・聡綿車〉
8 新潟合憲醗究会(新潟・新潟大購霧小〉
※春慕聾合宿藩究集会で礎案された「三 屡霧領竣」譲を承認
9 〈資料〉
コア連r新潟合宿醗究会の記」蓄力移キュ ラム33号雲)
﹂
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…1鶉2年
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壌縫登捻皿1
鶴械小学校醗究大会(橿鳥・鶴蟻小)大分台密藩究集会(大分・泰8欝小〉
生活教育中央講習会雛僧(東京教育大)
瞬石合憲醗究集会(其癖・神戸購属小)
擁糖雛大会薦漸薦癒「
茎 〈資料〉(勝穣・栂根論争)
勝留守一「鮭会稽をどうするか涯に薄し て,梅繊繕「祇会科解鉢講に反薄する」
を織す(罫教育書葉月至}〉
2 〈資料〉(勝綴・織機論争〉
勝覆嘗一「生活教蕎と縫会科一幾籍に答 えて一」ぜ教青青2月号〉
3 詫潟台密癖究集会(懇井・跳潟学懸〉
3 本認合憲麟究集会(東京・桜霧小)
3 〈資料〉
梅穣繕「コア・力勝キュラム諺実践と主一 張」,広羅亮藏郵欝標に韓癒する力拶キュ ラム構造の発展涯(罫力》キュラム3§号麟
5 〈資料〉(勝穣・梅根論争)
梅糧繕「問題単発課程における地建と歴 史一勝霞嘗一氏の撹醤に答えて一」ぜ力 拶キュラム類丹毒)
i弱2隼 6
1第醒次醗究総会︵東京教育大学1財︑
8
8
校)
<主題〉嚢主的教育の具鯵的麗麗のため1
に
〈講演>大講力「聾本経済の憂実と諜1
題」
〈分科会〉教脅霧標,教毒課程,学習指 導,生活鮨導,教育評簸
※権根橿を第二代委貫長に選出、幹事長 春譲影絵
第一懇全羅毒隼教緬富麟合宿嚢究集会
(千葉・塞麟小)
〈資料〉(勝欝・構繊論争〉
勝籔守一「三たび被会秘について一構根・
氏の藩論に答える一達確力雛キュラム鱗
号悉)
欝 中学校教鳶磯究畢癖集会(由梨・彪梨繋 教喬醗究駈)
欝 〈資料〉 (霧鐘・梅緩譲争)
栂譲繕褻勝欝氏への手紙一粒会秘につい、
て一ぱぼ力拶キュラム4§号勤
i2 広轟舎密懸究集会(広編・紳邊小〉
癬年糎磯麟醐
3 6・秋霧舎密癖究集会(軟遜・増菱羅小〉
1第五次醗究総会(三重藥霧馨市薦・中部1 小学校〉
〈主題〉蔑族の麓機畢こたち1韓かう教鳶実 践の確立
〈講演〉海後勝雄「産業鯨§の教育聾莚蒲,
馬場廻鶴「鶏題解決学習について」,広 糶売藏紅教毒の遅懇と後衛について」
〈分科会〉問題解決学習,経常生活課程,
言語教育,作文教育,歴史教育,科学教 育,算数教育,保健体育,構操教育,遂 徳教欝,平和教畜
※総会において,コア・力琴キュラム連 盟を欝奉生活教官連盤(欝生連)と改称 することについて承認
8 社会科観題濾議会の結成に参籏
第二魍全露春年教麟神津牧場合憲醗究集 会(羅馬・神津牧場〉
※総会で,後に嚢生連と統一をする全国 春年教轟連絡醗議会(余毒教〉を結成 9 開題解決課程単元系粥作成委員会(単元 委員会〉を設羅
※挺会科教護反婦の異捧案作成に養手 H 姦矯合憲嚢究集会(蕎知・江ノ瓢鶯小)
12 第一鬱金鳶教の「冬の触強会」(「歓会科 学講座」)(東京教育大〉
圭8 醸轟大学教薄笑銭醗究紀要第鎗号
灘年i剖難委鍛,徴紅麒麟する癬.荘
i§55隼・
6
§暮8
豊i
を発表
i第六次嚢究総会(灘光学園)
<主題〉生活教毒をどう貫くか 〈全棒討議〉社会科をどうするか (分科会>露語・算数・科学披講・鷺操・i
体奮,嚢治会
※単元委員会,琶会科酸誕案「被会科の1
26
8
9鍵盤
病容粟粥と主要な学習主題丞(雛奉凝会.
の基本羅題を主輪とする縫合科計簸案〉
を中鷺発表
難生連,誓歓会科改訂の要望.1を発表 瞭磯葦を舞1髭拳蟹に移す
.第三鬱金舞教騨蘇金轡醗究集会(熊取・
,鍵牧小)
譲陰合爵藩究集会(驚取・三嚢小,申〉
第二圏金轡教「冬の麹強会」(栗東教育
大学)
一 一一
・菰野合憲雛究集会(三重・菰野小〉
第七醸羅究総会(東京翻港匿・茜桜小学
校〉
〈主題>r霞本縫会の基本開題匪(講本生
・活教曹達盤挫会舞振導詩睡1)の発表と醗
…塞
〈講演〉務台饗作r教官の疑主イヒについ
て」
1第鼕鼕麹全巻教妙轟合宿嚢究集会(新潟・
1妙高小〉
外ヶ輪合宿醗究集会(新潟・外ケ輪小)
機織合宿醗究集会(大分・松羅騨館)
第三黙全毒教の「冬の勉強会」(東京教1
酬 ]
※「戦後生活教育年表」(難本塗活教育連蟹ζ馨本の生 活教毒灘年一子どもたちと饑き合いつづけて一蓋学文 経緯繋年)をもとに年表を作成
(付記)
本稿は露井の指導のもとに高宮が執筆した。
(涯i)
(注2)
(淺3)
(注〉日
巌根籍「コア・力蕃ヌキュラムの実践と主張」ぼカ llキュラム3§号善鴛52隼3月)
擁根籍 講一と 鰺根蕪 薩.1二
薄弱一§
(婁塾4) 縫}綴喜嚢葬コア串力薯穿キュラムの季薄造と本質の再験 妻謡講(嚢本塗翼奏教欝連盟 f難野光鑛ゼカ琴キ・ユラム 聾彗瞬至 生活教薄の葎}進亜〜V塞株式会縫 欝本纒 餐讐センター 茎奪82弩三〉 8〜9婁箋
磁の麟露r姿絵科が嫉ユラム賭銭の療理」(欝峯
生活教=薄連盟 [勧野尭鑛ゼカ琴キュラム撃茎欝鷺 生 活教育の前進鴇〜罹邊株式会蛙 嚢本纒書センター 童繋2隼)磐蚕
(涯6〉 海後勝雄葬社会機能慈と問題領駿法」(蓼がナキ訟 ラムi3号雲鰺訪葺三塁廼)
(涯?)広岡発藏r牧歌的なが1キュラムの糞己雛翰 ぜ力弓キュラムi§弩醤欝S{}年3舞)
(涯8) コア連葬新潟合宿醗究会の潅!、1ぼカ1タキュラム33 雛鯵騒年鮮1)
(荘9) コア連 爵一と
(控i劔 蒙韓真広「コア・がタキュラムヘの撰1鵯」(餐本 生活教禽達盤纏『馨本の生漉教舞灘隼一子どもたち と薩き合いつづけて一壌掌文被i鱒8年)88頁
(涯ii) 船出謙次「教欝方法講」織撮1謙次著置続戦後藝 本教書講争史遜東灘鑓識叛社 欝欝無〉3妬嚢
(窪翅) 広韓蔓藏「曇棲に蠕癒する力琴キュラム講造の発 展」(罫力}タキュラム3{獲}邊i§暮2{導3舞)
(瀧鴛) 馬場義難「縫会稗の教糞計懸」(晦撰語・瞬津守 彦煽ぎ新教毒の実践捧系葺 観会科教育のあゆみ擁 ノ1、学館〉麗質
(濾鍾) 馬場難鑛(蓼講書雲)蕊頁
(注玉5〉 今野嘉清「縫会科教育譲争一勝灘瓢擁根論争一.1 (久木青男・鈴木英一・今野警濤編絡塞教育講争 史録 第羅巻翼代編(下雇第一法燭〉53買
(注驚) 今野書癖(蓼講書麟羅頁
(注葺) 今賢妻清ぼ講書跡蕊頁
(波鰺〉 勝遜守一「社会科をどうするか」(蓼教海雲欝52年 圭月)
(注麟 勝鰻守一 瞬上
(涯2§) 梅綴業苦ギ社会科解捧論1こ反輯する」(『教=薄雲欝§2 年玉月)
(涯鍵〉 梅根鰹「勝穰氏への手紙一挺会科について一」
(舞琴キュラム総雛獅2隼垂絹)
(涯22) 癒根馨 瞬、と
(注23) 梅糧奮 羅上
(受理月ε至 3月鰺嚢)