(1) 第 58 号 2015(平成27)年2月6日(金) 弘 学 時 報
学校法人弘前学院
理事長
・
学院長 阿保 邦弘日 本 メ ソ ジ ス ト 教 会 監 督 として東奔西走
初代監督本多庸一は、「日本
メソジスト教会の兄弟姉妹に呈
する書」と題する「第一監督公
書」を護教に発表した。多年の懸
案であったメソジスト三派合同
の実現を感謝し、自分が初代監
第 58 号
(年4回発行)
編集発行 弘 前 学 院 大 学 広 報 委 員 会
印 刷 所
㈲小野印刷所
督に選任されたことについては、
大任を負うべき器量ではないが、
教会の発展のために躊躇なく就
任したと延べ、新教会の成立は
若武者の初陣の門出のようなも
ので、安堵歓楽をむさぼるとき
ではなく教会全般の発展に関わ
ることであるからともに努力奮
闘しなければならないと訴えた。
東奥義塾卒業生でのちに青山
学院教授となり、本多の弟子で
もあった岡田哲蔵は、一九〇七
(明治四〇)年六月即ち本多の
監督就任直後から一九〇八(明
治四十一)年一月に至る約半
年間に、北海道から沖縄、韓国 にまでおよんだ前後十一回の
伝道旅行の旅程を、汽車、電車
一五、六五二キロ、船三、六三五
キロ、人車・カゴ二五九キロ、徒
歩四〇キロ、合計一九、五八六キ
ロと計算しているが、これは青
森・鹿児島間四往復半、優に地球
半周に匹敵する距離に当たり、
一か所内での移動奔走を加えれ
ばさらにこれを上回る東奔西走
ぶりであった。しかもその間、教
会での説教、学校や公会堂での
公演に加えて各種委員会、協議
会その他の会合に出席し、面接
応接の間には監督公書を草し、
紀行・感想を「護教」に寄稿し、教
会政治は教団経営百般にわたる
監督としての雑多な事務を執行
したのであった。 は単独の栄養素でできているわ
けではなく多くの栄養素の集合
体である。食品によって構成さ
れる食事を摂取することによっ
て生体は成育し成熟しかつ精神
的にも成長していくわけである。
私たちは、食品から栄養素を
摂取しその中のエネルギーを用
いて生命維持や身体活動を行っ
ている。栄養素には糖質、脂質、
タンパク質という直接エネル
ギー源になる三大栄養素と、ビ
タミン、ミネラルをそれに加え
て五大栄養素がある。その他に
水分や食物繊維は生体にとって
必要な物質である。食事をする
ことは単に栄養素の取り込みい
とうことでは決してなく、それ
らを味わってこそ食事の楽しみ
がある。そのためには視覚、聴
覚、嗅覚、さらには味覚が働き、
味覚としての甘い辛い塩辛い苦
い旨味がその後押しをする。
ところで青森県は三方を海に
囲まれ森林や山岳や河川そして
平野は他県とは比較にならない
儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
メソジスト教会が、その条例
において、監督は「地方に駐在
することなく説教しまたは教会
の霊性上及び経営上の事務を監
理せんため総会区域内を旅行す
べきものとす」(日本メソジス
ト教会条例)と規定していたと
はいえ、家庭をかえりみる暇も
なく、幼い愛児の死すらいたむ
余裕なく(日本メソジスト監督
就任の八月十五日信州松本、浅
間、軽井沢を巡って帰京すると、
七男の鐘七が三十九度以上の熱
を出して病臥中であった。しか
し、それを押して関西九州方面
の伝道に出発し、名古屋で愛児
の悲報に接したのであった。)
ひたすら奮闘し続けた本多の姿
には、まさに「神に憑かれたる 人」そのものであった。本多の
ひたむきな伝道には、祖国日本
に一日も早くキリスト教を定着
させようとした使命感の燃焼
をみることができるであろう。
一九一二(明治四十五)年、そ
の死に至るまでの五年間はこの
ような日々の連続であった。
一九〇八(明治四十一)年合
同なった日本メソジスト教会の
第一回東西年会が開かれた。年
会は東西それぞれ毎年一回開か
れ、日本メソジスト教会の実質
的な最高執行機関であった。神
戸における西部年会では、初め
ての年会開催の意義と感動を語
り、合同教会が必要とする実力
は、その要する人物と財力にあ
るとして、人物の育成の重要性
儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
を力説した。青山学院で開かれ
た東部年会では、ここでも人物
の養成を説くとともに、メソジ
スト教会は草創の教会であって
キリスト教を伝道するに当たっ
ての原動力はキリストという人
格を紹介することと罪の意識の
啓発であると述べている。
教会として、また監督本多自
身にとっても初めての年会のこ
ととて、その組織編成や聖職者
の任地決定、宣教師の資格取扱
い等には困難が多かった。しか
し、彼は一流の調和力を以てこ
れを調整しつつ筋を通し、合計
九十五の教会、日本人伝道者
百六十九人、外人宣教師四十人
の両年会を指導し成立させたの
であった。 (以下次号)
〝育〟とは、うむ、うまれる、そだ
てる、はぐくむ、やしなう、しつけ
る、などの意味を持ち、〝育〟がつ
く単語をあげるときりがない。育
児・育成・教育・飼育・愛育・生育・
発育などなど。例をあげて見よう。
体育、体育とは健全なからだを作
る教育そして運動や競技の実技
や知識を教える教科であり、知育 とは知識を豊かにし知能を高め
る教育であるという。
ところで、食育とはなんであ
ろうか。最近、食育という単語
や言語を目にし耳にする。本来、
食育という単語はなかったよう
な気がしている。ある文字に
〝育〟を加えると何となく高尚
で教育的でかつ受け入れやすい
気がしないでもない。食育につ
いて自分なりに考えてみるとき、
先ずは基本的知識として食材、
食事、食餌、食物、食品、栄養素、
食生活、などについて述べよう。
この中で食餌は食事と同様の意 味を持つが、餌(えさ)として
の意味合いが強い。動物実験で
は高カロリー、高脂肪食や高糖
質の餌(食餌)を自由に摂取さ
せてさまざまな実験に供すると
いう発表を聞く。この場合、食
物の成分・量などを実験の目的
を達成するように調整して用い
ることである。ヒトの病気を対
象とする場合、病気を積極的に
治療するために食餌療法という
ように使い、糖尿病のときには
糖尿病食とか腎疾患のときの腎
臓病食とかである。
食品学や栄養学の専門分野で
は、それぞれの単語の持つ意味
を詳しく規定しているが、ここ
では簡単に述べてみよう。食品
学長 𠮷岡 利忠
ほど雄大な自然に恵まれた県。
海の幸、山の幸、川の幸のさまざ
まな恩恵を受け、さらに米、野菜、
花き、果樹、畜産など農林水産業
が盛んである。このような環境、
風土、歴史、気候を背景にし、さ
まざまな機会を通じて青森県の
食育について県民に対し多くの
取り組みが実施されている。
青森県の第二次食育推進計画
によると、食育は、生きる基本
であり知育、徳育、体育の基礎
となるべきものであり、食につ
いての意識を高め、自然の恩恵
や食に関わる人たちへの感謝や 理解を深め、正しい情報に基づ
く判断力を養うとある。食育に
よって、食事マナーはもとより、
好き嫌いはなく、一日に3度、
栄養バランスの良い食事を取り、
食事とともに適切な運動・休養・
睡眠を取り、安全性や正しい知
識を持ち、特に県産物の積極的
な利用、四季折々の郷土料理の
食文化を楽しみ、かつ農林業水
産業の体験をするなど、いわゆ
る食育活動を積極的に行なおう
とするものである。とくに、小
さいうちからの食育は健康で豊
かな人間性をはぐくむ基礎とな
1号館と2号館の間にあるプ
レハブ2階建ての3号館は、平
成
24
年の豪雪による損傷と老朽化の進行により、安全性の確保
が困難になったため、しばらく
の間、一階廊下部分のみを連結
通路として使用し、それ以外の
部分は閉鎖しておりました。当
新3号館について
初は、簡単な工事で修復可能と
の見込みでしたが、精査したと
ころ思ったよりも損傷が激し
く、基礎工事を含む大掛かりな
対応が必要なことがわかりまし
た。そのため、専門家の意見も
聞きながら総合的に検討したと
ころ、新しく建て替えた方が得 ることから極めて大切であるこ
とはいうまでもない。
このような背景から、青森の
食文化を再認識し理解を深める
ために毎年「あおもり食育検
定」が実施されている。検定を
受けるためのテキストも無料配
布されており、その検定に合格
すれば認定証を得ることができ
る。毎年、小学生からお年寄り
まで多くの人たちが受検してい
る。この検定事業に関わってい
ることから、是非、弘学時報を
手にする皆さまが受検し、合格
し、認定証を手にしてほしい。
策であるという結論にいたりま
した。その後、学生も交えた3
号館建設検討委員会を立ち上
げ、概要について協議を重ね意
見を集約した結果、耐久性に優
れた鉄骨構造の新3号館に生ま
れ変わることになりました。昨
年8月から現3号館の解体工事
や3号館に面した1号館2号館
の窓ガラスの補強工事等の準備
作業を進め、
12
月から本工事に着手する運びとなりました。
11
月
25
日(火)には、理事長、学長、後援会長、校友会長など関
係の皆様方
25
名のご臨席を賜って、起工式が盛大に執り行われ、 新3号館の落成と工事の安全を
祈願いたしました。新3号館は、
平屋作りですが面積を2割ほど
拡張しております。主として学
生ラウンジとして使用されます
が、プロジェクターやスクリー
ン、アクセスポイントなどを設
置するので、パソコンを持ち込
めばコードレスで動画の再生や
プレゼン、インターネットの利
用等が可能であり、ミニホール
としての機能も兼ね備えており
ます。また、磁石も使える壁一
面の大きな掲示版や機能性の高
い椅子とテーブルを設置するな
ど、情報発信や交流の場として
の機能についても一層の改良が
図られております。また、車い
すが使用できる広いトイレや緩
やかなスロープ、プッシュ式蛇
口や大型電気スイッチ、LED
照明の採用など、障害者にも環
境にも優しい設計となっており、
3月
25
日の完成が待たれるとこ ろです。 (文責:對馬)2014年度
弘前学院大学学位記授与式
文学部 第41回 社会福祉学部 第13回 看護学部 第7回
大学院社会福祉学研究科修士課程 第11回 大学院文学部研究科修士課程 第9回
◇日時:2015年3月20日(金) 午前10時
◇場所:弘前学院大学体育館
卒業礼拝
◇日時:2015年3月19日(木) 午前10時~
◇場所:礼拝堂
*礼拝終了後、体育館において学位記授与式 のリハーサルを行う。
儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉 儉儉
青森県の 「食育」
(2) 第 58 号 2015(平成27)年2月6日(金) 弘 学 時 報
談話室 映画と異文化理解
文学部 准教授 鎌田 学 666666666666666666 今年度私が担当している科目
の一つである「異文化理解A」
は、別名〈映画による〉異文化
理解です。映画作品を手がかり
にして、描かれた国の状況、国
民のエートス(国民性)などに
ついて参加者と議論します。毎
週一人一作品をプレゼンしてい
るので、半期の授業で十数本の
映画を知ることになります。英 私は小児看護学を専門として
おり、おもに疾患を持つ子ども
の心理的側面に焦点を当てた研
究を行っています。現在、慢性
疾患を持つ子どものレジリエン
スの発達と支援に関する研究に
取り組んでいます。
レジリエンスとは、過酷な体
験をしながらも健全な心の状態
を保つ力のことであり、心の弾
力性、回復力、強靭性などとも言
われます。レジリエンスは、大き
な災害や事故など、酷い体験を
しながらも心の健全性を保つ人
たちがいることに気づいて、何
がその力をもたらすのかに関心
文科の専門科目ゆえ英語圏のも
のに限定していることもあっ
て、学生が選ぶ作品はすべてハ
リウッド映画。英語圏ならば他
にも、イギリスもアイルランド
もあってもよさそうなものです
が、やはりアメリカ産が日本に
輸入される量で、そして宣伝の
うまさで圧倒しているからそう
なるのでしょう。
とはいえ、冷静に考えれば、英
語圏の映画に限定することはそ
もそも「グローバルな時代」にお
ける異文化理解の授業としては、
はなはだ偏ったものと言わざる が寄せられ研究が始まりました。 慢性疾患をもつ子どもは、治
療や療養が長期にわたることが
多く、その体過の中でさまざま
な苦痛や困難を経験します。特
に、入院と治療に伴うストレス
は大きく、その体験が心的外傷
となって、のちの心理的な問題
や行動上の問題の原因となるこ
とがあります。私はかつて小児
がんの子どもを対象として、入
院生活でのストレスを緩和する
ために、遊びを活用した援助プ
ログラムの開発に取り組みまし
た。この研究によって、子ども
の「強み」の部分に働きかける
ことの重要性に気づかされ、こ
のことがきっかけとなって、過
酷な経験をしつつも心の健全性
を保つことのできる力、すなわ
ち子どものレジリエンスに関心
2014年度 リカレント教育を経験して
看護学部 教授 千葉 正司
を得ません。遅まきながらその
ことに気付いた私は授業後半に
なって、映画ならどこの国のもの
でもOKとしました。その具体例
を示すために、フィンランドのカ
ウリスマキの「ル・アーヴルの靴
磨き」(2011年)、「街のあ
かり」(2006年)、「罪と罰」
(1983年)等を紹介しました。
私のこの方針転換に触発された
或る学生は、「花嫁と角砂糖」
(2011年)という一般にはほ
とんど知られていないイランの
作品を選び、かの国の婚礼に関
する習俗を詳細にプレゼンし参
加者を驚かせました。
現在日本で興行的にヒットす
る外国映画の多くがアメリカ産 今年度は、看護師からの希望
の多い研修内容を選択し、かつ
本学教員の専門性を生かすこと
を主眼とし、「リカレント教育
の原点を見つめて」のテーマで
開催しました。研修会は本学6
号館を会場に、
10
月4日(土)と
11
月1日(土)、13
時~16
時 レジリエンスは統合的な概念 を持つことになりました。であり、いくつかの要因から構
成されています。一般的には、
環境要因と個人内要因の2つの
側面からとらえることができま
すが、近年、「
I have
」(私は 持っている)「I am
」(私は~ である)「I
can
」(私はできです。もちろん、その中には見
る価値十分の傑作もあります。
しかし、日本人にとってどちら
かといえばなじみのない国つま
り、経済小国の監督たちが、土
地に根付いた市井の人々を通し
て人生を深く洞察した作品を多
く生み出している気がします。
特殊文化をくぐりぬけて普遍に
至るという芸術本来の弁証法。
スウェーデンのベルイマンの
手になる「野いちご」(1957
年)を先日見ました。そこに描
かれていたのは或る老医師の現
在と記憶と妄想ですが、その「老
い」の真理・真相は異国の私た
ち日本人にもはっきりと伝わり
ます。 うか。「命の尊さ」という原点
に立ち返って、医療・教育・福
祉の異なるフィールドから話題
を提供するコラボレーション的
な講演会を目指した。
最初に、基調講演として、本
学学長の吉岡利忠先生から「脱
短命県」というタイトルでお話
いただいた。吉岡先生は、弘前
大学の中路先生を中心とする脱
短命のプロジェクトチームの一
員でおられるが、そのチームの
資料をたくさん紹介しながら、
青森県の健康や寿命の現状につ
いて詳しく話された。そして、
何よりもまず、楽しく明るく生
活することが健康で長生きする
ことの秘訣であることを、たっ
ぷりのユーモアと笑いでもっ
て、しかし十分な説得力でお話
された。
次にリレートークの第一報告
者として本学社会福祉学部専任
講師の立花茂樹先生にお話いた
だいた。テーマは、「特別支援
教育から見えてくること」。障
害があっても、素晴らしい感性 る)という3つの枠組みが提唱
されています。私はこのモデル
を活用して、慢性疾患を持つ子
どものレジリエンスモデルを明
らかにしようとしています。こ
れを通して、慢性疾患を持つ子
どもに対するレジリエンスを高
める介入方法を見出すのが現在
の目標です。
儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
研究紹介 ㉘ 病気の子どもの心を支える援助 ―小児のレジリエンス研究―
看護学部 講師 齋藤美紀子 看護の力があなたの病院の機能
評価を高めます ~日本病院機
能評価の概要とケア実践場面で
の医療安全について~」を講演
し、医療安全の重要性を力説さ
れました(写真2)。
受講者は総数
72
名であり、主に医療機関の看護師であります
が、介護老人保健施設からの参
加も見られました。弘前市を中
心に青森市、黒石市、平川市、
五所川原市、藤崎町、大鰐町か
ら参加していました。
本研修会のアンケート調査で 2014年
11
月22
日(土)に本学の地域総合文化研究所と公
開講座委員会の共催で、講演会、
『命の尊さ』~医療・教育・福祉
の立場から考える~が開催され
た。この講演会は、学園都市ひろ
さき高等教育機関コンソーシア
ムからの助成金もいただいて行
われ、本学の関係者ばかりでは
なく広く市民の方々にも参加い
ただけるように、ヒロロ3階の
弘前市民文化交流館で行われた。
青森県は短命県ということで
その汚名を返上しようと、この
ところ健康に生きることを考え
るイベントが様々に行われてい
る。本講演会もその流れに与す
るものであるが、同時に少し異
なったアプローチで「命」を考
えてみようと計画された。
現代社会では、核家族化、少
子高齢化、人間関係の希薄化、
孤独死の増加など、取り巻く環
境が厳しくなっている。私たち
の「命」に触れる機会が少なく
なってきていると言われる。し
かし、ほんとうにそうなのだろ
講演会『命の尊さ』 ~医療 ・ 教育 ・ 福祉の立場から考える~ を振り返って
15
分まで行われました。第1回の研修会では、高田ま
り子先生が「アンケート調査の
ノウハウ」を講演され、統計学 の活用を解説されました(写真
1)。その後、情報処理室に移
動し、渡部菜穂子先生が「アン
ケート調査における集計・分析
の基礎演習」を、実際にパソコ
ンを操作し、指導しました(東
奥日報に写真掲載)。
第2回の研修会では、川村泰
子先生が「感染予防を学びなお
しましょう ~流行期に入る前
に~」を講演され、感染症の歴
史と対策を説明されました(陸
奥新報に写真掲載)。また、畠
山なを子先生が「一人ひとりの
と人間性を持って精一杯に生き
ていることを、彼らの描く絵
や詩を通して知ることができ
る。しかし、時に、周囲の無理
解、偏見、差別など、意識上の
障壁の圧力が強すぎて、二次的
な障害に陥らせてしまうことが
ある。そうしたことを避け、障
害のある人々の社会参加を促進
するためには、障害のある人々
の言動をリフレーミングし、セ
ルフエスティームを高める周囲
の理解と適切な支援が必要であ
る、ということを感動をもって
お話くださった。
リレートークの第二報告者は
本学社会福祉学部准教授の高橋
和幸先生で、「中学生が高齢者
世帯の除雪ボランティアを経験
することで得られる多面的効
果」というタイトルで話された。
国土交通省等も注目する「尾花
沢市地域共助の除雪」の取組を
とりあげ、降雪のない地域
(
友 好都市)
から参加してもらい除雪ボランティアと住民交流を
セットにした実践、次代の担い 手作りのために中学生の雪かき
塾が行われていることの紹介で
始められた。訪問先の高齢者か
らお礼を言われて嬉しかった等
の達成感が得られたり、一人暮
らし高齢者の生活の大変さを実
感したり、訪問先まで市社協の
車に乗せてもらったり指導者か
ら教えてもらえたことへの感謝
の気持ちの形成、豪雪地帯で生
きていくために地域の人々が助
け合わなければならないという
学びを中学生は得ることができ
たのだという話題提供をしてく
ださった。
講演後、聴衆の方々からは、
2
時間半という時間があっという間に過ぎ、実に有意義で楽し
い時間だったという好意的な声
をたくさん頂戴した。またこの
ような企画に取り組んでみた
い。 (文責 川浪亜弥子) は、4演題すべてが大変有意義・
有意義という回答が大多数を占
め、好評を博しました。
各施設看護師に対する看護研
究の指導・助言は、国立病院機
構弘前病院、同青森病院で行い
ました。そこでは、本学と看護
実践現場との連携を意図し、本
学教員が各施設に出向き、看護
研究の向上に協力しました。
地域貢献・地域連携の一環と
して開始した本学の「リカレン
ト教育」は十回目を迎えました
が、これからもスタッフ一同、 鋭意、努力して行こうと考えて
おります。
(3) 第 58 号 2015(平成27)年2月6日(金) 弘 学 時 報
看護学部において、第7回卒
業研究発表会が平成
26
年12
月6日(土)に行われました。
私たち看護学部4年次生は、
4月から担当教員とともに、病
院実習、就職活動、国家試験対
策の勉強などと並行しながら、
卒業研究を進めてきました。 私は夏休み期間中に、弘前市
内にある地区公民館・図書館で
社会教育実習を行った。二年生
の時からこの分野の勉強を始
め、実際に社会教育を行ってい
る施設での実践的な学習は今回
が初めてだった。夏休み期間と
いうことで、各公民館では、工
夫した事業を展開していた。各
十一月二十三日。清々しい晴
天の中、文学散歩が行われた。
私は、今年初めて参加すること
になった。弘前公園を中心に、
弘前市にゆかりのある文学人達
の石碑と歴史のある建造物を見
て歩いた。
まず、集合地の郷土文学館の
展示を見学。今日見に行く文学
人達の生涯と、彼らの貴重な関
係資料の数々を目にすることが
でき感動した。高木恭造展も行
われており、高木の代表作の方
言詩集『まるめろ』を、高木本
人が朗読している映像を鑑賞し
た。こんな貴重資料を保存して
いる文学館を、私たちは歴史を
後世に残していくためにももっ
と大切にすべきだと感じた。 私は、「臨地実習における看護
学生のインシデントの原因」とい
うテーマで卒業研究を進めてき
ました。インシデントとは、医療
事故になったかもしれない出来
事のことで、看護学生が臨地実習
において、どのような原因でイン
シデントを経験しているのかを
明らかにしたいと思い、このテー
マにしました。研究を行う上で、
まず、研究背景や目的を明確化し、
どのような研究方法がよいか検
討しました。私は本学の学生のイ 世代に焦点を当てた事業があ
り、公民館は地域の方々の中で
生きている、そんな施設だとい
う認識が一層強まった。
実習の中で、公民館の館長さ
んをはじめ、各担当の職員の
方々に、インタビュー形式でお
話を聞くというものがあり、現
場の職員の方々の声を直接聞か
せていただいた。私がお話を聞
かせていただいた公民館は、船
沢公民館・裾野公民館の二つで、
それぞれ、住民の方々は純農家
がほとんどで、少子高齢化も進
文学館見学の後は、二班に分
かれての見学。ガイドさんの丁
寧な解説を聴きながら、文学地
を散歩した。朝陽小学校には、
同校卒業生の佐藤紅緑と石坂洋
次郎の文学碑があり、二人の一
句が刻まれている。朝陽小学校
の周辺には門を構えた家が多く、
上流階級武士の住む区域であり
歴史の感じられる街並みであっ
た。
その次の一戸謙三の文学碑は、
藤田記念庭園前にある。一戸の
津軽方言詩集『ねぷた』の一節
が刻まれている。ガイドさんの
話によると庭園には来ても、一
戸の文学碑を見物する人は少な
いという。私もその一人で、初
めてしっかりと見学した。津軽
弁の詩に新鮮な印象を受け、一
戸の弘前への親しみが感じられ
た。
弘前公園の中へ入って行く
と、三の丸に福士幸次郎の文学 ンシデントの実態を明確にした
いと思い、アンケート調査を行い、
集計した結果を考察しました。そ
れぞれの項目を考察していくと、
内容がまとまらず、研究が行き詰
ることもありました。しかし、そ
のときには、研究計画書から自身
の研究の目的を振り返り、明らか
にしたいことを確認したり、担当
教員やゼミのメンバーから客観
的な意見をもらったりすること
で、考察を深めることができまし
た。
卒業研究発表会は一年近く研
究してきた成果を7分で発表す
るため、私たちは、何度も原稿
やスライドを修正し、発表の練 んでいる地域の公民館である。
若い世代が地元を離れてしまう
「離村現象」が続いており、事
業に参加する住民の平均年齢も
高い。更に、今はテレビや携帯
電話などのメディア媒体が整っ
ており、知りたいことがすぐに
調べられる。昔のように人から
人へ直接物事を教えるというこ
とが少なくなってきたというこ
ともおっしゃっていた。私は、
社会教育では、人と人の繋がり
によって得られる知識・経験が
とても重要だと思っていたた
め、このような状況をどうにか
して打破していかなければいけ
ないと感じた。ただ、両公民館
も、若い世代とお年寄りの交流
しての学芸員にも、きっと求め
られている資質でしょう。だか
らこそ、学芸員は様々な知識と
経験を積み、問題解決力を養う
ことが必要です。これが「雑芸
員」という言葉の本質なのでは
ないかと思っています。
また、実習で一番印象に残っ
たのは、職員の方々の働いてい
る姿でした。もっと博物館を良
くしようという気持ちや、資料
を大切に扱い、様々な角度から
興味を持つことから、職員の方
の、仕事に対する情熱を感じま
した。
より有意義な実習にしようと、
少しでも自分の欠点を直して臨
もうと思っていましたが、逆に
自分に足りないところが沢山見
えてきた実習でした。しかし、
学芸員として大切なことだけで
はなく、社会人として大切なこ
とも沢山学ばせていただけまし
た。とても充実した実習でした。
今後は学んだことを忘れず、
何事にも情熱を持って、成長し
続けて行きたいと思います。 2014年
12
月11
日、本学礼拝堂において、クリスマス礼拝
が行われました。厳粛な雰囲気
の中、多くの教職員・学生が集
い、パイプオルガンや清らかな
ハンドベルの音に包まれなが
ら、キャンドルを灯し、東奥義
塾高等学校主事の阿部義也牧師
による「絶望を希望に変える出
来事」と題してメッセージをい
ただき、イエス・キリストのご
降誕を賛美し、共に祝うことが
できました。
また、同日夜6時
30
分より、第
15
回目の「クリスマス音楽の夕べ」が開催されました。
ハンドベルの軽快な音で音楽
会が始まり、楊尚眞宗教主任に
よる聖書朗読と祈祷がありまし
た。続いて本学のパイプオルガ
ン奏者竹佐古真希先生の演奏が
あり、続いて本学客員教授の
笹森建英先生のピアノ伴奏で、 碑がある。詩集『展望』の「鵠」
の一節が刻まれている。詩集の
タイトルでもある鵠とは白鳥の
ことで、弘前公園内に一羽のみ
住んでいる白鳥が、この文学碑
そばの水辺でよく見られるらし
い。この日白鳥は別の場所にい
たが、詩と現実の風景が奇跡的
に重なる、とても趣深い景色が
そこにはあった。弘前城天守は、
改修工事作業が本格的に始まる
と池から水が抜かれるため、水
面に映る姿を見られるのはこの
日が最後であった。私はしっ
かりとその景色を目に焼き付け
た。
弘前公園を出た後は、弘前教 習を重ねてきました。発表会の
際には、会場に緊張感が漂って
おり、どの学生も緊張した面持
ちでした。発表をしていない学
生も、司会やタイムキーパーな
どのそれぞれの役割を務めたり、
他の学生の発表を真剣に聞いた
り、積極的に質問や意見を出し
合っていました。特に大きなア
クシデントもなく、全員無事に
発表を終えることができました。
今回の卒業研究を通して、研
究のプロセスや、あらゆる視点
から物事を考えることを学ぶこ
とができました。今後は、看護
師国家試験合格に向けて、頑
張っていきたいと思います。 をメインにした行事を毎年行っ
ている。毎年楽しみにしてくれ
ている住民も多いので、更に工
夫して継続していきたいと両公
民館の館長さんはおっしゃって
いた。
今回の社会教育実習で、現在
の公民館のおかれている状況、
課題が見えてきた。職員の方は
地域の人達を思いやり、工夫を
凝らした活動をしている。その
ことをもっと地域の人達に知っ
てもらうことで、活発化してい
く事業も増えていくのではない
だろうか。今回、社会教育に対
する自分の考えを更に深めるこ
とができた。貴重な経験をでき
たことを嬉しく思う。
第 7 回卒業研究発表会 を終 え て
看護学科 四年 三浦 信也
社会教育実習を終えて
英語・英米文学科 三年 江畑まどか
博物館実習を終えて
日本語・日本文学科 四年 後藤真妙子
弘前の文学地
日本語・日本文学科 二年 蜂谷 菜摘
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1111111111111111111111 会の本多庸一記念碑を見学。私
たちの大学の創立のみならず、
多様な活動をしていたことに改
めて素晴らしい人だと感じた。
そして最後に、市立図書館隣
の今官一文学碑を訪れた。母校
東奥義塾があった場所でもあ
る。そばには義塾や他の歴史あ メッゾソプラノの山﨑祥子先生
による「受胎告知」や賛美歌等
の伸びやかで感情豊かな歌声に
感動し、続いて弘前市吹奏楽団
有志による金管楽器五重奏とバ
リチューバ四重奏の軽快な演奏
で聴衆を魅了しました。
音楽会の最後には、聴衆の皆
様と共に「きよしこの夜」を高
らかに賛美し、イエス・キリス
トのご降誕を共にお祝いしまし
た。 (宗教部 大坊)
今年度の博物館実習、私は青
森県立郷土館に行かせていただ
きました。実習で実感したこと
は、学芸員に求められる資質の
多様さと、何よりも「学芸員」の
仕事への情熱を持つことでした。
すっかり言い尽くされている
感のある「雑芸員」という言葉
があります。「学芸員は、何で
もやらなければいけない」とい
2014年度クリスマス礼拝と 音楽の夕べ開催
る建造物のミニチュアが設置され、詳細に再現されていた。改
めて弘前は、文学と伝統的歴史
に囲まれた素晴らしい町だと思
う。充実した一日を過ごせてよ
かった。他の文学地もぜひ訪れ
てみたい。
うマイナスの意味で使われるこ
とが多いです。しかし、私はそ
うは思いません。博物館の使命
は人類の遺産を集積し、次世代
に残していくことです。その実
現のためには、あらゆる困難に
対応する力がなければなりませ
ん。2011年3月に発生した
東日本大震災では、被災した博
物館の資料も多くが泥をかぶっ
てしまいました。傷んでしまっ
た資料、文化財の修復は今も続
けられています。このような未
曾有の困難にも立ち向かおうと
する力は、博物館で働く個人と uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu
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(4) 第 58 号 2015(平成27)年2月6日(金) 弘 学 時 報
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『 ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト 』公演を終 わ っ て
社会福祉学部 教授 石田 和男
キャプレット役
社会福祉学部 一年 中村 紳太郎
ティボルト役
社会福祉学部 一年 折井 史仁
アブラハム役
社会福祉学部 一年 盛 生弥
ベンヴォーリオ役
社会福祉学部 一年 鳴海 遼
ローレンス神父役
社会福祉学部 一年 相馬 智明 本プロジェクトは、昨年5月
の新任教員歓迎パーティーの会
場でわたくしの隣に座られた𠮷
岡利忠学長のご提案から始まり
ました。クリスマスの頃の公演
がよいのではということになり
ました。
早速、台本は川浪亜弥子先生
にお願いしました。先生はそれ
からひと月あまりで台本の原稿
を仕上げられました。明快で簡
潔な筋運び、それに現代人が納
得できるような合理性も具わっ
ていました。私の勝手な注文で
ある、原作にない飢饉とチャリ
ティーの話も盛り込んでいただ
きました。
その間に「めん房たけや」さ 昨年の
12
月20
日、私は初めての舞台「ロミオとジュエリット」
に参加した。
本番までの日々を振り返る
と、朗読から始まり実際の演技
指導まであっという間の日々で
あって「長いようで短かった」
と感じた。 最初に、この話を石田和男教
授から聞いた時は「本当にやる
のだろうか」とか「東京から芸
能人が来て芝居をやるなんて信
じられない」と半信半疑でした。
しかし実際に稽古などをやって
いくうちに「本当にやるんだ」
と実感が湧いてきました。
最初はセリフを言うのが恥ず
かしかったり、「失敗したらど
うしよう」などという不安があ
りましたが、練習をしていくう
ちに徐々に恥ずかしさも消えて
いき、お芝居をしているのが楽
しいと思うようになりました。 私は演劇を見たこともやった
ことも無かった。
今回の『ロミオとジュリエッ
ト』の演劇は音楽に合わせて役
を演じた。
私は物語の冒頭で、敵対する
家の者達と抗争する役だった。
台詞は少なかったが、槍で戦
うシーンもあり、演技をする場
面は多かった。
今回の演劇は素人の学生がほ 弘学で演劇、それは異例のこ
とだった。
照明や音楽、演出監督はプロ、
地域の方々の参加、そして主演 私は今回のロミオとジュリエ
ットはすごく貴重な体験でした。
ローレンス神父という役とい
う物語のカギを握る貴重な役を
やれてよかったと思っています。
みんな演劇初心者ということ
もあってか最初だらだらと練習
がつづいており不安だらけで私
自身も演出家の森井陸さんや主 んのご主人と知り合い、お芝居
の公演を手伝っていただくよう
にお願いしました。たけやさん
はこれまでジャズ公演をたくさ
ん手掛けてこられたということ
で、本公演に欠かすことのでき
ない人と思いました。
主な役者は本学の学生が担当
し、その他の配役は稔町のひと
にお願いすることになりまし
た。音響、照明に関しては市内
の公演とたくさん手掛けている
盛さんにお願いしました。これ
で安定感が増すと思われまし
た。
また音楽劇と銘打っている以
上、弘前のアーチストたちとの
コラボが要るのですがこれもた
また、貴重な体験にもなり今
後に活かそうとも思った。
気持ちが引き締まっていな
かった事が反省点であり仲間に
注意される事が多かった。
道具の管理面においても同様
だと感じた。
私は舞台に出る人々は道具の 長い人生の中で、このような経
験が出来るのは中々無い事であ
り、一つの事を皆で協力して とんどだった。 私は素人なりに与えられた役
を精一杯演じようと考えた。
プロでも素人でも、この演技
を成功させたいと思う気持ちは
同じなのである。
最初は演技をすることに恥ず
かしさがあったが、練習を重ね
ていく中で役にのめり込むこと
ができた。
仲間達と切磋琢磨して練習を
をかの有名ないしだ壱成さんが
務めるという本格的で贅沢なプ
ロジェクトだった。
しかし、役者として参加する
学生は皆素人。
当初はその現実離れした話
に、自分たちが参加するという
実感がなかった。
その意識が変化したのは残り
の1ヶ月の時だった。
実際にプロの方々と同じ場
所、同じ時間を共有して稽古を
重ねていくうちに、それが実感
となり、確かな手応えを感じる
ようになった。
当日は雨天にもかかわらず、
昼と夜どちらも席が足りないく
らいの客足だった。
そしていよいよ開幕。
『ロミオとジュリエット』は、 役のいしだ壱成さんが来てくだ
さる前まではうまく演技が出来
ないままでした。
しかし森井陸さんが指導に来
てくださってから全員が見違え
るようになって本番でも大きな
ミスもなく終わらせることがで
きたのでよかったです。
しかし私自身汗が止まらなく けやさんの人脈のすごさです。
弘前で活動なさっているパイ
プ・オルガニストの水木順子さ
ん、パーカッショニストの山内
郁子さん、作曲をお願いした山
内一泰さん、コーラスのコール・
JOYFUL
のみなさんとベストメンバーが集まりました。大
切なのは演劇とのマッチング、
一体感を作ることにあるのでこ
れも何度も稽古することで可能
となります。
芝居の稽古は十月半ばから始
まり、2か月間に及びました。
最初はセリフを覚えるとこから
はじめ、ひと月後に演技の稽古
に入りましました。アクション
シーンの振り付けは、東京の演 出家の森井陸さんの担当でし
た。それまでは劇の全体の流れ
を体で覚えてもらうことに力を
入れて稽古しました。
そして公演一週間前になると
いしだ壱成さんも参加しまし
た。稽古中に学生たちは激しい
アクションシーンにも臆すこと
なく集中力を高めて行きまし 重ね、ついに迎えた本番は見事
成功した。
この演劇は練習を合わせても
数日しかない。
しかしこの数日が将来の私を
助けるだろう。
この演劇に協賛してくださっ
た方々、そして参加したすべて
の人々に感謝している。
この経験は大学生活の思い出
ではない。
私の人生の大いなる糧であ
る。 た。ロミオ役の
いしだ壱成さん
とジュリエット
役の下山宝楽さ
んの呼吸もピッ
タリ合い、スピ
リチュアルな世
界をうまく表現
していました。
本番近くまで
各パーツごとに
稽古をしてきま
した。それが合
体した時どうなるかは一種のか
けです。皆の気持ちが一つにな
らないと実現しません。それが
公演当日実現できたのです。ま
さに奇跡ともいえる上演が可能
となったのも関係者の方々の協
力のおかげです。みなさん本当
にご協力ありがとうございまし
た。 なって、さらに緊張でセリフが
飛ぶという失態を犯してしまい
ました。
それでもお芝居を見てくれた
人に神父がロミオにアドバイス
するシーンでの演技を見て感動
したという感想をいただけたり
したのでほんとうにやってよ
かったなと思えました。
またこのような機会があれば
できる限り参加していきたいと
思います。 uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu
uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu
uuuuuuuuuuuuuuuuu やっていくという事は、とても
素晴らしい事だと思いました。
このように貴重な経験をさせ
て貰った事を感謝し、これから
の人生や勉学に対して励んで行
きたいと思っています。大盛況のうちに幕を閉じた。
この演劇はとても貴重な経験
になった思います。
プロの方の情熱を肌で感じた
こと、地域の方と繋がれたこ
と、そして学院に対するイメー
ジが大きく変わったことは、今
後の学院にとって、新たな一歩
になったはずです。
これをきっかけに、また新た
なる挑戦をしていくのも、きっ
と大きな希望になるのではない
でしょうか。 管理や気の引き締めなどあらゆ
る場面でも注意しなければなら
ないのだと思った。
本番当日、私はとても緊張し
顔が真っ赤になってしまったが
マチネ・ソワレともに終わった
後には「良かった」という思い
でいっぱいだった。
いしだ壱成さんや森井陸先生
をはじめ多くの仲間と演じる事
ができてとても楽しかった。
私はこれからも魅力のあるも
のに触れて、周りの人々にも希
望を持てるように日々努めてい
きたい。