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緊急企画 - J-Stage

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化学と生物 Vol. 50, No. 3, 2012

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西には蔵王連峰の山並みが広がり,東には海まで続く 仙台平野が見渡せる.そんな小高い青葉山の頂上付近に 東北大学未来科学技術共同研究センター (NICHe) は位 置 す る.3月11日 に 発 生 し た 東 日 本 大 震 災 に よ り,

NICHe・微生物ゲノム科学研究室は甚大な被害を受け た.震災発生時に生物系実験室にいた研究者として,発 生当時の状況とその後の復旧対応について紹介する.

3.11震災発生

NICHeは,産学官連携を推進するための組織であり,

様々な分野の研究室が同居する.その中の一つ微生物ゲ ノム科学研究室は,農学研究科応用微生物学分野・阿部

敬悦教授のプロジェクト研究を遂行するための実験室で あり,NICHe本館の最上階(6階)の西端に位置する.

大震災発生の前々日(3月9日),宮城県沖で前震ともい われるM7.2の地震が発生した.仙台市では震度4程度 であったが,建物の構造的特性なのか不気味な揺れを感 じた.導入されて間もない実験機器については,地震対 策が十分でなく,阿部教授と「地震対策しないとね」と 話していた矢先の大震災だった.3月11日,午後2時46 分,NICHeに導入されていた緊急地震速報システムが 稼働した.実験室となりの居室にいた筆者は,ヘルメッ トをかぶって実験室の様子を見に行った.間もなくして 激しい揺れにみまわれ,重心の高い実験装置が転倒し,

棚から物が落下しはじめた.収まる気配もなく激しさを

緊急企画

東日本大震災への大学の対応-5

ポスドク・学生の実験室での震災対応と経過

吉見 啓

東北大学未来科学技術共同研究センター

写真1震災直後の実験室

(A) 倒壊したドラフトチャンバーお よび崩壊したパーティション壁.(B) 

脚部が崩壊したバイオ安全キャビ ネット.(C) 崩壊した試薬棚.(D) 

落下したエアコンおよび倒壊したバ イオ安全キャビネット

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化学と生物 Vol. 50, No. 3, 2012 225 増す揺れに身の危険を感じたが,中央実験台に固定した

棚にしがみつくのが精一杯で,ただ揺れが収まるのを待 つしかなかった.

揺れが収まるといったんは屋外に避難したが,余震の 状況をみながら被害を確認するために実験室に戻った.

ドラフトチャンバーの廃棄ダクトは破断し,本体は倒壊 していた(写真

1

-A).バイオ安全キャビネットは,壁 に固定していたにもかかわらず,自重に耐えきれずに脚 から崩れ落ちた(写真1-B).実験台に固定していた試 薬棚は,実験台自体が崩れ落ちたため倒壊し,試薬が散 乱した(写真1-C).吊り下げ型のエアコンが落下し,

電源コードでぶら下がった状態だった(写真1-D).居 室に至っても,プリンタが落下し,書類が散乱していた

(写真

2

.実験室,居室とも足の踏み場もない状態だっ た.もし,倒壊したドラフトや落下したエアコン近くに 人がいたら,大惨事になりかねない状況だった.前週に 卒論発表会が終わり,学生達が留守にしていたことや,

実験補助員も勤務日ではなく出勤していなかったことが 幸いした.実験機材もさることながら,その後の2週間 にわたるフリーザーの電源喪失により,多くの生物サン プルがダメージを受けた.どこから手をつけてよいかわ からない状況に,はたして研究室は復旧できるのか,い つ実験は再開できるのかと不安を覚えずにはいられな かった.

復旧作業開始

震災から1週間ほどが経過し,NICHe本館の安全検査 が行なわれた.外壁の損傷や内壁の崩落はあったもの の,建物自体に立入り禁止の処置はとられなかった.し かし,6階に至っては天井落下物の危険性あり(吊り下 げ型エアコンがぶら下がったまま)という理由で立入り

禁止の判断が下された.安全主任者立会のもと,少しず つ片付けはできたが,しばらくは会議室を間借りして被 害状況の報告書作成など事務作業に追われていた.

4月に入り,ようやくエアコンが撤去され,立入り禁 止が解除されると,自宅待機などの指示が出ていた大学 院生とともに復旧作業を開始した.全学的には入学式や 授業開始が5月にずれ込んだが,夏休み期間を調整する ことで対応がなされた.一方,研究成果を求められるポ スドクや大学院生は,ただ時間を失っただけの状態であ り,早期研究の再開を目指すしかなかった.まずは瓦礫 と化した実験台や試薬棚,試薬瓶などを廃棄し,一部通 電した居室の電源を使用して実験機器の被害状況を確認 していった.また,別地区にある農学部は,4月7日の 余震により漏水の被害は出たものの比較的復旧は早かっ たため,使用可能な実験機器を移設し,一部実験を再開 させた.

6月に入り,実験室にも一部ではあるが通電させるこ とができ,水道配管の工事完了にともない実験室の流し 台が使用可能となった.また,移転した他の研究室のド ラフトを移設してもらうなど,徐々に実験室を整備して いった.しかし,故障した装置の大半は修理できず,使 用可能電源も限られていたため,まだまだ復旧にはほど 遠い状態だった.この頃になると1次補正予算成立によ る震災復旧予算措置が通達されたが,NICHeが属する 工学研究科では,当初,購入金額5千万円以上の物品か つ修理・買替え費用60万円以上という枠組みが設けら れていた.当研究室では該当の物品はなく,実験機器の 修理はできなかった.

そんな中,経済産業省で走っていたプロジェクトで購 入した装置は,震災後直ちにプロジェクト予算での修理 を認めてもらえ,消耗品などの予算の不足分を後に補正 予算で補填していただけた.この点に関しては,非常に あ り が た く,研 究 の 遅 延 を 最 小 限 に 止 め ら れ た.

NICHeではその組織の性質上,各省庁の研究プロジェ クトが走っており,省庁毎に対応状況が異なっていた.

東北大学における予算措置については別項にて詳述す る.

完全復旧まで

本格的な復旧作業を開始できたのは,2次補正予算成 立後の8月に入ってからだった.2次補正後の措置では,

部局による違いはあったようだが,工学研究科では,現 状復帰に関しては金額的な枠組みは設けられず,故障し た機器の修理,代替品の購入が可能となった.まずは,

写真2震災直後の居室

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無菌操作に必要なバイオ安全キャビネットを発注し,

オートクレーブや顕微鏡といった微生物実験に必要不可 欠な機器を修理した.

震災から半年以上が過ぎ,暑さも過ぎ去った9月の末 には,エアコンの修理が完了するなど,実験室および居 室の住環境が整っていった.地震により断絶していたガ スの配管が修復されたのが10月半ばであり,震災から 7 ヵ月たってようやく実験室の機能として,ほぼ完全復 旧に至った(写真

3

.復旧後は,今後の余震に備えて,

実験台やガスボンベスタンドを床や壁面に固定し,実験 機器も実験台に完全に固定するなど,十分な地震対策を

進めている(写真

4

震災復旧予算措置

東北大学においては,震災発生後の3月中に被災した 装置・備品ならびに試薬類の調査が行なわれた.5月以 降,まず1次補正予算の成立により60万円以上の装置・

備品の修理・買替えが執行されたが,修理・買替えの優 先順位は部局で決められており,この時点では限られた 物品の修理・買替えが行なわれたに過ぎない.その後,

数度にわたり震災被災物品が精査され,7月末の2次補 写真3復旧後の実験室および居室

(A) ドラフトチャンバーおよびパー ティション壁.(B) バイオ安全キャ ビネット.(C) 試薬棚.(D) 居室

写真4震災対策

(A) 床および壁面に固定したボンベスタンド.

(B) 実験台の固定.(C) 実験台に固定したイ オン交換クロマトグラフィー

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化学と生物 Vol. 50, No. 3, 2012 227 正予算の成立以降になって,本格的に装置・備品の修

理・買替えが執行された.当然ではあるが,津波被災地 への工事物資・工事業者の優先集中により,大学の実験 室・建物の修理については,危険度判定による緊急なも のを除いては,本格的に進んだのが2次補正予算成立以 降であった.ビル本体の建替えなど大型のものを除い て,秋以降に実験環境の修復が漸進していった.

12月の3次補正予算では,60万円以下の備品の修理,

試薬類を含む消耗品の補填が行なわれ,概ねの予算措置 が終了した.備品の修理・買替えでは,文部科学省の予 算で購入し,固定資産登録(備品シールが貼ってあるも の)は,申請が容易であったが,他省庁・民間とのプロ ジェクトで購入した備品についての修理・買替えの判断 は,当初,明確ではなかった.結局,他省庁のプロジェ クトで購入した備品で,プロジェクト進行中のものは,

各省庁の予算で修理・買替えの対応がなされた.また,

他省庁プロジェクト終了後に無償貸与中の備品類(まだ 大学の備品ではない物),あるいはプロジェクト終了後 に帳簿価がほぼゼロ円になった時点で大学に譲渡・買取 された備品は,固定資産台帳の簿価が極端に低いことか ら,修理申請時にその履歴を申請し,大学の研究での使 用時に被災したということで,文部科学省より措置され た補正予算において修理・買替えが行なわれた.文部科 学省および他省庁関係の予算措置も,案件によっては予

算の制約があり,必ずしもすべてが満たされたわけでは ないが,大学の事務部・関係省庁の担当者の皆様には,

最大限の努力をしていただいた.学内の各部局により,

修理・買替えの優先順位などは異なるであろうが,概ね 以上のような予算措置経過であったと思われる.

おわりに

今回の震災は想定外の規模であったことは間違いない が,同じ仙台市内でも地盤や建物の構造によって被害状 況は様々であった.地震対策にやりすぎはないという が,まさに身を以て体験した事実である.長期の電源喪 失により,今まで作製してきた変異株など多くの生物サ ンプルを失ったことは残念であったが,複数のサンプル 保存法を採用し,保存場所も分散させるなど,今後の災 害に備えた対策への教訓となった一面もある.

幸いにも,間借りしての実験や学生達の頑張りによ り,研究活動の遅延は最小限に止まった.今日では,出 入りの業者や震災対応で無償修理・無償保証に応じてく ださったメーカー関係者をはじめ多くの方々のご協力に よって,通常の研究活動を行なえるまでに復旧した.関 係者各位には,この場をお借りして心から感謝したい.

  (おわり) 

吉川 信幸(Nobuyuki Yoshikawa) <略 歴>1986年大阪府立大学大学院農学研究 科博士後期課程修了/同年岩手大学農学部 講師/ 1990年同助教授/ 2000年同教授,

現在にいたる<研究テーマと抱負>落葉果 樹ウイルスのゲノム構造と機能に関する研 究.植物に病気を起こさない潜在性ウイル スをウイルスベクターに改変し,タンパク 質発現,RNAサイレンシング誘導,ウイ ルスワクチンに利用する研究を進めている

<趣味>ラブラドールレトリバー,フライ フィッシング

吉 見  啓(Akira Yoshimi) <略歴>

2006年京都大学大学院農学研究科地域環 境科学専攻博士後期課程修了(農博)/同 年東北大学未来科学技術共同研究センター 研究員,現在にいたる<研究テーマと抱 負>糸状菌のシグナル伝達系および細胞壁

の解析.糸状菌の複雑なシグナル伝達系や 細胞壁について少しでも多く理解し,新規 抗菌剤の開発や有用物質生産に繋がるよう な研究に発展させたい<趣味>スキー,テ ニス,野球観戦

渡 邉  一 哉(Kazuya Watanabe)  歴>1987年東京工業大学大学院理工学研 究科修了/同年東燃(株)/ 1997年海洋バ イオテクノロジー研究所微生物領域長/

2007年(独 )科 学 技 術 振 興 機 構 (JST) 

ERATO橋本プロジェクト微生物グループ リーダー/ 2008年東京大学先端科学技術 研究センター特任准教授/ 2011年東京薬 科大学生命科学部教授,現在にいたる<研 究テーマと抱負>微生物燃料電池の開発,

微生物エネルギー代謝システムの解明,未 知微生物の探索<趣味>自転車,テニス

渡辺 賢二(Kenji Watanabe) <略歴>

1996年北海道大学農学部生物機能化学科 卒業/ 2000年同大学大学院農学研究科博 士後期課程修了(農博)/2003年同大学大 学院農学研究科応用生命科学専攻助手/

2008年同大学大学院理学研究院化学部門 特任助教/ 2009年岡山大学異分野融合先 端研究コア特任助教/ 2009年静岡県立大 学薬学部准教授,現在にいたる.この間,

2000年米国ウィスコンシン大学マディソ ン校薬学部博士研究員/ 2001年米国スタ ンフォード大学化学および化学工学部博士 研究員/ 2004年米国南カリフォルニア大 学 薬 学 部Senior Research Associate / 2006 年同 Research Assistant Professor

<研究テーマと抱負>天然物の生合成に関 する研究.新しい化合物を見いだすこと,

および望む化合物を自由自在につくること にチャレンジしたい<趣味>研究室の掃除

プロフィル

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