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教育社会学レジュメ 2008.10.27.Mon. 文責:薄葉([email protected])
A. 前回の復習
B. 幼児教育の実践(2)~S.Hollwayの研究から 1. 調査対象の概要と調査方法
a. 調査対象
・ 関西地方にある32の保育現場(幼稚園27、保育園5)。この研究では「幼稚園」にその焦点が当てられている
(調査対象となた幼稚園のリストは別紙参照)
・ 私立21、公立6
・ 宗教に関係なし11、キリスト教系4、仏教系4、神道2(公立は含まれない)
b. 調査の時期 1994年の6ヶ月間
c. 調査方法(フィールドワーク)
1) 観察
・ 園全体を見学し、続いて4歳児クラスを観察
・ 観察中、施設の特徴を詳細にフィールドノートに書きとめ、教師のとった行動や発言を記録。適宜、写真も撮影 2) インタビュー
・ 園長と少なくとも一人の教師
・ インタビューは録音して、後にテープ起こし
・ 非・定型的な質問(自然な会話の流れの中で、適宜質問していく/会話の主導権は相手側に委ねる)
3) 追加調査
・ 上記の調査のあと、3つの幼稚園(2つの私立幼稚園と1つの公立幼稚園)を1週間ずつ再訪問
・ 教師や管理職・臨時教員へのインタビューを折り込みながら、一日の大半を4歳児クラスの観察に充てる
・ 発表会の練習や遠足にも参加
・ 保護者や親業セミナーの講師、心理学や幼児教育専門の大学教員などにも非公式なインタビューを行う
・ 教育課程案内・園だより・宣伝パンフレットなども入手して、分析のために利用 d. 分析方法
1) コーディング
→インタビューの内容を分類するためのカテゴリー(目標、活動、教師-子ども関係、しつけ、親の役割、個人主義と 集団適応性、etc.)を作成
2) それぞれのカテゴリーに基づいて、幼稚園を分類し、その特徴を分析 2. 教育方針からみた幼稚園の3類型
ハロウェイは、それぞれの園長の子ども観や教育観についての信念を基準にして、幼稚園を以下の3つのタイプに分類し た。
a. 関係重視型の幼稚園(日本の代表的な幼稚園)
1) 教育目標
友人と良い人間関係を築くことやクラスでの生活の決まった手順を学ぶことなど、子どもを集団生活に馴染ませるこ とが全般的な目標とされていた。
2) 保育の様式の特徴
関係重視型幼稚園では、教師の指導によって構造化された活動(お絵かきや工作、など)と、比較的自由な活動が交 互に行われている。
関係重視型幼稚園の保育室の装飾や備品はかなり画一化されている。通常は、床の大部分を4-6人の子どもが座る テーブルで占められている。お遊戯や合奏など一斉活動の際には、テーブルは簡単に折りたたんで片付けられる。保育 室にはピアノかオルガンが置いてあり、先生の伴奏によって活動の転換が行われるケースが多い。
教師は、子どもに「集団生活に必要な日常の決まり切った手順」を学ばさせるために、多くの時間とエネルギーを費 やしている。例えば、持ち物の整理(カバンの中身の出し入れや、保育室に入る前に靴を脱ぐ、など)、大人に正しく 挨拶する、正しい食事マナー、他の園児と一緒に発表会に参加する、などである。
注:お弁当の前の「いただきます」の挨拶のように、儀礼的な言葉づかいを皆で唱え反復させることで身体化させる ケースも多い。
自由時間に子ども達はひとりではなく、友だちと一緒に遊ぶよう指導されていた。また、おもちゃ類は比較的少な く、物を使った遊びよりも子ども同士の活動に子どもの注意が向かうよう配慮されていた。
3) 園児のコントロールの仕方
教師は権威主義的な統制をつとめて避けて、子ども同士で注意させたり、そばから見守ったり、子どもの悪さを控え めに注意したりするような「間接的な方法」を取ることが多い。
もちろん、より強力な方法で介入するケースもある。例えば、ホールなどで集団活動をしているとき、逸脱行動をし ている園児を「お耳の悪い方」という逸脱的なラベルで呼んだり(個人名では呼ばないことに注意)、一時的に集団か ら引きはがしたり(「お客様」扱い)することがそれである。園児が自らの逸脱行動を終止したら、元の集団に包摂さ れることになる。
また、先生達は仲間遊びの中で子どもが社会的ルールを学ぶことに大きな期待を寄せていた。ある幼稚園の先生は、
いじめを防ぐために注意深く子どもを観察していたが、多少はいざこざが起こることを期待し、子ども同士でけんかを 解決することも重要な学習体験になると感じていた。
注:トビンの研究によれば、アメリカと中国の教師は子どものケンカに即座に介入しない日本の教師の映像を見て、
「教師の責任を放棄しているのでは」と批判したそうである。
4) 個性と集団の関係
関係重視型の幼稚園では皆が「一つになること」を目標とした活動(発表会や演奏会など)が行われることが多い。
こうした目標は、個人の発達よりも社会的目標を優先しているように見える。しかし、一概にそうとは言い切れないと
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いうのがハロウエィの見解である。
幼稚園の教職員は、「子どもの長所を活かして」とか「子どもの個性を発見する」といったある種の自己志向的目標 を認めている。しかし、これらの目標は、常に他の子どもとの友情や集団生活への参加の楽しさを学ぶこととの間でバ ランスを保つべきものとして語られていた。
実際、関係重視型幼稚園の教師は、子どもにとってただ楽しいだけでなく、本当に思い出になる環境をつくること に、しばしば極端なまでに努力を傾ける。こうした社会化の実践に伴う情緒的な色合い、つまり、明るく、楽しく、非 権威的な雰囲気作りは、「子どもが集団生活に参加することが楽しく報われるものであるのだ」と感じられることを意 図して計画されたものだった。教師にとっては、子どもが無理やりやらされているのではなく、喜んで参加していると いうことが重要なのである。
教職員が「ひとつになること」を達成するもう一つの方法は、行動上の決まった手順を利用して子ども達の行動を揃 えていくことである。それは、制作活動の指導法から個人の所持品を管理する方法にまで及んでいる。
関係重視型で見られるこのような活動の背後には、個人と社会を相反するものとしてではなく、相互に関連し融合し たものとみなす社会観が作用しているようだ。
b. 役割重視型の幼稚園(学習活動を重視)
1) 教育目標
子どもが与えられた状況下で自分自身に求められる役割を果たす能力を伸ばすこと。具体的には、肉体的訓練や厳し いカリキュラムの学習を通じて自制心を養うことが目的とされている。
2) スケジュール
以下は、ある役割重視型幼稚園の典型的な1日のスケジュール(4歳児)である。体操や書き方などの特別な授業は、
英語や美術、合唱、合奏などと交替で週に1度行われる。また保護者は、自由遊びの時間に行われる茶道や武道、絵画 のような追加の授業に子どもを参加させることもできる。スケジュールはびっしりと詰まっており、自由遊び時間や個 人的な選択の入る余地が非常に少ないことが分かる。
3) 教育理論
役割重視型幼稚園のクラス担任の教師は、漢字・算数・音楽を幼稚園で教える方法を長期間に渡って訓練されてい る。例えばある幼稚園では、アメリカの教育者であるグレン・ドールマンや教育者鈴木慎一、石井勲(注)の理論を少 しずつ取り入れながら、自らの指導法を編み出してきた。また、この幼稚園では、幼稚園向けの学習教材を専門に扱っ ている出版社が開発した教科書を用いていた。
注:ドールマンはアメリカの教育実践家。主に脳性マヒ児を対象とした訓練プログラムはドーマン法として知られて いる。鈴木慎一はバイオリンを中心とした音楽の早期教育(スズキ・メソッド)で世界的に知られている。また、石 井勲は漢字の早期教育プログラムの提唱者。そのプログラムは石井式漢字教育として知られている。
これらの幼稚園の先生は、子どもの応答が正確かどうか明確な評価のフィードバックを与える。「弱点」が見つかれ ば、それを克服するよう教師は園児に働きかけていた。
また、役割重視型幼稚園に共通するのは、子どもが既に気に入っている活動ばかりに参加するのではなく、もっと多 くの経験をすべきである、という考え方である。ある園長は以下のように述べている:
「多くの人々は、私が個性を重視していないと言って批判します。もし子どもが絵を描くことが好きならば、子ども はそうすることを選ぶでしょう。けれども、絵を描く以外に他に何もしないのは非常によくないことです。子ども は、まずしっかりとした基礎を築くべきであり、その上で、それぞれ固有の性格が育っていくのです。(…)私たち のモットーは、子ども達は何でも好きになるべきであるということです。たしかに私は、子どもが(すでに)気に 入っている領域を強化することも教育であると考えていますが、好きではないことを克服するのを助けることの方 が、真の意味での教育であると信じています。(…)集団は個々の子どもが好きではないことを克服する助けとなる のです。」
関係重視型の幼稚園では、活動をできるだけ楽しい雰囲気のなかで行わせるように努力していた。これに対して役割 重視型幼稚園ではこのような「のびのび原則」は貫かれておらず、長時間座っていることや、教師から指示された活動 を園児が速やかに行うことが期待されていた。また、マラソンで身体を鍛えたり、障害物のコースを走ったり、その他 子どもにとってはかなり厳しい課題に挑戦させられていた。このような「訓練主義」の背景には、「自己中心的な子ど もが社会的責任を持った大人へと成長するには、苦労した経験が決定的に重要である」という伝統的な考えが存在して いるとハロウェイは言う。困難を克服することで、人間は精神t的にも肉体的にも成長するというわけだ。
4) 園児のコントロールの仕方
役割重視型幼稚園の幼稚園でも、教師は大抵の場合、強制的な訓練的方法を用いることは避けていた。先生達はきび きびとしたペースを保ち、作業が遅かったりそのプログラムへの参加を渋ったりする子どもを粘り強く励ましながら、
非常に組織化されたやり方で教材を提示し、子どもが活動に参加できりょうにしていた。
しかしその一方で、勉強を重視する幼稚園では、子どもは長い時間机の前に座っていることを要求され、自由遊びや おしゃべり、あるいは身体を動かす時間をほとんど与えられなかった。そのうえ、課題自体が子どもにとっては困難な ものであった。こうした拘束から、子どもは時々落ち着かなくなったり、反抗的なる。そうした場合、教師は自分が部 屋から出て行くと言ったり、間違った行動をした子どもに部屋から出て行くか、一人で座っているよう求めたりした。
教師が教材を取り上げることもあった。
このように役割重視型幼稚園の教師は関係重視型幼稚園と同様、比較的寛容な教育スタイルが取られていたが、他方 で管理職(園長・副園長)や専門科目のみを教えに来る数名の教師のなかには、もっと高圧的で権威主義的な行動を取 る者もいた。例えば、ハロウェイはある音楽の専門教師が、きちんとお辞儀のできない園児の頬を引っぱたいている光 景を目撃している。またこの教師は、「要観察児」(問題を起こす可能性のある園児のリストが園長から手渡されてい た)の園児を「問題児」と名指ししたり、他の園児よりも明らかに厳しく指導していた。(注)
注:この音楽の教師は、ふだんは生き生きとして規則正しく、授業も活力にあふれ、劇的な雰囲気を作り上げる有能 な教師であることは付け加えておかねばなるまい。ルール破りをした園児の指導が、殊更厳しいだけなのである。
また、この幼稚園の園長と副園長は先生と園児達の観察にかなりの時間を費やし、園長の期待に添わない場合には、
その間違いを正していた。2人は暗い色の服を着て、笑顔や気軽な会話は控えており、厳格な物腰だった。授業中もこ の園長は各部屋を少しずつのぞき込みながら、園児と教師の様子を観察(監視?)していた。
このように、担任教師による比較的肝要な教育スタイル(アメ)と、管理職による厳しいアプローチ(ムチ)が合体 することで、この幼稚園では強力な統制システムが作り上げられているわけだが、ハロウェイはこうした「アメとム チ」の二重の統制構造が、上級学校でも見られるのではないかと指摘している(例えば、優しい養護教諭と厳しい生徒 指導主任の組み合わせ)。また、このような強力なコントロールのシステムが発達したからこそ、園児の数が多い役割 重視型の幼稚園はその秩序を保っていると言えるのかもしれない。
5) 役割重視型幼稚園における緊張・葛藤・反抗
役割重視型幼稚園の園長は教育や家族について保守的な見解の持ち主が多い。ある園長は、自分の幼稚園に通う園児 の母親のことを強く批判していた。曰く、「日本の母親は寛容でありすぎ、子どもに対して無頓着であるか、過保護で あるかのいずれかである」。別の園長は、拡大家族のメンバー(祖父母や叔父・叔母など)によってかつては行われて いた援助や手引きが今の母親には行われていないと認めていた。
母親をこのように批判的に見ていることから、園長は母親との間に有意義な協力関係を築くことができるとは思って いないようであり、自分たちの役割と母親の役割が補い合うものであるとは見なしていなかった。ほとんどの園長は、
唯一の現実的な解決策は、親を無視し、ふだんの幼稚園のプログラムによってできる限り深く子どもに影響を与えるこ
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とであると考えていた。
こうした園長達の態度に対して、母親たちも少しずつ異議申し立てをするようになっている。しかし、幼児教育に対 する見解が一致しなかったり、育児に強い自信が持てない等の理由で、プログラムに強い影響を与えることができない というのが、この時期の現状であった。
一方、園長と教師たちとの関係はどうだろうか。多くの私立幼稚園は、他の幼稚園に勤めていた教師を雇うことを避 け、短大を卒業したばかりの若い女性を雇うことを好んだ。このようにするのは、経験のない教師の方が、他のシステ ムに馴染んだ教師よりも園の方針に従順であり、適応しやすいからである。
ある幼稚園の教師は、午後7時30分に幼稚園に来て、午後6時まではけっして帰ることはないと語っていた。通常の教 師としての仕事に加えて、先生達はいくつもの雑務(会合の司会、定期的な掃除、保育室の壁の装飾、など)を担って いた。これらの要求される基準に応えられたないと、子どもに対して行われるのと同じ種類の非難を受けることにな る。
日本の幼稚園教師は比較的よく訓練されていて給料も高いが、彼女たちは若く、現在の職場以外の経験がほとんどな いため、教師たちはいくらか軽んじた扱いを受けることになっているものと思われる。また、多くの母親と同様に、教 師たちは自分の知識や能力に自信がないようだった。とりわけ、役割重視型幼稚園では園長が強力な支配権を持ってい るケースが多いため、若い教師たちはなかなか異議申し立てをしにくい状況にあったのかもしれない。
園児はどうか。勉強重視の幼稚園は、通常静かで規律正しかった。しかし、ハロウェイはある園児が、担任とは別の 教師が伝言を持ってやって来たとき、「○×だ!どろぼうがきた!」と叫んで、教室の笑いを取っていた。また、この 幼稚園では、子ども達は、先生が特にそうするように言わなければ、お互いに関わることはまったく期待されていな かった。この幼稚園の教職員は、子どもの集団行動を監視・統制し、子どもにも「当番」の形で統制の権限をいくらか 与えていた。しかし、子ども達は、大人に限らず子ども達自身でいざこざに対処する「隠れた統制」の方法を作り出し ていた。このことは、厳しく統制されたクラスにおいても、子ども達は小さな隙間を見つけては反抗したり、自分たち なりの世界を形成するのだ、ということを示唆している。
c. 子ども重視型の幼稚園(欧米型?)
1) 教育目標
子ども重視型幼稚園の中心思想となる文化モデルは、「子どもはそれぞれが尊敬に値する個人である」という観念
(個性の重視)である。そして、強い「個性」(個人の能力)を持っている子どもは、自分の持っている技能によって
「よい」集団づくりに貢献することができる。すなわち、「個人の能力の育成」と「集団コミュニティーの育成」とい う2つの相補的な関係にある目標が子ども重視型幼稚園では追求されることになる。
注:ちなみに、役割重視型の教職員は、個性は自然に開花するものと考えていた。ただし、それは集団活動への参加 によって確固たる共通の基盤が確立されたあと(おそらく成人になってから)開花するものであった。一方、関係重 視型幼稚園では、教師は子ども達に個人差があることを認め、できる限りそれを調整しようとする。しかし、子ども の興味を育てることやコミュニケーション能力を高めること、自分自身の感情を理解することを援助することなどに ついては、カリキュラムの主な要素とは考えていなかった(子ども重視型では、これらはすべて重要な目標であ る)。
2) 保育の様式
子ども重視型幼稚園は他の幼稚園に比べて全般に規模が小さい。これは、上記のような教育理念にあわせて幼稚園が 作られたというケースもあるが、公立幼稚園のように入園する園児数が減少することによって、結果的に子ども重視型 にふさわしい教育環境ができあがっていたというケースもある。
注:1989年の幼稚園教育要領の改訂に伴い、文部省は子どもの「個性」を尊重する方針を打ち出した。文部省の管轄 下にある公立幼稚園は、従来支配的であった「一斉保育」から「自由保育」への転換を余儀なくされることとなっ た。少子化や人気薄に伴う公立幼稚園の園児の減少は、結果的に文部省が推し進める「個性」を重視する保育にとっ て適合的だったことになる。
「個人の能力の育成」と「集団コミュニティの育成」という目標を達成するため、子ども重視型幼稚園は、長時間の 自由遊びと様々なグループ活動を融合させており、このバランスの取り方は関係重視型幼稚園と類似していた。ただ し、関係重視型では子どもは特定の活動に限って教材を配布されたが、子ども重視型では大抵は教材のある活動コー ナーが設置されていて、子どもがいつでも教材を使えるようになっていた(前回見たイギリスのnurseryを思い出して いただきたい)。
子ども重視型のカリキュラムにある基本的な教育方法は、「子どもが個人として自分に会った活動と教材を自由に選 ぶべきである」というものである。カリキュラムはあらかじめ計画されていたが、子ども一人一人の必要に応じて毎日
変更されていた。
こうした自由遊びは子ども個人の認知的な発達を促進することを目標としているように見えるかもしれない。しか し、子ども重視型幼稚園の教師は、こうした活動を協調的な行動と関連する社会的行動能力や、共感性のような社会認 知的技能を促進するものと見なしていた。ある園長は以下のように述べている:
「自由遊びの間、子どもは異なる考えを持った友だちと関わります。そうした関わりを通して、子ども達の間には違 いがあることを理解するようになります。(…)そして、徐々に他の人といっしょに生活していくということが理解 できるようになるのです。」
実際、子ども重視型幼稚園の教師たちは、自由遊びの間、孤立した園児が仲間との関係を築く能力を育てるための足 場を築くことに腐心していた。また、教師は子ども達が自分の考えや気持ちを言葉にするよう促していた。役割重視型 や関係重視型の幼稚園では、子どもと先生の間で一言二言以上続く会話はほとんど見られなかったのに対し、子ども重 視型幼稚園では、先生は子どもと長い時間、会話をする。このように日常会話の能力を高めることはも、他者と関わる 能力の育成を援助するという目標と結びついていた。
また、日本の幼稚園では一般に子ども同士のいざこざに介入しない傾向が強いが、子ども重視型の教師は、子どもが 自分自身の感情と反応を理解できるよう、より頻繁に言い争いに介入していた。深刻なけんかの場合であれば、先生は 両方の子どもにそれぞれの言い分を言うように促し、仲裁する。それぞれの子どもが語った事件の内容を要約すること もあるが、仲直りするよう指図することは避けていた。子どもが怒りや嫉妬などの強い感情を経験しているかもしれな い場合、それを言葉で表現することを手助けようともしていた。
このように子ども重視型幼稚園の教師は、子どもが傷つかないように気を配りながら、子ども達がいざこざを体験 し、それを解決する建設的な方法を見つけ出すよう励ますことで、子どもが葛藤を自分で解決する能力を身につけてい くための「足場づくり」を行おうとしていた。
子ども重視型幼稚園のカリキュラムでは「自由遊び」が核となっているが、クラスの子ども達が集団として集う時間 もある。一般に集団活動は、教師によって促される話し合いの形式を取っていた。他のタイプの幼稚園と比べると制限 が少なく、「参加型」のものであると言える。
3) 内と外
日本では、内(家庭あるいは家庭のような環境)と外(公共の場)では異なる種類の行動が期待される。トビンによ れば、日本の幼稚園は内と外の両方の要素を持っているという:
「大人になる過程で、日本の子どもは内側と外側、前と後ろ、公的と私的とを単純に区別する以上に複雑なことを学 ばなければならない。自己について適切な二層の感覚を持つために、人は非常に流動的で微妙な区別を学ばなければ ならないのである。ひとつの会話の中にも表と裏の間にズレがあり、子どもはその間を行き来することを学ばなけれ ばならない。(…)したがって、日本の幼稚園で子ども達が学ぶべき最も重要な教訓は、表、すなわち、公的な状況 で適切に行動することではなく、「けじめ」(表と裏の間を流動的に行き来するための知識)を身につけることであ る。
日本の幼稚園は、子ども達に母親や家庭とはまったく異なる世界を提示するのではなく、家(内)と家ではないも の(外)、表と裏を同時に持つ世界、さらには自然に生じる人間的な感情(ホンネ)と決められた形式で表現する見 せかけ(タテマエ)の両方を持つ世界を子どもたちに提示することにより、子どもがこうした二重になった自我を発 達させ、統合させるのを助けているのだと思う」
この基本的な説明に加え、様々なタイプの幼稚園では、それぞれが独自に「内」と「外」の要素を組み合わせる方法 を開発してきた。役割重視型幼稚園は、全体的に見て子どもが公的な世界(外)で活動することを要求していた。こう した幼稚園では、けっして子どもを甘やかしたり気ままにさせたりすることはしない。子どもたちはみな不平を言わ ず、一生懸命勉強し、難しい身体的技能を習得していた。教師との間では、母親との間にあるような関係はまったく奨 励されなかった。
一方、関係重視型幼稚園では、一般に内を背景に持った上で外の要素が取り入れられていた。一日を通して、子ども 達は非常に構造化された日常の活動と、ほぼ完全な自由との間を行ったり来たりする。朝登園し、厳密な手順に従って 服を着替え、それから最低限の先生の監督のもとで1時間ほど外で遊び回る。このサイクルは一日を通して続き、降園 前に少し構造化された時間があって一巡する。上記のトビンの記述は、関係重視型幼稚園に最も当てはまっていると言 えるだろう。
では子ども重視型幼稚園はどうか。ハロウェイが訪れた幼稚園は明らかに強い内の要素があっった。クラスの規模は 小さく、教師が一人ひとりの子どもに十分な注意を注げるようになっていた。先生は、しばしば親と同じくらい多くの 共感的技能(思いやり)を用いて子どもの欲求を予測し、時には子どもがまったく言葉にしなくても、子どもの欲求に 応じた行動をしていた。注意深い観察を通して、子ども重視型幼稚園の先生は、クラスにいるそれぞれの子どもの現在
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の興味や成長段階に応じて、その環境下にある教材を調整しようとしていた。
しかし、子ども重視型幼稚園の環境がすべて内志向であると結論するのは不正確だろう。本当に内の状況では、個人 は自由に「気ままにふるまって」おり、個人を楽しませることはほとんどない。子ども重視型幼稚園では、先生は定期 的に子どもを見ており、その活動を深めたり拡げたりする機会を模索している。それが自由遊び、昼食、集団での話し 合いの場面であっても、常に子どもが他の子どもとうまく関わり、クラスの中で適切に自分の能力を発揮できるよう気 を配っていた。その意味で、内的な要素を基盤としつつ、外的な(つまり社会的な)関係性も並行して発達させようと いうのが、子ども重視型の特徴なのかもしれない。
3. ハロウェイの研究の意義 a. 従来の先行研究
これまで日本の幼児教育についての欧米の研究者たちは、概して好意的な見方をとってきた(前回のレジュメを参 照)。1980~90年代の彼らが描く日本の幼児教育のイメージは、日本人自身が認識しているものとは正反対と言っていい ほどに、ある種の理想的な幼児教育の姿を示す例のようでもあった。
ルイスやピークたちの著書で一貫して紹介されてきた日本の幼稚園教育の特徴は、子ども中心的な価値観、性善説的な 子どもの行動のとらえ方であり、それが子どもの逸脱行動に対しても寛容な対応の仕方へと導き、子ども同士のトラブル に対しても、相互の調整により解決可能だとする、ある種の予定調和駅な楽観主義を感じさせるものであった。
同時に、アメリカの幼児教育と比べると、学科の学習の準備教育という面が少なく、遊び中心であるが、それがかえっ て高い学力を支えることになっていると肯定的に評価している。いずれにしても、これまでの欧米の研究者達は、全体と して日本の教育や子育ての仕方に好意的な人が多かった。
b. ハロウェイの知見
これに対して、ハロウェイは、そのスタンスにおいてだいぶ違っている。彼女は、欧米の研究者たちが日本の幼児教育を 一枚岩のようにとらえてきたことを批判し、実は多様性を持っていることを強調する。たとえば、現実には、緩いしつけ とともに体罰を容認する厳しいしつけも同時に存在していることを強調する。
どちらかというと、教育実践に対する比較文化的なアプローチを取る研究者たちは、自国の教育関係者に対して、自国 の中で不足しているものなりモデルなりを相手の国の中で見出そうとするが、彼女にはそうした動機が少ない。この点に 関してハロウェイは、とらわれのない目で日本の幼稚園教育を見ていると言える。
また、日本の幼稚園がこのように多様性を持つことを可能にしている条件として、日本では私立幼稚園が圧倒的に多く
(2006年のデータでは、園数では60%、園児数では79.8%が私立の幼稚園に通っている)、文科省の圧力やコントロール を受けることが少ないこと、幼児教育の専門家が少なく、幼稚園がそれぞれ独自の色を出しやすいことなどを挙げてい る。
C. レポートについて(2回目)
1. テーマ
先週および今週の授業で触れた内容(幼児教育の実践)について内容をまとめて(要約)、その議論を踏まえて自分なり に「展開」する。
2. 「展開」のためのヒント a. 自分の経験から
自分が過ごした幼稚園が、上記のどのカテゴリーに当たるのか調べてみる。(廃園になっていない限り)インターネッ トで調べれば、その幼稚園の客観的事実(私立か公立か、宗教的な基盤はあるのか、敷地規模、教育理念、etc.)は掴め るはずである。
また、再び両親にインタビューして、「その幼稚園をなぜ選択したのか」「その幼稚園の特徴は」「記憶に残っている エピソード」などを聞き出せると面白いかもしれない。また、自分の記憶を遡って、その幼稚園の教育にかんして印象に 残っていることを思い出してみるという手もある(小さい頃の写真を見ると、記憶を遡る手がかりになるかも)
b. バイトやボランティア
バイトやボランティアで幼稚園や保育所に行った経験がある人は、その施設の教育の特徴などについて記述すると面白 かもしれない。上記のどの類型に当てはまるのか、教師や保護者の様子は、等々。
c. 他の講義との比較
d. 幼児教育に関する文献を読んで、その内容と今回の授業の内用とを比較・検討してみる
参考文献に挙げた結城(1998)については、昨年度の授業のレジュメでその大まかな内容を紹介した。ホームページ
に資料として掲載する予定であるので、それについて論じても良い。
e. 提出期限
「11月7日(金)」
教務学事課に提出する場合は、「13時10分」(昼休み終了)まで。メールの場合は、7日いっぱい。
D. 参考文献
1) 臼井博、2007「三つ子のたましい―幼児教育実践の特徴」内田伸子・氏家達夫編『発達心理学』放送大学教育振興会 2) ハロウェイ、S.D. 2004『ヨウチエン―日本の幼児教育、その多様性と変化―』北大路書房
3) 森上史郎編、2007『最新保育資料集』ミネルヴァ書房
4) 結城恵 1998『幼稚園で子どもはどう育つか―集団教育のエスノグラフィー―』有信堂高文社 E. 教育社会学ホームページ
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Takeshi.Usuba/