1月21日 加古川市平荘町山角 報恩寺 鬼追い
真言宗印南山、報恩寺の追儺会式は午後 3:00 頃から始まる。寺の修正会式とその結願の追儺との関係はこゝで は可なり薄れている。それよりも21日という日は大師祭と関連があるらしい。尤も正式の初太子祭は2月21日と なっているが、鬼の出に先立つ法要は、こゝでは般若心経理趣本を読誦し、本尊十一面観音真言、薬師如来真言を 始め各種真言を呪言する。
報恩寺は昔はこの地方で相当大きな寺で寺領も広く、院坊7~8寺もあったようである。
鬼になるものは檀家であれば誰れでもなることが出来た。檀家は山角部落を中心に周辺数ヶ村に亘っていたが厄 年に当るものが鬼に出れば厄が払われるというので寺へ申込んでも順が廻って来るのに4~5年もかゝる程申出が多 かったが最近は申込人がなくなり、寺から檀家へ頼みに行ってなって貰うこともあった。幸い本年は 2 人の青年が 申出たのでその人にやって貰うことになった。
別に定めはないが鬼になると2年間その役を勤めることになっていた。始めは赤鬼をやり、次の年は青になった。
鬼役はこの赤鬼面をつけるものと、青鬼面をつけるものとの2人であるが昔はこの外に子鬼が2人出た。今は無く なったが子鬼は少年、子鬼面をつけたが今はその面も無くなってしまった。
鬼役2人は20日の夕方から本堂鬼門の隅にある鬼部屋に籠り潔斎した21日の朝は早くから鬼2人は手分けをし て山内各所にある、太子八十八ヶ所の碑の前に賽銭函を据え、また土器に御仏飯を入れたものを置いて歩いた。又 21日夕方から、この供えた御仏飯や賽銭函を整計のため再び八十八ヶ所を巡った。
また2升蒸し1重ねの「おごく」を搗いた。21日は自分で朝から風呂を焚いて、風呂に入り身を清めて鬼の衣裳 付をした。
現在はこれ等が殆んど簡単化され、同時に檀家総代の下に寺世話人が 5 人あって、住職と相談し、寺世話人が人 を使って殆んど、これ等の用意万端をする。寺世話人は 5名、都合があって今日は3人のみであるが、檀家総代が 替ったとき改めて檀家総代から頼まれることになるが今日まで年番渡しのような制がなく、寺を守りすること故、
頼まれたら断るわけも行かず、また信徒の事情もよく知っているというので、殆んどが終身のようになって大たい 家筋が決ってしまっているということである。
寺世話人は鬼追の用意として、「コエ松」を長さ20cm位の棒に割った松明をつくる。細いのは2~3本束に藁で 括る。これを100束ばかり、山つゝじの枝に紙の造花をつけたハナをやはり70~80束つくる。また竹串に牛王宝印 を押したお札を挟んだものを用意する。
始めこれ等の用意のものを「おごく」の鏡餅と共に仏壇に飾り、また本尊の左右に鬼面と棒とをまつる。赤面が 左、青面が右である。
棒は1.6m位の樫の棒で中央稍上の所に白紙を巻き水引で結へる。これは鬼が持つ。礼壇には別に三宝に小さな短
冊型に切った餅が盛ってあるが、これは法要が始まると役僧が結界の所に出す。参詣人が 1 つづゝ頂くことになっ ているが、瞬くうちに空になる。
午後 2 時頃寺から使が来て、鬼役に風呂に入るようと伝える。それまで、寺世話人の屯ろしていた火鉢の傍で盛 んに冬山登山のアイスバーンの登法テクニックについて話し合っていた。好もしい 2 人の青年が風呂へ入りに行っ た。
風呂から帰って来ると、そろそろ仕度にかゝる。
寺世話人の1人が火鉢の縁にあぐらをかいたまゝ法螺貝を吹く。1人が立って行って、鬼部屋にある太鼓を打つ。
これは寺方の法要出仕の合図のようである。楽器の入るのは後にも先にもこのときだけで、それでも聞き伝えた村 人達や、露店の前に集っていた子供が本堂へ集って来る。
本堂の構造は、やはり艮(右奥)の所に鬼部屋がある、がこの鬼部屋は現在物置に使われていて、大太鼓を据え たまゝで、囲炉裏は切ってない。内陣の左側に続いて畳敷の部屋があり、鬼の衣裳付けや、世話人の屯ろ場所はこゝ になっている。この部屋から内陣の後を通って鬼部屋の方へ廊下はあるが、鬼追いのときこゝを通らない。
最初に記したように法要が始まるが、その間に鬼の衣裳付が始まる。
赤鬼 赤い手甲付の短衣、同色の股引、赤足袋、草鞋ばき。その上から赤布を絢った綱で鬼襷をする。腰の後で 横綱のように結ぶ。
坐布団を1枚頭にかぶせて面を被る。2本角の普通にある牙をむき出した赤塗の面で、後頭部に当るところ は黒い丈夫な厚布がついていて、上からすっぽり被るようになっている。鼻孔から外を見る。
棒を持つ。
青鬼 衣物の染色が濃緑色で他は赤鬼と全く同様である。面は青というものの殆んど黒色である。
赤、青といっている外に特に名称はない。
仕度を終ると支度部屋から後の廊下に入り改めて内陣へ入って読経を聞く。このとき赤鬼は本尊の左側、青鬼は 右側に台に腰を掛ける。棒は赤鬼は左手に青鬼は右手に持って真直ぐに突く。
世話人は鬼部屋の裏側、階段から堂外に出て、そこで、松明を燃やす焚火をする。もとは大きな火鉢があったら しい。割れてしまってから、地面でやる。
読経が済むと鬼は 1 度内陣の後の廊下に出て、鬼部屋に入り世話人から渡された松明を持って、外陣の外の廻廊 に現われる。赤、鬼の順である。後から世話人が幾束も松明を持って付いて来る。子供たちが堂下に集って、わい わい言っている方に向って持っている松明を投げる。世話人が次の松明を渡すと、すぐこれを投げる。2人が投げる ので、世話人の持って来た松明はすぐ品切になり、世話人は大急ぎで鬼と焚火場との間を往復する。
鬼はこうして、ゆっくり廻廊を巡りながら、松明を下へ向って投げるだけで、投げ終ると左側の階段を降り、堂 の裏を廻って、再び鬼部屋から廻廊へ現われる。これを3回繰返す。
3回目は左側の階段を降りず、衣裳付をした部屋を抜けて内陣に入るが、そこで鬼面を脱ぐと外陣との結界の所で 待っている参詣人の頭に鬼の面を1人々々すっぽり被せて廻る。これを被せて貰うと頭痛持が治るという。
その間に寺世話人は仏前に飾ってあった、つゝじの枝のハナと、お札をさした竹串を希望者に与へる。これは種 まきのとき苗代の水口にさす。鬼が投げた松明屑も争って拾うが、これは子供の夜泣きに効目があるという。