4月29日 兵庫県津名郡五色町鮎原 河上神社 壇尻歌
河上天満宮の春祭には壇尻が各部落から12である。1つは壊れたので現在11
①吉田、②田処、③宇谷、④栢野、⑤柏原、⑥下村、⑦三野畑、⑧田、⑨小山田、⑩南谷、⑪上
で午前中11時の間に宮入することになっている。鳥居の前の馬場へ早くつけたものからお宮で第何番と書いた旗を 貰い、その旗の順に宮入して境内の壇尻を早く石畳へその番手の順に置いて行く。上記の番手は今年の宮入の順で ある。
現在は11部落が合同して鮎原青年団が1つになって壇尻歌を踏襲しているが、これも人数が少なく仲々難しい。
昭48年も25日頃はやる積りでいたが嫌がるものがあって、当日やってそのうちの2人が説得して壇尻が今年境内 へ揃ってから急いで隣の学校の2階でリハーサルをやり、やっと渡御前に行ってやった。1台の壇尻を神前の
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※ 印の所へ引出し壇尻の前の舁い棒の所へ6人(バス)が右側、4人(アルト)が左側に並び「忠臣蔵茶尾場の段」をや った。これも完全にやると役者が15人は必要であるが臨時に納得してやることになったのは10人。右左の棒にと りついての演出であるが 15 人となると前方に、拝殿の社後を向けて棒にとりつくものもあるという。「忠臣蔵」の 外に「安達原」もよくやった。演るときは現在銘々が拍子木を打ちながら語る。もとは三味線、太鼓、鉦が入った らしい。壇尻の乗子が子供を勤めるという。こみ入った趣向のものもあったらしい。
歌い手は服装は壇尻を舁ぐときのまゝ黒襟付の白の法服(ハッピ)背に一面に和歌や漢詩や歌謡の一部を筆太に 書いてある。また墨絵を描いたものもある。大てい洋服の上からこれを羽織っている。昔は 12の壇尻が12部落と も夫々壇尻歌を出した。中には師匠を雇うて熱心な部落もあり祭日 1 日ではやり終せないので、秋春の祭に分けて 歌う。部落を決めたこともある。
壇尻は緋布団5枚を平らに重ね、上の布団程大きく、4方より2筋の金銀縞の網で縛ったもの。金銀縞の四方引幕、
乗子は子供4人、4隅に提灯を下ける。始めから木の台車つきのものが多い。道中を練るときは祇園囃子。境内に力 石が沢山ある。
壇尻唄は広石にもある。