平成15年7月11日 上智短大学生通信 (1)
‑1‑
上智大学学生通信
第 22 号
2003 年 7 月 11 日 発行人 風間春香 井上彩子
濱野さゆり 原島麻希子
学生通信
先生 インタビュー
近藤先生編
今回は大
きな
テーマとし
て「英語を学ぶとは?」につ
いてインタビューしました︒
最近第三次英語
ブーム
と
言われていますが︑どうし
てそう言われているのでし
ょうか︒
﹁一つには
インター
ネットの
普及 があると
思い
ます︒インターネットで相
当な情報が得られますが︑
そのほとんどに英語が使わ
れています︒もう一つは政
治的なもの︑経済的なもの
ですが︑冷戦崩壊後世界に
おけるアメリカの力がより
強くなったことによりアメ
リカの
母国語
である英語が
普及
している
事実があると
思います
︒ ﹂
では 先 生 自 身
が考
える
英語を学ぶ意義とはどんな
ことですか︒
﹁
日本人
のように
英
語を第二外国語
として
学ぶ
人口が世界で増えてきまし
た︒英語圏以外の
人達
とも
英語でコミュニケーション
ができるということは非常
に大切だと思うんですよね︒
私達の視点をより大きく広
げてくれます
︒ ﹂
そのコミュニケーション
というのは﹃会話﹄という
意味
でですか
︒
﹁
会話 だけができれ
ばいいと思っている人もい
るかもしれないですが︑会
話といった時に何をイメー
ジするかが問題なのです︒ ただあいさつをして表面的
なことだけを言えればそれ
でいいのでしょうか︒でも
私は考えていることや意見︑
それから
文化
や国といった
かなり深
いところまで
相手
に伝えることができて初め
てコミュニケーションと言
えると思います︒ですから︑
そういったコミュニケーシ ョンができるようになるた
めには︑文法力︑語彙力︑
読解力や背景知識といった
総合的な力が必要
です
︒ ﹂
一般的
に
日 本 人
は
中 学
︑
高校︑
そして
大学で何年も
英語を学んでいるにもかか
わらず︑
英語
ができないと
言われていますよね︒ ﹁
期間
で考えると
長いように聞こえるかもし
れませんが︑実は
英語
に接
している量というのは少な
いのです︒もっと多くのも
のを読んで︑聞いて︑長い
間接しなければ英語は身に
つきません︒日本人が英語
ができないというのは︑や
っているのにできないとい うわけじゃないと思います︒
英語の
基礎的
な訓練の中で︑
自分でしっかりと積み上げ
なければいけない
部分
をや
っていないからだと思いま
す︒
受験英語
も決
して
無駄
ではないです︒
文法的
な力
や読解力もつきます︒ただ︑
それだけで終わるのではな
くて︑
それを
使う
機会
を設
けることが大事なんですね︒
たとえば
自分
の思っている
ことを書いたり︑ディスカ
ッションなどで自分の意見
を発表する訓練はあまりや
ってこないと思
います
︒だ
から受験で勉強したことの
上に新たに力をつけていく
ことが必要です
︒﹂
日本で
勉強
するよりも外
国に行った方が英語の実力
をのばすことができますか︒
﹁
英語圏
に住めば英
語の実力が伸びるという考
え方は違
うと
思
います
︒外
国に住み始めるとまずカル
チャーショックを受けます︒
心理的な壁と言葉の壁があ
りますね︒そこでそれを乗
り越えようとする積極的な
気持ちがないと︑ついつい
楽なほうに流れていってし
まい︑
日本人
と行動するパ
ターンに陥ってしまいます︒
そうなると何年間住んでも
なかなか力がつかないとい
う可能性は十分にあります︒
そういう
人達
が多くいるの は事実です︒ですがその反
面︑状況と英語がセットに
なって分かることというの
があります︒そういった日
本にいたのではなかなか身
につかない力をつけること
ができます︒
それから
異文
化体験を通して︑違った価
値観を知ることができます︒
帰国後も
自分
の周りのいろ
いろな
価値観
をより理解す
ることができるようになる
でしょう︒そのためにはや
はり積極的に人との関わり
をもって︑自分の壁を乗り
越えようとする覚悟と努力
が必要だと思います
︒ ﹂
先生ご
自身
も
高校生
の頃
に留学した経験があるそう
ですね︒
﹁
アメリカ
の
カリフ
ォルニア州にAFSという異
文化交流を目的
とした
プロ
グラムで交換留学をしまし
た︒一年間ホームステイを
して
アメリカ
の家庭ではど
んなことが行われているの
かを体験し︑
アメリカ
の普
通の高校に通い︑周りと同
じように
授業
を取
って
勉強
しました︒すべてのことが
思い出深く︑いろいろな体
験をしましたね︒フットボ
ール︑ダンスパーティーな
どすべての行事に
参加
しク
ラブ活動もしました︒アメ
リカの人達だけでなく世界
中から来ている
留学生
と交 流ができました︒
英語
に関
しては︑
留学
する前に自分
なりにはよく勉強していた
のですが︑留学中にずいぶ
ん話せるようになりました︒
何事も
積極的
に行動するよ
うにしたおかげだと思いま
す
︒ ﹂
海外の
大学
に行かないで
も英語力を身に付けるため
にはなにをしたらいいです
か︒
﹁
この
短大は
環境的
にとても恵まれていると思
います︒
先程
も言
った
英語
の基礎力をつける
授業
がた
くさんあります︒
自分
の持
っている英語力を試し︑意
見などを
発信
する
機会
もあ
ります︒ですから
授業
を十
分に活用していれば海外の
大学で勉強しているのと︑
そう変わらない環境だと思
います︒外に一歩出れば英
語を話す
環境
ではないとい
う点では違いますが︑学校
で勉強していることは︑そ
う大きく変わるものではな
いです
︒﹂
具体的に勉強の
仕方
に関
してのアドバイスはありま
すか︒
﹁皆さんの中には話
せるようになりたいという
願望がずいぶんあるようで
すね︒それならば︑まずた
平成15年7月11日 上智短大学生通信 (2)
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くさん読
んで
聞くことが大
切です︒話す機会を持ちた
い時は話す相手を見つけな
くても︑
自分
の頭の中で身
の回りに起こっていること
を描写してみたり︑考えて
いることを英語で言ったり
していると︑いざ
本当
に話
そうとするときに
表現
がす
ぐ出てくるようになります︒
日本にいるならばそういっ
た工夫も
必要
です
︒ ﹂
では次に先生の学生時代
について聞いてみたいと思
います︒
先生
は上智大学の
学生だったんですよね︒一
番思い出に残っていること
はどんなことですか︒
﹁ESS
という
クラブ
に属してディベートをやっ
ていたことです︒かなりの
力を入れてやっていました︒
活動は毎日あって︑長期の
休みの日にもずっと話すテ
ーマ
について
調
べたり
︑土
日には
他大学
との
試合
をし
たりしていました︒ディベ
ートは
一時間
くらいの
時間
の中で︑スピーチを繰り返
し︑その後質問と
反駁
をし
ます︒
二人制
ディベートと
五人制ディベートがありま
すが︑私は二人制の方でし
た︒テーマはほとんどが経
済問題や政治問題が多く︑
その題について肯定と否定
に分かれて討論
します
︒三
年生の時に上智杯という全 国大会で
優勝 しました
︒テ
ーマは﹃
日本
は東南アジア
諸国からもっと工業製品を
輸入するべきか﹄でした︒
それから四年生の時に日米
の交換ディベートに参加し
てアメリカに行きました︒
これはアメリカの
学生
とデ
ィベートをして回るツアー
です︒これもまた私にとっ
ては大きな経験です
︒ ﹂
以前︑
先生
が通訳のアル
バイトをしたことがあると
聞いたのですが︑そのこと
について詳しく教えてくだ
さい︒
﹁
大学時代
は
アルバ
イトもよくしたのですが︑
その中で一番心に残ってい
るのは通訳のアルバイトで
す︒三年生の時に
日本
では
じめて日米首脳会談が開か
れて︑サミットの外務省の
本部がホテルニューオータ
ニに置かれました︒記者団
や警察が入り︑海外からの
首脳陣が多く宿泊していま
した︒会議の会場は迎賓館
だったのですが︑記者団や
警察で何かがあった時に簡
単な通訳をしました︒その
当時のアメリカの大統領は
ジミー・カーターで︑イギ
リスはマーガレット・サッ
チャーが
首相
でした︒その
二人を
直接目
の前で見るこ
とができて︑世界の外交が
動いている場面にいること ができたのは非常にいい経
験でした︒直接話をしたわ
けではありませんが︑その
姿は堂々としているように
見えました︒また︑サッチ
ャー首相のように
女性
が世
界を引っ張っていく時代が
来たんだな︑と実感しまし
た
︒ ﹂
学校の
勉強
についてはど
うだったのですか︒
﹁
大学時代
は
英文学
科で学んでいました︒本当
のことを言うと英語学科を
志望していました︒当時は
通訳になりたかったので︑
それには英語学科で勉強す
るほうがいいのではないか︑
と思っていたからです︒で
すが英文学にまったく興味
がなかったわけではありま
せん︒中学︑
高校時代
はか
なりの文学作品を読んでい
ました︒
入試
では
両方
を受
けて︑
それで
受かったのが
英文学科だったというわけ
です︒
ですが
英文学科
の授
業はおもしろく︑今の上智
大学の学長でもあるカリー
先生のゼミも取りました︒
卒業論文はマーク・トゥェ
インで書きました︒
上智大学という
場所
から
得たものは大きかったです︒ たとえば私は宗教学に興味
を持っていたので︑その授
業をたくさん取りました︒
キリスト教に信仰という意 味で出会
ったのもこの
頃で
す︒ESSのアドバイザーに
ハウエル
先生
という神父様
がいまして︑先生
にお
願い
して週一回キリスト教のカ
トリックの教義について教
え て い た だ い て い ま し
た
︒ ﹂
では教師になろうと思っ
たのはいつからですか︒
﹁
自分
の
家庭
では父
親と祖父が教師をしていま
したが︑私には反発精神と
いうか︑
自分
の道を歩きた
いという
気持
ちがありまし
た︒なんとかして
教師
にな
らずにすむ方法はないかと
真剣に考
えていました
︒大
学時代は通訳志望で︑卒業
後は外資系の銀行に勤めま
した︒その後専業主婦にな
ったので︑子育てを中心に
してできる仕事
として
英会
話学校で教えていました︒
そして教えることをライフ
ワークにしたいと思うよう
になったことが︑大学院に
行こうと決めたきっかけで
す︒
三十六歳
のときに
上智
大学の大学院外国語学研究
言語学専攻で勉強を始めま
した︒言語教育に
直接
つな
がる学問を学
びたいと
思っ
たので︑言語学の中の応用
言語学
という
言語習得
を扱
った学問を学
びました
︒そ
し て い ま に
至
っ て い ま
す
︒ ﹂
それにたいして
家族
はど
のような
反応
だったのです
か︒
﹁
家族
はもちろん主
婦をやっていてくれた方が
ありがたいと内心思ってい
たと思
います
︒ただ︑私の
意志が非常に強いというこ
ともあって︑そのがんばっ
ている姿を見ているうちに
サポートしてくれるように
なっていました︒私がこう
やって家事をしながら︑仕
事をする
生活
を送れるのは
家族のおかげです︒また家
族がいるということが励み
になっています︒﹂
先生とご主人と
息子
さん
二人の四人家族なんですよ
ね︒家での共通語は英語で
すか︒
﹁
うちは
絶対 そうい
うことはないです(笑)︒子
供達が小
さい
時に特に英語
を教えるという事もやらな
かったです︒英語の絵本を
読んであげたり︑ビデオを
一緒に見ることは︑楽しむ
という意味ではありました
けれど︒子供達が
物心
つい
て
︑﹁
日本 にいるのに
何で
英語をしゃべるの
?﹂
とい
うような強い気持
ちが
芽生
えてきてからはそういうこ
とはしなくなりました︒で
も今
になって
︑
なぜか
二人 とも英語は得意な方なので
不思議です︒しかし私もニ
ュースや
映画
を英語で見て
いるので︑知らず知らずの
うちに触れている
環境
はあ
ったと思います︒
あと
英語
に関する本が置かれている
ことで︑それを取
って
読ん
だわけじゃないけれど︑そ
こにあるという存在が影響
を与
え た の か も し れ ま せ
ん
︒ ﹂
最近一番関心
のある
事に
ついて教
えてください
︒
﹁今の楽
しみという
のは︑四人で議論すること
です︒
うちの
家族はみんな
議論好きで︑テレビなんか
でちょっと時事問題が出た
時に︑みんなで自分の意見
を言い合います︒イラク戦
争の問題は︑なぜ
戦争
をし
なければならなかったのか︑
という事を考えるのをやめ
てはいけないと思います︒
報道ではまるでフィクショ
ンの映画やゲームのように
空爆されている
シーン
が流
されました︒しかし爆弾が
落ちている先に傷ついてい
る人がいるという
現実
を︑
私達の傷みとして感じなけ
れ ば な ら な い と
思
い ま
す
︒ ﹂
では上智短大生にメッセ
ージをお願いします︒ ﹁
まず
︑夢を持
って
ほしいということです︒そ
れを実現するために短期目
標を決めて︑着実にやって
いく姿勢が大切だと思いま
す︒今の
時点
で
将来何
をし
たら良
いのか
分からなくて
も︑これからの長い一生の
中で本当にやりたいことが
見つかるかもしれません︒
しかしそれを見つけるため
には︑今できる
最大限
の努
力を積み重ねていく事が結
びついていくと思います︒
私自身は大きな夢として︑
世界の平和につながるよう
なことをしたいです︒今や
っていることがそれにつな
がるような姿勢でやってい
きたいです
︒ ﹂
お忙
し い と こ ろ
︑快く
インタビューに応じてくだ
さってありがとうございま
した︒先生のお話は大変勉
強になりました︒ 私は
イ ン タ ビ ュ ー
後に︑
長い間英語に携わってきた
経験
はすべて
先生自身
の糧
になっているんだな︑と感
じました︒英語を学ぼうと
努力することに無駄なこと
はありません︒
つまり
積極
的に英語に触れようとする
意欲こそが上達する秘訣で
はないでしょうか︒