10 . 完備距離空間の例
科目: 数学演習IIB( d組)
担当: 相木
前回のプリントで完備距離空間を定義したが,その具体例としてユークリッド空間と 有界連続関数の空間に焦点を絞って解説する.
ユークリッド空間の完備性
1年生の微積分の講義でも扱ったようにRにおいて数列がコーシー列であることと収 束列であることは同値であった.
実数の完備性
距離空間(R, d(1))は完備である.
1年生の微積分で用いたコーシー列と収束列の定義はそれぞれ Rのコーシー列
実数列{an}∞n=1がコーシー列であるとは
∀ε >0, ∃N0 ∈Ns.t. ∀m, n≥N0, |am−an|< ε が成り立つことである.
Rの収束列
実数列{an}∞n=1が収束列であるとは,ある実数αが存在し,
∀ε >0, ∃N0 ∈N s.t.∀n ≥N0, |an−α|< ε が成り立つことである.
であった.ユークリッド距離d(1)はd(1)(x, y) = |x−y|であるので,上の2つの定義は前 回のプリントで導入した「コーシー点列」および「収束点列」の定義をRの場合に距離 関数の具体形を用いて書き下したものに他ならない.
(R, d(1))の完備性から直ちにしたがう事実として次が成り立つ.
一般次元のユークリッド空間の完備性
距離空間(Rn, d(n))は完備である.
完備距離空間であるRのn個の直積であるRnもやはり完備距離空間なのである.この 性質は一般化することができる.
距離空間の直積
(Si, di) (i = 1,2, . . . , n)を距離空間の族とし,それら台集合全ての直積としてSを定 める.つまり,S=S1×S2× · · · ×Sn である.ここで,x∈Sをx= (x1, x2, . . . , xn) と表すことにする(つまり,xi ∈Si (i= 1,2, . . . , n)である).このとき,S×S上の 関数dを
d(x, y) = vu ut∑n
i=1
(di(xi, yi))2
によって定めるとdはS上の距離関数になる.また,以下の2つは同値である.
(i) 距離空間(S, d)は完備である.
(ii) (Si, di) (i= 1,2, . . . , n)は全て完備距離空間である.
上の事実を(Si, di) (i= 1,2, . . . , n)を全て(R, d(1))として適用したものがちょうど(Rn, d(n)) になっている.
有界連続関数の空間
もう1つ完備距離空間の重要な例として有界な連続関数の空間を扱う.まず,記号を 定義する.
有界連続関数の空間
I ⊂ Rを区間とする.I上で定義された有界連続関数全体の集合をB(I)と書く.つ まり,
B(I) = {f :I →R | fはI上で有界かつ連続} と定める.f ∈B(I)なるf のことを有界連続関数などと呼ぶ.
特に,Iが有界閉区間のときは,I上で連続な関数は有界になるので B(I) =C(I)
である.Iが有界閉区間でない場合は一般にはB(I)⊂C(I)しか成り立たない.
1年生の微積分において,実数値関数f :I →Rが連続であるとは 実数値関数の連続性
区間I上で定義された実数値関数f に対して,fが点a∈Iにおいて連続であるとは
∀ε >0, ∃δ >0 s.t. ∀x∈I (
|x−a|< δ ⇒ |f(x)−f(a)|< ε)
が成り立つことである.また,∀a∈Iにおいてfが連続なとき,fはI上で連続であ るという.
と定めたが,これもやはり前回のプリントの「距離空間上の連続写像」の (ii) をユーク リッド距離d(1)の具体形を用いて書き下したものになっている.
また,関数がI上で有界であるとは 有界な関数
I ⊂Rを区間とする.関数f :I →Rが有界であるとは sup
x∈I |f(x)|<∞ が成り立つことである.言い換えれば,Rの部分集合
Af ={|f(x)| |x∈I} が有界であるということである.
ということである.B(I)はこれらを両方満たす関数全体の集合である.
この節の本題は,B(I)に距離関数を定めて距離空間を構成することである.そこで,
f, g ∈B(I)に対してB(I)×B(I)上の関数d∞を以下のように定める.
d∞(f, g) = sup
x∈I
|f(x)−g(x)|
すると,d∞はB(I)上の距離関数になる(演習問題).さらに,以下が示せる.
距離空間(B(I), d∞)
I ⊂Rを区間とする.このとき,距離空間(B(I), d∞)は完備である.
証明は演習問題にする.ここで,区間Iは有界でも非有界でもよいことに注意.
定義域の区間Iが 有界閉区間 のときは,「有界閉区間上で連続な関数は積分可能であ る」ということから以下で定めるd1もB(I)上の距離関数になる(演習問題).
d1(f, g) =
∫
I
|f(x)−g(x)| dx 距離空間(B(I), d1)
I ⊂Rを有界閉区間とする.このとき,距離空間(B(I), d1)は完備ではない.
この例から,台集合が同じでも考える距離関数が違うと距離空間としての性質が変わるこ とが分かる.証明はチャレンジ問題にする.
距離空間の完備化
一般に,完備ではない距離空間を完備距離空間に埋め込むことができる.
距離空間の完備化
(S, d)を距離空間とする.このとき,以下を満たす距離空間(S∗, d∗)と写像φ:S→S∗ が存在する.
(i) (S∗, d∗)は完備距離空間である.
(ii) ∀x, y ∈Sに対してd(x, y) =d∗(φ(x), φ(y)).
(iii) φ(S)はS∗において稠密である.つまり,位相空間(S∗,O(d∗))において φ(S) = S∗ である.ただし,O(d∗)は距離関数d∗から定まるS∗の距離位 相である.
このとき,(S∗, d∗)を(S, d)の完備化(または完備拡大)という.
この主張の証明は教科書に詳細が載っているので省略する.条件(ii)から,写像φは単射 であることが分かる.実際,x, y ∈S, x̸=yとすると距離関数の定義からd(x, y)>0 と
なるが
d∗(φ(x), φ(y)) = d(x, y)>0
となるため,d∗が距離関数であることからφ(x)̸=φ(y)がしたがい,φは単射である.
φ:S →S∗が単射であることから∀x ∈S に対してxとφ(x)を同一視すればS ⊂S∗ と見ることができる.この意味で,距離空間(S, d)が完備距離空間(S∗, d∗)に埋め込まれ ているのである.
ここで,上の定理の自明な例として,元の距離空間(S, d)が完備であった場合を考え る.すると,定理の主張に出てくる(S∗, d∗)として(S, d)を選べばよく,写像φは恒等写 像とすればよい.
完備距離空間の完備化
(S, d)が完備距離空間のとき,その完備化として(S, d)自身が取れる.
もう少し非自明な例を考えよう.有理数全体Qにユークリッド距離d(1) を定めると
(Q, d(1))は距離空間になるが,これは完備ではない(演習問題).
(Q, d(1))の完備化
(Q, d(1))の完備化はユークリッド空間(R, d(1)) である.
実際,完備化の定理に現れる(S, d)を(Q, d(1))として考えたとき,S∗ =R,d∗ =d(1), φ=idとすると定理の条件(i),(ii),(iii)を全て満たす.
最後に,さらに複雑な例としてI ⊂Rを有界閉区間としたときの距離空間(B(I), d1) を考えよう.先に述べたように(B(I), d1)は完備ではない.そこで,(B(I), d1)を完備化 するとどうなるのであろうか?
距離関数d1は積分を用いて定義されるので一見すると以下のような関数の集合を考え るのが自然に思える.
絶対可積分な関数の空間
I ⊂Rを有界閉区間とする.I上で絶対可積分な実数値関数全体をR1(I)とおく.つ まり,
R1(I) ={f :I →R| |f|はI上で積分可能}
R1(I)は相木が勝手に作った記号であり,一般には通用しないので注意.
このように定めると
B(I)⊂R1(I)
となるのでR1(I)はB(I)の完備化の候補に思えるがそうではない.実は,このように定 義されたR1(I)に対してはd1は距離関数にならない(演習問題).
距離空間(B(I), d1)の完備化を考えるには3年生以降に学ぶルベーグ測度(Lebesgue
measure)およびルベーグ積分(Lebesgue integral)という概念が必要になり,この授業(と
いうか2年生までに学習する全科目)の範疇を超えるのでこれ以上は深入りしない.
この例で強調したかったのは,「距離空間を完備化することはできるが,完備化して得 られる完備距離空間が具体的に何であるかを求めるのは必ずしも簡単ではない」というこ とである.
予約制問題
(10-1) 「距離空間の直積」で定めたdがS上の距離関数であることを示せ.
(10-2) 「距離空間の直積」においてdがS上の距離関数になっていることを認めた上で (i)⇒ (ii)を示せ.
(10-3) I ⊂Rを区間とする.このとき,距離空間(B(I), d∞)は完備であることを示せ.
(10-4) 距離空間(Q, d(1))は完備でないことを示せ.
早いもの勝ち制問題
(10-5) 「距離空間の直積」においてdがS上の距離関数になっていることを認めた上で (ii) ⇒ (i)を示せ.
(10-6) I ⊂Rを区間とする.このとき,d∞がB(I)上の距離関数になっていることを 示せ.
(10-7) I ⊂Rが有界閉区間のとき,d1がB(I)上の距離関数になっていることを示せ.
(10-8) I ⊂ Rを有界閉区間とする.解説部分で定義した関数の集合R1(I)に対してd1 が距離関数になっていないことを示せ.
少し難しいチャレンジ問題(早いもの勝ち)
以下にしたがって距離空間(B([−1,1]), d1)が完備でないことを証明する.ここまで来る と距離空間の問題というより解析の問題になるため,これら問題は通常の演習問題とは別 枠にした.
方針: 完備であることの定義は,「任意のコーシー点列が収束点列である」ことなので,
(B([−1,1]), d1)のコーシー点列で収束しないものを構成して完備でないことを証明する.
そこで,[−1,1]上で定義された実数値関数の列{fn}∞n=1を以下によって定める.
fn(x) =
0, −1≤x≤ −1n, nx+ 1, −n1 < x < 1n, 2, n1 ≤x≤1.
x 2
1
−1 −1n O 1
n 1
fn(x)の概形
グラフからも分かるように,∀n ∈Nに対してfnは[−1,1]上で定義された有界連続関数 であるので{fn}∞n=1はB([−1,1])の点列である.
以下を通して,ここで構成した{fn}∞n=1が距離空間(B([−1,1]), d1)のコーシー点列ではあ
るが収束点列ではないことを証明し,(B([−1,1]), d1)が完備でないことを示す.
(10-9) {fn}∞n=1が距離空間(B([−1,1]), d1)のコーシー点列であることを示せ.
次に,{fn}∞n=1がB([−1,1])の収束点列でないことを示すために,B([−1,1])において 収束すると仮定して矛盾を導く.そのために,あるf∞ ∈B([−1,1])に対して
∀ε >0, ∃N0 ∈N s.t.∀n ≥N0, d1(fn, f∞)< ε (1)
が成り立つとする.これは,{fn}∞n=1がf∞に収束していることの定義である.このとき,
xlim→0+f∞(x) = 2 かつ lim
x→0−f∞(x) = 0
となることを以下の問題を通して示す.これが示されると,f∞の0∈[−1,1]における右 極限と左極限が一致しないことになり,f∞の連続性に反するので矛盾となり,証明が終 わる.
x→0+lim f∞(x) = 2 かつ lim
x→0−f∞(x) = 0 が成り立つことを示すために
xlim→0+f∞(x)̸= 2 または lim
x→0−f∞(x)̸= 0 が成り立つとして矛盾を導く.
(10-10) lim
x→0+f∞(x)̸= 2 として矛盾を導け.
ヒント: lim
x→0+f∞(x)>2であるとすると
∃δ >0 s.t. ∀x∈[0, δ], f∞(x)>2 となり,これから(1)との矛盾を導く. lim
x→0+f∞(x)<2の場合も同様.
(10-11) lim
x→0−f∞(x)̸= 0として矛盾を導け.
ヒント: lim
x→0−f∞(x)>0であるとすると
∃δ >0 s.t. ∀x∈[−δ,0], f∞(x)>0
となり,これから(1)との矛盾を導く. lim f∞(x)<0の場合も同様.