緩会秘授業識の課題 i
社会科授業論の課題
臼 井 嘉 一・(社会科教畜)
葉 社会科授業論をめぐる開題状況一 子安「共縛する鮭会科」論の提莚をふ
まえて子安潤氏は、私の、歓会科授業紛歴史艶覇究も 含めて、今騒の鮭会科授業譲をめぐる開題献溌を 次のように擬えている。(涯舞
①ig鴨年代か鑓g総奪代にかけての馳跡こ根
ざす整史教育」は、権威ある公定の歴史学のと らえ直しを進めたこと、とくに「子どもの視点ま からの教材の購成、子どもを主体として《立直づ ける授業という方晦へ進展したといえる。② しかしながら、そこには子どもの主体性を藻 分的に捲握する開題も存在したのである。子ど もを教麟に対しても主体として位置づける点に おいて弱点を持っていたのであるσ
③これは、子どもが教科内容・教櫨こ帰してい かに跳むかという方海で追求してきたこととか かわ琴がある。
④ 子どもを教鱗と教材に対しても主体として佼 鬢づける転換が、鱒年代に追求されるべき課題 なのである。
⑤(ig簿隼代か鑓§8§年代にかけての〉安井実 践について撰:誓約に取零上げたが、安井が提起 した「露分の劉という発想を徹底するならば、
そこには当然.教嚢藩こ帰しても子どもが主体と してたち現れる可能性を持つものであった。
以上の整理からもうかがえるように、子安氏は 今8の縫会科授業譲をめぐる幾題状溌を、婚簿隼 代〜8(》奪代のく教麟一教翻酢>の1翼係における主体一 主体縫係を、<子ども一教韓>、<子ども一教辮
>の閣係にまで漫ぼし〈子ども一教灘>の関係に おいても主体一主体幾孫を麟善うるかかどうかと いう点においている。
すなわち今麩の社会科授業とその遜譲において 子ども一義辮の馨§孫が、いまだ客体一主体縫係に
とどまっていることを聡慧とし、しかもその関係 が「学校とそれをと辱まく教育歓会達である隔 差纏輪窮琴の教育と子どもへの幾覇蓬にみごとに 講翻して》ミることまでを鋭く指摘している。
このような整選において、瞬題となるのは、子 安氏の社会科授業譲をめぐる翼題懸濁の艶握が麗 史教育者協議会(略称・歴教協欝欝隼設立/の 婚簿年代〜齢隼代の軒地域に根ざす歴史教育」の 実践と還1論を上記のような捉え方(ギ子ども一教 樗」・野子ども一教麟達の襲係が「客体一主体涯 騨係にとどまっているという状況拷握/で整理す ることの妥当牲と、それをふまえての「こども一 教材一教翻関係i論にもとづく歓会科授業譲その
もの(罫共賭する社会科蓬譲〉への評懸である。
ここでは、薄者の「地域に根ざす歴史教育達識 の捉えかたの妥当姓の櫨討は後にまわして、まず 後考の野共凝する社会科ま論の検認をさらに続け てみたい。
子安氏のゼ共同する縫会科ま授業論を要約する と次のように整理できる。(注2〉(末羅の秀ッコ 内は引網頁数。獄丁溝様とする。/
① 教締と子どもの縫係を主棒一主体関係におい て擬え、その視点から鮭会科教奮の実践を構慧 し直す。(弱頁/
教懸から子どもへの教科内容を伝達する邊程② を授業と擬えるのではなくて、主体と主体とが 共霧して教科内容を探究・確証する過程、文化 の重罪を共有し、そこに参擁していく過程とし ての授業を購恕する。(66賛/
教舗の教育活勇(嶽導〉は、教材文麹の盤饗 へ子どもを誘籍、子どもがそこに参撫すること を促す活動として疑える。(73頁〉
あらかじめ定まった教科内容と教材を、子ど もの疑問や縫心とは無関係に教えていく定型化
③
④
2 橿鶴大学教奮実践醗究紀要第22号
された教育活動とは違って、子どもが学ぶべき 対象をこそ客体とし、教麟に鱒しては子どもは 主体として現れ、教癖もまた主体1として子ども に慈答している。(稔頁〉
⑤なお「共隣する縫会麹授業は、教えるべき
教科内容についての購想もなく、子どもを講査 探究へと駆吟立てた弩、子どもの懲発盤を待つ ているだけの教育活動とは、異質の実践である。(73頁)
⑤ 新薬凝する社会科達の愚昧の第一縛まf教騨と 子どもとが互》に蓋体として対面し、社会を対 象として共に探究する遥ということであ鞍第二 にヂ学ぶ煙象やそれを購威している人々との共 剛であむ「祇会鵜現実が見えるだけでなく、
そこに生きる人々の知悪やものの見方を霞接感 じとる可能性を難くまということである。 (73 頁/
⑦「井溝する穀会麹の授業は、教締が提鐵す
る教材を含めて、子ども霞身に現実の歓会や史 実を探究させ.子ども盗身の愚考の鱈象とし、教輝と子ども、子どもと子どもが共どもに琶会 の法則、知識等を討論し確証する授業というこ とができる。それは、学ぶ活動を通して、学闘 を追体験し、学ぶことの意1昧を発見することで あ鞍、縫合に対する撹鞍的で霞主麟な見方・考 え方を育てることである。(7毒〜75頁〉
以上の7点の要約をふまえて、「共属する後会 科」の授業羨について検討してみる。
①点の要約にある教麟と子どもの欝孫譲につい てだが、柴蟹義松氏は授業におけるそのような縫 孫譲を次のように整瑳し擬えている。(漉3/
「授業は、教締と生経との共瞬活動である。そ して、そこには必ず教え学ばれる教材がある。し たがって、授業を構蔵する基本的成分としては、
/舞教締の活動としの教授、121生徒の活動としての 学習、(麟教材がある。霊馨6翼/
野授業における活動の主体は教締であ琴、教灘 が教材を説明し、知識を生経1こ伝達するのであっ て生経はそのような教縣の教授活動のたんなる客 体にすぎないと考えるのはまちがっている。生徒 もその積極的な認識活嚢によって授業違程を構成 する主体であ弩、生徒が積極的に学習することな しには授業は威覚しない。しかし、講者の活動は 瞬らかに異なっている。教授と学欝という、異な
吟あい雑宣した役講を講者は演ずる。授業を「教
緯92隼腿霧
授一学習過程三とよぶのは、このような再考の活 動をいいあらわすためである。淫(72頁/
つま移築欝氏の譲にもあるように、授業の成分
(要素/としてゼ教辮の活動羅教授達、「生徒の活 動竺学習3、「教材まの三つがあ弩、そこにおける 縫係論は「教衰弱はド教授達の主体、「生後雄は
「学習」の主棒という意鎌において、それぞれが 授業の主捧と縫量づけられている。
しかし子安氏のように、教麟と子どもとの器係 がどうなっているのかというような粒選づけとは 異な鯵、柴懇氏紅おいて1ま、授業にお纏る「教授淫
と「学習重という提:えかたを蝶介として驚無識が 緩み立てられている。つま辱子安氏の授業の擬え かたにおいてこの教緬と子どものそれぞれの活動 のちがいがどうカテゴライズされているのかとい う開題がある。この子安氏の授業の捉えかたに臠 しては、上記の要約における次の煮がポイン昏と なる。(下線 撰濡者/
*教擁から子どもへの教科内容を伝達する過程を 授業と捉えるのではなくて、主体と主体とか共 薩して教繋内容を探究・確証する選程、文化の 繊芥を共有し、そこに参擁していく過程として 授業を構慧する。(⑫点/
*教辮の教育活動(捲導〉は、教替文化の僅雰へ 子どもを誘い、子どもがそこに参撫することを 饗す活嚢として擬える。(③灘
*子どもが学ぶべき対象をこそ客鉢とし、教麟に 対しては主体として現れ、教簿も主体として子 どもに応答している。(④点/
*教えるべき教科内容につ静ての講懇もなく、子 どもを調査探究へと駆毒立てた弩、子どもの窪 発性をもっているだけの教育活動とも異質な実i
践である。(⑤点/
*伝えることがあるにしても、そこからさらに疑 問や探究を瞬き鐵すように授業を構想していく ことなのである。(⑥点〉
*教轟の提鐵する教材を含めて、子ども窪身に現 実の縫会や史実を探究させ、子ども麩身の思考 の糞サ象とし、教糞霧と子ども、子どもと子どもオ書 典どもに社会の法則、知識等を討議し確証する 授業ということ力量できる。 (⑦点)
すなわち子安氏鐙授業の捉え方は、教麟も子ど も、ギ共どもに雄学ぶ主体として擬え、したがっ て上記の柴滋氏のように「教授」の主簿としての
「教鰍と、「学習まの主体としてのヂ子ども」と
縫会秘授業譲の課題 3
いう疑え方になって恥ない。
しかし、このような、子どもも教癖も「学習ま の主体と捉える方法意識は、必ずしも、講者の活 嚢を簿一視するわけではなく、以上の整選にある
ように、新教簿の活量鑓の独欝の役翻ともいえる ものへの醗濾.もなされている。
その独露の役畜の認識は、次の5点に整理でき
る。
韓 教秘文牝の縫雰へ子どもを誘い、子どもが そこに参撫することを擬す。(⑧点〉
{2/教錘も主体として子どもに応答している。
(④点/
麟教えるべき内容についての権懇。(⑤点/
(廓伝えることがあるにしても、そこからさら に疑欝董や探究を弓1き超すよう毒こ授業を権懇す る。(⑥点/
麟教麟が提聾する教韓を含めて、子ども露身
の思考の対象とし、教轟と子ども、子どもと子 どもが共ども言麟讒し確証する授業をつくる。(⑦点/
したがって、子安氏の授業論の核心である、教 癖と子どもの「主体一主体3幾孫譲は、一方にお いては講者の「主体一主体」隣保を基本にすえる がゆえに講者の対等な鷺孫・共に学ぶ主体である ことが強講されるのであるが、縫方においては教 麟の役割を「教えるべき海容についての権懇達
「伝えること塞野教灘が提鐵する教材」というよう な{差薬からの教麟}獲1有の{愛書毳毳ことどまらない彰教
紡文化の経鼻」への誘導・参趨やゼ教えるべき内 容」「提鐵する教捌そのものを「思考の対象淫 にし「疑闘や探究を弱き鐵す」という新たな教締 の役麟をも強調している、といえる。
以上のような擬え方を、子安氏察身捲摘してい るように、決して「教えるべき内容についての購 想もなく、子どもを調査探究へと駆警立てた鞭、
子どもの嶽発盤を待っているだけの教蕎活動」と 混織してはならないであろう。むしろ新たな教麟 の役麟への亙盛な理解が必要であるし、さらに、
教麟の詣導姓ぎ)名のもとでの彰あらかじめ定まっ た教科内容と教材達の「子どもの疑闘や縫心とは 無闇係に教えていく教育活動≦とは一線を聾する 必要がある。
ところで、鉄圭1において験試してきたように
「共講ずる柱会科」授業論は、今騒において、重 要な驚題を提起しているが、その童義は、次の二
点に整理することができる。
第一に、縫会科授業論をめぐる開題献溌の幾握 を、教科内容・教誘レベルにとどめない、教嚢癒と 子どもの関係レベルにまで視野を広げ、しかもそ
れを教稗熔・教繋のr教鰍から仔ど萄へ
の》嘱わばく伝達>騨係と4〉かかわ等でおさえてい ることである。まさに往来のいわゆる「学習集羅j i論善ことどまらない教科内容・教馨のゼ鐵介まのあ
吟かたを縫題とする、新たな授業論展醗への可能 性を持つところ轟こ意義薄書ある。
第二に、以上のような開題犠溌の捲握は、現代 馨本の病弊と叡・える「鑛差鑓体麟達下の社会科 授業からの貌隷への一つの窮警鐘を指し示すも碓
である。かつて鈴木秀一氏が軒競争を野蛮な力を 発揮するものたらしめて駆る教育全体、及びそれ
を包みこんでいる縫会の簿造の矛震を綜覚し、
壷揚する垂という実義雅な試みのなかでのみ、……
その璽能盤が麗かれている≦と捲擁したこと(淫 心を鮭会科授業譲のなかで歪面から受け生める
ものと》嘘える毒
(淺碁子安潤「授業の転換一業隣する社会科を めぐって一涯参照(歴史地瑳教育論逢88悉 歴史教育者協議会露艶年6月〉
(注2〉子安「剛。
(注3)柴露義松ζ教授の技徳一教授学人欝耀 鱗治慰書欝?7隼9月
(淀む鈴木秀一『教育方法の懇懇と歴史溝青木 書籍欝78隼i2聾、2i5買。
2 社会科授業論の課題とヂ地域に根ざ
す歴史教官」
雛上において綾討してきたように、子安氏の
「業績する歓会科ま授業議1は、今欝の鮭会科授業 とその理譲を深め、発展するうえで、重要な意義 を持つことは畿に運べた逓琴であるが、その積極 的意義をふまえつつも、この譲には深め、発農す るうえでの瞬題点も含まれているように思える。
そのような賜題点の検討は、おそらく子安氏の ε地域に根ざす歴史教蕎涯の捉え方の跨線とも幾 達しているように思える。したがって嶽下におけ る社会科授業論の課題縷説は、この子安氏の「地 域に根ざす歴史教育達の擬え方の跨線から始めて
みたいと,懸う。
雀 纏島大学教育実践醗究紀要簗22号
さて子安氏の「地域に根ざす歴史教刻の捉え 方は、先に引駕したように、子安氏の主張する
「共属する歓会群雲授業譲の「教購一子ども涯の
「主体一主体」関係を霊張するうえでの蕪提的認 識として、「教麟一子ども」の幾係は「主体一客 体」麗係にとどま っているという認識に典型的に 示されている。すなわち次のとお琴である。(涯5/
「歴教協姦こおける『地域に根ざす歴史教;奮違の 代表的実践は、安井俊央の『子どもに学ぶ歴史の 授業垂である。安井の実践は、蓼子どもの観点垂
からの教材構成というレベルで議譲されることが 多かった。……(薄葬嘉一の随域に根ざす歴史 教官まの/分競のなかでは、基本的には、教蔀が
教材をつくる燦の視点として蓼子ど擁を位置づ
けた実践と捨握されている。一…このことを問題 にするのは、教誘権威譲レベルでの議誌であった ために、教麟と子どもとの麗係の潤題が基本的に は綴上げされていたということである。子どもの 主体性や能動牲も教緯との関係で主として議論さ れて雛たのである。三(6§貰〉(下線一群濡者〉ここでは、欝欝隼代から鯵欝年代のゼ地銭に根 ざす麗史教育」論の開題点を、「教替構成論レベ ル雌にとどまっていたこと・「子どもの主体性や 能動姓も教材との欝係で主として議論されていた」
こととして擬えている。
そして、そのことをふまえて「教懸と子どもと の縫係が基本麟には櫻上げされていた』と評慰す ることとな・る。
しかしこの「子どもの主体盤や能動牲達が新教 樗との灘係で主として議論されていた」ことをもっ て、果たして「基本的に棚上げされていた」と単 純に評慰してよいのであろうか。私には子安氏の
「共醸する社会科藩授業譲の立場からも 「教麟と 子どもとの関係まの捉え方の方法論の内容によっ ては、異なる評懸が生まれる薄能盤があるように 思える。
つま辱 「教藷蓼と子どもとの籠孫まを「主体一主 体達襲捺に羅準を当てて控握しても、その関係鐙 握において、教材文{ヒに録する子どもの主体盤を 必要不可欠なものと位置づけるような方法譲を設 定した場合に、たとえ「教麟と子ども嵯との「隣 保」において未だギ主体一客体まにとどまってい ることを翼題と控握しても、ε子どもの主体盤や 誌動牲まがヂ教樗との関係で主として議論されて いたこと」は、むしろ肯定醜に評緬できるのでは
絶92単費舅
なかろうか。なお、この教材文化と子どもとの幾 係論をめぐって貴重なi論議がなされたのが、いわ
ゆる「動く鮭会科藩授業譲争であ鯵、その際に
「教誘購議論レベルまの質・雲容をめぐって講議 が深められ、そのことを土台として「1地域に根ざ す歴史教育」譲が深髭・発展されたことは歴史麟 に蕉当に押さえておく必要がある。(注6/
そして嶽上のようなギ地銭に根ざす歴史教育ま をめぐる譲議(ギ動く桂会科」譲議〉が本質的に は、桂会科授業において育てるべき「鮭会認識謹 の質・海容を確定していく避程でもあったと捉え るならば、「教齢と子どもとの関係董i論毒こおける ヂ主体一主体雄関係は、この「縫会認識諜の質・
内容とは密接不再分の灘係にあると捉える方がよ 弩妥当であるともいえる。
ただしここで念のために確認しておくが、私は 鎌止において主張していることは、誓地域に根ざ す歴史教畜」とその理識において、「教材構成論 レベ舟3の主張・分栃があったから、「共属する 社会科ま譲の萌芽があったと単純に主張している のではなく、単なるヂ教材権威レベル達にとどまっ ているのかどうかを跨味することが必要ではない かということである。結i論麟に誓うならばr地域 に根ざす歴史教育jをめぐる譲議の内在的発展を 課題とした「動く続会科韮講争は、その教奮が
「教材権威レベルまにとどまってよいのかどうか という内容を含むものであったのである。
そしてさらに署うならば、私は、先に下線を引 いて強調した「子どもの主体性や能動牲も教韓と の縫係で主として議講された」という事実は、む しろ子安氏の「共属する社会科」授業識の立場か らも積極的に捉え、評翻する事実になっていない かということである。
その点では、子安氏窪身も、氏の「教麟」野子 ども凄「教耕運の三者の聡係から、いわば「三項 灘係唾の麟式懲こおいてにおいて、私が「地域に 根ざす教育」譲の典型として取鯵上げている「安 井」実践を、野鴨年代・鍵年代まの「地銭に根ざ す教育達と麗鍵して位置づけ、次のように整理し ている。/漉7/
社会科授業譲の課題 5
懸 i 鋳隼代の三項縫係
主一客
教 簿 子ども
\ 主 客\
教 韓
客
//主
醗 2 7翻8§年代み三項縫係
主一客
教 麟 子ども
︑\客
主教 材
客
//主
麟 3 安井における三項縫係
主一一客
教 締 子ども
︑\客
正教 材
主
ン客
麟 垂 子安提案の三項幾係
主一一主
教 麟 子ども
N.
教 財
︑/客
主つま琴子安氏は、新地簸に根ざす教育謹と誓安 井3実践とを猛捜し、藩老の王靉靆係ではぜ子ど もと教材封の鱒係が「客一蓋達にとどまってい るのに対し、後者の「安善涯実践ではそのr子ど もと教材まの幾係オ童ゼ主一客まに発展していると おさえている。ただし、、講者とも、紅教締と子
ども」の縫係は誓主一客3にとどまっていること は開題点としておさえられている。
そして「安井達実践が、野鴨・総年代」と区懸さ れる根擁は、「安井」が擾起したr露分の薄」と いう発想にあ琴、この発想は「徹底するならば達
「当然、教麟に対して子どもが主体としてたち現 れる擁能牲を持つものまという評懸がなされ.てい
る。
この子安氏の指摘は、極めて重要である。つま
勢、少なくとも「安井ま実践1こおける油分の目違 譲にはゼ教舗に対して子どもが主体としてたち現 れる擁能姓を持つ崖ことにi着覆しているからであ
る。
しかし子安氏は、私の安聾実践を素韓とする ド地銭に根ざす鐙史教育遷の分赫については、「驚・
8§年代達の実践として、上記のような「薄能姓を 持つ雄 ものという評魎は藍面からなされていない。
そこで、あらためて、子安氏が引絹し験試してい る、秘密勢の分析灘分の綾討を次に行ってみたい。
子安氏は、次のように捲摘している。(注8〉
褻舞えば、臼井嘉一は、§δ奪1から7S年ごろまで の安井の実践史を三段隣に分け、匿第一段欝にお いては、かつての綴上更・地方斐と異なる 地嫉 の歴史 が歴隻教材としてくみこまれ、第二段繕 においては、 地銭から歴史をとらえて 慶史教 材を鑛威し、そして第三段繕1こお炉ては、第二段 購においてとらえられた、その歴史教材の教育的 意義をとらえ痘すなかで、子どもが歴史を褻らの 問題としてとらえるという、子どもの問題意義を 育てる歴史教樗編成がおこなわれている講 と分 断する。そして、教材としての地域を選探する原 葦塁は、子どもと地域の灘から歴史をとらえること それを社会と歴史の系統に粒選づけて歴史の全体 像を再購成させることであったとまとめている。
授業論レベルの議詮は、教材蒲によ馨そった展雛 となっている。そこでは、基本麟には科学麟認識 に子どもをいかに近づけるかが、提起されたのだ としている。そして、子どもの良分な鯵のの考え 方を弓1き窪し、位置づける課題と、罠衆望の秘学 麟教材を系統的・体系的に教えるという課題の統 一の視点から、賦 子どもの素霞な感じ方跡を
罠衆受を通して歴史のスジ道をとらえる なか で発展し、子どもの鰹史と雛会に対する主体性を 形成させていくものとしてとらえてみたい墨とし ていた。この分断のなかでは、基本醜に、教麟炉
教舞をつくる隆の観点として『子ど擁を位置づ
けた実践と捲握されている。教材権威譲レベルで の分梼が中心であったことが読み取れる。一…こ のことを闇題記するのは、教誘構滅譲レベルでの 議論であったために、教編と子どもとの麗係が基 本的には鰻上げされていたということである。子 どもの主体性や能動牲も教材との幾孫で主として 議i論され.ていたのである。」馨8〜6§頁〉 (下線一 弓濡者/§ 福轟大学教育実践覆究紀要第22号
鋲上が子安氏の私甕身の、「地域に穣ざす腫吏 教糞婆の典型としての影安井」実跳分梼藩分と、
それに対する子安氏の綾討藻分である。
この琴1溺釜瓢分における二重カギカッコ内の秘露 身の穣討藻分と、それに対する子安氏の検討藻分
とみ比較をしていただきたい。そしてと吟わけ下 線藩分の子安氏の穣討部分に注意していただきた い。すなわち子安氏の「基本的には科学的認識に 子どもを雛かに近:づけるかが、提起されたのだと
している」という馨井綾討の要約離分は、必ずし も駕確な要約にはなっていないのではないかとい うことである.私は、当時のヂ地綾に根ざす歴史 教官≦譲を決して、「科学的認識籠子どもをいか
に透づけるかが、提莚されたのだ誘というよう1こ 捉えていなかったからである。もちろん野科学的 認識壕を膏成することは軽視していなかったがそ のことと薪子どもをいかに近づけるかが、縫1起さ れたのだ達という縫えかたとは置幾すべきではな かろうかσ
子安氏の論瑳がややもすると誤解されやすいの は、このような要約によって、教耕構成譲を欠落 させたヂ教輝と子どもとの幾係達識が養面に押し 鐵されているところにあるのでなかろうか。
鵡釣に言うならば、ヂ教耕構成譲レベルでの議 i論」そのものが腿題であるというよ弩、どのよう な郵教紡構成識シベルでの議譲達なのかというこ とが懸題なのである。
私が先に強熱たように・ここでは「教材構成
i論レベルでの談議歪そのものに癒値があるという のではなく、その「教赫構成講レベルでの議i論遷 の質・内容によって極魑があるのである。その点では、私濤身の分墾謡分1こある「 子ど もの素直な感じ方 を 罠衆愛を通して歴史のス ジ道をとらえる さいの媒介項のみならず、その 媒介項じしんが、 歴i隻のスジ遵をとらえる な かで発展し、子どもの歴史と社会に対する主鉢牲 を彰議させていくものとしてとらえてみたい並と いう藻分を、よ鯵ていねい1こ検討してもらえたら よかったと思う。
この部分での、「跳域に穫ざす歴史軟膏」の擬 えかたは、確かに「教材権威譲レベルでの議譲で あった」かもしれな塾が、しかしそこにおける
「子どもの素直な感じ方違への藩隷ま、ギ教材撰銭 識」レベル一般の麗麗として評麺しな炉で、まさ
1こ子安最密身が「安井崖実践詩嚢で運べて墾るよ
唾鱒2嬢購 うな「教舗に対しても子どもが主体としてたち理 れる可能性を持つもの謹として評慰することを要 請しているのではなかろうか。
そして、縛よ辱も、課題とすべきヂ業縁する歓 会秘授業譲では、決して「教材権威譲レベルで の議i謝は分けて展雛しないで、「子どもの素嚢 な感じ方」への蓬謬を内に含むような教材権威論 レベルでの議譲をも含みこんだものとして展擁す る必要がなかろうか。
そしてこのような教誘購成蒲を含むようなヂ共 賭する桂会科墜授業譲を課題とすることによって こそ、発達した子安氏のいう紅教緯が提鐵する教 樗を含めて、子ども嚢身に現実の観会や斐実を探 求させ、子ども甕身の思考の短象とし、教簿と子 ども、子どもと子どもが共どもに祇会の法難、知 識等を討論し確証する授業雌が現実のものとな鯵
うるのではなかろうカ㌔
したがって、欝欝年代から2墨経紀に向けての社 会科授業誌の課題は、婚簿年代・雛8§年代の「地 簸轟こ根ざす灘史教糞」における「子どもの素癒な 感ビ方」への藩欝を内に含むような教新講絞諜を 不麿欠の内容としながら、夢教錘と子ども、子ど
もと子どもが共どもに」薪討論し確震鑑する授業ま づく辱を展鵜していくところにあるといえる。
(漉s〉子安ヂ表掲譲文窪銘〜総翼
(浅緋臼井嘉一「社会秘授業展聡のく環>と授 業披講」(露本軟膏方法学会薙ぎ教育方 法を鶴い直す遜聡治籔書欝88卑鎗賛)所 叡の「動く娃会科」譲争験討部分(9§〜
i盤頁/参顯。
(注麟子安ザ翻獲頁
(蓬8〉子安ゼ剛総〜総頁
3 椎会科授業論におけるヂ教麟文化」
と「学習活動雄ヂ体験学習」
それでは次に、子安氏の匿共隣する鷲会科達授 業譲を深め発展していくうえでの二〜三の購題に ついて験試してみる。
(i〉新しい裡会科授業譲の鐵発点
子安氏1ま「共構する鮭会科ま授業譲を提起する 際に鰺7§年代・総奪代のヂ地嫉に擾ざす歴受教育張 の基本釣欠隆として「子どもを主体と擬える構想 を秘めていたが、なおそこには、客体と捉えたま
被会科授業講の課題 7
まの掘握が瞬鋳に存在していた」ことをあげてい るが(窪窪)、たしかにそのような問題点を鋭く 捲摘しているといえる。
しかし先に縷説したように、このような購題指 摘の鳶撰是としての授業現実を見るうえで、その否 定的蜷薩と轡定麟灘面の炉づれの灘嚢炉主要な鰯 面であ翰、そしてその否定麟灘癒のよって来る縫 題の根源を果たして歴数協の教轟やゼ地綾に根ざ す歴甕教育葬こ求めてよいかどうかさらに跨嫁す る必要がある。もちろん歴数脇の教編や「地簸1こ 根ざす歴塗教育まに責任がないわけではないが、
当欝の運動にお謬る諸縄題や現実の政治的政策約 諾翼題とも騰わらせて摸重に吟嫁するならば、私 にはその主要な{難露慧r子どもを主体と捉えよう としている嘘ところにおいて控握した方が婁態に 沿っているように思える。
そして、その上で、当時のf地球に根ざす歴史 教鳶まの基本方殉であったとされるヂ子どもが教 科内容・教護に耕していかに雛むかという方海で 追求してきたこと達(涯鎗〉を改めて捉えなおす と子安氏のような弱点として養えるような諄纒に はならないのではなかろうか。
つま琴このような子どもが教科内容・教材に煙 していかに撹むかという方幽達(下線一難編者/
は、むしろ長所として継承すべき方麟ともいえる のである。
したがって、ヂ業縁する桂会稀」授業を構想す る蝶には、その趨発点において、子どもが、いか に主体的に教材に撹むかという観点もすえておく 必要がある。(もちろん子安氏もこの観点をすえ て雛ることは先に引網した鞭簸子安提案の三項 関係蓬にも競らかである。〉
以上のような観燕を社会科授業の灘発点として 強調するのは、桂会科授業i論の中核的な凝念とす べき「共ども」「学習達する鰹の.学習対象であ る教科内容・教馨への、いわばド捷戦」をその
「学習漣の中核綴念として瞬確にしておきたかっ たからであるQ
私も、子安氏の引網するフレイレ硲「文化の挺 罪に共に参擁し獲得する教畜まの観点や、尾関の
「主体一客体縫係は、教編と生後とのあいだでは なしに、じつは生徒と人類文化とのあいだにある」
という観点を(譲謹野重擬したいからである。
このような観点を、よ蛋酵灘羅i毒こ表現するために
「学習対象」を 教材i文{ヒ という凝念で捉えな
おしたいと懇、う3
なお、そのような 教舞文乾押への「携戦蓬
「参撫達という 学習弱をとおして、子どものな かに育っていくものが 継会認識 であると捉え ておきたい。この 社会認識搬を疑えるうえでの 必復の観点は、 教材文化卸の子どもの 学習井
という礫に、攣に学習慧象としての教材文秘の主 体的学欝という翻懸紐とどまらない、教縣と子ど
もおよび子どもと子どもが「共どもまに学習する 麟面をも含んでいるものであるという点である。
ところで、その 縫会認識野とはいかなるも跨 であるのかという開題を今後の醸究課題として擾 起しておく;が、私麩身の飯説として提示できる桂 会認識の三つの性格1ま、次のとお琴である。
①「科学盤」(事実・誌理に基づく捉え方〉
②「主体性」徳分・地綾をふまえる縫え方/
③ゼ民主姓」(教臨と子ども、子どもと子ども が疑主1曳義的交流中で擬えること/
以上の飯説(と辱わけ⑤の「戻主牲』〉の穣討 は今後の課題である。
(2)社会科授業遜程と「学習活鐡」講 欝東亮三氏は、縫会科授業の一般的懸題状溌は
「麟究や講査の歳果を整遅して記達する方法毒こ縫っ て授業が進められて塾る藩ことにあると違べたう えでゼどんなにすばらしい目標やねらいを豊べて も、それが実際の授業において、子どもめ串に達 成されるように授業が権威されていなければ、絵 にかいたもちである達と警告している。(涯鎗〉
この捲摘は、ある意琴表でよく驚き叢れ.たことで はあるが、酸めて騨に銘じるべきものである。
あるべきヂ共織する社会科逢授業論をよ鯵具体 的に展醸するうえでも、そのための授業構成1論の 翼題にまで深く入篭こむような稜討が必要となろ
う。その点で私は被会科授業遍程を、子どもの
「学習活難達遍羅として霞覚的紅再講成すること が必要ではないかと考えている。
そして、その子どものヂ学習活動墜遍羅として 桂会科授業を再講成する際に、かつての擁難社会 科学習の捲導方法譲からは多くのことが学べると 愚っている。具体的には欝驚(露秘25)隼発行の
繋・学校社会科学習指導決選(文藻省発行〉がそれ である。
この謬小学校縫会科学習指導法遷(鉄下ゼ指導
8 福島大学教育実践醗究紀要第22号
法選と略す/硲構成は「第一章箆童の発達重「第 二章学習活動の発展」ヂ第三章おもな学習活動と その指導法蓮となってお弩、第三章がその中心蔀 分を構成している。
この蓼捲導法雲という書翰は当時の、いわば
軒経験主義栓会科藩の象徴的なものといえるが、私のようにいわ侮る「経験主義社会科」に撹覇的 な者にとっても、その「経験」譲や「学習活動窪 論からは、多くの点が学べるように思える。
と弩わけ、「直接経験」とゼ1琿接経験ま彦こもと づく「経験達の深姥・発達は先に提起した 縫会 認識 1論硲展醗グ)うえでも興味ぶかい薦題を提示
している。またそのような「経験雄i論をふまえた ゼ学習活動ま論は、今馨にふさわしい「共羅する 歓会科」授業譲を展聡していくうえで学ぶべき点
が多》}。
ここではその「学習活動}詮について、若モの 検討を換えたい。
「学習活動まは七つに分類されているが、それ は①グループ活動、②話し合い、③構成活動、④ 地麟・奪表・グラフおよび説窮麟の作成ならびに 翠糊、⑤毒櫓活動、⑥書翰その飽参考資料砺彌、
⑦見学・調査・面接、である。
この七つのゼ学習活動蓬を、「経験」論の観点 から整理してみると、まず「直接経験淫として⑦
「見学・調査・面接葺があげられ、隣接経験達と しては⑥ゼ書軸その催参考資料の稀絹」があげら れる。そして鉄上のゼ経験」したものを、①「グ ループ活動唾や夢⑨議し合い達で整理され、さら
1こそれらの学習ゼ経験達をふまえて④馳欝年
表・グラフおよび誕墾緩の棒成ならびに瀦穰まも なされ、その上で、以上の「経験」は、③「権威活動や⑤購麟活動」といういわば表現活動と
いう「経験涯によってまとめられる。私には、以 上のような「学習活動ま譲は、新しく「共賭する 撞会科ま授業過程を構成するうえで、大きな示唆を与えているように思われる。
なお、鉱主の、七つのゼ学習活動達は、今嚢か らみて、③匿構成活動重と⑤ヂ麟麹活動」は地の ものと区霧して、たとえば丁体験的学習活動達と 捉えた方がよいように思われる。そして飽の活動 は「具体麟学習活動達と捉えておく。
以上の七つの「学習活動蓬(ギ具体的学習活動達 と「体験麟学習活動肇のいくつかを、その授業 における 教材文化 の内容に麗して選択し、子
緯92嬢携
どもの、 被会認識 (ギ科学的」「主体麟まヂ買 主酌達縫会認識〉が育絞されるように雛会科授業 を権成していく必要がある。その際にどのような
教材文{どにはどの 学習蠕動 が養鶏かは理 譲釣にも実謳的にも醗究していくことが重要であ
ろう。
麟 縫会科授業邊程とヂ活動」ギ体験」
上麗において、「権威活動達と「麟的活動謹を 指してr体験的学習活動」と飯に命名したが、こ
こに冠した紅体験釣落という罵語は、今醤の学校 教畜において、「猛活科蓬の新設と連動してしば
しば使罵されるようになっている。
しかし、その際に「活動淫重;幌と野体験」重視 とが臠せて強調され、その中でゼ見学」などの、
かつてのド学習活動ま(具体的学習活動/と「権 成活動豊「藤1麟活動ま(体験鶴学習活動〉 と、「も のをつくる活重毅などの「新たな体験学習まとが、
ややもすると、それぞれの特性とは無縫係に搬わ れ混属して実践される額梅が箆られる。
私は、上記において遠べてきたように、新しい 続会科授業譲の展聡を進めていく上で、いわゆる ヂ活動≦重椀は単純に否定すべきものではなく、
むしろ積極的に佳麗づ診ていくことが必要である と考えている。
しかし、その際に、上記のように麟々の「活動淫
「体験」の特種とは無関係に鐘!麗づけていくこと は開題であるとも考えてお弩、その点の解弱を課 題とすべきではないかと愚っている。
私は、ヂ活動達軒体験」というものを次のように 整理している。
「学習活動達① 具体的学習活動 (ii)体験麟学習活動
ゼ体験学習」③「生産体験」学習 ④ 「生活体験嵯学習(いわ ゆる娃会参擁の体験〉
⑤ ド遊び体験達学習
この整蓬からも、うかがえるようにゼ学習活動達 とは、先達のゼ指導法薯の分類をふまえてのもの であるが、ここで強調しておきたいことは、ここ でのヂ①具体麟学習活動こそが、雛会科授業遺 程での基本的学習活動を構成すべきものであると
縫会耕授業譲の課題
§
いうことである。つま辱ここに{霊置づけられる 新④見学・調査・面接墨ヂ⑤書軸その縫参考資料め 秘絹漉ゼ◎難纒・奪三表・グラフおよび説絹霧聾の作 成ならびに鵜絹藩ゼ④グループ活動諜「⑤議し合い達 という蓋つの学習活動こそ 教誘文化芳づく琴に 子どもが主体的に参撫していくうえでの基本的活 動であるといえる。
そして、その上で、巨疹体験釣学習活動獲も有 効に機能していくともいえる。この「体験麟学習 活動墜における「構絞活動まヂ麟的活動達につい ては能導灘では次のよう1こ定義されている。
「構成澹動達 野箆童が嚢分たちの学響の欝 的にそって、霧を馨った琴緩み立てたむ、絵 や遜をかいた琴、また場面を構滅した噂する
活翻
「凝的活聾」 野低学年の欝童の行う ゼお震 ごっこ垂謬乗麹ごっこ遜などや、比較的高学 年の箆童の行う模擬銀行・模擬議会・学校新 懸などのような、おとなの生活を模徹して、
それを小聖に再現する活動や、串学年から高 学隼にかけて行う大昔の人々の生活や蓋のあ 辱さまや、外撰の生活などを麟化する活動達 また次のゼ体験学響蓬についてだが、このよう
なf体験学割への蓋難ま、戦後糠舞では必ずし
も嚢覚的なものではなく、婚§§年代・鯵簿隼代の 高度経済成長に舞う欝本義会の変紀・続会生活の 変化から生じてきた新しい魏鶴である。また子ど もの嚢常生活からのr体験」生活の消失への危機 意識からも新しい「体験」重視の繧病が生まれて いるともいえ、かつての擁獺縫合稗蒔代毒こは必ずしも予想されてもいなかったことでもある。
したがって、今嚢の新しい「体験達重視は、そ の「体験重の内容1こ繕じて捉え、そのゼ体験涯学 習を総織する必要がある。上記の分類では、その
「体験」を三つに分類しているが、その内容は
「⑧甦産体験遜学割(懸のをつくる・そだて 嬢体験)、「④姓活体轍学割(εお店で買い
勃する・公艮館活動に参撫するなどの後会生活体 験達〉、「⑤ζ遊び体奪灸葺学習(ヂ今の遊び」とともに「昔の遊び」の体験も含める/となっている。
なお、、航記の分類からもうかがえるように、私 は「体験的学習活動3という「学習活動涯の一環 としてのギ体験」活動と、実生活の中の「漂織豊 を学校教官(桂会科授業/の申に緩織して鴛う
「棒験学習」とは厳密に区翳している。
それは、かつてのゼ経験主義縫会科謹において は、ややもすると率土会認識の鷺戚と季重会生豪雪の経 験の、医欝と経連が混濁されるという領海すら盤
じたこともあ鞍、したがってそのような縫題点を 金偏のような新たな状溌においても生,じさせない ためでもある。
したがって、鮭会科授業過程において、ゼ学習 活動霊や「棒験学習達を監置づけていく場合に、
次の整理嚢墓毒こ示してあるように、<認識〉活動と く表現>体験との旛互経連、およびそのく認識>
活動・<表現>体験とく体験〉学習との穏互幾連 にも充分留意する必要がある。
<
認識>活動
ギ見学・調査・面接窪
「書翰その飽参考資料の稀罵」
「地藝1・隼表・グラフおよび説瞬泌の 舞絞ならびに穂綿謹
一・
ξ
〈
〈体
野グループ活動違 「誌合塾達
動 轟 捧慶⁝習 >動一学 轟一> 表購︸験
ゼものをつくる・そだてる涯体験 r社会参簾三体験
「遊び」体験
ここで、縫会科授業識慕おいて「活動達「体験珪 はどう縫え縫麗づけたらよいのかという点につい て検討してみたい。
この購題に聡わって、かつての『指導法2の串 で興鎌深塾開題について1論じられている。それは 野第二章学習活動の発展まにおいてだが、ここで は軒実現する活銚」と誓解決する活動董の、二種 類の活動について論琶られている。(注欝/
すなわち、「実現する活動遷とはゼーをした い」ε一をしよう窪という欲求に基づく活動で
ある。
また「解決する活動藤とは「なぜ謹「いかにし て窪「なんのために盛「なにが盛などの問題を解こ うとする活i麩である。
欝 籏鵠大学教育実践醗究紀要第22号
以上の二種類の学習活動の分類は、「体験謹と 野認識董という観点毒こ立つとき、麟f惹の彰実葦凝す る活翻は、いわばゼ体験達§的の活動と捉える ことができ、後者の「解決する活動達は、いわば ゼ認識涯騒的の瀬勧と擬えることができる。つま
辱社会科の学習活銚には罫体験ま目鶴の活動と ゼ認識達欝的の活動に分け得ることについて遽べ
ている。
この二人分類は、軒体験蓬欝麟の活動と「認識葺
§的の学:習活動に分けていることに濛昧があるの ではなく、この二つの活動が、穰互に関連してい る活動であることをも識じていることに意瞭があ る。すなわち次のように議}じられている。
「学習活勇のこの二つの型は、学習の動機づけ の露においてこそ明確に区劃できますが、しだい に学習活動が展購されるにつれて、たがいに関連 しあい、結びつ崩てきます。そして一つの型が轟 然に飽グ)璽に移琴、一方の塗のうちに飽の型が含 まれるということ毒童起こってきます。一…・ぎ実葦難 ずる薯活動は隅題を盗み、問題はまた罫案瑳する垂 活動を生みます。」
弩解決する雌活動は、話し合騨・講奎・読書・
見学などの寒釣な活動から始まるのが常であるの に対して、蓼実現する遷活動は、蓉に低学年では、
ふつう製維・麟銘などの表現活動から鐵発すると いう差異が見られますから、その意練で低学年で は後者のほうが晃童の欲求や興味に適合している と考えられます。」
では以上の諸点をふまえて、歓会科授業におい てゼ活動3「棒験雄をどう捉え・{宣羅づけたらよ いのであろうか。
先に運べたように、今警の「体験」重視は、子 どもの「体験3することそのもの炉溝滅している 状溌への危機愈識を背景としているため、「体験ま することそのものの教育的意義を否定することは できないG
しかし桂会科授業においては、その馨標である 社会認識艶の畜成との溺わ辱の串で捉える必要 がある。したがって新しい「体験学習淫もたとえ 体験することそのものに教育麟懸殖があるにせよ 社会認識の育成との経連に留意する必要がある。
それゆえに表記の整理緩にも示してあるように
「認識雄『表現涯と、新しい「体験達学習との根互 襲連牲に留意しなければならない。
すなわち社会科授業においては、先の三つの
総§2鱗揖
「体験学習3を(ギ生産体験雲軒生活体験盛「遊び体 験麟桂会科授業の内容と関連させて位置づける 必要がある。
またゼ体験的学習活勇」 (ヂ権威活難達「齷齷活 動妻も上記の「体験学習逢と区霧して、見学・
調査・題葺接という 「直接経験雄にもとづく学饗活 動や、書翰その魑参考資料の瀦罵という醐接経 験涯にもとづく学翼活勇をふまえた、いわば認識 表現の活動としての体験的活動であるという位置 づけにも溢意しておきた》㌔
子安ゼ前場譲文藩鋸頁
子安「剛簿頁 子安野翻簿〜73頁
欝東亮三纏著『桂会科授業改造入門肇 購治緩書i露2年2月、欝貫通至頁
(注i3/ 文藻省『小学校鮭会科学習指導法雲 鯵硲年当月、毘〜22嚢参照
(注91
(注癖
(注鐙
(滋2〉