() 第 4 号 20(平成23)年1月4日(火) 弘 学 時 報
学長 𠮷岡 利忠
今年の津軽地方は、猛暑そして
短い秋から足早に冬の到来とい
う感じがする。京都清水寺の住
職による毎年の漢字一字は「暑」。
この夏は、日本全国どこでも挨
拶の最初は、「暑い、暑い、暑い
ですね」と始まる。個人的には
漢字一字で表わすと、「迷」、「変」
なども相応しいかなと思う。
弘前学院礼拝堂の前庭にはモ
学校法人弘前学院
理事長 阿保 邦弘
青森県の政界事情
明治初年の青森県政界は、旧
津軽藩の勢力が圧倒的な存在で
あり、弘前の旧重臣層がこれを
牛耳っていた。ところが、明治
十一年頃から共同会が自由民権
論を掲げて台頭し、弘前はじめ
県下の壮年層以下をとらえ、や
第 41 号
(年4回発行)
編集発行 弘 前 学 院 大 学 広 報 委 員 会
印 刷 所
㈲小野印刷所
ミジなどの紅葉樹が数本あり、秋
には深紅に色づいたモミジ、ド
ウダンツツジ、ナンテンなどと
常緑樹のヒバとの対照が絵葉書
的な構図になり、多くのカメラ
マン達のシャッターを切る音を
聞く。落ち着いた情景ではある
が、やはり、今秋は紅葉の色付
きに物足りない。
一号館二階にある学長室から
六号館(本部ビル)方向には、白
樺、モミの木、サクラなどの樹木
が植えられている。サクラの木の
成長は早いというが、キャンパス
のそれは伸び悩んでいるか。それ
でも、秋にはこれらの落葉樹から
儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
がて地主層にまで食い込み、明治
十三・十四年頃には、一大地方勢
力となりつつあった。ここに両派
の対立は次第に顕在化してくる
のであった。当時の県令(明治四
年~十九年における県の長官、た
だし三府の長官のみは知事とし
た。明治十九年にすべて知事と改
称した。)山田秀典は、明治十四年
十月二十八日青森に会議を招集
して両派の妥協と調停をはかっ
た。出席者は、県会議長大道寺繁禎(旧津軽家家老)、郡長(府県の
下に置かれた地方行政機構の長
官)蒲田昌清、郡長工藤行幹、郡長 館山漸之進、郡長笹森儀助、郡長
一町田大江、県会議員赤石行三、
県属菊池元衛、県属伊東珍英、共
同会員菊池九郎、共同会員本多庸
一、共同会員石岡周右衛門の十二
名であった。
県令は、一致
協力の必要をう
ながし、共同会
の存在意義を強
調し、翌二十九
日に出席者全員を発起人として
「檄文」を起草し広く有志を募る
ことになった。檄文は本多庸一
の起草であった。その内容は天
皇の下した方針に基づいて政治
思想を盛んにする、学校を盛ん
にして知識を拡充する、産業を 盛んにして国の基を強固にする
というものであった。この計画
通り一致団結が進み各種の事業
に取り組むことができれば、弘
前及び地方の衰退は挽回され県
の振興は図られ
ることになった
であろう。とこ
ろが、山田県令
の共同会への傾
斜が露骨であっ
たことから保守派の憤激が爆発
し、県会議長をはじめ保守派の
リーダー他は次々に辞職する。
その後を共同会員が替わり、菊
池は十四年暮れに東津軽郡郡長
となる。そしてそれと前後して
本多は県議会の補欠選挙に立候 色とりどりの沢山の落ち葉が歩
道、前庭、ベンチに積もる。積もっ
た落ち葉の掃除は用務職員さん
の出番。サクラは散る花も秋の
落ち葉も、年、二回の掃除が必要
だ。葉っぱの落ちた木々の枝ぶり
が良く見えるようになる。その枝
ぶりを眺めていると極めて安定
感がある。根元の幹から大枝、中
枝、小枝と分かれ、三次元的にど
の方向に伸びるのが最も安定す
るのか自然であるのかを考えて
(?)成長するのであろう。粘菌と
いう単細胞的な生物が成長する
ときも、あたかも脳神経があるよ
うに振る舞っているという番組
をテレビで見たことがある。それ
らの走行の特徴は、エネルギー消
費などにおいて最も効率がよく、 たとえばその走行は電線の配線
図、鉄道路、自動車道路の効果的、
経済的な設置計画にも利用され
ると結んでいた。自然界のなせる
技に、見ていて安定性があり安堵
感がある枝ぶりや形が作られて
いる気がする。自然イコール神と
いってよいかも知れないが、つく
づく偉大であると感ずる。
また、葉が生い茂っている季節
には気が付かない六号館の様子
が手に取るように枝々の間を通
して見える。もちろん、人の動き
も、である。決して多くはない樹
木達であるが、カラスをは
じめ数種の鳥類もやってく
るし、キジの番いも急ぎ早
に木の幹を歩き回る光景に
も出くわす。規模こそ小さ
いが、里山的雰囲気か。
十二月になると授業の五
時限目が始まるころにはす
でに暗くなり、四時限で終
わった学生や講義室への移
動する学生の姿も見づらく
なる。ここ数日は、降雪が
あり歩道の端には雪が残り
補して当選し、以後当選を重ね、
県会議員として明治十九年に至
るのである。これがいわゆる弘
前紛紜(ふんうん)事件におけ
る本多たちの勝利であった。
ところがそれもつかの間で、明
治十五年一月に山田県令が急死
し、保守派に密着していた県書記
官郷田兼徳がその後任となるや、
保守派はいっせいに復職してそ
の巻き返しが始まり、共同会と東
奥義塾に対する圧迫はにわかに
露骨となった。菊池は対抗策とし
て十五年十月県会議員に当選し
て本多と共同戦線をはるが、共同
会は急速に全国的後退のやむな
きに至り、全国的な民権運動の衰
退分解過程と軌を一にして、つい に明治十六年四,五月頃解散の憂
き目にあうこととなったのであ
る。それは、累を東奥義塾に及ぼ
す恐れがあったからであると「菊 池九郎先生小伝」は述べている。
そして全くおなじ理由で、本多も
東奥義塾塾長の地位を去らなけ
ればならなかった。
本多と共同会に対する県政界
の反対派は本多のキリスト教的
自由民権論は国体に反する危険
思想であり、その本多が塾長で
ある東奥義塾はいまや自由党学
校となったと非難し、彼らの側
にたつ郷田県令をして、これを
文部省を通じて宮内省に上申せ
しめその失脚をはかったのであ
る。 (以下次号) 車輪の跡や学生らの足跡もある
種の模様を描いて面白い。キャ
ンパスを行き来する学生達が学
長室を見上げ、窓越しに私を発
見すると必ず会釈する。こちら
も同様に頷く。学生の挨拶をは
じめとする礼儀作法が整ってき
たことは大変うれしいことであ
る。外部から訪問する方々から
も、時々、弘学の学生さんの挨
拶がいいと言われ悪い気持はし
ない。
この度、弘前学院校友会から
の寄贈で、礼拝堂の前にあるモ cccccccccccccccc
ccccccccccccccccccc
学長室から 徒
つれづれ然 なるままに
儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
十一月十八日(木)、市内パー
クホテルで祝賀会を開催しまし
た。主催は弘前学院理事会及び
監事一同ではあるが、理事会を
代表して野澤武理事・後援会長
と大学長𠮷岡利忠先生、中学高
等学校長春藤英徳先生のもとに
開催され、盛会裡に終えられた
ことに感謝申しあげます。
当初は阿保理事長先生のご意
見もありごく内輪でと考えてい
たが、最終的には後援会、校友会、
評議員会、教職員の参加を仰ぐ
ことになり、一〇八名のお客様
をお迎えすることができました。
当日は午後六時より第一部、第二
部に分け、第一部では理事村岡博 よってその紙質は不明であるが、
紙の色は白とも薄茶とも薄緑と
もつかないほんとうに深みのあ
る色です。勿論、筆書きと大臣
の印章もさることながら、用紙
に印刷されている内閣総理大臣
(内閣)の五七桐紋章が真ん中に、
この紋章を桜が覆い(日本は法
定の国花がないため国民になじ
みの多い桜を用いている。)菊が
あしらわれております。このよ
うな特別な用紙等からしても、
阿保理事長先生のご功績の重み
が感じ取れるのではないでしょ
うか。中々見る機会は少ないと
思いますが一度はじっくりと拝
見する価値があると思います。
理事長先生には、今後益々お
元気で学院発展のためにご活躍
されることを心から祈っており
ます。
最後に祝賀会の開催にあたり
本部職員の皆様には心から感謝
と御礼を申し上げます。ありが
とうございました。
(事務局 藤田月衛)
■阿保邦弘理事長先生の賞歴
平成元年十月五日
青森県知事表彰(私学振興功労)
平成十一年十月二十日
青森県知事表彰(私学振興功労)
平成十五年十一月二十七日
青森県褒章(教育功労)
平成二十二年十月二十一日
文部科学大臣表彰(私立学校審
議会委員功労)
理事長阿保邦弘先生 文部科学大臣表彰受賞祝賀会に寄せて
史氏(弘前教会牧師)による開会
の祈りがもたれました。第二部の
祝賀会は𠮷岡大学長の開会の発
声で開宴となり、発起人を代表し
て野澤武理事が阿保理事長先生
の受賞を祝すとともに弘前学院
に対する熱い思いを紹介し、お集
まりいただいたお客様に感謝を
表しました。引き続き、阿保理事
長先生は受賞に至る経緯と青森
県私立学校審議会の役割を紹介
し祝賀会開催の御礼を述べまし
た。その後、記念品の贈呈、花束贈
呈、アトラクションと続き、校友
会顧問の工藤幸様による乾杯の
ご発声の後、一同から賛美の拍手
が沸き起こりました。懇親の後、
午後八時三〇分に春藤中学高等
学校長の閉会の言葉をもって会
を閉じました。
この度の、文部科学大臣から
送られた表彰状は、独立行政法
人国立印刷局(旧大蔵省印刷局)
所管の製紙工場が製造しており、
基本的には各省庁のみでしか用
いることができないようです。 ミの木に電飾が輝いた。LED
電球による省エネルギータイプ
のもの。点滅する数種類の明か
りは、学長室から自転車置き場
の上に眺めることができ、電飾
が輝くクリスマスツリーはこの 季節としてはなくてはならない
もの。数日間に積もった雪景色
に映える。以前は、キャンパス
の木々にも電飾があったが、そ
の内に省エネタイプの飾りが再
び取り付けられるであろう。
cccccc
(2) 第 4 号 20(平成23)年1月4日(火) 弘 学 時 報
キャリア教育セミナー
就職課長 小嶋 定雄
特別企画
zz zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
研究紹介⑪ 談話室 「自らを信じる力」 を支える
看護学部 助教 長内志津子
本学での主な担当科目は、
一、二年次生のための基礎および
教養科目である。大づかみに言え
ば、哲学、論理学、倫理学、美学
ということであるが、どの領域の
授業においても、いわば「基礎諸
問題(Grundprobleme)」を
学生諸君に投げかけ、考えるきっ
かけを与えようと心掛けている。
もともとは、ドイツの哲学者
ハイデガー(1889-1976)の
著作に触れて哲学に興味をもっ
たという経緯もあって、「存在論
(Ontologie)」が私の研究の中
心に今もある。だが、それと同時
に、「存在論(Ontologie)」の
「-logie」の部分、つまり「こと
ば、思考」にも関心を持っている。
加えて、「主観」に還元する近代
に特徴的な「倫理学」や「美学」を、
完膚なきまでに批判したハイデ
ガーの論考を吟味することも私 を聴くことも少なくない。そこ
に、哲学を学び、研究し、実践
する意義があるように思う。
よく自分の講義の中で、「現代
先進国における『標準』の考え方
は、以下の通りです。」と言って
話を切り出すことがあるが、こ
れは先の「普遍的なメッセージ」
を学生諸君に伝えるための前口
上である。たとえば、「功利主義」
という考え方は、一八世紀のベ
ンサムを超えて今や国の政策決
定、企業の意思決定、あるいは
臓器移植などの場面において力
を持っている思考法といえるだ
ろう。また、一九世紀のJ・S・
ミルによる「自由」についての
考え方をとっても、講義中に書
いてもらうワークシートに全否
定する意見がまずないというこ
とは、そこに「普遍」を感じとっ
ているからに違いない。
こうしてみると、日本で「哲学
すること(philosophieren)」
とは、欧米文化を鏡にして自己
自身、あるいは日本を映し出す
営みということができるかもし
れない。 バンクーバーオリンピック・
フィギュアスケートの高橋大輔選
手の演技を皆さんは覚えています
か。「自信」とは読んで字のごと
く、自らを信じることでしょう。
何かに向かうとき、自分を信じる
ことができるかによって、力の発
揮や自己肯定感に大きな差が生ま れるように感じます。高橋選手は
四回転ジャンプで転倒した後、自
分を見失うことなく素晴らしい
演技をしました。転倒したので、
100%完璧な演技とは言えない
でしょう。膝の故障を抱えながら、
自分を信じて残りの数分間演技
し、銅メダルをつかみ取ることが
できたのだと思います。その後彼
は、「失敗しても立ち直る練習を
した」と話していました。転んで
も立ち上がる、失敗しても立ち上
がることで、次の道が開けるので
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
哲学すること
文学部 准教授 鎌田 学 555555555555555555555555
55 55
55 55
55 55
5
す。私たちは失敗自体を恐れ、自
分を信じきれないことが多いので
はないでしょうか。
看護師は、病いと共に生きる人
と関わる機会が多いのです。主
に入院している方と関わります
ので、ほとんどの方が病気によっ
て今までの身体とは違う自分に
直面しています。特に命に直結
する病いは、自分の将来に対す
る不安を抱かせます。「家族の中
の大事な存在であること」「一生
懸命取り組んできたこと」といっ
たその人らしさは変わらないの
です。しかし、病いによって「ら
しさ」を発揮しにくくなることが
あります。私たち看護師は、身 体や心理・社会的側面の変化に
よって健康を揺るがされた方が、
「その人らしさ」や「自分を信じ
る力(自信)」を持ち続けられる
ように支援することが役割です。
「他者の自信」を支えるときに、
支える側の私たちが自信のない
様子ではいられないでしょう。
自分の力を信じて物事に取り組
むことは、高橋選手が「失敗し
ても立ち直る練習をした」よう
に訓練で身につくはずです。学
生の皆さんが、私自身も、「自分
を信じて」人や社会との関わり
を持っていけるように、共に自
己研鑽と支援をしていきたいと
思います。
の研究テーマに含まれている。
哲学は、言うまでもなく、役
立たない「死んだもの」ではな
く、各人が生きる上で実践する
「生きたもの」であるはずである。
それは、ハイデガーのみならず、
一流の哲学書を繙けば直ちに合
点がゆくことである。ところが、
世間(日本社会)には誤解があっ
て、難解な概念の単なる羅列、無
用の長物と思われることが多い。
その理由の一つとして、日本と
文化伝統の異なる「欧米のもの」
だから、という点が挙げられる
だろうと思う。
確かに、彼らの哲学的書物を
読んで「意味がとりにくい」、場
合によっては「分けが分からな
い」と思わざるを得ないことは、
個人的な経験からいっても多々
ある。しかし、時代や地域を超
えた強い「普遍的なメッセージ」 地域貢献の一つとして、開学
と同時に始まった本学看護学部
のリカレント教育も、今年で6
回目を迎えました。厳しい残暑
の9月
25日から晩秋の風情の
10
月
30日までの1ヶ月間、隔週で土
曜日の午後、「臨床実践に役立つ
看護研究のあり方」をテーマに
教育プログラムが実施されまし
た。近年の看護実践の場は看護
職者に高い専門性を求めており、
それに伴って看護職者は、かつ てのように学校を卒業した後は
経験を積むことで何とか仕事を
していけるという状況ではなく
なりました。看護職は国家免許
を得て仕事をする専門職であり、
その専門性を維持・向上させる
べく、常に自己研鑽することは
看護専門職者の当然の義務であ
り、そのために生涯学習が必要
とされます。
今年のプログラムは、昨年の受
講者アンケートで要望の強かっ
た看護研究の進め方や論文のま
とめ方に関する内容で計画しま
した。この内容での企画は今年
で3回目であるにも関らず好評
で、県内の医療機関、保健所等
から述べ133名の看護師、保
健師が参加し、熱心な研修が行
われました。プログラムの内容
は「臨床実践に役立つ看護研究」 「研究課題を設定す
るまで」「テーマを
絞って研究計画を立
てましょう」「看護
研究に活かせる情報
処理」「研究論文の
まとめ方」で構成し、
講義は本学看護学部
教員の他に岩手県立
大学看護学部から講
師をお招きして行い
ました。参加者の中
には午前中の勤務を
終えて参加した人、厳しい勤務
の合間の少ししかない休日を返
上して参加した人などさまざま
であったと思われます。しかし、
みな最後まで熱心に参加してお
り、その様子や研修会に対する
アンケート結果から、参加者の
研究に対する熱意と看護の仕事
に対する真剣な態度が伺われま
した。
リカレント教育は、このような
研修会のほかに、各施設の看護
職者が行っている研究活動の支 援も行っており、昨年まで県内
の2つの病院で看護者の研究支
援を行ってきました。今年はさ
らに1つの病院から要請があり、
指導を行うことになりました。
地域貢献をめざして行ってきた
本学看護学部リカレント教育が、
このような形で少しでも地域の
看護職者のお役に立つことがで
きることは、本研修の企画者と
して喜びであり、今後も皆様の
お役に立てるように努力してい
きたいと思います。
看護 学部 第 6 回 リカレント教育を終えて
看護学部リカレント教育委員会委員長 阿部テル子
十月二十八日から毎週木曜日
本学で、特別企画キャリア教育
セミナー「二〇一〇年就勝力実
戦講座」を五週連続で開講しま
した。
学生一人ひとりの人間として
の総合力を高め、将来社会人とし
て自立していくための支援をす
ることが狙いでした。今回の特
別企画は、以前から就職課で行っ
ている「就活力実践講座」に出
席している文学部・社会福祉学
部の三年生が対象で、社会人と
しての自覚や常識・マナーを学
びました。
この教育セミナーは、春から
毎週木曜日に実施しているキャ
リア教育をより実践的な内容に
したもので、企業や官公庁で教
育研修を行うイーディーワン(本
社東京)常務執行役員の津田い
づみさんと同マネージャーの八
柳恭子さんが講師を務めました。 学生たちは、講師の厳しい指
導の下で印象の良い返事の仕方
や報告・連絡・相談の大切さ等
をロールプレーイングを通して
学びました。
学生の一人は、「今の自分の姿
と向き合うことができた。最初
は、表情や声のトーンがとても気 んだことが、就職活動に勝つ力
になることを願っています。
就職課として、これからも本 学キャリア教育をさらに充実さ
せ、学生の就職率の向上と早期
離職防止を図っていきます。
- 2010 -
学内就職セミナー
弘前学院大学独自の企業説明会
2011年 1 月 12 日(水)
午後1時~ 4時まで 場所 弘前学院大学 体育館 いながらにして企業を知るチャンス !!
合同就職委員会
になり、これでは話にならない
と感じた。最後にまた自分のビ
デオを見ると、以前より改善し
ており、自分が成長できている
のを実感した。この調
子でこれからの就職活
動に励んでいこう」と
話していました。また
別な学生は、「企業が必
要とする人間力を持っ
ている人が内定を獲得
する。必要な人間力を
身につけ、就職活動に
取り組みたい」と決意
を語っていました。
全国的に今年の四年
生は、史上最悪の厳し
い就職戦線が続いてい
ます。今回の講座で学 zzzzzzz
zzzzzzz
(写真 陸奥新報社提供)
(3) 第 4 号 20(平成23)年1月4日(火) 弘 学 時 報
yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy
硬式テニスサークル
社会福祉学部 社会福祉学科四年 大塚 真人
クラブ紹介 実 習 を通して
社会福祉学部三年 関本 夢生私は、弘前愛成会病院で、実
習を行いました。
実習当初、私は、患者様と話
をしなければいけないという気
持ちが空回りをしていました。
もともと私自身、人と話しをす
ることが得意な方ではないこと
もあり、実習を振り返ると、と 私は、今年の夏、藤崎町にある児
童デイサービスセンターかたつむ
りで実習をさせて頂きました。実
習期間は利用している児童たちも
夏休み中で、1日中児童と接する
ことができたので、遊び・食事・着
替えや排泄介助あらゆる場面でコ
ミュニケーションをとることがで
き、とても充実した実習だったと
思います。しかし、実習中は体調を
崩してしまったり、職員の方との
コミュニケーションが上手く取れ
なかった為に、失敗してしまうこ
とが多々ありました。積極的に、児
童ひとりひとりの特徴やどのよう
な障害を抱えているのか、児童の
家庭状況などを自発的に聞くべ
きだったのですが、私たち実習生
がどこまで関わって良いのか、ど の程度までの情報を聞いても良い
のか分からずに、実習期間を過ご
してしまいました。もっと積極的
に職員の方とコミュニケーション
を取り、児童について聞くことが
できていれば、もっと良い実習と
なっていたかもしれない、児童に
対してももっと良い支援ができた
かもしれない、と少し後悔してい
ます。しかし、実習に参加したこと
により、自発性や障害を抱える児
童の問題、対応の仕方、支援方法を
学ぶことができました。これから
福祉の道に進むにあたって、今回
の実習のように対応や支援、ニー
ズ把握などいろいろな場面で悩む
ことがたくさんあると思います
が、挫けることなく頑張っていき
たいと思います。
今回の実習を通して、自分が社
会福祉を選択し、将来は福祉職に
就きたいと改めて強く感じまし
た。これからは、国家試験合格に
向けて頑張っていきたいです。
ても会話がぎこちなかったと思
います。しかし、実習指導者の
方から、「患者さんの隣に座って
いるだけでもいいんだよ」といわ
れました。このことから、自分が、
患者様と話をしなくてはいけな
いということに、こだわってい
たことに気づきました。このこ
とに気づいたあと、余裕を少し
持つことができました。そして
患者様とお話をする際に、表情
など、相手の反応を見ることが
でき、その反応から、相手との 距離を変えるなど対応を変える
ことができたと思います。
またコミュニケーションにつ
いては、一週間だけ、デイケア
で実習をさせて頂いた時に、一
人のメンバーの方から、「なぜ
デイケアに来なければいけない
のか」という質問をされました。
この方は、デイケアにくること
が条件で退院し、デイケアに来
る目的を明確に持っていない方
でした。そして私は、この質問
をされたときに、私が何かを言っ
て、この方が来なくなってしま
うのが怖いと感じ、結局質問に
答えることができませんでした。
このことを振り返ると、質問を
精神保健福祉援助実習を終えて
社会福祉学部四年 奈良 俊興uuuuuuuu したのは、気まぐれだったのか
もしれません。しかし、たとえ
気まぐれで質問をしてくれたと
しても、目的を一緒に考えるきっ
かけにすることができたのでは
ないかと思います。まだこの質
問に、どう答えたらよかったの
か、わかりません。しかし、質
問した方の話を聞き、受け止め、
一緒に目的を考えませんかと伝
えることが、この時できたので
はないかと思います。
最後に、今回の実習で、でき
たこと、できなかったことにつ
いてなぜできたのか、出来なかっ
たのかを考え、自己覚知し、今
後に生かしたいと思います。 私は、五月十五日から六月十一
日まで、母校であるむつ市立大
畑中学校で教育実習をさせてい
ただきました。二年一組の担当
となり、授業は一組と二組の二
クラスで行いました。
実習中の四週間は、かつて自分
が通った母校とは思えない、ま
るで異空間に飛び込んだような
気持ちでした。とにかく、驚き
と戸惑いと不安とで、精神的に
一杯一杯だったのです。
まず、生徒とコミュニケーショ
ンが上手く取れませんでした。元
来、人見知りの気質がある私は、
生徒を前にして普段の自分を出
すことが出来ず、生徒にも警戒
されていたように思います。ど
うにか会話のきっかけを掴もう と考えた末に実行したのは、生
徒が毎日提出する家庭学習ノー
トにコメントを書くということ
でした。授業のことや部活動の
こと、生徒の趣味などについて
コメントする中で、生徒一人一
人に目を配ることの大変さを実
感しました。しばらく続けるう
ちに、生徒が返事を書いてくれ
るようになり、私自身も生徒の
ことを知ることが出来て、徐々
にコミュニケーションを取れる
ようになりました。
また、授業に関しては、時間
配分の難しさを感じました。大
学で模擬授業は行いましたが、
五十分間を丸ごと使って授業す
るのは初めての経験でした。そ
のため、一回の授業では達成し
きれない目標を設定してしまう
ことが多々ありました。目標が
多すぎるために、時間が足りな
くなり、何を教えたい授業なの
かも曖昧になってしまいました。 その教材で生徒に教えたいこと
を明確にして、授業することの
大切さを学びました。
その他にも、多くの貴重な経
験をさせていただきました。今
回の実習において、指導してく
ださった先生方をはじめ、生徒
の皆さんや保護者の方々にはと
ても感謝しています。私は、来
年度から私立高校の教員として
教壇に立ちます。実習での貴重
な経験と感謝の気持ちを忘れる
ことなく、春からの教員生活に
一生懸命打ち込んでいきます。
教育実習を終えて
日本語・日本文学科四年 古谷 由布子弘学マルチプルパフォーマンス
文学部英語・英米文学科三年 園 歌穂
クラブ紹介
学部も年齢も夢も違う。たっ
た一つ、音楽が好きだという共
通点が、今のマルチを支えている。
創部5年、部室に収まりきらな
くなった楽器は310教室に、
20
人を超えた部員は410教室を
拠点にしている。
毎週火曜日と木曜日の5限終
了後、重い体を引きずり4階ま での階段をのぼる。荷物を置い
たあと、3階と4階を往復し、重
い楽器を運ぶ。譜面台、椅子を
並べ、楽器の組み立てを始める。
傾きかけた夕日を横目に、教壇
の上に置かれたメトロノームを
見つめ、楽器に息を吹き込む。
よく、「マルチってどんなこ
としているサークルなの?」と
聞かれる。名前だけを聞いたら、
ダンスでもやっていそうな名称
であるが、実は普通の吹奏楽部。
時々ボランティアなどでミュー
ジックベルなども演奏するので、
「多様に活動するサークル」とい
うことから、先輩がこの
名をつけたそうだ。こ
の名の通り、ボランティ
アに参加したり、学園祭
で演奏したりと、活動の
幅を広げている。私が3
年の夏には、施設で開か
れたお祭りに参加し、歌
あり、ダンスありの楽し
い時間を過ごすことが
できた。また、
10月に行
われた弘学祭では、ソロ
あり、コントありの演
奏会を体育館で行うこ とができた。冬に参加している
ボランティアでは、楽器の他に、
ミュージックベル使い、クリス
マスの曲を奏でることができる。
部員も多種多様。弘前学院大
学には、文学部、社会福祉学部、
看護学部と3学部あり、マルチ
は、全ての学部を網羅している。
どの学部の学生も、勉強やバイ
トの合間をぬって活動に参加す
る。また、個性豊かすぎる部員
がたくさんいて、部員の間でし
か伝わらない「あだ名」や「遊び」
が存在する。
引退した今、楽しい時も苦しい
時も、同じ時間を共有することが
できた「仲間」は、とても貴重であ
ると実感している。いつの日か思
い出して、笑顔になれるサークル
であってほしいと思う。
こんにちは、硬式テニスサー
クルです。硬式テニスサークル
は文字通りひたすら、雨の日も、
風の日も、もちろん晴れてる日
も一年中テニスをするサークル
です。と言っても今年まだ5回
程しかテニスしてないような…。
まあ、そんなテニスサークル
ですが、部員は約
20人で7割方
が未経験者です。しかし、経験
者も自分も含め何人か在籍して
いるので未経験者に教えながら 楽しくテニスしています。そん
な堅苦しい雰囲気ではありませ
ん。練習したい人は練習したり、
わいわいテニスをしたい人はや
りたいときにやるみたいな感じ
でやってます。テニスコートも
数年前にできたばかりで、駐車
場が無駄に多いです!
主な一年間の活動内容は、春
は入学式で新入生を必死で集め
て、新入生との交流を深めます。
弘前では春になるときれいな桜
も咲きます。その桜の
木の下で新入生を交え
てお花見をするのも毎
年の恒例となっていま
す。夏はテニスの練習
はもちろん、合宿や大
会の参加などをしてい
ます。秋は学校のビッ
クイベントとして弘学
祭があります。テニス
サークルはそこでフラ
ンクフルトを部員総出
で仲良く販売していま
す。一本150円で す。弘学祭に来たときは、是非
フランクフルトを買ってくださ
い。けっこう美味しいんですよ!
冬はテニスなどあらゆる行動が
制限されるので基本的には冬眠
期間に入ります。一年間を通し
ての活動はこんな感じです。他
にもいろいろなことがあります
が、それは入部してからのお楽
しみということで…。
最後になりますが、テニスサー クルに在籍しているメンバーは
それぞれが個性豊かな人たちば
かりで、一緒にいて飽きること
がありません。そんな人たちと
一緒にテニスやいろんな事を共
にしてみませんか?テニスに
ちょっとでも興味のある方、テ
ニスを経験した事があるという
方、そんな方のサークル参加を
テニスサークルは心よりお待ち
しています。
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(4) 第 4 号 20(平成23)年1月4日(火) 弘 学 時 報
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cc cc
cc cc
cc c
二〇一〇年度
弘前学院大学
学位記 授与式
・文学部 第
37回
・社会福祉学部 第9回
・看護学部 第3回
・大学院社会福祉学研究科
修士課程 第7回
・大学院文学部研究科修士
課程 第5回
◇日時:二〇一一年三月
十九日(土)午前十時~
◇場所:弘前学院大学
体育館
卒業礼拝
◇日時:二〇一一年三月
十八日(金)午前十時~
◇場所:礼拝堂
*礼拝終了後、体育館にお
いて学位記授与式のリハー
サルを行います。 二〇一〇年十一月七日(日)、
本学社会福祉学部主催である第
三回ヒロガク福祉創造フォーラ
ムが開催されました。今年は、
「ソーシャルワーカーとコミュニ
ケーション―愛へ―」がテーマ
でした。当日は本学学生、教職 員の他に、福祉の現場で働く方々
や地域の方々、本学卒業生、全
体で約二五〇名の方々が会場に
足を運んでくださいました。午
前中は基調講演が行われました。
社会福祉士の資格をお持ちであ
る三上富士子さん(知的障害者
更生施設さくら園支援係長)に
「ソーシャルワーカーの考えるコ
ミュニケーション」と題してお
話ししていただきました。続い
て、会場の体育館にて施設販売が
行われました。この施設販売で
は、就労サポートひろさき、な
いすらいふ、エイブル、さくら 園、ゆいまある、大石の里、以
上六施設に出店のご協力をして
いただきました。手作りのおい
しいパンやクッキーを販売して
いただき、昼食時は多くの人で
賑わいました。午後は、(現場の
方々と一緒に)「社会福祉の古典・
名著を読む」ワークショップが
行われました。川村和康さん(地
域生活支援事業所すみれ所長
精神保健福祉士)に助言者とし
て参加していただき、生江孝之
(1867~1957)の著書「日
本基督敎社會事業史」を読み進
め、ハンセン病やその歴史などに
ついて理解を深めました。続い
て、「実習を通して学んだコミュ
ニケーション」と題して実習報
告が行われました。発表者とし て児童福祉分野から木村優太さ
ん(社会福祉学部三年)、老人福
祉分野から對馬登貴子さん(同
三年)、障害者福祉分野から米澤
拓也さん(同三年)、市町村社会
福祉協議会について工藤安都さ
ん(同三年)、精神科病院につい
て菅野美沙子さん(同四年)、精
神障害者入所授産施設について
工藤由依さん(同四年)、助言者
として佐藤優輝さん(児童養護
施設弘前愛成園児童指導員)、高
橋久孔さん(知的障害者授産施
設せせらぎの園生活指導員兼作
業指導員)、大井宏征さん(精神
障害者入所授産施設大石の里施
設長)に参加していただきました。
以上のプログラムを無事に全
て終えることができたのも、たく
ヒロガク福祉創造フォーラム
実行委員長 社会福祉学部二年 佐藤 知美
第3回
英語英米文学会は、
11月 25日、 11時 15分から、第一回英語弁論
大会を、本学礼拝堂で開催しま
した。学生、大学院生の英語能
力(会話、文法、文章力)の向上
が目的で、今年度初めて企画さ
れました。「なぜあなたにとって
英語の勉強は重要なのか」をテー
マにして、6名の学生が、日頃
鍛えた英語能力を競うために参
加しました。
𠮷岡利忠学長(審査委員長)
ら審査員4人の前で、学生達は、
原稿を見ることなく、またよど みなく、それぞれ約5分の持ち
時間で、英語を学ぶことにたい
する強い思いを披露していまし
た。スピーチを聴いた観客から
は、堂々とした発表に対して、大
きな拍手が送られました。
審査の結果は以下の通りで、
それぞれ、賞品が贈られました。
金賞、大溝由加理さん(文学部
英語英米文学科4年)。銀賞、平
川麻衣子さん(同学科1年)。銅
賞、工藤光平君(同学科1年)。
英 語 弁 論 大 会
英語英米文学会会長 佐藤 和博
東 日 本 大 会 結 果 報 告
社会福祉学部三年 部長 野呂 成昭
私達野球部は十一月十六日から
十一月二十日に千葉県で行われた
東日本大学軟式野球大会に奥羽地
区代表として出場しました。
初戦は日本大学経済学部と戦
い、先制点は取られましたが、
その後すぐに追いつき、主将の
三年工藤安都のヒットで逆転し、
その後を投手の一年村上良輔が
抑え、2―1で勝ちました。
続く二回戦は札幌学院大学と
戦い、初回に点数を取られまし
たが、その後満塁のチャンスを
作り、四年工藤純輝のヒットで
三点を奪い逆転しました。五回
にも一点を取り、その後一点は
取られましたが、何とか逃げ切 り、四―二で勝ちベスト8を決
めました。
次はベスト4を懸け東北福祉
大学と戦い、六回まで互いに点が
とれず投手戦となりました。し
かし七回にスクイズを決められ
点数を取られ、八回にもヒット
で二点を取られました。最終回
に私達も粘りましたが、力及ば
ず負けてしまいました。
しかし、初出場でベスト8、さ
らに奥羽地区代表として初のベ
スト8という結果を残すことが
できました。限られた時間でし
か練習できない中で、一人ひと
りが考えながら練習を重ねてき
た成果だと思います。また、全 試合集中力を切らさず、全力で
望むことができました。今回の
大会を通して一人ひとりが何か
得るものがあり、チームとして
成長できたと思います。
最後に東日本大会出場にあ
たって支援してくださった大学
の先生方、関係者の皆様に深く
感謝と御礼を申し上げます。
cccccccccccccccccccc 今年も弘学祭が開
催され皆様のご協
力のもと無事に終え
ることができまし
た。今年は「弘学今
年やるはんで
!!」と
津軽弁を用いたテー
マとさせていただき
ました。このテーマ
は、今までで一番印
象に残る学祭を開催
したいという気持ち、
それと同時に私達祭
行委員が学祭の前線
に立ち皆様を引っ
張っていくというこ
と、自分達の仕事で
あるイベントや模擬店を全身全
霊をかけて成功に導く努力をし
て行こうという気持ち込めまし
た。しかし、私達の力だけでは
学祭は成功させることが難しく
困難を要することもありました。
ですが、皆様のご協力、ご支援
をいただき私達学祭実行委員は
順調に学祭の準備・運営を行う さんの方のご協力や支えがあっ
たからこそだと思っております。
今回のテーマについて参加者の
皆さんと共に模索し、考えを深
めた経験は、私たち学生にとっ
て将来に繋がる大きな財産とな
りました。本当にありがとうご
ざいました。
ことができました。
今年は、去年の反省点を踏ま
え、参加者、主催者どちらも楽し
めるような学祭を目指して全力
で取り組み、例年好評であるカ
ラオケ大会、バンドライブ、ビ
ンゴ大会、各サークルによる模
擬店、花火、そして今年のメイ
ンイベントは、小島よしおさん
を筆頭とした芸人を3組呼びラ
イブを行いました。地元の営業
所を通さず直接東京の営業所に
連絡したことで3組も呼ぶこと
ができ、チケット配布の期間や、
当日も大好評でたくさんのお客
様が来てくださいました。
しかし、学祭成功までの道のり は決して容易なものではなく、苦
悩と困難が度重なり、学祭実行委
員誰もが不安な気持ちでいっぱい
でした。いざ自分たちが前線にた
ち仕事をしていくと、大変荷が思
い仕事であると実感し、学校の一
大イベントであるこの学祭の責任
の重さを感じプレッシャー、スト
レスに悩まされていました。当日
が近くなるに従いそのストレスは
増し、意見や気持ちのぶつかり合
いも多々ありました。しかし、皆が
学祭が間近と意識したとき、ぶつ
かり合いは消え、一人は皆のため
に、皆は一人のためにと、献身的に
働くようになりました。学祭の準
備は前日も必死におこないました。
当日を迎えたとき、あんなに
準備したのにもかかわらず不安
がいっぱいでした。しかし時間
が経つとその雰囲気に皆が慣れ
自信をもって行うことができま
した。この学祭で努力は結果に
なって返ってくるということを
皆に忘れないでもらいたいです。
委員長として今回の学祭では、 学んだことがたくさんありました。
人を纏める・使うことの難しさ、
責任を与えるという責任感、常に
中立の立場でいなければならない
こと、たくさんありすぎて書きき
れませんが、学べたことはたくさ
んあり委員長をやって良かったと
思っております。
今年の学祭は私たち学祭実行
文 化 祭
学祭実行委員長 看護学部2年 最上 奨太本学教員の研究・教育がNHK番組に
―
学生も出演
―本学文学部の今村かほる准教授と看護学部の工藤千 賀子講師の研究・実践が、「見直される医療現場の方 言教育」というタイトルでNHKの番組に取り上げら れました。これは、医療現場で働く医師や看護師の
「患者の津軽弁がわからない」という実態を受けて、
方言についての本学の取り組みを伝えたものです。番 組名・放送日は以下の通りでした。
「あっぷるワイド」(青森県内向け)12月13日 「おはよう東北」 (東北六県向け)12月14日 「おはよう日本」 (全国向け) 12月16日 番組内では、文学部「日本語学B」や看護学部「基 礎看護技術演習Ⅰ」の授業風景、教員へのインタ ビューなどが紹介されました。
マスコミにおいてこのように注目されるという事実 は、地域に根ざす大学としての本学のあり方や、その 高い教育水準を示す一班となるものと考えます。
(文責 文学部 井上諭一 日本語・日本文学科長)
委員会を含めた学祭に協力して
くださった皆様の気持ちが込め
られています。この学祭が皆様
の心にいつまでもの残ることを
願っています。
今回協力していただいた方々
一人ひとりに心より感謝申し上
げます。本当にありがとうござ
いました。
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