氏 名 八や 木ぎ 悠ゆ う一郎い ち ろ う 学 位 の 種 類 博士 (医学) 学 位 記 番 号 甲第649号
学 位 授 与 年 月 日 令和3年3月15日
学 位 授 与 の 要 件 自治医科大学学位規定第4条第2項該当
学 位 論 文 名 低分子化合物を用いたアレルギー性気道炎症の新規制御法の開発 論 文 審 査 委 員 (委員長) 佐 藤 健 夫 教 授
(委 員) 間 藤 尚 子 准教授 早 川 盛 禎 講 師
論文内容の要旨
1 研究目的
気管支喘息は最も一般的な慢性呼吸器疾患である。その病態の中核に2型ヘルパーT (以下Th2) 細胞サイトカイン(IL-4、IL-5、IL-13)が関与することや、IL-33による抗原非依存的なTh2サイ トカイン産生が Th2 細胞型慢性気道炎症を引き起こすことが報告されている。Th2 サイトカイン を標的とした生物学的製剤が臨床現場で使用されているが、高価であることに加えて投与経路が 制限されるなどの問題があり、Th2 サイトカイン産生を阻害する低分子化合物の開発が望まれて いる。
T 細胞の分化、機能は細胞内代謝状態と密接に関連していることが明らかとなっており、特に Th2 細胞が活性化、増殖、分化する際に解糖系が亢進することがわかってきた。この細胞内代謝 変化において、解糖系とTCAサイクルを結ぶピルビン酸の変換に関わるピルビン酸デヒドロゲナ ーゼキナーゼ(以下PDHK)活性は上昇し、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換は阻害される。合 成されたアセチルCoAはクエン酸に変換後TCAサイクルで利用されるほか、翻訳後調節の一つで あるタンパク質のファルネシル化に利用されている。
私は、本研究でPDHKを競合阻害しメバロン酸合成やそれに続くタンパクプレニル化を阻害する ことによって、Th2細胞への分化、増殖を抑制しうるか否かを示すことを目的とした。
2 研究方法
1. 代謝阻害薬がTh2細胞分化やIL-33刺激による抗原非特異的な Th2サイトカイン産生に与え る影響を、フローサイトメトリー、ELISAを用いて検討した。
2. 阻害薬が Th2 細胞分化に重要とされる転写因子の発現にどのように影響するかを、RT-qPCR、
ウェスタンブロットで検討した。
阻害薬によって生じる細胞内代謝変化に関して、フラックスアナライザーを用いて、ミトコンド リア呼吸を反映する Oxygen consumption rate (OCR)と、解糖の指標となる extracellular acidification rate (ECAR)を測定した。
3 研究成果
1.AZD7545がT細胞分化に与える影響
AZD7545はPDHK阻害薬であり、ピルビン酸デヒドロゲナーゼ複合体(以下PDHC)活性化に伴うグ ルコース取り込み増加と血糖降下作用を期待して糖尿病の治療薬として開発された化合物である。
AZD7545 は、細胞増殖に影響することなく Th2 サイトカイン産生を抑制することが明らかとな
った。AZD7545はTh1、Th17サイトカイン産生にも影響したが、Th2サイトカイン産生に与える影 響と比較してその変化はわずかであった。
2.AZD7545が転写因子に与える影響
AZD7545 が転写因子に与える影響を調べたところ、Th2 細胞分化のマスター転写因子である
Gata3 の蛋白量に変化はなかったが、Gfi1、c-Maf、Pparγの蛋白量は低下していた。Gfi1 は Th2 細胞におけるIl5遺伝子座の活性クロマチン状態の誘導と維持に必要であることが報告されてお り、実際にAZD7545存在下で培養したTh2細胞ではIl5遺伝子座のプロモーター領域において、
遺伝子の転写活性化のマーカーとされる活性化ヒストンマークが低下していた。
3.AZD7545がIL-33によって誘導されるTh2サイトカイン産生に与える影響
AZD7545はIL-33によるTh2サイトカイン産生も抑制した。PparγはIL-33受容体(ST2)の誘導に
よって IL-33 への反応性を調整することが知られている。IL-33 で反応させたTh2細胞における
PparγとIl1rl1(IL-33受容体)のmRNA量は、AZD7545存在下で分化させたTh2細胞で低下していた。
4.AZD7545による細胞内代謝の変化
AZD7545存在下で分化させたTh2細胞のOCR、ECARはコントロールと差がなかった。
5. AZD7545がタンパク質のファルネシル化に与える影響
AZD7545は、Th2細胞の核内のファルネシル化タンパク量を低下させた。このファルネシル化抑
制効果は、ファルネシルトランスフェラーゼ阻害薬であるFTI-277の抑制効果に匹敵した。
6. FTI-277とlovastatinがTh2細胞分化に与える影響
FTI-277、lovastatin も Th2 サイトカイン産生を抑制した。これらの細胞でも、転写因子であ るGfi1、c-maf、Pparγの発現が低下していた。加えて、IL-33による Th2サイトカイン産生も抑 制されていることがわかった。
4 考察
AZD7545によりTh2細胞分化が抑制された。しかし、AZD7545存在下で培養を行ったTh2細胞の
OXYPHOS には変化がなかった。さらに上昇が予想されたメバロン酸経路の中間体によるファルネ
シル化タンパク質の低下が観察された。解糖系由来のアセチル CoA は、TCA サイクルで酸化的リ ン酸化に使用される他、脂肪酸合成、メバロン酸経路に利用される。AZD7545 存在下で分化した Th2細胞では、脂肪酸取り込みを促進することが知られているPparγの発現が顕著に低下しており、
細胞分化、増殖で必要な脂肪酸需要を満たすためにアセチルCoAによる脂肪酸合成が選択的に上 方制御され、一方でメバロン酸合成が代償的に低下したのではないかと考える。
メバロン酸合経路やタンパクファルネシル化が Th2細胞分化に重要である可能性が示唆された。
ファルネシルトランスフェラーゼ阻害薬であるFTI-277とメバロン酸経路を阻害するlovastatin も Th2細胞分化を抑制し、さらに IL-33 による Th2 サイトカイン産生も抑制した。加えて、Th2 タイプの気道炎症のマスターレギュレーターであるPparγの発現も低下していた。
これらの結果は、解糖系経路やメバロン酸合成経路、タンパク質ファルネシル化の阻害薬が、
アレルギー疾患といった、Th2 細胞依存の免疫異常疾患を治療するうえで、新規の治療薬候補と
なる可能性を示している。
Lovastatinは喘息モデルマウスで有効であったと報告があるが、今回使用した他の化合物に関
してはin vitroの実験系で効果を検討するに留まった。今後喘息モデルマウスを用いて、喘息への
効果を確認することが必要である。
IL-33の実験に関して、今回の実験系ではAZD7545がIL-33によるTh2細胞のエフェクター機能 まで阻害しているかは判断できない。加えて、代謝阻害が各種転写因子やサイトカイン産生を抑 制する直接的な機序の同定には至っていない。これらに関してはさらなる検討が必要である。
5 結論
PDHKの選択的阻害薬であるAZD7545はTh2細胞分化を抑制した。この機序には、PPARγ抑制によ る脂肪酸取り込み低下を代償するメバロン酸経路抑制が関与している可能性が示唆された。メバ ロン酸合成経路の阻害薬であるlovastatin、タンパク質のファルネシル化阻害薬である FTI-277 でも、Th2 細胞分化を抑制した。これらの結果は、解糖系やメバロン酸経路といった代謝経路の 阻害薬が、アレルギー疾患などのTh2細胞依存の免疫異常疾患を治療するうえで、新規の治療薬 候補となる可能性を示している。
論文審査の結果の要旨
本学位論文では2型ヘルパーT細胞(Th2細胞)が病態形成に関与する気管支喘息などのアレ ルギー性疾患に対する新規低分子薬剤の探索を目的としている。本論文で用いた AZD7545 はピ ルビン酸デヒドロゲナーゼキナーゼ(PDHK)の阻害薬でピルビン酸デヒドロゲナーゼ(PDHC) を制御している。Th2 細胞分化では糖からピルビン酸を生成する解糖系が亢進していることがわ かっており、本学位論文ではAZD7545によりピルビン酸からTCA回路へつながるアセチルCoA への変換に関わるPDHCをPDHK阻害を介して制御することでTh2細胞分化を抑制できる可能 性について探索している。
この研究内容を行うことで難治性・持続性であるアレルギー性疾患の新規治療薬剤の開発へと つながる可能性もあることから臨床的意義は高く、新規薬剤であることからも独創的な研究であ ると評価できる。
学位申請者からはスライドで発表がなされ、委員からは以下の点が指摘された。
・制御性T細胞(Treg)についての検討方法が「2.方法」に記載されているが、結果にはない。
結果について記載しないのであれば、「2.方法」のTregに関する記載は削除すべき。
・IL-33によるIL-5, IL-13産生が低下しているとあるが、IL-33受容体の発現が低下しているの であれば当然であろう。本来なら IL-33 受容体が発現している細胞をコントロールとして AZD7545によるIL-5, IL-13産生を評価する必要がある。IL-33の発現を確認したかも含めて この点についての再考察が必要である。
・メバロン酸経路のファルネシル化と転写因子の間がブラックボックスになってわかりにくく、
記載もない。この間をつなぐ何らかの文献的な報告があるのか、ないならないで構わないので この点についての記載を要する。
・図3などは英語論文の図をそのまま用いるのではなく補足的な図にしてわかりやすくした方が
よい。そのほかスライドで用いた図を引用するなど学位論文をわかりやすくした方がよい。
・5ページ目の下から3行目に「私は」とあるが「本研究は」の方が適切な表現であろう。
・リンパ球は脾臓から採取したのかなど具体的な方法についての記載が必要である。
・26ページの9-10行目の「結果的に」の部分がわかりにくいのでわかりやすい表現に改める こと。
・図説がいきなり説明から始まっておりタイトルがないので追記すること。
・フローサイトメーターのデータで「IL-4産生細胞数」とあるが正しくは「割合」と思われる。
・IL-4 産生細胞数の割合は減っていないのに、ELISA でIL-4 産生が低下しているのはどのよ うに考察するか。
・図が本文中に入っており、図説が本文なのかどうかわかりにくい。フォントを変える、本文と の行間を空けるなどして区別しやすくすること。
・11ページの13行くらいまでの内容は本来、背景や方法に記載するべき内容ではないか検討が 必要である。
委員からの指摘については以上の通りであった。
本論文は学位論文として十分な内容を備えており、委員から指摘された点について改訂の後に 改訂点を確認した上で合否を最終決定する。
最終試験の結果の要旨
・研究内容について、スライド・学位論文に記載された背景・目的・方法・結果・考察・引用文 献等は適切であり、学位論文としては必要十分な内容と判断された。
・本研究で対象としたAZD7545 がTh2分化を抑制する結果から、アレルギー性疾患への新規 治療薬としての可能性を示した。
・スライド発表の後の学位審査委員との質疑応答においては、研究内容の理解は十分であり的確 な受け答えをすることができた。学位審査委員からの指摘は内容は論文審査の結果にあるとお りで、いずれに対しても的確な受け答えをした。
・発表内容から、学位申請者は研究に関連する周辺領域の知識は十分であったと判断できた。
・申請者の学位論文、スライド発表内容、質疑応答などから本研究は学位に値するものであると 判断した。
以上