4月29日 草津市下笠 老杉神社 神事。
老杉神社へ行って、宮司の山元蔵一さんに逢い始めて今日の奉幣神事のあることを聞いた。老杉神社の祭神は牛 頭天王。老杉神社には宮座がある。この宮座は8つの座に分れている。
殿之村 細男村 王之村 師子村 鉾之村 天王村 十禅師村 今村
この8座は村制、小字別等の地域的な区別でなく、下笠1体に方々に分れて夫々の座に所属する座がある。
各座が毎年交替で老杉神社の神事を世話する。これを神事元という。今年の神事元は天王村の座に所属する家々 である。神事元のすることは主として2月14~15日の「おこない」と5月1日の例祭神事であって、5月2日には 次の村へ当渡しをする。各村(座)には最長老を本大人、次を脇大人、3番目の年長者を「ノゾキ」という。
神事元のすることは、まづ2月10日屋敷に注連縄を括って家を清める。
2月12日、おこないの神饌をつくる。柳の木の股で人形をつくる。赤紙を青紙の上に重ねた着物を着せたものと、
その反対の重ね紙の着物を着せたものと1対につくる。1村に1対で全部で8対と伊勢大神に供えるもの1対と合計 9対つくる。
2月15日、老杉神社の拝殿で、おこないをやったあと各村ではこの人形を貰って帰って門口にさしておく。
5月1日の例祭の準備として、まづ3月25日に神事元で御地盤(オヂバン)をつくる。前年度の神事元で御地盤 をつくった。その盛砂を貰って来て、これに夷子川の川砂を足してつくる。御地盤をつくるのは、その村(座)の 本大人の家の庭先につくる。御地盤は高さ3尺横4尺、縦7尺の地面の上に土砂を盛り3尺の高さの所で横3尺3 寸、縦6尺6寸位になるように側は傾斜を持たせて芝を張る。前方には方1尺位の段をとりつける。出来上った御 地盤の上に2本の御弊を立てゝ老杉神社の境内にある氏神を御地盤に勧請する。
4月1日に御地盤の上の縁の所に4方共竹矢来をし、前方にはその竹矢来に入口をつくる。正午頃本大人、脇大人 の2人が老杉神社へ行って2本の榊の枝を貰って来て、これを御地盤上の御弊に添えて立てる。
4月1日午後、御地盤の前方につけた段の上で稚児の御幟窺いをする。そのときのお供え物は洗米、御神酒5合、
各弊の前に分けて、赤飯を盛る。
桝形の三宝の上に白米を1升2合、山形に盛り、その上に稚児になる適令期( 才~ 才)の同じ村の子供の名 を紙に書いて、その盛米の上に置くのである。これを御弊で吊り上げる。脇大人が神官について御地盤の傍に控え、
吊り上げた名札紙を扇子にうけ叩み込んで座敷へ持ち帰り、座敷で一同が着座したとき長老(本大人)がその扇を 開いて披露する。
当った稚児は「おんまの神」といって4月1日から5月1日まで稚児の精進をつづける。
4月25日、まづ砂盛をする。夷子川から砂を運んだが現在は適当に砂を持って来る。
当番に当った村のものが総出でやる。
老杉神社本殿の両脇へ 76荷1組 同中門の両脇へ 3荷1組 御杉へ 2荷1組 御岩へ 2荷1組 末社へ東西各社 2組2荷 稲荷社へ 1組2荷 祈祷所へ 1組2荷 稚児座所へ 1組2荷 神主宅元へ 1組2荷 貴船社へ 1組1荷 夷子社へ 1組3荷 八幡社へ 1組2荷 御代官へ 1組3荷 古札井上弥右衛門宅へ 1組3荷 両庄屋へ 夫々 1組2荷 神事元御地盤へ 1組2荷
神事元では、この砂を御地盤の上御弊を立てゝある前に2ヶ所盛る。また藁人形をつくって(2ヶ)、これに紺色 と黄色の紙の着物を交互上下に重ねて着せて、御地盤正面の注連縄の左右に吊る。
島民から神社正面の楼門までの道(馬場)を掃除する。神事元では別にこの日木の弊串 4 本をつくる。この弊串 は4本、それぞれ、黒、赤、白、黒に塗り分ける。
4月28日から5月1日まで、この4本の弊串は紙垂をつけて毎日1本づゝ神事元から老杉神社へ奉幣するのであ
る。
この4日間の奉幣行列が少しづゝ違う。
先頭 本大人、新しい鋤を持って行く。#1 次 脇大人、その日に奉幣する弊を持つ。#2 次 ノゾキ、お供ものを荷負って行く、#3
行列の先頭の3人は4日とも以上の通りで変らぬ。唯脇大人の奉持する弊の串は初日が黒、第2日目が赤、第3 日目が白、第4日目は黒と定っている。これに従いて行くものが違う。
第1日(28日)は先頭の3人の次に
#4 御荢桶(オウオケ)中に荢を三輪にして結び、青竹の筒3本、土器3杖、白米2合入の桶1対。
#5 御午の神 4月1日の御籤に当った少年で、藁団扇を持ち肩車に乗って行く。肩車になるものは御午の神の 叔父又は伯父
#6、御座持、女児、お午の神の従妹又は 1 番血のつながりの濃い女の子供。何かのことでお午の神が肩車より
降りるとき地を踏ませないようにこの茣蓙を敷く。
第2日(29日)は先頭の3人(#1~#3)の次に
#4、御午の神
#5、御座持
#6、粕酒、平桶 1 対、酒の粕を水で溶いたものを入れる。柄杓をつけ、桶は蓋の代りに朱塗のお膳を置く。膳
には生大根を第1日に切ったものと湯通しをした大豆小々を乗せる
#7、友、多ぜい、4月1日の御籤に当らなかった子供。この日の行列はまづ奉幣社参をする。稚児座行でお午の 神を坐らせ、御神酒を頂き、後全員神前に進んで奉幣するのであるが29日に限り、その後再び行列を組ん で御旅所まで往復する。この日に限り行列の出発に先立ち神車の家で「村勇み」がある。親戚のものが酒 を出合って直会をする。神官もよばれる。
第3日(30日)先頭の3人(#1~#3)の次に
#4お午の神。
#5御座持ち
第4日(5月1日)は第3日の通り(#1~#5)の次に
#6、粕酒、これは29日の通りである。
ノゾキの荷担って行くお供ものは毎日異なる。
28日、御供餅18、神酒5合、供米2升。
29日、供米1升、酒5合
30日、本殿神酒5合、本殿分御供餅48ヶ 御神酒5合、2本(神輿の分)
盛飯(イカキメシ)2盛、灯油2合。
土器2組。灯心共 白米2升(神酒番用)
5月1日、神酒5合。
5月1日は神幸式があり、お午の神も神幸式に参加する。御神幸式の神与(2基)の先には夫々「ちきり」と唱え る。弊を小学校6年生位の子供が奉持してゆく。
ちきりは機織のとき使う道具の名称で、祭の日は村の家家では織は織ってはならぬという。
末社というのは良侍社、貴船社、大侍社の3社。
2月15日のとき石鳥居にあげた蛇縄は5月2日にとる。5月2日は当渡し、次の村の神事元へ渡す。旧神事元で は御地盤の縁に設けた矢来はとり去り、御地盤の周囲に繞らせた簀の垣にした芦の上部の方を切り取って、御地盤 上に立てた2本の御弊、矢来にした竹人形等を簀の子で巻いて縛り、これをそのまゝ1年間放置するのである。御地 盤の砂は次の年の3月25日に新しい神事元から貰いに来るのである。