2004年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール 卒業論文
「購買指向性と合理化要因」
A0142438 鈴木 遼
2005年1月15日提出
「購買指向性と合理化要因」
目次
序論
第1章 購買の過程と防衛機制 1−1 購買行動のプロセス 1−2 フロイトと防衛機制
1−3 「欲しい」が「買おう」に変わるメカニズム 第2章 消費者ニーズの深層構造
2−1 ニーズとは
2−2 ニーズを具体化させる要因 第3章 ニーズの構造からみたマニアの定義 3−1 マニアと一般人の相違点
3−2 マニアの定義
結論
序論
社会的に文化として認められていないものに対して,異常な執着を持つ者,という意味の「オタク」
は,80年代に生まれ,社会現象になった言葉だ。昨今において「オタク」という言葉はあまり使われな くなったが,その解釈をさらに拡大させた「マニア」という言葉に変化し,いまもその規模は拡大し続 けている。何か特定の分野について詳しかったり,自分だけのこだわりを持つことはもう「マニア」で ある,というのが共通の認識になりつつある。現代は横並びを嫌い,個性を尊重する時代だと叫ばれ ているにもかかわらず,強烈な皮肉である。
今回はこの消費者セグメント,つまり「マニア」と呼ばれる人々の購買行動を対象にして研究を進め ていくわけだが,一般的に彼らは自分の執着するものに関しては非常に強い購買指向性を持ってい る。彼らは一般の消費者からは想像すらできない,緻密な「こだわり」のもとに製品・サービスを選ん で購買しており,情報収集にかける時間はおろか,金銭すら厭わない。また,その「こだわり」に反す る製品・サービスには,容赦なく攻撃する。自己の規律に反する者は,絶対に認めないという排他性 が,彼らにはあるのだ。
しかし時として彼らは,その購買指向性とは矛盾する購買行動を起こすことがある。例えば昨今の 例を挙げれば,オーディオに明るく音質にうるさい人が,音質的に他の方式に劣るはずのデジタル圧 縮オーディオプレイヤーを購入してしまったという例や,自動車が好きでその走りにこだわりを持つ 人が,ファミリー向けの自動車を購入してしまった,というような購買行動がこれらに当てはまる。
こういった事例は誰しも一度は遭遇したことがあるだろう。彼らの強い購買指向性を覆させたものは 一体なんだろうか,この疑問こそがまさにこの研究の出発点である。
先にも挙げた例だが,2001年に米国アップルコンピューター社から発売された,デジタル圧縮 ポータブルオーディオプレイヤーである「iPod」の普及の例は,マニアの購買指向性を覆す要因を説明 する上で,非常に参考になるものである。「iPod」はパーソナルコンピュータから楽曲を転送して使用 する,小型のハードディスクドライブを搭載したポータブルオーディオで,人間の不可聴帯域を削除 し音源のデータサイズ圧縮することで,数千曲単位の曲を持ち歩くことが出来るという製品だ。この
「iPod」は2004年だけで全世界で820万台を売り上げている。同程度の機能を持つ製品は同時期に他の 企業も発売しているが,デザインの良さ,ハードディスクドライブとして使用できる,操作性の良 さ,などといった点で,他の製品を凌駕していると思いっても過言ではない。もちろんこの「iPod」
は,音質の向上に血道をあげているオーディオマニアからすれば,子供だましのおもちゃで,自分た ちとは全く無縁のものである。そのため,発売当初はオーディオ関連の様々なメディアにおいて
「iPod」は酷評されていた。だがしかし,「iPod」がマイナーチェンジをし,パーソナルコンピュータの オペレーティングシステムがMacOSだけでなく,Windowsでも使用できるようになったあたりか ら,事態は変わり始める。
その変化は,インターネット上の電子掲示板の1つで,マニアたちの情報交換・コミュニケーショ ンの場として絶大な影響力がある,「2ちゃんねる」に現れた。「iPod」がWindowsでも使用できるよ うになったあたりから,「iPod」を肯定及び購入に至ったと書き込むオーディオマニアらしき人物が,
増加してきたのだ。こういった電子掲示板上の発言は,発言者の個体識別が不可能なため,定量的に 分析することにはほとんど意味がない。そのため,こういった発言が増加しているということが,そ のまま「iPod」を購入してしまったオーディオマニアの存在の証明とはならない。しかし,この事象が 注目するに値するトピックであるということをあらわしているのは間違いないだろう。実際に筆者も
この時期に,オーディオマニア向けの雑誌を読みながら「iPod」を聴くという光景を何度か電車内で目 にしたり,自ら「音にうるさい」と称する知人が「iPod」を購入するという経験をしている。
また,この「2ちゃんねる」への書き込みにはある共通点を見いだすことができる。オーディオに対 して知識を持っていると推測できる人で,「iPod」を購入したという人は,たいてい何らかの「言い訳」
をしているのだ。例えば「デザインが良いから買った」とか「音楽を聴くためではなく,パソコンの記 録用ハードディスクとして買った」などの発言である。こういった発言の多様性,つまり「言い訳」の 種類の多さは,同時期に発売されていた他のハードディスクオーディオプレイヤーより相対的にみて 格段に多い。この現象が「マニアの購買指向性を覆す要因」の根拠となり得るものでないことは,いう までもない。しかし,この「言い訳の多様性」という観点は今回の研究を進めていく上で非常に重要な 着眼点であり,次に述べる仮説を立てる足がかりとなった。
「マニアの強い購買指向性を覆させる可能性は,製品が持つ合理化要因の数に比例する」これが前に 述べた,「なぜマニアが自分の信念に反するものを購入してしまうのか」という素朴な疑問への仮説で ある。1つ注意してもらいたいのは,ここで言う「購買指向性を覆す」とは実際に購買行動を起こすこ と,及び購買行動を起こそうと決断することを対象にしているということだ。つまり,ここでは「な ぜその製品・サービスを購入すると決定したのか」の要因を見つけることが目的であり,「なぜその製 品・サービスを購入したくなったのか」ということとは,次元は同じであるが階層が違うのである。
この点については1章で詳しく述べる。この論文ではまず,一般の消費者の購買行動について分析 し,それに続いてマニアの購買行動と一般の消費者の購買行動の相違を分析する。そして,この相違 から「マニアの購買指向性を覆す」のに合理化要因が重要であることを明らかにしていく。これが大ま かな全体の流れである。
第1章 購買の過程と防衛機制
第1章ではまず,消費者が購買行動にはどういったプロセスがあるのかを明らかにし,「なぜその 製品・サービスを購入したくなったのか」と「なぜその製品・サービスを購入すると決定したのか」の 違いを分析する。そして,その両者を結びつけるものはいったいなんであるのかを検証していきた い。
1−1 購買行動のプロセス
日常生活をしていく上で,我々は広告や人的販売といった様々な製品刺激に接している。しかし当 然のことながら,これらの刺激が全て我々の購買行動を促す訳ではなく,大半の製品は認知すらされ ないことが多いだろう。当然のことながら売り手である企業からすれば,この刺激,つまり広告をい かに消費者まで届けて購買に至らせるかというのは非常に重要な課題である。しかし通信販売などの ダイレクト・マーケティングや,直接的反応を期待する小売業の広告でない限り,広告の効果を売上 高に結びつけることは非常に困難である。そのため,他の管理部門と同じように広告においても目標 管理が必要とされる近年においては,広告費というインプットに対するアウトプットである売上高に 出来る限り直結した指標が求められていたのである。売上反応広告モデルであるパルダ・モデルやワ インバーガー・モデルは,こういった背景のもとに開発されたのであるが,これらの数理モデルは実 用性の上で多くの疑問点があった。つまりJ.A.Aaker & J.G.Myers (1975)が述べたように「広告は売 上に影響を与える要因の一つに過ぎないこと。広告が売上に貢献できるのは長期にわたる役割を演じ た後である場合が多いこと。以上の理由によって売上高を測度とする目標は操作目標とはいえない」
ということであったのだ。そこで,売上高やシェアへの変化を中心としたこれらの手法に変わって考 えられ始めたのが,以下の図に表す広告効果階層モデルである。
図1 AIDMAモデル
注 意 興味・関心 欲 望 記 憶 購 買 Attention Interest Desire Memory Action 図2 DAGMARモデル
未 知 認 知 理 解 確 信 行 動 Unawareness Awareness Comprehension Conviction Action 図3 ラヴィッジ=スタイナー・モデル
関連行為次元
購買への段階
認知:存在に気づく 知識:その製品が何であるか知る
愛好:好意的態度をもつ 選好:他の製品よりその製品が良いと思う 確信:買うことが懸命だろうだと思う 購買:実際に購買する
確 信 購 買 Conviction Purchase 愛 好 選 好
Liking Preference 認 知 知 識
Awareness Knowledge
動 機 的 Conative 情 緒 的
Affective 認 知 的
Cognitive
広告効果階層モデルとは,購買という「結果」を購買行動の最終点とし,その測度によって広告の効 果の達成基準にするという考え方である。つまりこれは,行動には必ず先立つものがあるはずであ り,購買という行為は意思決定の過程の結果であるという概念のもとに消費者の購買行動を定義して いるといえる。この広告効果階層モデルは,古くはAIDMA(図1)に始まり,DAGMAR(図2),
ラヴィッジ=スタイナー・モデル(図3)などの形式が提唱されている。この中でも,事項で詳しく説 明するラヴィッジ=スタイナー・モデルは,効果の階層次元と段階をより細かく考慮しており,DA GMARが「理解」から「確信」へと一気に飛躍するのと比較して,「情緒的」という概念が加わってい る。特に「選好」という段階は,特定の商品が他の競争商品に対して優越している,という態度を認め ている点で重要である。この点は,態度概念を重視する消費者行動モデルにも大きな影響を与えたと いえるだろう。
図3にもあるとおりラヴィッジ=スタイナー・モデルでは,消費者は購買に至るまで,3つの基本 的な心理学的活動に関連する6つの段階があると定義している。また,製品の購買にともなう心理 的,あるいは経済的制約が大きくなればなるほど,消費者はこれらの段階を移動するのに必要な時間 が長くなる。その中でも特に強調しておきたいのは,「確信」から「購買」への移動が最も困難だという ことである。なぜならこの「確信」という段階は,「買いたい」という願望が「買うべきである」というも のに変化するプロセスなのだが,まさにこの段階のマニア達の心理的変化こそが今回の研究テーマに おいて,最も根幹たるものだからである。筆者が序論において,「なぜその製品・サービスを購入す ると決定したのかが研究の対象であり,なぜその製品・サービスを購入したくなったのかということ とは,次元は同じだが階層が違う」と述べた理由はここにある。
1−2 フロイトと防衛機制
ラヴィッジ=スタイナー・モデルにおける「確信」とは,先にも述べたように,態度と行動をつなぐ プロセスであるといえるのだが,この「確信」という段階で消費者はある心理的な機制を行う。その機 制とはフロイト(Sigmund Freud)の主張する防衛機制に属する,「合理化」である。フロイトは動機づ けをイド,自我,超自我という3つの心理的な力の体系に組織化した。彼の観点からすると,人間行 動は全てこれら3つの体系の相互作用の組み合わせなのである。イドは攻撃的・破壊的で快感を欲す る衝動であり生得的なもので,超自我とは,両親や社会といった外的要因によってイドに課せられる 道徳的禁止である。そして自我は,統合された行為と理性的行動を目標とし,イドの生み出す衝動と 超自我の禁止を取りもって調整する役目を果たすとフロイトは定義した。つまり自我は,イド,自 我,超自我の3つの間で起こる葛藤を処理する様々な手段を持っているのだ。この手段には,推論や 問題解決のような対処的方法も存在するが,その反対に,現実を歪曲したり否定したりする方法も存 在する。この後者の方法こそが防衛機制なのである(図4)。
図4 フロイト理論
イ ド 葛藤 超 自 我
解決
対処的行動 自 我 or 防衛機制
防衛機制の種類は,フロイトやその後継者たちによって数多く提示されているのだが,その中でも 全ての防衛機制の基礎となるのが「抑圧」である。「抑圧」とは,自己の不安を緩和させるために,受け 入れ難い願望や,破滅を招く恐れがある欲求を,意識の上から排除し,無意識の領域に押し込もうと する働きである。防衛機制には「抑圧」の他に,以下で説明する代表的な3種類が存在するが,どの防 衛機制もこの「抑圧」に依存している。
「投射」は自分自身の望ましくない感情,あるいは自分が受け入れることができない感情を,他人の せいにすることをいう。例えば,学校の成績が悪い生徒が,他の同級生に対して「あいつは本当に成 績が悪い」などと避難するような場合は,この「投射」という防衛機制によるものであるといえる。つ まり,自分の欠点などそのまま認めるのには苦痛を強いられる感情を,他人に向けることによって回 避するのが,この「投射」なのである。
「同一視」は,自分があこがれている他人を複写し模倣しようとする,きわめて一般的で有力な機制 である。有名人が着ている洋服と同じものを買うというように,一般的に消費行動を通して,他人と 同一視することによってこの防衛機制は達成される。
「合理化」は,自分の行為に対して好ましい理由,つまり「言い訳」を与えることによって成立する。
実現不可能な目標を過小評価する,「酸っぱいブドウ機制(sour-grape mechanism)」や,欲しくないも の入手せざる得ないときに発生する,「甘いレモン機制(sweet-lemon mechanism)」もこの一つであ る。
1−3 「欲しい」が「買おう」に変わるメカニズム
先に述べた防衛機制の一つである「合理化」とは,超自我の反発を弱め,イドを自我が認めうる状態 へ変化させる防衛機制ということもできる。そして,この「合理化」こそがラヴィッジ=スタイナー・
モデルにおける,「確信」から「購買」へといたらせる要因なのである。なぜなら,「欲しい,買いたい」
というイドと,「買うべきでない」という超自我の葛藤を,「言い訳(=合理化要因)」によって「合理化」
することで回避できるからである。図5は「確信」のプロセスを模式化したものなのでご覧頂きたい。
図5 ラヴィッジ=スタイナー・モデルにおける「確信」のメカニズム 確信
欲しい 合理化 買おう
また,下記は「合理化」の例としての川村(1973)の引用である。
人はなぜ新製品を買うのか。彼らを動機づけるものはなにか。この動機づけに関する疑問は,
Robertson(1969)による,プッシュボタン式電話に関する研究において,間接的に提出された。なぜ 商品を採用したかとたずねられると,対象者は,彼らの商品に対する「欲求」を正当化するために,
「合理的な」回答と考えられるものを用意する傾向にある。これらの回答には,「ダイヤルよりも早 い」,「子供でも使える」,「かけ間違いが少ない」,「掃除しやすい」,というものである。「おもしろく 使える」,「音が音楽的である」,「私の友人が買った」,というような回答を避けようとする顕著な傾 向がみられた。しかし,面接の他の部分においては,これらの理由が,真に重要な基本的な動機づけ であるように思われ,そしてこの商品の著しい社会的知名度が見出された。人々がなぜ買うのかとい う「真の」理由を決定するのは困難である。
この例からは,消費者がいかに「確信」の段階において,「合理化」を行っているかが伺い知ることが できる。それと同時に,人々がなぜ買うのかという本当の理由を決定することは,不可能に等しいと いうことも理解できるであろう。なぜなら,人々は「確信」の段階において「合理化」という防衛機制を 行うことによって,本来の買いたい理由を隠してしまおうとするからである。このことから,本論の 根幹である「なぜマニアが自分の信念に反するものを購入してしまうのか」という問いに対して,マニ ア達に直接その回答を求めることは,大きな意味をなさないということは明らかだといえる。という のも,マニア達に「なぜ購入したのか」を尋ねたとしても,彼らはすでに自己の中で合理化が行われて しまっているため,正確な回答を得ることができないからである。
第2章 消費者ニーズの深層構造
ラヴィッジ=スタイナー・モデルにおいて,「確信」の段階から「購買」の段階に写る際には,消費者 の中で「合理化」という防衛機制が働いているのだということについては,既に第1章で述べた。で は,その過程をさらに遡って「好感」や「選好」といった情緒の領域から,消費者を「確信」の段階へと向 わせる原動力とは何なのであろうか。第2章ではこのポイントを明らかにしていく。
2−1 ニーズの深層構造
人間はなぜ「欲しい」と思うのであろうか。これを生理的欲求という言葉だけで説明するのは,もち ろん不可能である。こういった消費者ニーズの研究は,心理学の分野では動機づけという概念で説明 されてきた。この中でも特に有名なのはMaslow(1943)によって提唱された欲求5段階説(図5)であ る。マスローは生理的欲求が基本的欲求であり,それがある程度満たされると安全の欲求,愛情の欲 求,尊敬の欲求,自己実現の欲求の順に欲求が表出してくると主張した。しかし,現代の消費者が生 理的欲求と安全の欲求が満たされていなければ,愛情や尊厳の欲求が現れないとは考え難い。これ は,マズローの理論が間違ったものであったということではなく,その理論がきわめて一般論的で あったために,多様化した消費者の行動様式に対応できなくなっているということができる。そこ で,この現代の消費者特有の動機づけを説明するために生まれたのが,ニーズの深層構造という概念 である。ニーズとは満足を得るために行動へと駆り立てるもので,何らかの満足を求めるために発生 するものである。そして発生したニーズは具体化し,最終的には「××が欲しい」というニーズにな る。つまり,情緒の領域から消費者を次の段階へと押し進める力とは,この最終的に具現化したニー ズなのである。
梅澤(1995)によると,消費者ニーズは,目的と手段が連鎖的に多重構造をなしていて,一般に消費 者はその深層に「○○な人生を送りたい」というような,「基本ニーズ」をもっている。そしてその「状 態・存在ニーズ」を満たすために「○○をしたい」という「行為ニーズ」や,それをさらに具体的に満た すための「○○が欲しい」という「対象・所有ニーズ」が発生するという(図6)。当然のことながら,こ れらのニーズは全ての人が同じということはなく,人によって異なるものであり,外的要因によって も変化する。また,ニーズが下位,つまり表層ニーズである「対象・所有ニーズ」に近づくにつれて,
種類も多くなり,より具体的になっていく。例えば,「自分らしい人生を送りたい」と考える人が,
「人と違った服を着たい」と思い,「オーダーメイドの洋服が欲しく」なるというような場合である。
図6 ニーズの深層構造
基本ニーズ 手 目 「○○な人生を送りたい」
段 的 行為ニーズ 「△△をしたい」
対象・所有ニーズ 「××が欲しい」
このニーズの深層構造論において,「基本ニーズ」は最上位のニーズで,消費者の生活様式や年齢と ともに多少の変化はあるが,基本的に成人に達した後は不変である。また,この「基本ニーズ」は,幸 福を追求するニーズであると説明することもできる。消費者の全ての行動は,究極的に幸福の追求す るためのものであり,下位のニーズの発生もこの幸福追求ニーズによって説明できるからである。梅 沢(1995)はこの「基本ニーズ」には以下の10種類のベクトルが確認されていると定義している。
(1) 豊かさニーズ 「心豊かに生きる喜びを味わいたい」というニーズ
(2) 尊敬ニーズ 「尊敬されたり,認められて生きる喜びを味わいたい」というニーズ (3) 自己向上ニーズ 「自分を高めて生きる喜びを味わいたい」というニーズ
(4) 愛情ニーズ 「愛されて生きる喜びを味わいたい」というニーズ (5) 健康ニーズ 「元気に生きる喜びを味わいたい」というニーズ (6) 楽しさニーズ 「楽しく生きる喜びを味わいたい」というニーズ (7) 個性ニーズ 「自分らしく生きる喜びを味わいたい」というニーズ
(8) 感動ニーズ 「心をとときめかせる感動の喜びを味わいたい」というニーズ (9) 交心ニーズ 「仲良く心温まる交わりの喜びを味わいたい」というニーズ (10) 快適ニーズ 「快適に生きる喜びを味わいたい」というニーズ
「基本ニーズ」が基本的に不変であることは先に述べたが,これとは反対に「行為ニーズ」と「対象・
所有ニーズ」については外的要因によって様々に変化する。これは,目的は変化しないが,手段はそ の時々で変化する,つまり,目的である上位ニーズは変化しないが手段である下位ニーズは変化する ということである。言い換えるなら,「基本ニーズ」に対して「行為ニーズ」が,「行為ニーズ」対して
「対象・所有ニーズ」が変化する可能性があるということになる。先述の例に当てはめると,「自分ら しい人生を送りたい」と考える人が,「人と違った服を着たい」と思い,「オーダーメイドの洋服が欲し く」なったが,経済的な問題で購入することができなかったので,「自分で服を作るための道具が欲し く」なるというようなケースである。ここでは「人と違った服を着たい」という「行為ニーズ」に対し て,「対象・所有ニーズ」が「オーダーメイドの洋服が欲しい」から「自分で服を作るための道具が欲し い」へと変化した。こういった変化を促す外的要因は経済的なもの,社会的なものはもちろんのこ と,ありとあらゆるものを含む。
2−2 ニーズを具体化させる要因
消費者を「好感」や「選好」から,「確信」の段階へと向わせる原動力が,「対象・所有ニーズ」であるこ とは明らかになった。ではこの「基本ニーズ」から「行為ニーズ」,「対象・所有ニーズ」へとニーズを派 生させるものはなんなのであろうか。その答えはイドである。攻撃的・破壊的で快感を欲する衝動で あるイドが,様々な外的要因(≒製品刺激)を受けニーズを具現化していく。これがニーズの深層構造 が,より深いところに向って具体化していくメカニズムである。このことから分かるように,「確信」
から「購買」へと押し進めるのも,情緒の領域から「確信」へと押し進めるのも,全てイドによる働きで あるといえる。
第3章 ニーズの構造からみたマニアの定義
第1章,第2章では一般的な消費者の購買行動について分析してきた。第3章では,ニーズの観点 からマニアの購買行動を分析,定義することで,一般的な消費者との相違点を探し出す。この相違点 こそが,マニアの強い購買指向性に対する合理化要因の影響力を証明するものだからだ。
3−1 マニアと一般人の相違点
一般的にマニアというのは,「ある特定のものが異常なほど好きな人」「あるものにたいして,強い こだわりがある人」という認識がされており,「○○狂」や「おたく」もこの中に入る。しかし,野球が 大好きで,甲子園を目指して取り憑かれたように練習をしている高校生をマニアと呼ぶことができる だろうか。このように,特定のものがどれだけ好きか,という度合いだけでは,マニアは定義するこ とができない。では,マニアと一般人とを区別するものはなにか。その答えは第2章で取り上げた
「基本ニーズ」と「行為ニーズ」の関係にある。
第2章で述べた通り,イドは「基本ニーズ」から「行為ニーズ」を生み出し,「行為ニーズ」から「対 象・所有ニーズ」を生み出す。そして最終的にイドは対象を購買させようとする。つまりラヴィッジ
=スタイナー・モデルの「確信」の状態から,「購買」へと押しやろうとするのだ。しかし,この購買が 社会的,経済的など超自我のもつ道徳基準に反する時はイドとの間に葛藤が起こる。その葛藤を取り 繕うのが自我であり,前述の「合理化」という防衛機制である。とはいえ,一般的な消費者にとってこ ういった葛藤は,小さなものならまだしも,大きなものはそう頻繁に起こるものではない。強いてい うならば,自動車や不動産など高額なものを購入する際に起こる。以下の図7は一般の消費者のニー ズの構造を,今まで説明した概念で模式化した図なので,ご覧頂きたい。
図7 一般消費者のニーズ構造
イドによる具体化
イド イド
イド イド 基本 イド
イド ニーズ イド
イド
イド イド
「愛好」・「選好」から「確信」へ
行為ニーズ 対象・所有ニーズ 「確信」から「購買」へ (超自我の反発がある場合は合理化)
一般人のニーズ構造は多少のばらつきがあるとはいえ,均等に具体化がなされているといえる。ま た,全ての「行為ニーズ」はイドによって,「基本ニーズ」と結ばれている。これに対して,マニアの模 式図は図8のようにいびつな形になる。
図8 マニアのニーズ構造
イド
基本 肥大化した行為ニーズと相反するニーズ
肥大化した行為ニーズと ニーズ イド
共存できるニーズ イド イド
超自我
イド 激しい反発 イド
「愛好」・「選好」から「確信」へ 行為ニーズ
対象・所有ニーズ 「確信」から「購買」へ (超自我の反発はほとんどみられない)
一般の消費者と比べて,特定の「行為ニーズ」が異常に肥大化し,他の「行為ニーズ」収縮しているの だが,この肥大化した「行為ニーズ」が,まさに各々のマニアが自分の領域としているところなのであ る。また,一般の消費者との最も大きな違いは,「基本ニーズ」と肥大した「行為ニーズ」との結びつき が,イドではなく超自我によって結びついているということである。このような状態になると,超自 我により結びついている肥大した「行為ニーズ」に相反するニーズが,イドによって生み出されてし まったとき,超自我による非常に強い反発が発生してしまう。とても音質にこだわるオーディオマニ アがいたとして,彼がイドによって自分の意識の外でiPodに対しての「対象・所有ニーズ」抱いてし まったとする。この場合,「良い音質で音楽が聴きたい」という「行為ニーズ」が超自我によって「基本 ニーズ」と結びついているので,彼にとっては良い音質で音楽を聴きくことは道徳的に正しいことに なっているのである。このため彼にとってiPod,つまり音質の劣る製品で音楽を聴くということは,
非道徳的行為であるため,超自我の強い反発が起こる。マニアが異常な購買指向性をもつのは,背景 にこのような心理作用があるからなのである。
3−2 マニアの定義
先に述べたような超自我の反発は,時として,攻撃的態度となって表出する。マニアが自分の「こだ わり」に反するものに対して,否定や罵倒をするのはこういった心理作用からである。これは「合理 化」以外の防衛機制だということもできる。もっとも,彼らにとって超自我が崩壊してしまうこと は,「基本ニーズ」を満たすための最も主要な手段を断ち切られてしまうことになるので,この反発に も納得がいくだろう。では逆に,超自我によって「基本ニーズ」と結びついている「行為ニーズ」を上位
にもつ,「対象・所有ニーズ」に関する購買行動はどうであろうか。この場合は,先程とは全く逆の反 応が起こる。つまり,超自我による反発がほとんどないのだ。マニア達が自分が「マニアな」領域に対 して,金に糸目を付けない購買行動をとってしまうことは,このことから説明できる。以上のことか らもいえるように,マニアとは特定の「行為ニーズ」に固執することや,その他何らかの要因によっ て,その「行為ニーズ」が「基本ニーズ」と超自我によって結びつけてしまっている消費者であると筆者 は定義したい。
結論
第3章では,マニアは自分の「マニアな」領域と相反する製品・サービスの購買に対して,超自我の 反発が起こると述べた。しかし,思い出してもらいたい。超自我を中和し,イドとのバランスをとる ことができる自我の防衛機制である「合理化」は,当然この場合にも作用するのである。マニアによる 超自我の反発が一般の消費者と比べて,非常に強いことは既に実証済みだ。そのため,合理化もそう 簡単に行えるものではない。そこで,合理化を促すために重要となるのが,その製品及びサービスが もつ合理化要因,つまり「いい訳」である。
仮にスポーツカーマニアの男性が,不覚にもスポーツカーとは全く違うカテゴリーであるファミ リー向けの自動車を欲してしまったする。この場合本来なら,超自我の反発によって,この自動車を 購買に至ることはない。しかし,その自動車が運転が容易で,ラゲッジルームが広く買い物に適して いる,といった点を強調してプロモーションを行っているのであれば,「妻も運転するから」という
「いい訳」によって,合理化することができるのだ。あるいは,この自動車が非常に燃費が良いという 点も強調していれば,「経済的だから仕方がない」という理由も付加できるし,環境にいいという点も 強調していれば,「環境に良いのだから仕方ない」という理由も付加できる。このとき,どの場合にお いても,彼の超自我は合理化によって守られることになる。上記のことから理解できるように,合理 化要因の多様性はその一つ一つがクリティカルなものであるかは考慮しないとしても,堆積的にマニ アの購買指向性を覆すことができる。序章で述べた,オーディオマニアが「iPod」を買ってしまうとい う現象は,「iPod」がもつ合理化要因の多さがマニア達の自我による合理化を促し,超自我による反発 を押さえ込んだのである。つまり,マニアの強い購買指向性を覆させる可能性は,製品が持つ合理化 要因の数に比例するのである。
−参考文献−
G. カトーナ 『消費者行動 -その経済心理学的研究-』 ダイヤモンド社,1964
西原 達也 『消費者の価値意識とマーケティングコミュニケーション』 日本評論社,1994 S. B. ペレラ 『スケープゴート・コンプレックス -影と罪の神話学への試み-』 大明堂発行,1992 外林 大作 『フロイトの読み方』 誠心書房,1983
T. S. ロバートソン 『消費者行動の科学』 ミネルヴァ書房,1973 田村 正紀 『消費者行動分析』 白桃書房,1972
梅澤 伸嘉 『消費者ニーズの法則』 ダイヤモンド社,1995 鈎 治雄・吉川 成司 『人間行動の心理学』 北大路書房,1990 座間 忠雄 『消費者行動とマーケター』 光琳,2000