プロダクト イノベーション
カニ殻由来の新素材「キチンナノ ファイバー」の製造とその利用開発
鳥取大学大学院工学研究科
伊福伸介
はじめに
生物の生産する生体高分子は多糖類,タンパク質,核 酸が代表的であり,生体の骨格の保持,エネルギー,機 能の発現,化学反応場,生命の設計図などそれぞれの役 割はさまざまであるが,いずれも多くは繊維の形状で存 在する.それらの繊維はおおむね自己組織的に集合した ナノファイバーの形状で存在し,そこから複雑な高次構 造をもった組織体へと発展していく.したがって,その 組織的な構造を適切に解体することによって,ナノファ イバーに微細化できる.そのような着想に従って,筆者 のポスドク時代の同僚(阿部賢太郎准教授,現京都大学 生存圏研究所)は木材の主要成分であるセルロースをナ ノファイバーとして単離することに成功した.なお,セ ルロースは樹木の細胞壁にナノファイバーとして存在 し,リグニンやヘミセルロースと複合体を形成してい る.そして,細胞壁はこの複合体が積層した中空の多層 構造を成している.筆者もセルロースナノファイバーの 研究開発に取り組んでいたが,その後,1年間の留学期 間を経て鳥取大学に着任することをきっかけに,地域の 特色を活かした鳥取らしい研究をしたいと考えた.鳥取 県の境港はカニの水揚げ基地として有名であり,特に紅 ズワイガニの漁獲量は国内の半分以上を占め,8,000ト ン/年と言われている.その周辺では水産加工会社があ り,カニのむき身を缶詰にする.その工程で大量のカニ 殻が食品残渣として発生する(ただし,甲羅はグラタン など食品容器として有効利用されている).よって「セ ルロースナノファイバーの単離技術を応用してカニ殻か らキチンナノファイバーを製造して,カニ殻を有効活用 しよう」.これは鳥取大学の採用面接のため,2007年の クリスマスの頃に留学先のバンクーバーから日本に向か う飛行機の中で考えた研究テーマである.着想に至った
経緯は安直であるが,その後,主要な研究に発展してい くとは全く予想していなかった.
カニ殻由来の新素材「キチンナノファイバー」(1) キチンはアセチルグルコサミンという単糖が直鎖状に 連結した天然の多糖類である(図1).セルロースの繰 り返し単位はグルコースであるから,互いに類縁体の関 係にある.キチンはカニやエビ,昆虫の外皮,あるいは キノコを含む菌類の細胞壁の主成分である.すなわち,
これらの生物は骨格を支える構造材としてキチンを製造 し利用している.カニ殻に含まれるキチンの含有量は生 息する環境や部位により異なり,たとえば,はさみの部 位や深海に棲息するカニの殻は強度が要求されるため,
比較的カルシウム分が多いが,おおむね20〜30%程度 含まれる.キチンナノファイバーの製造は次の工程に 従って行われる.まず,カニ殻に含まれる炭酸カルシウ ムとタンパク質をそれぞれ,酸による中和反応およびア ルカリによる可溶化によって取り除く.カニやエビ殻に 含まれるタンパク質はアレルゲンであるが,除タンパク 処理を繰り返し行うことによって,検出限界以下まで除 くことができる.次いで,この精製したキチンを湿式で 粉砕装置に通すことで完了する.すなわち製造工程は精 製および粉砕のみであり,いたって単純であるが,その ような操作で目的のキチンナノファイバーを研究開始し た早々に得られた.もちろん,この成果の背景にはセル ロースナノファイバーの製造技術があるおかげだが,単 離されたキチンナノファイバーは幅がわずか10 nmと極 めて細く,均一で美しいネットワーク状の構造が観察で きた(図2).
キチンナノファイバーが得られる理由はカニ殻の構造
にある(図3).カニ殻はキチンナノファイバーとタン パク質が複合体を形成し,階層的に組織化され,その隙 間に炭酸カルシウムが充填されている.カルシウムはキ チンナノファイバーを支持する充填剤,タンパク質はカ ルシウムの析出を促す核剤の役割を果たしていると考え られている.よって,これらを除去すると支持体を失っ たキチンナノファイバーは,比較的軽微な粉砕でも容易 にほぐれる.これがナノファイバーを単離できる機構で ある.研究を開始した当初はカニ殻がナノファイバーか らなる組織体であることを調査せずに行っていたので,
セルロースナノファイバーの単離技術を応用して期待ど おりのナノファイバーが得られたことは幸運であった.
なお,カニやエビ殻に含まれるキチンナノファイバーは らせん状に堆積しているが,タマムシなど甲虫の外皮に 見られる特徴的な金属様の光沢は色素ではなく,らせん の周期的な構造に由来する.
キチンナノファイバーの特徴として水に対する高い分 散性が挙げられる.高粘度で半透明な外観は可視光線よ りも微細な構造と高い分散性を示唆している.そのため ほかの基材との混合や塗布,用途に応じた成形が可能で ある.キチンがセルロースに継ぐ豊富なバイオマスであ りながら,直接的な利用がほとんどされていない要因は 不溶であり,加工性に乏しいためであるから,ナノファ イバー化によって材料として操作性が向上したことは,
キチンの利用を促すうえで重要な特徴である.
キチンナノファイバーの製造方法は,ほかの生物にお いても適用可能であり,エビ殻やキノコからも同様のナ ノファイバーを得ている.エビは東南アジアで広く養殖 され,その廃殻は重要なキチン源となりうる.また,キ ノコも栽培され,食経験もあることから,後述する食品 の用途において有利であろう.キチンは地球上で多くの 生物が製造するため,生物学的な分類によってそれぞれ のナノファイバーについて,形状や物理的,化学的な違 いが明らかになれば面白い.たとえば,昆虫の外皮や 顎,針など強度の要求される部位の多くはキチンを含ん でいるが,昆虫からも同様の処理によってキチンナノ ファイバーが得られるであろう.効率的で環境に優しい タンパク源として昆虫食が注目されており,アジアやア フリカなどの一部の地域では一般に食されている.今 後,人口の増加や地球環境の変化に伴いタンパク源とし て昆虫食が世界的に広まっていく可能性がある.固い外 皮は食用に適さないから,キチンナノファイバーの原料 になりうる.
キチンナノファイバーの機能の探索
キチンナノファイバーの実用化にあたって,関連物質 であるセルロースナノファイバーとの特徴の違いを十分 に把握しなければならない.セルロースナノファイバー の研究はキチンナノファイバーよりも先行しており,国 内外を問わず大規模にその利用開発が進められている.
セルロースは樹木として地球上に大量に貯蔵され,製紙 や繊維,食品産業を中心に大規模に利用されるため,原 料のコストはキチンと比較して圧倒的に低い.よって,
キチンナノファイバーの実用化にはセルロースナノファ イバーとの差別化が必要不可欠である.次に差別化にお いて有効と思われるキチンナノファイバーの機能を紹介 する.
図1■豊富なバイオマス,セルロース,キチン,キトサンの化 学構造
図2■カニ殻から抽出されるキチンナノファイバーの電子顕微 鏡写真
図3■キチンを主成分としたカニ殻の複雑な階層構造
キチンを効率的に微細化するためには酸の添加が有効 である.これはキチンの表面にわずかにアミノ基が存在 するためである.アミノ基は天然のキチンに存在すると の報告がある.また,アルカリによる除タンパクの際に も若干の脱アセチル化が起こっていると考えられる.キ チンに含まれる若干のアミノ基は酸に対してプロトン化 され,その表面において正の電荷を生じる.その結果,
ナノファイバー間で静電的な反発力を生じるため,微細 化が促進される.キチンは乾燥に伴って強力に凝集して 微細化を困難にするため,乾燥は禁物であった.しか し,反発力を利用することによって,市販の乾燥キチン から容易に微細化できるようになった.研究当初はズワ イガニを提供する飲食店からカニ殻をいただいたり,大 学近辺のスーパーで買い占めたブラックタイガーを学生 と一緒に剥いて殻を回収していた.当初はそのむき身を 学生が喜んで調理していたが,次第に誰も見向きもしな くなった.おかげで筆者のエビ料理のレパートリーが増 えたが,市販のキチンを利用できるようになり,その必 要がなくなったため非常に助かっている.もしパルプを 同様の工程でナノファイバーに変換できれば,大量のセ ルロースナノファイバーが容易に製造できるが,セル ロースはイオン性の官能基をもたないことと,細胞壁の 構造がカニ殻よりも複雑であるため,パルプのナノファ イバー化には相当の粉砕エネルギーを必要する.組織構 造の複雑さの違いは自重の違いが要因であろう.すなわ ち,樹木はカニなどと比較してはるかに自重が大きいた め,それを支えるための特殊な構造が必要なわけであ る.
キチンナノファイバーは伸びきり鎖の結晶であるた め,構造的な欠陥がなく,優れた物性(高強度,高弾 性,低熱膨張)をもつ.キチンナノファイバーの物性を 活かす用途として,素材を強化する補強繊維が挙げられ る(2).カニ殻は本来,キチンナノファイバーで補強した 天然の有機・無機ナノ複合体であるから,この用途は理 にかなっている.ナノファイバーを補強繊維として配合 しても透明性や柔軟性など素材本来の特徴は変わらな い.これはキチンナノファイバーが可視光線の波長(お よそ400〜800 nm)よりも十分に細いため,ナノファイ バーの界面において可視光線の散乱が生じにくいためで ある.これまでにわれわれはアクリル樹脂やキトサン フィルム,ポリシルセスキオキサンなどさまざまな透明 素材にキチンナノファイバーを配合してきた.いずれも 透明性や柔軟性を損なうことなく,諸物性を大幅に向上 することができた.しかしながら,同様の形状と物性を もち,コスト面で有利なセルロースナノファイバーでも
同等の効果が得られるため,キチンナノファイバーの特 色を活かす必要がある.たとえば,縫合糸を使わずに生 体組織を接着するバイオマス由来の接着剤を開発してい るが,キチンナノファイバーを配合することによって接 着強度を3倍に向上することができる(3).キチンナノ ファイバーは生体に対する親和性が高く,また,ヒトも 含めた多くの動物がキチナーゼを産生してキチンを分解 できるため,生体接着剤のような医療用材料は有望な用 途であろう.このように,セルロースナノファイバーと 差別化が可能なキチンナノファイバーの大きな特徴は生 体機能であろう.キチンおよびキトサンは創傷や火傷の 治癒が知られ,その効果を活かした医療用材料が製品化 されている.われわれはそのような機能に着目し,キチ ンナノファイバーの生体機能を明らかにしている(4, 5).
1. 服用に伴う腸管の炎症抑制
キチンナノファイバーが腸管の炎症を緩和することを 明らかにしている.腸管に急性炎症を誘発させたモデル マウスに対して,キチンナノファイバーを飲み水の代わ りに自由摂取させる.3〜6日間の服用により腸管の炎 症および線維症が大幅に改善したことが組織学的な評価 によって確認された.キチンナノファイバーの服用に伴 い,大腸組織内の核因子
κ
B(NF-κ
B)が減少したこと,血清中の単球走化性タンパク質-1(MCP-1)の濃度が減 少したことが炎症反応の改善に寄与したと思われる.
NF-
κ
Bは急性および慢性炎症反応に関与するタンパク 質複合体であり,MCP-1は炎症性サイトカインである.一方,従来のキチン粉末を服用しても炎症は改善しな かった.キチン粉末は水中で沈殿するため,腸管にとど まり作用することなく速やかに排出されるためであろう.
2. 皮膚への塗布による効果
キチンナノファイバーを塗布することにより皮膚の健 康を増進することを明らかにしている.先天的に毛のな いマウスの背面にキチンナノファイバーを薄く塗布す る.わずか8時間で表皮厚および膠原繊維の密度が増加 することが組織学的な評価によって確認できた.この効 果 は 塗 布 に 伴 う 繊 維 芽 細 胞 増 生 因 子(aFGFお よ び bFGF)の産生に伴うものである.また,キチンナノ ファイバーの塗布により,外界からの刺激に対して保護 するバリア膜を角質層に形成して,健康な皮膚の状態を 長時間にわたって保持することがヒト皮膚細胞を積層し た3次元モデルを用いた評価によって明らかになった.
現在,このような皮膚に対する機能を活かして,キチン ナノファイバーを配合した敏感肌用化粧品の製品化を関
連会社と準備中であり,2015年度の販売を目指してい る.
3. 製パン性の向上
キチンナノファイバーは上述のように素材の物性を向 上することができる.食品に配合した場合,その食感を 改良することができる.キチンナノファイバーは水分散 液として製造されるため,食品への配合は加工する際に 有利である.キチンナノファイバーがパンの成形性を向 上することを明らかにしている.パンの生産において小 麦粉の使用量を20%減らすと当然のことながら,十分 に膨らまない.しかし,あらかじめ小麦粉に対して微量 のキチンナノファイバーを添加しておくと,減量前と同 程度の体積のパンが得られる.また,薄力粉は強力粉と 比較してグルテンの含有量が少ないため,膨らませるこ とが困難である.しかし,キチンナノファイバーを配合 することにより通常のパンと同様に膨張した.これらの 結果はキチンナノファイバーがグルテンと良好に相互作 用してベーキングの際に内部に空気を内包する壁を形成 するためと考えている.
4. 表面キトサン化キチンナノファイバーのダイエット
効果
キトサンはキチンの脱アセチル化により得られる誘導 体である.キチンナノファイバーを中程度のアルカリで 脱アセチル化した後,粉砕することによって,表面が部 分的にキトサンに変換されるが,内部はキチン結晶が保 持されたナノファイバーを製造することができる(表面 キトサン化キチンナノファイバー).キトサンはダイ エット効果が知られており,特定保健用食品に認定され ている.表面キトサン化キチンナノファイバーについて もダイエット効果があることを明らかにしている.マウ スに脂肪分の高い食事を与えると体内に脂肪が蓄積して 体重が増加する.しかし,キトサン化したナノファイ バーを一緒に与えると体重の増加が緩和され,従来のキ トサンと同等のダイエット効果があった.これは分泌さ れる胆汁酸がイオン的な相互作用によりナノファイバー の表面に吸着されるためである.胆汁酸の吸着により脂 肪の安定化が妨げられて吸収が抑制される.キトサンは 溶解すると独特の収斂味があるが,ナノファイバーは溶 解しないため無味無臭であり,ダイエット用の添加剤と して有望である.
5. 植物に対する免疫機能の活性化
多くの植物はキチンオリゴ糖を認識する受容体を備え
ており,シグナルの伝達を経て病害抵抗性が発現するこ とが知られている.キチンナノファイバーについても植 物の病害抵抗性が誘導されることを明らかにしている.
たとえば,イネはいもち病菌に感染すると枯れてしま う.しかし,あらかじめキチンナノファイバーを散布す ると免疫機能が活性化されて,立ち枯れを抑制できる.
このような効果はトマト,キュウリ,梨についても確認 している.菌類の細胞壁にはキチンが含まれている.植 物はキチンを認識する受容体を自然免疫として獲得する ことにより菌の襲来に備えているのである.
おわりに
2013年より科学技術振興機構の支援(大学発新産業 創出拠点プロジェクト)を得てキチンナノファイバーに かかわる大学発ベンチャーの起業に取り組んでいる.タ イトルの「マリンナノファイバー」はキチンナノファイ バーが広く一般に利用されることを願い,名づけた商標 である.カニ殻はキチンナノファイバーを内包した組織 体であるから,微細化によって容易にキチンナノファイ バーに変換することが可能であり,量産化は比較的容易 である.一方で,社会的なニーズを踏まえて,キチンナ ノファイバーの機能を探索し有効な用途を見極めていく ことははるかに難しい.キチンナノファイバーの実用化 においては先行するセルロースナノファイバーとの差別 化は必須の課題である.たとえば,キチンの化学構造的 な特徴は極性の高いアセトアミド基を有し,強固な分子 間あるいは繊維間の相互作用を引き起こす.また,脱ア セチル化により正の電荷をもち,反応性の高いアミノ基 に変換される.この特徴は差別化において有効かもしれ ない.一方,上述のようにキチンナノファイバーに特徴 的な多様な生体機能を明らかにしつつある.そのような 新しい機能が明らかになったのも,キチンナノファイ バーが均一に分散して塗布や服用による試験が可能に なったためである.今後も医療分野を中心にキチンナノ ファイバーの潜在的な用途が明らかになると期待してお り,キチンナノファイバーの大規模な利用を願ってい る.そのためには産学あるいは医工の連携が重要であ る.この原稿を読んでくださった皆様の中で,本材料を 触ってみたいと言う方がおられたらぜひともご一報いた だきたい.
文献
1) S. Ifuku, M. Nogi, K. Abe, M. Yoshioka, M. Morimoto, H.
Saimoto & H. Yano: , 10, 1584 (2009).
2) S. Ifuku, S. Morooka, A. N. Nakagaito, M. Morimoto & H.
Saimoto: , 13, 1708 (2011).
3) K. Azuma, M. Nishihara, H. Shimizu, Y. Itoh, O. Takashi- ma, T. Osaki, N. Itoh, T. Imagawa, Y. Murahata, T. Tsu- ka : , 42, 20 (2015).
4) K. Azuma, S. Ifuku, T. Osaki, Y. Okamoto & S. Minami:
, 10, 2891 (2014).
5) 伊福伸介:高分子論文集,69, 460 (2012).
プロフィル
伊福 伸介(Shinsuke IFUKU)
<略歴>2005年京都大学農学研究科博士 後期課程研究指導認定/2006年同大学生 存圏研究所日本学術振興会特別研究員/
2007年ブリティッシュコロンビア大学博 士研究員/2008年鳥取大学大学院工学研 究 科 講 師/2011年 同 准 教 授,現 在 に 至 る/<研究テーマと抱負>バイオマスの利 用開発<趣味>子供の相手と旅行とビール
<所 属 研 究 室 ホ ー ム ペ ー ジ>http://
saimotolab.sakura.ne.jp/ifuku/IfukuHome.
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Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.53.473