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大学 院の 思い 出 - 李虎栄 - pweb - 上智大学

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Academic year: 2024

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(1)※本文は『新聞学科同窓会会報』. H K )、大 学 院 の 受 験 準 備 で 日 本 語. 朋代さん(H4年院前期修了、N. 本語でゆっくり接してくれた猪谷. なれていなかったとき、正しい日. 研究生時代、日本の生活にまだ. になっていることは言うまでもな. た。現在教員の道を歩む私の標本. きの厳しさと温かさなどに感服し. 摯な態度と情熱、学生と接すると. いた。また先生の研究に対する真. という短い励ましの葉書をいただ. るが、何よりも私の中に潜在して. 観をより広くしてくれた人でもあ. 先生は私が持っていた狭い日本人. をくれたのは石川旺先生である。. もう一人、現在の私に多い影響. くる。. また先生に感謝の気持ちが浮んで. 大 学 院 の思 い出 李 虎 栄 号=二〇〇二年4月1日=に. のレポートを書くたびに、その文 い。. 一九九〇年四月、大学院新聞学専. はもう十二年の前のことである。. 私が上智大学との縁が始まったの. もう上智を離れて四年目になる。. さつをしたのがまだ記憶に新しい。. 成田空港でみんなに帰国のあい. 年院. 会に積極的に参加してくれた椎名. ら博士課程が終わるまで春原研究. と 高 瀬 宗 人 さ ん( H 4 卒 )、そ れ か. し て く れ た 小 林 直 子 さ ん( H 3 卒 ). 私を癒すために江ノ島旅行を企画. 大学院の入試に一回落ちたとき、. 小 黒 純 さ ん( 同 、龍 谷 大 学 )、ま た. ない。先生との思い出は主に夜十. 武市英雄先生のことも忘れられ. つという貴重な知識を得た。. た上で、未来のことを見る目を育. だけの意味ではなく、現在を知っ. とが単なる過去のことを振り返る. を通して私は、歴史を勉強するこ. 先生のジャーナリズム史の授業. な訓練を通じて研究することにお. 識を持つように強調し、そのよう. 学生に全ての物事に対して問題意. 引っ張ってくれた先生でもある。. いた平凡な部分を私の長所として. -. 攻の研究生として入り、二年間の. 達 人 さ ん と 原 田 繁 さ ん( H. いて自らその目的を探せるような. 上智へ入って先生方をはじめ、ま. を教えている。. ルにある京畿大学でマスコミ関係. ることができ、現在は韓国のソウ. 三月みな様のおかげで博士号を取. 指導教授である春原昭彦先生のこ. とくに九年間の日本留学生活の. 研究者としての道を歩くきっかけ. いろいろな事を教えていただき、. れ、勉強のことだけでなく人生の. に入ってからはいい先生方に恵ま. 九二年四月、大学院の修士課程. る。先生の独特な名刺の整理方や. どを温かく話してくれた記憶があ. 事情や多様な先生の知人の話しな. ことのできない日本メディアの裏. と、先生は授業中にはあまり聞く. ついていて、たまに研究室をよる. にある先生の部屋はいつも電気が. 出ると、七号館四階の一番左手奥. 間であったからである。研究室を. の時間がちょうど研究室の退室時. 時を前後にしていたが、それはそ. 最後に、私が博士論文を書き終. の味もいまだ忘れられない。. くれたバーベキュー・パーティー. 合宿の後、先生のお宅で主催して. れられない思い出である。大学院. ティーは留学生活のなかで一番忘. 開いてくれた私の結婚祝いのパー. は今も覚えている。先生のお宅で. な発音で名前を呼ばれた時の感動. ちおぼえ、先生の方から先に流暢. 生の名前をその国の発音でいちい. 先生は、韓国や中国からの留学. 力を植えてくれたと思う。. わりの人々に迷惑をかけっぱなし. とは一生忘れることはできないで. 重要な新聞記事のスクラップなど. わる段階で鈴木雄雅先生からもら. 後期終了)など、多くの人にお世. の毎日であったが、本当にまわり. あ ろ う 。大 学 院 入 試 に 落 ち た と き 、. がたいへん印象深かった。いつの. った印象はやはり強かった。自分. それから博士課程に入って四年間. の助けがなかったら、いまの私は. アメリカでサバティカルをされて. まにか私の研究室にもそのような. で何回もチェックをし、完璧なつ. 話になったと思う。. 存在しなかったと思う。上智のこ. いた時であったにもかかわらず試. ものが置いてあることに気づくと、. ず片言の日本語しかできないまま、. 振り返ってみると、何にも知ら. とを思い出すと、みんなの顔が浮. 験 直 前 に 送 っ て く れ た「 初 志 一 貫 」. となった。. かんでくる。. の生活をおくった。そして九八年. 10. 石川先生はいつも問題を提起し、. 研究課程をへて、修士課程二年、. 掲載されたものです。. 第. 章をいちいちチェックしてくれた. 47. (2) もりでも、細かいコンマ一つひと つの間違いを指摘してくれる時、 研究をすることにおいて幅広い問 題意識だけでなく緻密さと繊細な 姿勢も兼備しなければならないと いうことを見習った。また先生は いつも学生たちの面倒見が良く、 今も私のゼミ合宿で日本へ行くと、 見学先の手続きや上智での講演な どの準備をしてくれるなどを見る と、頭が下がる。 まだまだ私の上智の生活を思い 出すと感謝の言葉を伝えたい人は たくさんいる。私の約十年間の留 学は上智での生活がすべてと言っ ても過言ではない。多くのことを 習い、感じ、成長する重要な時期 であった。 いまから考えてみるとその時期 のすべてを支えてくれたのはやは り新聞学科のみなさんであったと 思う。特に四人の先生がたは現在 の私を作ってくれた恩人である。 先生や上智の人々から受けた知 識や愛情をいまの私の学生たちに 絶えず伝えることが、先生と上智 大学新聞学科への恩返しであると 思って、今日もがんばるぞ。 (韓国京畿大学多重媒体映像学部 助教授). (3)

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