2 化学と生物 Vol. 55, No. 1, 2017
ある種のシダにおいてジベレリンは時空間的なコミュニケーションツールとして使われてきた
シダの性決定のしくみがわかってきた
植物ホルモンのジベレリン(gibberelline; GA)は,
種子発芽,茎の伸長,開花,果実の成熟などさまざまな 生長・発達過程において促進作用を示す(1, 2).しかしな がら,これらの作用の多くは被子植物で観察されてきた ものであり,それ以前に誕生した植物における作用はよ くわかっていなかった.被子植物以前の植物は,裸子・
シダ・コケ植物に大別される.最も古いコケ植物では,
一部のGA生合成酵素遺伝子がないため最終産物の活性 型GAを作ることができない(3).次に古いシダ植物では GAは生合成されるものの植物体に投与しても茎の伸長 が見られない(4).一方,安益ら(5)は最も古いシダ植物に 属する小葉類の一つイヌカタヒバにおける胞子形成に GAが必須であることを示した.では,シダ植物におけ るGAは胞子形成においてのみ必要なのだろうか.
筆者らは,いくつかのシダ植物に特徴的なアンセリジ オーゲン(Antheridiogen; An)を介した造精器誘導現 象に注目した(6).Anとは前葉体世代のコロニーにおい て先に成長した個体が分泌する物質で,遅れて成長した 周りの個体を雄化させる作用があり,これによって他家 受精が促進されると考えられている.この不思議な現象 は古くから多くの植物学者を魅了し,1980年代には山 根ら(7)によりフサシダ科に属するカニクサのAnの構造 決定が行われている.ここで注目すべき点は,構造が明 らかになったカニクサのAnがGAの基本骨格である -ジベレラン骨格をもっていたことである(8).この構 造的特徴からAnの生合成経路が植物ホルモンである GAの生合成経路の一部と重なっている可能性が考えら
れた.
Anの生合成の理解に先立ち,筆者らはまずAnの感 受性と分泌量の関係について調べた.すると成長初期の 前葉体はAnに対する感受性が高い一方でAnの分泌は 行わない,成熟期になると逆に感受性がなくなり分泌が 盛んになることがわかった.すなわち,Anに対する感 受性と分泌量はアンチパラレルな関係にあった.
次に,An合成にGA生合成経路が関与するかを検討 した.なぜなら,AnとGAとは構造的共通性が高い一 方で,活性型GAに必須な3位水酸基がない,6位カル ボキシル基がメチルエステル化されているという構造的 な相違があったためである.そこでまず,GAの生合成 の初期段階の阻害剤であるウニコナゾールの造精器誘導 に対する効果を調べたところ,阻害が認められたことか ら,An合成とGA初期生合成経路は共通であることが 予想された.そこで,カニクサにおけるGA生合成・シ グナル伝達関連遺伝子の単離を行い,GAの生合成や信 号伝達にかかわる遺伝子の全長cDNAを単離すること に成功した.
次に,Anによる情報伝達がGA受容機構により行わ れるかについて検討した.GA受容の初発反応である DELLAタンパク質の分解をウェスタンブロットにより 調べた結果,GA処理同様,AnでもDELLAタンパク質 分解が起こることが明らかとなった.さらに,An処理 により変動する遺伝子をGAのそれと比較した結果,両 者のパターンは非常に類似していることがわかった.こ の結果は,AnとGAのシグナル伝達経路が共通である
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ことを示唆する.そこで実際にAnがGA受容体GID1で 受容されるのかについて検討したが,単離されたカニク サの2つのGID1とAnとの結合は認められなかった.し かしその一方で,GID1とGAとの結合を競合的に阻害 する化合物TSPCを処理すると造精器誘導は阻害され,
その阻害はGAを同時に添加すると解除されることがわ かった.以上の結果から,AnそのものはGID1により 受容されないが,修飾を受けてGAに変換後GID1受容 体に受容され造精器誘導を引き起こすと考えられた.
つづいて,定量的RT-PCRにより前葉体生育過程にお けるGA関連遺伝子発現の消長を調べた.その結果,
GA生合成過程の最終段階を触媒するGA3oxを除くすべ ての酵素が成長に伴い発現が増大する一方,GA3oxお よび受容体GID1は成長初期において最も強い発現を示 し,成長するにつれ発現が減少することがわかった.こ のGA3oxを除く生合成遺伝子と受容体遺伝子のアンチ パラレルな発現パターンは,Anの分泌量と感受性の関 係とよく一致していた.一方,GAの3位水酸基を添加 する反応を触媒するGA3ox発現は,GA生合成酵素群の なかで唯一例外的な発現パターンを示したが,これは Anが3位水酸基をもたないことを考えると理解できる.
すなわち,Anは活性をもたない活性型GAの前駆体と して成熟前葉体から分泌され,受容側である若い前葉体 に取り込まれた後,若い個体のみ存在するGA3oxによ
り活性型GA変換されて初めて生理活性をもつと仮定し た.実際,AnをGA3oxの特異的競合阻害剤であるプロ ヘキサジオンとともに添加したところ造精器誘導が阻害 され,同時にGAを添加するとその阻害は解消された.
この結果は,3位水酸基をもたないAnが作用するため に3位水酸化を触媒するGA3oxが必要であることを示 しており,上記の仮説を強く支持した.
最後に6位カルボキシル基に対するメチルエステル化 が謎として残った.筆者らは,カニクサ前葉体群落内に おける個体間の物質移動おいて,3位水酸基を欠如した GA前駆体よりもメチルエステル化されたGA前駆体の ほうが効率的ではないかと考えた.そこでRIラベルし たAnとGAを培地に加えて前葉体を生育させたところ,
Anのほうがより多く前葉体に取り込まれることが明ら かとなった.さらに,若い前葉体のみがAnを脱メチル 化できることをガスクロマトグラフィー質量分析法によ り直接的に証明した.
以上の結果を図1にまとめた.今回の研究において,
筆者らは,シダ植物においてGAは胞子形成だけでな く,性決定においても重要な役割を果たしていることを 明らかにした.また,その性決定のしくみは,GA生合 成経路を成長段階の違う個体間で2つに分けて所有する というたいへん巧妙なやり方であった.先に安益ら(5) は,GAおよびその受容機構をもたないヒメツリガネゴ ケでも,シダ・種子植物の胞子・花粉形成にかかわる転 写因子GAMYBとその転写制御機構をもちコケ植物の 胞子形成に関与することを報告している.このことは,
コケ植物の時代にすでにあった胞子形成システムを丸ご とシダ植物の時代にGAの制御下に置いたと考えれば説 明できる.そして,このGA制御機構を,種子植物の時 代になって今度は茎や根の伸長制御にも活用したのかも しれない.GA研究者としての興味は尽きない.
1) S. G. Thomas, I. Rieu & C. M. Steber: , 72, 289 (2005).
2) K. Aya, M. Ueguchi-Tanaka, M. Kondo, K. Hamada, K.
Yana, M. Nishimura & M. Matsuoka: , 21, 1453 (2009).
3) K. Hayashi, K. Horie, Y. Hiwatashi, H. Kawaide, S. Yama- guchi, A. Hanada, T. Nakashima, M. Nakajima, L. N.
Mander, H. Yamane : , 153, 1085
(2010).
4) K. Hirano, M. Nakajama, K. Asano, T. Nishiyama, H.
Sakakibara, M. Kojima, E. Katoh, H. Xiang, T. Tanahashi, M. Hasebe : , 19, 3058 (2007).
5) K. Aya, Y. Hiwatashi, M. Kojima, H. Sakakibara, M. Ue- 図1■アンセリジオーゲンによる造精器誘導メカニズム
カニクサ前葉体群落において,先に成長した個体から分泌された アンセリジオーゲンは,遅れて発生した個体内でジベレリンに変 換されることで造精器を誘導する.
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4 化学と生物 Vol. 55, No. 1, 2017 guchi-Tanaka, M. Hasebe & M. Matsuoka:
, 2, 544 (2011).
6) J. Tanaka, K. Yano, K. Aya, K. Hirano, S. Takehara, E.
Koketsu, R. L. Ordonio, S.-H. Park, M. Nakajima, M. Ue- guchi-Tanaka : , 346, 469 (2014).
7) H. Yamane, N. Takahashi, K. Takeno & M. Furuya:
, 147, 251 (1979).
8) H. Yamane: , 184, 1 (1998).
(田中純夢,上口(田中)美弥子,名古屋大学生物機能開 発利用研究センター)
プロフィール
田中 純夢(Junmu TANAKA)
<略歴>2011年名古屋大学農学部資源生 物化学科卒業/2013年同大学大学院生命 農学研究科博士前期課程修了<研究テーマ と抱負>ジベレリン,進化,性決定,シダ 植物<趣味>料理
上 口( 田 中 )美 弥 子(Miyako UEGUCHI- TANAKA)
<略歴>1980年京都大学農学部農芸化学 科卒業/1986年同大学大学院農学研究科 博士後期課程満期退学/同年大阪府立公衆 衛生研究所研究員/1996年名古屋大学研 究員/2008年同准教授,現在に至る<研 究テーマと抱負>植物においてジベレリン の合成やシグナル伝達がどのように進化し ていったかを明らかにすることにより,植 物の伸長や生殖といった植物の基本的なあ り様を理解する<趣味>読書・音楽鑑賞・
ボランティア活動<所属研究室ホームペー ジ>http://bbc.agr.nagoya-u.ac.jp/~yuyo/
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.2
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