二 〇 一 五
年 六 月
「 今 月 の 言 葉
」 と
「 今 月 の 聖 語
」 に つ い て の 紹 介
今 月 の 言 葉 大 切 な
の は
、 か つ て で も な く
こ れ か ら で も な い
。
一 呼 吸 一 呼 吸 の 今 で あ る 。
坂 村 真 民
大 切 なの は過 去で も なく
、こ れか らで も あり ませ ん。 私 たち は時 とし て 過去 にこ だわ り、 ま た先 のこ と( 将 来の こと
)を 心配 し たり しま す。 そ うし て、 心は 絶え ず 揺れ 動い てい ま す。 本校 には
「 三つ の大 切」 があ り ます が、 その 中 で今 とい う時 間 を大 切に する こと を 挙げ てい ます
。 時間 は刻 々と 過ぎ て いま す。 本当 な ら今
(今 日) すべ き こと はそ の日 の うち にや らな けれ ば なら ない ので す が、 つい つい
「 明日 にし よう
」と 先 延ば して しま う こと はな いで しょ う か。 もし 自分 の 中で 何か 目標 が ある なら
、そ の目 標 のた めに 今何 が でき るの かを 考 えて みま しょ う。 今 でき るこ とを しっ か り取 り組 めば
、 必ず 目標 到達 に 結び つく は ず です
。一 呼吸 に 集中 し て心 を 今に 置 き、 今 とい う時 間を 大切 にし て、 普段 か ら意 識し て 日 常生 活 を送 って み まし ょう
。
今 月 の 聖 語 こ と が 起 こ っ た と
き 、 友 が あ る の は 楽
し い
。
『 ダ ン マ パ ダ
』
学 校 生活 を送 って い ると
、ク ラス の中 で も気 の合 う級 友 以上 の「 友人
」 とい う関 係が でき て きま す。 たと え ば、 忘れ 物を した 時 は優 しく 貸し て くれ る。 困っ て いる 時に は、 迷わ ず 助け てく れる
。 時に は辛 いこ とや 悩 みご とが ある と
、親 身に なっ て 相談 にの って くれ る
。事 ある ごと に 力に なっ てく れる 友 人と いう のは 嬉 しい 存在 です
。 また 良き 友人 とい う のは
、間 違っ た方 向 に 進み そ う にな った ら 叱っ て くれ て
、悪 い こと を した ら
、「 駄 目だ よ
」と 注意 して く れる 人だ と思 いま す
。で すか ら、 そ のよ うな 良き 友人 は 大切 にし なけ れ ばな りま せ ん
。仏 教 に「 善友
(ぜ んぬ
)」 と いう 言葉 があ りま すが
、共 に 正 しい 仏 道を 求 める 良き 友人 と して とて も大 切に し ます
。な ぜな ら
、お 互い 助け 合い
、 悪い こと をた し なめ
、共 に修 行 して 高め 合う 仲間 だ から です
。釈 尊 も「 私は あな た方 に とっ て善 友で あ る」 と、 仏教 徒た ち に 対し て「 善 友」 の立 場を と られ
、「 善 友」 の大 切さ を説 かれ てい ま す。 みな さん も いま 自分 の周 りに い る友 人を 大切 にし
、 仏教 で言 う「 善 友」 のよ うな 関 係を 築い て い って ほ しい もの で す。
宗 教 教育 係