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「 今 月 の 言 葉

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Academic year: 2024

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〇 一 三 年

八 月

「 今 月 の 言 葉

」 と

「 今 月 の 聖 語

」 に つ い て の 紹 介

今 月 の 言 葉

歩 んで いて も、 とど まっ てい ても

、ひ との 命 は昼 夜 に過 ぎ去

り、 とど まり はし な い。

-

河 の水 流 のよ うな もの であ る。

『ウ ダー ナヴ ァル ガ』 河 の流 れが 留 まら な いよ うに

、す べて は移 り変 わ って いき ま す

。仏 教 では これ を

「無 常

」と いい

、こ れ が事 実

・真 実 であ ると 説 き ます

。早 いも ので 八 月 を 迎 えま し た。 本 当 にあ っと いう 間 に月 日 も過 ぎ去 って いき ます

。 お釈 迦 さ ま は入 滅 され る前 に「 世 は無 常 であ る

。怠 るこ とな く 精 進 す るよ う に。

」と 言 い残 さ れて いま す

。私 たち の命 も

、ま た日 々 過 ごし てい る日 常 の生 活 も す べて は有 限 です

。つ ま り限 りが あ ると いう こと であ り、 限 りが あ るか らこ そ尊 く

、 貴 重 だと いえ ま す

。水 流 のよ うに 流 れ

、二 度 と戻 らな

いこ の時 間 を 大 切 にし て、 自 分 の目 標 に向 け精 進 して いき まし ょう

今 月 の 聖 語

今 が本 番

今日 が本 番

東 井 義雄 今

月 の聖 語 は、 浄 土 真 宗 の寺 院 に生 まれ た教 育 者 であ る東 井 義 雄 とい う 方 の

「今 が本 番

、今 日 が本 番

、今 年 こそ が本 番

。明 日 があ る 明 後 日 があ ると 思 って いる 間 は、 なん にも あり はし な い。 肝 心 な今 さえ ない んだ から

」と いう 言 葉 から 抜 粋 しま した

。 正 に自 分 自 身 に言 われ

てい る言 葉 のよ う に感 じま す

。私 たち の日 常 を振 り返 っ てみ ると

、「 明 日 や ろう

」、

「明 後 日 やろ う

」と いう よう

につ い後 回 しに して しま う こと があ ると 思 いま す

。平 安 学 園 は「 三 つの 大 切

」の 一 つに

「時 間 を 大 切 に」 とい う こと を 掲 げて いま す

。今 とい う 時 間 を 果 たし て大 切 に出 来 てい るか 一 度 振 り返 っ てみ ま しょ う

。「 今 が本 番

」、

「今 日 が本 番

」と いう 思 いを 持 って 日 々 の生 活 を送 っ てい きた

いで すね

。学 校 生 活 のな かで 教 訓 にし ても らい たい と思

いま す

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