二
〇 一 三 年
八 月
「 今 月 の 言 葉
」 と
「 今 月 の 聖 語
」 に つ い て の 紹 介
今 月 の 言 葉
歩 んで いて も、 とど まっ てい ても
、ひ との 命 は昼 夜 に過 ぎ去
り、 とど まり はし な い。
-
河 の水 流 のよ うな もの であ る。
『ウ ダー ナヴ ァル ガ』 河 の流 れが 留 まら な いよ うに
、す べて は移 り変 わ って いき ま す
。仏 教 では これ を
「無 常
」と いい
、こ れ が事 実
・真 実 であ ると 説 き ます
。早 いも ので 八 月 を 迎 えま し た。 本 当 にあ っと いう 間 に月 日 も過 ぎ去 って いき ます
。 お釈 迦 さ ま は入 滅 され る前 に「 世 は無 常 であ る
。怠 るこ とな く 精 進 す るよ う に。
」と 言 い残 さ れて いま す
。私 たち の命 も
、ま た日 々 過 ごし てい る日 常 の生 活 も す べて は有 限 です
。つ ま り限 りが あ ると いう こと であ り、 限 りが あ るか らこ そ尊 く
、 貴 重 だと いえ ま す
。水 流 のよ うに 流 れ
、二 度 と戻 らな
いこ の時 間 を 大 切 にし て、 自 分 の目 標 に向 け精 進 して いき まし ょう
。
今 月 の 聖 語
今 が本 番
今日 が本 番
東 井 義雄 今
月 の聖 語 は、 浄 土 真 宗 の寺 院 に生 まれ た教 育 者 であ る東 井 義 雄 とい う 方 の
「今 が本 番
、今 日 が本 番
、今 年 こそ が本 番
。明 日 があ る、 明 後 日 があ ると 思 って いる 間 は、 なん にも あり はし な い。 肝 心 な今 さえ ない んだ から
」と いう 言 葉 から 抜 粋 しま した
。 正 に自 分 自 身 に言 われ
てい る言 葉 のよ う に感 じま す
。私 たち の日 常 を振 り返 っ てみ ると
、「 明 日 や ろう
」、
「明 後 日 やろ う
」と いう よう
につ い後 回 しに して しま う こと があ ると 思 いま す
。平 安 学 園 は「 三 つの 大 切
」の 一 つに
「時 間 を 大 切 に」 とい う こと を 掲 げて いま す
。今 とい う 時 間 を 果 たし て大 切 に出 来 てい るか 一 度 振 り返 っ てみ ま しょ う
。「 今 が本 番
」、
「今 日 が本 番
」と いう 思 いを 持 って 日 々 の生 活 を送 っ てい きた
いで すね
。学 校 生 活 のな かで 教 訓 にし ても らい たい と思
いま す
。 合掌
宗 教教 育係