第 6 章 研究結論と研究展望
第 5 節 在中日系企業の今後の事業展開への提言
1、中国の投資環境変化に応じた投資戦略の再検討
前記の先行文献のレビューから、日系企業による対中投資は、ここ数年卸売・小売り業 を始めとする第三次産業への投資が増えつつある、という新たな変化が表れてきたものの、
産業構造にしても、投資業種のレベルにしても、欧米企業に比べまだ低いレベルにあるこ とが示された。特に欧米企業に遅れた中国に研究開発センターの設置について、しばしば 指摘されている。このような日系企業の対中投資戦略は、従業員にやりがいのある仕事を 与えられず、また競争力に乏しい賃金制度やキャリアアップを阻む「ガラスの天井」につ ながるとともに、中国の従業員をして日系企業のこれらの組織特性に対して欧米企業のそ れらと比較して大きな違和感を感じていることが明確になった。即ち、中国の現地法人を どのような存在にしようとしているか、現地法人にどのような機能を持たせるか、という 日系企業本社としての経営戦略が現地の人材マネジメント、現地化の程度を大きく左右す る。依然として中国の拠点を加工や生産に特化すれば、本社の指示を忠実に実行するとい った能力が求められる日本人の派遣者で十分であろう。
しかし、中国が WTO に加盟して 12 年目に入った現在、経済の高度成長に伴う経済総量が 急速に拡大しつつある。かつて、外資不足と低い技術力を補うために、中国政府が低姿勢 をもって打ち出した「招商引資」政策も、国内産業構造のレベル低下問題が次第に顕在化 されつつあるに伴い、変化が現れてきた。即ち、かつてのように、進出するすべての外資 企業を受け入れるのではなく、セレクティブに(外資を選別して)受け入れるとのことで ある。また、これまで導入されていた外資優遇政策も大きく変更されている。中国政府は 国内の産業構造を調整し、経済発展モデルを転換しようという姿勢を見せている。以下に 中国でのビジネス環境、いわゆる外資系企業にとっての投資環境に現れた変化を以下 3 点 を取り上げながら提言する。
(1) 加工貿易禁止品目の追加措置と戦略的新興産業の育成・発展
これまで中国では、加工貿易は対外貿易の主力であり、中国の貿易黒字拡大の主因であ った。しかし、低技術、低付加価値の加工貿易は中国経済の持続的発展には有利でないと ともに、一部の製品は環境汚染を引き起こす可能性がある。国内産業構造の高度化を加速 化するために、中国政府は 2006 年から 2008 年まで計 5 回にわたり加工貿易禁止制限品目 を追加した。この一連の措置は中国に加工貿易分野で事業を展開している外資系企業にと っては大きな打撃になるに違いない252。
一方、中国国務院は 2010 年 10 月に「戦略的新興産業を迅速に育成・発展させることに 関する決定」を発布した。戦略的新興産業とは、環境保護、新材料、生命科学、バイオテ クノロジー、新世代情報、最先端設備製造、新エネルギー自動車の各産業分野をいう。2015 年までにこれらの戦略的新興産業を基本的に構築し、当該産業の GDP に占める割合を 8%に 引き上げ、2020 年には 15%にまで引き上げようとする計画を打ち出した253。
(2)外資優遇政策調整。2006 年 11 月に中国政府が公表した外資利用第 11 次五カ年 計画は、外資選別の観点から、多くの調整内容が盛り込まれた。この基本計画をもとに、
2007 年 12 月に、『外商投資産業指導目録』が施行され254、ハイテク・省エネ・環境保護・
高付加価値産業への投資が奨励される反面、輸出を目的とした単純な製造業が歓迎されな くなった。中国は単なる外資優遇から外資の選択的利用の新しい局面に入った。
一方、2008 年 1 月から新たな企業所得税法が施行され、これまで外資系企業に対しては 15%だった優遇税率が国内企業と一律の 25%に一本化された255。即ち、今後外資系企業は 中国の国内企業と同一のスタートラインに立った競争をせざるを得ない。優遇税率はハイ テク産業や一部の省エネルギー企業のみに適用される。このような企業税の統一は、中国 政府が国内企業にも平等な市場環境を提供し、国内企業の発展を促進させようとする一方、
外資系企業にとっては増税負担が高くなり、デメリットになると言える。
(3)最低賃金の引き上げ。中国で最低賃金制度が 1996 年に導入されて以来、1~2 年ごと に最低基準を調整せざるを得なくなっている。2001 年~2010 年、中国の都市単位就業人員 の平均賃金は 10834 元から 36539 元に上昇し、年平均実際成長率は 12.4%であり、そのう ち製造業就業人員の平均賃金は 2001 年の 9891 元から 2010 年の 30916 元に引き上げられて おり、年平均実際成長率は 11.1%である256。中国は次第に廉価な労働力大国のイメージを払 拭しつつある。このような労働力コストの大幅な上昇は、中国の廉価な労働力を目的とし て進出してきた多くの日本企業を悩ませる課題となっている。日本貿易振興機構(ジェト ロ)が実施した『在アジア、オセアニア日系企業活動実態調査』では、調査対象企業の経 営上の問題点について、「従業員の賃金上昇」を取り上げ続けてきており、2009 年から 4 年 連続で経営上のトップ課題となった257。
前記の中国政府による外資導入政策および中国国内の投資環境の変化から確定できるよ うに、これからは外資系企業を取り巻く競争環境がますます激しくなり、単なるコスト削 減や生産資源目当ての投資方式は中国で持続的に発展していくことは難しい。要するに、
日系企業が今後中国という巨大な市場を失いたくないと考え、持続的に安定な事業展開を 行いたいと考えれば、投資する業種やそのレベルアップなどを含める経営資源の配置転換、
投資戦略を見直す必要がある。これに基づき、日本的経営の弱みを克服し、強みを活かす ことにより、ホワイトカラー層の人材確保・活用に力を入れるべきである。
2、日本的経営の強みを活かし、組織サポートに取り組む
前記の分析より、日本的経営の強みは、従業員を重視した「人間本位」の経営理念、企 業内部の「調和」を強調し、日常的なコミュニケーション(報・連・相)による協働意識 の醸成、現場の問題解決能力向上、長期的視野に基づく人材育成、および累積的改善能力 などとして挙げられる。事業の入れ替わりの激しい今の時代、組織を人為的に短期間に統 合したり、分割したりしやすい時代こそ、このような日本的経営のよさを見極め、自らの 経営ノウハウを蓄積し続けることは、今の日本企業にとって大事なことではないかと思う。
そのため、中国における日系企業は日本的経営に特有な「強み」を忘れずに、それを活か して日頃の人事制度に浸透させる必要がある、ということである。
まず、中国人従業員に日本的経営のこのような強みを認識・理解してもらうことが重要 である。例えば、異文化研修、社内ネットワーク、社内報、掲示板などを通じて、日本的 経営の強みと合理性、および現段階の中国の経済発展に対する必要性を中国人従業員が受 入れ可能な形で浸透させる。それと同時に、日本的経営の強みを推進するような行動を奨 励する仕組みを構築する。例えば、調和的な人間関係を築き上げ、従業員のチームワーク といった協働意識を育成するために、個人に対する評価に、チームワークや、部下に対す る指導、或いは同僚や他部門との協調などの項目を入れて、評価制度に組み込むことが有
効であろう。このように、日本的経営の強みや優位性が日々の業務に浸透することにつれ、
従業員の共感が高まり、自分達の会社への信頼感が醸成され、帰属意識・当事者意識・協 働意識が一つの組織風土として従業員の心に根を下ろすようになる。
一方、日本的経営のもう一つの強みとして、人に対する全面的な関わりがあると言える。
そういう日本的経営の強みを組織サポートの形で具現化すれば、従業員にとってさらなる 付加価値を生み出すであろう。今回の調査から、在中日系企業従業員が知覚する組織サポ ートは全体的にやや高いレベルにあるが、具体的な尺度を見ると、バランスがよく取れて いないことが明らかにされた。そのうち、価値への承認の得点が一番高い3.87である一方、
生活・福祉への気遣いは2.52と大きな格差が見られる。これは日本企業では慣行となって いる「人間尊重重視」の経営が現れる一方、中国従業員の身近な生活・福祉への気遣いの 欠如も反映されている。同じ儒教圏に属している中国と日本は、東方人の情・気遣いには 馴染みやすい。仕事だけではなく、従業員の心身的健康、冠婚葬祭、子供の教育などの私 生活の面にわたって気遣いを注ぎ、家族のような職場環境を醸り出すことは、組織に対す る親近感を中国人に持たせ、組織への帰属感および組織に貢献したい、という積極的な意 欲を向上させるために有利であろう。
3、日本的経営の弱みを克服し、現地事情に合わせたHR施策の改善
今回の調査から、日系企業における中国人の従業員が組織構造・風土およびキャリアア ップに由来する職場ストレス感がやや高く、仕事のリターン、個人成長、経営管理に対す る職務満足感が低いのに対し、日系企業は経営手法、HR 施策をさらに改善する余地がある と考えられる。
前記の分析により、日本的経営の弱みとして、組織の閉鎖性と個人の存在の希薄化、と いう 2 点が指摘された。組織の閉鎖性により、組織内のメンバーは、組織に対して絶大な 信頼感を抱く一方、組織外の世界には関心を示さず、組織外の世界の人間を受入れること が困難となる。そのため、日本以外の国の従業員を活用するときに支障を来たす。例えば、
在中日系企業の経営管理に関する文献のレビュー時、日系企業の従業員に対するインタビ ュー時、現地従業員に対する不信感がしばしば指摘されている。これは日系企業における 人材の現地化が未だに欧米企業より遅れている原因の一つと言えるであろう。
しかしながら、産業のグローバル化がますます進展する中で、日本企業は外国人従業員 の活用問題に直面せざるを得ない。そういう組織の閉鎖性を打破しなければ、現地での安 定的で持続的な発展は不可能であろう。それゆえ、在中日系企業はそのような日本的経営 の弱みを克服し、よりオープンな姿勢で中国人材を積極的に活用する必要がある。即ち、
偏狭なナショナリズム、民族主義など人材の才能発揮に支障を来たす要素を払拭し、持続 的発展の知見から中国人材市場の変化を取り扱うべきである。
一方、個人のキャリアアップ、自己実現を重視する中国人のこの種の特徴に対して、在 中日系企業は、日本的経営の第二の弱みである個人存在の希薄化を克服する必要がある。
即ち、協働意識やチームワークを重視するとともに、従業員個々の意識や個性を無視する ことはできない。
前記日本的経営の弱みを解消するために、現地の事情に合わせて、企業の魅力をより高 めるための人事制度の修正や、再構築することが必要である。例えば、世間相場、個人の 業績に連動させるメリハリのついた報酬制度、従業員により広い「発展空間」を作るため に、「いつまでに」、「どのポストを」などの基準を明確化にするキャリアアップを提示し、