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日本的経営の強み・弱みに関する先行研究

第 1 章 文献レビュー

第 7 節 日本的経営の強み・弱みに関する先行研究

以上のように、日米両国の国民文化および経営手法の違いを比較した。すると、かつて 世界の経営学史における最も重要なテーマの一つであり、世界中の研究者や実務家に繰り 返し議論されており、今でも人々からの関心が冷めていない日本的経営の本質は一体なん であろうか、その強み・弱みはどこにあるだろうか。日本企業は中国進出に当たって、現 地事情に適合して経営管理のやり方をそれなりに調整・修正するものは多いが、根本的に は日本的経営の基幹が緩められることはなく、日本的経営の色彩が強い諸慣行が保たれて

いるであろうと考えられる。そのため、日本的経営の諸慣行が在中日系企業従業員が感じ る職場ストレス、職務満足度、および組織サポートに影響を及ぼすと言えるであろう。こ の節では、まずこれまでに行われた日本的経営に関する膨大な先行研究を時系列にレビュ ーし、その中から、代表的な論説を取り上げて、日本的経営の強み・弱みを突き止めたい。

1、日本的経営の先行研究(時系列)

草創期(1950年代)

日本企業の経営行動に関する特異性を最初に指摘し、日本的経営のルーツと位置づけら れるのが、アベグレンである。彼は日本企業を対象としたフィールド調査をもとに、日本 における従業員と企業の間の終身的雇用関係、およびこの制度を円滑に機能させるための 年功的賃金体系、集団による意思決定、企業による福祉の提供などの諸慣行を発見し、1958 年の著書『日本の経営』にまとめた。

後ほど日本的経営についての古典的な評価を、OECD(1972)がまとめた報告書により確 定された。この報告書において、1950年代後半より日本経済の高度な成長を達成した秘密 は、日本企業の人的資源の活用方法に求めざるを得ないことを指摘し、日本の雇用制度の 特徴として、終身雇用、年功序列、企業別組合を挙げ、これを「三種の神器」と名づけ、

世界に流布した。

アベグレンを初めとするこの時期の日本的経営に関する研究は、日本的経営の慣行や諸 制度に着目し、欧米企業に対する特異性に注目したものが多かった。

模索期(1960~1970年代後半)

アベグレンの研究は発表された後、欧米の研究者にも、また日本の研究者にも大きな影 響を与えた。その後、日本の研究者も独特の研究成果を発表し、日本的経営の特徴を解明 しようとした。1960~1970年代後半の研究は、第1に、文化、社会制度的アプローチ、第2 に経済学的アプローチと二分することができる。

第1のアプローチの代表としては、日本的経営の源泉を、江戸時代の商家における身分的 な階層秩序と、そこにおける管理様式に求めていると指摘した間宏(1964)、日本の経営は 経済的機能だけでなく、人間の社会的、経済的、政治的、文化的な欲求を充足させる「共 同生活体」に存在すると提示した津田(1977)、および日本的経営の編成原理を、より根源 的なムラ意識を基盤とする日本人の集団志向性に求め,ここから終身雇用制等が生じてい ると主張した岩田(1977)、「間人主義」という興味ある概念を提唱し、これは日本人が相 互依存、相互信頼、対人関係重視という人間の間柄(「和」)を尊重する心理特性があり、

それが共同意識、集団意識を形成するというものであると指摘した浜口(1977)などが挙 げられる。文化、社会制度的アプローチは、日本的経営の特質を日本の伝統的文化や社会、

或いは日本人の心理的特徴に帰着させ、日本的経営が発生する源流から日本的経営の特性 を解明するものが多かった。

第2のアプローチの代表的な論者としては、小池(1977)が挙げられる。彼は、日本と欧 米の雇用制度の比較分析から、長期雇用が日本に特有のものではないこと、日本の年功昇 進昇級が単に勤続年数に基づくのではなく、熟練の程度や企業への貢献度を基準とした競 争的制度とみなせること、日本の企業は従業員の柔軟な職場内移動(ジョブローテーショ ン)による幅広い熟練形成を特徴とすることなどを主張した。小池は経済学のフレームワ ークを使いながら、日本的経営の特性が長期勤続、年功序列などの形式上のものに留まら

ず、それにより生じた知的熟練こそが、高い業績をあげ、企業の重要な競争優位の源泉に なると指摘し、日本的経営の本質を突き止めた。

発展期(1970年代後半~1980年代)

その後、日本は1960~1970年代の高度成長期を経て著しく成長すると同時に、二度の石 油危機をもいち早く乗り切り先進国の仲間入りを果たしたことから、そのプレセンスが国 際的にも認知されるようになった。それに伴って、日本企業の経営慣行が持つ特異性がい っそう注目されるようになる。1970年代後半から1980年代にかけては、日本的経営に対す る研究が最も活発に行われたと言える。

この時期の研究は、日本企業とアメリカ企業の戦略や組織に関する一般的な相違を明ら かにすることにより、日本的経営の概念を精緻化することを特徴とする。その代表的な研 究として、Ouchi(1981)の『セオリーZ』、Pascal& Athos(1981)の「7Sモデル」、加護野

(1983)の日米経営比較などが挙げられる。

Ouchiは、典型的なアメリカ型組織(A型)と日本型組織(J型)を比較し、7つの相違点 を整理して対比した。そして、終身雇用、遅い人事考課と昇進、非専門的な昇進コース、

非明示的な管理機構、集団による意思決定、集団責任、人に関する全面的な関わりといっ た優れた日本企業に見られる組織形態・風土が、数は少ないが優れたアメリカ企業にも見 られることを発見し、普遍性のある優良な組織とし、Z型組織と命名した。さらに、これら 日本の特徴が、信頼、ゆきとどいた気くばり、親密さという組織文化の3要素を生みだし、

社員に浸透することにより生産性が向上したと結論づけている。

Pascal& Athosは、1970年代に米国企業に比べても高い業績を挙げている日本の優良企業 の特徴に着目し、「7Sモデル」を提示した。Pascal& Athosは日本企業の特徴としてQC サー クルや終身雇用といった制度的側面ではなく、経営理念や長年蓄積されたノウハウやスキ ル、暗黙知を挙げている。また、高業績企業の共通点として、組織文化や経営理念を組織 的統合を達成する手段として活用されてきたことも指摘している。即ち、1980 年代の日本 企業の強さの源泉を、ヒトを結束させる架け橋としての組織文化や経営理念に求めてきた のである。

加護野(1983)は日米企業約1000社を対象としたアンケート調査で得られたデータに基 づき、経営環境、生産技術、経営目標、経営戦略、組織構造、組織過程、経営者の特性に ついて、日米企業の詳細な比較分析を行った。主な結論を以下に挙げる。経営目標に関し て、アメリカ企業が投資収益率を最も重視しているのに対し、日本企業は市場占有率を最 も重視している。経営戦略の特徴としては、アメリカ企業は買収・撤退を機動的に行い、

短期の資源配分の効率を高める戦略をとっているのに対し、日本企業は生産システムの弾 力化や、スケールメリットの追求という生産戦略をより重視している。企業経営者の姿勢 について、日本企業では、「ゼネラリスト」、「対人関係能力」がより重視されるのに対し、

アメリカ企業では「価値主導性」、「確信イニシャチブ」、「実績・経験」が重視されるとさ れている。即ち、日本企業の経営者は、対人関係能力を通じて、さまざまな組織構成員の 意思や感情に働きかけ、有機的組織がもつ変化対応能力を促進しようとしている。

前記研究は、日米比較の視点から、日本的経営の特質を可視化される組織の具体的な制 度に結びつけ、かつ米国企業が日本に学び、日本を超えるための操作可能な具体的施策、

例えば、オオウチのA型組織からZ型組織へ転換させる13のステップを提示した。この時期 の日本的経営は、後進資本主義国の経営から、一躍して米国企業の手本になると高く評価

されるようになった。そこから、日本的経営には海外でも通用する経済有効性があると示 唆され、競争力を発揮しうる経営上のメカニズムを究明することが必要になってきた。そ のため、この時期で注目されるのは、1970~1980年代にかけて、日本企業の国際化が活発 に進展したのに伴い、日本的経営の海外事業への移転・適応を課題とする研究も積極的に 行われるようになったことである。その代表的な論者として、小池(1987)、石田(1985)、 および安室(1982)などが挙げられる。

小池(1987)は、日本的経営の本質的部分は普遍的であり、その概念さえ十分理解され れば海外あるいは全世界のオペレーションに適用可能であると主張した。小池は、長期勤 務や年功的賃金などは日本特有のものではなく、欧米企業でも一般的に存在する一方、日 本企業にも標準化、マニュアル化のものも厳然と存在すると指摘した。重要なことは、職 場で絶えず起こる問題や変化、即ち標準化しにくい異常をこなす技能こそ、日本の生産シ ステムの強みとされる。小池はこれを「知的熟練」として概念化にし、それを形成するに は、長期勤続および長期的に技能と見合う賃金制度が不可欠であると提示した。外国企業 でもこのような制度が一般化しているため、このシステムを受入れることに対して違和感 はないはずであるとしている、いわゆる導入は全面的に可能であると主張する「導入積極 派」と位置づけられた。他方、石田は、これまでの研究を総括して、海外においても人的 資源の重視、共同体志向、階層平等主義という理念に基づく日本的経営は実行可能である が、集団主義、能力平等主義などはそのままでは導入できないと主張し、いわゆる、導入 は部分的に可能であると強調する「部分適用可能派」と位置づけられた。

一方、「導入消極派」として、日本的経営は現地のオペレーションに導入すべきではない という立場に立ったのは、安室(1982)である。同氏は、日本的経営の文化的側面を強調 し、それは高コンテクスト社会を前提として発展してきた、自体完結性の高い体系である とし、この日本的経営が機能するためには構成員の組織への一体化、同化が不可欠である が、こうした前提条件を海外諸国の人々に求めること自体が難問であると指摘した。

さらに、この時期から、海外における日系企業の成功を契機として、日本的経営の研究 は、その日本的特殊性を明らかにすることではなく、同じ市場の競争原理に立ちながら、

日系企業が国際競争力を発揮しうる原因、即ち、日本製品の高品質と低価格を可能にする 企業の内部メカニズムを究明することに研究の焦点が移行してきたのである。とくに、1984 年にトヨタとGMがともに50%を出資した合弁会社NUMMIを成立し、トヨタ生産方式を導入す ることにより、多くの問題を抱えたこの工場の経営を立ち直らせる経験から、日本企業の 生産方式に研究者の目を向けさせることになったのである。大野(1978)、門田(1985)に よるトヨタ生産システムに関する著作の相次ぐ出版につれ、トヨタシステムの要素として のJITや「カンバン方式」、さらにはQCサークルやチーム作業が抽出されるようになり、こ れらの要素が総合されて「日本的生産システム」と呼ばれ、日本的経営研究の中心になっ てきたのである。

成熟期(1990年代~)

1990年代に入ると、これまで蓄積された日本的経営に関する諸論点に基づき、研究者は 経営環境の変化による日本的経営の変容、人的資源管理の視点、日本型生産システムの更 なる概念化、日本企業の国際競争力、日本的経営の異文化マネジメントなど、より広い角 度から日本的経営の研究を行うようになった。

この時期とくに注目されたのは、バブルの崩壊により、日本経済は「失われた20年」を