第 1 章 文献レビュー
第 6 節 異文化経営と職場ストレス
3. 日米の国民文化と経営手法の比較
本節では、まず文化的差異理論において最も受入れられる Hofstede の国民文化 5 次元理 論を用いて、日米両国の国民文化の相違を見ようと思う。Hofstede の実証研究の最も大き なメリットは各国/地域が各次元でスコアが付けられ、定性だけではなく、定量化の方法で 文化的差異を説明することである。
日本とアメリカの国民文化 5 次元におけるスコアは下表に示す。
表 5 中国、日本、アメリカの国民文化 5 次元スコア
出所: 吉尔特•霍夫斯泰德、格特•扬•霍夫斯泰德著、李原・孫健敏(2010)訳、『文化与组织:心理软 件的力量(第二版)』、中国人民大学出版社、p212 により筆者作成
表 5 に示すように、日本とアメリカの国民文化の 5 次元におけるスコアは明らかな相違 が見られ、ほぼ類似性がないと言える。日米文化の違いの中で、最もよく指摘されている のは個人主義か集団主義か、という違いである。Hofstede の調査では、アメリカのスコア は 91 であり、個人主義の指数が最も高い国である。一方、日本は 46 であり、平均値の 50 より低く、集団主義の国と見られる。日本では和をもって尊しとし、個人よりも所属して いる企業などの集団の利益を優先する。このため出る杭は打たれ、集団の中での対立を避 けるために根回しなどが一般的に行われる。一方、個人主義の米国では考え方の中心は個 人であり、対立を恐れず、皆が自分の言いたいことを言う文化がある。また、職場では人 間関係よりも仕事の内容そのものが重視される傾向がある。
個人主義-集団主義の次元以外に、他の4次元においても、格差があることは一目瞭然で ある。権力の格差について、スコアが高いほど人は権力を社会の一部であると考える傾向 が強く、いわゆる権威的社会とされる。逆にスコアが低いほど正当と見られている状況で のみ権力を使うべきであると考える傾向があり、いわゆる平等主義的な社会とされること ができる。スコアから見ると、日本は中国ほどの権力の格差が大きい国ではないが、平均 値よりややスコアが高いことから、アメリカに比べ、権力の格差がある人間関係を持って いるように見える部分がある。日本は儒教を提唱した階層制度などの伝統的思想から影響 を受け、集団の内部で「資格」を重視する傾向が見られる。先輩と後輩の間に「サブ階層」
が構成され、先輩の能力や道徳を問わず、後輩が無条件に先輩に服従するのは一般的であ る。昇進についても、資格は通常重要な要素と見られる。日本の年功序列制度はこのよう な階層的思想の具現化されたものであると言える。能力や業績より、昇進と昇格において は資格と年功を重視する。
不確実性の回避の次元について、日本とアメリカの間に大きな格差が示された。日本は 島国として地震や台風などの自然災害が頻発する国であるため、人々は遥か昔から安心感 が欠け、未来の不確実性に対してより高い警戒心と予防意識を抱えている。不安全を避け、
不確実性を回避するために成文化された規則や慣習を定めて、予測可能性を高めたいとい う欲求がある。いわゆる、ルールや規則を重視する社会である。具体的な組織においては、
管理者の明確な指示を出すことが期待されており、部下のイニシアティブはより厳格にコ ントロールされる。また、不確実性が高い文化では、従業員の長期的雇用、キャリアパタ ーン、退職金や健康保険などの福祉が重視される傾向もある。一方、不確実性が低い文化 では、不安や仕事のストレスが低く、リスクへの対応が容易であり、変化に対する情緒的
文化次元 国/地域
中国大陸 日本 アメリカ
権利格差 80 54 40
個人主義 20 46 91
不確実性回避 30 92 46
男らしさ 66 95 62
長期的志向 118 80 29
対抗はより少なく、人々は感情より合理性を重視する。こうした文化では、上級管理職に つく人々の平均年齢がより低くなる傾向が見られる214。
男らしさ-女らしさの次元において、日本は全ての国の中で一番高いスコアが示され、最 も男らしさの文化的特徴がある国と言えよう。日本では、男女の社会分業が明確であり、
男性は外で仕事をし、競争を望み、たくましいと考えられており、女性は家事や育児や人 間関係全般に関心を持ち、やさしさによって役割を果たす。会社では、男性が重任を任せ られる傾向があり、女性が事務職など補足的な仕事をやらせられるのは一般的であり、昇 進昇格の面においても女性が男性よりチャンスが少ない。また、Hofstedeは国民文化と職 場との関係を論ずる中で、男性らしさが強い社会では、仕事のエートスは「働くために生 きる」という方向に向かうのに対して、女性らしさの強い社会では、むしろ「生きるため に働く」という方向に向かうであろうと述べている215。このような方針の下に、日本の男性 たちは「働き蜂」になり、自分の全てを会社という運命共同体に捧げようとする。このよ うな社会分業と構造は、日本経済の飛躍的な発展をもたらしたが、日本男性の過重なスト レスを引き起こしたことも否定できない。働きすぎて死んでいく「過労死」、1980年代に日 本が生んだこの言葉は世界に注目され、国際語として通用する。日本人の年間平均労働時 間は1970~80年代にかけて他の先進国を200~300時間上回っていた。その後減少する傾向 が示されるが、先進国の中で依然として上位にランクされた216。日本の長時間労働の原因の 1つに、残業の長さ、しかも「サービス残業」の長さがあると指摘された。いわゆる日本特 有の「残業文化」である。一方、1988年~2005年度の過労死による労災認定件数も増加す る一途であった217。
最後に、長期志向-短期志向の次元において、Hofstedeは長期志向の極にある価値項目は、
持続性(忍耐)、地位に応じた序列関係と序列の遵守、倹約、恥の感覚である一方、対極と しての短期志向に含まれる価値項目は、個人的な着実さと安全性、面子の維持、伝統の尊 重、挨拶や好意や贈り物のやりとり、である。これらの価値項目のほとんどが孔子の教え から直接引き出されたものであるため、「儒教的」という形容詞がつけられている。長期志 向の極にある価値は、忍耐にしても倹約にしても未来志向であり、その対極の価値は過去 および現在志向であると述べている218。スコアから見て日本は明らかな長期志向の国である のに対し、アメリカは短期志向の国であると示される。
(2) 日米の経営手法の比較
国によって組織に対する認識も異なり、組織問題を解決する方式にも相違がある。一方、
組織に対する認識や組織問題の解決方式はその国の国民文化と密接な関係を有する。企業 は社会の最も基本的な組織形態であり、企業をどう管理するか、即ち企業の管理様式は国 民文化によって延伸される組織意識から影響を受けるに違いない。「文化様式-組織理念-経 営方式」というルートは客観的に存在しており、国による経営方式の差異の最も根本的な 要因といえる。
Hofstede により、国民文化の 5 次元の中で、権力格差と不確実性回避はとくに人々の組 織観念に影響を与える。組織活動において常に 2 つの質問に答えなければならない。即ち、
①誰が決定する権利を持つか、決定したものは何であるか。②理想的な結果を達成するた めに、どのようなルールや制度に従うべきか、ということである。1 番目の質問の答えは組 織における権力格差に関する文化的規範に影響され、2 番目の質問は不確実性回避の文化的 規範から影響を受けることが多い。一方、個人主義-集団主義と男らしさ-女らしさ次元は
組織の中の人間をどう見るか、という組織観念に影響を及ぼし、長期志向-短期志向次元は 組織のスタイル及び問題解決の方式に関わっている219。これは 1961~1973 年にかけてイギ リスのアストングループによって行われた研究結果と一致するところが見られる。アスト ン研究の主要結論として、組織構造は集権化と手続きの標準化、形式化から大きな影響を 受ける、ということである。これは Hofstede が提唱した権力格差と不確実回避と共通する と考えられる220。
このように人間が生まれ育った家庭環境や社会環境の中で身に付いた知識、経験、信念、
価値観などの文化的要因は、企業経営を担う経営陣や一般社員の思考様式と行動様式に影 響を与える。これにより、国による企業の経営管理に関する様々な手法や、慣行、システ ムにも大きな差異が存在している。
前記の日米国民文化の比較から、ほぼ全ての次元において、日本とアメリカの文化には 著しい相違があることが分かった。そのため、日米の企業経営手法にもそれぞれの特徴が あると言われる。安室憲一氏(1981)は Hall のコンテクスト概念を援用して日米経営シス テムの違いを下表にまとめている。
表 6 日米経営システム比較
システムの構成要素 日本の経営システム アメリカの経営システム
文化的特色 高コンテクスト社会 低コンテクスト社会
組織参加の条件 全人格的参加 機能的参加
意思決定と伝達 集団志向――集団責任 個人志向――個人責任
雇用慣習 長期雇用 短期雇用
昇進経路 ジェネラリスト志向 スペシャリスト志向
業績評価と基準 不明確、非公式的評価準、
年功序列
明確、公式的評価基準、
頻繁な評価と昇進
賃金制度 年功的賃金制 能力主義の職務給
統制のタイプ 行動的統制 成果による統制
出所:安室憲一(1981)、「日本的経営と現地化政策」、『日本企業の多国籍的展開』、有斐閣、p122
表6に示すように、日本の経営システムとアメリカの経営システムは意思決定と伝達から、
雇用、昇進、賃金制度まで極めて大きな相違があ。Hallの文化コンテクストの概念に基づ けば、日本は高コンテクスト社会、アメリカは低コンテクスト社会と位置づけられる。日 本社会では個人や組織が情報処理を行う際に,システムを巨大化したり複雑化したりせず に情報処理能力を増強する方法を取る。具体的には情報量を巨大化させないために,個人 や組織やそれらの情報を常にプログラミングする。そのために、個人は組織の一員として 常にそのプログラミングの作業を行なわなければならず,全人格的参加が必要になってく る。これに対し、アメリカ社会では個人や組織が情報処理を行う際には,システムを巨大 化し情報を知る能力を強化する方法を取り、必要に応じて機能的に参加すればよい221。また、
Hallは高コンテクストのコミュニケーションは集団主義的文化によく見られる一方、低コ ンテクストのコミュニケーションは個人主義的文化に典型的に見られると述べている。
前記の日米国民文化の比較から分かるように、個人主義対集団主義は日米文化の比較に おいて最もよく使用される尺度である。これは日米の経営システムに大きな影響を与える に違いない。例えば意思決定方式について、アメリカ企業慣行のトップダウン方式に対し、