7月25日 兵庫県飾磨郡家島町 家島神社 獅子だんじり
家島神社は俗に天神様といっている。祭神は大己貴命と少名彦命。家島のうち集落は真浦と宮。宮は古くからの 漁港で、こゝには別に真浦神社というがある。これが天満宮である。真浦は家島が遠洋漁業の船泊りとなった所で、
この方が賑かであり、商業者が多い。
真浦と宮は同じ湾内の出入口に近い所と湾の奥と考へてよい。
家島神社は岬の先にある。24日宵宮と25日の本祭には宮も真浦も獅子だんじりを整えて家島神社へ参詣し、獅子 舞を奉納する。宮の方は戦後出来たらしい。真浦の方は 200 年ばかり前からあるという。もと家島の南方にある島 坊勢島の坊勢浦では、真浦の獅子舞連を乗せるだんじり船を用意したらしい。鯛網船を2双並べてその上に切妻の2 双一ぱいの舞台をつくり、幟を立てる。現在は、真浦では獅子だんじり用の 2 双船を特別につくり、平素はこの船 は家島神社近くの海岸に船倉をつくって収めてある。宮では戦後これにならって獅子だんじりを曳航することにな った。家島神社の境内は狭いのでこの 2 つのだんじり船がかち合はないように時間的に間隔を置くことになってい る。
宵宮の日は宮のだんじり船が家島神社に上るのは午後6時頃になる。25日の姫路港よりの第1便8:15分で家島 に渡る。宮のだんじり船は午前 9 時頃家島神社へ上るということであった。乗って行った船が男鹿の海水浴場に立 ち寄り家島の岬を廻って家島神社の海岸にある鳥居と祭の幟が見え出したとき、もうそこに宮のだんじり船は着い ていた、所が船はその沖を素通りして先に真浦に着き、それから宮に着く。宮から家島神社までは海岸沿の道を歩 く外ない。歩いて20分はかゝるという。そのとき宮のだんじりより真浦の方が良いということ。真浦はこれから出 発するので、まだ港にだんじり船が繋いであるということ。真浦の人々はだんじり船と前後して、渡しでついてお 詣りするので、今からなら、それに便乗できるということを聞いたので、汽船は真浦で下船することにした。その 通り眼の前の波止場に獅子だんじりは繋いであった。
獅子舞は真浦のお宮での式舞を済ませて、だんじりまで道中囃子の途中であった。
道中囃子は祇園囃子。これに歌が入る。口説ものが多く、梅次くどき、佐保次くどき、阿波の浮島、鈴木もんど、
那須の与一などがよく歌はれる。4つの幟竿を1人の青年が1本づゝ持って行く。20~30m位進むと4つの幟を並べ て立て巻をつくる。天猿(猿田彦)役が1人(2人が交替)、持っている2m位の樫の棒を水平に並んでいる幟竿と 十文字に組んで、押し合いのような所作をする。その後を7頭の獅子頭を持った青年が2列に並んで、右手に獅子 頭を繰りながら進む。白シャツ、白トレパン、黒の腕抜き背で結える。獅子頭には胴幌をつけない。笛は 7 人、6 穴、黒塗、銀の巻金が入っている。道中囃子には太鼓が入る。
獅子だんじりを担当するものは総て青年団員で、獅子連の頭は宮総代と同等の高い地位を持っていて祭を主宰し ている。入団してから、使役、だんじりの組立、錨のなげ方等憶えて、それから獅子舞を習う。シンビト(新人)7 年といって1年に1曲づつ習う。最初に習うのは「神楽」の曲である。
曲に、神楽、花かゞり、餌びらい、塩まき、洞入り、洞がえり、八島の7曲ある。7曲共習ってしまうとアンデン
(兄弟子)になる。アンデンの命令は絶対である。
各曲にはサイトリが入る。これは少年、青年団に入る前の10~12才位の少年。廻しをし、サヽラ、毛鎗、綾棒を 持って、獅子にからむ。継獅子(八島の1節)には肩に乗る。
花がゝりには歌が入る。
うれし目出の若とのさんよ、
知行は益々 サーマ 五万石、
今年は豊年穂に穂が咲いて 桝はサテ箕ではかる、
東かたむく姫路の城は 様がお江戸でサーマ恋し、
京で島原天神様は 七条八条で芝居の真似
真浦。獅子だんじりに乗って纜を解く前に 1 曲舞う。大てい神楽である。後、祇園囃子で、シンビトが替る代に 舞いつゝ、獅子だんじりをランチに曳かせて家島神社の海岸まで行く。参詣人を積んだ臨時の渡し船もこれと前後 して宮浜に着く。
そのとき、宮の獅子舞が、まだ神社の拝殿で舞っているとのこと故、急いで百段ばかりの石段を昇って神社へ行 く。
獅子舞の奉納は拝殿でする。すべらぬよう拝殿に水を打って、その上で舞う。舞うときは白地に、青、茶の獅子 毛横様の胴幌をつけ、後振が入る、舞台の左席が獅子連の席、右が神官、宮総代の席である。拝殿で舞うときは太 鼓は入らない。笛のみ。
宮の洞がえり、八島を見た。獅子奉納があった後、拝殿前の庭左寄の所で巫女の湯立がある。拝殿の縁に太鼓を 持ち出して太鼓の拍子で湯立をする。幣入れ、湯供への式の後、巫女の 1 人が千早をとり、白襷となって笹の湯た ぶさ日本を両手に、釜の湯をはねる。
その前には獅子連の青年達が皆出てその湯立の湯玉を浴びるのであるが巫女が 1 はねすると、青年達は巫女を周 囲から襲いかかって抱き合うようにして、湯たぶさを取りあげてしまう。すぐ多ぜいの青年がその葉を千切って自 分の鉢巻に挿す。
宮の青年は巫女が悲鳴をあげる程激しく飛付いたので、今度こそはと真浦の青年の湯立のときカメラをかまえて いたが真浦の青年はおとなしく、湯玉を浴びて、湯たぶさを巫女から受取り、分けあっていた。
宮の獅子連が海岸に降りて、獅子だんじりに乗込んだ後に真浦の獅子だんじりに、舟板をかけ船から降りる。そ こからやはり祇園ばやしで神社へ練込む。まづ拝殿の前方正面に 7 つの獅子頭を積*。造花の鉢、ササラ、綾棒、
継獅子の車、毛鎗等をその両脇につみ重ね。
修祓、祭典があって、舞台で浦安舞がある。終ってすぐ、獅子舞に移る。帰りは獅子だんじりに乗せて貰って帰 ることにした。途中で、宮へ立寄る。
宮の宮浦神社の鳥居のすぐ前の波止にだんじり船を繋ぎ、こゝで2、3曲、舞う。こゝで降りたが、だんじり船は 宮から真浦へ帰る。その途中で宮のだんじり船とすれちがふことになっている。
※以下斜字部分、『家島群島総合学術調査報告書』第4節民俗篇(神戸新聞社 S37.9)より要約・引用。
真浦の獅子舞は若衆がやる。笛は2ヶ月前から練習。舞は20日ほど前から晩に稽古し、昼の稽古に入るのは 7月18日から。
曲目。神楽、花ざかり、永代、塩舞、ほらいり、ほらがえり、矢島の7曲。2曲舞うが、最初の1回は新参が 頭をとり古参は後振。第2回目は逆。
25日午前8時頃真浦では若衆は獅子面を手に提げて練りながら真浦の荒神社の境内へ行く。この行列の先頭 には幟ザオを立てゝ、その竹ザオを持つ人足が獅子面の方に向ってこれを倒そうとするのを、赤面を被り赤衣 を着た護警が、これを防ごうとして支えながら練ってゆく。
荒神社の境内で 7 曲舞う。それから港まで練り、獅子壇尻の船に乗るのである。天神社の前の沖合船壇尻の 上で獅子舞を奉納する。終って若衆中が下船、天神社に参詣して湯立てをうけ、また 1 廻りの獅子舞を舞台で 奉納する。帰途は宮浦の白髪神社の前で船をつけて舞す。宵の24日午後8時頃には宮浦で提燈を竹ザオに結び つけ、これに灯を点じて、子供達が 1 本づゝ持って勢揃い、年寄の囃歌で、先頭の提灯が地搗きのようにしな がら、2キロの道を歩いて天神社へ行く。