8月24日 小倉郡西河原町呼野 お糸地蔵祭り
呼野部落は田川へ抜ける街道の瑞道にさしかゝる、1番奥にある。三菱セメントの石灰山の麓に稗子(ひえご)の 池と呼ばれる美しい、松の緑を水に映した池がある。山裾に塘を築いて溢れた池で塘の上にお糸の墓と呼える碑が あって花など供えてあり、泳いだり魚をとってはならない禁札が立っているが、その塘の右外れの山裾に沿うて、
小径があり、石橋よって中島に継がれ、かなり古い松の樹が数本茂っている。(中略)
お糸の墓と称する碑がお糸伝説の塘上にあり、今後は別に呼野の大泉寺で、お糸地蔵の祭りがあって盆踊りをや るので、この昼間の水籠りと何か関係あるように思われるが村人は全くないという。
盆踊りの方は午後 8 時より大泉寺の境内に踊櫓を立てゝその周囲を巡る。これにはお糸伝説(お糸由来という)
があって櫓を囲ってもとは午前2~3時頃まで踊ったという。
昨23日の夕方、大泉寺の少し下平四つ辻の角にあるお糸地蔵堂より呼野の青年達によって、お糸地蔵堂に平常安 置してある地蔵さんを輿に乗せて大泉寺に運び、その夜から供養をする。大泉寺の住職の叩く鉦の音によって読経 があり、お糸由来記を読みあげる。長いので中略されるが終ると境内で盆踊りがある。現在は青年会を離れて「い ちょう会」といふ保存会のメンバーが中心になって並びの浴衣、団扇片山の盆踊りが境内狭しと盛大に行われる。
お糸口説、能行口説が中心にそれに、戦後作詞作曲振付をされた「お糸地蔵音頭」まであって 2 時間程は人波の渦 となる。音頭取りの歌の上手な人が2人程いる。午後10時頃盆踊りは一段落となる。そのあとお糸地蔵は輿に乗っ て、やはり住職の鉦に送られて地蔵堂へ帰る。もとはその後も人々は地蔵堂の前で終夜踊ったという。
お糸由来(盆踊の音頭をとっていた人に思い出して貰って聞書する)
お糸由来を細かに述べん 企救と田川のその間なる 摺鉢見るよな呼野ぢゃけれど 清水涌き出る平尾のもとに 上る花火は偽りなるが 上にのぼりてちぢに乱れる 今日は八月二十と四日 これはお糸の祭典なるぞ 聞いて村人疲れも忘れ 老の腰にも孫の手引いて 先を争い山門潜る こゝに一つのその物語り 頃は天保の六とせの二月 企救の郡は呼野の里で 昔呼野に文七というて 夫婦中にも一人娘 年は十四で莟の花よ きりよう吉野の若木の桜 夫婦世を送るうち 父の文七この世を去りぬ こゝに一つの悩みがござる 稗子池なる堤防が切れる そこで村人御相談なさる どうか今度は築き止めたいと ある日村人話の中に 昔筑前遠賀の郡
金田池にも人柱にて 後は切れたる事ござらぬと 話致さば村人達は たとえ田地を畑としても 人の柱は思いもよらぬ そこで村人思案に暮れる これを聞きたる娘のお糸 お糸つくづく考えけるに どうせ一度は死ぬ身であれば 人の嫌がる柱となりて 後の世までも名を残さんと 娘ながらもけなげな思い 村のためなら運んであげよう ある日お糸は鏡に向い 私を柱に立て下さいと 聞いて母親驚き顔で
人の柱は思いもよらぬ 止めておくれよこれお糸さん 願う心は石磐石で 母は泣く泣く願を容れる お糸柱に立つ日はきまる 清き清水で体をきよめ 白い布にて体を包み 腰に乗りにて村中廻る 村中廻りて稗子に着けば これを見兼ねた村人達は 話なく泣く唯泣くばかり これではいかぬと役人達は 早く土をば掛けよと命ず お糸このとき村人達に 死んで行く身に不足はないが 役に残りし母さん頼む 紅葉なるよな両手を合せ 西に向って念仏なさる 母はこのとき向いの山で お糸お糸と泣き叫ぶなり 母の呼びにし向いの山は 今も名付けて呼ぶ石という
この歌詞は聞書きしていて明治後年のものと思われる。大泉寺の住職が讀あげた「お糸由来書」という文書も住 職に聞けば年号の記載がなく、大正年間に古老の口伝を集めて記したものという。
お糸地蔵音頭(作詞阿南哲郎、作曲永田先生、振付、神崎舞踊)
これは戦後の新しいものである。
1、お糸、お糸さん、いとしの娘 村のいけにえ 村のいけにえ 人柱サーサ踊ろよ、地蔵まつり ヤーレサノ サノ ヤレサノサ(繰返し)
2、此処は小倉区呼野の里よ 稗の粉池 稗の粉池 人柱
3、年は十四よ 頬紅つけて 村のためなら 村のためなら 人柱 4、一人娘の我子を呼ぶよ 呼野よぶ石 呼野よぶ石 人柱
5、絶きることなきお池の水よ お糸地蔵さん お糸地蔵さん 人柱 6、枯れることなく稲穂はのびる 村も栄える 村も栄える 人柱。
お糸由来お糸由来を細かにのべん企救田川のその間なるすりばち見るよな呼野ぢやけれど
清き涌き出る平尾の下 もとに上る花火は偽りなるが上に上りて、ちぢに乱れる今日は八月二十と四日これはお糸の祭典なるぞ聞いて村人つかれも忘れ老の腰にもまごの手引いて先を争い山門くぐるこゝに一つのその物語り頃は天保の六とせの二月企救の郡は呼野の里で昔呼野に文七というて夫婦中にも一人娘年は十四で莟の花よきりよう吉野の若木の桜夫婦仲よく世を送るうち父の文七この世を去りぬこゝに一つの悩みがござる稗子池なる堤防が切れるつけど築けどます/\切れるそこで村人御相談なさるどうかこんどはつき止めたいと或る日村人話の中に昔筑前遠賀の郡金田池にも人柱にて後は切れたる事ござらぬと話致さば村人達はたとえ田地を畑としても人の柱は思いもよらぬそこで村人思案に暮れるこれを聞きたる村人たちはこれを聞きたる娘のお糸 お糸つくづく考えけるにどうせ一度は死ぬ身であれば人の嫌がる柱となりて後の世まで名を残さんと娘ながらもけなげな思い村のためなら進んであげようある日お糸が鏡と向い私を柱に立て下さいと聞いて母は驚き顔で人の柱は思いもよらぬ止めておくれよこれお糸さん願う心は石萬尺で母は泣く泣く願を入れるお糸柱に立つ日はきまる清き清水で体を清め白い布にて身体を包み輿に乗りにて村中まわる村中廻りて、稗子につけばこれを見兼ねた村人達は話泣く泣く唯泣くばかりこれではいかぬと役人達は早く土をば掛けよと命ずお糸このとき村人達に死んで行く身に不足はないが後に残りし母さん頼む紅葉なるよな両手を合せ西に向って念仏なさる母はこのとき向いの山でお糸お糸と泣き叫ぶなり母の呼びにし向いの山は今も名付けて呼ぶ石という