第 9 章 置換の符号と転倒数 ( よりみち ) 69
13.3 クラメルの公式の証明
• Ajiの第j列は,Aのj列目から何らかの成分を一つ除いた(n−1)次列ベクトルである.
したがって,Ajiの(j, j)-成分は,もとのAの(j+ 1)行かつj列にある成分ゆえaj+1,j = 0. 以上よりAji は上三角かつ対角成分に0を含むゆえ|Aji|= 0 (例11.1.2). つまりa∗ij = (−1)j+i|Aji|= 0であり,Aeは 上三角である.
(2): A−1 = |A1|Aeゆえ(1)より明らか. 発展(無限次元の行列)
定理5.3.3は有限次元の仮定の下でしか成り立たない. ここに,無限次元における反例を紹介して
おこう. たてよこに無限個の成分をもつ次の行列を考える:
A=
0 0 0 0 · · · 1 0 0 0 · · · 0 1 0 0 · · · 0 0 1 0 · · ·
... ... ... . ..
, B =
0 1 0 0 0 0 · · · 0 0 1 0 0 0 · · · 0 0 0 1 0 0 · · · 0 0 0 0 1 0 · · ·
... ... ... ... ... . ..
.
無限個の成分をもつ行列の積は一般には定まらない(積の各成分を得るには無限和をとる必要があ り,一般には収束せず値が定まらない). しかしながら上のA, Bのように,ほとんどすべての成分が 0の場合は積の各成分を定めることができる(有限和とみなせるため):
BA=
1 0 0 0 · · · 0 1 0 0 · · · 0 0 1 0 · · · 0 0 0 1 · · · ... ... ... ... . ..
=E, AB=
0 0 0 0 · · · 0 1 0 0 · · · 0 0 1 0 · · · 0 0 0 1 · · · ... ... ... ... . ..
.
したがってBA=EだからといってAB=Eとは限らない.
有限の世界で成り立つことが無限の世界で成り立たない理由の多くは,「二つの集合が対等であ る(元の総数が等しい)」という概念を無限集合にまで拡張したとき,その様子が有限集合の場合と 著しく異なる点に起因している. 詳しくは,無限集合については19.5節を,上の無限行列に対応する 線形写像については例26.1.5を見よ.
したがって,各成分xjは,
xj = 1
|A|ta˜jb= 1
|A|·
a11 · · · b1 · · · a1n
... ... ... ... ... ai1 · · · bi · · · ain
... ... ... ... ... an1 · · · bn · · · ann
.
最後の等式は式(13.2.1)による.
余因子行列を持ちださずともクラメルの公式を示すことはできる. 行列式への理解を深めるために,余 因子行列を用いない別証明を紹介しておこう:
クラメルの公式の別証明. A= [a1,· · ·,an]と置けば
b=Ax= [a1,· · ·,an]
x1
... xn
=x1a1+· · ·+xnan.
行列式|a1,· · ·,aj−1,b,aj+1,· · · ,an|を式(13.1.1)と同様にして展開すると,
|a1,· · · ,aj−1,b,aj+1,· · ·,an|
=|a1,· · ·,aj−1, x1a1+· · ·+xnan,aj+1,· · · ,an|
=x1|a1,· · · ,a1,· · ·,an|+· · ·+xj|a1,· · ·,aj,· · ·,an|+· · ·+xn|a1,· · ·,an,· · ·,an|. ここで, 上式の第i項に現れる行列式は, i=jの場合を除きi列とj列がともにaiだから0である. ま た第j項はxj|A|である. 以上より,
|a1,· · · ,aj−1,b,aj+1,· · ·,an|=xj|A|.
これを変形して求める等式を得る.
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第 III 部
抽象ベクトル空間
第 14 章 集合概念の基礎
本章と第VI部の19章では,先に1.1および1.2節で述べた集合と写像に関する概念の発展として,こ れらのより繊細な使い方について解説する. ただし,線形代数学の文脈に現れる部分に限って取り上げる こととした. これらの概念を扱う理念や,集合概念の基盤となるより根本的な論理の規則等については, 巻末にある文献[6]を参照してもらいたい.
14.1 集合の包含関係
包含関係は,二つの集合の一致を示す際に必須となる概念である.
定義 14.1.1. 二つの集合A, Bが与えられており, Aのいかなる元もBに属するとき,AはBの部分集 合(subset)であるといい,A⊂BあるいはB ⊃Aと表す.
とくに,A自身はAの部分集合である. A⊂Bであるとき「AはBに含まれる」と述べることもある. この表現は,AがBの元であること(つまりA∈B)と誤解される恐れもあるゆえ注意したい.
例 14.1.2. (1) {りんご,スイカ} ⊂ {りんご,みかん,スイカ}である. (2) N⊂Q⊂R⊂Cである. これらの記号の意味は1.1節を参照せよ.
(3) A={1} (一点のみの集合)とし,X ={1, A} (自然数1と集合Aの二つの元からなる集合)とす れば,A∈XとA⊂Xが共に成り立つ.
一方,集合Aが集合Bの部分集合でないとは,Aのすべての元がBに属するわけではないこと,つま りBに属さないAの元が存在することを意味する. このとき,A̸⊂Bと書く.
例 14.1.3. 集合A={2,9,11,30}は集合B ={2,9,15, 26,30,37}の部分集合ではない. 何故なら 11∈Aおよび11∈/Bであり,Aのすべての元がBに属するわけではないからである.
次で定める特別な集合は全ての集合の部分集合となる:
定義 14.1.4. いかなる元も含まない集合を空集合(empty set) とよび,これを∅と書く. 命題 14.1.5. 集合Xに対して,空集合∅はXの部分集合である.
Proof. 背理法で示す. ∅がXの部分集合でないと仮定しよう. このとき部分集合の定義により, Xに属
さない∅の元aが存在する. とくにa∈ ∅であり,これは∅が元を含まないことに矛盾する. ゆえに∅は Xの部分集合である.
二つの集合A, Bが等しいとは,Aを構成する元とBを構成する元とが一致するということである. こ れは, Aの元はBの元でもあり,またBの元はAの元でもあることにほかならない. すなわち,次が成 り立つ:
集合A, Bについて, A=B ⇐⇒ A⊂BかつB ⊂A. (14.1.1)
例 14.1.6. 集合A ={りんご,スイカ}と集合B ={りんご,スイカ,スイカ}は等しい. 実際,包含関 係の定義14.1.1によればA ⊂BおよびB ⊂Aが成り立つ. したがって式(14.1.1)よりA=Bである. 集合Bにスイカが二つ入っているわけではないことに注意しよう. スイカを二つ含む集合を考えたいの であれば,例えばスイカ1,スイカ2とラベルを貼り,{りんご,スイカ1,スイカ2}と書けばよい.
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例 14.1.7. 本章以前の議論においても, 式(14.1.1)の左向き「A⊂BかつB ⊂A =⇒ A=B」を暗黙 裡のうちに何度か用いていた.
(1) 例1.3.3およびその後の議論において,R2からR2への線形写像全体の集合Xとf (
x y
) :=
(
ax+by cx+dy
)
なる形で表せる写像f :R2→R2全体の集合Yが一致することを確認した. 例1.3.3においてY ⊂X を述べて,その後の議論においてX⊂Y を示している.
(2) 命題4.3.1の説明では,方程式Ax=bの解全体の集合Xと一点からなる集合Y ={Bb}が一致す ることを述べている. まず,aを方程式の解(つまりa∈X)とすれば,aはBbに一致すること(つ まりa∈Y)を示した. これはX ⊂Y を示すことに相当している. 次にBbが方程式の解であるこ とを確認した. これはY ⊂Xを示すことに他ならない.
(3) 一般の連立1次方程式の解法(4.6節)における一般解の表示についても同様のことを行った. 方程 式Ax=bの解全体の集合Xとa0+c1a1+c2a2+c3a3で表されるベクトル全体の集合Y が一 致することを,X ⊂Y およびY ⊂Xの両方を確認することによって示している.
よりみち(集合が等しいとはどういうことか)
二つの集合が一致するとはどういうことか改めて考えてみると,雲をつかむような,とりとめもな い思索しかできないことに気づく. 先程,式(14.1.1)が成立することをもっともらしく述べたが,実 は「A⊂BかつB ⊂A=⇒ A=B」の説明はしていない. これは本当に正しい事実だろうか. 例え ば, 赤い袋Aの中に自然数1と2のみが入っているとし,青い袋Bにも1と2のみが入っていると しよう. この二つの袋は色が違っているにも関わらず一致していると言えるのだろうか.「集合と考 えている場合は一致する」と言いたいところではあるけれども,その根拠に式(14.1.1)を用いるわけ にはいかない. 何故なら, いま式(14.1.1)を説明するための議論をしているからである. では,どう やってAとBが一致することを導けばよいのだろうか.
このように, 集合が一致することを説明するのは意外に難しいのである. そこで集合論では, 式
(14.1.1)を公理として定め,外延性公理と呼んでいる. より素朴な立場では,式(14.1.1)が集合が等
しいことの定義であると考えてもよいだろう.