(4) AB=Oを満たす行列B ̸=Oが存在すれば,Aは可逆でない(Bは正方行列でなくてもよい). 何 故なら, 仮に可逆であるとすると,AB =Oの両辺に左からA−1を掛けるとB =Oとなり, これ はB ̸=Oに矛盾するからである.
(5) A= [
0 1 0 0 ]
とすればA2=OゆえAは可逆でない(B :=Aとして(4)を適用せよ).
(6) 可逆行列Aおよび自然数kについて,A−k := (A−1)kと定める. これはAkの逆行列に等しい. ま たA0 :=Eと約束すれば,整数p, qについて指数法則Ap+q=ApAqおよび(Ap)q=Apqが成り立 つ. これらは,実数の整数冪に関する指数法則の証明と同じやりかたで示せる(証明略)2.
(7) 可逆行列Aについて, (tA)−1 = t(A−1). 実際, 命題3.4.5よりtAt(A−1) = t(A−1A) = tE = E.
t(A−1)tA=Eも同様にして確かめられる.
よりみち(行列の割り算)
行列の和,差, 積の定義を2章で与えた. 一方で, 行列演算に商(割り算)の概念はない. しかしな がら,実数の割り算が掛け算の逆演算であること(つまり逆数を掛けること)から類推して,行列の割 り算を逆行列を掛けることと捉えてもよい. ここで注意すべきことは, すべての行列A̸=Oについ て必ずしも割り算が定まるわけではない点である. Aが正方行列かつ可逆な場合に限り,Aによる割 り算が定まる.
さて,実数a̸= 0の逆数を 1aあるいはa−1と書くのに対して,可逆行列Aの逆行列を表す記号は A−1のみであり, これを A1 (あるいは EA)と書く慣習はない. その理由の一つは次の通りである. 仮 に 1
Aと表記した場合に,これと別の正方行列Bの積を考えよう: 1
A·B, B· 1 A.
このとき, 上の二つの行列をBA と書く誘惑にかられる人が一定数いるであろうことが想像される. しかし, 一般には上の二つの行列は異なり, これら異なる行列に同じ記号 BA を与えれば, これ以降 の計算は破綻してしまう. このような理由から,行列の分数表記は行わない. なお,実数においては
1
a ·b=b·1aが成り立ち,分数表記は上手く機能する.
5.2 行基本変形再考
行基本変形を行列の積と関連づけよう.
定義5.2.1. 次の三系統のm次正方行列Sm(i;r),Wm(i, j),Km(i, j;r)を基本行列(elementary matrix) という. これらの記号は本書でのみ通じる.
(1) Sm(i;r) : Emのi行目をr倍した行列. ただしr ̸= 0とする.
Sm(i;r) :=
1
. ..
1 r
1 . ..
1
← i行目
2実数の冪に関する指数法則の証明は,例えば巻末の文献[6]を見よ.
(2) Wm(i, j) : Emのi行とj行を入れ替えた行列.
Wm(i, j) :=
1
. ..
0 1
. ..
1 0
. ..
1
← 1行目
...
←i行目 ...
←j行目 ...
← m行目
(3) Km(i, j;r) : Emにおいて,i行目のr倍をj行目に加えた行列.
Km(i, j;r) :=
1
. ..
1 . ..
r 1
. ..
1
← 1行目
...
← i行目 ...
← j行目 ...
← m行目
基本行列を左から掛けることは,行基本変形を行うことに他ならない. 命題 5.2.2. (m, n)-行列Aと基本行列の積について,次が成り立つ.
(1) Sm(i;r)AはAのi行目をr倍した行列である:
1
. ..
r . ..
1
a11 a12 . . . a1n ... ... ... ... ai1 ai2 . . . ain
... ... ... ... am1 am2 . . . amn
=
a11 a12 . . . a1n ... ... ... ... rai1 rai2 . . . rain
... ... ... ... am1 am2 . . . amn
.
(2) Wm(i, j)AはAのi行とj行を入れ替えた行列である:
1
. ..
0 1
. ..
1 0
. ..
1
a11 a12 . . . a1n ... ... ... ... ai1 ai2 . . . ain
... ... ... ... aj1 aj2 . . . ajn
... ... ... ... am1 am2 . . . amn
=
a11 a12 . . . a1n ... ... ... ... aj1 aj2 . . . ajn
... ... ... ... ai1 ai2 . . . ain
... ... ... ... am1 am2 . . . amn
.
(3) Km(i, j;r)AはAのi行目のr倍をj行目に加えた行列である:
1
. ..
1 . ..
r 1
. ..
1
a11 . . . a1n ... ... ... ai1 . . . ain
... ... ... aj1 . . . ajn
... ... ... am1 . . . amn
=
a11 . . . a1n ... ... ... ai1 . . . ain
... ... ... rai1+aj1 . . . rain+ajn
... ... ... am1 . . . amn
.
43
基本行列自身に基本変形を施すことで次を得る. 命題 5.2.3. 基本行列の逆行列は基本行列であり,
(1)Sm(i;r)−1=Sm(i;r−1), (2)Wm(i, j)−1 =Wm(i, j), (3) Km(i, j;r)−1=Km(i, j;−r).
Proof. (1)のみ示そう. Sm(i;r)に左からSm(i;r−1)を掛けると,前命題(1)よりSm(i;r)のi行目をr−1倍 した行列になる. ゆえにSm(i;r−1)Sm(i;r) =Emである. また,Sm(i;r−1)に左からSm(i;r)を掛けると Sm(i;r−1)のi行目をr倍したことになり,Sm(i;r)Sm(i;r−1) =Em. 以上より,Sm(i;r)−1=Sm(i;r−1).
(2)および(3)も同様にして示せる.
さて,行列Aにk回の行基本変形を施した結果Bになったとしよう. このときに用いた各行基本変形 に対応する基本行列を順にX1,· · · , Xkとすると,
XkXk−1· · ·X2X1A=B.
上に現れる可逆行列たちの積P = XkXk−1· · ·X2X1は可逆であり, またP A=B となる. 一方, Xk−1, Xk−−11,· · ·,X1−1に対応する行基本変形をBに順次ほどこせばAを得る. 実際,
X1−1X2−1· · ·Xk−−11Xk−1B =P−1P A=EA=A.
以上を整理すると次のような主張になる.
命題 5.2.4. (m, n)-行列Aが行基本変形によりBに変形するならば,次が成り立つ. (1) P A=Bを満たすm次可逆行列P が存在する.
(2) 行基本変形によりBをAに変形できる.
上の(1)に関連して,逆にP A=Bを満たす可逆行列P があるならば,行基本変形によりAをBに変 形できることが知られている(系5.3.2).
5.3 逆行列の求め方
n次正方行列Aの逆行列を求めるために,まずはその候補としてBA=Eを満たす正方行列Bを探し たい. そこで,行列Aがk回の行基本変形によってEに変形できたと仮定しよう. このときAの簡約化 はEであり,また前節での考察をふまえると
XkXk−1· · ·X2X1A=E,
ここで各Xiは, AをE に変形する際に用いた各行基本変形に対応する基本行列である. したがって, B =XkXk−1· · ·X2X1とおけばBA=Eである. このBがAの逆行列であること(AB=Eも満たす こと)は次のように示される:
Proof. Bは,可逆行列の積で書けるから可逆であり,ゆえにBの逆行列Cが存在する. このとき,A =
EA= (CB)A=C(BA) =CE =C. したがってAはCに等しい. つまりA =B−1であり,この両辺 の逆行列を取ればA−1 = (B−1)−1 =B.
さて,上のBの各成分を求めるには次式を考えればよい: B=XkXk−1· · ·X2X1E.
この式は,AをEに変形する際に用いた各行基本変形を順にEに施すとBが求まることを述べている. ここで,AをEに変形する手順を確認した後で,同様の手順でEを変形するという方法でBを求めても よいが,次の手順を用いれば,このような二度手間を避けることができる:
• AをEに変形する手順を,AとEを横に並べた(n,2n)-行列[A|E]に対して施すと, [E|X]の形に なる. このとき,
[E|X] =B[A|E] = [BA|BE] = [E|B].
つまりXは我々が求めるBに他ならない. また, [E|X]は明らかに簡約行列であり, したがって [A|E]の簡約化である.
逆に, [A|E]の簡約化が[E|X]の形になるならば,Aの簡約化はEである(系4.8.3).
逆行列の求め方
Aをn次正方行列とする. Aの逆行列を求めるには, (n,2n)-行列[A|En]を簡約化すればよい. [A|En]の簡約化が[En|B]となるならば,BがAの逆行列である.
なお, [A|E]の簡約化が[E|B]の形にならない場合, すなわちAの簡約化がEでない場合はAは可逆 でない. その理由は次章で述べる(定理6.2.2). この事実を認めれば,可逆行列の簡約化は単位行列に限 られ,したがって次を得る.
定理 5.3.1. 可逆行列は基本行列の積で表せる.
Proof. Aを可逆行列とする. Aの簡約化はEであり,これまでの考察をふまえるとA−1 =XkXk−1· · ·X2X1 (各Xiは基本行列)と書ける. この両辺の逆行列を取れば,A=X1−1X2−1· · ·Xk−−11Xk−1であり,この右辺 は基本行列の積になっている(命題5.2.3).
系 5.3.2. (m, n)-行列Aについて次は同値である: (1) 行基本変形によりAをBに変形できる. (2) P A=Bを満たすm次可逆行列P が存在する.
Proof. (1)⇒(2)は命題5.2.4(1)による. 逆に(2)を仮定すれば前定理によりPは基本行列の積で表せる. これは(1)を意味する.
本節では,BA=Eを満たす正方行列Bの探し方の一例を挙げて,更にBがAの逆行列になることを 見た. では,本節とは別の方法でDA=Eを満たす正方行列Dが得られたとき,このDは必ずAの逆行 列になるのだろうか. 実は,次の定理によりDもAの逆行列であることが分かる(つまりD=B). この 定理は行列式の項目に入ってから証明する(13章).
定理 5.3.3. 二つのn次正方行列A, Dについて, DA= Eが成り立てばAD=Eも成り立つ. すなわ ち,DはAの逆行列である.
基本行列と列基本変形(よりみち)
本章では,基本行列を左から掛けることと行基本変形の対応を見た. 一方で,基本行列を右から掛 けることは,列に関する変形に対応する. つまり,命題5.2.2の類似として次が成り立つ:
命題 5.3.4. Aを(m, n)-行列とする.
(1) ASn(i;r)はAのi列目をr倍した行列である.
(2) AWn(i, j)はAのi列とj列を入れ替えた行列である.
(3) AKn(i, j;r)はAのi列目のr倍をj列目に加えた行列である.
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